エジプト

エジプト旅行記 アカバ湾のリゾート地ダハブ

ユーラシア大陸横断中のときのことです。

エジプトに入った後、激しい体調不良に襲われ、回復後にピラミッドを観光し、ルクソールに移動して王家の谷、そしてアスワンに移動してアブシンベル神殿とエジプト文明の遺跡、観光地を堪能しました。

そして、アスワンからカイロにいったん戻りました。

その理由はエジプトからはヨルダン、そしてシリアに移動する予定だったからです。

シリアビザ取得

ヨルダンは国境で無料ビザを取得できるのですが、シリアはビザが必要でした。(2002年のことです。2015年現在はシリア入国は困難です)

ヨルダンの後はシリアに入るので、エジプトのカイロでシリアビザを取得しました。
海外旅行をしたことがない人、あるいは海外旅行をしていても国から国に移動したことがない人は知らないかもしれませんが、その国のビザは基本的にその国の大使館で取得ができます。
つまり、エジプトにあるシリア大使館で、日本人の私もシリアビザが取れるのです。

バックパッカーはこのように、次の国のビザを取りながら旅を続けるものなのです。
とはいえ、日本のパスポートを持ってると、ノービザの国も多いので取る必要もなかったりしますけど。

アカバ湾のダハブへ

さて、シリアビザを取得し次の国ヨルダンを目指しました。
とはいえ、一気にヨルダンに入るのではなく、まずはエジプト内のダハブという町へ向かいました。

ダハブはシナイ半島の南端にあり、アカバ湾沿いのリゾート地です。
紅海の一部です。

紅海はとても透明度が高い美しい海です。

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本当にきれいな海でした。

スキューバダイビングのスポット

このように美しい海なのでスキューバダイビングをする人にとっては、人気のスポットにもなっています。

私はダハブを訪れた当時の2002年は、まったくダイビングに興味がありませんでした。
日本人インストラクターに誘われたのですが、バックパッカーでせこかった私はお金もかかるので断りました。

しかし、その2年後には私はダイビングインストラクターになったのであり、あの時やっておけばよかったなー、と思っています。
お金をケチるのも悪いことではないのですが、その時の体験できる価値というのも大切だなと、今では思います。

とはいえ、さすがにこれだけ美しい海です。
シュノーケリングはしました。
水面から見る海の中もとてもきれいで楽しめました。

でも、ダイビングを知った今となっては、ダイビングをしにもう一度行きたいなと思います。
ダハブに行って、ダイビングにちょっとでも興味があるのであれば一度やってみることをおすすめします。
リゾート地も楽しいものですよ。

そして、ダハブを後にし次の国ヨルダンを目指しました。

ヨルダンのペトラ遺跡についてはこちら

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エジプト旅行記 世界遺産アブシンベル神殿とイシス神殿

エジプトの観光地といえば、まずピラミッド、そして王家の谷などがあるルクソールを思い浮かべるの人が多いと思います。
ですが、個人的には南部アスワンからいくアブシンベル神殿が一番好きでした。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産に登録されています。

アブシンベル神殿の場所

アブシンベル神殿を観光するための拠点となるのは、首都カイロから南へ約900Kmにあるエジプト南部の町アスワンです。
カイロからアスワンへ鉄道で行くのが一般的です。

そして、アブシンベル神殿はアスワンからさらに南へ約280Kmのところにあります。
スーダンとの国境付近です。

アブシンベル神殿へはアスワンから日帰りツアーで行くのが一般的です。
片道3時間くらいかかるのですが、午前3時ごろに出発します。
私はエジプト人のグループに混じってのツアーでした。
アブシンベル神殿は砂漠にあるので、日差しが強くは6月~8月の夏は40度を超すこともあります。
暑さ対策、日よけ対策をしておきましょう。

アブシンベル神殿を観光

アブシンベル神殿は紀元前1250年ごろにラムセス2世が建てた神殿です。
長い年月の内に砂に埋もれていたのですが、1800年代に発見されました。
その後、1960年代にアスワンハイダム建設の際に水没の危機が訪れたのですが、ユネスコにより4年をかけて60m上へ移設されました。

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何と言っても、見どころはこの巨大なラムセス2世の4体の像です。

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この巨大な像はまさに圧巻です。
高さ20mにもなります。

エジプトには他にも巨大な像がありますが、個人的にはこのラムセス2世の像は保存状態もよく、一番すごかったです。
ツアーは朝が早く、時間もかかりますが、見る価値は十分あります。

イシス神殿(フィラエ神殿)観光

ツアーでは、アブシンベル神殿だけでなく、アスワンのイシス神殿にもよりました。
アスワンの南20kmくらいのところに位置するフィラエ島にある女神イシスの神殿です。
なお、アブ・シンベル神殿と同様にアスワンハイダム建設による水没の機器があったのですが、ユネスコに隣の島に丸ごと移転されたそうです。
神殿丸ごと移設するのですから、すごいですね。

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イシス神殿はとても保存状態がよく美しい神殿です。
列柱やレリーフもきれいに残っています。

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アスワンはカイロからちょっと遠いですが、アブシンベル神殿やイシス神殿など保存状態がよく美しい遺跡を見ることができます。
せっかくエジプトに行くのなら、ぜひ行ってみてほしいところです。
個人的にはルクソールよりも、好きな遺跡でした。

ルクソールの様子はこちら

 

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エジプト旅行記 ルクソールの世界遺産

エジプトの有名な観光スポットにルクソールがあります。
ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、王家の谷やルクソール神殿など数多くの遺跡が残っています。
「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産になっています。

ルクソールの場所

ルクソールは首都カイロの南約670kmに位置しています。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

ルクソールの場所はこちら

カイロからルクソールは鉄道で行けます。所要時間は約10時間です。
夜行バスもありだいたい同じくらいの時間です。
バックパッカーにとっては近い物でした。

町の中をナイル川が流れており、太陽が昇る東側にルクソール神殿やカルナック神殿など「生の都」、太陽が沈む西側に王家の谷など「死者の都」があります。

カルナック神殿 観光

紀元前3000年頃はギザのピラミッドがあるあたりが中心地でした。
その後、紀元前2000年ごろからテーベ(今のルクソール)が首都になったそうです。
カルナック神殿は紀元前1500年ごろに作られたそうです。

カルナック神殿は単体の神殿ではなく、複数の神殿の複合体です。
1平方キロ以上に広がる広大な神殿です。

スフィンクス参道や巨大なオベリスクがありますが、一番見ごたえがあったのが大列柱室です。
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大列柱室は102メートル×53メートルもあり、134本の大列柱が立っています。
中央部の12本の柱は特に大きく、高さ21m、直径3m以上もあるそうです。
その大きさは圧巻です。

他にもいろいろあるのですが、個人的には第8塔門の崩れた像が好きでした。
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遺跡っていう感じが好きです。
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王家の谷 観光

ナイル川の東側が生の都ですが、西の死者の都に有名な王家の谷があります。
私は東側の宿に泊まっていたので、ナイル川を渡って王家の谷に行きました。

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王家の谷は岩山を掘って作られたたくさんの王の墓があるところです。
現在まで64の墓が見つけられているそうです。

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いくつかの墓には入れますが、内部は写真撮影は禁止ですので外からの写真しかありません。

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有名なツタンカーメンの墓も王家の谷にあります。
ツタンカーメンの墓だけは盗掘をされていなかったので、黄金のマスクが残っていました。
他の墓は盗掘されてしまい、宝物は盗まれてしまっています。

 王妃の谷

王家の谷とは別に、王妃の谷もあります。
王妃の谷にはネフェルタリの墓があります。

私が訪れた2002年当時、ネフェルタリの墓は入場制限があり、別料金でした。
バックパッカー仲間から、ネフェルタリの墓は見たほうがいいとすすめてもらっていたので、無理してチケット確保しました。

このネフェルタリの墓の内部にある壁画ですが、実際に見ると他の壁画とまったく違い、本当に色鮮やかなまま残っています。
数千年の時を経たとは思えない色彩でした。

現在、ネフェルタリの墓は非公開のようですが、特別なツアーだけ入れるようです。

ハトシェプスト女王葬祭殿 観光

ナイル川西側には王家の谷以外にも見どころがあります。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、古代エジプト唯一の女性ファラオであるハトシェプストが作った葬祭殿です。

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紀元前15世紀の建造物ですが、とても保存状態がよいです。
レリーフ、壁画の保存状態もよいので、見る価値があります。

なお、1997年11月17日にイスラム原理主義の過激派によるテロにより、観光客が亡くなった場所でもあります。

メムノンの巨像

西岸に2体の巨像があります。
私が訪れた2002年は左側は修復中でした。

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アメンホテプ3世の像だそうです。
高さ13mあります。
デカいですね。

ナイルの夕陽

ルクソールの東岸からはナイルに沈む夕陽を見ることができます。

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悠久の時を超えて流れるナイルに沈む夕陽はなんとも感慨深いものです。

このようにルクソール周辺には多くの遺跡、見どころが満載です。
エジプトに行くのなら、ピラミッドだけではなく、ぜひルクソールにも訪れてみてください。
そして余裕があるならアスワンまで南下してアブシンベル神殿もオススメです。

アブシンベル神殿の様子はこちら

 

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エジプト旅行記 世界遺産ギザのピラミッド

エジプト観光の最大の見どころといえば、やはりギザのピラミッドでしょう。
知らない人はいないですよね。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪問しました。

ピラミッドは世界遺産にも登録されています。
正確な世界遺産の登録名は「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」だそうです。

ギザのピラミッドの場所

ギザのピラミッドは首都カイロから南西にわずか20km、ローカルバスでも1時間もかかりません。
タクシーだと30分くらいで着くでしょう。(ぼられるので注意しましょう)
カイロ市内からは非常にアクセスが良い観光スポットです。

ギザのピラミッドの場所はこちら

ピラミッドといえば、砂漠の真ん中にどーんと立っているイメージがあるかもしれませんが、実際はギザの町中にいきなり現れます。

ギザの三大ピラミッド観光

ギザの三大ピラミッドとよばれるクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドが一度に見れます。

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上の写真はクフ王のピラミッドとスフィンクスです。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッドは三大ピラミッドの中でも最大で、高さ138.8m(元の高さは146.6m)もあります。
ピラミッドと言ってイメージが浮かぶのが、このクフ王のピラミッドです。
建築時期は紀元前2540年頃と言われており、そんな古代にこれだけのものを作るのですから、エジプト人はすごいです。

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下から見上げるとその大きさに圧倒されます。
デカい物好きの私は大興奮でした。

なお、別料金でピラミッドの中に入ることもできます。

また、昔はこのピラミッドに上ることができたのですが、今では禁止されています。
2002年当時も登頂は禁止されていましたが、夜間警察の目をかいくぐって登り、日の出を見る人はちょこちょこいました。
降りた後は警察に捕まるのですが、そこまでの罰はなかったそうです。

私は疲れることが嫌いだし、スリルを味わいたいわけでもないし、捕まるのも嫌だったので登りませんでした。

スフィンクス

ピラミッドと共に有名なものといえば、スフィンクスですね。

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スフィンクスは、ライオンの身体と人間の顔を持った神獣です。
ギザのスフィンクス像は、全長73.5mもあります。
損傷が激しく鼻がなくなってたりします。

スフィンクスの写真の後ろに移っているのはカフラー王のピラミッドです。

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッドは三大ピラミッドの真ん中に位置します。
カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドよりちょっとだけ小さいですが、それでも136m(元の大きさは143.87m)もあります。

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やはり、カフラー王のピラミッドもデカいです。
先端部分に化粧石が残っているのが特徴的です。

もう一つのメンカウラー王のピラミッドは他の二つにくらべると小さめで、高さ65.5m(現在の高さ62m)です。
まあ、それでも十分デカいのですが、やはりちょっと地味に見えてしまいます。

ギザのピラミッドはやはり見ごたえがあります。
歴史を感じ、人間のすごさを感じられるので、一度は行ってみてはいかがでしょうか。

ちなみにピラミッドといえば、メキシコのピラミッドもよいです。
テオティワカンウシュマルチチェンイッツァなどのピラミッドが多数ありますので、メキシコにも行ってみてはいかがでしょうか。

 

さて、カイロでピラミッドを満喫した後、次の町に移動しました。
王家の谷などで有名なルクソールに向かいました。

ルクソールについてはこちら

 

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エジプト旅行記 首都カイロ

中東の国の中で一番の観光地といえばエジプトではないでしょうか。
古代エジプト文明のピラミッド王家の谷など、知らない人はいないくらい有名ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の、2002年に訪れました。

予定外のエジプト入り

2001年、私はユーラシア大陸を陸路横断するために旅に出ました。
中国チベット経由でネパール、インドに入り、そこからパキスタン、イラン、トルコと入って中東に行く予定でした。
しかし、インドにいた2002年の始め、インドとパキスタンの関係がかなり悪化したためインドでパキスタンのビザを取ることができず、国境も閉まっていました。

ちょうどインドからパキスタンに入ろうとしていた私は身動きが取れませんでした。
当時の噂によると、バングラデシュに行けば、パキスタンビザがとれるという話もあったのですが、すでにバングラデシュは訪れており、デリーにいた私は泣く泣く陸路を諦め、エジプトのカイロに飛ぶこととしました。
※その後、シベリア鉄道で帰ってきたのでいちおうユーラシア大陸陸路横断は成し遂げました。

エジプト

エジプトを知らない人はいないかと思いますが、いちおう説明しておきます。

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エジプトの場所

エジプトはアフリカ大陸の北東に位置しており、西はリビア、南はスーダン、北東はイスラエルと接しています。
なお、北は地中海、東は紅海に面していますので、リゾート地もあったりします。
紅海はダイビングの名所でもあります。

エジプトの場所はこちら

世界一長い川ナイル川があります。
また地中海と紅海を結ぶスエズ運河もあります。

エジプトの歴史

世界史でも習いましたがエジプトは、古代より文明が栄えていました。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉「エジプトはナイルの賜物」というように、エジプトは豊かなナイル川によって古代エジプト文明を発展させたわけです。
紀元前3000年頃には中央集権国家ができ、ピラミッドや王家の谷など、世界的にも有名な遺跡が建てられています。
王様はファラオと呼ばれ、アメンホテプ四世やツタンカーメンなど有名ですね。

その後、アケメネス朝ペルシャ、アレクサンドロス大王に征服されプトレマイオス朝の支配下になります。
なお、有名なクレオパトラはプトレマイオス朝の最後の女王です。

ローマ帝国に征服され、ローマ帝国が分裂すると東ローマ帝国に属し、その後、イスラム圏となりオスマントルコ帝国の支配下となりました。

そして、イギリスの支配下となったのですが、1922年に独立しました。
その後、中東戦争やアラブの春などを経て現在に至っています。

首都カイロ

カイロはエジプトの北部、古代エジプト文明を育んだナイル川沿いにあります。
ちなみに「カイロ歴史地区」として世界遺産にも登録されています。

カイロの場所はこちら

カイロの町並

カイロはアフリカ、アラブ世界で最も人口が多い都市だそうです。
町中もにぎわっています。
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写真は旧市街地の写真です。
写真はないのですが、新市街地は近代的なビルが立ち並ぶ都会です。
ちなみにカジノもあります。

カイロを訪れるときの注意事項ですが、私が訪れた50か国の中でも車の運転が荒く、歩行者が道路を横断する時は気をつけたほうがよいです。
信号や横断歩道以外のところを渡る場合は、エジプト人について渡るようにしましょう。

沈没地カイロ

バックパッカーの中では、ついつい長期滞在してしまう場所を沈没地と呼びます。
安宿の日本人宿があり、マンガなんかも置かれており、日本人のたまり場となるわけです。

「なんで海外に行ってまで、日本人宿に泊まるの?」と不思議に思う方もいると思いますが、長期にわたってバックパッカー旅行をしていると、英語で喋り続けることや外国人との相手に疲れて、しばらく日本人宿でダラダラしたくなるのも仕方がないところもあるわけです。
また、日本人宿には情報ノートと呼ばれる、バックパッカーたちが書き残した各地の生の情報があったりするので役に立ちます。
今のようにインターネットが発達していない2002年は重宝したものです。

エジプトは物価が安いこともあり、カイロも沈没地の一つです。
有名な日本人宿には「サファリホテル」があります。(私は別の宿にしました)
私が訪れた2002年当時、カイロに1年以上の滞在している人が複数人いたそうです。
※居住ではなくあくまでもバックパッカーです。世の中にはいろんな人がいますね。

1泊300円くらいで泊まれますし、食事もコシャリというエジプト料理だと50円くらいで食べれます。
あと、自炊なんかも出来ますので安上がりではありますね。

ちなみにエジプト料理のコシャリとは、米とパスタと豆をミックスしてソースをかけたものです。
そばめしみたいに、炭水化物を合わせまくってます。
エジプトのソウルフード的な位置づけ、日本人の牛丼みたいなものですかね。
エジプトに行くなら、一度は食べてみてもいいのではないでしょうか。

ギザのピラミッドの様子はこちら

 

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