ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行記 首都サラエボ

ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴスラビアからの独立後、激しい紛争が起きた国です。
私がバックパッカー旅行中に訪れた2002年当時は、まだ紛争の爪痕が残っており民族間にも緊張感が残っていました。

現在では着実に復興の道を歩んでいるようです。

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クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへ

クロアチアのドゥブロヴニクからバスに乗りボスニア・ヘルツェゴビナに入国しました。

ドゥブロヴニクからボスニアヘルツェゴビナの町モスタルへは、バスで3時間ほどでした。

モスタルは「モスタル旧市街の古い橋の地区」として世界遺産に登録されており、現在はボスニア・ヘルツェゴビナの中では人気の観光地となっています。

ただ、私が訪れた当時はまだ世界遺産登録はされていませんでした。
当時、モスタルでは民族間の対立がまだ残っているといわれていたため、危険な町と言われていました。

そのため、両替だけしてすぐにバスで首都サラエボに向かいました。

首都サラエボ

バスを降りると客引きが待ってました。
客引きに安い民泊に連れて行ってもらいました。

途中、この客引きの人がパンを買って私にくれました。
このパンがおいしかったです。
いい客引きに会えてよかったです。
民泊の人たちもいい人たちでした。

荷物を降ろし、サラエボの町を観光しました。
私が訪れた当時はまだ紛争の爪痕がはっきりと残っていました。

オスロボジェニェ新聞社

特に印象に残っているのが爆破されたオスロボジェニェ新聞社です。

sarajevo3

建物はボロボロに破壊されましたが、社員は地下の核シェルターで紛争中一日も休まずに新聞を発行したそうです。

sarajevo1

このような状況で新聞発行を続けたジャーナリストたちはすごいと思います。

旧共和国議会ビル

当時は新聞社以外にも爆破された建物が多く残っていました。

こちらは旧共和国議会ビルです。

sarajevo2

紛争の激しさ、悲惨さがわかります。

私が訪れた当時は紛争の爪痕が色濃く残っていました。
ただ、現在ではサラエボの町もかなり新しくなってきていると聞いています。
いずれまたボスニア・ヘルツェゴビナをちゃんと観光してみたいと思います。

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