遺跡

インド旅行記 世界遺産カジュラホの寺院群

タージマハルのあるアーグラーを離れ、次の町を目指しました。

向かったのは、ヒンズー教とジャイナ教の寺院遺跡が残される町カジュラホです。
カジュラホの寺院群は世界遺産にも登録されています。
特に寺院の外壁をうめるエロティックな彫刻が有名です。

インドの中でも人気の観光地となっています。

アーグラーからジャンシー経由でカジュラホへ

アーグラーからはジャンシーという町まで鉄道で行き、そこからバスでカジュラホに向かうルートです。

まず、アーグラーから列車でジャンシーまで向かったのですが、その列車が遅れてしましました。
ジャンシーの駅に着いてすぐに、オートリクシャー(三輪タクシー)に乗り、カジュラホ行のバス停に向かいました。

急いでいるというと、そのオートリクシャーはかなり飛ばしてバス停に向かってくれました。

しかし、結局間に合わず、しかたなくジャンシーに一泊することとなりました。
そのオートリクシャーの運転手が、宿まで送ってくれました。(もちろん有料ですが)

ジャンシーの町は特に何もなかったのですが、ターリー(インドの定食)がおいしかったです。

カジュラホへ

さて、予想外にジャンシーで一泊でした後、カジュラホへバスに向かいました。

そのバスの中で、「カジュラホのホテルの従業員だ」という人と隣になりました。
インドでは向こうから声をかけてくる人は怪しいです。
特にカジュラホは、観光客目当ての客引きの評判が悪い町なので警戒しました。

「ちょっと疲れてるから、静かにしといて」
というと、意外にも勧誘することもなく、静かにしてくれました。

その従業員はしつこくなくていい人っぽかったので、カジュラホ到着後、そのホテルまで連れて行ってもらいました。
ホテル レイクサイドという宿でした。

カジュラホの中心部には大きな湖があるのですが、その名の通り湖の目前に建っているのがホテルでした

ここのオーナーは日本語も話せるのですが、とてもいい人でした。
(日本語が話せるインド人は大体怪しいのですが)

ホテル自体もけっこうきれいでしたし、寺院群からも近く、人の感じもよかったのでホテル レイクサイドに泊まることにしました。

カジュラホの遺跡群

カジュラホの遺跡は、ジャイナ教寺院の東群とヒンズー教寺院の西群に分かれています。

とりあえず、初日は東群を観光することにしました。

東群の寺院遺跡

東群のジャイナ教寺院のうち有名なのがパールシュバナータ寺院です。

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10世紀に建てられた寺院だそうです。
いい感じの遺跡でした。

初日は東群だけみて、宿に戻りました。
カジュラホは田舎の村という感じで、のんびりしたいいところでした。

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ただ、中には観光客目当てのうるさい人たちも多いので気を付けてください。

西群の寺院遺跡

翌日、西群の寺院遺跡を観光に行きました。

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ヒンズー教寺院が中心です。
そして、古代インドの性愛論書(カーマスートラ)の教えを描いたエロティックな彫刻が刻まれています。

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ミトゥナ像(男女交合の彫刻)など、官能的なレリーフ群が広がっています。

なかなか激しい彫刻もあるわけですが、淫靡というのではなく、あからさまな明るい感じのものでした。
精緻なレリーフは見ごたえがありました。

カジュラホはのんびりした村で、泊まった宿も居心地が良かったので数泊しました。
そして、次に聖地バラナシを目指しました。

 

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エジプト旅行記 世界遺産アブシンベル神殿とイシス神殿

エジプトの観光地といえば、まずピラミッド、そして王家の谷などがあるルクソールを思い浮かべるの人が多いと思います。
ですが、個人的には南部アスワンからいくアブシンベル神殿が一番好きでした。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産に登録されています。

アブシンベル神殿の場所

アブシンベル神殿を観光するための拠点となるのは、首都カイロから南へ約900Kmにあるエジプト南部の町アスワンです。
カイロからアスワンへ鉄道で行くのが一般的です。

そして、アブシンベル神殿はアスワンからさらに南へ約280Kmのところにあります。
スーダンとの国境付近です。

アブシンベル神殿へはアスワンから日帰りツアーで行くのが一般的です。
片道3時間くらいかかるのですが、午前3時ごろに出発します。
私はエジプト人のグループに混じってのツアーでした。
アブシンベル神殿は砂漠にあるので、日差しが強くは6月~8月の夏は40度を超すこともあります。
暑さ対策、日よけ対策をしておきましょう。

アブシンベル神殿を観光

アブシンベル神殿は紀元前1250年ごろにラムセス2世が建てた神殿です。
長い年月の内に砂に埋もれていたのですが、1800年代に発見されました。
その後、1960年代にアスワンハイダム建設の際に水没の危機が訪れたのですが、ユネスコにより4年をかけて60m上へ移設されました。

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何と言っても、見どころはこの巨大なラムセス2世の4体の像です。

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この巨大な像はまさに圧巻です。
高さ20mにもなります。

エジプトには他にも巨大な像がありますが、個人的にはこのラムセス2世の像は保存状態もよく、一番すごかったです。
ツアーは朝が早く、時間もかかりますが、見る価値は十分あります。

イシス神殿(フィラエ神殿)観光

ツアーでは、アブシンベル神殿だけでなく、アスワンのイシス神殿にもよりました。
アスワンの南20kmくらいのところに位置するフィラエ島にある女神イシスの神殿です。
なお、アブ・シンベル神殿と同様にアスワンハイダム建設による水没の機器があったのですが、ユネスコに隣の島に丸ごと移転されたそうです。
神殿丸ごと移設するのですから、すごいですね。

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イシス神殿はとても保存状態がよく美しい神殿です。
列柱やレリーフもきれいに残っています。

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アスワンはカイロからちょっと遠いですが、アブシンベル神殿やイシス神殿など保存状態がよく美しい遺跡を見ることができます。
せっかくエジプトに行くのなら、ぜひ行ってみてほしいところです。
個人的にはルクソールよりも、好きな遺跡でした。

ルクソールの様子はこちら

 

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エジプト旅行記 ルクソールの世界遺産

エジプトの有名な観光スポットにルクソールがあります。
ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、王家の谷やルクソール神殿など数多くの遺跡が残っています。
「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産になっています。

ルクソールの場所

ルクソールは首都カイロの南約670kmに位置しています。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

ルクソールの場所はこちら

カイロからルクソールは鉄道で行けます。所要時間は約10時間です。
夜行バスもありだいたい同じくらいの時間です。
バックパッカーにとっては近い物でした。

町の中をナイル川が流れており、太陽が昇る東側にルクソール神殿やカルナック神殿など「生の都」、太陽が沈む西側に王家の谷など「死者の都」があります。

カルナック神殿 観光

紀元前3000年頃はギザのピラミッドがあるあたりが中心地でした。
その後、紀元前2000年ごろからテーベ(今のルクソール)が首都になったそうです。
カルナック神殿は紀元前1500年ごろに作られたそうです。

カルナック神殿は単体の神殿ではなく、複数の神殿の複合体です。
1平方キロ以上に広がる広大な神殿です。

スフィンクス参道や巨大なオベリスクがありますが、一番見ごたえがあったのが大列柱室です。
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大列柱室は102メートル×53メートルもあり、134本の大列柱が立っています。
中央部の12本の柱は特に大きく、高さ21m、直径3m以上もあるそうです。
その大きさは圧巻です。

他にもいろいろあるのですが、個人的には第8塔門の崩れた像が好きでした。
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遺跡っていう感じが好きです。
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王家の谷 観光

ナイル川の東側が生の都ですが、西の死者の都に有名な王家の谷があります。
私は東側の宿に泊まっていたので、ナイル川を渡って王家の谷に行きました。

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王家の谷は岩山を掘って作られたたくさんの王の墓があるところです。
現在まで64の墓が見つけられているそうです。

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いくつかの墓には入れますが、内部は写真撮影は禁止ですので外からの写真しかありません。

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有名なツタンカーメンの墓も王家の谷にあります。
ツタンカーメンの墓だけは盗掘をされていなかったので、黄金のマスクが残っていました。
他の墓は盗掘されてしまい、宝物は盗まれてしまっています。

 王妃の谷

王家の谷とは別に、王妃の谷もあります。
王妃の谷にはネフェルタリの墓があります。

私が訪れた2002年当時、ネフェルタリの墓は入場制限があり、別料金でした。
バックパッカー仲間から、ネフェルタリの墓は見たほうがいいとすすめてもらっていたので、無理してチケット確保しました。

このネフェルタリの墓の内部にある壁画ですが、実際に見ると他の壁画とまったく違い、本当に色鮮やかなまま残っています。
数千年の時を経たとは思えない色彩でした。

現在、ネフェルタリの墓は非公開のようですが、特別なツアーだけ入れるようです。

ハトシェプスト女王葬祭殿 観光

ナイル川西側には王家の谷以外にも見どころがあります。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、古代エジプト唯一の女性ファラオであるハトシェプストが作った葬祭殿です。

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紀元前15世紀の建造物ですが、とても保存状態がよいです。
レリーフ、壁画の保存状態もよいので、見る価値があります。

なお、1997年11月17日にイスラム原理主義の過激派によるテロにより、観光客が亡くなった場所でもあります。

メムノンの巨像

西岸に2体の巨像があります。
私が訪れた2002年は左側は修復中でした。

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アメンホテプ3世の像だそうです。
高さ13mあります。
デカいですね。

ナイルの夕陽

ルクソールの東岸からはナイルに沈む夕陽を見ることができます。

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悠久の時を超えて流れるナイルに沈む夕陽はなんとも感慨深いものです。

このようにルクソール周辺には多くの遺跡、見どころが満載です。
エジプトに行くのなら、ピラミッドだけではなく、ぜひルクソールにも訪れてみてください。
そして余裕があるならアスワンまで南下してアブシンベル神殿もオススメです。

アブシンベル神殿の様子はこちら

 

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エジプト旅行記 世界遺産ギザのピラミッド

エジプト観光の最大の見どころといえば、やはりギザのピラミッドでしょう。
知らない人はいないですよね。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪問しました。

ピラミッドは世界遺産にも登録されています。
正確な世界遺産の登録名は「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」だそうです。

ギザのピラミッドの場所

ギザのピラミッドは首都カイロから南西にわずか20km、ローカルバスでも1時間もかかりません。
タクシーだと30分くらいで着くでしょう。(ぼられるので注意しましょう)
カイロ市内からは非常にアクセスが良い観光スポットです。

ギザのピラミッドの場所はこちら

ピラミッドといえば、砂漠の真ん中にどーんと立っているイメージがあるかもしれませんが、実際はギザの町中にいきなり現れます。

ギザの三大ピラミッド観光

ギザの三大ピラミッドとよばれるクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドが一度に見れます。

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上の写真はクフ王のピラミッドとスフィンクスです。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッドは三大ピラミッドの中でも最大で、高さ138.8m(元の高さは146.6m)もあります。
ピラミッドと言ってイメージが浮かぶのが、このクフ王のピラミッドです。
建築時期は紀元前2540年頃と言われており、そんな古代にこれだけのものを作るのですから、エジプト人はすごいです。

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下から見上げるとその大きさに圧倒されます。
デカい物好きの私は大興奮でした。

なお、別料金でピラミッドの中に入ることもできます。

また、昔はこのピラミッドに上ることができたのですが、今では禁止されています。
2002年当時も登頂は禁止されていましたが、夜間警察の目をかいくぐって登り、日の出を見る人はちょこちょこいました。
降りた後は警察に捕まるのですが、そこまでの罰はなかったそうです。

私は疲れることが嫌いだし、スリルを味わいたいわけでもないし、捕まるのも嫌だったので登りませんでした。

スフィンクス

ピラミッドと共に有名なものといえば、スフィンクスですね。

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スフィンクスは、ライオンの身体と人間の顔を持った神獣です。
ギザのスフィンクス像は、全長73.5mもあります。
損傷が激しく鼻がなくなってたりします。

スフィンクスの写真の後ろに移っているのはカフラー王のピラミッドです。

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッドは三大ピラミッドの真ん中に位置します。
カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドよりちょっとだけ小さいですが、それでも136m(元の大きさは143.87m)もあります。

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やはり、カフラー王のピラミッドもデカいです。
先端部分に化粧石が残っているのが特徴的です。

もう一つのメンカウラー王のピラミッドは他の二つにくらべると小さめで、高さ65.5m(現在の高さ62m)です。
まあ、それでも十分デカいのですが、やはりちょっと地味に見えてしまいます。

ギザのピラミッドはやはり見ごたえがあります。
歴史を感じ、人間のすごさを感じられるので、一度は行ってみてはいかがでしょうか。

ちなみにピラミッドといえば、メキシコのピラミッドもよいです。
テオティワカンウシュマルチチェンイッツァなどのピラミッドが多数ありますので、メキシコにも行ってみてはいかがでしょうか。

 

さて、カイロでピラミッドを満喫した後、次の町に移動しました。
王家の谷などで有名なルクソールに向かいました。

ルクソールについてはこちら

 

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レバノン旅行記 世界遺産ティルス(スール)とシドン(サイダ)

バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年、レバノンにある5つの世界遺産のうち3つを訪れました。

バールベックとビブロスについては書きましたので、残りの1つ世界遺産ティルス遺跡(現在の町の名前はスール)について書いていきます。
また、世界遺産にはなってないのですが、ティルスに行く途中に訪れた素敵な遺跡があるシドン(現在の町の名前はサイダ)についても書きたいと思います。

※名称がややこしいので、町の名前は現在のスールとサイダとします。

なお、スールとサイダは、首都ベイルートから南の地中海沿いに位置しています。
1日で2つの遺跡・町を回ることができます。

港湾都市サイダを観光

まずはベイルートに近い方のサイダの町に行きました。
ベイルートがから南に約40km、バスで1時間弱で着きます。
サイダはベイルート、トリポリに続くレバノン第3の都市です。

サイダの場所はこちら

サイダはかつて古代フェニキアの主要都市シドンとして栄えていたそうです。
港湾都市なので、昔から交易の拠点だったわけです。

そして、十字軍の時代に要塞が作られました。
その要塞がこちらです。
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地中海に突き出た十字軍時代の海の要塞はかっこいいです。
橋を渡って要塞の中にも入れます。

世界遺産ティルスを観光

続いて、スールの町に移動しました。
スールはサイダからさらに南に50km、セルビスとよばれる乗り合いタクシーで1時間くらいです。
ベイルートからは南に90kmくらいです。

スールの場所はこちら

現在のスールは小さな村なのですが、かつてのティルスは交易都市として栄えていたそうです。
ティルスもレバノンの他の都市と同様に、もともとはフェニキア人が建てた都市です。
その後、アレクサンドロス大王の侵攻、ローマ帝国の支配下、十字軍の支配下、イスラム化という歴史を歩んだそうです。
その後、衰退して現在は小さな村となっています。

ティルス遺跡

現在のスールには、ローマ時代の遺跡が残っており、世界遺産に登録されています。
そのティルスの遺跡の中でも、私が好きな光景は地中海に向かっていく列柱道路です。
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青い地中海へと続いていく列柱道路はとても美しいです。
ローマ遺跡の柱は、見ごたえがあります。
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私は2002年4月に訪れたのですが、春だったので季節がとてもよくて、黄色い花が美しく咲いていました。
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空の青、地中海の青、鼻の黄色がとてもきれいでした。
このような光景が見れてとてもよかったです。

他の世界遺産バールベックやビブロスもよかったですが、ティルスの遺跡もとてもよかったです。
レバノンには、本当に見ごたえのある遺跡があります。

戦争の傷跡

ベイルートの記事でも書きましたが、レバノンは内戦、イスラエルとの戦争など、長年戦争状態にありました。
スールはイスラエルからの国境近くの為、内戦時にイスラエルの侵攻を受けました。

私が訪れた2002年にも、戦争の傷跡が残っていました。
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写真の奥に移ってい建物は、遺跡ではなく破壊された建物です。

また、2006年には、武装組織ヒズボラがイスラエルに戦闘を仕掛けたことをきっかけに、スール、サイダはイスラエルから空爆され、戦闘地域となったそうです。
現在もヒズボラとイスラエルの戦闘は起こっています。

レバノンは私が訪れた国の中でも、好きな国です。
美しい遺跡や自然があり、優しい人たちが住むレバノンに、再び安全に観光できる日が来てほしいと願います。

首都ベイルートの様子はこちら

レバノン旅行記 世界遺産バールベックとビブロス

レバノンには世界遺産が5つあります。

  • バールベック(ローマ帝国の遺跡)
  • ビブロス(ローマ帝国の遺跡)
  • ティルス(ローマ帝国の遺跡)
  • アンジャル(ウマイヤ朝の城塞都市遺跡)
  • カディーシャ渓谷と神の杉の森

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行をしていた2002年に、「バールベック」「ビブロス」「ティルス」のローマ遺跡の3つを観光しました。
今回は、そのうちのバールベックとビブロスについて書きます。

世界遺産バールベック

バールベックは首都ベイルートの東85km、ベカー高原にあります。
バスで2時間ちょっとです。
レバノンは岐阜県程度の小さな国なので、ベイルートからだいたいどこでも日帰り観光できます。
バックパッカーだったので、移動手段はタクシーはあまり使わず、バスかセルビスと呼ばれる乗り合いタクシーが中心でした。

バールベックの場所はこちら

バールベックはヨルダンのペトラシリアのパルミラと並び、中東三大遺跡の一つと言われています。
レバノンの観光地の中でも、人気が高いポイントです。

バールベックは紀元1世紀に最初の神殿が作られたそうです。
その後、2世紀ごろから今も残るジュピター神殿やバッカス神殿が建てらたそうです。
ビーナス神殿もあるのですが、発掘が進んでいないそうです。

ジュピター神殿

バールベックの象徴ともいえるのが、このジュピター神殿の6本の大列柱です。
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高さ22mもある大列柱です。

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下から見上げると、さらにその大きさに圧倒されます。
パルミラの列柱も見事ですが、大きさではバールベックのほうが大きいです。
見ごたえがあります。
デカい物好きの私は、パルミラの列柱よりもバールベックの列柱のほうが好きです。

そして、こちらはジュピター神殿の雨といのライオンです。
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精巧な彫刻です。
もともとは屋根に取り付けられていたそうです。
ライオンの口から水が出てたんでしょうね。

バッカス神殿

バールベックの遺跡の中で、一番保存状態のよい神殿がバッカス神殿です。

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こちらがバッカス神殿です。
柱や祭壇なども残っていて、内部にも入れます。
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高さ28m、幅34m、奥行き69mもあります。
大きさに圧倒されます。
ここまでよい保存状態で残っているのはすごいです。

バールベックは中東三大遺跡とも呼ばれるだけあり、さすがに見ごたえがあります。
遺跡好きならぜひ行ってほしいところです。

 

世界遺産ビブロス

続いてビブロス観光です。
ビブロスは首都ベイルートから北に30kmの地中海沿い位置しています。
ベイルートからはバスで1時間くらいで着きます。

ビブロスの場所はこちら

「ビブロス」の名前は「バイブル(聖書)」の語源となったとも言われています。

もともと「ビブロス」はギリシャ語で「パピルス(書物)」を意味する言葉だったそうです。
そして「ビブロス」から「ビブリオン(本)」という言葉になり、最終的に「バイブル(聖書)」の語源になったと言われています。

ビブロスの歴史

ビブロスはフェニキア人の発祥の地であるそうです。
その後、ローマ帝国、そしてイスラムの支配下となりました。
十字軍の時代には要塞化されたそうです。
しかしその後衰退してしまったそうです。

要塞遺跡

一番目につくのは十字軍時代の要塞の遺跡でしょう。

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いかにも要塞という、武骨な感じの遺跡です。
要塞だけではなく、地中海に面した居住地の跡もあります。
フェニキア時代、ペルシャ時代、ローマ時代、十字軍時代の遺跡が混在しています。
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この写真では分かりにくいですが、青い地中海に遺跡が映えます。
レバノンでは、このように地中海と遺跡が溶け込んだ光景が見所です。

今はまだ政情不安がありますが、平和になってみんなが楽しく旅行ができるレバノンになってほしいです。

世界遺産ティルスの様子はこちら

ヨルダン旅行記 アンマン&死海

アンマンはヨルダンの首都です。
外国の首都の中でも「アンマン」は、子どもでもすぐに覚える町の名前ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れました。

世界遺産ぺトラを観光した後、アンマンを訪れました。
ちなみにアンマンから日帰りで、有名な死海にもいけます。

アンマンの場所はこちら

ヨルダンの北部に位置しています。

アンマンの歴史

アンマンの歴史は9000年前に遡るともいわれるそうです。
アッシリア、ペルシア、マケドニアなどの支配を受け、古代エジプトのプトレマイオス朝の支配下となったときフィラデルフィアと呼ばれたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下になり繁栄したそうで、その際の遺跡も残っています。

また、イスラムの支配下となっても繁栄していたそうですが、度重なる地震や戦乱で衰退してしまったそうです。

第二次世界大戦後の1946年にヨルダンがイギリスから独立する際に、アンマンは首都となりました。
独立当時は2万人しかいなかったそうですが、現在では120万人が住んでいます。

首都アンマン観光

アンマンは多数の丘があります。
その丘の一つにアンマン城跡があります。

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ほぼ廃墟となっているため、あまり建物の跡は見えません。
その中で残っているのが、ヘラクレス神殿跡にそびえる石柱です。

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これは紀元2世紀に建てられたものだそうです。
上に載っている石が落ちそうに見えますが、1800年以上もちこたえてるわけですから、大丈夫なんでしょうね。

そして、この丘の上から町を見下ろすと、ローマ劇場の遺跡が見えます。

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町と遺跡が一体化しています。
アンマンは派手さはないですが、このような光景は一見の価値があります。

死海を観光

死海と言えばイスラエルのイメージ強いかもしれませんが、実はアンマンから日帰り旅行で死海に行くことができます。

死海は湖水の蒸発により塩分濃度が約30%にもなります。
水面浮かんで新聞を読んでいる人の写真など見たことあるのではないでしょうか?

アンマンからはバスで行けますが、複数人いるならタクシーで行ってもいいと思います。
片道1時間程度です。

死海にはリゾートホテルなんかもありますが、バックパッカーなので無料で入れる場所にいきました。

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写真で見ると普通の湖ですね。
ちなみに奥に見えるのはイスラエル側です。

で、とりあえず浮いてみました。

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さすが死海
ちゃんと浮きますね。
新聞は持っていなかったので、普通に浮いている写真のみとなりました。
ちなみに直立しても肩から上が出ます。

本当に塩分濃度が濃いですね。
なめると苦いです。
肌がピリピリしてきます。
長時間入ると、体の水分が抜けて危険なので、さっと入るだけにしましょう。

なお、死海の泥はぬるっとしているのですが、美肌効果があります。
死海の泥パックなんかも売られていたり、エステなんかでも使われているそうです。


ミネラルが豊富に含まれているのが、お肌に効くそうです。
実際、自分自身も死海の泥に浸かっていたお肌がツルツルになりました。
男なので、お肌ケアに興味があったわけではなく、「本当にそんな効果あるの?」と半信半疑でやってみただけなのですが、けっこうビックリするくらいの効果がありました。

女性の方はヨルダンに行ったら、ぜひ死海に行って美肌になってください。
もちろんヨルダン側ではなく、イスラエル側でもOKですよ。

ヨルダンの観光スポットはペトラ遺跡だけでないので、ヨルダンを楽しんでみてください。

世界遺産ペトラ遺跡の様子はこちら

ヨルダン旅行記 世界遺産ペトラ遺跡

中東の国ヨルダン
最近は、ISIL(イスラム国)との戦闘がニュースになっています。
シリアやヨルダンなど、中東の国にたいして、怖い国という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
※外務省の渡航情報では注意喚起レベルなので、そこまで逼迫はしていないようです。

私がユーラシア大陸横断旅行中に訪れた2002年当時は、とても安全な国でした。
また、ヨルダンにはペトラ遺跡死海など見どころも多い国です。

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エジプトからアカバ湾をフェリーで渡りヨルダンに入った後、まず最初に目指したのがペトラ遺跡でした。

世界遺産ペトラ遺跡

ペトラ遺跡はヨルダンの観光地でも一番有名なところではないでしょうか。
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のロケ地になったことで有名です。
(英語ではIndiana Jonesなので、インディアナ・ジョーンズと読みます)

また、新・世界七不思議にも選ばれています。

ペトラは自然の要害であるとともに、交易の要衝として遊牧民のナバタイ人の都として栄えていたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下となりましたが、あまり歴史の舞台には出てこなかったようです。
19世紀になって、スイス人の探検家により世界に紹介されたそうです。

ペトラ遺跡の場所はこちら

国境の町アカバからはクルマで2時間ほどです。

ペトラ遺跡観光

ペトラ遺跡観光の拠点ワディ・ムーサに到着し、バックパッカー向けの安宿に泊まりました。
宿で「インディアナ・ジョーンズの映画を観るか?」と宿の人にすすめられました。
特に観たくはなかったので、観ませんでしたが、見ておいてもよかったかなとも思います。

そして翌日いよいよペトラ遺跡観光です。

宝物殿エルハズネ

ペトラ遺跡最大の見どころがいきなりやってきます。
シークと呼ばれる両側を壁に囲まれた峡谷の道を歩いていくと、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のクライマックスで使われたエルハズネが見えてきます。

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この時点でけっこうテンションが上がります。
徐々に全体像があらわになってきます。

そして、エルハズネの全体が見えました。

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インディ・ジョーンズの世界です。

圧倒されます。
赤い砂岩の壁を削ってこれだけのものを作るのですからすごいです。

写真の左下に人がいるので、その大きさがわかるのではないでしょうか。
ちなみに幅 30 m、高さ 43 mにもなるそうです。
この光景を見られるだけで、ペトラ、ヨルダンに来てよかったと思えました。

数多くの遺跡

しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではありません。
エルハズネ同様岩を削って造られた、ローマ時代などの数多くの遺跡があります。

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ペトラ遺跡はかなり広大な範囲にわたっています。
エルハズネと並ぶ見どころであるエド・デイルはかなり奥、山の上にあります。
1時間半くらいかかったと思います。

こちらがエド・デイルです。
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美しい遺跡なので、長時間歩いた価値があったと思いました。

せっかく長い時間かけて山を登ったので、ちょっと山の上からたそがれてみました。

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私は世界50か国以上を旅行し、色々な遺跡を見てきましたが、ペトラ遺跡は間違いなく上位にランクインされます。

ヨルダンは、現時点の外務省渡航情報では注意喚起までで、シリアのように退避勧告が出ているわけではないです。
とはいえ、現状行きにくい国になってしまっていると思います。
みんながそんなことを気にせずペトラ遺跡を観光できる日が来てほしいなと思います。

首都アンマンと死海の様子はこちら

 

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シリア旅行記 世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

シリアには、天空の城と呼ばれるクラック・デ・シュバリエがあります。
世界遺産の「クラック・デ・シュバリエとカラット・サラーフ・アッディーン」の一部です。
バックパッカー旅行で50か国訪れ色々な城を見てきましたが、その中でもとても美しいお城でした。
私はシリアの観光地の中で、ここが一番好きでした。

クラック・デ・シュバリエ場所はこちら

世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

拠点となるのはホムスという町で、そこから日帰り観光ができました。
この小高い丘の上にある美しい城が、クラック・デ・シュバリエです。

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しかし、空爆によりこの美しい城クラック・デ・シュバリエの一部が破壊されたようです。
とても残念です。
内戦やISILによって、荒れてしまうことが本当に残念でありません。

写真にはあえて載せませんが、クラック・デ・シュバリエに行く途中に出会ったシリアの人々は本当に笑顔がよく、素敵な人々でした。
イスラム教というと怖いイメージを持つかもしれませんが、シリアの人たちはいい人が多かったです。

天空の城?

ちなみにクラック・デ・シュバリエは、ジブリ好きな日本人で、天空の城ラピュタのモデルとも言ってる人もいますが多分違うでしょう。
※以前書いたカンボジアのベンメリアもラピュタのモデルと言われますが、それに比べればまだ現実的かも。いずれにしろジブリの公式見解にはありません。

写真では分かりにくいですが、緑と美しい城のコントラストがとても美しかったです。

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ラピュタのモデルかどうかは別として、なんとも幻想的で素敵なお城です。
観光に来て良かったなー、と心底思いました。

当時のシリアの余談

ちなみに当時クラック・デ・シュバリエを始めとした観光地は通常の入場料と学生料金でだいぶ金額が違っていました。
通常ですと入場料300シリアポンド(US$6くらい)のところが、学生だとなんと15シリアポンド(US$0.3くらい)と1/20の料金でした。
バックパッカーの中ではシリアの学割の話は有名だったので、私はエジプトのカイロで偽学生証を作って使ったのもです。。。深くは突っ込まないでください。。。

美しい風景

シリアは中東なので砂漠のイメージがあるかもしれませんが、実は美しい緑もある国です。
私はちょうど4月といういい季節に行けたので、美しい花も見ることができました。

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緑、黄色、赤の草花の色と空の青がとてもきれいです。

広い大地を車に乗りながら、美しい風景を見るのはとても気持ちがよかったです。
こんな素敵な風景に出会えたシリアは本当に好きな国です。
また旅行できる日が来てほしい、と切実に願っています。

シリアの世界遺産パルミラの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産パルミラ

シリアにある世界遺産の一つがパルミラです。
ヨルダンのペトラレバノンのバールベックとあわせ中東三大遺跡ともいわれている観光スポットです。

ペトラの様子はこちら
バールベックの様子はこちら

メソポタミアやペルシャと地中海の都市を結ぶ、砂漠の中のオアシス都市として栄えていたそうです。
そのため、パルミラにはローマ時代の遺跡が残っています。
※現在は危機遺産となっています。

パルミラ(ホムス県タドムル)の場所はこちら

首都ダマスカスの北東250kmくらいのところ、シリアの真ん中くらいにあります。

パルミラ遺跡

2001年~2002年のユーラシア大陸横断バックパッカー旅行の中で訪れた遺跡の中でも見ごたえがある遺跡でした。

パルミラには美しい柱などが残っています。
これらはの遺跡は紀元前から紀元3世紀ごろまでに建てられたものだそうです。
2000年前の建築物が目の前にあるわけですから、すごいですね。
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広い範囲に神殿やローマ劇場などがあります。
柱が並んでいる列柱道路などは、見ごたえがあります。
当時のアナログ写真をスキャンしたため薄暗い感じの写真しか残っていないのが残念ですが、実物を見ると色鮮やかです。

そして少し離れた岩山の上にはアラブ城と呼ばれる城があります。
Palmyra1
中東の城って感じでですね。
この城の上からはパルミラ遺跡の全体を眺めることができるので、ここからの眺めもとてもよいです。

Palmyra3

砂漠の中に緑があり、オアシス都市ということがわかります。
古い写真で薄暗いのでわかりにくいとは思いますが。。。

パルミラはシリアの中でも、特に有名な遺跡ですので、平和だった2002年当時は観光客がたくさんいました。
有名な観光地のため、観光客向けのラクダ屋が日本語で声をかけてきたものです。
「ラクダは楽だ~」
と、誰が教えたのか、日本語で話しかけてきます。

※パルミラに限らずしょうもない日本語を現地の人に教える人がけっこういます。当時の流行りのギャグとかを教えて、古っ!と思うこともしばしばあります。

このラクダ屋けっこうしつ濃かったです。
バックパッカーの中でもパルミラのラクダやは評判が悪く、私自身も若干切れたのを思い出します。

当時はうざかったのですが、今思うと平和だったからこその光景だったといえます。
楽だ~という人に会いたいわけではないですが、再びシリアに行ってパルミラ遺跡を旅行できる日が来ることを待ち望みます。

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ボスラ

現在のシリアは危険な国になってしまいましたが、もともとは本当にいい国でした。
バックパッカーとして50か国以上旅行しましたが、確実に行って良かった国の上位に来ます。

私は2001年から2002年にかけてユーラシア大陸横断旅行に出ました。
その中でシリアに行ったのは2002年の4月でした。

本当にいい国で、見ごたえのある観光スポットが多く、いい思い出がたくさんあります。
もともとのシリアのよさをお伝えしたいと思っています。

世界遺産古代都市ボスラ

エジプトからヨルダンを経て、シリアに入ったのですが、最初の町がボスラでした。
ボスラってちょっと怪獣的な名前ですね。

ボスラの場所はこちら

ヨルダンの国境からすぐそこです。
車で1時間くらいで、ボスラに着きます。

日本ではあまり知られていないと思いますが、古代都市ボスラは世界遺産になっています。
その歴史は紀元前までさかのぼるそうです。

ボスラ観光

ボスラについて早々町を観光しました。
2002年当時のボスラの遺跡の写真です。

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※あくまでも遺跡の写真ですので、破壊されたわけではありません。誤解のないように。

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ボスラのよかったところは、このような遺跡が町の人にとっては当たり前の光景で、生活に溶け込んでいたことです。

世界遺産の遺跡で、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
外国人観光客に会えるのがうれしいのか、私に寄って来て写真をせびってきたりしました。
※十年以上前とはいえ顔写真を載せるのは控えます。

人懐っこくて、純粋でかわいい笑顔でした。
このような笑顔が、現在のシリアではどうなっているのかが本当に気になります。

ボスラのローマ劇場

ボスラは遺跡とともにある町なわけですが、一番の観光スポット・見どころと言えるのがローマ劇場です。
シリアでローマ遺跡というと意外に思う人もいると思いますが、シリアは古代ローマ帝国の勢力圏内に位置しているのでローマの遺跡がたくさんあります。

そのボスラのローマ劇場がこちらです。
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当時のアナログ写真をスキャンしているので、ちょっと暗いですが、見ごたえがあります。
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半円形で階段状の劇場で、客席は急階段かなりの人数が座れるようになっています。
ローマ時代にここで演劇などがなされていたかと思うと、歴史を感じます。

しかも、現在では到底無理ですが、2002年当時はこの建物の中に宿泊施設があって泊まれました。
世界遺産の中に泊まれるっていう経験ができたのは本当に貴重です。
一泊$10くらいだったと思います。
部屋は簡素でベッドがあるくらいでしたが、世界遺産の中で眠れるだけで価値があります。

泊まれるので、夜中に劇場の舞台に立って、歌いました。
とても気持ちよかったです。

美しい星空を見ながら、世界遺産の遺跡の劇場の舞台で歌を歌うなんて、今では絶対にできない経験です。

本当に、いい思い出です。
初めての町からシリアが好きになりました。

早く平和な状況になって、再びシリアを旅行できる日が来てほしいです。

首都ダマスカスの様子はこちら

カンボジア旅行記 ベンメリア アンコール遺跡

バンテアイスレイの翌日に観光したのがベンメリアです。
もちろんアンコール遺跡群の一つです。

天空の城ラピュタっぽいと言われているところで、近年日本人観光客に人気があるそうです。

ベンメリアの情報

シェムリアップから北東に40km、車で1時間ちょっとのところです。

ベンメリアとは蓮池という意味です。

アンコール・ワットよりも前、11世紀末-12世紀初頭に作られたといわれているそうです。
その規模はアンコール・ワットをしのぐ規模かもしれないそうです。

バックパッカーだった2003年にカンボジアに旅行に来たときには行かなかったので、初めての場所です。
その当時はそこまで有名ではなかったと思います。
当時は道も整備されていなくて、地雷がまだ埋まっており、観光に行く人は少なかったのだと思います。

ベンメリア一日旅行

さて、このような田園風景を眺めながら移動します。

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我々はクルマで移動していたのですが、途中で自転車で移動する欧米人と出くわしました。
地雷がなくなったからこそできるわけです。
平和は大切だな、と思いました。

そして、ベンメリアに到着するとまず蛇神ナーガがお出迎えをしてくれます。

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その後、崩壊した門が待っています。

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なお、これは自然の崩壊ではありません。

ベンメリアはポル・ポト派が逃げ込み拠点としました。
そして、ポル・ポト派を掃討するためにベトナム軍が砲撃した跡です。

遺跡というと自然の崩壊をイメージしますが、ここは人間が崩壊に手を貸してます。
埋まっていた数多くの地雷が撤去され、一般公開された後、この崩壊具合がラピュタっぽいと言われ、人気の観光地となったというのはなんとも皮肉な感じです。

なお、ポル・ポト派は大量虐殺をしたため、カンボジアは年老いた人が少ないです。
ベンメリアに行ける平和な時代になってよかったと思います。

ベンメリア観光

門を迂回して、中に入ります。

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砲撃により崩壊した遺跡に木が絡みついています。

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幻想的な雰囲気が漂っています。
素直にすごいなー、と思える光景が見られる場所です。

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ラピュタっぽいと言う気持ちも分からなくはないです。

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このような光景を見てラピュタのモデルだと言い始めた日本人がいたのでしょう。
しかし、ベンメリアが一般に公開されたのは2000年ごろです。

ラピュタの公開は1986年です。
それまでは地雷が埋まっており、一般人は近づくことができませんでした。
ですので、ラピュタのモデルとなったは明らかに嘘だとわかります。

ベンメリア以外にも、「ペルーのマチュピチュ」「シリアのクラックデシュバリエ」なんかもラピュタのモデルと言われているようです。

ラピュタ以外でいうと風の谷のモデルは「パキスタンのフンザ」「トルコのカッパドキア」なんて話もあったり、「魔女の宅急便の町は「クロアチアのドブロブニク」なんて言われてたりしてます。

今の時代、情報があふれており玉石混交の状態ですが、どれを取捨選択するかは自分自身で判断する必要があるでしょう。
下記公式サイト以外の話は、信用しないほうがよいのでは、と個人的には思います。

スタジオジブリ – STUDIO GHIBLI – 作品の舞台はどこですか?

とはいえ、私はジブリ自体に興味がないのでどうでもよいのですが、楽しみ方は人それぞれ。
日本人はジブリネタが好きなので、このような噂でベンメリアに行く観光客が増え、カンボジアの経済に多少なりとも貢献するなら、それはそれでいいかとも思います。

 

どうでもいいことを書いてしまいましたが、ベンメリアは遺跡と、戦争の傷跡と、自然の力と、今を生きる人の夢が融合した素敵な場所です。
間違いなく観光する価値はあります。

このような幻想的な光景を、それぞれの想いで楽しんでみてください。

アンコール遺跡群は本当に見どころが多いので、ぜひ訪れてみてください。

アンコール・ワットについてはこちら

 

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カンボジア旅行記 バンテアイ・スレイ

アンコール・ワットを見た翌日、今度は少し離れた見所のバンテアイ・スレイを観光しました。
ここもバックパッカーだったころの2003年にも旅行で来ており2回目です。

赤い砂で作られた寺院で、レリーフがとても美しいです。
東洋のモナリザとも呼ばれるデヴァター像(女神像)があり十分に見る価値があります。

バンテアイ・スレイ観光

バンテアイ・スレイシェムリアップから北に40キロほど、車で1時間くらいのところにあります。

967年に建てられたヒンズー寺院で、赤い砂岩でできており、レリーフがとてもきれいな寺院です。
バンテアイは砦、スレイは女という意味で、あわせて「女の砦」という意味だそうです。

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緑の中に赤い遺跡が映えます。
とても美しい遺跡で観光客からも人気があります。
シェムリアップからは少し離れていますが、多くの観光客が来ています。

10年前、2002年はここまで観光客はいなかったと思います。
アンコール・ワットに来る観光客自体が少なかったのと、当時はまだシェムリアップ周辺の地雷の撤去が不充分だったからかもしれません。
今ではすっかり旅行がしやすくなりました。

東洋のモナリザ

バンテアイ・スレイの象徴ともいえるのが、東洋のモナリザとも言われるデヴァター像です。

フランスの作家アンドレ・マルローがこのバンテアイ・スレイの壁面に彫られたデヴァター像に魅せられて、盗んで国外に持ち出した事件がおこったそうです。
その事件により、有名になったため観光地となりました。

Devata1 Devata2

現在はデヴァター像の周りにはロープが張られ近づくことができないため、写真では小さくしか映ってないです。
ちゃんとしたカメラもってなくてスマホで撮ったものなのでご了承ください。

盗みたくなる気持ちも分からなくもない、とてもきれいな像です。

10年前はもう少し近づくことができました。
遺跡の保護のためには仕方ないですね。

レリーフ

バンテアイ・スレイは決して大きい遺跡ではありませんが、その精巧なレリーフは見る価値があります。

入り口の門から見事なレリーフがあります。
門に彫られているのは象に乗るシバ神です。

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ヒンドゥー教の寺院なので、ヒンドゥー教に関するレリーフが色々とあります。
全体的に凹凸や曲線が美しい、精巧な彫りのレリーフです。

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バンテアイ・スレイはシェムリアップの町から少し離れており、オプションツアーになるケースが多いと思いますがm一見の価値はあります。
せっかくシェムリアップアンコール・ワットに旅行に来るのであれば、バンテアイ・スレイまで足を運んでみるとよいと思います。

アンコール・ワットの様子はこちら

 

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カンボジア旅行記 アンコール・ワット

いよいよ今回の旅行のカンボジアメインの観光、世界遺産アンコール遺跡群です。

アンコール遺跡群は、有名なアンコール・ワットだけでなく、アンコール・トム、バンテアイ・スレイ等広い範囲に数多くの遺跡がありますその総称となっています。

入場券の料金は1日券US$20、3日券US$40、7日券US$60です。

とても広く1日ではとても回り切れないので、我々は3日券を購入し3日間観光しました。
顔写真を撮られて、入場券に印刷されるので、複数人での不正利用はできません。

バックパッカーの頃も3日券を買いました。
せこいバックパッカーにとってもUS$40払うだけの価値がある世界遺産です。

アンコール・ワット観光

初日はアンコール・ワットアンコール・トムを中心とする地域を回りました。

アンコール・ワットは世界三大仏教遺跡と呼ばれています。
残り二つはインドネシアのボロブドゥールミャンマーのバガンです。
私は三大仏教遺跡の全てを観光したことがあるので、残り二つについてもそのうち書きます。

アンコール・ワットは12世紀前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、もともとヒンドゥー教の寺院として建てられました。
そしてその後、仏教寺院となっているためヒンドゥー教の色が強いです。

メインであるアンコール・ワットはシェムリアップの町から車で10分程度です。
遠くから、アンコール・ワットの堂々とした姿が見えてきます。

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とても美しいです。
10年ぶり、2回目の観光ですがやはり感動します。

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もう少し近づいた写真です。水面に逆さアンコール・ワットが見えます。

ただ、残念ながら当時一部修復中だったため、緑の建物がありました。
ちょっと違和感がありますね。
でも、10年ぶりに見るアンコール・ワットは素敵でした。

アンコールワット内部とレリーフ

アンコール・ワットの内部に入ると遺跡を間近で見ることができます。

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アンコール・ワットの壁には一面にレリーフが掘られています。

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先ほど書いたように、アンコール・ワットはもともとヒンドゥー教寺院のだったので、レリーフも「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の物語となっています。

中央祠堂

アンコール・ワットの中央に位置する中央祠堂は登れます。

10年前は本当の遺跡の階段を登れました。かなり急で怖かったです。
が、遺跡を守るためだと思いますが、木の階段が作られていました。
それでもけっこう急です。相方は怖いからと登りませんでした。

上からの風景もいい感じなので、高所恐怖症でなければ登ってみて下さい。
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アンコール・トム観光

アンコール・ワットからアンコール・トムへ移動しました。
アンコール・トムはアンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡です。
大きな町という意味だそうです。

南大門

アンコール・トムの入り口が南大門です。

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多くの観光客が訪れています。
左右には蛇神ナーガの胴体を引っ張る神々と阿修羅の像があります。

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南大門には巨大な顔が掘られています。
顔が3mもあるそうです。
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バイヨン

アンコール・トムの中心に位置する巨大な寺院がバイヨンです。

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中央祠堂をはじめ、塔の4面に顔が彫られています。
観音菩薩であろうと言われています。
巨大な遺跡に圧倒されます。

50か国以上を旅行した経験がありますが、やはりアンコール遺跡は見ごたえがあります。

東洋のモナリザと呼ばれるレリーフがあるバンテアイ・スレイやガジュマルの木が遺跡に絡みついているタ・プロームなど見どころが満載です。
1日だけでもかなり充実した観光ができますが、やはり他の地域も含め3日は欲しいところです。

バンテアイ・スレイの様子はこちら

 

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メキシコ ハネムーン(新婚旅行) チチェンイッツァ

ウシュマル遺跡を楽しんだ翌日、いよいよチチェンイッツァ観光です。
チチェンイッツァはマヤ文明の遺跡で、世界遺産にも登録されています。
メキシコの最大の観光スポット、見どころとも言えるところです。

メリダから、チチェンイッツァを観光した後、カンクンに行くルートです。

メリダで泊まっていたホテルHotel El Conquistadorでおいしい朝食を終えた後、チェックアウトをして荷物を持ってロビーで待ちました。

やってきたのは前日のウシュマル遺跡ツアーと同じガイドさんでした。
そして、メンバーも前日と同じスペイン人カップル、コロンビア人カップルと一緒でした。

セノーテ観光

チチェンイッツァに向かう途中でユカタン半島の泉セノーテに寄りました。
セノーテは石灰岩の陥没した穴に地下水が溜まった泉のことです。
幻想的な風景です。

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ただ、多くの観光客が泳いだり飛び込んだりしてちょっと騒がしいです。
我々は飛び込まず、風景だけを楽しみました。
楽しみ方はいろいろですので。

世界遺産チチェンイッツァ観光

セノーテを後にして、いよいよ世界遺産チチェンイッツァです。
メキシコ旅行のハイライトの一つです。

ちなみに入場料はペソ、ドル、ユーロで払うことができます。
レートを計算して有利なもので払ったらよいと思います。

さすがに最大の観光地だけあって、土産物屋がいっぱいです。
日本語で話しかけられますが、基本無視してすすみます。

入り口を入ってしばらく行ったところの柱の跡。遺跡って感じですね。
Chichen8 Chichen2

そしてどーんとピラミッド「エル・カスティージョ」(el castillo)です。

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綺麗なピラミッドですね。
ククルカンの神殿とも呼ばれています。

若干曇ってて写真的にはいまいちですが、暑くなくてよかったです。
昔は登れたそうですが、今は登ることはできません。

春分の日と秋分の日にククルカンの胴体が影となって現れるそうです。
ものすごく天文学が発展していたんですね。

そして建築技術もすごいです。
ピラミッド正面の階段の下では手を拍つと鳥の鳴き声のような音が返ってきます。

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、手を叩いた後、鳴き声のようなものが聞こえます。
チチェンイッツァに旅行に行くなら、ぜひやってみてください。
巨大球戯場です。

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ゴムでできたボールをケツで飛ばして穴に通す競技だったそうです。
で、その結果(勝った方、負けた方、諸説あるみたい)によって生贄になったんだそうで。
命がけの勝負だったそうです。

チャックモールの像

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この上に生贄の心臓をおいたそうで。

セノーテ
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生贄を投げ込んだそうで。

生贄ばっかりですね。
今の時代から見れば野蛮な行為かもしれませんが、当時の文化では神聖な行為だったわけで、時代と共に価値観は変わるのだなと改めて思いました。

カンクンへ

チチェンイッツァを観終わった後、メリダに戻るのではなく、今回のハネムーン(新婚旅行)最後の場所、リゾート地カンクンに向かうことになりました。

2日間一緒だったスペイン人、コロンビア人カップル、ガイドさんとはここでお別れです。
で、カンクンからのツアーバスに乗り替えました。
さすがカンクンからは多くの観光客がいるので、でっかい観光バスでした。

カンクンからの日帰りもよいですが、ウシュマル遺跡も見ることができるので、メリダ⇒チチェンイッツァ⇒カンクンと旅行するルートもおススメです。

テオティワカンウシュマル、チチェンイッツァと世界遺産の遺跡を旅行してきましたが、遺跡巡り旅行は終了です。
最終目的地、カリブ海のリゾート地カンクンに向かいました。

カンクンでのリゾート満喫の様子はこちら

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メキシコ ハネムーン(新婚旅行) ウシュマル遺跡

今回のハネムーン(新婚旅行)で嫁が一番楽しみにしていた、マヤ文明のウシュマル遺跡観光ツアー当日になりました。

ウシュマルは有名な「チェチェンイッツァ」と同じようにマヤ文明を代表する遺跡で、世界遺産にも登録されています。

前日と違い、いい感じに曇りで気温は低めでした。
40℃だとどうしようと思っていたので、助かりました。

ウシュマル光と音のツアー

今回のウシュマル遺跡観光ツアーは、午後にメリダを出発し昼間に普通にウシュマル遺跡を見た後、夜ライトアップされる遺跡を見ることができるウシュマル光と音のツアーというものでした。

このツアーでは日本人ガイドがいなかったので、英語&スペイン語ガイドさんによるグループツアーでした。
一緒にいったのはスペイン人カップルとコロンビアのカップル。
我々以外はスペイン語ネイティブです。

道中、ガイドさんは我々のためにスペイン語の説明の後、英語で説明してくれます。
その英語を嫁に日本語で通訳してました。
一応、それなり?には英語しゃべれます。

世界遺産ウシュマル観光

世界遺産のウシュマル遺跡は、メリダの町から1時間半ほどです。

ウシュマルの遺跡についた後、急遽別の英語ガイドが付いて、スペイン語チームと英語チーム(我々2人だけ)に分かれることになりました。
追加料金を取られるのかと思いましたが、そのままの料金でOKとのことでした。

で、ウシュマル遺跡です。
個人的には今回のメキシコハネムーン(新婚旅行)の中で一番好きな遺跡でした。

メインともいえるピラミッドが、「魔法使いのピラミッド」です。
この魔法使いのピラミッドがカッコいいんです。

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モビルスーツで言うとドムのような重厚感。
ちょっと離れた丘の上から見ると、森の中にそびえたつピラミッドという感じです。
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ピラミッド以外にも様々な建物があります。
壁のレリーフの動物がかわいかったりします。

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こちらはフクロウ

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そしてこちらはカメ。
かわいいですね。

昼食

2時間くらい遺跡を観光しました。
夜のライトアップショーまで、しばらく時間があるので食事休憩がありました。

当然ビールを飲みました。
メキシコにはいろいろなビールがあっていいです。

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ライムスープ 「ソパデリマ」がおいしかったです。

光と音のショー

そして日が落ちて光と音のショーです。

このショーでは物語の音声が流れて、それに合わせてライトアップされます。
一応、英語の翻訳機をレンタルできるはずだったのですが、足りなくなったのか我々は借りれませんでした。
ちなみに残念ながら日本語の翻訳機はないです。
日本人観光客は少ないんですかね。

まだ日が落ちきる前に 席に着き、日が落ちるといよいよショーが始まります。

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いい感じのライトアップです。

そして、物語の音声が流れてきます。。。が、当然スペイン語。
さっぱりわかりません。
ストーリが―まったくわかりません。

しかも雨がふってきました。かなりの豪雨。。。
傘を持っていなかったので、遺跡の通路に入って雨をしのぎながら、ライトアップを楽しみました。uxmaln2 uxmaln3

 

魔法使いのピラミッドもライトアップされてかっこいいです。
やっぱり今回のハネムーン(新婚旅行)で見た遺跡の中でウシュマル遺跡が一番好きです。

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できれば英語の翻訳機を借りるなど、ストーリーがわかったほうが楽しめると思います。

せっかくウシュマルに行くのであれば昼間だけでなく、夜のショーも楽しんでみてはいかがでしょうか。

メキシコではテオティワカンチチェンイッツァなどいろいろな遺跡を訪れましたが、個人的にはウシュマルがおススメです。

チチェンイッツァの詳細はこちら

 

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メキシコ ハネムーン(新婚旅行) テオティワカンとグアダルーペ寺院

メキシコシティ近郊最大の観光地、見どころと言えば、太陽のピラミッド、月のピラミッドがある世界遺産テオティワカンです。

私がハネムーン(新婚旅行)にメキシコを選んだ理由は、リゾート地カンクンがあるとともに、テオティワカンをはじめとしたピラミッド、遺跡が見れるからです。

エジプトのピラミッドもいいですが、メキシコのピラミッドも見ごたえ十分です。
テオティワカンは、メキシコシティの北東約50キロの地点にあります。
おそらくメキシコシティに観光に行く人のほとんどの人が、テオティワカン目的ではないでしょうか?

グアダルーペ寺院 観光

せっかくのハネムーン(新婚旅行)だったので、日本人ガイド付きのプライベートツアーを組みました。

でも、せっかくなら途中にあるグアダルーペ寺院にもぜひ寄ってください。
グアダルーペ寺院は中南米のカトリック教徒にとってはとても特別な寺院だそうです。
観光客も大勢います。

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先住民フアン・ディエゴの前に聖母があらわれ、寺院を建てるように伝えたのですが、司祭にそのことを話しても信じてもらえなかった。だが、その後バラの花をマントに包んで、司祭に渡したらマントにマリアの姿が出たという奇跡があったところと言われ、南米の各地から巡礼にくるカトリックの聖地です。
それを模した像がこちら↓です。

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かなり多くの巡礼者が来ていました。
なんか近代的になってますが、こちら↓が現在の大聖堂です。

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この大聖堂の中では、聖母のマントの写真も撮れます。
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あと、メキシコシティ編でも書きましたが地盤沈下っぷりがすごいです。
これは写真でもわかるでしょう。

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カメラを傾けている話ではありません。
地盤沈下で傾いているのです。
平衡感覚がくるいますので、要注意です。

世界遺産テオティワカン観光

さて、カトリックの聖地巡礼の後はいよいよテオティワカン観光です。
まずはピラミッドを見る前に、壁画などを楽しみましょう

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けっこう色鮮やかに残っているところもあります。

壁画だけでなく、レリーフもよいです。
デフォルメされた感じが、よいですね。

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さて、そのような壁画やレリーフを楽しみつつ、いよいよメインのピラミッドです。

まずは月のピラミッド

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でかいです。高さは47mあります。
このピラミッドはエジプトと違い登ることができます。
そして、登ったところからは太陽のピラミッドと死者の道とよばれる道が見えます。

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この眺めは一見の価値があるので、ぜひ登ってみてください。

そして次は、太陽のピラミッド

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こちらは65mとさらにデカいです。そしてこちらも登れます。

どちらのピラミッドもけっこう急なので、両方登るとかなり足にきます。
実際、最後は足がプルプルになり、翌日は筋肉痛になりました。

でも、登る価値はあると思います。
それに運動後はビールがおいしいですから、ぜひ登ってみて下さい。

ハネムーン(新婚旅行)でメキシコに行くなら、カンクンのリゾートもよいですが、ぜひ遺跡観光もしてみてください。

チチェンイッツァ遺跡はこちら

ウシュマル遺跡はこちら

 

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