ミャンマー

ミャンマー旅行記 チャイティーヨー・パゴダ (ゴールデンロック)

ミャンマーにはとても不思議な岩があります。
落ちそうで落ちない黄金の岩で、ゴールデンロックと呼ばれています。

本当に落ちそうなんですが、落ちない岩なんです。
このゴールデンロック、正式にはチャイティーヨー・パゴダ という仏塔(パゴダ)であり、仏教の聖地とされています。

その不思議な光景を見るために多くの観光客も訪れます。
ミャンマーに行くならぜひ訪れてほしいスポットです。

チャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)へのアクセス

チャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)ヤンゴンの東200kmくらいのところにあります。

ヤンゴンからは4時間半ほどの場所にあり、ちょっと頑張れば日帰り旅行で行くことも可能です。

移動方法としては、まずチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)のふもとの町キンプンまでバスかタクシーで行きます。
ミャンマーはタクシーが安いので、複数人で割り勘にすれば1日チャーターしてもそんなに高くないです。

キンプンからチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)へは、ピックアップバスと呼ばれるトラックの荷台に乗って1時間ほどです。

落ちそうで落ちないゴールデンロック

そんなこんなでチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)に到着。

遠目から見ても、明らかに不思議な岩が見えてきます。

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ちょっと写真が古いのと、ゴールデンロックが小さく映っているためわかりにくいかもしれませんが、この写真の真ん中くらいに位置している金色の者がゴールデンロックです。

ここから見ると落ちるはずなのになんで?と思います。

近づいた写真がこちらです。

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本当に不思議ですね。
ちょっと押しただけで落ちそうな感じです。
でも、このゴールデンロックは落ちないんですね。

ちなみに岩が金色なのは、金箔が張られているからなんです。
巡礼者の寄付によって貼り付けられた金箔に覆われた花崗岩なんですね。

そして、この金箔で覆われたゴールデンロックの上に高さ7.3mの小さなパゴダが乗っているのです。
どうやって金箔をはったり、パゴダを乗せたりできたのだろう、と不思議になりますね。

インドのマハーバリプラムにあるバターボールも不思議な光景ですが、同じくらいかそれ以上に不思議な光景です。

だからこそ、多くの仏教徒や観光客が訪れるわけですね。

実際にチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)を目の当たりにすると、本当に不思議な光景です。
ミャンマーを旅行するのであれば、ぜひ訪れてほしいポイントです。

 

ミャンマー旅行記 インレー湖

インレー湖はミャンマーの観光地の一つです。

海抜1300mのシャン高原にある長さ22km、直径10kmの湖です。
標高が高いので、南国ミャンマーでも比較的涼しい場所です。

湖と緑が美しい町です。
インレー湖には水草を集めて作られた沢山の浮島や水上マーケットがあり人気の観光地です。

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インレー湖の場所

インレー湖はミャンマーの中央部のやや東に位置しています。

ミャンマー最大の都市ヤンゴンからは約600km。
バスで9時間くらい。

三大仏教遺跡の一つバガンから約350km。
バスで7時間くらい。

古都マンダレーからは約250Km。
バスでは5時間くらい。

という位置です。

インレー湖観光 インダー族

インレー湖周辺で生活をしている民族がインダー族です。
水上での生活を送っています。

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水草で作った浮島の上で野菜を栽培したりもしているそうです。

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カヌー型の舟を片足を使って漕ぎます。
とても器用に舟を操るんです。

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水上生活という日本ではありえない生活を目の当たりにすると、世界にはいろいろな文化があるのだなー、と感じられます。
このような文化に接することができるのが、旅の醍醐味ですね。

ジャンピングキャット

どうでもいい感じではあるのですが、なぜかインレー湖の名物となっているのがジャンピングキャットです。

ジャンピングキャットとは、その名の通りジャンプする猫です。
輪っかを差し出すとその輪を飛び跳ねて通る猫です。

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こんな感じです。
まあ、だからどうなの?という感じではありますが、しょうもない感じが面白いです。

ちなみにこのジャンピングキャットがいるのは寺院です。

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お坊さんもジャンピングキャットの芸を見せてくれました。

 

インレー湖は水上で生活している人々という日本二はない文化を見ることができるとともに、美しい風景も見ることができます。
個人的にはバガンの次に好きな場所でした。

ミャンマーに行くのであれば、ぜひ訪れてみてください。

ミャンマー旅行記 三大仏教遺跡の一つ バガン

ミャンマーのバガンは、私が旅行してきた中で大好きな町の一つです。
バガンは三大仏教遺跡の一つと言われています。

残り二つはカンボジアのアンコールワットと、インドネシアのボロブドゥールです。

アンコールワット、ボロブドゥールに比べるとマイナーかもしれませんね。
でも、私はバガンが大好きです。

ミャンマーを旅行するならぜひ訪れて欲しい、おすすめの観光スポットです。

バガンの場所

バガンはミャンマーのほぼ中央部に位置しています。

ミャンマーの古都マンダレーからバガンは、バスで6時間くらいです。
でも、バス以外の移動法として、船でエーヤワディー川(イラワジ川)を下る方法もあります。
10時間くらいかかるので、時間はかかりますがのんびり船だ下るのもよいものです。

私は船で移動しました。

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船の上からパゴダ(仏塔)を眺めることもできます。

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時間がある人であれば船での異動もおすすめです。

バガン遺跡観光

バガンの見どころといえば、三大仏教遺跡の一つであるバガン寺院遺跡です。
アンコールワットやボロブドゥールと違い、バガンの遺跡は一つ大きな寺院があるわけではありません。

広い範囲に大小さまざまな寺院遺跡が立ち並んでいます。
自転車を借りて回ることができます。
ツアーに比べると自由がききますので、個人的には自転車がおすすめです。

パゴダ、寺院の数は3000を超えるといわれています。
その光景は圧巻です。

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これらのパゴダ、寺院は11世紀から13世紀にわたり建てられたものです。

アーナンダ寺院

そんなバガンの寺院の中でも最もバランスが美しい建築と言われているのが「アーナンダ寺院」です。

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バガンの寺院の多くが赤茶色なのに対して、アーナンダ寺院は白亜の建物に上に金の仏塔があってとても映えます。

寺院の中には大きな仏像があります。

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ダマヤンジ―寺院

バガンの寺院の中でも、特に私が好きなのがダマヤンジ―寺院です。

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バガンの中でも、とても大きな寺院です。
荘厳、重厚な感じがして、一番好きな寺院でした。

バガンには5日間いましたが、何度か訪れました。

シュエサンドーパゴダ

シュエサンド―パゴダは大きな寺院です。

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そして、その上に登れるのでバガンの遺跡群を見渡すことができます。

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上から見るとバガンの遺跡群のすごさが分かります。

 

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緑の中に無数のパゴダ、寺院が望めるのは圧巻ですね。

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なお、シュエサンド―パゴダは、夕日や朝日を見るスポットにもなっています。
幻想的で素敵な光景を目にすることができます。

 

バガンは本当に素敵な場所でした。
ミャンマーに旅行に行くのであれば、絶対に訪れてほしい場所です。

ミャンマー旅行記 古都マンダレー

マンダレーヤンゴンに次ぐ、ミャンマー第2の都市です。

イギリスに統治される前のビルマで、独立を保った最後の王朝であるコンバウン王朝の首都だった都市です。

ヤンゴンからは600km以上北、ミャンマーのちょうど真ん中くらいのところに位置しています。


現在は飛行機だと1時間くらいですが、バスだ11時間くらいです。

ただ、私がミャンマーを訪れたのは1997年のこと。
バックパッカーだったので、バスで移動したわけですが道路は舗装されていませんでした。
当時は、ヤンゴンからマンダレーまでのバスは17時間かかりました。

マンダレー観光

マンダレーは第2の都市とはいえ、ヤンゴンに比べると落ち着いた田舎町でした。
また、ヤンゴンよりも湿度は低く、10月のマンダレーはとても過ごしやすい町でした。

当時は民主化前であり、経済的には今よりかなり貧しかったと思います。

しかし、人は優しく、人懐っこくてけっこう楽しかったです。

Pann Cherry Restaurant(櫻花レストラン)

マンダレーを訪れるバックパッカーにとって、有名おだった食堂が櫻花レストランでした。

中国系のオーナーの店で、働いているミャンマー人の女の子の一人は少し中国語がしゃべれました。
当時の私は英語よりも中国語の方が得意(といっても多少しゃべれる程度ですが)だったので、けっこううれしかったのを覚えています。

お互いに片言の中国語を介しながら、ビルマ語と日本語を教えあったりしてました。
そうするとほかの人たちも会話(と言えるかどうかは微妙ですが)に入ってきて、楽しかったですね。

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マンダレーには1週間くらいいたのですが、ほとんどの食事はこの食堂で食べました。
さすがにそれだけ行くと店の子たちとは結構仲良くなりました。

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写真はカレーっぽいミャンマー料理カレーです。
これ以外にも麺類とかあるのですが、けっこう味は良かったです。

今でもバックパッカーには人気の食堂のようです。
さすがに当時の女の子たちはいないと思いますが、とても感じのいい食堂でした。

コオン屋の仲間たちと

ミャンマーはコオンという噛みタバコがあります。
コオンはキンマの葉に溶いた石灰やビンロウ、肉桂などを乗せて巻いたものです。
ミャンマー人はよくそれを噛んでおり、その辺の屋台でよく売られています。

マンダレーの町を歩いていると、そのコオンを売っている屋台にたむろしている人たちと仲良くなりました。

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コオンをタダでもらって噛んでみたのですが、口の中がスーッとするのとともに痺れるような刺激が広がり奇妙な味がしました。
コオンを噛むと血のような赤い唾液が出ます。
そんな赤い唾液を吐いているのを初めてみると、血を吐いていると思ってびっくりするかもしれませんね。

この人たちとはマンダレーにいる1週間のうち、半分くらいはあって遊んだり、飲んだりしてました。

ほとんど言葉は通じなかったのですが、なんか楽しかったです。

ちなみに写真を見ると、みんなスカートをはいているのが分かると思います。
これはロンジーといって、伝統的な衣装です。
布を筒状にしただけのものなのですが、それを腰のあたりで縛るだけです。
風通しがいいので暑いミャンマーにはよいです。
私もミャンマーにいるときはけっこう履いてました。

エーヤワディー川(イラワジ川)

エーヤワディー川はミャンマーの中央を流れる大きな川です。
かつては、イラワジ川と呼ばれてた川です。

マンダレーの中心地から歩いていくことができます。

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本当に大きな川です。
川沿いを歩いていると、水を運んでいる人や川で泳いでいる人、セパタクローをしている人、ぼーっとしている人などいろんな人がいました。

エーヤワディー川はマンダレーの西側に位置しているので、夕方に行くと夕日がきれいに見えます。

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夕日の光が川面に映ります。

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美しい光景なので、マンダレーに行くならぜひ訪れてほしいです。

ザガインヒル

ザガインヒルはマンダレーの南西15kmほどのところにある14世紀にシャン族が王朝(ザガイン朝)を築いた町です。

ザガインヒルはザガインの象徴であり、150以上の仏塔と僧院があります。
また、第2次大戦の際の日本軍の戦没者を祀るパゴダや墓石もあります。

上るのはけっこうたいへんで、階段をひたすら上ります。
何度か休みながら頂上に向かいました。

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丘の上からは緑豊かな風景が見られました。
エーヤワディー川(イラワジ川)と平野が広がっていました。

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緑が濃くてのんびりできました。

マンダレーは第2の町ですが、ヤンゴンに比べるとのんびりできる町でした。
いい人たちにも出会えたので、結局1週間くらいのんびりしました。

マンダレーの後は、三大仏教遺跡の一つバガンに向かいました。
バガンの旅行記はコチラ
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ミャンマー旅行記 最大の都市ヤンゴン

ミャンマーは近年民主化されてから、経済発展が著しい国です。

そんなミャンマーを旅行したのは、1998年のこと。
当時は軍事政権下であり、アウンサン・スーチー女史も軟禁されていた時代です。

そう聞くと怖そうな国に思えるかもしれませんが、当時ミャンマーはバックパッカーの間では「とても人がいい国」と言われていました。
バックパッカーにはとても人気があった国です。

私もその話を聞きタイのバンコクから、当時のミャンマーの首都ヤンゴンに飛行機で降り立ちました。
ミャンマー旅行がスタートです。

ミャンマー最大の都市ヤンゴン

ヤンゴンは当時のミャンマーの首都(現在の首都はネピドー)であり、現在でも最大の都市です。
イギリス統治時代から1989年まではラングーンと呼ばれていました。

ヤンゴンの空港から町中まではタクシーで移動しました。
タクシー運転手と交渉すると2ドルまで下がりました。
現在ではもう少し高くなっているようです。

当時でも中心部は車が多く、渋滞していました。
そのため40分ほどタクシーに乗ることになりました。

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ちなみにミャンマーの車道は日本とは逆で右側通行です。
でも、日本の中古車が多く、右側ハンドルのままで運転されています。
日本語がそのまま書かれている中古車や旧コバスがあり、「三ノ宮行き」と書かれたバスなんかも走っていました。
ミャンマーでは日本車ファンが多いようです。

ヤンゴンの安宿 ホワイトハウスゲストハウス

中心部に到着し、まずは宿を確保です。

当時からミャンマーを訪れるバックパッカーに人気だったゲストハウスがホワイトハウスゲストハウスに泊まることにしました。
当時は7ドルで泊まれました。
なお、経済発展し物価が上がっている現在でも、シングル10ドルくらいで泊まれるそうです。
トリップアドバイザーのホワイトハウスゲストハウスの情報

現在ではホワイトハウスゲストハウス以外にも、ユースホステルやゲストハウスが増えているようです。
ホテル予約サイトでも、安宿は探せるので見てみてください。
ヤンゴンのホテル情報

シュエダゴン・パゴダ

宿を確保した後はヤンゴン観光です。

ミャンマーは仏教国であり、観光のメインは仏教寺院などになります。

その中で最大の見どころと言えるのが、シュエダゴン・パゴダです。
パゴダとは英語で「仏塔(ストゥーパ)」を意味している言葉です。

寺院に入るところで、まずはサンダル(靴)を脱ぎます。
そして基本的にタンクトップなどの肌の露出の多い服は禁止です。

中に入るとまず土産物屋が並んでいました。
階段を上ると窓口があり、外国人旅行者は入場料を払う必要があります。
※地元の人は無料です。

料金を払ってさらに階段を昇っていきます。
すると巨大な黄金の塔が見えてきました。

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最も高い真ん中の仏塔は、高さ約100mもあります。
そして、仏塔にはダイヤやルビーなど、約6,000個の宝石が埋め込まれているそうです。

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シュエダゴン・パゴダは地元の人にとっては身近な存在でもあり、多くの人がいました。
熱心にお祈りをしている人もいれば、おしゃべりをしている人、昼寝をしている人などいろいろな人がいました。

なお、寺院の中は靴やサンダルを脱いで裸足で歩く必要があるのですが、ミャンマーは南国なので床がけっこう熱いです。
シュエダゴン・パゴダを訪れた時は、まだ午前中だったのですがそれでもけっこう熱かったです。
ミャンマーの寺院を訪れるときは、その辺をちょっと気を付けたほうがよいですね。

ヤンゴンのその他の寺院

シュエダゴン・パゴダ以外にもヤンゴンにはいくつかの寺院があります。

  • ヤンゴンの町の中心にあるスーレー・パゴダ
  • 70mもある根釈迦物があるチャウダッジー・パゴダ
  • 歴史あるボウタタウン・パゴダ

など、ヤンゴンの町は観光スポットが多くあります。

ヤンゴンの食事

ミャンマーは、中国、タイ、インドなどと国境を接しています。
そのため、ミャンマー料理はそれらが融合した料理だったりします。

カレーや中華っぽいのモノ、東南アジアらしいものなどがあります。
ただ、ミャンマー料理はやや油が多いという特徴があります。

ミャンマーは中国と国境を接していることもあり、中華料理店もけっこうあります。
ミャンマー料理が苦手な人は、中華料理に逃げるという手もあります。

また、私が当時訪れた時でもハンバーガー屋や日本食屋もありました。

ちなみにハンバーガ屋といっても、当時はアメリカと国交断絶していたのでアメリカ資本のハンバーガ―屋はありませんでした。
でも、アメリカ文化にあこがれているのか、「マックバーガー」「東京フライドチキン」などパクリっぽい店が多くて面白かったです。
今でもあるのかはわかりませんが。。。

現在では、状況も違っているのでもっといろいろと食事の幅も広がっているようです。

 

当時のミャンマー、ヤンゴンもかなり楽しかったのですが、民主化された後のミャンマーにもまた行ってみたいと思います。

さて、ヤンゴンのあとはマンダレーに向かいました。

マンダレー旅行記はこちら

ミャンマー旅行記 民主化前のミャンマー旅行事情

ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた国です。

最近民主化され、今後は経済的な成長も見込めると注目されている国です。

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ですが、私がミャンマーにバックパッカー旅行したのは1998年のこと。
現在とは全いました。

ミャンマーは長期にわたり軍事政権が国を治めており、反対派を抑圧していました。
私が旅行した当時は、アウンサン・スーチー女史は自宅軟禁されていました。
また、アメリカは経済制裁を行っていました。

そう聞くと「何でそんな国に旅行したの?」と思われるかもしれませんが、実は当時のミャンマーは旅行者にとってはとても魅力的な国でした。
そんな当時のミャンマーについて書いていきたいと思います。

ミャンマーの場所

ミャンマーは東南アジアの一国です。
インド、バングラデシュ、タイ、ラオス、中国と国境を接しています。

なお、当時ミャンマーとタイの国境は封鎖されていました。
旅行者はタイから陸路でミャンマーに入ることはできなかったのです。

余談ですが、猿岩石がテレビ番組の企画でユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅行を下のは社会現象となりました。しかし、ミャンマーに陸路で入れるわけないというのは、当時のバックパッカーの中では常識だったので、あれは「やらせ」だとよく言ってたものです。

現在はタイから陸路でミャンマーに入ることも可能になったようです。

私が旅行した当時は陸路ではいれなかったので、タイのバンコクからミャンマーの当時の首都ヤンゴンに飛行機で入りました。
※現在はネピドーが首都となっています。

バンコクからヤンゴンまでは飛行機で、わずか1時間ほどです。

ミャンマー入国 ヤンゴンに到着

ヤンゴンはミャンマー第1の都市です。
そのヤンゴンの空港もとても小さい空港でした。

飛行機を降りるとターミナルまではバスで移動するのですが、そのバスは日本のバスの中古車でした。
自動扉、入口、出口など日本語が書かれているバスに乗るのはけっこう驚きでした。

当時の強制両替

当時、入国審査を終えた後に、待ち受ける関門がありました。
それは強制両替です。

強制両替とは、当時のミャンマー政府がが外貨を稼ぐ手段として設けた制度です。
外国人旅行者に300ドルを強制的にミャンマーの兌換紙幣に変えさせるのです。
そしてその兌換紙幣は再両替禁止。
つまり、入国した以上300ドルは絶対使えという制度だったわけです。
※いちおう闇両替でレートは悪いなりにも再両替はできましたが。

一般的な日本人からすると、海外旅行するのであれば300ドル=3万円程度は使うのは当たり前と感じるかもしれません。

しかし、バックパッカーにとってはとても高い金額だったのです。

当時のミャンマーの物価

当時のミャンマーの宿は1泊3ドルで、シャワー朝食付きに泊まることもできました。
食事も1食1ドルもかからなかったのです。

バックパッカーにとっては、1日数ドルで生活できる環境であり、旅行のため観光料金や移動費用を考えても1ヶ月で300ドルは高すぎるだろうという感覚でした。

そんな中、私はミャンマーで3週間滞在して300ドル使うという、豪遊?旅行にしてやるという意気込みで300ドルを両替しました。
まあ、今思うとどうでもいいような感じですが、当時のバックパッカーの中ではけっこう思い切ったほうだったと思います。その思い切った兌換紙幣の使い方は別途お伝えします。

微妙なファーストフード店やお店たち

当時のミャンマーはアメリカとは断絶していました。
そのためアメリカ資本の企業は入っていませんでした。

ですので、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンなどのアメリカ資本のふぁーすフード店などはなかったのです。

ですが、ミャンマー人にとってもハンバーガーなどのファーストフードは魅力的だったのです。なので、パッチモンのファーストフード店が多くありました。
「マックバーガー」「トーキョーフライドチキン」など、なかなか笑えるようなファーストフード店がおもしろかったです。

民主化前だからこそ体験できたこと

このように書いてきました、民主化前、軍事政権下のミャンマーは非常に魅力的だったのも事実です。

おそらく現在よりもミャンマーの人々は素朴だったのだろうと思います。当時、「ミャンマーは人がいい」「人が優しい」ということでバックパッカーに人気だったのです。
民主化され、資本主義が入ったことにより、人の心も多少は「豊かさ」というか「金」にシフトして行くのだと思います。

とはいえ、私は資本主義、民主主義が悪いというわけではありません。
話部外者である外国人旅行者の勝手な目で判断するものではありません。

ミャンマーの人々にとっては統制されている社会よりも、自由が手に入ることの方が大切ですし、経済的な発展も重要です。

現在、民主化が進んでいることはとてもいいことだと思います。
とはいえ、私自身としては民主化前の軍事政権下のミャンマーを経験できたことは、自分にとっては貴重な体験だったと感じています。