船旅

ユーラシア大陸横断旅行記 韓国のソウルから中国の天津へ

ユーラシア大陸横断1ヶ国目の韓国。
首都ソウルでは、いろいろな人と出会いました。
また、ソウルに住む韓国人の友人が数名いたのでその友達たちとも会いました。

ソウルは2回目ということもあり、観光よりもそのような人々と過ごす時間が長かったです。
おいしいものを食べ、仲間たちと過ごす時間はとても楽しいものでした。

とはいえ、まだユーラシア大陸横断の1ヶ国目です。
ここからが始まりのため、名残惜しくはありましたが韓国を離れ、2ヶ国目中国へ向かうこととしました。

仁川(インチョン)から天津へ

ソウルの少し西にある仁川(インチョン)といえば、国際空港を思い浮かべるかもしれませんが、実は港もあります。
仁川港からは中国の大連や天津、青島など中国各地へ向かう国際フェリーが出ています。

ユーラシア大陸陸路横断なので、韓国から中国へも当然船で行きました。
行先は天津です。

ちなみに1995年に初めて天津・北京を訪れたことが、私のバックパッカーの原点でもあります。

仁川から天津までは24時間ほどです。
下関から釜山までと同じようなものです。

船旅での出会い

出国手続きも簡単に終わり、船に乗り込みました。
当然ですが、周りはほとんどが韓国人と中国人でした。

船に乗り込むとすぐに韓国の学生3人が片言の英語で話しかけてきました。
日本人がその船に乗っているのが珍しかったのかもしれませんね。
彼らは英語がうまくなかったので、なかなかコミュニケーションが取りづらかったですが、そこは勢いで何とかなります。
彼らの片言の英語に、こちらは片言の韓国語で答えたりしているとけっこう楽しいものです。

日本でも有名になった辛ラーメンなんかもいただき、助かりました。

学生たちと話をしていると、日本語で声をかけられました。
日本人かと思ったら、日本に8年住んでいたという韓国人のおじさんでした。
流暢な日本語を話す人でした。
彼が通訳してくれたおかげで、学生たちとの話も盛り上がりました。

船旅はこのような出会いがあるので楽しいです。

天津に到着

翌日、天津に到着。
日本語が話せるおじさんが、天津に安い宿があるので一緒に行かないか、と誘われました。
韓国人学生たちも含めて、ついていくことにしました。

正確な場所は覚えていないですが天津駅の傍にあるビルの一角が、韓国人用宿のような感じになっていました。
経営しているのは中国にいる朝鮮族だったのかもしれません。
夕食、朝食がついていておいしい韓国料理が食べられたので、かなりお得な宿でした。

夕食後、観光というほどではありませんが、軽く天津の町をぶらつきました。
このときが2001年、最初に訪れたのが1995年だったので6年たっています。
中国の経済発展は目覚ましく、6年でずいぶん都会になったな、という印象でした。

天津には一泊だけした後、次は北京に向かいました。

北京の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 天津へ船旅 1995

私が初めてバックパッカーとして旅行に行ったの1995年の2月。
行き先は中国の北京でした。
そのときの強烈な印象が私の人生を大きく変えました。

あれからもう20年・・・。
バックパッカーデビュー20周年を記念して(誰も興味ないかもしれませんが)、最初の中国旅行のことを書いてみます。

中国旅行のきっかけ

それは1994年の12月でした。
当時私は関西大学の1回生でした。
バイト先に同じ大学の4回生の先輩がいました。
「卒業旅行に行こうと思うけど、一緒に行く?」
そんな誘いを受け、
「いいですね。行きましょう」
といったのがきっかけでした。

まずは行き先を相談しました。
私は三国志などの中国の歴史物が好きだったので中国に行きたいと思いました。
その先輩も今後中国は発展するだろうから興味があるということで中国行きが決定しました。
場所は北京にしました。
首都ですし、故宮(紫禁城)万里の長城など見所も多いからです。

中国行きが決まりましたが二人とも個人旅行の経験がありません。
とりあえず旅行会社などで中国旅行について聞いてみました。
ですが、当時はまだ航空券が高く、ツアー料金も結構なお値段でした。

安くいける方法はないか調べることにしました。
当時はまだWindows95すら出ておらず、インターネットで調べるという世の中ではありません。
本屋で個人旅行の本を購入して調べることにしました。

すると神戸から天津までの燕京号というフェリーがあることがわかりました。
※残念ながらい2012年に廃止になってしまいました。

フェリーは飛行機に比べて安い。
ただし、50時間かかります。
2泊3日です。往復だと4泊です。
旅行の期間は全部で12日間です。
1/3が移動時間って・・・。

という考えもありましたが、船旅も楽しそうということで燕京号にしました。。
結果として船旅にしてよかったのですが、それ次回で。

交通手段が決まり、残りの準備としてはビザ取得です。
現在では15日以内の観光旅行はビザ不要ですが、当時は全員ビザが必要でした。
それも個人で申請するのは難しく、旅行会社に頼まなくてはいけませんでした。

というわけで、燕京号のチケットとビザを旅行会社で手配しました。
ちなみにホテルの予約はしませんでした。
ガイドブックに乗っている宿に行けばなんとかなるだろうと考えていました。

準備が整い、旅行を楽しみにしていたところで予期せぬ出来事が発生しました。

阪神大震災

1995年1月17日午前5時46分

寝ているところ体を揺さぶられ、こんな早い時間になんだよ!
と目を開けると部屋が大きく揺れています。
「地震だ!」と気付き布団にもぐりこみました。

今までに経験したことのない揺れでした。
本当に誰かが体を揺すっているのだと思ったほどです。
しかし、私の家は幸いにも大きな被害はなく、家族も無事でした。
「でかい地震やったなー」と家族と話した後、また寝ました。

そしてもう一度起きて、テレビを見ると大変な事態であることがわかりました。
この後いろいろなことがありました。
3.11のときもそうでしたが、このような状況でも暴動も起こらず、助け合う日本は本当にいい国だと思います。

中国へ向け出港

さて、旅行の話に戻します。

ひとまず日常生活が落ち着きを取り戻したところで、こんな状況で旅行に行っていいのか
という話も出ましたが、先輩の卒業旅行でもあるので決行することにしました。
燕京号が出るはずの神戸港が利用できないのでどうなるかと思ったのですが、大阪南港に変更して運行されることになりました。

2月の北京は寒いので、ダウンやタイツなどの防寒着を整え、いよいよ出発です。

1995年の2月。
大阪南港で中国の天津へいくフェリー燕京号に乗り込みました。
2泊3日、50時間の船旅です。

2等B席です。
和室で一部屋に20人くらいが雑魚寝する感じです。
一緒に行ったバイトの先輩と二人で部屋に入りました。
満席というわけではありませんでしたが、それなりに混んでました。
学生バックパッカーが多かったですね。
当時は一番安くいける方法だったので、学生の休みの期間などは利用客が多かったです。
欧米人のバックパッカーも2人いました。

荷物を降ろすと、自然と周りの人と会話が始まりました。
北京にいくのも3回目という、その当時の自分から見るとベテランバックパッカーさんがいました。
その人から、天津から北京への移動はこうしたらいいとか、宿はこの辺がいいとか、こんな見所があるとか、いろいろな情報を聞くことができました。

私たち以外にも旅行初心者がいて、みんな熱心にその話を聞ききました。
ガイドブックだけでは得られない情報を得ることができ、その後の旅行する上で、とても参考になりました。

同じ目的地へ向かう多くの人と仲良くなって、情報も集められ、楽しい時間をすごせます。
移動時間も旅の時間の一部と考えれば、船旅もよいものです。

yanjin

船旅は飛行機と違い、時間も長いですし、自由に行き来できる空間も広いです。
甲板に出て夜空を見ながらビールを飲んだりとけっこう楽しめます。

どこまでも続く水平線なんかを見れるのもいいですね。
yanjin2

残念ながら天津行きの燕京号は廃止になってしまいましたが、上海行きの新鑑真号はあるので興味ある方は乗ってみてください。

瀬戸内海からの忘れられない光景

出航は夕方だったのですが、冬だったのですぐに暗くなってきました。
船からは大阪の町の明かりが見えました。
しかし、しばらくすると、まったく光のない空間がありました。
神戸の町です。

阪神大震災からまだ1ヶ月もたっていないころです。
震災の被害を大きく受けた地域は真っ暗でした。
あらためて、あの震災の被害の大きさを感じました。
乗客のみんなで亡くなった方の冥福をお祈りしました。

中国への船旅

大阪南港から天津までは50時間かかるので、2日目は丸々船の上です。
当然ながら食事もします。
船に食堂があり、朝食はついてました。
万頭(具なしの中華まん)や中華粥などの中華の朝食が出ました。
味はイマイチですが、料金に含まれてるので食べました。

昼食や夕食は有料になります。
中国人などはカップラーメンを買って持ち込んで食べていました。
私はそのような準備をしていなかったので、食堂で食べました。
中華料理が1品300円程度、ご飯やスープが50円くらいでした。
味は、まあまあというところでしたね。
なお、次に乗る時からはカップ麺とかパンとかをある程度用意するようにしました。

同部屋のバックパッカーさんたちと情報交換したり、外にでて海を眺めたり、ガイドブック見たり、寝たり。。。
やっぱり50時間は長いので、けっこう暇です。
暇つぶし用の本とかを用意したほうがよいですね。

いよいよ大陸が

さて、そんな感じで3日目を迎え、いよいよ中国に近づいてきました。
そして外に出てみて海の色を見てびっくり。
黄色いんです。
黄河の水が流れ込んでおり、黄色いんですね。
海の名前が黄海なのも納得です。

その海の色の変化を受け、いよいよ近づいてきたなと実感します。
そして、いよいよ天津進行に着岸、上陸です。

北京へ向かう様子はこちら