北京

中国旅行記 北京で京劇を観劇

ユーラシア大陸横断の2か国目、中国。
いったん北京を離れて大同で世界遺産の雲崗石窟を観光した後、再び北京に戻りました。

ちなみに雲崗石窟の観光を終えたあと、そのまま駅に向かい北京行の列車に乗りました。
大同に来たとき同様に硬座(2等座席)です。
バックパッカーだったので7時間ほどの移動であれば、座っていても平気でした。

再び京華飯店へ

早朝に北京に到着すると、私にとっての常宿(いつもと待っていた宿)である京華飯店に直行しました。
到着時点では20人ドミがあいていないということで、誰かがチェックアウトするまで待ってました。

1時間ほどロビーで待っていると、チェックアウトする人がいたため無事に20人ドミに入れました。

京華飯店では、またまたいろいろな人に会えました。
この時仲良くなった人が2人と、誕生日が1日違いずつというビックリするような偶然もありました。
やはりドミトリーは人との出会いがあって楽しいです。

京劇

ドミトリーで出会った仲間たちと京劇を見に行くことになりました。

京劇とは、中国の伝統的な古典演劇、歌劇です。
北京を中心に発展した劇なので、京の文字が付きます。
派手な衣装、メイクや歌とともにアクロバティックな動きもあって楽しめます。
日本の歌舞伎に近いといえるかもしれません。

昔は歌舞伎同様に男だけが演じていましたが、現在では女性が女性役を演じています。

なお、文化大革命のときに排斥されたのですが、その後文化的な価値が見直されました。

京劇を観劇

北京の前門飯店に梨園劇場という、京劇の劇場がありそこに観に行きました。
私は以前に行ったことがあるので、
観客は外国人ばかりで観光客向けとなのですが、わかりやすい演目が多いです。

この時は覇王別妃(項羽と虞美人の話)と孫悟空でした。
二つとも定番と言える、わかりやすい演目ですね。

銅鑼が鳴ったりと中国らしい音楽が流れ、女性役は高音の声で歌います。

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なお、英語字幕が出ます。
また、同時通訳のイヤホンを借りることもできます。
歌や踊りは優雅で惹きこまれます。

そして、京劇のアクロバティックな動きも楽しめます。

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これは孫悟空の演目です。
壇上左で人が回転してます。

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こちらは複数の人が入り乱れて回転してます。

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黄色い旗の上を孫悟空が舞ってますね。
サーカスを見ているような気分にもなります。

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色んな悪役がそろったところです。
ちょっと暗くてわかりにくくてすいません。

ただ、以前見たときよりもちょっと外国人向けにしすぎるかなとも思いました。
観客が外国人観光客ばかりなので、それはしょうがないのですがね。
あとちょっとアクロバットでのミスが多かったと感じました。
レベルが下がったのかなとも思いましたが、たまたまだったのかもしれません。

とはいえ、京劇は意匠も派手で、歌あり、踊りあり、アクロバットありでとても楽しめます。
いつか違う劇場にも行ってみたいと思います。

京劇からの帰りに

ちょっと余談になりますが、京劇楽しんだ帰り道、みんなで北京の夜の道を歩いていました。
北京は治安がよいので、夜間でもそれほど心配することはなかったです。

で、帰り道を歩いていると突然公衆電話が鳴りました。
みんなびっくりしましたが
「誰が出るねん!」
と突っ込みを入れていたところ、さっそうと自転車に乗って走ってきた兄ちゃんが受話器を取り「ウェイ?(もしもし)」といったので、みんなで爆笑しました。

おそらく自宅に電話がない人が、何時にここの公衆電話にかけてと言っていたのでしょうね。
当時中国では携帯電話も普及してなかったから見られた光景であって、現在では見られないかもしれませんね。

と、京劇からは脱線しましたが、各国の伝統芸能を見ることはとても楽しいです。
ぜひ観光に訪れるなら、そのような場にも行ってみてください。

さて、ユーラシア大陸横断に向け、この後チベットを目指します。

蘭州からゴルムド、そしてチベットへの様子はこちら

中国 北京のおすすめ観光地 見所ベスト5

バックパッカーとして初めて訪れた町が北京で、その旅行の印象が強くてバックパッカーになりました。
私の人生を変えた町、私のバックパッカーの原点と言えます。

様々な魅力的な観光地、見所があります。
これまでに50か国以上行きましたが、北京は好きな町です。
好きな町なので、これまでに何度も訪問しました。

今までに何度も北京を訪れた私のおすすめの観光地ベスト5をお伝えします。

1位:景山公園

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景山公園は故宮(紫禁城)の北に位置する公園です。
写真のように小高い丘の上から故宮(紫禁城)の全体を眺めることができます。
その光景は圧巻です。
また、北京市民の憩いの場となっており、朝は太極拳をしている人達なんかが多くいます。

私は一番好きな場所ですね。

景山公園の詳細はこちら

2位:頤和園

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頤和園は、世界遺産にも登録されてる庭園です。
頤和園には外周6kmもある人工の湖、昆明湖があるとてもきれいな庭園です。
冬は湖が凍って上を歩くことも可能です。

のんびりと歩きながら、美しい庭園を眺めるのが好きです。

頤和園の詳細はこちら

3位:万里の長城

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言わずと知れた世界遺産。
世界で一番長い建築物です。
北京から日帰りで行くことができます。
観光地だけあって人は多いですが北京に行ったら、見ないわけにはいかないですね。

万里の長城の詳細はこちら

4位:故宮(紫禁城)

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故宮(紫禁城)は清の時代、皇帝が住んでたところです。
ここも世界遺産です。
個人的には景山公園からの眺めが好きですが、一度は中に入ったほうがよいと思います。
映画ラストエンペラーに出て来た光景なども見ることができます。
中国皇帝の権力のすごさを実感できます。

故宮(紫禁城)の詳細はこちら

5位:天安門 天安門広場

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故宮(紫禁城)の入り口である門が天安門です。
赤い壁に巨大な毛沢東の肖像画が見れます。
天安門の南に位置する天安門広場は世界一広い広場とも言われています。
日の出と日の入り時にある国旗掲揚式と国旗降納式は見物です。

天安門の詳細はこちら

というわけで、北京のおすすめ観光スポットを5つ選んでみました。
私の個人的な順位ですが、ご参考にしてみてください。

観光地としては上記の5つですが、ご飯がおいしく、ビールも安いなどその他にも魅力的なものがいろいろありますよ。

中国バックパッカー旅行記 帰国を延期し北京から洛陽へ

私にとっての初めてのバックパッカー旅行で予定していた1週間北京旅行はあっという間に過ぎてしまいました。
故宮(紫禁城)万里の長城など見所も多いし、街中も楽しいしであっという間に過ぎました。

そのときに一緒に旅行していた先輩の都合で現地滞在1週間だったのですが、私はもう少し中国に滞在したくてしょうがなくなりました。

中国からの帰りも行きと同じ燕京号での船旅です。
既に日本で往復でチケットを買っていました。

中国滞在を延期

が、どうしても中国にいたかった私は、帰国便を1週間ずらせないか運行会社に聞いてみました。
すると追加料金500円で、便を変更できるとのこと。
「では、1週間伸ばしてくださいと」二つ返事でも1週間中国滞在が伸びました。

ちなみに私が本来乗るべき船便に乗っていないことを旅行会社が失踪と間違え、家族が心配したということを帰国後知ることになりました。
先に帰国する先輩に日本についたら言っておいてといってたのですが、先輩が日本につく前に旅行会社から連絡がいくとは想定外でした。

当時はメールもなかったですからね。
皆さん家族を心配させないようにちゃんと連絡しましょう。
今ならメールなんかで簡単にやり取りできるんですがね。

北京からの行き先

さて、1週間延期することとなり、北京だけではもったいないのでどこか別の町に行くことにしました。

どこに行くかはいろいろと悩みました。
あまり遠いところは移動時間がかかりすぎ、無理だなと思いました。
なにしろ中国は広いですからね。
ちなみに1995年当時、北京から雲南省の昆明までの列車は72時間でした。

そこまでの時間はかけられないので、移動時間は12時間以内くらいにしようと思いました。
そんな中で選んだのが、洛陽です。
12時間でも十分遠いかもしれませんが、その当時は近いなーと思ってました。

洛陽を選んだ理由ですが、洛陽は中国の古都、歴史にも出てきますね。
私が好きな三国志にも出てくる後漢時代の首都ですし、列車は12時間程度で近い?し、龍門石窟少林寺黄河などの見所も多いです。
ちょうど船で知り合った学生バックパッカーさんの一人も行きたいということだったので、洛陽一緒に行くことにしました。

北京から洛陽への切符購入

移動手段は鉄道です。

1995年当時の中国のはオンライン化などはまったくできておらず、席の予約は駅ごとの割り当てが決まっている状態でした。

東京から新大阪への新幹線の指定席について例えてみると、
「東京から名古屋までは空席ありますが、東京から新大阪までの分は満席です。なので、東京から新大阪までは満席です」
というようなことが言われた状態でした。
実は名古屋でたくさん降りるので、じつは名古屋から新大阪までにも空席はできるはずなのですが、その実態を東京が把握できていない、そんな感じでした。
※説明がわかりにくい?

何にしろ、1995年当時の中国では、途中下車する人などの情報はリアルタイムでわからないので、あらかじめ割り当てられた席で販売するしかなかったのです。

中国の長距離列車は前、日本では考えられないような長時間の移動が普通です。
72時間の列車などもあるわけです。
駅もたくさんある中で非効率な割り当てが行われてたわけです。

そんな状況なので、中国で長距離鉄道の切符を買うのはとても大変だという話を聞いてました。
覚悟を決めて切符を買いに向かいました。

現在の長距離鉄道は北京西站(駅)からが多いのですが、当時は北京西站がなく全部北京站からでした。

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北京站はとても巨大な駅です。

その北京站の長距離の切符を買う売り場は長蛇の列です。
特に寝台を買おうとすると1週間以上空きがなかったりというのが当たり前でした。

寝台は「硬臥」(インウオといいます)取れれば相当ラッキーです。
そして、「硬座」(インズオ)というのが新幹線の指定席です。

そしてそれも取れないと「無座」となります。
文字通り、座席がないため自由席的な感じになるわけなのです。

ちなみに当時の硬座の乗車率は、日本の年末年始の新幹線の乗車率を越えます。
つまり基本的に座席は埋まっているため、無座はそれ以外の空間はなわけです。
しかも、年末年始の新幹線以上の込み具合なわけです。
そして、12時間以上の移動になるわけです。。。おそろしいですよね。。。

要は「硬臥」(寝台)はもとより、硬座指定席ですら、席が確保できているということ自体がたいへんだったのです。

外国人窓口

しかしながら、外貨獲得のために観光収入は重要なわけで、外国人専用窓口というのがありました。
そこは中国人の枠とは別に外国人用の席枠が確保されているんです。
なので、私と一緒に行く学生バックパッカーはそこに並びました。
鉄道の窓口は国営なので、サービス精神ゼロの偉そうなおばさんでした。

でも、無事に硬臥(寝台)のチケットを得られました。
偉そうなおばさんであったとしても、感謝したくなりました。

いざ洛陽へ

そして、当日。
北京から洛陽まで12時間の寝台列車の旅です。
上下二段の寝台列車です。
横幅1mはない幅ですが、寝るには十分な感じでした。
バックパッカーなので感覚がおかしかったかもしれませんが、12時間程度はなんてことはありませんでした。

ちなみに、その後のバックパッカー旅行ですと10時間程度の移動だと、「近いんですね」と、普通に言ってしまうようになっていました。
「え?近いの?」といわれて、(普通に考えると、10時間の移動は近くないわなー)と、われに戻ってました。

そんな感じでラッキーにも洛陽までは、寝台列車で楽に行きました。
次回は洛陽の観光についてお伝えします。

洛陽についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 1995年当時の北京の買い物、トイレ事情等

北京には万里の長城や、故宮(紫禁城)頤和園などの観光地がたくさんあります。

ですが、旅の醍醐味は観光地だけではありません。
街中にもいろいろおもしろいことが転がっているものです。
1995年の北京で経験した、ちょっとしたことを書いていきます。

露店街

天安門広場の南に前門という門があります。

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1995年当時、前門近くには多くの露店が並んでいました。
(北京オリンピックで再開発されました)
露店街では実に雑多なものが売っていました。
以下のような観光客向けのお土産なども多く売っていました。

・毛沢東ライター
→ふたを開けると音楽が流れます。「東方紅」という曲だそうです。
ネタとして買いましたが、日本に着いたときは電池が切れてました。

・白檀っぽい扇子(もちろん人工香料のもの)
→安くて中国っぽいので何個か買いました。

・中国っぽい耳かき
→中国っぽい柄の金属でできた耳かき。けっこう耳垢がとれます。

・Tシャツ
→すぐによれよれになりますが安かった。

・健身球
→二つの球を掌でコロコロ回す健康グッズ。音が鳴るやつもあります。

外国人観光客向け百貨店

今ではそんなことはなくなりましたが、当時の北京では無気力な国営店がたくさんありました。
当時の国営店の従業員はまったくやる気がなかったです。

外国人向けの百貨店に、友諠商店がありました。
入ってみてビックリ。店員の半分くらいは寝てました。
そして、ところどころ電灯もついてませんでした。

そんなやる気ない国営百貨店もある意味、おもしろい見ものでした。
(今ではちゃんとしてます)

繁華街王府井

今でも北京の繁華街です。

1995年当時の王府井の入り口には、世界最大規模のマクドナルドがありました。
今では中国の各地にマクドナルドはありますが、当時は主要都市にしかありませんでした。

なお、マクドナルドは中国語で「麦当労」と書きます。
読み方はマイタンラオなので、ちょっと違いますね。
※なお、日本語の発音での「マクドナルド」も外国では通じません。

北京のマクドナルドにはベンチの上に座っている等身大のドナルドがいたので、一緒に写真を取ってみました。
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ちなみにその辺の屋台で麺料理が2元程度で食べれましたが、マクドのセットは20元くらいしました。
ある意味高級レストランでした。

王府井には、もちろんちゃんとしたレストランもあります。
北京ダックで有名な全聚徳もありました。
バックパッカーでしたが、みんなで食べに行きました。
胡弓などの生演奏がありました。
意外に安かったです

高級ホテル 北京飯店

東京でいう帝国ホテルです。5つ星の一流ホテルです。
1995年当時は、一般の中国人は入れず、外国人もしくは金持ち中国人しか入れませんでした。
小汚いバックパッカーだった私ですが、外国人なのでこの一流ホテルに入ることができました。
入る時は外国人だぞアピールのために旅仲間と日本語を話しながら入ったのでした。
きらびやかできれいで、私が止まっていたシャワーのお湯が泊まるかもしれないドミトリーとは違いました。
客室には当然入れませんが、北京飯店には行くべき理由がありました。
トイレです。
とてもきれいなトイレを遣えるのです。
そのために行く価値があったのです。

95年当時のトイレ事情

当時の北京、中国のトイレ事情は想像を絶するものがありました。
ここから先は、不快な表現が含まれている可能性がありますので、好まない人は読まないでください。






心の準備はいいですか?






当時の中国の公衆トイレは有料でした。(1円、2円くらいですが)
金を払うんだから、どんなトイレかと言うと。。。
まあ、ここではしたくないなと思うでしょう。

小便器は大きなツボでした。
そこに何十人分もの尿をずっと貯めてたわけです。
匂いはすさまじいですし、床にあふれてたりもしました。
でも、有料なんですよね。

大のほうですが、基本的に扉はありませんでした。
北京駅で行った時のことです。
便器の向きは後ろ向きではなく前向きでした。
つまり、待っている人と目が合う方向です。
次の奴にはメンチ切りました。
根性つきますね。
場所によってはあふれているところもあるので、注意が必要です。

この形式はまだいい方です。
長い溝が掘っているだけのトイレが多いです。
連なるんですよね。
前の人がしているところが丸見えなわけですよ。
自分も丸見えになってるんですよね。
溝の下は汚物まみれです。
根性つきますね。
これ以上の表現は慎みます。

なので北京飯店のトイレは天国ですね。
どこの町でもなるべく、外国人向けホテルでいたすようにしていました。
※今の北京はかなりきれいなので、あくまでも1995年当時のものと理解してください。

こんな経験も旅の醍醐味なのです。
なお、苦情は受け付けません。

北京の観光地についてはこちらからどうぞ

故宮(紫禁城)

万里の長城

頤和園

中国バックパッカー旅行記 北京の世界遺産「頤和園」

北京はさすがに中国の首都だけあって、市内だけで6つの世界遺産があります。
故宮(紫禁城)万里の長城が有名で、観光スポットとしても人気がありますね。

それに比べると知名度は落ちるかもしれませんが、北京にある庭園「頤和園」(いわえん)も世界遺産に登録されています。
個人的には頤和園はとても好きな観光ポイントです。
何度か北京を訪れていますが、だいたい頤和園を訪れています。

頤和園の場所

頤和園は市街地から北西に10Kmくらい離れた場所にある、庭園です。

今は地下鉄で簡単に行けます。

しかし、私が訪れた1995年当時は北京に地下鉄はありませんでした。
バックパッカーとしてのこだわりもあったのでタクシーに乗るという選択肢はなく、バスを乗り継いで移動しました。

当時の北京のバスは排気ガスまきちらしながら走ってました。
当時の北京の様子はこちら

バスの中にいても排気ガスの煤が入ってきます。
しかも、頤和園に行く際、2両連結バスの連結部近くに座ってしまったため煤だらけになってしまいました。

ただ、その小汚さが功を奏したのか、頤和園でも外国人料金を払うことなく、中国人料金で入場できました。
外国人料金の詳細についてはこちら

頤和園の概要

頤和園は、かなり広大な庭園です。3㎢くらいあります。

その3/4の広さを占めるのが人工の湖「昆明湖」です。
外周6kmもあります。

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※1995年夏に訪れたときの写真です。

昆明湖は清朝の乾隆帝が母親のために、杭州の西湖を模して創られました。
そして、湖を掘ったときの土で昆明湖の北側に万寿山(高さ60m)を作り、その上には仏香閣があります。

外周6kmもある湖を作って、山まで作ってしまうのですから、中国皇帝の権力のすごさを感じます。

ちなみに後の時代、西太后が改修を命じ莫大な費用が掛かってしまったために海軍費が削られて、日清戦争に負けたとも言われています。
実際にいってこの広大な庭園の規模を見ると、それくらいの費用は掛かるかも、と感じます。

なお、頤和園は避暑地として使われました。
そのため、英語名では「Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing」です。

冬の頤和園を観光

頤和園はとても美しい庭園です。
私が初めて訪れた2月は靄が立ち込め、とても幻想的に見えました。
夏の緑が美しい季節もよいですが、冬の幻想的な風景もとても好きです。
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頤和園の大きさ、幻想的な雰囲気を楽しみながら昆明湖を一周しました。
外周6kmもあるので、ちょこちょこと建物などを見ながらだと2時間はかかります。

昆明湖には南湖島というちょっとした島があり、そこには白く美しい橋が架かっています。
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橋の上からの光景も幻想的でした

なお2月の北京はかなり寒かったので、湖の多くの部分が凍ってました。
恐る恐る乗ってみたのですが、氷がかなり厚かったので全然平気でした。
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これも夏では経験できないですね。
※自己責任でお願いします。

あと、夏だと昆明湖には観光用のボートがいくつも浮かんでいますが、凍っているのでボートは全然いません。
そのままの昆明湖を見られるのも冬の頤和園のいいところです。
夏に来た時は水澄ましのようなボートがたくさん出ていて、ちょっと景観を損ねた感じに思えましたので、個人的には冬がおススメです。

グルっと昆明湖を一周した後、昆明湖の北側に位置する長廊という、728mもある屋根付き通路を見学します。
色鮮やかな絵が描かれています。
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三国志の絵もあり、三国志好きで中国に来た私にはたまりませんでした。

その後、万寿山にある仏香閣に登りました。
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上から見る頤和園もとても幻想的で美しかったです。
頤和園と昆明湖の広さを改めて感じられます。

頤和園は北京に行くたびに行くお気に入りポイントです。
北京に行くのであれば、ぜひ行ってみてください。

北京動物園観光

なお、頤和園に行く途中に北京動物園があります。
北京動物園のメインの見どころといえば、もちろんパンダです。

1995年当時、中心地から頤和園に行くバスは北京動物園近くで、乗り換えが必要でした。
それほどパンダ好きではなかったのですが、せっかくなので頤和園の帰りに動物園にもよってみました。

なお、北京動物園のパンダは薄ら汚れていて、白い部分が黄色くなっていて、小汚かったですね。
とはいえ、せっかくですので寄ってみてはいかがでしょうか。

万里の長城についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 天安門

バックパッカーとして初めて訪れた国中国、その中で初めて訪れた町が北京です。

北京はとても広いです。
そして、その中心に天安門があります。

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中国のニュースや映像なんかで見たこともある人も多いと思います。
赤い巨大な門であり、その真ん中には毛沢東の肖像が掲げられ
まじででかいです。
ニュースなんかでもよく見る光景だと思います。
見た時、あー、まさに中国だなーと思いました。

天安門広場の北には故宮(紫禁城)が、南に天安門広場があります。
天安門周辺は北京市内観光の中心ともいえます。

天安門広場観光

天安門広場は世界一広い広場で、東西500m、南北800mもあります。
実際に見ると、さすがに広いです。
広場の中には毛主席記念堂があり、毛沢東の遺体を見ることができます。

天安門広場の周りには人民公会堂などもあり、政治の中心でもあります。
また、中国国家博物館には中国政府にとっての大イベントがあるたびにカウントダウン用の大きな時計が掲げられます。

ちなみに私が訪れた1995年当時の一大イベントとしては、香港返還前だったので、1997年の香港返還がありました。

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写真では分かりにくいと思いますが、白い看板には香港返還まであと「何日」、あと「何秒」というのが掲げられていました。
秒単位でやるのがすごいなー、と当時思ったものです。

国旗掲揚

天安門広場には中国の国旗が掲揚されています。
この国旗は毎日人民解放軍の軍人が、日の出とともに掲揚し、日の入りとともに降ろします。
この掲揚式と降納式での軍人たちの一糸乱れぬ動きは見ものです。

私が訪問した2月はまだ日の出が遅かったので、ちょっと早起きして日の出の掲揚式も見ました。
ただし、とても寒かったですが。。。

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写真がくらくてわかりにくいと思いますが、天安門から軍人たちが歩いて向かってきます。
なお、その間道路は通行止めとなります。

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目の前を軍人が歩いて行きます。

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そして、国旗が掲揚されました。
朝早くにもかかわらず、多くの観光客が訪れていました。

夏だと日の出が早いのでちょっとたいへんかもしれないです。
日の入りのときの降納式は、見やすいと思うのでうまくタイミングを計って見てください。

天安門広場はやはり観光地だけあって多くの人が来ています。
1995年当時は、広場で太極拳や凧揚げしてた人もけっこういましたね。
地元の人にとっては憩いの場なのかもしれません。

なお、この天安門は入場料を払えば上に登ることもできます。
観光客はけっこう登りますね。
私はこの時の旅行では登りませんでしたが、2回目行った時に登りました。

そして天安門を抜けた先に故宮(紫禁城)があります。

故宮(紫禁城)の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 北京到着 1995

50時間の船旅を終え、いよいよ天津新港に着岸、上陸です。
タラップを降り、ついに大陸の土を踏んだ!と高揚感があります。

その後入国審査。
1995年当時。中国の入国審査官は無愛想でしたが、今思うと、今でもどこの国でも一緒かもしれませんね。

ビザのページを見てハンコを押してくれました。
そして、税関は素通りでした。
X線の検査機もあったのですが、動いてませんでした。
完全ノーチェックでした。

なお、港には両替所がなかったので5000円だけ船内で両替しておきました。
レートはちょっと悪い程度でした。
1995年当時はUSドルへの固定レートで、1万円で800元くらいでした。
1元=12円くらいでした。
なお、現在の紙幣は全部毛沢東ですが、当時は少数民族とかの絵でした
日本円の紙幣と違い、ボロボロのお札もけっこう混じっています。

さて、ターミナルを出ると、小汚い格好の中国人がたくさんいます。
当時はまだ人民服を着ている人もいました。
当然ながら中国語があふれています。

いざ北京へ

我々はその日のうちに北京まで移動することにしました。
北京3回目のベテランバックパッカーさんのお話を聞くと、港で北京行のマイクロバスが待っているのでそれに乗るのがよいとのこと。
なので、同室の10人くらいの旅行者みんなでバスで移動することにしました。

2時間ほどかけ、いよいよ北京へ向かいました。

10人ほどの日本人旅行者が一緒です。
50時間の移動をした後では、2時間くらい誤差みたいなものです。

北京到着と中国初の食事

そして2時間後、北京の中心地である、前門付近に行きました。

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1995年の北京の町は、今とは全然違いもっと汚く雑然とした感じでした。
宿はまだ決まっていなかったのですが、すでに19時くらい。
まずは食事をしようということで、食堂に入りました。
その辺の地元の食堂です。

北京3回目のバックパッカーさんは、多少中国語が喋れるので料理の注文などもお願いしました。
普通の炒め物とか麺とかスープとかを適当に頼みました。
正直言って、初めての北京の料理はあまりおいしくはありませんでした。
でも、値段は安かったですね。
1人15元(当時だと180円)程度で十分おなか一杯になりました。
ビールは大瓶1本2元(24円)と格安です。
物価の安さにびっくりしました。

さすがそのときは宿を探す前だったし、寒かったので1本だけにしておきました。
ただ、その後、中国にいる間は事あるごとにビールを飲みました。

中国初の宿探し

食事を終えた後、宿探しです。
当時の中国は、外国人が泊まれる宿と中国人専用宿が分かれていました。
我々は当然外国人用の宿を探すのですが、みんなバックパッカーなのでなるべく安い宿を探すことにしました。
とはいえ、すでに日は落ちている状態なので、なるべく早く探す必要があります。
基本的にはドミトリーで探しました。

ドミトリーとは、部屋を借りるのではなくベッドを借りる形式です。
一部屋に知らない人が数人一緒に泊まる形です。
ユースホステルみたいな感じです。

ここでも北京3回目のバックパッカーさんにご活躍いただきました。
以前泊まった宿を紹介してもらい、金額なども聞いてもらいました。
天壇公園という世界遺産にも登録されている史跡公園の近くにある宿にドミトリーがありました。
料金は20元くらいでした。
ドミトリーはシングルの部屋にくらべるとかなり安いです。
シングルだと3倍くらいはしたはずです。
ただ、ドミトリーとはいえ、もともと10人くらいで来てたのでみんな部屋は一緒でした。

なお、中国の宿ではデポジットの制度がありました。
鍵を借りるときに「保証金」を渡すことです。
実際の中国のドミトリーの場合は鍵ではなく、カードをもらって各階の係員に見せると開けてくれる形でした。

ドミではトイレ、シャワーも共同です。
シャワーを浴びようとシャワー室に行きました。
お湯が出るとのことだったのですが、勢いは弱くてちょろちょろという感じです。
私の後に入った人の中には、お湯がなくなって水になってしまった人もいました。
2月の北京で水シャワーとは過酷です。
シャワーを浴びるタイミングも重要ですね。
まあ、安いのでしょうがないです。

バックパッカーにとっては宿の設備にはどうでもよくて、安いことが重要と考えるものです。
当時の私はひたすら安く上げることを考えていましたね。
1日の予算は1000円以内と考えていました。
今思うと金を出すことによって得られることも多かったかなとも思いますが、若い頃にそういう経験をしておくことも悪くないと思います。

当時の北京の様子はこちら