国境

インド・バングラデシュ旅行記 コルカタからバングラデシュへ

インドのプリーで年を越した後、いったんコルカタ(カルカッタ)に戻りました。
それは、ユーラシア大陸横断5か国目のバングラデシュに向かうためでした。

バングラデシュは有名な観光地もあまりなく、観光客はあまり訪れません。
日本人で行ったことがある人も少数だと思います。

ただ、観光地化されていない分、人がすれていなくて、のんびり純朴な人が多いです。
インドとは全然違ってギャップがある、とバックパッカーたちから聞いていたので行くことにしました。

北京、チベット、ネパール、インドのプリーで一緒だったバックパッカー仲間と二人旅です。

バングラデシュとは

バングラデシュといっても、あまりイメージできない方が多いと思いますので少しバングラデシュについて解説します。

場所

バングラデシュはインド東にある国です。

インド、そしてミャンマーと国境を接しており、ベンガル湾に面しています。

国旗

バングラデシュの国旗が日本の日の丸に似ているので、国旗は見たことある人も多いと思います。

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赤い円は昇りゆく太陽と独立戦争で流された血を表し、地の緑色は豊かな大地を表しているそうです。

宗教

イスラム教徒89.7%、ヒンズー教徒9.2%、仏教徒0.7%、キリスト教徒0.3%(2001年国勢調査)となっています。

イスラム教徒が大部分を占める国です。

歴史(独立の経緯)

1947年にインドがイギリスから独立した際、宗教上の問題からヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はパキスタンとして分離独立することになりました。
その結果、現在のバングラデシュは東パキスタンとなりました。
インドを挟んで分離している西パキスタンと東パキスタンで、一つのパキスタンという国ができたわけです。

しかし、言語の問題や政治の中心になっていた西パキスタンに偏った政策などにより、東パキスタン(バングラデシュ)で独立運動が始まりました。

そして、1971年独立戦争が始まりました。
西パキスタンと対立していたインドが独立を支持、また第三次印パ戦争がインドの勝利で終わった結果、バングラデシュは独立を手にしました。

現在の状況

人口は約1億5800万人と、世界で8番目です。
経済的には厳しく、最貧国の一つとなっています。

と、経済的には貧しい国ではありますが、優しく明るい人たちが暮らしている国でもあります。

バングラデシュのビザ取得

さて、プリーから鉄道で移動し、コルカタ(カルカッタ)に到着しました。
到着後、すぐにバングラデシュ領事館へ向かいました。

バングラデシュ入国にはビザが必要なため、領事館でビザを取得するためです。
朝申請を終え、当日の夕方に無事ビザを取得しました。
※ビザ取得は状況によりかわります。

バングラデシュに向かう前の夕食

バングラデシュに向かう前日に、インドでは特別なものを一緒にバングラデシュに向かうバックパッカー仲間と食べに行きました。

それは、ビーフステーキです。

インドはヒンドゥー教の国です。
ヒンドゥー教では、牛は神聖な生き物のため、基本的に食べません。
デリーにはマクドナルドもありますが、ビーフ、ポークはないため、野菜コロッケとかチキンのハンバーガーです。

しかし、コルカタ(カルカッタ)には、インドでは珍しくビーフステーキを食べられる店があります。
※牛と言っても、実は水牛ですが。
食べた感想としては、まあ水牛なのでそれほどおいしい物ではありませんでした。
でも、インドでビーフステーキを食べた。という事実が大切というか、ネタの一つという感じです。

いざ国境へ

朝早めに起きて、バングラデシュを目指しました。

コルカタ(カルカッタ)のシアルダー駅まで行き、列車でバンガオンまで向かいました。
この列車はインドの通勤列車という感じでした。

そして3時間ほどでバンガオンに到着。
バンガオンの駅では、両替屋がたくさんいました。
インドのルピーとバングラデシュのタカを両替してくれます。

ちょっと怪しいので不安もあったのですが、紙幣のすかしを見たりして確認し、ある程度両替しました。
※結果的にはこのバンガオンでの両替が一番レートが良かったです。

そして、バンガオンからはリクシャーで移動しました。

国境越え

国境につき、インド側のイミグレーションで出国手続きをしました。

その際、私がネパールからインドに入国した国境の町バンバサのことを、係員が知らなくてやや手間取りました。
かなりマイナーな国境だったとはいえ、イミグレーションなんだから知っとけよとは思いました。

とはいえ、無事出国し、次はバングラデシュのイミグレーションへ。

日本人が珍しいからか色々と質問されましたが、無事に5か国目バングラデシュに入国しました。

リクシャでバス停まで移動した後、バスに乗りジョソールという町に移動し、バングラデシュ初日を終えました。

首都ダッカの様子はこちら

ネパール旅行記 最西端の国境マヘンドラナガルからインドへ

チベットからネパールに入った後、首都カトマンズ ⇒ ヒマラヤを望む町ポカラ ⇒ ブッダ生誕の地ルンビニと旅行しました。

ネパールには合計1ヶ月くらいいました。
ヒンズー教文化に触れたり、ヒマラヤが見れたり、日本食が食べられたりとネパールを堪能できました。

そしていよいよ、ユーラシア大陸横断旅行4か国目インドへと向かうことになりました。

実はブッダ生誕の地ルンビニはインドとの国境が近いので、ルンビニからスノウリという国境に向かうのが一般的です。
ですが、何となくマイナーな国境からインドに入りたくなり、ネパールの西の端にある国境マヘンドラナガルという町へ向かいました。

マヘンドラナガルへの道

ルンビニからは500kmほどあり、1日で行くことは困難です。
そのため、途中ネパールガンジという町で一泊し、その後マヘンドラナガルに向かうルートを通りました。

ネパールガンジは、観光地というものは一切ない地味な町でした。
正直あまり覚えていません。
写真の一枚でもとっておけばよかったです。

国境の町マヘンドラナガル

ネパールガンジでは一泊し、その後またバスに乗りマヘンドラナガルへ向かいました。
マヘンドラナガルへの道中は、ひたすら森の中という感じでした。

マヘンドラナガルに到着したのは夕方でした。
宿を確保して、部屋の窓から見るとたまたま夕日が見えました。

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ネパールで見た最後の夕日ですね。

マヘンドラナガルは国境の町ですが、特に観光地や見所もありませんでした。
ネパール最後の夜を迎え、翌日インド国境に向かいました。

国境を越えてインドのバンバサへ

マヘンドラナガルの国境は、小ぢんまりしてました。

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ネパール側の出国手続きを終え、インド側の国境へ。
こうしてユーラシア大陸横断3ヶ国目ネパールを後にしました。

ルンビニから2日もかけて、マヘンドラナガルから国境を越えたわけですが、途中観光地があるわけでもなく、ハプニングがあるでもなく、実に平穏な国境越えの道でした。

とはいえ別に無駄な時間を過ごしたとは思いません。
バックパッカーは時間だけはたくさんあります。
何気ない日々や素朴な街を通ることも、醍醐味の一つなのです。

4か国目インドへ

さて、日本を離れて3か月、ようやく4か国目インドに入国です。
インドには学生時代にも来たことがあるので、2回目です

インド側の国境の町はバンバサというところです。
国境から町までは距離が離れているので、サイクルリクシャという自転車タクシーを使いました。

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バンバサも緑がいっぱいという感じでした。

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素朴な田舎町でした。

バンバサには宿泊せず、そのままインドの首都デリーに向かう夜行バスに乗ることにしました。
夜行バスの時間まで食堂で時間をつぶしたりしてましたが、周りの人が話しかけてきたりしました。
でも、インドの観光地でよく見かけるダマして金を取ろうとする人たちではなく、いい人たちが多かったです。

やはりインドでも田舎の人はいい人が多いものだなと感じました。

そして、デリーに向かうボロボロのバスがきました。
ずっとのんびりした田舎の町にいたので、デリーのような癖のある街は久しぶりです。

ちょっと気持ちを引き締めてデリー行のバスに乗り込みました。

デリーについてはこちら

中国・チベット旅行記 ヒマラヤを越えネパール国境へ

チベットのラサからネパールに向かう3泊4日のヒマラヤ越えツアーの4日目、最終日。
エベレストベースキャンプにて、チョモランマ(エベレスト)の朝焼けを見ることから始まりました。

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素晴らしい光景を見た後、ランドクルーザーに乗り込みました。
そしてユーラシア大陸横断2ヶ国目の中国から3か国目ネパールに入るため、国境に向かいました。

ヒマラヤの風景

チョモランマ(エベレスト)を離れてもヒマラヤの素晴らしい風景が広がっていました。

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エベレストベースキャンプの標高5200mから徐々に標高が下がり、植物も目に入るようになってきました。

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石積みの枠の中に羊?がいました。
なんとも心穏やかになる光景でした。

川で渋滞

その後、雪解け水で増水したためなのか、川の途中で車がはまってしまっていました。

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はまった車はなかなか抜け出せず、車が詰まりました。
その車を救出しようとした車もはまってしまったりと、渋滞が起こってしまいました。

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なかなか抜け出せなくてたいへんそうでしたが、時間はかかったものの無事にすべての車が川を抜けました。

我々のランドクルーザーの運転手は、冷静にその様子を見て安全なルートを確認し無事に川を抜けました。
ただ、この時のタイムロスが後々響きました。

ネパール国境への道中

川を無事に抜けた後は順調に進みました。
それからの風景もとても美しかったです。

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青い空と白いヒマラヤ、そしてオボと呼ばれる石塚の組み合わせがいい感じでした。
なお、オボは神を祀るための石塚でチベットではあちこちで見かけます。

その後も順調にランドクルーザーは進んでいきました。

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その後も素晴らしい風景が広がっていました。
そして、徐々に標高は下がっていきます。

標高が下がり緑が

国境に近づいてきて、標高が一気に下がります。
標高2350mまで下りていきます。

すると一気に緑が生い茂っている風景が見えました。
「日本みたい」とみんなで盛り上がりました。

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そして、空気が濃い!!空気が重い!!

なにしろ前日は標高5200mのエベレストベースキャンプ、その前の1か月間はずっと標高3600m以上のところにいたのです。
標高2350mの空気の濃さにはびっくりしました。

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緑が見えた記念に二人で連れションしました。

国境の町ダムに一泊

そして国境の町ダムについたのですが、残念ながら国境が開いている時間に間に合いませんでした。
さきほどの川での渋滞によるタイムロスが響きました。

この日が中国最終日のはずだったのですが、国境を超えることはできませんでした。
しかたなく、国境の町ダムに一泊しました。

ちなみに宿の部屋は4階だったのですが、階段を駆け上がってもまったく息が切れませんでした。
標高3600m以上に1ヶ月いたからですね。
高地トレーニングってすごいなー、と実感しました。

緑があって空気がうまかったです。
とはいえ、観光スポットがあるわけでもないので、その日は食事と中国最後のビールを楽しみ、飲み眠りにつきました。

翌日、今度こそ本当に2ヶ国目の中国最終日、3か国目ネパールに入ります。