インド

インド旅行記 聖地プシュカル

ブルーシティと呼ばれるジョードプルは青い街並みがとても印象的でした。
観光客もそこまで多くなく、落ち着いていて、美しい街並みが広がるいい町でした。

そのジョードプルを後にし、次の町を目指しました。

次に向かったのは、ラジャスタン州のプシュカルです。

プシュカルはジョードプルから東に200kmくらいのところにあります。

聖地プシュカル

プシュカルはヒンズー教の聖地の一つです。
ヒンズー教の創造の神、ブラフマーを祀った寺院がある町です。
その聖地プシュカルはとても小さな町でした。

小さな町とはいえ、さすがに聖地なだけあり多くの観光客が訪れていました。
特に欧米人バックパッカーの旅行者が多くいました。

そのためかヒンズー教の聖地とはいうものの、けっこうツーリスティックな感じがしたのも事実です。
また、プシュカルの町中では、そのような観光客目当ての商売をしている人も多くいました。
なめた口をきいてくる奴もいて、けっこうむかつくこともありました。

プシュカルの町の真ん中には、湖があります。
そして、沐浴場(ガート)が広がっています。
私もガートに行ってみたのですが、変なおっさんがやってきて何かと金を要求してきました。
もちろん、そんなのは無視して、払いませんでした。

そういう意味ではちょっとがっかりな感じがしました。

プシュカルの夕日

プシュカルの町中は、むかつく奴らも多くいました。
そのため、プシュカルの町自体に対する、私の評価は低いです。
正直、あまりおすすめはしません。

ただ、プシュカルの丘の上からの眺めは良かったです。

 

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丘の上から見ると、小さなプシュカルの町全体が見渡せました。
逆方向を見ると、平原が広がっていました。

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そして、この丘の上から見る夕日はとてもきれいでした。
残念ながら写真にはおさめていませんが、本当にとてもきれいな夕日でした。

プシュカルには2泊しましたが、2日とも丘に登り夕日を眺めました。

プシュカルの町自体は、個人的にはおすすめの町ではありません。
でも、この夕日を見ることができたのは、とてもいい経験だったと思っています。

プシュカルには2泊し、次はジャイプルを目指しました。

インド旅行記 ジョードプル(ブルーシティ)

ゴールデンシティとも呼ばれるジャイサルメールはとても美しい町でした。
そして、キャメルサファリも堪能した後、次の町に移動することにしました。

ジャイサルメールと同じラジャスタン州にある町ジョードプルを目指しました。

ジャイサルメールから東へ300kmほどのところにあります。
鉄道もあるのですが、バスの方が便利なのでバスで移動しました。

ブルーシティと呼ばれるジョードプル

ジョードプルは別名ブルーシティとも呼ばれています。
その名の通り青い町なのです。
というのも、ジョードプルの家の壁は青く塗られているのです。

実際にジョードプルに到着してみると、確かに青い壁の建物ばかりでした。
その青い建物の中に、安宿もあります。
観光客がそこまで多くないからか、あっさりと安宿を確保できました。
安いけどきれいでとても居心地がいい宿でした。

そして、ジョードプルの町中を散策しました。
ただ、青い町の中を歩いているだけだと、町の全体像がわかりません。

そこで、その青い街並み全体を見るために小高い丘に建てられた城塞、メヘラーンガル城に向かいました。
ジョードプルの観光スポットです。
メヘラーンガル城は15世紀に当時マールワール王国が建てた城塞です。

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メヘラーンガル城自体は青くはありあせんが、とてもかっこいい城塞でした。
まさに荘厳な城塞でした。
この城塞だけでもとても見ごたえがあります。

そして、その城塞に上ると、ジョードプルの町を見下ろすことができました。
それは、まさにブルーシティという名前がピッタリの感じでした。

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町の家々が青いことが分かるでしょうか?
写真ではわかりにくいかもしれませんが、本当に青い建物が広がっています。

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その光景は圧巻でした。
青い家々が広がる光景はやはり美しかったです。

町の美しさの要素の一つは、統一感なのだと思います。
ジョードプルの町は青く塗られた家々が広がていて、その統一感が美しいのだと思います。

ジョードプルの前に訪れた、ジャイサルメールの町もとても美しかったです。
それは、そこに統一感があったからだと感じました。
ヨーロッパの街並みもやはり統一感を大切にしていると思います。
だからこそ、チェコのプラハのような美しい街並みが広がっているのかなと思います。

さて、ジョードプルの町ですが、とても美しく、宿もキレイで、ご飯もおいしかったです。
しつこく言い寄ってくる人もいなくて、のんびり過ごせました。
ですので、私としては好きな町でした。

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ジョードプルには2泊し、次はプシュカルに向かいました。

インド旅行記 ジャイサルメールのキャメルサファリ

インド北西部ラジャスタン州にあるジャイサルメール。
黄色い砂岩で作られたその美しい町並みから、ゴールデンシティとも呼ばれる町です。
ジャイサルメールの街並みについてはこちら

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このジャイサルメールは、その美しい街並みとともにラクダに乗ってタール砂漠をめぐる「キャメルサファリ」ができることでも有名です。
多くの観光客が、キャメルサファリを楽しみます。

バックパッカーだった私も、泊まった宿でキャメルサファリに申し込みました。

砂漠を巡るキャメルサファリ

朝起きて、キャメルサファリに向かいました。
そのキャメルサファリは、イスラエル人の女性2人と一緒でした。

キャメルドライバー(ラクダ使い)のガイド2人に連れられ、キャメルサファリスタートです。

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我々を乗せてくれるラクダが待ってました。

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ちなみに砂漠は暑いですが、日差しを避けるため通気性のいい長袖を着ます。
キャメルドライバーがきていた民族衣装は風通しがよさそうで、着心地がよさそうでした。

一頭のラクダに一人ずつのって、砂漠に向かいます。

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ラクダの乗り心地はあまりいいとは言えません。
ですが、砂漠をラクダに乗って進むのは気持ちいいものです。

砂漠でランチ

ラクダはゆっくりと砂漠を進みます。
砂漠とはいうものの、日本人がイメージするような砂丘がいきなり現れるわけではありません。

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砂丘への道中、しばらくは平地を進みます。
ちょっと退屈になってきたころ、ランチタイムとなりました。

ランチはキャメルドライバーが、作ってくれます。

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木陰で、調理器具を取り出し料理を始めます。
メニューはベジタブルカレーです。
そして、小麦粉をクレープのように焼いたチャパティとよばれる薄いパンも作ってくれます。

※ちなみに日本のインドカレー屋さんでよく出てくるナンは、タンドールと呼ばれる窯で屋かえるものでインドでは高級品です。私はバックパッカー旅行中はチャパティだけで、インドでナンは食べませんでした。

素朴なベジタブルカレーとチャパティのランチでしたが、砂漠で食べるからかとても美味しく感じました。

砂丘に到着

ランチを楽しんだ後も、暑い中ひたすらラクダは進みます。
そして、いよいよ砂丘へ到着しました。

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砂丘はきれいです。

これまで敦煌でタクラマカン砂漠を見たことがありましたが、砂漠の砂丘は好きです。
ちなみに、個人的には鳥取砂丘もけっこうきれいな砂丘だと思っています。

ジャイサルメールの砂丘は、敦煌の砂丘に比べるとちょっと物足りなさはありました。
でも、この砂丘で夕日を眺めながら夕食のカレーを食べました。
その美しい光景を見ながら食べたカレーはとても美味しかったです。

砂漠の満月

砂漠に夕日が沈み、月が出てきました。
その月は見事な満月でした。
残念ながら、写真はないのですが、月明かりがこんなに明るいものなのだと初めて知りました。

かつて砂漠を旅したキャラバンの人たちにとって、この月明かりは自分たちの進む道を照らすものだったのだろうなと、感慨深かったです。
このような満月の日にキャメルサファリに参加できたのはラッキーでした。

砂漠の夜は冷え込みます。
キャメルドライバーが用意した、寝袋にくるまりました。
寝袋は暖かく、すぐに眠りに落ちました。

キャメルサファリを終えて

砂漠の夜が明け、朝が来ました。
キャメルドライバーが用意した朝食を食べた後、砂漠に乗りジャイサルメールの町に向かいました。

ひたすらラクダに乗ってのんびり進みました。
そしてジャイサルメールの町に到着しました。

正直なところ、このキャメルサファリはそこまでおすすめ、というほどではありませんでした。
しかし、砂漠で満月を見る貴重な経験ができたので、私としては満足でした。
また、キャメルドライバーの2人とも、とてもいい人だったので楽しかったです。

ジャイサルメールの宿には気を付けよう

キャメルサファリ自体は楽しかったのですが、ジャイサルメールに戻った後は最悪でした。

元の宿に戻ってみると、「部屋はない」と言われました。
キャメルサファリに参加し、金を払った客はもう用済みなのでしょう。
ジャイサルメールの宿はホスピタリティとか、顧客満足度などとは、まったく関係ない宿が多いので気を付けてください。
(高級なホテルは違うと思いますが)

正直むかつきましたが、言い争っても無駄なので別の宿を探しました。
その宿は、キャメルサファリの勧誘もなく、泊めてくれる宿でした。
最初からこの宿にしとけばよかったなとも思いました。

ジャイサルメールの街並みや、キャメルサファリ自体は体験する価値があります。
ただ、その貴重な経験を悪い思い出で染めないように、宿選びも慎重にした方がよいと思います。

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ジャイサルメールの町自体はとても魅力的です
いい宿を探してジャイサルメールを満喫してください。

インド旅行記 ジャイサルメール(ゴールデンシティ)

インド北部ラジャスタン州にある湖の町ウダイプルで観光した後、ジャイサルメールに移動しました。
ジャイサルメールは、タール砂漠の中央に位置するオアシス都市です。
かつてはインドと中央アジアを結ぶ交易路として栄えたと都市です。

現在のジャイサルメールは、当時の貴族の豪華な邸宅「ハヴェーリー」が数多く残っており観光地となっています。
黄色い砂岩で作られた、その町並みはゴールデンシティとも呼ばれています。
そして、ラクダに乗っての砂漠を訪れるキャメルサファリの拠点でもあります。

また、2013年「ラジャスタンの丘陵城砦群」の一部として、ジャイサルメールのランドマークでもあるジャイサルメール城砦も世界遺産に登録されました。
私が訪れたのは2001年だったので世界遺産に登録される前でしたが、多くの観光客が訪れていました。

ジャイサルメールの町

ジャイサルメールはインドの北西部ラジャスタン州、パキスタンとの国境近くにある町です。

ウダイプルから夜行バスに乗り、翌朝ジャイサルメールにつきました。
そして、まずは宿探しをしました。

ジャイサルメールの宿は、キャメルサファリの勧誘をメインとしている宿が多くあります。
キャメルサファリはそれなりの金額がするので、宿は宿泊費よりもキャメルサファリの勧誘による収入を期待しているわけです。
そのため、ジャイサルメールの宿はあまりいい感じではないことが多いです。

私が泊まった宿も、宿代時代は安かったのですが、キャメルサファリが前提でした。
どうせキャメルサファリに行くつもりだったので泊まりましたが、キャメルサファリの勧誘がしつこく、なれなれしく、感じがいい宿ではなかったです。

美しいジャイサルメールの町

宿が決まり、すぐに観光に出ました。
宿はいまいちでしたが、ジャイサルメールの町自体はとてもよかったです。

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城塞の上から眺めると美しい街並みが広がっていました。

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ゴールデンシティという名にふさわしい、美しい光景でした。

ハーヴェリ

かつて貴族や富豪商人たちがこぞって建てた「ハヴェーリー」と呼ばれる豪華な邸宅がいくつも残っています。
一つ一つがとても美しく、繊細な造形がなされた建物です。

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これらは12世紀から15世紀に建てられたそうです。

そして、現在でもこれらのハーヴェリ―(邸宅)には、人が住んでたりします。
たまたま、通りすがったハーヴェリ―に住んでるおじさんが、見て行けということでハーヴェリ―の中に入れてくれました。
宿の従業員など、観光客相手の人はかなりたちが悪いといえますが、町中で出会う人々はとてもいい人たちでした。

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ハーヴェリ―の中から見ると、その柱など細かなところに施された精緻な造形の美しさがよくわかりました。

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当たり前ですが、日本では見ることができない光景です。
インドの、しかもジャイサルメールだからこその美しい街並みを見ることができました。

ジャイサルメールの宿はキャメルサファリへの勧誘が激しく、外国人を金づると思っている人が多いので、この街を嫌いな旅行者も多いです。
しかし、町中の人たちはやさしく、親切な人たちが多かったで私としては言ってよかった町です。
とはいえ、宿の人たちは感じ悪いので注意が必要ですが。。。

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そして、感じ悪い宿で手配したキャメルサファリへと向かいます。

キャメルサファリの様子はこちら

インド旅行記 湖の町ウダイプル

チベット亡命政府の拠点ダラムサラを後にし、夜行バスでいったんデリーに戻りました。
しかし、デリーは一泊もせず、インド西部ラジャスタン州にあるウダイプルという町を目指すことにしました。

ウダイプルは湖の町、またホワイトシティとも呼ばれるオアシス都市です。
湖や庭園、王宮など美しい観光スポットがある町です。

ウダイプルへの列車へ

ダラムサラからデリーのバスが午前中に着くと、すぐにウダイプル行の切符を買うため鉄道ニューデリー駅へ向かいました。
夜行に連続ですが、バックパッカーにとっては、それほど珍しいことでもありません。
このユーラシア大陸横断旅行中の2001年当時は、全然平気でした。

ニューデリー駅では、外国人旅行者相手の怪しい人たちも多くいます。
「外国人用の符売り場はどこ?」と聞くと、親切そうに見えて怪しい旅行会社に連れていかれたします。
そういう怪しい旅行会社では、通常の数倍、へたすると数十倍の金額をぼったくられる可能性があるので気を付けましょう。

ニューデリー駅には、ちゃんとした外国人窓口があり既定の金額で帰るので、ニューデリー駅で騙されないように気を付けてください。

私はデリーからウダイプルまでなるべく安い列車で行くことにしました。

その結果、サライヒロ駅という、デリーの中でもかなりマイナーな駅から列車に乗ることになりました。
ラジャスタン州行きの列車が出る駅なのですが、かなりこじんまりした駅でした。

サライヒロ駅まで移動し、寝台列車に乗り込みました。
ウダイプルまで22時間の旅でした。

湖の町ウダイプル(ホワイトシティ)

ウダイプルは湖の町と言われる通り、ピチョラー湖を中心に広がるオアシス都市です 。
別名ホワイトシティとも言われています。

このウダイプルの観光スポットをいくつかご紹介します。

シティパレス

町のランドマークは、シティパレスです。
かつての王宮です。

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この写真を見ても、湖の町ということがわかりと思います。

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タージ レイクパレス ホテル

また、この湖の真ん中にはタージ レイクパレス ホテルがあります。
もともとは湖の中の小島に建てられた宮殿です。

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このホテルは世界トップクラスの人気ホテルです。
バックパッカーの私はもちろん泊まることはできませんでした。

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ジャグディーシュ寺院

ウダイプル最大のヒンドゥー寺院です。

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壁面には神々の彫刻が施されています。

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ちょっと写真ではわかりにくいですが、精緻なレリーフが美しいです。

サヘリヨン・キ・バリ(侍女達の庭園)

咲き乱れる色とりどりのブーゲンビリアの花がとても美しい庭園です。

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赤い花と緑と白い壁のコントラストがとても美しかったです。

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写真には残っていないのですが、噴水もあります。
個人的にはウダイプルの中では、このサヘリヨン・キ・バリ(侍女たちの庭園)が一番好きでした

 

そのほかウダイプルでは、楽しそうにしている女の子たちにも会いました。

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とっても楽しそうな笑顔でした。
外国人の私にも、素敵な笑顔を見せてくれました。

ウダイプルは観光スポットも多く、美しい光景も見れたので満足できる町でした。
メジャーな街ではないかもしれませんが、興味があれば訪れてみてはいかがでしょうか?

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湖の町ウダイプルには2泊しました。
そして、次はバスでジャイサルメールへ向かいました。

ジャイサルメールの様子はこちら

インド旅行記 ダラムサラとチベット亡命政府

ネパールからインドに入った後、まずは首都デリーに行きました。

デリーに来るのは二回目。
大学時代にも来たことがありました。

個人的に首都デリーはデリーはあまり好きな街ではなかったのですぐに次の町ダラムサラを目指すことにしました。

ダラムサラには、中国政府に追われ亡命したチベットの亡命政府があります。
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの拠点もダラムサラです。

チベットを越えてきた身としては行ってみたい場所でした。

チベット亡命政府の拠点ダラムサラ

ダラムサラはデリーからは北に500kmほどのところにあります。

私はデリーから夜行バスに乗って、ダラムサラを目指しました。
夜行バスは、あまり乗客が乗っていませんでした。

眠りたいと思った私は、バスの最後部の席で横になることにしました。
座って眠るより、横になったほうが楽ですからね。

そして、快適に寝ていたところ、急に道が悪くなってきました。
バンバン跳ねるようになり、特に最後尾は跳ね方が激しいです。

突然、バンッ!っと激しく跳ね上げられました。
そして、最後部で寝ている私の体は宙に浮かびました。

次の瞬間、最後部の椅子とその前の椅子のわずかな隙間に、ビタン!とはまりました。

まさに奇跡と言えるような嵌りっぷりです。
ちょっとズレてたりすると、椅子の角に顔をうつなど、ケガする可能性もありました。
そういう意味では、とてもラッキーだったと思います。

そして、それに懲りてもともとの自分の席に戻り、素直に座って眠ることにしました。

ダラムサラに到着

朝早くに、ダラムサラに到着しました。
ダラムサラは山の町です。とても景色がよかったです。

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首都デリーの喧騒から考えると、ほっとする雰囲気です。

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ダラムサラはさすがにチベット亡命政府の拠点だけあって、町中にはチベット人が多くいました。
ただ、チベット亡命政府の指導者ダライ・ラマは、そのときはダラムサラを離れており会うことはできませんでした。

ダラムサラの町を観光

残念ながら、ダライ・ラマには会えませんでしたが、ダラムサラの町を観光しました。

ダラムサラはチベット仏教文化の拠点となっていて「リトル・ラサ」とも呼ばれています。
中国領となっているチベット本土では失われつつある伝統的な文化や宗教を守り、後世に残していくための様々な努力がなされています。

ダラムサラの町は、チベット文化を感じられて、チベットを越えてきた身としては親しみを感じられる町でした。

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チベット仏教の寺院もありました。
寺院の中にも入らせていただきました。

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ネパールにいるチベット人たちはよく声をかけてきてましたが、ダラムサラのチベット人たちはあまり声をかけてきませんでした。
ある程度、落ち着いた生活をしているのかな、と思いました。

ちなみに山には猿もいたりします。

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ダラムサラは、インドっぽくなく、落ち着いた雰囲気でいい感じの町でした。
特にチベットを越えてきた身としては、なんとも感慨深い町でした。

インド旅行記 首都デリーの喧騒の中へ

ネパールの最西端の国境マヘンドラナガルからインドへ入国しました。

そして、インド側の国境の町バンバサからボロい夜行バスに乗ってデリーを目指しました。
バンバサからデリーまでは、300km超。

バスはボロいだけにかなりノロノロ進みます。
とはいえ、バックパッカーからするとこんなもの、のんびりとデリーに向かいます。

けっこう時間がかかりました。

途中、食堂でターリーという、インドの定食を食べました。
チャパティ(小麦粉を練って薄く焼いたパンの一種)とカレーが食べ放題です。
とても安く15ルピー(30円)程度で、しかも食べ放題なのでバックパッカーにとってはありがたいです。

安いので肉は入っていない野菜カレーですが、ネパールのものよりも私はインドのカレーの方が好きです。

首都デリー到着

さて、バンバサからのボロいバスも長い時間をかけて、首都デリーに到着しました。
が、到着したのが早朝3時。
まだまだ暗い状態です。

2001年11月末頃の話です。

インドと聞くと温かいイメージがあるかもしれませんが、北インドは冬はけっこう冷え込んだりします。
早朝3時だったので、予想以上に冷え込みました。
夜が明けるまでバスターミナルで過ごしました。
待っていられる場所が外のベンチしかなかったので、寝袋にくるまりながら夜明けを待ちました。

デリーでの移動

夜が明けたので、安宿街のメインバザールを目指すことにしました。

デリーは嘘つき、ぼったくりが多い町としてバックパッカーの間では有名です。
特にタクシー、オートリクシャー(三輪タクシー)などは、外国人とみると高額をふっかけてきます。
タクシーだけでなく、時にはバスなんかもふっかけてくるので注意が必要です。

メインバザールを目指して乗ったバスも最初150ルピー(300円)と相場の10倍以上をふっかけてきました。
「ありえない、10ルピーしか払わない」、と言って乗りました。
デリーでは遠慮してはダメです。
おかしいものはおかしいと、ちゃんと交渉しましょう。

メインバザールへ

そしてメインバザールの近くに到着しました。
メインバザールはパハールガンジとよばれ、ニューデリー駅の周辺です。

デリーの中心部はそれはもう、人があふれかえっています。

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メインバザールは安宿が並ぶので、各国からバックパッカーが集まります。
バンコクのカオサンロードと同じような感じといえます。
カオサンほど、洗練されてはいませんし、客引きがしつこく言い寄ってきますが。

とはいえ、メインバザールの人たちがみんなしつこいというのではありません。
安宿を何件か見て、従業員の感じがよくて安い宿を確保できました。

また、メインバザールは世界各国のバックパッカーが集まるので、古本屋があったりします。
そこには日本語の本もあります。
そこで、地球の歩き方インド編(ガイドブック)を入手するとともに、小説などもいくつか買いました。
インドは広いので長時間の異動もありますし、暇つぶしをするにはやはり本はあったほうがいいですね。

というわけで、インド旅行の準備は万端です。
デリーは以前訪れたこともあり、好きな街ではないので、一泊だけして次の町に行くことにしました。
目指すはダライラマのチベット亡命政府があるダラムサラです。