大陸横断

ポルトガル旅行記 ユーラシア大陸最西端のロカ岬

ユーラシア大陸最西端の国ポルトガル。
そのポルトガルの中でも、最も西に位置しているのがロカ岬です。

つまりユーラシア大陸最西端の地ということです。
ユーラシア大陸陸路横断を始めた私にとっての目的地だったところです。

ただ、以前も書いたように大陸横断していた2001年~2002年にかけ、9.11同時多発テロインドとパキスタンの関係悪化がありました。
そのためインドからパキスタンに陸路で入れず、エジプトまで飛行機を使うこととなってしまいました。

そのためユーラシア大陸陸路横断ができなかったのです。

ユーラシア大陸陸路横断の出発地点ロカ岬

そこで私はロカ岬をユーラシア大陸陸路横断の出発地点とすることにしました。

日本を離れてすでに10か月。
本来の目的地を出発地に変更し、ようやくユーラシア大陸陸路横断が開始するのです。

リスボンからロカ岬へ

ポルトガル初日は首都リスボンを観光し、2日目いよいよ出発地点ロカ岬を目指しました。

ロカ岬の観光拠点はシントラという町です。
リスボンからシントラまでは列車で1時間弱です。

そのシントラからロカ岬まではバスで40分ほどです。
そしてついにロカ岬に到着しました。

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ユーラシア大陸の西の端っこに到着です。
大西洋が広がっています。

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記念に石碑と一緒に写真を撮ってみました。
完全な陸路横断はできませんでしたが、最西端に来たんだと感慨深いものがありました。

せっかくなのでロカ岬の中でもさらに先っちょに立つことにしました。

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大西洋を見下ろしました。

ユーラシア大陸陸路横断開始

そして、ロカ岬の先っちょにてユーラシア大陸陸路横断開始です。

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ここから改めて大陸横断が始まるんだと気持ちが切り替わりました。
絶対に飛行機を使わず日本に帰るんだと心に決めました。

ここから約7か月をかけて日本に戻ることになります。

シントラ観光

ロカ岬からシントラに戻りました。
ついでというわけではありませんが、せっかくなのでシントラの町も観光することにしました。

シントラの文化的景観」として世界遺産にも登録されているのです。

シントラには丘があって、ブラブラと丘を歩いて上がりました。
丘の上にはシントラ宮殿があります。

丘の上からの眺めはきれいでした。

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赤い屋根と緑が美しいです。

ポルトガルの田舎町はのんびりしていていい感じでした。

ロカ岬、シントラの町を堪能し、リスボンに戻りました。
ロカ岬ではしゃぎすぎたのか、帰りの列車は寝てしまいました。

リスボンでもう1泊し、次の町ファロに向かいました。
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ユーロラインパスで西ヨーロッパ旅行開始

アジアから中東、東ヨーロッパはハンガリーのブダペストまで来ました。
そして、いよいよ西ヨーロッパに入ることにしました。

当時の旅行の目的は、ユーラシア大陸陸路であり、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬は外せません。

ただ、西ヨーロッパは物価が高いので、アジアから来たバックパッカーにとってはけっこうハードルが高いです。
駆け足になってもなるべく安くいく方法を探し、ユーロラインズパスを使うことにしました。

ユーロラインズパスとは

ユーロラインズとは、ヨーロッパのバス会社が加盟している国際長距離バスです。
ユーロラインズのオフィシャルサイト⇒http://www.eurolines.com/

eurolines※写真はWikipediaからお借りしました。

ユーロラインズパスという、期間限定で国際バス乗り放題というパスがあります。

鉄道ではユーレイルパスという乗り放題のパスが有名ですがけっこう高いのです。
バックパッカーの私は、ユーロラインズパスの方がだいぶ安いので、バスでの西ヨーロッパを旅行することにしました。

ユーロラインズパスには、15日間有効、30日間有効など期間を設定したパスがあります。
さすがに15日間で西ヨーロッパを回るのは不可能なので、30日間のパスを買いました。

当時の金額は忘れたのですが、2015年9月現在の価格を公式サイトで見ると350ユーロのようです。
1ユーは135円くらいなので、46000円くらいです。

私が訪れた当時(2002年)は、まだユーロが安く1ユーロ=100円くらいだったので35,000円くらいだったのだと思います。

ユーロラインズパスの制限事項

ユーロラインズパスはバス乗り放題ではあるのですが、どんなバスでも乗り放題なわけではありません。

国際バスという名が示す通り、国際バスでしか使えません。
ですので、国際バスが通る限られた都市に限定されます。
また国内バスでは使えないので、ルートを色々と考える必要があります。

とはいえ、この旅行の時は、西ヨーロッパは物価が高いのでさっさとポイントを抑えて回ろうと決めていたので、最適な選択だったと思います。
なるべく8時間以上移動する夜行バスを手配し、宿代を浮かせることもできました。

強行西ヨーロッパツアー

ユーロラインズパスを利用して、けっこうハードな西ヨーロッパツアーに出ました。

結果として、30日間で12か国を回りました。
イギリスなんかは、ロンドンに朝着いてその夜に出るという、0泊だったりもしたので行った国として数えていいのか微妙だったりしますが。

正直言って、この時は都市をさっさと巡っていたので、その国々の良さを実感できる旅行ではありませんでした。
いずれ各国をゆっくり回ってみたいと思っています。

とはいえ、この強行ツアーもけっこう楽しかったので、旅行の模様をお伝えしていきます。

オーストリアの音楽の都ウィーンについてはこちら

バックパッカー旅行記 ユーラシア大陸横断の旅へ

1995年大学時代に初めてバックパッカーとして、中国に行きました。
その時の楽しさが私の人生を変えました。

初めての中国旅行記はこちら

大学4年間の間、休みのたびに東南アジアを中心にバックパッカー旅行に出るようになりました。
4回生のころは、単位も取れていたので1年の半分を海外で過ごしていましたね。

その後、1998年に就職したのですが、バックパッカーとしての魂は消えませんでした。
バックパッカーとして、一生に一回はやってみたいことがありました。

ユーラシア大陸横断旅行

それが、「1年以上の長期旅行」「ユーラシア大陸の陸路横断」でした。

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※このユーラシア大陸横断旅行で私が訪れた国を塗りつぶしてみました。

3年目で退職へ

実は新卒で入社した時から、いずれはユーラシア大陸陸路横断はやってみたいと考えていました。
今思うと、会社にとっては迷惑な新人ですね。

ある程度お金がたまったら、旅に出たいという思いが強かったわけです。
で、思いのほか早くお金がたまりました。
※といってもそんなすごい額ではないです。
ちなみにユーラシア大陸横断旅行の約1年半での費用総額は120万円ほどでした

入社して3年目。
先輩などから仕事を教えてもらって、ようやくこれから戦力になるかも、という段階でした。
もう少し仕事を覚えて実力をつけてからという思いもあったのですが、ちょうどその時期に組織改変の話がありました。

そしてお世話になった上司が移動となり、別の上司がついたのですがどうも性格が合いませんでした。
あまりこの人から学ぶところはないな、と若造が偉そうに思ってしまったわけです。
今思うとすいません、という感じですが。。。

お金もたまって、仕事もイマイチ、ということもあり、であれば若いうちにさっさと夢をかなえてしまおうと会社を辞めることにしました。

両親にも話しましたが、自主性に任せる家庭だったので、「好きにしたら」の一言だけでした。
理解のある両親には感謝しています。

というわけで、新卒3年目、24歳で会社を辞めてユーラシア大陸陸路横断の旅に出ることにしました。

ユーラシア大陸横断旅行の期間設定

ユーラシア大陸横断旅行の期間ですが、2001年8月から2002年の12月までの1年5ヶ月でした。
とりあえず1年以上はかかると思っていたのですが、最大でも2002年の12月には帰る、と決めていました。

理由は何かというと、免許の更新があったから。

実は海外にいれば免許更新時期をずらすことはできるので、関係ないと言えば関係ありません。
ですが、いつまでも海外に居続けるわけにもいかないと思い、区切りの意味もあり最大期間だけは決めておきました。

ちなみにユーラシア大陸横断の期間は最大1年5ヶ月と決めていましたが、海外放浪の期間は29歳までの最大5年間と決めていました。
そうはいっても、もっと早く再就職するだろうと思っていたのですが、結局5年間放浪してしまいました。。。

でも、期間を決めていなければ今でも社会復帰できてなかったかもしれないので、それはそれで良しとしましょう。

旅行の準備

1年半と長期にわたるユーラシア大陸横断旅行ですが、準備についてはほとんどやることはありませんでした。
学生時代から1,2ヶ月単位でのバックパッカー旅行はしていたので、だいたい必要なものは分かってますし、物もそろっています。

1,2か月旅行に行くのも、1年半行くのも、実際にはそんなにかわらないものです。

バックパッカーの持ち物についてはこちら

海外旅行保険には入ろう

そんな中で忘れずに持って行ったほうが良い物、というか契約したほうが良い物が海外旅行保険です。
長期旅行のバックパッカーの人でも海外旅行保険に入ってない人はいます。

ですが、私は必ず海外旅行保険に入るべきだと考えています。

1年半ともなると安いプランでも十数万円します。
それで一回も使わなかったら損だから、と入らない人もいるのですがよく考えてほしいものです。

海外で病気になったり、怪我したりすると保険がききません。
ですので、多額の費用が発生するかもしれないのです。
確かに確率は低いでしょう。
でも、そんなことがおこったらどうしますか?

自分のことだけならば、まだよいです。
死んでしまったときはどうなるでしょうか?
自分は死んでしまって関係ない、と言うかもしれませんが、残された両親や家族はその遺体を回収たりしなければなりませんし、その費用もかかります。
半身不随になったとき、一人で動けないような状態になったとき、もっと費用がかかってしまうかもしれません。そこまで考えて旅行には行くときは海外旅行保険には入ってほしいと思います。

そんな最低限のこともできないで、家族に迷惑をかけ、もしかすると日本の税金を使う破目になるかもしれないようなことはやめてほしいですね。
海外旅行保険をかけない人は、自己責任とか言ってるくせに責任の意味をはき違えている人かな、と思ったりもします。

と、お説教じみた感じになりましたが、私はAIUで1年半の旅行保険に入りました。
こちらから加入できます⇒海外旅行保険のAIU

そしてユーラシア大陸横断へ

というわけで、荷物自体はたいして準備に時間がかかりませんでした。
45ℓのバックパックに、着替えなどの荷物を収めました。
最小限でいえば、パスポートとクレジットカードさえあればなんとかなります。

そして2001年8月7日、ユーラシア大陸横断の旅、最初の国である韓国へ向かいました。
正確に言うと、韓国の釜山(プサン)への船がある、下関に向かいました。

いよいよ1年半にわたるユーラシア大陸横断の旅が始まります。

出発から釜山までの様子はこちら