ユーラシア大陸横断旅行記 4度目の北京へ

ユーラシア大陸横断の2ヶ国目である中国の入国地、天津を1泊で離れ北京に移動することにしました。
韓国の仁川(インチョン)から天津行の船で知り合った韓国人たちと一緒にバスで移動しました。

天津から北京へはバスで2時間ほどで着きます。
広大な中国大陸の中でいうと、ほんのわずかな距離ですね。
そして北京に到着しました。

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何度も来ているので懐かしい感じでした。

4度目の北京

私の最初のバックパッカー人生は1995年中国、北京から始まりました。
その初めてのバックパッカー旅行が楽しすぎたため、ユーラシア大陸横断の旅に出るほどになったわけです。

やはりバックパッカーになって初めての国、町ということもあり、北京は好きな町の1つです。
そのため、その後も度々訪れ、このユーラシア大陸横断の時に訪問したのが、4回目となりました。

勝手知ったる町ともいえ、いつも泊まっている安宿があったのですが、1泊目は韓国人たちと同じ宿に泊まりました。
翌日、韓国人たちは別の町へと旅立ったため、私は宿を移すことにしました。

京華飯店の20人ドミ

2001年当時、北京を訪れるバックパッカーにとって有名な安宿が京華飯店(ジンホァファンディエン)でした。
当時この京華飯店には20人ドミというのがありました。
とても広い部屋の中の両側の壁に10個ずつ、合計20個のベッドが並べられたドミトリーです。

ドミトリーとは部屋を借りるのではなく、部屋の中にあるベッドを借りる相部屋スタイルです。
日本ではユースホステルなどでしか見かけないですが、バックパッカーにとっては宿代を安くあげられ旅仲間に出会える貴重な存在です。当時の20人ドミは20元(当時のレートで300円ちょっと)で、北京の中では安かったです。

8月に訪れたわけですが20人ドミは安くて人気が高かったので、夏休み期間はいっぱいの時があります。
私は運よくベッドが空いたので、すんなりと入ることができました。
欧米の方などいろいろな国の人がいましたが、日本人の割合が高かったです。

安いだけでなく、バックパッカー仲間に出会えるのがこの20人ドミのいいところ。
何しろ自分以外に19人のバックパッカーがいるわけですから、その中で気が合いそうな人たちと自然と輪ができます。
やはり日本人同士が自然と集まりますね。
これからの旅の予定やこれまでの旅の話などで盛り上がりますし、食事も一緒にします。

また、京華飯店はバックパッカーの中では有名だったので、韓国のソウル出会った日本人数人と再会する場所にもなりました。
同じ方向に進むバックパッカー同士だとけっこうあることですが、複数の町で会うとやはりより仲良くなれますね。
ちなみに今でもこの時に出会った仲間とは、たまに連絡を取ったりします。

女性バックパッカーも意外と多い

バックパッカーの経験がない人には意外かもしれませんが、意外と女性バックパッカーもいます。
当時の20人ドミの中で6,7人は女の子でした。
海外で日本人の女の子と出会うと、自然と仲良くなれるのでけっこう楽しいものですよ。
彼女が欲しい人は、海外で日本人の女の子に声をかけてみるのもいいかもです。
海外で出会った女の子に一緒に食事行きませんか?と聞いても、日本人同士というだけで親近感があるのであまり嫌がられません。

と、ちょっと脱線しましたが、中華料理は人数が多い方が楽しめますので、ドミトリーで知り合った仲間がいるといろいろな料理が食べられて楽しいです。

中国のおすすめ料理はこちら

天安門広場で凧揚げ

北京では万里の長城や、故宮(紫禁城)、頤和園などいろいろな観光地があります。
私は観光地も過去に訪れてたので、この時はあまり観光はしませんでした。

しかし、4度目の北京訪問にもかかわらず、私がまだ成し遂げられなかったことがありました。
それが天安門広場での凧揚げです。

天安門広場は世界最大の広場です。
そんな世界最大の広場で現地の人たちは凧揚げにいそしんでいる姿をよく見かけました。
一回はやりたいなー、と思っていたのでドミトリーの仲間を誘ってみたところぜひやろうということになりました。
というわけで6年越しの夢がかないました。

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凧を揚げるために頑張って走りました。
が、風がないせいか、技術がないせいか、うまくは上がりませんでした。
とはいえ、6年越しの夢がかないとても満足でした。

やっぱり北京は好きな町ですね。
ですが、2001年北京に滞在中に思いがけないことがおこりました。

9.11について

ユーラシア大陸横断旅行記 韓国のソウルから中国の天津へ

ユーラシア大陸横断1ヶ国目の韓国。
首都ソウルでは、いろいろな人と出会いました。
また、ソウルに住む韓国人の友人が数名いたのでその友達たちとも会いました。

ソウルは2回目ということもあり、観光よりもそのような人々と過ごす時間が長かったです。
おいしいものを食べ、仲間たちと過ごす時間はとても楽しいものでした。

とはいえ、まだユーラシア大陸横断の1ヶ国目です。
ここからが始まりのため、名残惜しくはありましたが韓国を離れ、2ヶ国目中国へ向かうこととしました。

仁川(インチョン)から天津へ

ソウルの少し西にある仁川(インチョン)といえば、国際空港を思い浮かべるかもしれませんが、実は港もあります。
仁川港からは中国の大連や天津、青島など中国各地へ向かう国際フェリーが出ています。

ユーラシア大陸陸路横断なので、韓国から中国へも当然船で行きました。
行先は天津です。

ちなみに1995年に初めて天津・北京を訪れたことが、私のバックパッカーの原点でもあります。

仁川から天津までは24時間ほどです。
下関から釜山までと同じようなものです。

船旅での出会い

出国手続きも簡単に終わり、船に乗り込みました。
当然ですが、周りはほとんどが韓国人と中国人でした。

船に乗り込むとすぐに韓国の学生3人が片言の英語で話しかけてきました。
日本人がその船に乗っているのが珍しかったのかもしれませんね。
彼らは英語がうまくなかったので、なかなかコミュニケーションが取りづらかったですが、そこは勢いで何とかなります。
彼らの片言の英語に、こちらは片言の韓国語で答えたりしているとけっこう楽しいものです。

日本でも有名になった辛ラーメンなんかもいただき、助かりました。

学生たちと話をしていると、日本語で声をかけられました。
日本人かと思ったら、日本に8年住んでいたという韓国人のおじさんでした。
流暢な日本語を話す人でした。
彼が通訳してくれたおかげで、学生たちとの話も盛り上がりました。

船旅はこのような出会いがあるので楽しいです。

天津に到着

翌日、天津に到着。
日本語が話せるおじさんが、天津に安い宿があるので一緒に行かないか、と誘われました。
韓国人学生たちも含めて、ついていくことにしました。

正確な場所は覚えていないですが天津駅の傍にあるビルの一角が、韓国人用宿のような感じになっていました。
経営しているのは中国にいる朝鮮族だったのかもしれません。
夕食、朝食がついていておいしい韓国料理が食べられたので、かなりお得な宿でした。

夕食後、観光というほどではありませんが、軽く天津の町をぶらつきました。
このときが2001年、最初に訪れたのが1995年だったので6年たっています。
中国の経済発展は目覚ましく、6年でずいぶん都会になったな、という印象でした。

天津には一泊だけした後、次は北京に向かいました。

北京の様子はこちら

韓国旅行記 首都ソウルと水原(スウォン)

2001年に出発したユーラシア大陸横断の1ヶ国目韓国。

まず下関から船で釜山に入り、その後、古都慶州(キョンジュ)を観光し、最後に首都ソウルにやってきました。

慶州(キョンジュ)からはバスで4時間ほどでした。
※時間をかけたくない人は高速鉄道だと2時間ほどです。

首都ソウルの場所

韓国の首都といえば、誰でも知っていると思いますがソウルですね。
ソウルは韓国のほぼ最北端に位置しています。

北朝鮮がすぐそこですね。

ソウルの日本人宿

実は2001年にユーラシア大陸横断を始める前年にもソウルに訪れたことがありました。
その時に訪れた有名な日本人宿であるゲストハウス、大元旅館(テウォン旅館)に再度泊まることにしました。

大元旅館(テウォン旅館)にはドミトリーがあります。
ドミトリーとは、言わば相部屋のことです。
一つの部屋に複数のベッドがあって、そのベッドを借りる形です。
ですので、シングルの部屋を撮るよりも格段に安い価格で止まることができます。

当然、全然知らない人と同じ部屋で寝るわけです。
でも、安いということとともに、知らない人と知り合えるというメリットがあるわけです。
バックパッカーは安さと出会いを求めていることが多いので、ドミトリーが好きな人も多いです。

私もドミトリーが好きでした。
いろんな人と出会え、友達になり、場合によっては一緒に旅する仲間と出会える場所でもあるからです。
ユーラシア大陸横断していた1年半の間、基本的にはドミトリーに泊まっていました。

大元旅館(テウォン旅館)

慶州(キョンジュ)からバスで4時間当直後にすぐに大元旅館(テウォン旅館)に移動しました。
そして、部屋が空いてるかと聞いたところ、なんと満室!
夏休みだから仕方ないとはいえ、ちょっとなめてました。

どうしようかと困っていると、宿の経営者であるおじさんとおばさんが「私たちの部屋でよければ泊まれるよ」とまさかの申し出。
経営者夫婦の部屋で、添い寝する形で泊めてもらうことができました。
ありがたいものです。

とはいえ、翌朝にはドミトリーのベッドが空いたので、2日目からは添い寝は回避できました。

大元旅館(テウォン旅館)は日本人が多い宿で、私が泊まったときにも学生、社会人旅行者、バックパッカーと10人くらいの日本人が止まっていました。
外国に来てまで、なんで日本人のいるところに行くのか?と疑問に思うかもしれませんが、海外を旅しているとたまに日本人と一緒にいたくなるものです。
言葉も通じて楽ですし、リラックスした気分にもなれるんです。
とはいえ、韓国に入って数日でいきなり日本人宿に行くのもどうかと思いますが、日本人バックパッカーとの出会いもけっこう楽しいものなのです。

この時の滞在でも、学生バックパッカーや、元自衛隊の人、塾の経営者、普通のOLさんなどいろいろな人に会うことができました。

また、日本人だけではなく外国人バックパッカーも少数ですが泊まっていました。
イスラエル人やカナダ人と酒を飲んだり、話をしたりして楽しかったですね。

今でも楽しい思い出です。

韓国料理

韓国といえば、韓国料理。
私にとっては、食事の美味しさでは日本以外では、3本の指に入る国です。
(残り2つは中国とスペインです)

私が一番好きなのは、牛の骨付きカルビを煮込んだスープ、カルビタンです。
それ以外にも、いわゆる焼肉、サムギョプサル、ダッカルビなど、おいしいものがたくさんあります。

そんな韓国で食事するときも、宿の人たちと行けば、いろいろとシェアできるので良いです。
やはり食事を大勢でするのは楽しいですね。

おすすめの韓国料理については別で書いてみたいと思います。

水原(スウォン)への日帰り観光

ソウルには、景福宮(キョンボックン)やソウルタワー、あるいは南大門や東大門などの観光スポットがありますが、以前来た時にすでに訪れていました。

ですので、改めての観光としてソウルの少し南に位置する水原(スウォン)にいきました。
ソウルからは1時間ほどの距離なので、日帰り旅行ができます。

水原(スウォン)には、世界遺産に登録されている「華城」があります。

水原華城 観光

李氏朝鮮王朝末期、18世紀末に建てられた城郭です。

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周りには緑があってきれいな景色が広がっています。

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城壁の長さは5km以上あります。

城郭と、その要所要所に門、砲台、やぐら、兵士の休憩所、軍事指揮所、訓練所などが東西南北に整然と建てられています。

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建物の細部も精細なものです。

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水原(スウォン)はこのような歴史的建造物があり、ソウルからも近いのでぜひ行ってみてください。

あまりソウルのことを書けませんでしたが、ソウルにも観光地はたくさんありますし、料理もおいしいのですきですね。
カジノもあるので、カジノ好きにもよいのではないでしょうか。

そんな韓国を離れ、次に中国を目指します。

仁川から天津行の船の様子はこちら

韓国旅行記 古都慶州(キョンジュ)観光

ユーラシア大陸横断の旅の出発地点である釜山を早々に離れて、慶州(キョンジュ)に移動することにしました。

慶州は古代には新羅王朝の首都だった古都です。
文化遺産も多く、世界遺産に登録されている観光スポットもいくつかあります。

慶州(キョンジュ)の場所

慶州(キョンジュ)は釜山の北に位置しています。

釜山からは、バスでわずか2時間ほどです。
なので、釜山から日帰り旅行も可能です。

ソウルからだとバスで4時間ほどですが、高速鉄道だとわずか2時間ほどです。

私は釜山→慶州→ソウルと移動する予定だったので、慶州(キョンジュ)に泊まって観光することにしました。

慶州(キョンジュ)の町

先ほども書きましたが慶州(キョンジュ)は、紀元前1世紀から10世紀に栄えた新羅王朝の首都として栄えていた町です。
新羅王朝時代の古墳や仏教関連の遺跡などが多数あります。
「屋根のない博物館」とも呼ばれているそうです。

また、「慶州歴史地域」は世界遺産にも登録されています。

けっこう広い範囲に点在しているのですが、がんばって歩いて観光しました。
こんもりとした小さな丘のような古墳がたくさんあって、けっこうおもしろかったです。

なぜか写真を撮っていなかったらしく、写真を掲載できないのが残念です。

世界遺産 石窟庵と仏国寺を観光

「石窟庵と仏国寺」は、韓国で最初に登録された世界遺産です。
どちらも8世紀ごろに建てられたそうです。

私ももちろん観光に行きました。

仏国寺

私は先に仏国寺を訪れました。
仏国寺は慶州の町からバスで1時間程度、吐含山にあります。

仏国寺は仏の世界を現世に再現することを目的として建設されたと言われています。
新羅全盛時代の最高傑作とも言われているそうです。

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こちらの写真は仏国寺三重石塔(釈迦塔)です。
観光客も大勢訪れていました。

仏国寺はかなり広い範囲に、様々な建物や仏像があります。

石窟庵

仏国寺を観光し終わった後、石窟庵に移動することにしました。

石窟庵は仏国寺からさらに山の上にあります。
登山路もあるため歩いていくこともできるのですが、けっこうたいへんそうなのでバスにしました。

石窟庵のバス停に到着しましたが、そこから石窟庵までは1kmくらい歩きます。

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夏だったので、緑が濃かったです。

石窟庵は仏国寺と同じ時期に建てられたそうです。
吐含山の中腹に人工の石窟を作り、高さ3.4mの本尊、釈迦如来座像が安置されてます。

なお、石窟庵は東向きに建てられているので、日の出の名所でもあるそうです。
私は日の出は見ませんでしたが。。。

帰りに関しては石窟庵から仏国寺まで歩いておりました。
下りは比較的楽でした。

そして、仏国寺から慶州の町へとバスで帰ったのでした。

慶州はのんびりした町で、遺跡や文化遺産も多いので観光もできる落ち着ける町でした。
結局私は2泊しました。

次は首都ソウルを目指します。

ソウルの様子はこちら

 

韓国旅行記 ユーラシア大陸横断開始 釜山に到着

ユーラシア大陸陸路横断を目指し、最初に目指した国が韓国でした。

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ユーラシア大陸陸路横断が目標であるたびで、飛行機に乗るわけにはいかないので、日本から韓国へも船で行くことにしました。
下関から韓国の釜山へのフェリーを利用する計画です。

2001年8月7日、当時住んでいた大阪から、まずは下関を目指しました。
いよいよユーラシア大陸横断バックパッカー旅行の始まりです。

下関への移動

新幹線だと高いので、まずは大阪南港から新門司港まで名門大洋フェリーで移動しました。

名門大洋フェリーのホームページはこちら

このフェリーだと7000円弱で新門司までいくことができます。
夕方に出て朝につく夜行フェリーで12時間くらいかかりますが、これから1年半の旅に出るわけですから気にするほどの時間ではありません。

二等の雑魚寝ですが、寝れるので問題なしです。
瀬戸内海を通るので揺れもそんなにありませんでした。

朝方に新門司港に到着。
港に無料バスが待っていますので、JRの小倉駅まで載せてってもらいます。
九州の端っこ小倉から、本州の端っこ下関まではJRでわずか15分ほど、すぐにつきます。

せっかくの下関なのでフグでも食べたいところでしたが、バックパッカーを始めるところだったので贅沢はできません。
安めの食事で済ませました。

下関から釜山へ

下関から釜山へは関釜フェリーを利用しました。
下関を夜に出て翌朝にプサンに到着します。
料金は2等室で1万円程度です。

関釜フェリーのホームページはこちら

下関のフェリーターミナルへ行くと、8割くらいが韓国人でした。
8月は夏休みシーズンであり日本人学生も多いかと思っていましたがそうでもなく、数人程度でした。
欧米人バックパッカーも数人いましたね。

出国審査を終え、フェリーに乗り込みました。
船は大阪南港から新門司行きのフェリーと、大きさ設備面でも大差ありませんでした。
二等席は雑魚寝です。
数少ない日本人バックパッカーたちと軽く話をして、眠りにつきました。

釜山に上陸

朝、いよいよ釜山に上陸。
ユーラシア大陸横断の1ヶ国目である韓国に入りました。
いよいよこれからユーラシア大陸横断のスタート地点についてか思うと、やはり気分が高揚しました。

釜山はソウルに次ぐ韓国第二の都市です。
朝鮮半島の南東の端っこにある港町です。

まずは安宿を探しました。
無事港のそばで安めの旅館を見つけ荷物を置いた後は、観光がてら釜山の町をぶらぶらと歩きました。

第二の都市だけあって、かなり都会です。
港町だけあって、チャガルチ市場という韓国最大級の水産市場もあります。
韓国といえば、焼き肉など肉料理を思い浮かべることが多いと思いますが、海産物も豊富です。

残念ながら写真が残っていないのですが、市場は活気がありました。
アジアを感じられて、なかなか良かったです。

ただ、釜山には長居する気はなかったので、翌日慶州(キョンジュ)へと向かいました。

慶州(キョンジュ)の様子はこちら

バックパッカー旅行記 ユーラシア大陸横断の旅へ

1995年大学時代に初めてバックパッカーとして、中国に行きました。
その時の楽しさが私の人生を変えました。

初めての中国旅行記はこちら

大学4年間の間、休みのたびに東南アジアを中心にバックパッカー旅行に出るようになりました。
4回生のころは、単位も取れていたので1年の半分を海外で過ごしていましたね。

その後、1998年に就職したのですが、バックパッカーとしての魂は消えませんでした。
バックパッカーとして、一生に一回はやってみたいことがありました。

ユーラシア大陸横断旅行

それが、「1年以上の長期旅行」「ユーラシア大陸の陸路横断」でした。

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※このユーラシア大陸横断旅行で私が訪れた国を塗りつぶしてみました。

3年目で退職へ

実は新卒で入社した時から、いずれはユーラシア大陸陸路横断はやってみたいと考えていました。
今思うと、会社にとっては迷惑な新人ですね。

ある程度お金がたまったら、旅に出たいという思いが強かったわけです。
で、思いのほか早くお金がたまりました。
※といってもそんなすごい額ではないです。
ちなみにユーラシア大陸横断旅行の約1年半での費用総額は120万円ほどでした

入社して3年目。
先輩などから仕事を教えてもらって、ようやくこれから戦力になるかも、という段階でした。
もう少し仕事を覚えて実力をつけてからという思いもあったのですが、ちょうどその時期に組織改変の話がありました。

そしてお世話になった上司が移動となり、別の上司がついたのですがどうも性格が合いませんでした。
あまりこの人から学ぶところはないな、と若造が偉そうに思ってしまったわけです。
今思うとすいません、という感じですが。。。

お金もたまって、仕事もイマイチ、ということもあり、であれば若いうちにさっさと夢をかなえてしまおうと会社を辞めることにしました。

両親にも話しましたが、自主性に任せる家庭だったので、「好きにしたら」の一言だけでした。
理解のある両親には感謝しています。

というわけで、新卒3年目、24歳で会社を辞めてユーラシア大陸陸路横断の旅に出ることにしました。

ユーラシア大陸横断旅行の期間設定

ユーラシア大陸横断旅行の期間ですが、2001年8月から2002年の12月までの1年5ヶ月でした。
とりあえず1年以上はかかると思っていたのですが、最大でも2002年の12月には帰る、と決めていました。

理由は何かというと、免許の更新があったから。

実は海外にいれば免許更新時期をずらすことはできるので、関係ないと言えば関係ありません。
ですが、いつまでも海外に居続けるわけにもいかないと思い、区切りの意味もあり最大期間だけは決めておきました。

ちなみにユーラシア大陸横断の期間は最大1年5ヶ月と決めていましたが、海外放浪の期間は29歳までの最大5年間と決めていました。
そうはいっても、もっと早く再就職するだろうと思っていたのですが、結局5年間放浪してしまいました。。。

でも、期間を決めていなければ今でも社会復帰できてなかったかもしれないので、それはそれで良しとしましょう。

旅行の準備

1年半と長期にわたるユーラシア大陸横断旅行ですが、準備についてはほとんどやることはありませんでした。
学生時代から1,2ヶ月単位でのバックパッカー旅行はしていたので、だいたい必要なものは分かってますし、物もそろっています。

1,2か月旅行に行くのも、1年半行くのも、実際にはそんなにかわらないものです。

バックパッカーの持ち物についてはこちら

海外旅行保険には入ろう

そんな中で忘れずに持って行ったほうが良い物、というか契約したほうが良い物が海外旅行保険です。
長期旅行のバックパッカーの人でも海外旅行保険に入ってない人はいます。

ですが、私は必ず海外旅行保険に入るべきだと考えています。

1年半ともなると安いプランでも十数万円します。
それで一回も使わなかったら損だから、と入らない人もいるのですがよく考えてほしいものです。

海外で病気になったり、怪我したりすると保険がききません。
ですので、多額の費用が発生するかもしれないのです。
確かに確率は低いでしょう。
でも、そんなことがおこったらどうしますか?

自分のことだけならば、まだよいです。
死んでしまったときはどうなるでしょうか?
自分は死んでしまって関係ない、と言うかもしれませんが、残された両親や家族はその遺体を回収たりしなければなりませんし、その費用もかかります。
半身不随になったとき、一人で動けないような状態になったとき、もっと費用がかかってしまうかもしれません。そこまで考えて旅行には行くときは海外旅行保険には入ってほしいと思います。

そんな最低限のこともできないで、家族に迷惑をかけ、もしかすると日本の税金を使う破目になるかもしれないようなことはやめてほしいですね。
海外旅行保険をかけない人は、自己責任とか言ってるくせに責任の意味をはき違えている人かな、と思ったりもします。

と、お説教じみた感じになりましたが、私はAIUで1年半の旅行保険に入りました。
こちらから加入できます⇒海外旅行保険のAIU

そしてユーラシア大陸横断へ

というわけで、荷物自体はたいして準備に時間がかかりませんでした。
45ℓのバックパックに、着替えなどの荷物を収めました。
最小限でいえば、パスポートとクレジットカードさえあればなんとかなります。

そして2001年8月7日、ユーラシア大陸横断の旅、最初の国である韓国へ向かいました。
正確に言うと、韓国の釜山(プサン)への船がある、下関に向かいました。

いよいよ1年半にわたるユーラシア大陸横断の旅が始まります。

出発から釜山までの様子はこちら

香港旅行記 2015年

2015年4月に香港を訪れました。
バックパッカー旅行ではなく仕事の関係での出張だったのですが、自由な時間もあったので少し観光もしました。
香港はおいしいものも多いですし、4月はそれほど暑くなくてけっこう楽しかったですね。

仕事のことはさておき、観光したときのことだけをお伝えします。

香港の両替事情

香港では、町中にも多くの両替屋があります。
ですが、そのレートは店によってかなり違います。
特に日本円のレートはその幅が大きいですので、注意したほうがよいです。

意外と空港内の銀行のレートはそこまで悪くはありません。
ある程度は空港で両替してしまってもよいと思います。

で、どこの両替がよいかというと、安宿が集まっているとしてバックパッカーには有名な重慶大廈(チョンキンマンション)です。

重慶大廈(チョンキンマンション)は尖沙咀の駅からすぐのところにあります。
入り口から入るとすぐに両替屋がたくさん並んでいるので、比較してレートがいいところで両替しましょう。

星光大道(アベニュー・オブ・スターズ)観光

香港の半島側、尖沙咀(チムサーチョイ)のビクトリアハーバーに面した公園に星光大道(アベニュー・オブ・スターズ)は人気の観光地です。
MTRの尖沙咀駅、もしくは尖沙咀東駅から歩いて行けます。

星光大道(アベニュー・オブ・スターズ)には香港の映画スターの手形が敷き詰められてたりします。
こちらはジェットリーの手形です。

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ジェットリーの手形以外にもたくさんの手形があります。
そんな中、一番人が集まっているのがブルース・リーの銅像です。

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筋肉の再現の仕方がすごいです。
さすがスターですね。
海に映えます。

有名人の手形や銅像だけでなく、撮影風景を模した像なんかもあったりします。

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観光客はスターになった気分で、記念写真を撮ってます。
一度は見てみてもいいと思います。

香港の夜景

100万ドルの夜景ともいわれる香港の夜景。
香港島にある山、ビクトリアピークからの眺めはとても美しいといわれています。
が、あまり夜景に興味はなかったので、ビクトリアピークには上りませんでした。
その代わりになるかはわかりませんが、尖沙咀からの香港島の夜景は写真に撮ってみました。

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まあ、これはこれできれいですね。

香港の食事

香港といえば広東料理をはじめとしたおいしい料理が満載です。
私は高級なレストランや飲茶などではなく、庶民派の食堂で食べました。

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あんかけ焼きそばもうまかったですよ。

あと、シャコも食べました。

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おいしかったといえばおいしかったのですが、高い割には食べるところが少なかったかも。
店が悪かったかもしれませんね。

もっと人数が多ければ、ちゃんとしたレストランでいろいろ食べたかったですね。
出張なので仕方ないですね。

香港に行くなら大勢で行くことをおすすめします!

 

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台湾も同じく大勢でご飯を食べるほうがよいですね。
香港に行く1ヶ月ほど前に台湾にも行ってきたので、その様子もお届けしています。

台湾旅行記はこちら

台湾旅行記 故宮博物院と淡水

2015年3月台北に3泊4日で行ってきました。

主目的は旅行ではなく展示会視察の出張でした。
とはいえ、2日目には展示会の視察もひと段落して、時間ができたので観光に出てみました。

まずは故宮博物院にいくことにしました。

故宮博物院 観光

台北一の観光スポットともいえるのが、故宮博物院ですね。

台北の故宮博物館は、中国の歴代皇帝の所持品など歴史的価値のある美術品、文化財が展示されています。
蒋介石が国共内戦で不利になった際に、中国本土から台湾へと持ち出したものです。

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故宮博物院への行き方

なお、故宮博物院に安くいきたければ、MRTの淡水線で士林(シーリン)までいき、そこから路線バスで行けば安上がりです。
バックパッカーではなく、社会人のしかも出張なのにその経路で行きました。
そはいえ、台北はタクシーも安いので、士林からタクシーでも大した金額にはなりません。

タクシーなら約120台湾元(約350円)でバスならば15台湾元(約40円)くらいです。

故宮博物院の逸品

故宮博物院には膨大な量の展示品があります。
好きな人は1日あっても足りないでしょうね。

私はそこまで時間をかけるほうではないのですが、それでもこれはすごいというものをお伝えします。
残念ながら、中は撮影禁止のため写真はありません。

翠玉白菜
もっとも有名なのが、天然の翡翠と玉の混ざり具合を巧みに利用した白菜の彫刻ですね。
繊細な彫刻で、翠玉巧彫の最高傑作と言われています。
実際すごいですし、きれいです。
この翠玉白菜は別格の扱いなので、長蛇の列ができています。
並んで順番に見るのですが、混んでいるとほとんど歩きながらしか見れません。
ですので、混んでない時期とか時間帯を狙うべきでしょうね。

肉形石
翠玉白菜と並ぶのが、その名の通り肉の形をした肉形石です。
肉は肉でも東坡肉(豚の角煮)そっくりでとても美味しそうです。
ちなみに東坡肉(トンポーロー)は中国の杭州の名物料理でおいしいです。
東坡肉の詳細はこちらから

彫象牙透花人物套球
上記の2つもよいですが、私が一番好きなのが彫象牙透花人物套球です。
象牙の彫刻なのですが、球の中に球がありそれが21個もあるのです。
どうやってこんなの作ったんだろうと思います。
親、子、孫三大にわたって完成されたものだそうです。

故宮博物院は中国の悠久の歴史を感じられますね。

淡水(タンシュエ)観光

淡水は台北の郊外にあり、かつて貿易港として栄えた町です。
ウォーターフロントの町で、台湾のベニスと言われたりするほど美しい町です。

台北から簡単に日帰り観光ができますし、故宮博物院を見た後に行くと方効率的です。

MRTの台北駅からは、40分ほどです。

台北の人のデートスポットにもなっているそうです。

淡水の商店街

淡水の駅に到着すると、活気のある商店街がお迎えしてくれます。

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道の両側には、食べ物屋や雑貨屋などとてもにぎわっています。
ちょこちょこつまみながら歩くのもいいですね。

ついたのが昼だったので、食堂に入りました。
牛肉麺を頼もうとしたら、食堂のおばちゃんにすすめられて半筋半肉麺を頼みました。

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関西人なので筋肉も大好きです。
ということもあり、とても美味しかったです。
あっさりあじですが、出汁がきいてますね。

紅毛城

淡水駅からバスで10分くらいですが、ぶらぶらと川沿いを散歩しながらいくのもよいです。

17世紀にスペイン人により築かれた城です。
その後、19世紀からはイギリスが領事館が置かれました。
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ヨーロッパ風建築がいい感じです。
建物の中にも入ることができます。

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庭園もいい感じですね。
私が行ったときは遠足なのか、多くの小学生も訪れていました。

紅毛城は小高い丘の上にありますので、景色もよいです。

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故宮博物院や淡水など、台北の中心地からも素敵な観光地があります。
台北はご飯もおいしいし、いい町ですね。

台北の町中の様子はこちら

 
台北のホテル予約はこちらから↓↓

台湾旅行記 台北2015年

2015年3月に台湾の台北に3泊4日で行ってきました。

実は展示会視察の出張だったので、本当は仕事です。
でも、自由時間もけっこうあったので観光もしてきました。

バックパッカー旅行ではありませんが、台北は楽しかったです。

台湾の台北へ

台北までは東京から飛行機で約4時間です。
羽田からも直行便があるので、都心に住んでいるにとにもアクセスしやすい町ですね。

飛行機はチャイナエアラインでした。
ちなみにチャイナエアラインは台湾の航空会社で、エアチャイナ(中国国際航空)とは別です。
間違えがちですが、覚えておいてください。

チャイナエアラインは機内食もおいしくて、CAさんもいい感じなので結構好きな航空会社です。
ビールもでるのですが、行きは仕事が待っていたため飲むのをしぶしぶあきらめました。

台北到着

羽田からの飛行機は台北松山空港に到着します。
台北松山空港は比較的市街地にあるので便利です。

もう一つある台湾桃園国際空港は若干遠いです。
※東京の羽田と成田みたいな感じですね。

仕事もの目的が台北で行われている展示会の視察でした。
展示会目的で気に各地からビジネスマンが集まっているため、ぎりぎりで展示会視察を決めた時にはまともなビジネスホテルはいっぱい。

しかたなく、西門(シーメン)という地域の安めのホテルになりました。
台湾の安めのホテルは、ビル全体がホテルなのではなく、ビルの一フロアがホテルになる形式です。
※とはいえ、元バックパッカーの私にとっては全然OKなホテルでした。

 

西門(シーメン)

西門は「台北の渋谷」とか、「台北の原宿」と言われるように若者の情報発信の場所だそうです。
そんなところに、おっさんが行くのもどうかと思いますが、ほかのホテルが取れなかったので仕方ないわけです。

チェックインを終えてとりあえず外出して、西門の町を見てみました。
すると、西門の町には萌えキャラがいました。

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日本のアニメ文化が浸透しているあたり、さすが台湾は親日ですね。

そんな西門付近を散策しているとこんな看板がありました。
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美容整形の看板ですが、「人工進化女神」っていうフレーズが秀逸です。
台湾の人の感覚だとこういう表現がいいんでしょうね。
外国に来ると、看板のセンスも違うのでおもしろいですよね。

超高層ビル 台北101

台北101は、超高層ビルです。
高さ509.2mで、地上101階、地下5階です。

私が視察する展示会が、台北101近くの台北世界貿易中心(ワールドトレードセンター)で開催されていたたので、ついでに写真を撮りました。

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さすがにでかくて首が疲れます。
展望台もあるですが、行きませんでした。

台湾グルメ 台北の食事

台湾といえば鼎泰豊の小籠包が有名ですね。
私もいちおう鼎泰豊の前まで行ったのですが、めちゃくちゃ人が並んでました。
日本人観光客が多いみたいですね。

で、並ぶのが嫌いなので、どうせそんなに違いはないだろうと思い鼎泰豊はやめて近くの店に入りました。
で、小籠包を頼みました。

IMG_1006

まあ、悪くはなかったのですが、鼎泰豊のほうがおいしいのかなー、という思いも若干ありました。
次に蟹シューマイを頼みました。

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こらがおいしかったので、この店でよかったと思いました。

台湾は食事がおいしいですね。
大陸中国の中華料理もおいしいですが、台湾料理はわりとあっさり目でおいしいです。
中国のおすすめ料理についてはこちら

麺線(ミェンシェン)

台湾通の人に教えてもらったのですが、麺線という台湾のソウルフードがあると聞きました。
その中でも老舗という「阿宗麺線」が、泊まっていたホテルの近くにあったので行ってみました。

若者がファーストフード感覚で食べるみたいで、多くの若者がいました。

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そうめんのような細いめんに、ホルモンの入ったとろみのあるスープがかかっています。
コクがあっておいしかったです。

やっぱり台湾は楽しいですね。
次は、ちょっと離れた観光地についてお伝えします。

故宮博物院と淡水についてはこちら

台北のホテル予約はこちらから↓↓

中国のおすすめ料理 各地の名物料理編

私はバックパッカーとして中国には6回訪れ、合計で6か月くらい滞在しました。
北京や上海はもちろん、四川、新疆ウイグル自治区などいろいろいきました。

中国はとても広いので、各地にいろいろな名物料理があります。

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私が食べた中でのおすすめの名物料理をお伝えします。

北京:北京烤鴨(ベイジンカオヤー)

北京ダックです。
パリパリに焼いた鴨の皮を削ぎ切りにして、餅(ピン:日本の餅ではなく薄い小麦粉の皮)の上にネギと甜麺醤を一緒に乗せて丸めて食べます。
北京ではファーストフード的な感じで出す安い店なんかもありますが、やっぱりここは全聚徳など、それなりのところで食べたいですね。
中国では日本より格安で食べれますので、バックパッカーだった私も食べました。

成都:麻婆豆腐(マーボードウフー)

四川料理の本場成都にある麻婆豆腐発祥の店、陳麻婆豆腐店で食べましょう。
麻婆豆腐は唐辛子の辛さもあるのですが、花椒(山椒の仲間)がきいていて舌がビリビリと痺れます。
この痺れる感じを中国では麻(マー)といいます。
甘い、辛いという感じと同様に、痺れるというのも味覚の一つです。

最近は日本でもだいぶメジャーになってきたかなと思いますが、苦手な人は苦手かも。
でも、私はこの本場のビリビリする麻婆豆腐のほうが好きです。

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※こちらは日本の陳麻婆豆腐店の写真です。
花椒をさらに追加しました。

日本でよく食べられる麻婆豆腐は陳建民がアレンジしたものですね。
ちなみに坦々面も、日本で食べられているスープ入りのものは陳建民がアレンジしたものです。
料理はその地域や風土、味覚に合わせて変遷していくもので、なにが正当っていうものではない気もします。

成都:担々麺(タンタンミェン)

本場成都の坦々面は汁無し。
小さいお椀で軽く食べるおやつみたいな感じです。
成都に行ったらせっかくなので、坦々面も食べて見ましょう。

杭州:東坡肉(トンポーロウ)

豚の角煮の起源といわれる料理です。
杭州は上海から2時間くらいで着く町です。
煮込んだ後、蒸すようです。(食べたのですが蒸したかどうか破棄にしてなかった)
うまいです。

新疆ウイグル自治区:羊肉串(ヤンロウチュェン)

シシケバブですね。
羊肉を鉄串にぶっ刺し、香辛料をまぶして焼くものです。
もともとはイスラム圏(中国の中で言うと新疆ウイグル自治区)の料理ですが、中国全土に広がっています。
羊肉は臭いがありますが、香辛料でカバーしてます。
安い、早い、うまいです。
においが苦手な人も多いですがが、試す価値はあると思います。

新疆ウイグル自治区:ラグマン・拌麺(バンミェン)

ウイグル語ではラグマン、中国語では拌麺です。
聞いたことない人も多いと思いますが、中央アジアでよく食べられる麺です。
意外ですがトマトベースのソースです。
イスラム圏の料理のため、羊肉を使用します。
そのためちょっと臭いがきつい場合もあるので、苦手な人もいるかもしれません。
でも、トマトソースのうどんみたいでけっこうはまります。

残念ながら上海で上海蟹は食べておらず、広東行ってないので、広東料理も食べてません。
上手いと聞くので、いずれ食べてみたいですね。
ここまで読まれてがっかりした人は、ぜひ現地で上海蟹とかフカひれとか食べてみてください。

でも、実はその辺の食堂で食べられるものにもおいしいものは多いです。

中国のおすすめ料理 食堂編

中国のおすすめ料理 食堂編

私はバックパッカーとして中国には6回訪れ、合計で6か月くらい滞在しました。
もちろん滞在中はほとんど中華料理です。
でも中華料理が大好きなのでなんの苦痛もありません。

中華料理はおいしいですね。

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たくさん食べた中で、私のおすすめメニューをお伝えします。
今回はバックパッカーの懐にやさしい一般的な食堂の料理をお伝えします。

中国語の読み方についても記載しましたのでご参考にしてみてください。

一品料理

西紅柿炒鶏蛋(シーホンシーチャオジータン)

トマトと卵の炒め物です。
初めて食べたときはビックリしました。
イタリアンでもないのにトマトを料理に使い、しかもめちゃくちゃうまい。
家常菜(ジアチャンツァイ)と呼ばれる家庭料理です。
その辺の食堂で食べれます。
たいがいどこで食べてもうまいです。
ちなみに「西紅柿」がトマト、「炒」はそのまま炒める、「鶏蛋」は卵です。
中華料理のメニューは日本人には分かりやすいと思います。

魚香茄子(ユーシアンチエズ)

日本でいうところの麻婆茄子に近いです。
※麻婆茄子という料理名は中国では存在しません。
魚香といっても魚の料理ではなく、泡辣椒(パオラージャオ)という唐辛子の塩漬けした調味料を使います。
茄子は油との相性がよいので、中華料理の茄子はとてもおいしいです。
もともと茄子が苦手だったのですが、中国で初めて魚香茄子を食べた後、大好きになりました。

紅焼茄子(ホンシャオチエズ)

同じ茄子料理ですが、こちらは醤油煮込みになります。
とはいえ、唐辛子も使うのでちょっとピリ辛です。
いずれにしろ、中華の茄子はうまいです。

鍋巴(グオパー)

おこげの餡かけです。
多くのお店ではご飯のおこげを皿に盛った後、テーブル上で餡をかけます。
ジュワー、パキパキパキ、という音がして、視覚的にも聴覚的にも刺激されます。
グループで行って頼むと盛り上がること間違いなしです。

糖醋里脊(タンスーリージー)

日本でいうところの酢豚です。
ただ、野菜などは入っていなくて、揚げた豚肉に甘酢を絡ませたものが多いです。
うまいですよね。

宮保鶏丁(ゴンパオジーティン)

鶏肉のピーナツ炒め(鶏肉のカシュ―ナッツ炒め)
基本的にははピーナッツです。
四川料理なのでピリ辛でおいしいです。

青椒肉絲(チンジャオロースー)

日本でも有名ですね。
でも、日本では牛肉を使うことも多いですが、中国では豚肉です。
青椒がピーマン、肉絲は肉の細切りという意味です。
無難にうまいです。

主食系

一品料理だけでなく、一人でランチを食べるときなどの強い見方が炒飯や麺ですね。
おすすめの主食系料理をお伝えします。

蛋炒飯(タンチャオファン)

そのまま、卵チャーハンです。
シンプルですがうまいです。
そして安い。

揚州炒飯(ヤンジョウチャオファン)

五目チャーハンです。
卵だけじゃちょっと寂しい人はこちらをどうぞ。

水餃(シュイジャオ)

水餃子です。
皮が厚く、プルプルしててうまいです。
中国では餃子と言えば水餃子です。

焼き餃子は鍋貼(グオティエ)と言います。
某餃子の○○で、「イーガーコーテー」っていうときのコーテー部分ですかね。

ちなみに中国では餃子は主食です。
餃子をおかずにご飯は食べません。
日本人がよくやる、餃子にラーメンに炒飯のセットなどは、中国人が見るとビックリします。
日本人は炭水化物が好きですね。

余談ですが、私は大阪出身ですが、お好み焼きとご飯は一緒に食べません。

刀削麺(タオシャオミエン)

日本でもメジャーになってきました刀削麺です。
小麦粉の塊を湾曲した包丁で削る麺です。
プニプニにした触感が好きです。
スープはいろいろあるのでお好みで。
麺類には香菜(シャンツァイ)いわゆるパクチーが入ることが多いので、苦手な人は「不要香菜(プーヤオシャンツァイ)」と言いましょう。

いわゆるラーメン的なものでは牛肉麺がありますが、ラーメンは日本のほうがうまいと思うので私は好んでは食べません。
どうでもいい話ですが、中国では「麺」は「面」と書くので、牛肉面の文字を見て「牛肉づらって何?」と言ってる人がいました。

包子(パオズ)

肉まんですね。
手軽に食べれますし、安いです。
朝飯に軽く、なんて食べ方もよいですね。
その辺の屋台で売ってます。

素菜包子(スーツァイパオズ)という「野菜まん」もあります。
包子の具がないものを饅頭(マントウ)といいます。
日本のまんじゅうとは違いますのでご注意を。

また余談になりますが、饅頭の起源は、私も好きな三国志の諸葛亮が南征時に作ったっていわれてますね。

米飯(ミーファン)

最後になりますが、白米、ご飯のことは米飯(ミーファン)と言います。
が、やっぱり日本の米がうまいですね。

お米にこだわりがある人には、中国で食べる中華料理と一緒に味わうのはビールのほうがよいかもしれませんね。
私はお米にそこまでこだわりはなかったですが、ビールばかり飲んでましたが。。。

中国 北京のおすすめ観光地 見所ベスト5

バックパッカーとして初めて訪れた町が北京で、その旅行の印象が強くてバックパッカーになりました。
私の人生を変えた町、私のバックパッカーの原点と言えます。

様々な魅力的な観光地、見所があります。
これまでに50か国以上行きましたが、北京は好きな町です。
好きな町なので、これまでに何度も訪問しました。

今までに何度も北京を訪れた私のおすすめの観光地ベスト5をお伝えします。

1位:景山公園

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景山公園は故宮(紫禁城)の北に位置する公園です。
写真のように小高い丘の上から故宮(紫禁城)の全体を眺めることができます。
その光景は圧巻です。
また、北京市民の憩いの場となっており、朝は太極拳をしている人達なんかが多くいます。

私は一番好きな場所ですね。

景山公園の詳細はこちら

2位:頤和園

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頤和園は、世界遺産にも登録されてる庭園です。
頤和園には外周6kmもある人工の湖、昆明湖があるとてもきれいな庭園です。
冬は湖が凍って上を歩くことも可能です。

のんびりと歩きながら、美しい庭園を眺めるのが好きです。

頤和園の詳細はこちら

3位:万里の長城

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言わずと知れた世界遺産。
世界で一番長い建築物です。
北京から日帰りで行くことができます。
観光地だけあって人は多いですが北京に行ったら、見ないわけにはいかないですね。

万里の長城の詳細はこちら

4位:故宮(紫禁城)

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故宮(紫禁城)は清の時代、皇帝が住んでたところです。
ここも世界遺産です。
個人的には景山公園からの眺めが好きですが、一度は中に入ったほうがよいと思います。
映画ラストエンペラーに出て来た光景なども見ることができます。
中国皇帝の権力のすごさを実感できます。

故宮(紫禁城)の詳細はこちら

5位:天安門 天安門広場

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故宮(紫禁城)の入り口である門が天安門です。
赤い壁に巨大な毛沢東の肖像画が見れます。
天安門の南に位置する天安門広場は世界一広い広場とも言われています。
日の出と日の入り時にある国旗掲揚式と国旗降納式は見物です。

天安門の詳細はこちら

というわけで、北京のおすすめ観光スポットを5つ選んでみました。
私の個人的な順位ですが、ご参考にしてみてください。

観光地としては上記の5つですが、ご飯がおいしく、ビールも安いなどその他にも魅力的なものがいろいろありますよ。

中国バックパッカー旅行記 洛陽 嵩山少林寺

少林寺は日本人にとっても、馴染みのある名前ですよね。
ジャッキー・チェンの「少林寺木人拳」やジェット・リーの「少林寺」といった映画にもなっていて、嵩山少林寺は武術の中心地として有名だと思います。

もうちょっと最近だと、少林サッカーなんて映画もありましたね。

ただ、日本で知られている「少林寺拳法」は、実は20世紀初頭に日本で創始されたものです。
ですので、嵩山少林寺の武術とは別のものだそうです。

そんな嵩山少林寺を観光したのは、1995年のことです。

嵩山少林寺の概要

冒頭にも書きましたが、少林寺と言えば武術で有名ですが、少林寺拳法とは別物です。

禅宗の開祖達摩大師が修行したお寺と言われています。
達磨太師が壁に向かって9年間座禅し、二祖慧可が訪ねて達磨の教えを求めたといわれる場所です。

また、嵩山自体が道教の聖地ともいわれる五岳の一つとされています。
(他の4津は、泰山、衡山、華山、恒山)

嵩山少林寺への道

嵩山少林寺は古都洛陽から東に55kmのところに位置しています。
古都洛陽からは日帰り観光で行けます。

私と一緒に言った学生バックパッカーは、中国人観光客向けの現地ツアーで行きました。
外国人は我々だけでしたので、物珍しそうに周りの中国人から見られました。
喋りかけてくるのですが、当時の私はほとんど中国語が喋れなかったのであまりコミュニケーションはとれませんでした。
ですが、みんな我々気遣ってくれていい人たちでした。
中国人といえば、我が強く、マナーが悪いイメージですが(実際そうなのですが)、一般の方はやさしい方も多いです。

洛陽から嵩山少林寺までは、2時間くらいです。
中国製のオンボロマイクロバスで移動です。
1995年当時観光地の入場料には中国人料金と外国人料金がありました。
1995年当時の中国の様子はこちら

ですが、周りの中国人が優しくて中国人料金で入れてやるから絶対喋るな、と言ってくれました。(ほぼゼスチャーでのコミュニケーションです)
そして無事中国人料金で入場できました。
感謝です。

で、少林寺の入り口です。

少林寺観光

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少林寺内に入ると、広場で本当に修行僧たちが武術の修行をしてました。
映画で見たような光景で、けっこう感動しました。
小学生くらいの少年僧もいました。

※残念ながら、少林寺の中に入った後の写真は残っていませんでした。

また武術ショーなどもやっていましたが、それほど大がかりなものではありませんでした。
今では外国人観光客がたくさん訪れているようですが、1995年当時は外国人観光客はあまりいませんでした。

嵩山少林寺の建物は赤い壁の中国寺院です。
達摩大師が修業したというだけに歴史を感じられる作りです。
武術だけでなく、建築物や仏像なども見る価値がありますね。

今ではかなり観光地化されており、商売色が強くなっているそうですが、当時はそこまでの商売っ気はなかったです。
そう言う時期に行けたのはよかったなと思います。

洛陽の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 古都洛陽の龍門石窟と関林堂

もともとの中国滞在期間を一週間延長し、北京から鉄道で12時間。
その時の様子はこちら

中国の古都、洛陽に到着しました。
「洛陽」という言葉は、中国歴史好きにはたまらない響きです。

私は三国志が好きだったことが中国に来る動機となったくらいの三国志好きでした。
三国志などの中国の歴史好きにはたまらない?洛陽の観光についてお伝えします。

洛陽の場所と歴史

洛陽は首都北京から南に800Kmくらいにある内陸にある町です。

洛陽は古代から、しばしば中国王都の首都となりました。

古くは東周(紀元前1046年頃 – 紀元前256年)の時代に、洛邑と呼ばれる首都でした。
その後も、後漢や西晋、北魏、隋、後唐の首都となっています。
歴代の中国王朝の首都としては、長安(今の西安)と並ぶ存在です。

そんな洛陽に三国志好きだった私は、1995年初めてのバックパッカー旅行中に訪れました。

洛陽を訪れてみると、北京に比べるとだいぶのんびりした町でした。
宿は新市街だったのですが、旧市街にいくと古風な町並みがみれました。
1995年当時、人民服の人も北京より多かったかなと思います。

龍門石窟 観光

洛陽の最大の見所、観光地は世界遺産にもなっている龍門石窟です。
中国三大石窟のひとつであり、世界遺産にも登録されています。

ちなみにもう二つは、敦煌の莫高窟と大同の雲崗石窟です。
このときの旅行ではありませんが、私は三つとも訪れました。
三大○○といわれるとなんか気になってしまいますよね。

龍門石窟は北魏の時代から唐の時代まで約400年にわたって作られた仏教遺跡です。
伊河という川の岸にある壁に蜂の巣のような穴がに彫られ、その中に無数の仏像が彫られています。

仏像を近くから見るのもよいのですが、対岸からの眺めもすばらしいです。
蜂の巣のような無数の穴が開いた壁が一望できます。

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この穴の一つひとつには仏像が彫られているんです。
その数は全部で10万体とも言われています。

小さな仏像が多いのですが、17mもある大仏もあります。

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この大仏はとても大きくて迫力があるのですが、優しい顔をしており、親しみやすい感じでもあります。
龍門石窟には大小さまざまな仏像がありますが、非常に美しいものが多いです。

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ここまでの穴を掘って仏像を彫るのにはどれだけの人がかかわったのでしょう。
昔の人のすごさと、中国の歴史を感じられます。

滞在を延ばしてまで行ってよかったと思います。

関林堂(関帝廟)観光

洛陽は古都だけあって、そのほかにもいろいろと見所、観光スポットがあります。

その中でも三国志好きにとって、関心が高いのがのが関林堂(関帝廟)
三国志の武将、関羽の首塚として、関羽を祀る関帝廟です。

関羽といえば、三国志演義では青龍偃月刀を振りかざす豪傑というわけで、この関林堂にもあったりします。
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いちおう触ってみましたが、めちゃくちゃ重くて持ち上げることはできませんでした。
もちろん実際の関羽が使ったものではありませんよ。

三国志が好きな人にはたまらない観光スポットではないでしょうか。
私は関羽が嫌いなのですが三国志は好きなので、三国志ゆかりの地に足を踏み入れるのは感慨深いものがありました。

ぜひ、歴史ある洛陽も訪れてみてください。

嵩山少林寺についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 帰国を延期し北京から洛陽へ

私にとっての初めてのバックパッカー旅行で予定していた1週間北京旅行はあっという間に過ぎてしまいました。
故宮(紫禁城)万里の長城など見所も多いし、街中も楽しいしであっという間に過ぎました。

そのときに一緒に旅行していた先輩の都合で現地滞在1週間だったのですが、私はもう少し中国に滞在したくてしょうがなくなりました。

中国からの帰りも行きと同じ燕京号での船旅です。
既に日本で往復でチケットを買っていました。

中国滞在を延期

が、どうしても中国にいたかった私は、帰国便を1週間ずらせないか運行会社に聞いてみました。
すると追加料金500円で、便を変更できるとのこと。
「では、1週間伸ばしてくださいと」二つ返事でも1週間中国滞在が伸びました。

ちなみに私が本来乗るべき船便に乗っていないことを旅行会社が失踪と間違え、家族が心配したということを帰国後知ることになりました。
先に帰国する先輩に日本についたら言っておいてといってたのですが、先輩が日本につく前に旅行会社から連絡がいくとは想定外でした。

当時はメールもなかったですからね。
皆さん家族を心配させないようにちゃんと連絡しましょう。
今ならメールなんかで簡単にやり取りできるんですがね。

北京からの行き先

さて、1週間延期することとなり、北京だけではもったいないのでどこか別の町に行くことにしました。

どこに行くかはいろいろと悩みました。
あまり遠いところは移動時間がかかりすぎ、無理だなと思いました。
なにしろ中国は広いですからね。
ちなみに1995年当時、北京から雲南省の昆明までの列車は72時間でした。

そこまでの時間はかけられないので、移動時間は12時間以内くらいにしようと思いました。
そんな中で選んだのが、洛陽です。
12時間でも十分遠いかもしれませんが、その当時は近いなーと思ってました。

洛陽を選んだ理由ですが、洛陽は中国の古都、歴史にも出てきますね。
私が好きな三国志にも出てくる後漢時代の首都ですし、列車は12時間程度で近い?し、龍門石窟少林寺黄河などの見所も多いです。
ちょうど船で知り合った学生バックパッカーさんの一人も行きたいということだったので、洛陽一緒に行くことにしました。

北京から洛陽への切符購入

移動手段は鉄道です。

1995年当時の中国のはオンライン化などはまったくできておらず、席の予約は駅ごとの割り当てが決まっている状態でした。

東京から新大阪への新幹線の指定席について例えてみると、
「東京から名古屋までは空席ありますが、東京から新大阪までの分は満席です。なので、東京から新大阪までは満席です」
というようなことが言われた状態でした。
実は名古屋でたくさん降りるので、じつは名古屋から新大阪までにも空席はできるはずなのですが、その実態を東京が把握できていない、そんな感じでした。
※説明がわかりにくい?

何にしろ、1995年当時の中国では、途中下車する人などの情報はリアルタイムでわからないので、あらかじめ割り当てられた席で販売するしかなかったのです。

中国の長距離列車は前、日本では考えられないような長時間の移動が普通です。
72時間の列車などもあるわけです。
駅もたくさんある中で非効率な割り当てが行われてたわけです。

そんな状況なので、中国で長距離鉄道の切符を買うのはとても大変だという話を聞いてました。
覚悟を決めて切符を買いに向かいました。

現在の長距離鉄道は北京西站(駅)からが多いのですが、当時は北京西站がなく全部北京站からでした。

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北京站はとても巨大な駅です。

その北京站の長距離の切符を買う売り場は長蛇の列です。
特に寝台を買おうとすると1週間以上空きがなかったりというのが当たり前でした。

寝台は「硬臥」(インウオといいます)取れれば相当ラッキーです。
そして、「硬座」(インズオ)というのが新幹線の指定席です。

そしてそれも取れないと「無座」となります。
文字通り、座席がないため自由席的な感じになるわけなのです。

ちなみに当時の硬座の乗車率は、日本の年末年始の新幹線の乗車率を越えます。
つまり基本的に座席は埋まっているため、無座はそれ以外の空間はなわけです。
しかも、年末年始の新幹線以上の込み具合なわけです。
そして、12時間以上の移動になるわけです。。。おそろしいですよね。。。

要は「硬臥」(寝台)はもとより、硬座指定席ですら、席が確保できているということ自体がたいへんだったのです。

外国人窓口

しかしながら、外貨獲得のために観光収入は重要なわけで、外国人専用窓口というのがありました。
そこは中国人の枠とは別に外国人用の席枠が確保されているんです。
なので、私と一緒に行く学生バックパッカーはそこに並びました。
鉄道の窓口は国営なので、サービス精神ゼロの偉そうなおばさんでした。

でも、無事に硬臥(寝台)のチケットを得られました。
偉そうなおばさんであったとしても、感謝したくなりました。

いざ洛陽へ

そして、当日。
北京から洛陽まで12時間の寝台列車の旅です。
上下二段の寝台列車です。
横幅1mはない幅ですが、寝るには十分な感じでした。
バックパッカーなので感覚がおかしかったかもしれませんが、12時間程度はなんてことはありませんでした。

ちなみに、その後のバックパッカー旅行ですと10時間程度の移動だと、「近いんですね」と、普通に言ってしまうようになっていました。
「え?近いの?」といわれて、(普通に考えると、10時間の移動は近くないわなー)と、われに戻ってました。

そんな感じでラッキーにも洛陽までは、寝台列車で楽に行きました。
次回は洛陽の観光についてお伝えします。

洛陽についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 1995年当時の北京の買い物、トイレ事情等

北京には万里の長城や、故宮(紫禁城)頤和園などの観光地がたくさんあります。

ですが、旅の醍醐味は観光地だけではありません。
街中にもいろいろおもしろいことが転がっているものです。
1995年の北京で経験した、ちょっとしたことを書いていきます。

露店街

天安門広場の南に前門という門があります。

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1995年当時、前門近くには多くの露店が並んでいました。
(北京オリンピックで再開発されました)
露店街では実に雑多なものが売っていました。
以下のような観光客向けのお土産なども多く売っていました。

・毛沢東ライター
→ふたを開けると音楽が流れます。「東方紅」という曲だそうです。
ネタとして買いましたが、日本に着いたときは電池が切れてました。

・白檀っぽい扇子(もちろん人工香料のもの)
→安くて中国っぽいので何個か買いました。

・中国っぽい耳かき
→中国っぽい柄の金属でできた耳かき。けっこう耳垢がとれます。

・Tシャツ
→すぐによれよれになりますが安かった。

・健身球
→二つの球を掌でコロコロ回す健康グッズ。音が鳴るやつもあります。

外国人観光客向け百貨店

今ではそんなことはなくなりましたが、当時の北京では無気力な国営店がたくさんありました。
当時の国営店の従業員はまったくやる気がなかったです。

外国人向けの百貨店に、友諠商店がありました。
入ってみてビックリ。店員の半分くらいは寝てました。
そして、ところどころ電灯もついてませんでした。

そんなやる気ない国営百貨店もある意味、おもしろい見ものでした。
(今ではちゃんとしてます)

繁華街王府井

今でも北京の繁華街です。

1995年当時の王府井の入り口には、世界最大規模のマクドナルドがありました。
今では中国の各地にマクドナルドはありますが、当時は主要都市にしかありませんでした。

なお、マクドナルドは中国語で「麦当労」と書きます。
読み方はマイタンラオなので、ちょっと違いますね。
※なお、日本語の発音での「マクドナルド」も外国では通じません。

北京のマクドナルドにはベンチの上に座っている等身大のドナルドがいたので、一緒に写真を取ってみました。
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ちなみにその辺の屋台で麺料理が2元程度で食べれましたが、マクドのセットは20元くらいしました。
ある意味高級レストランでした。

王府井には、もちろんちゃんとしたレストランもあります。
北京ダックで有名な全聚徳もありました。
バックパッカーでしたが、みんなで食べに行きました。
胡弓などの生演奏がありました。
意外に安かったです

高級ホテル 北京飯店

東京でいう帝国ホテルです。5つ星の一流ホテルです。
1995年当時は、一般の中国人は入れず、外国人もしくは金持ち中国人しか入れませんでした。
小汚いバックパッカーだった私ですが、外国人なのでこの一流ホテルに入ることができました。
入る時は外国人だぞアピールのために旅仲間と日本語を話しながら入ったのでした。
きらびやかできれいで、私が止まっていたシャワーのお湯が泊まるかもしれないドミトリーとは違いました。
客室には当然入れませんが、北京飯店には行くべき理由がありました。
トイレです。
とてもきれいなトイレを遣えるのです。
そのために行く価値があったのです。

95年当時のトイレ事情

当時の北京、中国のトイレ事情は想像を絶するものがありました。
ここから先は、不快な表現が含まれている可能性がありますので、好まない人は読まないでください。






心の準備はいいですか?






当時の中国の公衆トイレは有料でした。(1円、2円くらいですが)
金を払うんだから、どんなトイレかと言うと。。。
まあ、ここではしたくないなと思うでしょう。

小便器は大きなツボでした。
そこに何十人分もの尿をずっと貯めてたわけです。
匂いはすさまじいですし、床にあふれてたりもしました。
でも、有料なんですよね。

大のほうですが、基本的に扉はありませんでした。
北京駅で行った時のことです。
便器の向きは後ろ向きではなく前向きでした。
つまり、待っている人と目が合う方向です。
次の奴にはメンチ切りました。
根性つきますね。
場所によってはあふれているところもあるので、注意が必要です。

この形式はまだいい方です。
長い溝が掘っているだけのトイレが多いです。
連なるんですよね。
前の人がしているところが丸見えなわけですよ。
自分も丸見えになってるんですよね。
溝の下は汚物まみれです。
根性つきますね。
これ以上の表現は慎みます。

なので北京飯店のトイレは天国ですね。
どこの町でもなるべく、外国人向けホテルでいたすようにしていました。
※今の北京はかなりきれいなので、あくまでも1995年当時のものと理解してください。

こんな経験も旅の醍醐味なのです。
なお、苦情は受け付けません。

北京の観光地についてはこちらからどうぞ

故宮(紫禁城)

万里の長城

頤和園

中国バックパッカー旅行記 北京の世界遺産「頤和園」

北京はさすがに中国の首都だけあって、市内だけで6つの世界遺産があります。
故宮(紫禁城)万里の長城が有名で、観光スポットとしても人気がありますね。

それに比べると知名度は落ちるかもしれませんが、北京にある庭園「頤和園」(いわえん)も世界遺産に登録されています。
個人的には頤和園はとても好きな観光ポイントです。
何度か北京を訪れていますが、だいたい頤和園を訪れています。

頤和園の場所

頤和園は市街地から北西に10Kmくらい離れた場所にある、庭園です。

今は地下鉄で簡単に行けます。

しかし、私が訪れた1995年当時は北京に地下鉄はありませんでした。
バックパッカーとしてのこだわりもあったのでタクシーに乗るという選択肢はなく、バスを乗り継いで移動しました。

当時の北京のバスは排気ガスまきちらしながら走ってました。
当時の北京の様子はこちら

バスの中にいても排気ガスの煤が入ってきます。
しかも、頤和園に行く際、2両連結バスの連結部近くに座ってしまったため煤だらけになってしまいました。

ただ、その小汚さが功を奏したのか、頤和園でも外国人料金を払うことなく、中国人料金で入場できました。
外国人料金の詳細についてはこちら

頤和園の概要

頤和園は、かなり広大な庭園です。3㎢くらいあります。

その3/4の広さを占めるのが人工の湖「昆明湖」です。
外周6kmもあります。

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※1995年夏に訪れたときの写真です。

昆明湖は清朝の乾隆帝が母親のために、杭州の西湖を模して創られました。
そして、湖を掘ったときの土で昆明湖の北側に万寿山(高さ60m)を作り、その上には仏香閣があります。

外周6kmもある湖を作って、山まで作ってしまうのですから、中国皇帝の権力のすごさを感じます。

ちなみに後の時代、西太后が改修を命じ莫大な費用が掛かってしまったために海軍費が削られて、日清戦争に負けたとも言われています。
実際にいってこの広大な庭園の規模を見ると、それくらいの費用は掛かるかも、と感じます。

なお、頤和園は避暑地として使われました。
そのため、英語名では「Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing」です。

冬の頤和園を観光

頤和園はとても美しい庭園です。
私が初めて訪れた2月は靄が立ち込め、とても幻想的に見えました。
夏の緑が美しい季節もよいですが、冬の幻想的な風景もとても好きです。
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頤和園の大きさ、幻想的な雰囲気を楽しみながら昆明湖を一周しました。
外周6kmもあるので、ちょこちょこと建物などを見ながらだと2時間はかかります。

昆明湖には南湖島というちょっとした島があり、そこには白く美しい橋が架かっています。
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橋の上からの光景も幻想的でした

なお2月の北京はかなり寒かったので、湖の多くの部分が凍ってました。
恐る恐る乗ってみたのですが、氷がかなり厚かったので全然平気でした。
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これも夏では経験できないですね。
※自己責任でお願いします。

あと、夏だと昆明湖には観光用のボートがいくつも浮かんでいますが、凍っているのでボートは全然いません。
そのままの昆明湖を見られるのも冬の頤和園のいいところです。
夏に来た時は水澄ましのようなボートがたくさん出ていて、ちょっと景観を損ねた感じに思えましたので、個人的には冬がおススメです。

グルっと昆明湖を一周した後、昆明湖の北側に位置する長廊という、728mもある屋根付き通路を見学します。
色鮮やかな絵が描かれています。
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三国志の絵もあり、三国志好きで中国に来た私にはたまりませんでした。

その後、万寿山にある仏香閣に登りました。
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上から見る頤和園もとても幻想的で美しかったです。
頤和園と昆明湖の広さを改めて感じられます。

頤和園は北京に行くたびに行くお気に入りポイントです。
北京に行くのであれば、ぜひ行ってみてください。

北京動物園観光

なお、頤和園に行く途中に北京動物園があります。
北京動物園のメインの見どころといえば、もちろんパンダです。

1995年当時、中心地から頤和園に行くバスは北京動物園近くで、乗り換えが必要でした。
それほどパンダ好きではなかったのですが、せっかくなので頤和園の帰りに動物園にもよってみました。

なお、北京動物園のパンダは薄ら汚れていて、白い部分が黄色くなっていて、小汚かったですね。
とはいえ、せっかくですので寄ってみてはいかがでしょうか。

万里の長城についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 万里の長城-八達嶺-

北京中心地の最大の観光地・みどころといえば故宮(紫禁城)でしょう。
そして、北京近郊の最大の観光地・みどころといったら世界遺産の万里の長城ではないでしょうか。

当然とも言えますが、万里の長城は世界遺産に登録されています。

外敵から守るため秦の始皇帝が作ったと言われており、始皇帝が作ったイメージが強いと思います。
しかし、現在の万里の長城の大部分は明代にできたそうです。
(始皇帝の時代は、粘土質の土を固めた簡素なものです。)

なお、万里の長城は山海関から嘉峪関まで3000kmにわたる城壁です。
考えられないような長さですね。

八達嶺

その万里の長城の中でも観光しやすく有名なのが、北京から行ける八達嶺です。
1995年当時も地元民向けの、北京市内からの明の十三陵と組み合わせたバスツアーも多かったです。

私の場合は、船で知り合った旅人たちと一緒に鉄道で行ってみることにしました。
1995年当時は観光用の鉄道などなく、普通のローカル線で八達嶺近く青竜橋までいけました。

ただ、夜明け前に起きて、駅に行くひつようがありました。
当時のメインの駅である北京站ではなく、今はもうなくなった別の小さな駅からでした。

その駅に行ってみると、メインの路線ではないためチケットも比較的すんなり買えました。
※当時の中国の鉄道は、チケットを買うのがとても困難としてバックパッカーには有名でした。

ローカル路線だったため、そこまで混むこともなく余裕を持った鉄道旅行でした。
そして2時間ほどで青竜橋に到着。
そこから30分くらい歩いて、八達嶺の万里の長城に到着です。

万里の長城を観光

峻険な山々が連なっており、そこに万里の長城が延々と続いています。
さすがに観光地だけあって、土産物屋がたくさんあり呼び込みを受けるけど無視して進みました。

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とはいえ、当時はそこまで観光客は多くなかったです。
呼び込みといってもかわいいもんでしたが、今はもっとすごくなっているかもしれませんね。
そして当時はロープウェイはなかったので、すべて歩きでした。

万里の長城を歩いて上る

そして、長城の上に上り、その上を歩いていきます。
1995年当時はロープウェイもなく、すべて歩いて登りました。
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けっこうな急勾配のポイントもあり、体力がいります。
2月で寒かったですが、体はあったまります。

疲れはしますが、やはりこの歴史的建造物の上を歩いていることと、上の上ることでさらなる光景を見られるので、足を進めてしまいます。
長城を登っていくと、山脈が拡がり、長城が連なる姿がよく見えます。
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今ではロープウェイがあるので、体力に自信がない人はロープウェイを使うのもよいでしょう。

私が行ったときは2月ということもあり、全体的に曇っていたので、色鮮やかではなかったですが、逆に荘厳な感じがよかったです。

この長城が数千キロ離れたところまで続きていると思うと、中国の大きさを改めて感じました。

中国の山々は、日本の山々とはやはり違う感じです。
広大な大陸を感じさせてくれました。
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そしてこの山々を延々と万里の長城が紡いでいっているのがすごいです。
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中国の山と日本の山のどちらがいいと競ううものではありません。
違うものなのだと感じることこそが、海外旅行の醍醐味です。

やはり世界最大の建築物である万里の長城は見ごたえがあるものです。
ぜひ一度、万里の長城を見てそのスケールの大きさを感じてみてください。

北京に行くなら、万里の長城、故宮(紫禁城)、頤和園には訪れてほしいですね。

頤和園についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 故宮(紫禁城)と景山公園

北京観光地の一番の見所ともいえるのが故宮(紫禁城)です。

「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとして世界遺産にも登録されています

約100年前の清の時代、皇帝が住んでたところです。
映画などでも有名なラストエンペラー 愛新覚羅 溥儀も住んでたところですね。

一緒に行った旅仲間たちは「ラストエンペラーで見た光景だ!」と喜んでました。
実は私は映画を見てなかったのですが、そうでなくても十分見応えがあります。

故宮(紫禁城)の場所

故宮(紫禁城)は首都北京のまさに中心にあります。
天安門広場の北に位置しています。
というか、天安門が故宮(紫禁城)の南門になります。

故宮(紫禁城)は南北の長さ961m、東西の幅753mもありとても広いです。
一通り見るのに数時間かかります。

1995年当時の外国人料金

1995年当時の中国では外国人料金というものがありました。

外国人が観光地に入るときは、中国人の数倍の入場料が必要だったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中から先輩バックパッカーさんたちのお話を聞きしており、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。
外国人料金の詳細はこちら

故宮(紫禁城)の入場料も、外国人は中国人の数倍しました。
しかし、故宮は北京のメイン観光地ともいえることなので、チケット売り場でのチェックも厳しいと有名でした。
実際に私が行く前日に行った日本人バックパッカーたちは、日本人と見破られてしょうがなく外国人料金を払ったそうでした。
が、やはりそこは挑戦です。

中国人用の売り場の列に並んでいる時から、無愛想な表情にして一言もしゃべりませんでした。
そして自分の番が近づいてくるのですが、周りの中国人は横から、後ろから手を出してきて、我先に買おうとしてきます。
そんなのに負けないように、お札を窓口に押し込んで、指を一本立てながら「イーガ!」(1個)と言いました。
窓口の人は外国人かもと思ったのか、何か聞いてきましたが「あーん!?」とすっとぼけているとチケットを渡されました。

というわけで、無事中国人料金で入場することができました。
一緒に行った旅仲間でも見破られた人も多く、ラッキーでした。

ただ、チケットを購入しても油断できません。
入場の際に咎められるかもしれないので、そこでも言葉を発さずに通ることにしました。

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そして、無事入場の際も特に咎められることもなく入れました。

故宮(紫禁城)を観光

大きな赤い門を抜けていくと、大和殿が見えてきます。

大和殿

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皇帝の即位式なども行われた正殿です。
目の前は大きな広場となっており、真の時代は官吏たちがずらっと並んでいたところです。
いかにも中国って感じです。
大きいだけでなく、彫刻や文様などは細かく美しいです。

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昔のテレビ番組「西遊記」で、エンディングでガンダーラが流れているときにこのような映像があったような気がしたので、初めて訪れた場所なのになんか懐かしい感じでもありました。

太和殿以外にもたくさんの建物があります。
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故宮(紫禁城)は本当に広大で、中国だなー、としみじみ感じました。

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また、建物だけでなく、赤い壁の長い通路も見応えがあります。

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映画ラストエンペラーでもでてきたそうです。

御花園

故宮(紫禁城)の中にある庭園です。

堆秀山というちょっとした山の上に御景亭というのがあります。

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これも「西遊記」のエンディングで見た気がします。

故宮(紫禁城)は皇帝の力の大きさを感じますし、歴史を感じます。
やはり北京に行ったら、一度は行くべき場所ですね。

景山公園を観光

ただ、個人的には、故宮(紫禁城)を中から見るより景山公園から見るほうが好きです。

景山公園は故宮のすぐ北に位置しています。
人口の丘がある公園です。

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丘の上にある建物からは、故宮(紫禁城)を一望できます。
私はその光景が好きですね。

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絶対に訪れてほしいところです。

ちなみに景山公園では地元民の憩いの場になってます。
朝は太極拳とかダンスとかしている人たちが大勢います。

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日本では見られない光景ですね。

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そんな中国人の日常を見るのもちょっと楽しいです。
朝、天安門広場の国旗掲揚を見た後、景山公園に行ってみてはいかがでしょうか。

天安門広場の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 天安門

バックパッカーとして初めて訪れた国中国、その中で初めて訪れた町が北京です。

北京はとても広いです。
そして、その中心に天安門があります。

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中国のニュースや映像なんかで見たこともある人も多いと思います。
赤い巨大な門であり、その真ん中には毛沢東の肖像が掲げられ
まじででかいです。
ニュースなんかでもよく見る光景だと思います。
見た時、あー、まさに中国だなーと思いました。

天安門広場の北には故宮(紫禁城)が、南に天安門広場があります。
天安門周辺は北京市内観光の中心ともいえます。

天安門広場観光

天安門広場は世界一広い広場で、東西500m、南北800mもあります。
実際に見ると、さすがに広いです。
広場の中には毛主席記念堂があり、毛沢東の遺体を見ることができます。

天安門広場の周りには人民公会堂などもあり、政治の中心でもあります。
また、中国国家博物館には中国政府にとっての大イベントがあるたびにカウントダウン用の大きな時計が掲げられます。

ちなみに私が訪れた1995年当時の一大イベントとしては、香港返還前だったので、1997年の香港返還がありました。

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写真では分かりにくいと思いますが、白い看板には香港返還まであと「何日」、あと「何秒」というのが掲げられていました。
秒単位でやるのがすごいなー、と当時思ったものです。

国旗掲揚

天安門広場には中国の国旗が掲揚されています。
この国旗は毎日人民解放軍の軍人が、日の出とともに掲揚し、日の入りとともに降ろします。
この掲揚式と降納式での軍人たちの一糸乱れぬ動きは見ものです。

私が訪問した2月はまだ日の出が遅かったので、ちょっと早起きして日の出の掲揚式も見ました。
ただし、とても寒かったですが。。。

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写真がくらくてわかりにくいと思いますが、天安門から軍人たちが歩いて向かってきます。
なお、その間道路は通行止めとなります。

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目の前を軍人が歩いて行きます。

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そして、国旗が掲揚されました。
朝早くにもかかわらず、多くの観光客が訪れていました。

夏だと日の出が早いのでちょっとたいへんかもしれないです。
日の入りのときの降納式は、見やすいと思うのでうまくタイミングを計って見てください。

天安門広場はやはり観光地だけあって多くの人が来ています。
1995年当時は、広場で太極拳や凧揚げしてた人もけっこういましたね。
地元の人にとっては憩いの場なのかもしれません。

なお、この天安門は入場料を払えば上に登ることもできます。
観光客はけっこう登りますね。
私はこの時の旅行では登りませんでしたが、2回目行った時に登りました。

そして天安門を抜けた先に故宮(紫禁城)があります。

故宮(紫禁城)の様子はこちら