インド

インド旅行記 パキスタンビザが取れずやむなく飛んだ日

世界遺産であるエローラ・アジャンタの観光を終えた後、再び首都デリーへと向かいました。

3か月半のインド旅行を(途中でバングラデシュにも行きましたが)を終え、次の国にいくことにしたのでした。
次の国として考えていたのは、パキスタンです。

インド⇒パキスタン⇒イラン⇒トルコと移動するつもりでした。
しかし、私がインドにいたのは2002年です。

2002年のインド・パキスタン国境状況

その前年には9.11同時多発テロがありました。
首謀者のウサマ・ビン・ラディンがタリバンに匿われていて、アメリカへの引き渡しを拒否したとして、タリバンとの銭湯が起こりました。
そして、タリバンの支配下に合ったアフガニスタンとパキスタンの一部での戦闘が開始されたため、2001年パキスタンとの国境はあちこちで封鎖されました。

その後、戦闘はいったん終息し、パキスタンとインドの国境も再び開きました。
しかしながら、その後、パキスタンとインドの関係が悪化しました。
どちらも核保有国なので緊迫感がありました。

私がインドからパキスタンに行こうとしていた時期は、特に関係が悪化していました。

パキスタンビザが取れない

パキスタンに入るためにはビザが必要です。
そのビザを取ろうと、デリーに戻ってきたわけです。

まず、当時のインドでパキスタンビザを取るためには、日本大使館からのレター(許可証みたいなもの)が必要でした。
そのため、まずは日本大使館を訪れました。

しかし、危険がある国に日本国民を行かせたくない日本大使館はレターをくれませんでした。
それは仕方がないことだと思います。

陸路横断をいったん諦める

その後いろいろとパキスタンに行くための情報を集めたのですが、バングラデシュのパキスタン大使館では取れるという噂を聞きました。
しかしながら、バングラデシュまでの道のりはけっこう遠いです。
もし、まだバングラデシュに行っていなければ、新しい国を見たいと思って訪れたと思うのですが、私はすでにバングラデシュを訪れた後です。
しかも、バングラデシュに戻ったからと言って、100%パキスタンビザを取れる保証もありません。

いろいろと悩みました。

もともとユーラシア大陸陸路横断の旅が私の目的でした。
そのためにはパキスタンに入る必要があります。

しかしパキスタンビザを確実に取るためには何日かかるかが不透明でした。
結果として、私はインド文化圏に飽きていたこともあり、パキスタン入りを諦めました。

そして、エジプトのカイロに飛ぶことを決意しました。
ユーラシア大陸陸路横断を諦めたわけではなく、ヨーロッパからの帰りに実現することを決めたのです。

パキスタンはずっと行きたい国だったので、とても残念ではあったのですが戻るときには入れるだろうと心を決めました。

インドのデリーから、ガルフエアーでクウェート経由でエジプトのカイロに入る航空券を購入しました。
3か月半のインド旅行を終え、次の国エジプトを目指しました。

エジプトのカイロについてはこちら

インド旅行記 世界遺産エローラ・アジャンタ

インド経済の中心的な都市ムンバイを後にし、アウランガバードに向かいました。
アウランガバードは、世界遺産のエローラ、アジャンタという二大石窟寺院の観光の拠点です。

ムンバイからアウランガバードまでは、鉄道で移動しました。
ただ、指定席が取れず二等自由席だったのですが、軟弱バックパッカーの私はインド人に負け席を確保できませんでした。

しょうがなく、入り口付近に陣取ったのですが、駅に着くたびに人が乗り降りするので大変でした。
ゆっくりと座ることはできませんでしたが、8時間程度なので当時の私、にとってはそこまでたいへんというわけではありませんでした。

エローラ・アジャンタ

エローラ、アジャンタの観光拠点のアウランガバードに到着しました。

まずは、宿を探しです。
アウランガバードの宿は24時間制のところが多いです。
チェックイン時間が決まってるわけではなく、チェックインした時から24時間で1泊という考え方です。
ある意味公平な制度ですね。

そして安宿を確保した後、さっそくアジャンタ石窟群の観光に出かけました。

アジャンタ石窟群

アジャンタの石窟群は世界遺産に登録されている仏教寺院です。
アジャンタはアウランガバードから北東へ約100kmのところにあります。

バスを乗り継いでいくのはたいへんなので、アウランガバードの宿で現地ツアーを頼みました。
ローカルツアーなので、周りはインド人ばかりでした。

ガイドはつくのですが、言葉はわからないので勝手に石窟を楽しみました。

ajantha1

 

アジャンタは仏教寺院なので、チベット人の熱心な仏教徒が五体投地という礼拝をしていました。
その光景を見て、チベットを旅行していたころを思い出しました。

エローラ石窟群

アジャンタを観光した翌日に、エローラ石窟群の観光に出かけました。
このときも現地ツアーを利用しました。

エローラ石窟群は、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院で構成されています。

Ellora1

さすがに世界遺産になっている遺跡だけあって、とても見ごたえがありました。

Ellora2

規模が大きく本当に見ごたえがありました。

アウランガバード

エローラ・アジャンタを観光した後、観光拠点の町アウランガバードも観光しました。

実はアウランガバードにも観光スポットがあります。
ビービー・カ・マクバラーというタージマハルをまねて作られた霊廟です。

Aurangabad2

見た感じはタージマハルにとても似ていました。
ただ、タージマハルほどの完成度はありません。
そのためか「貧乏人のタージ」という微妙な相性があったりします。

私は、タージマハルは世界一美しい建築物と思っているので、このビービー・カ・マクバラーは微妙だなとは感じました。
でも、これはこれでストいものだと思います。

石窟や霊廟などアウランガバード周辺で、観光を楽しみました。

そして、アウランガバードに来たことによりインドをほぼ一周しました。
3ヶ月くらいなので、けっこう早足でした。(バックパッカーの中でははやいほうといわれています)

そして、再びインドの首都デリーに向かいました。

 

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インド旅行記 ムンバイ(ボンベイ)

ゴアを離れ、ムンバイを目指しました。

ムンバイは、かつてボンベイと呼ばれた町です。
インド最大の金融センターとも言われ、インド経済の中心的な都市です。

そのため物価も高く、インドの中では宿代が高いです。
バックパッカーでせこかった私はそんなムンバイで一泊するのが嫌でした。
ですので、ゴアから夜行バスでムンバイ到着し観光した後、すぐに駅に行って夜行列車のチケットを買いその日の夜に次の町に行くことにしました。

ムンバイ観光

駅でチケットを購入した後、ムンバイでの時間が短いのですぐに観光に出かけました。

インド門

まずはインド門に向かいました。
インド門は海に面して建つ巨大な門です。

mumbai

インド門は1911年に当時の当時の英国王ジョージ5世とその王妃のインド訪問を記念して造られました。
植民地の象徴ともいえる建物ですが、現在ではムンバイの観光地となっています。

私が行った時も多くの観光客がいました。

タージマハルホテル

インド門を観光した後は隣にあるタージマハルホテルに行きました。
タージマハルホテルはインドを代表する高級ホテルです。

mumbai2

格式が高いホテルで、バックパッカーが入るのはちょっとためらわれますが、いちおう中には入りました。
外国人は多少汚い格好でも入れてくれます。

場違いな感じはしましたが、ちょっとしたぜいたくを味わいました。

マクドナルド

大都会ムンバイにはマクドナルドがあります。

ずっとインド料理(いわゆるカレー)が続いていたので、久々の味を楽しむためにマクドナルドに行きました。
ただし、インドでは牛は神聖な動物なので、普通のハンバーガーはありません。

コロッケのようなベジタブルバーガーか、チキン、フィッシュバーガーだったりします。
マハラジャバーガーというご当地バーガーはチキンです。

普段食べるのとはちょっと違う各国のご当地バーガーを食べるのもよいものです。

あと、ソフトクリームがおいしかったですね。

そんな感じでゴア観光を終えました。
あまりたいした観光はできませんでしたが、時間がなかったのでしょうがないです。

ムンバイからアウランガバードへ

そして夜になり、駅に向かい次の町に向かってアウランガバード行の列車に乗り込むことになりました。
アウランガバードは、世界遺産のエローラ、アジャンタという二大石窟寺院の観光の拠点です。

指定席が取れず二等自由席だったのですが、自由席は戦場です。
列車が到着して扉が開いた瞬間、人が流れ込みます。
人をかき分け席を確保しようとしましたが、多くのインド人に阻まれ、結局席は取れませんでした。

しょうがなく、入り口付近に陣取ったのですが、駅に着くたびに人が乗り降りするので大変でした。
でも、前に座っているおじいさんがブドウをくれたりもしました。

ゆっくりと座ることはできませんでしたが、8時間程度なので当時の私にとってはそこまでたいへんというわけではありませんでした。

そして、アウランガバードに到着しました。

 

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インド旅行記 ゴア

南インドの世界遺産の町ハンピを後にし、ゴアに向かいました。

ゴアといえば、かつてはヒッピーの聖地とも言われたところです。
昔は世界中のヒッピーが集まっていたそうです。
ゴアトランスとか、パーティーとかが有名だったりします。

その後、法的な規制などもありそこまで激しい場所ではなくなりました。
とはいえ、現在でも海外からの旅行者やバックパッカーが多く集まります。

ゴア

ゴアは実は町の名前ではなく、ゴア州という小さな州の名前です。
もともとはポルトガル領だった場所で、州都はパナジです。

ハンピからホスペットという町まで移動し、その後寝台バスでゴアに向かいました。
寝台バスはなかなか快適でした。

パロレムビーチ

私たちはゴア南部のパロレムという場所に着きました。
パロレムビーチは、そこまで派手な印象はなくのんびりしたビーチでした。

palolem-beach

宿も掘立小屋みたいところでしたが、安かったので満足できました。

ゴアは、なかなかお酒を大っぴらに飲めないところの多いインドの中で、安心して飲める場所です。
さっそく昼間っからビールを飲みました。
ビーチを眺めながらビールを飲むのは最高でした。

あとは海に入って泳いだり、浜辺をジョギングしたりと意外と健康的な日々を過ごしました。
アラビア海に落ちる夕日などを眺めました。

goa

料理もおいしかったです。
シズラーと呼ばれるアツアツの鉄板で出される料理が気に入りました。

アンジュナビーチ

パロレムビーチでのんびり過ごした後、ゴアの中でもメジャーなビーチであるアンジュナビーチに移動してみました。
パロレムからは、マルガオ⇒マプサ⇒アンジュナと乗り継いで移動しました。

アンジュナビーチはメジャーなビートだったので、日本人にも会うと思っていたのですが意外に日本人とは出会いませんでした。

ちなみにアンジュナビーチは岩だらけで、ビーチとしてはパロレムの方がよかったです。
夜も意外と静かでした。

ただ、少し離れた場所ではパーティーが行われていたようです。
どうやらパーティーを楽しむ人たちは、バイクで移動していたようです。

ちょっと移動が面倒だったので、結局パーティーには参加しませんでした。
一回くらいは参加しておけばよかったかな、と今になると思ったりもします。

ゴアの一般的な楽しみ方はしませんでしたが、ビーチでのんびり過ごせたので悪くはなかったです。

ゴアを離れムンバイへと向かいました。

 

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インド旅行記 世界遺産ハンピの建造物群

インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールを後にし、ハンピに向かいました。

ハンピには都市遺跡があり、ハンピの建造物群として世界遺産にも登録されています。
ハンピは、14~17世紀頃に栄えたヴィジャヤナガル王国の都だったところです。

巨大な都市遺跡が広がっています。
日本での知名度はそれほどありませんが、インドの中では人気・満足度の高い観光地となっています。

ハンピへのアクセス

ハンピは南インドの内陸部に位置しています。
アクセスは、正直言ってちょっと不便です。

私は、バンガロールからホスペットというところまで鉄道で移動しました。
ちなみにバスもあります。
ホスペットまでくれば、ハンピはすぐそこです。

ハンピの建造物群

ハンピに到着するとすぐに観光に出かけました。

遺跡もいいですし、景色も素晴らしかったです。

hampi1※残念ながら写真が残っておらずWikipediaからお借りしました。

ハンピのシンボルともいえるのがヴィルパークシャ寺院です。
ひときわ大きいゴープラム(寺院の門)が立っています。

hampi※Wikipediaからお借りしました。

この寺院以外にも多くの遺跡が広がっています。

hampi3

 

ハンピの遺跡は広大な地域に広がっています。
数日かけて

丘の上からの眺め

特に丘の上からの眺めは絶景でした。
なぜ写真が残っていないのか残念でなりません。
ハンピには4日ほどいたのですが、毎日丘を上りハンピの風景を楽しんでいました。

遺跡の岩の色と緑のコントラストがとても美しかったです。

ハンピでは遺跡観光や美しい風景を眺めるなど、のんびりと過ごせました。
夜は大体、アラクという地酒を飲んで現地の人たちとかと遊んでました。

意外な再会

実はこのハンピで意外な再会がありました。
このときは2002年の2月だったのですが、その1年半ほど前の2000年7月にモンゴルで出会ったバックパッカーと再会したのでした。

お互いにどこかで会ったことあるなー、という感じで見ていたら向こうが思い出してくれました。
まったく連絡も取っておらず、全然別の行動をとっていた人との再会はびっくりしました。

でも、バックパッカーをやっているとこのようなびっくりする出会いがけっこうあります。
こういうのも旅の醍醐味ですね。

そして、ハンピを離れ次はゴアへと向かいました。

ゴアについてはこちら

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インド旅行記 バンガロール

南インドの最大の見どころともいえるバックウォーターツアー、港町コーチンを後にして次の町を目指しました。
次の町は、バンガロールです。

バンガロールは、現在ではインドのシリコンバレーとも呼ばれるほどIT企業が集積している町です。
インドの中でも発展が著しく、南インドの中心的な町となっています。

私が訪れた2002年当時でも成長している町でした。
現在はさらに発展してるようです。

Bangalore※写真はWikipediaからお借りしました

インド経済の中心的な都市となってきています。

バンガロール到着

コーチンの駅で夕方に列車に乗り込んで12時間くらい、鉄道に揺られ早朝にバンガロールへ到着しました。
バックパッカーにとっては、12時間くらいの移動は普通なのでそれほどたいへんではありませんでした。

実は、バンガロールの町自体を見たいというよりは、その次の町ハンピに行くための経由地として寄っただけでした。
ハンピは世界さんにも登録されている遺跡のある町です。
しかし、インドは広いのでコーチンからいきなり行くことはできないため、バンガロールを経由しました。

そのため、バンガロールでは一泊もせず、早朝について夕方にハンピを目指すことにしていました。
バンガロール到着後は、正直ハンピへの異動のための時間つぶしくらいに考えてました。

バンガロールの町

バンガロール到着後、重いバックパックをもって、町を観光したり時間をつぶしたりするのはたいへんです。
ですので、すぐに駅の荷物預かり所にバックパックを預けました。
身軽になって、バンガロールの町観光に出かけました。

駅からはバスに乗って町中に出ました。

バンガロールには、ケンタッキーフライドチキンなんかもあります。
インドではファーストフード店もそうはありません。
楽しみにしていたので、久々にアメリカンな、ジャンクフード食べ物を食べました。
久々に食べると、それはそれでおいしいものですね。

その後、バンガロールの町中にある公園で過ごしました。
その公園には竹林があって、のんびりできました。

バンガロールでの再会

早朝について夕方にはなれる予定だった、バンガロールで思いもかけない再会がありました。

公園でのんびり過ごし後、インターネットカフェでメールを確認しました。
そして、町中をぶらっと歩いていると、チベット、そしてネパールで会った日本人の女の子のバックパッカーと出会いました。

話を聞いてみると、彼女はインド旅行中のバスで交通事故に合ってしまったそうです。
バスが対向車と正面衝突し、彼女自身も3週間入院してしまったそうです。
確かに顔に傷跡が残っていました。
注射や点滴などを受けていたそうで元気になったものの、インドの医療施設に対する懸念で、HIVや肝炎の感染を懸念してました。
結果としては日本に帰ってから、会ったときにそういってくれて安心しました。

そんな、久々の再会も旅行の醍醐味の一つだと思いますが、やはり事故や病気など、思いがけないトラブルはありますんで、海外旅行にいくのであれば絶対に海外旅行保険には入っておくべきです。
もし、海外旅行に行くのであれば保険には入りましょう。⇒海外旅行保険のAIU

バックパッカーだったとしても、もしものときのことを考えると海外旅行保険には入っておくべきです。

さて、そんなバンガロールを後にし、次は世界遺産のハンピを目指しました。

世界遺産ハンピについてはこちら

インド旅行記 バックウォータークルーズとコーチン

インドで一番きれいなビーチと言われるバルカラで1週間ほどのんびりしましたが、いよいよ移動です。
南インドのケララ州で、人気のある観光ツアーであるバックウォーター(水郷地帯)のクルーズに参加することにしました。
バルカラで知り合った日本人バックパッカー2人と一緒に行きました。

このバックウォーターツアーは、クイロンからアレッピーまで8時間ほどかけて川をクルーズするツアーです。

美しい水郷地帯の風景が見られます。

バックウォーターのクルーズ

バルカラからオートリクシャーで駅まで行き、鉄道でバックウォーターの出発点クイロンに行きました。

駅について、乗船場までオートリクシャーで移動しました。
人気のクルーズという割には、けっこう辺鄙なところにありました。

水と食料を買い、あとケララ州名物の赤バナナを買いました。
赤バナナは文字通り赤いバナナです。
写真がないのが残念ですが、気になる人は赤バナナで検索してみてください。
赤バナナはねっとりと濃厚な甘みでとても美味しかったです。

さて、ボートに乗り込み8時間のバックウォーターツアー開始です。
我々3人以外はは欧米の方々でした。

人気のクルーズだけあって、バックウォーター(水郷地帯)の景色は良かったです。
なぜか自分の写真が残っていないため、Wikipediaから写真をお借りしました。

Backwaters1

このような美しい風景を見ながら、ボートはゆっくり進んでいきます。
のんびりと風景を楽しみます

backwater2※写真はWikipediaからお借りしました。

美しい風景が続くのですが、同じような感じが続くので8時間あるとさすがに飽きてきます。

途中、川沿いに子供たちが集まっている地帯がありました。
その場に来ると、欧米人観光客はボールペンを大量に取り出しました。
何をするのかと思っていたら、子供たちに向けて大量のペンを投げまくってました。
それを子どもたちは我先にと拾っていました。

おそらく、ガイドブックかなんかで、その地域でボールペンを投げると喜ばれるということが紹介されているのだと思います。
しかし、岸まで届かなかったボールペンはゴミになりますし、微妙だなと思いました。

8時間もあるので、結局後半は半分眠ったような状態でアレッピーに到着しました。
のんびりとしたバックウォーターツアーが終わりました。

港町コーチン

アレッピーからすぐにコーチンへと向かいました。
コーチンは南インドの重要な貿易港がある町です。
※今は、コーチというそうですが、当時はコーチンと呼んでました。

着いたのは日が暮れてからだった、とりあえず宿を確保し夕食に出かけました。
町中の屋台で40ルピー(約80円)のフィッシュカレーを食べました。
これがとても美味しかったです。

インドで食べる安いカレー定食(北部はターリー、南部はミールスと呼ばれる)は動物性たんぱく質がない、野菜カレーが主流です。
やはり魚のダシとかが出る分おいしかったですね。

コーチン観光

翌日、コーチン観光をしました。

コーチンはポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマが来航した後、1503年にポルトガルによってインドで初めて植民地となった町です。
その後、オランダ、イギリスなどの植民地となりました。

そのため、ヨーロッパ風の街並みが広がっています。

Kochi1

こちらはインド最古の教会といわれている聖フランシスコ教会です。
1503年にポルトガルのフランシスコ会の修道士たちによって建造された教会です。

チャイニーズフィッシングネット

コーチンの見どころに一つが、チャイニーズフィッシングネットと呼ばれる、独特の漁法です。

Kochi_chinese_fishing-net※写真はWikipediaからお借りしました。

この網を海中に沈めた後引き上げる巨大な仕掛けです。
海岸に沿いに並んでいます。
けっこう頻繁に網を上げ下げしていて、見ていて面白かったです。
ただ、そのときはあまり魚はとれてませんでした。

この近くでは獲れたての魚をその場で調理してくれる店があります。
ただ、高かったのでバックパッカーの我々は頼みませんでした。
今思うと、少しくらい頼んでみてもよかったかなと思いました。

この日もフィッシュカレーを食べて、港町であるコーチンを満喫できました。
もし、コーチンにいくなら、ぜひフィッシュカレー食べてみてください。

コーチンの後はバンガロールに向かいました。

バンガロールについてはこちら

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インド旅行記 バルカラのビーチ

インド最南端のカニャクマリを後にし、次の町バルカラを目指しました。
インドで一番いいビーチがあると言われる町です。

何人かのバックパッカーからおすすめされたので行くことにしました。

バルカラビーチは、カニャクマリ北西140kmのアラビア海に面した町です。

カニャクマリから直数バスはないので、トリバンドラムで乗り継ぎをしてバルカラにむかいました。

バルカラ到着

バルカラに到着して、バックパックを背負いながらすぐにビーチを目指しました。
きっとビーチ沿いに宿があるだろうと思ったからです。

さすがにおすすめされるだけあって、バルカラのビーチはよかったです。

Varkala1※当時の写真が残っておらずWikipediaよりお借りしました。

さて、ビーチ自体はよかったのですが、困ったことが起こりました。
というのも、バルカラのビーチは海と崖に囲まれており、宿は崖の上にあったからです。

重いバックパックを背負いながら、崖に備えられた道を登ります。
砂浜の後の崖というなかなか過酷なルートをなんとな登り切りました。
皆さんは同じ過ちをしないように、ビーチの降りず宿を探してください。

Varkala2

疲れてたので、1日目は適当に宿を選んで寝ました。
翌日、ちゃんと安い宿を探して移りました。

バルカラビーチ

初日は疲れててほとんど寝るだけとなりましたが、2日目は崖の上の町をぶらぶらしました。

すると、チャイ屋(インドのミルクティー屋)で、日本人がいました。
チェンナイ(マドラス)以降、南インドでは日本人と出会わなかったので、ちょっと嬉しくなって声をかけました。
そして、一緒にチャイを飲んでいると、数人日本人が集まってきました。
そのうちの一人は60歳を超えた元気なおじさんでした。

バルカラは私が訪れた2002年当時は、日本のガイドブックには載っておらず、一般的な日本人は来なかったのですがバックパッカーにはそれなり有名だったので、けっこう日本人がいました。ちなみに女性の方が多かったです。
沈没地(バックパッカーの長期滞在地)にもなっていたようです。

久し振りに会った日本人と仲良くなり、ヤシ酒を飲んだりして盛り上がりました。

夜はその人たち行けつけの食堂に行くと、バルカラは海沿いなので新鮮な魚が手に入りました。
すると、「刺身を食おう!」ということになり、適当にさばきました。

そして、みんな久々の刺身に舌鼓をうちました。
外国で、しかもインドでバックパッカーが刺身を食べると言うのはなかなかできないと思いますよ。
ちなみに、魚は新鮮でも包丁は問題があったかもしれませんが、とりあえずみんな大丈夫でした。

そうやって日本人で刺身を満喫していると、西洋人も食べたいと私たちにお願いしてきました。
刺身は西洋人にとっても身近になってるんだなと思いました。
で、頼まれたからには嫌とは言わず、彼女たちの分も魚をさばいてあげました。
とても喜んでくれ、美味しいそうに食べてもらえたので、日本人として嬉しかったです。

バルカラでダラダラ生活

バルカラはビーチはきれいで、現地の人々も明るく人懐っこく、日本人も多くて居心地がよかったので、結局1週間くらいいました。

朝、チャイ屋でみんなと話をし、昼食を食べてヤシ酒を飲む、そして町屋ビーチをぶらぶらしたりとのんびりした日々を過ごせました。
現地の人たちとも仲良くなれ、日本人バックパッカー仲間もでき、とても楽しい日々を送れました。

バルカラはのんびりするにはとてもよい町だと思います。
南インドを訪れるのであれば、ぜひ寄ってみてもらいたい町でした。

 

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インド旅行記 最南端カニャクマリ

南インドのポンディシェリを後にし、カニャクマリに向かいました。

カニャクマリはインド最南端の町で、アラビア海・インド洋・ベンガル湾の3つの海が交わる場所です。
カニャクマリにあるコモリン岬は聖地として有名で、多くの巡礼者も訪れます。

カニャクマリは、インド亜大陸の最南端です。

大陸の先端というのはなんか気になるので行くことにしました。
ちなみに私のユーラシア大陸横断旅行で目指した地は、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬でした。

インド最南端カニャクマリ

ポンディシェリから、カニャクマリまでは600km近くあります。
バスで半日くらいかかりましたが、バックパッカーの移動としては普通です。
途中、ナガルコイルという町で乗り換えてカニャクマリに到着しました。

カニャクマリは聖地であり、インド最南端ということもあって多くのインド人観光客が訪れていました。

コモリン岬

宿を確保すると、すぐに最南端の岬コモリン岬に行きました。

Kanyakumari※写真はWikipediaからお借りしました。

アラビア海・インド洋・ベンガル湾の3つの海が交わる場所です。
270度は海です。
最南端に立つと感慨深いものがありました。

コモリン岬周辺ではインド人観光客は海で沐浴、というか水遊びをして楽しそうでした。
周りにはインド人観光客向けのお土産物屋さんなんかも多かったです。
日本の100円ショップのような10ルピーショップがありました。
インドの人たちはとても楽しそうでした。

日本人にも合うかなと思っていたのですが、結果的にカニャクマリでは日本人には合いませんでした。

コモリン岬の夕日と朝日は見られず

アラビア海に沈む夕日とベンガル湾から昇る朝日がカニャクマリの見どころです。

インド人も夕日と朝日を拝みに来ているので、そのタイミングでは多くの人が集まります。
ただ、残念なのですが、私が訪れた日は夕方も翌朝も曇ってて、夕日も朝日も拝むことができませんでした。

本当に残念です。
次回、カニャクマリを訪れることがあれば、朝日と夕日を眺めたいものです。

特に急いでいたわけでもないのですが、翌日が晴れるという保証もないので夕日と朝日を拝むのはあきらめ、次の町に向かうことにしました。

次はバックパッカーの中でいいビーチだと評判の良いバルカラへと向かいました。

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インド旅行記 ポンディシェリ

マハーバリプラムで寺院遺跡を観光した後、次の町ポンディシェリに向かいました。

ポンディシェリはかつてフランス領だった町です。
インドのほとんどはイギリス領でしたが、ごく一部フランス領があったのです。

そのため独特な町の雰囲気が残っています。

ポンディシェリ

ポンディシェリはチェンナイ(マドラス)の南へ150kmほどのところにあります。

チェンナイ(マドラス)、カーンチプラムマハーバリプラムと急ぎ足で回ってきたので、ここでは2泊して少しのんびりすることにしました。

ポンディシェリは元フランス領ということで、他のインドの町とは違いヨーロッパ風の街並みが広がっています。

Pondicherry

こちらはザ・リッチモンドというホテルで、フランスの街並みが残る旧市街の中心部にあります。
評判の良いホテルですが、残念ながら当時私はバックパッカーだったのでもっと安いところに泊まりました。

ポンディシェリでは、お酒が安く手に入ります。
インドでは、お酒はおおっぴらには飲めません。
州によっては禁酒のところもあったりします。

ですので、昼間からレストランでお酒が飲めるポンディシェリは私としてはありがたい場所でした。
昼間っからの久々のビールはとても美味しかったです。

また、ビーフステーキも食べられるので、ちょっと高かったのですが食べました。
ヒンドゥー教で神聖な生き物とされている牛を食べられる場所は少ないです。
コルカタ(カルカッタ)で食べて以来のビーフステーキを食べました。

また、ポンディシェリはベンガル湾沿いの町なので、ビーチもあります。
ビールを飲んで、ビーチを眺めてのんびりと過ごしました。

ポンディシェリでは2泊して、インド最南端のカニャクマリへと向かいました。

 

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インド旅行記 世界遺産 マハーバリプラムの建造物群

寺院が多くある町カーンチプラムを後にし、次はマハーバリプラムを目指しました。

マハーバリプラムには海岸寺院をはじめとした数多くの遺跡があります。
「マハーバリプラムの建造物群」として世界遺産にも登録されています。

マハーバリプラムは、チェンナイ(マドラス)から南へ約60kmに位置しています。

ベンガル湾に面した小さな町ですが、見所が満載です。

マハーバリプラムの建造物群

宿を確保した後、すぐに観光に出かけました。
※なぜか写真が残っていないため、写真はWikipedeaからお借りします。

海岸寺院

まずはビーチに向かい、海岸寺院を観光しました。
その名の通り、海岸沿いに立っている寺院です。

Mahabalipuram1<Wikipediaより>

7世紀末から8世紀にかけて作られたそうです。
マハーバリプラムの遺跡の中でも、中心的な存在です。

岩壁彫刻

個人的に好きだったのが、岸壁彫刻です。

Mahabalipuram2<Wikipediaより>

岩壁にレリーフが刻まれています。
石を掘ったレリーフとしては世界最大規模のものです。

間近で巨大なレリーフを見られるので、見ごたえがありました。

クリシュナのバターボール

建造物ではありませんが、マハーバリプラムの見所の一つに「クリシュナのバターボール」と呼ばれる岩があります。

Mahabalipuram3l<Wikipediaより>

この「クリシュナのバターボール」は、一枚の大きな岩の上にある今にも転がり落ちそうな大きな岩です。
絶妙なバランスを保っています。

なぜ、「クリシュナのバターボール」と呼ばれるかというと、岩の裏側をみるとちょっとわかります。

Mahabalipuram4<Wikipediaより>

岩の後ろ側がバターボールをナイフで切ったようになっていて、ヒンドゥー教の神クリシュナの好物がバターボールだったのでこう呼ばれているそうです。

ミャンマーのゴールデンロックに比べるとちょっと見劣りしますが、不思議な岩でした。

他にも寺院はいろいろとあって一日中歩き回って、マハーバリプラムの観光をしました。
本当ににマハーバリプラムは見どころ満載です。
自分で撮った写真が残っていないが悔やまれます。

マハーバリプラムはチェンナイ(マドラス)から日帰り旅行でもいけますので、もし南インドに行くのであれば寄ってみてください。

マハーバリプラムの次はポンディシェリを目指しました。

ポンディシェリの様子はこちら

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インド旅行記 チェンナイ(マドラス)とカーンチプラム

バングラデシュで2週間ほど過ごした後、再びインドに戻りました。

本当はバングラデシュの北部のチハラティの国境から、インドのダージリンに向かいたかったのですが、できませんでした。
旅行していた当時(2002年)、チハラティに行くのに許可証が必要だったのですが許可をもらえなかったからです。

しかたなく、コルカタ(カルカッタ)に戻ることにしました。

チェンナイ(マドラス)へ

コルカタ(カルカッタ)に戻った後、一緒にバングラデシュを旅行していたバックパッカー仲間とは別れました。
彼はダージリンに向かい、私は南インドに向かいました。
まずはチェンナイを目指しました。

チェンナイはかつてマドラスと呼ばれた町で、インド第4の町です。
南インドの玄関口ともいえる町です。
とはいえ、それほど観光スポットがあるわけではないので、観光地という感じではありません。

コルカタ(カルカッタ)からチェンナイ(マドラス)までは、鉄道で28時間です。
1日ちょっとかかりますが、バックパッカーにとっては特別長いという移動ではありません。

寝台列車が取れたので、コルカタの古本屋で購入した日本語の本を読んだり、音楽を聴いたりとのんびり過ごせました。

チェンナイ(マドラス)観光

チェンナイには朝の5時に到着しました。
チェンナイには、それほど観光スポットがあるわけでもないので、さっさと観光してその日のうちに次の町を目指すことにしてました。

駅にある荷物預かり所にバックパックを預け、夜明けを待ってチェンナイの観光に出かけました。

カーパレーシュワラ寺院のゴープラム

チェンナイの観光地といえばカーパレーシュワラ寺院です。
ここはシバ神を祀るチェンナイ最大のヒンドゥー教の寺院です。

そして、その見所は高さ40mにもなるゴープラムと呼ばれる塔門です。

chennai※写真はWikipediaからお借りしました

写真が残っていないのですが、間近で見ると細かい彫刻が色鮮やかに装飾されています。
かなり派手です。

カーンチプラムへ

あわただしく半日でチェンナイ観光を終え、到着したその日の午後に次の町カーンチプラムに向かいました。
数多くの寺院がある街です。

カーンチプラムはチェンナイから西へ75kmのところにあります。

チェンナイからはバスで移動しました。

カーンチプラムに到着し、すぐに宿を確保した後、さっそく観光に出かけました。
チェンナイ観光の後、移動してのカーンチプラム観光なのでけっこう足が疲れました。

エーカンバレシュワル寺院

カーンチプラムはとても寺院が多いです。
その中でも町のシンボルとなっているのがエーカンバレシュワル寺院です。

ここも、チェンナイのカーパレーシュワラ寺院同様に巨大なゴープラムがあります。

Kanchipuram1

チェンナイのものとは違い、色はついていませんでした。

このほかにも、数多くのヒンドゥー教寺院があって楽しかったです。
ただ、一日でチェンナイ、カーンチプラムとに都市の観光をするのはとても疲れました。

翌日、次の町マハーバリプラムへと向かいました。

マハーバリプラムの様子はこちら

インド・バングラデシュ旅行記 コルカタからバングラデシュへ

インドのプリーで年を越した後、いったんコルカタ(カルカッタ)に戻りました。
それは、ユーラシア大陸横断5か国目のバングラデシュに向かうためでした。

バングラデシュは有名な観光地もあまりなく、観光客はあまり訪れません。
日本人で行ったことがある人も少数だと思います。

ただ、観光地化されていない分、人がすれていなくて、のんびり純朴な人が多いです。
インドとは全然違ってギャップがある、とバックパッカーたちから聞いていたので行くことにしました。

北京、チベット、ネパール、インドのプリーで一緒だったバックパッカー仲間と二人旅です。

バングラデシュとは

バングラデシュといっても、あまりイメージできない方が多いと思いますので少しバングラデシュについて解説します。

場所

バングラデシュはインド東にある国です。

インド、そしてミャンマーと国境を接しており、ベンガル湾に面しています。

国旗

バングラデシュの国旗が日本の日の丸に似ているので、国旗は見たことある人も多いと思います。

bangla

赤い円は昇りゆく太陽と独立戦争で流された血を表し、地の緑色は豊かな大地を表しているそうです。

宗教

イスラム教徒89.7%、ヒンズー教徒9.2%、仏教徒0.7%、キリスト教徒0.3%(2001年国勢調査)となっています。

イスラム教徒が大部分を占める国です。

歴史(独立の経緯)

1947年にインドがイギリスから独立した際、宗教上の問題からヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はパキスタンとして分離独立することになりました。
その結果、現在のバングラデシュは東パキスタンとなりました。
インドを挟んで分離している西パキスタンと東パキスタンで、一つのパキスタンという国ができたわけです。

しかし、言語の問題や政治の中心になっていた西パキスタンに偏った政策などにより、東パキスタン(バングラデシュ)で独立運動が始まりました。

そして、1971年独立戦争が始まりました。
西パキスタンと対立していたインドが独立を支持、また第三次印パ戦争がインドの勝利で終わった結果、バングラデシュは独立を手にしました。

現在の状況

人口は約1億5800万人と、世界で8番目です。
経済的には厳しく、最貧国の一つとなっています。

と、経済的には貧しい国ではありますが、優しく明るい人たちが暮らしている国でもあります。

バングラデシュのビザ取得

さて、プリーから鉄道で移動し、コルカタ(カルカッタ)に到着しました。
到着後、すぐにバングラデシュ領事館へ向かいました。

バングラデシュ入国にはビザが必要なため、領事館でビザを取得するためです。
朝申請を終え、当日の夕方に無事ビザを取得しました。
※ビザ取得は状況によりかわります。

バングラデシュに向かう前の夕食

バングラデシュに向かう前日に、インドでは特別なものを一緒にバングラデシュに向かうバックパッカー仲間と食べに行きました。

それは、ビーフステーキです。

インドはヒンドゥー教の国です。
ヒンドゥー教では、牛は神聖な生き物のため、基本的に食べません。
デリーにはマクドナルドもありますが、ビーフ、ポークはないため、野菜コロッケとかチキンのハンバーガーです。

しかし、コルカタ(カルカッタ)には、インドでは珍しくビーフステーキを食べられる店があります。
※牛と言っても、実は水牛ですが。
食べた感想としては、まあ水牛なのでそれほどおいしい物ではありませんでした。
でも、インドでビーフステーキを食べた。という事実が大切というか、ネタの一つという感じです。

いざ国境へ

朝早めに起きて、バングラデシュを目指しました。

コルカタ(カルカッタ)のシアルダー駅まで行き、列車でバンガオンまで向かいました。
この列車はインドの通勤列車という感じでした。

そして3時間ほどでバンガオンに到着。
バンガオンの駅では、両替屋がたくさんいました。
インドのルピーとバングラデシュのタカを両替してくれます。

ちょっと怪しいので不安もあったのですが、紙幣のすかしを見たりして確認し、ある程度両替しました。
※結果的にはこのバンガオンでの両替が一番レートが良かったです。

そして、バンガオンからはリクシャーで移動しました。

国境越え

国境につき、インド側のイミグレーションで出国手続きをしました。

その際、私がネパールからインドに入国した国境の町バンバサのことを、係員が知らなくてやや手間取りました。
かなりマイナーな国境だったとはいえ、イミグレーションなんだから知っとけよとは思いました。

とはいえ、無事出国し、次はバングラデシュのイミグレーションへ。

日本人が珍しいからか色々と質問されましたが、無事に5か国目バングラデシュに入国しました。

リクシャでバス停まで移動した後、バスに乗りジョソールという町に移動し、バングラデシュ初日を終えました。

首都ダッカの様子はこちら

インド旅行記 プリーで年越し

コルカタ(カルカッタ)を離れ、次の町プリーを目指しました。

チベットからネパールまでヒマラヤ越えのメンバーが再度集まって、年越しすることになったからです。
ちなみにプリーに向かったのは2001年12月22日のことです。

コルカタ(カルカッタ)からは夜行列車で移動します。
なお、プリーはコルカタ(カルカッタ)の南西500kmほどのところ、ベンガル湾を臨む町です。

プリーに到着して、すぐにあらかじめ決めておいた宿へ。
そこで、無事チベット越えメンバーと再会しました。

沈没地プリー

プリーは一般の方はあまり知らないかもしれませんが、インドを旅行する日本人バックパッカーには人気がある町です。

物価が安く、ベンガル湾を臨み、日本人宿もあって、のんびりと過ごせる町です。
そのため長期滞在(沈没)する日本人バックパッカーも多くいます。

観光スポットとしては、ジャガンナート寺院というヒンドゥー教寺院が有名です。
なお、プリーの観光には自転車をレンタルするとよいです。

また、ビーチもあってのんびり過ごせます。

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私たちもプリーで集まって年越しをするのは、その評判を聞いていたためです。
そして、10日間ほど過ごしました。

最終的にチベットで出会ったメンバー6人が集まることになりました。
予想以上に集まってびっくりしました。
メンバーの一人が、ソバとか餅とか、日本酒とか年越しのための日本食材を持ってきてくれました。

プリーでのクリスマスイブ

プリーで12月24日を迎えました。
せっかくのクリスマスイブということで、プリーの町に売っている怪しげなケーキを買いました。

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いかにもバタークリームでおいしくなさそうな見た目だったのですが、久々のケーキだったためか意外とおいしくいただきました。
そのほか、タンドリーチキンを買ってきて、インドでクリスマス気分を味わいました。

年越し準備

クリスマスイブを終え、数日間はのんびりと過ごしました。
して、年越しに向けた準備に入りました。

まずは市場に行って食材探し。

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新鮮な野菜がたくさんありました。
野菜以外にもきな粉もうっていたので、餅にちょうどいいだろうと買うことにしました。

プリーで大晦日

そのほか着々と必要なものを買い揃え、大晦日を迎えました。

メンバーの一人がソバを持ってきてくれましたが、6人分はなさそうということで、年越しうどんも合わせて作ることにしました。
小麦粉を買ってきて、うどんを打ちました。
ビニール袋に入れた、足で踏んだりしてコシが出るように頑張ってみましたが、ちょっと難しかったです。

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そのほか、きんとんとか煮物など日本食っぽいものをみんなで作りました。

各国時間での新年

インド時間の年越し以外に、まず日本時間の年越し、そしてみんなが出会った中国時間での年越しも祝おうということになってました。
(時差は3時間半)

ですが、日本時間の年越しには年越しそば&うどんは間に合わず、とりあえずみんなで日本時間の新年を祝いました。
そして一時間後の中国時間の前には、年越しそば&うどんができあがり、食べました。
インドのプリーで食べる、年越しそば&うどんは感慨深いものがありました。

そして、インド時間の年越しは、みんなで浜辺に向かって祝いました。
2001年が終了し、2002年が始まりました。

その後、いったん宿に戻り少し眠りました。

プリーでの初日の出

そして、夜明け前にみんなで初日の出を見に浜辺まで行きました。
ただ、ちょっと曇っていて、きれいな初日の出は見れませんでした。

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そして、お屠蘇を飲み、像にや赤飯、おせちっぽく作った日本食をみんなで食べました。

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ちなみに1月2日にはぜんざいも食べました。

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バックパッカー仲間と国をまたいで集合して過ごした正月はとてもいい思い出です。

そして、1月3日みんな次の目的地へと向かっていきました。
私ともう1人は一緒にバングラデシュに行くことになり、まずはコルカタ(カルカッタ)に戻ることとなりました。

 

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インド旅行記 コルカタ(カルカッタ)

仏教聖地のブッダガヤを後にし、コルカタに向かいました。
コルカタはかつてはカルカッタと呼ばれたところです。

ちょうど私が訪れた2001年にカルカッタからコルカタへ変更されました。
名称が変更されたとはいえ、当時のバックパッカーはみんなカルカッタと呼んでました。

コルカタ(カルカッタ)は、西ベンガル州の州都です。

インドの東の端の方にあり、バングラデシュの国境も近いです。
後日、私もコルカタ(カルカッタ)からバングラデシュに向かっています。

サダルストリート

コルカタ(カルカッタ)には、バックパッカーには有名な安宿街「サダルストリート」という通りがあります。
安宿だけでなく、食堂やネットカフェ、両替所、土産物屋、旅行代理店などが並んでいます。

ですので、私もガヤから鉄道でコルカタ(カルカッタ)のハウラー駅に到着した後、すぐにサダルストリートをに向かいました。

タクシーなどでも行けますが、私はフェリーで川を渡り、そのまま歩いてサダルストリートに行きました。
ちょっと歩くのですが、安くいけます。

サダルストリートで宿を探そうと歩いていると、後ろから女性の声で
「宿をお探しですか?」
と、日本語で質問されました。

驚いて振り返ってみると、一緒にチベットからネパールまでのヒマラヤ越えをしたメンバーの一人が立っていました。
本当にびっくりしました。
ネパールで別れて以来1か月ぶりくらいの再会です。
バックパッカーで同じ方向を目指していると、けっこうあることですがやはり予期せぬ再会はうれしいものです。

久々の再会を喜んでいたのですが、彼女はその日に次の町プリーに向かうとのこと。
私もコルカタ(カルカッタ)の後は、プリーで年を越す予定だったのでプリーで年越ししようということになり、見送りました。
※その日は12月20日でした。

その後、他のヒマラヤ越えメンバーもみんなインドに来ているので、メールで連絡してみることにしました。
結果、数人が集まることになります。
プリーでの年越しの様子はまた別途書きます。

コルカタ(カルカッタ)の町

コルカタ(カルカッタ)はインド3番目の町であり、大都会です。
人もたくさんいますし、車、リクシャーもたくさん走っています。

Kolkata
※写真はWikipediaからお借りしてます

なぜかコルカタ(カルカッタ)の写真が残っておらず、実際の写真で紹介できないのが残念です。

カーリー寺院

コルカタ(カルカッタ)にはカーリー寺院があります。
女神カーリーは血と殺戮を好む戦いの女神です。
そのためヤギを生贄として捧げます。

ネパールのカトマンドゥにあるダクシンカリ(カーリー寺院)と同様です。

それなりに衝撃的かもしれませんので、苦手な人は見ない方がよいかもしれません。

コルカタの動物園

コルカタの動物園ではホワイトタイガーが見れます。
それほど、動物好きというわけでもなかったのですが、せっかくなので見に行きました。

のんびりと動物を見てるとけっこう楽しかったです。

更なる再会

コルカタ(カルカッタ)にきて、2日目。
サダルストリートを歩いていると、これまた偶然でヒマラヤ越えメンバーのと会いました。
聞くとバングラデシュから帰ってきたところとのこと。

私は翌日コルカタ(カルカッタ)を離れてプリーに行く予定だったので誘ってみました。
すでにメンバーの一人は向っていることを説明し、せっかくなのでみんなで年越ししようということで一緒に移動することになりました。

というわけで、翌日プリーに向かいます。

プリーでの年越しの様子はこちら

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インド旅行記 仏教聖地ブッダガヤとスジャータ村

ヒンドゥー教の聖地バラナシから日帰りで仏教聖地サルナートを訪れた後、もう一つの仏教聖地ブッダガヤを目指しました。

ブッダガヤは釈迦が悟りを開いた地として、仏教四大聖地の一つされています。
なお、四大聖地とは以下の4つです。

私にとっては、ルンビニ、サルナートに続く3つ目の仏教聖地です。
ブッダガヤの大菩提寺として世界遺産にも登録されています。

バラナシからガヤへの列車が遅延

ブッダガヤはバラナシから東に250kmほどのところにあります。
バラナシのムガルサライ駅からガヤまで鉄道で移動し、その後ブッダガヤまで移動します。

私は夕方にムガルサライを出て夜にガヤに着く列車に乗る予定でした。
そして、バラナシの町中からムガルサライ駅についたのですが、列車が遅れているとの連絡がありました。

インドは広大な領土であり、鉄道の遅延も日常茶飯事です。
場合によっては24時間以上の遅れが出ることもあります。
しかもアナウンスも不親切だったりするので、いつくるか分からないこともあります。

日本の感覚で行くと大変なことになりますので、気長に待ちましょう。

なお、私の乗るはずの列車は4時間遅れで到着しました。
その4時間何をしてたかというと、特に何もせずベンチに座っていました。
バックパッカーにとっては、よくあることなのであわてず騒がず、いつ列車が来てもいいように気長に待ちました。

ガヤに到着して夜明けを待つ

そして4時間遅れの列車に乗って、なんとかガヤにつきました。
しかし、ガヤに着いたのは午前2時。
まっくらです。
この時間に動いても宿の確保は難しいため、夜明けまで待つことにしました。

しかし、12月の北インドはけっこう寒かったりします。
ネパールのカトマンズで購入した寝袋にくるまりながら、夜明けを待ちました。

仏教聖地ブッダガヤ

夜が明けバスに乗って聖地ブッダガヤに向かい、まず宿を確保しました。
そして、ブッダガヤ観光に出かけました。

世界遺産ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺院

観光のメインが世界遺産にも登録されている大菩提寺です。
多くの環境客が訪れていました。
もちろん仏教聖地ですので、多くの仏教徒も訪れていました。

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中央の本堂は高さ52mもあります。

そして、釈迦が悟りを開いた場所と呼ばれる菩提樹もあります。

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多くの僧が読経してたりしました。

仏教の聖地だけあり、とても落ち着いた雰囲気の場所でした。
悟りは開けませんでしたが、のんびりした気分となれました。

地元の人とスジャータ村へ

ブッダガヤも観光地なのでダマそうとするインド人もいるのかもしれませんが、たまたま知り合った人たちはとてもいい人でラッキーでした。

中でもたまたま入ったブッダガヤにある食堂の人たちととても仲良くなりました。
ブッダガヤには3日ほどいましたが、全ての食事をそこで食べました。
なぜかお店の手伝いなどもしましたが、このような地元の人たちとの出会いもバックパッカー旅行の醍醐味です。

そして2日目、その人たちとスジャータ村に行くことになりました。
スジャータといえば、コーヒーに入れるものを思い浮かべるかもしれませんね。

スジャータとは、釈迦が悟りを開く直前に乳粥を供養し命を救ったという女性の名前です。
それに由来しスジャータ村と呼ばれています。

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のどかな風景が広がっていました。

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遠足気分でのんびりと会話を楽しみながら歩きました。
食堂の人たちと会話を楽しみながらのスジャータ村観光はとても楽しかったです。

ブッダガヤは仏教の生死であり、のんびりできる町であり、地元の人たちと交流できた思い出深い町です。
ぜひ訪れてみてください。

ブッダガヤの次は、のんびりとは正反対の町カルカッタ(コルカタ)へ向かいました。

コルカタ(カルカッタ)についてはこちら

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インド旅行記 仏教聖地サルナート

ヒンドゥー教の聖地バラナシから、日帰りで行けるもう一つの聖地があります。

それが、仏教の聖地サルナートです。
サルナートはブッダが悟りを開いた後、初めて説法を説いた地で仏教四大聖地の一つとされています。

なお、四大聖地とは以下の4つです。

  • ルンビニ:ブッダ生誕の地
  • ブッダガヤ:ブッダが悟りを開いた地
  • サールナート:ブッダが最初に説法した地
  • クシナガル:ブッダ入滅の地

私自身としては、インドの前に訪れたネパールにあるブッダ生誕の地ルンビニに続いて二つ目の仏教聖地でした。

バラナシからサルナート

バラナシから、北東10kmくらいのところに仏教の聖地サルナートはあります。
バックパッカーだった私は、タクシーではなくバスで向かいました。

バラナシからサルナートまではバスで40分くらいで着きます。
ですので、余裕で日帰りで行けます。

ですので、同じ日にヒンドゥー教と仏教の聖地を両方を見ることができるわけです。

サルナートの地に着くともちろん観光客はいましたが、そこまで観光地という雰囲気ではありませんでした。
バラナシに比べれば人も格段に少なく、とてものんびりした雰囲気の場所でした。

仏教聖地サルナート

サルナートはブッダが悟りを開いた後、初めて説法をした(初転法輪)所として仏教四大聖地の一つとされています。
鹿が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも言われます。
※悟りを開いた地ブッダガヤは、この後に訪れているので別途書きます。

釈迦が最初の説法をした地には ダメーク・ストゥーバという巨大な仏塔が建てられています。

sarnath1

私が訪れた2001年12月の段階では、修理されてました。

このストゥーパ周りは整備された公園になっています。
さすが仏教の聖地というべきか、落ち着いた感じの場所でした。
喧騒溢れるバラナシからわずか10kmで、このようなのんびりと落ち着いた場所があるわけです。

このサルナートの地で、日本人のお坊さんと出会いました。
何を話したか細かいことは覚えていませんが、敬虔で、真面目な方でした。

そのほかにも各国の仏教徒が訪れている場所です。

久々に落ち着ける場所に来たという感じで、私自身はサルナートは気に入りました。
もし、バラナシに行くのであれば、少し足を延ばしてサルナートに訪れてみてはいかがでしょうか?

そしてサルナートを観光した後、仏教四大聖地の一つ、ブッダが悟りを開いた場所であるブッダガヤを目指しました。

ブッダガヤの様子はこちら

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インド旅行記 ガンジス川が流れる聖地バラナシ

バラナシは、ヒンドゥー教の一大聖地です。
そのため、インド各地から巡礼者が集まるとともに、外国人旅行者も多く訪れます。

町中にはガンジス川が流れ、ガートという沐浴場があり、死体が焼かれてたりします。
ガンジス川はガンガーと呼ばれます。
「ガンガー」はガンジス川を神格化した女神で、現地の人はガンジス川自体もそう呼びます。

バラナシは日本人がイメージするインドらしいインドの町かもしれません。
バックパッカーの中には長期滞在(沈没)する人もけっこういます。

なお、観光客が多く集まるだけに、客引きやダマそうとする人も多いので注意も必要です。

バラナシに到着して

鉄道でバラナシに到着しました。

駅からはサイクルリクシャー(自転車タクシー)で移動します。
なお、ちゃんと交渉しないと、ボられたりするので気を付けましょう。

バラナシには安宿がたくさんあります。
日本人バックパッカーが集う、日本人宿もあったりします。

私は日本人宿ではないゲストハウスに泊まりました。

町中は細い道が多く、雑然とした感じでインドらしいです。

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もちろん牛もいっぱい歩いています。
ですので、牛のフンもいっぱいあるので注意して歩きましょう。

ガンジス川(ガンガー)

バラナシの見どころといえば、ガンジス川(ガンガー)でしょう。

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そして、ガートとよばれる木浴場がいくつもあります。
多くの人が沐浴をしているのですが、その隣では洗濯してたりします。

生活排水、ゴミも流れているので、聖なる川はかなり汚い川でもあります。
(それ以外も流れているものがあります。後述します)

火葬場

さらにはマニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートという二つのガートは火葬場でもあります。
荼毘に付された後の遺灰はガンジス川(ガンガー)へ流されます。

写真禁止なので、写真は残っていませんが、私も火葬の現場を見ました。

このような様子を見て、生と死について考えたり、人生観が変わったという人もいるようです。
私は、各地で様々な生死について考える場面があったので、そこまでの衝撃はありませんでした。
チベットの鳥葬が一番衝撃的でした。)

なお、貧しくてで薪代が払えない人や子供、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人などは火葬されずにそのままガンジス川(ガンガー)流されます。
そのため、たまに遺体が浮いてたりします。

そのような横で、沐浴してたり、洗濯してたりするわけですから、たくましいですね。

日本人旅行者も、ガンジス川(ガンガー)で沐浴する人もいます。
ただ、沐浴後に口や粘膜から病原菌が入り、病気になる人もいるので注意してください。

ちなみに私はヒンドゥー教徒でもなく、沐浴にはまったく興味がなかったのでやりませんでした。

ガンジス川(ガンガー)の対岸

ガンジス川(ガンガー)の対岸は、死の世界、不浄の地とされています。
人が住めないため、建物はなく砂浜が広がっています。

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対岸にはボートで渡ることができますが、私は渡りませんでした。
今になってみると、渡っておいてもよかったかなと、ちょっと思いました。

バラナシは日本人がイメージするインドらしいインドともいえる町ですね。

ところで、「インドに行くと好きになるか嫌いになるかどっちか」とよく言われたりします。
確かにインドをすごく好きになる人と、すごく嫌いになる人の両極端があります。
が、私は別に特別好きでもなければ嫌いでもありません。

人生観がかわる人もいたりするわけですが、実はインド以外のいろんな国でもいろんなことが体験できます。
なので、変に先入観を持たずに、自然体でインドに訪れてもよいのでは、と思ったりもします。
これはインドを否定しているわけではなく、各国各地のその良さがあるということを伝えたいだけですので、誤解しないでくださいね。

とはいえ、バラナシは世界の都市の中でもユニークな存在ではあります。
日本ではできない体験ができますので、一度訪れてみるのもよいと思いますよ。

さて、次はバラナシから日帰り旅行できる仏教聖地サルナートの様子をお伝えします。

サルナートについてはこちら

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インド旅行記 世界遺産カジュラホの寺院群

タージマハルのあるアーグラーを離れ、次の町を目指しました。

向かったのは、ヒンズー教とジャイナ教の寺院遺跡が残される町カジュラホです。
カジュラホの寺院群は世界遺産にも登録されています。
特に寺院の外壁をうめるエロティックな彫刻が有名です。

インドの中でも人気の観光地となっています。

アーグラーからジャンシー経由でカジュラホへ

アーグラーからはジャンシーという町まで鉄道で行き、そこからバスでカジュラホに向かうルートです。

まず、アーグラーから列車でジャンシーまで向かったのですが、その列車が遅れてしましました。
ジャンシーの駅に着いてすぐに、オートリクシャー(三輪タクシー)に乗り、カジュラホ行のバス停に向かいました。

急いでいるというと、そのオートリクシャーはかなり飛ばしてバス停に向かってくれました。

しかし、結局間に合わず、しかたなくジャンシーに一泊することとなりました。
そのオートリクシャーの運転手が、宿まで送ってくれました。(もちろん有料ですが)

ジャンシーの町は特に何もなかったのですが、ターリー(インドの定食)がおいしかったです。

カジュラホへ

さて、予想外にジャンシーで一泊でした後、カジュラホへバスに向かいました。

そのバスの中で、「カジュラホのホテルの従業員だ」という人と隣になりました。
インドでは向こうから声をかけてくる人は怪しいです。
特にカジュラホは、観光客目当ての客引きの評判が悪い町なので警戒しました。

「ちょっと疲れてるから、静かにしといて」
というと、意外にも勧誘することもなく、静かにしてくれました。

その従業員はしつこくなくていい人っぽかったので、カジュラホ到着後、そのホテルまで連れて行ってもらいました。
ホテル レイクサイドという宿でした。

カジュラホの中心部には大きな湖があるのですが、その名の通り湖の目前に建っているのがホテルでした

ここのオーナーは日本語も話せるのですが、とてもいい人でした。
(日本語が話せるインド人は大体怪しいのですが)

ホテル自体もけっこうきれいでしたし、寺院群からも近く、人の感じもよかったのでホテル レイクサイドに泊まることにしました。

カジュラホの遺跡群

カジュラホの遺跡は、ジャイナ教寺院の東群とヒンズー教寺院の西群に分かれています。

とりあえず、初日は東群を観光することにしました。

東群の寺院遺跡

東群のジャイナ教寺院のうち有名なのがパールシュバナータ寺院です。

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10世紀に建てられた寺院だそうです。
いい感じの遺跡でした。

初日は東群だけみて、宿に戻りました。
カジュラホは田舎の村という感じで、のんびりしたいいところでした。

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ただ、中には観光客目当てのうるさい人たちも多いので気を付けてください。

西群の寺院遺跡

翌日、西群の寺院遺跡を観光に行きました。

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ヒンズー教寺院が中心です。
そして、古代インドの性愛論書(カーマスートラ)の教えを描いたエロティックな彫刻が刻まれています。

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ミトゥナ像(男女交合の彫刻)など、官能的なレリーフ群が広がっています。

なかなか激しい彫刻もあるわけですが、淫靡というのではなく、あからさまな明るい感じのものでした。
精緻なレリーフは見ごたえがありました。

カジュラホはのんびりした村で、泊まった宿も居心地が良かったので数泊しました。
そして、次に聖地バラナシを目指しました。

 

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インド旅行記 世界遺産 白亜の霊廟タージマハル

インドのアーグラー。
そこには世界遺産にも登録されている白亜の霊廟タージマハルがあります。
タージマハルは、私がこれまで50ヶ国以上を訪れた中で、最も美しい建築物と思っています。

そのタージマハルがあるアーグラーはインドの首都デリーの南200kmくらいのところにあります。

デリージャイプル、そしてこのアーグラーの3都市はゴールデントライアングルとも呼ばれ、インド北部の人気の観光地です。

白亜の霊廟タージマハル

世界遺産にも登録されているタージマハル。
タージマハルは17世紀ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった王妃のための霊廟として22年の歳月をかけて作ったものです。

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なお、皇帝シャー・ジャハーンは晩年タージマハールの向かいに黒大理石の宮殿を建てようとしていたそうです。
しかし、タージマハル建設のための莫大な浪費を理由とし、息子によって幽閉されてしまいました。

もし、白亜のタージマハルの向かいに、黒の宮殿があったとしたらそれはとても美しい光景だったと思います。

タージマハルを間近に見て

さて、門を抜け、実際にタージマハルの目にするとその美しさに目を奪われました。
私は「世界一美しい建築物だ」と今でも思っています。

TajMahal3

正確無比なシンメトリー(左右対称)で、真っ白なその美しさは言葉で表現できません。
思わず見とれてしまいました。
水面に映る逆さタージマハルも美しいです。

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もちろんタージマハルは人気の観光スポットですので、多くの観光客が訪れています。
世界各国の人たちが訪れていました。
この美しい建物はやはり見る価値がにあります。

近づくとその大きさにも驚かされます。

TajMahal4

この丸屋根の上部までは58mもあるそうです。

今思い返してみても、このような美しい建物を間近で見られたことは、私の人生の宝ともいえます。
バックパッカーになってよかったと思います。
まさに旅の醍醐味の一つですね。

タージマハルは本当に美しい建物なので、ぜひ訪れてみてください。

タージマハルの川沿い

このタージマハルは川沿いに立っているので、川の光景も眺められます。

TajMahal7

私は川の眺めが好きなので、落ち着きます。

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この辺りは人が多くなく、のんびりとした気分になれました。

このようにタージマハルは本当に美しい建物です。
タージマハルのあるアーグラーはデリーからのアクセスもよいので、ぜひ訪れてみてください。
本当に一生に一回は見る価値がありますよ。

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