シリア

シリア旅行記 世界遺産アレッポ 石鹸が有名でした

アレッポはシリア北西部、トルコとの国境近くにある町です。
5000年の歴史を持つ町といわれており、アレッポ市街は1986年に世界遺産に登録されました。

アレッポの場所↓↓

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れてました。
シリアのアレッポを観光したときのことを書きたいと思います。

世界遺産アレッポ

その中にあるアレッポ城は、紀元前10世紀に当地に築造された神殿を原型とする古城だそうです。

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異国情緒を醸し出すいい感じのお城ですよね。
(写真が手元になくWikipediaの写真をお借りしています)

トルコの国境近くにあるアレッポは歴史もあり、とても魅力的な町です。
しかし、シリアの内戦、そして現在はISIL(イスラム国)のために荒れ果てしまっているようです。
そして、シリアの他の世界遺産と同様に危機遺産となってしまっています。

今、アレッポと聞くと、「テロ」とか「危ない」というイメージがもたれているのではないかと思います。
それは、本当に残念でなりません。
以前を知る人は、みんな同じような思いを持っているのではないかと思います。

アレッポは私が観光した2002年はとても活気があって、楽しい町でした。
当時のシリアでは、首都ダマスカスに次いで第2位の町でした。

アレッポの石鹸

お肌のお手入れに敏感な女性はよく知っているかもしれませんが、アレッポと言えばアレッポの石鹸が有名でした。
アレッポに行く前は知らなかったのですが、アレッポの石鹸はオリーブオイルとローレルオイルで出来ていてお肌にとても良い石鹸です。
シリアに行く前に知り合った女子バックパッカー達からは「アレッポ行くなら石鹸買って送ってね」と言われるくらい人気の品でした。

なんか粘土みたいで、本当にこれがその石鹸?という感じです。
が、切ってみると


美しいエメラルドグリーンです。
石鹸はけっこう重いので、頼まれた人には送りましたが、いくつかは自分で使ってみました。
確かにすべすべになりました。

アトピーの人にもあげましたがすごく喜んでくれました。
実際に使った感想を聞くと、肌に潤いができて痒みが少なくなったと言ってました。

天然の成分で出来た、最高級の石鹸はとてもよい物なのだな、と実感しました。

そんなアレッポの石鹸も、内戦やISILにより供給が不足するようになってしまっています。
でも、そんな状況の中、頑張っているアレッポの方々がいるのです。

歴史もあり、建築物もあり、お土産もある、そんなアレッポは当時のシリアではダマスカスに次いで第2位の町でした。
アレッポにあるスーク(市場)は当時、世界最大規模とも言われていました。
しかし、内戦により半分が消失してしまったそうです。
本当に残念でありません。

「みんなが笑顔になれるアレッポ」に戻り、再び観光できる日を待ち望んでいます。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

シリアには、天空の城と呼ばれるクラック・デ・シュバリエがあります。
世界遺産の「クラック・デ・シュバリエとカラット・サラーフ・アッディーン」の一部です。
バックパッカー旅行で50か国訪れ色々な城を見てきましたが、その中でもとても美しいお城でした。
私はシリアの観光地の中で、ここが一番好きでした。

クラック・デ・シュバリエ場所はこちら

世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

拠点となるのはホムスという町で、そこから日帰り観光ができました。
この小高い丘の上にある美しい城が、クラック・デ・シュバリエです。

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しかし、空爆によりこの美しい城クラック・デ・シュバリエの一部が破壊されたようです。
とても残念です。
内戦やISILによって、荒れてしまうことが本当に残念でありません。

写真にはあえて載せませんが、クラック・デ・シュバリエに行く途中に出会ったシリアの人々は本当に笑顔がよく、素敵な人々でした。
イスラム教というと怖いイメージを持つかもしれませんが、シリアの人たちはいい人が多かったです。

天空の城?

ちなみにクラック・デ・シュバリエは、ジブリ好きな日本人で、天空の城ラピュタのモデルとも言ってる人もいますが多分違うでしょう。
※以前書いたカンボジアのベンメリアもラピュタのモデルと言われますが、それに比べればまだ現実的かも。いずれにしろジブリの公式見解にはありません。

写真では分かりにくいですが、緑と美しい城のコントラストがとても美しかったです。

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ラピュタのモデルかどうかは別として、なんとも幻想的で素敵なお城です。
観光に来て良かったなー、と心底思いました。

当時のシリアの余談

ちなみに当時クラック・デ・シュバリエを始めとした観光地は通常の入場料と学生料金でだいぶ金額が違っていました。
通常ですと入場料300シリアポンド(US$6くらい)のところが、学生だとなんと15シリアポンド(US$0.3くらい)と1/20の料金でした。
バックパッカーの中ではシリアの学割の話は有名だったので、私はエジプトのカイロで偽学生証を作って使ったのもです。。。深くは突っ込まないでください。。。

美しい風景

シリアは中東なので砂漠のイメージがあるかもしれませんが、実は美しい緑もある国です。
私はちょうど4月といういい季節に行けたので、美しい花も見ることができました。

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緑、黄色、赤の草花の色と空の青がとてもきれいです。

広い大地を車に乗りながら、美しい風景を見るのはとても気持ちがよかったです。
こんな素敵な風景に出会えたシリアは本当に好きな国です。
また旅行できる日が来てほしい、と切実に願っています。

シリアの世界遺産パルミラの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産パルミラ

シリアにある世界遺産の一つがパルミラです。
ヨルダンのペトラレバノンのバールベックとあわせ中東三大遺跡ともいわれている観光スポットです。

ペトラの様子はこちら
バールベックの様子はこちら

メソポタミアやペルシャと地中海の都市を結ぶ、砂漠の中のオアシス都市として栄えていたそうです。
そのため、パルミラにはローマ時代の遺跡が残っています。
※現在は危機遺産となっています。

パルミラ(ホムス県タドムル)の場所はこちら

首都ダマスカスの北東250kmくらいのところ、シリアの真ん中くらいにあります。

パルミラ遺跡

2001年~2002年のユーラシア大陸横断バックパッカー旅行の中で訪れた遺跡の中でも見ごたえがある遺跡でした。

パルミラには美しい柱などが残っています。
これらはの遺跡は紀元前から紀元3世紀ごろまでに建てられたものだそうです。
2000年前の建築物が目の前にあるわけですから、すごいですね。
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広い範囲に神殿やローマ劇場などがあります。
柱が並んでいる列柱道路などは、見ごたえがあります。
当時のアナログ写真をスキャンしたため薄暗い感じの写真しか残っていないのが残念ですが、実物を見ると色鮮やかです。

そして少し離れた岩山の上にはアラブ城と呼ばれる城があります。
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中東の城って感じでですね。
この城の上からはパルミラ遺跡の全体を眺めることができるので、ここからの眺めもとてもよいです。

Palmyra3

砂漠の中に緑があり、オアシス都市ということがわかります。
古い写真で薄暗いのでわかりにくいとは思いますが。。。

パルミラはシリアの中でも、特に有名な遺跡ですので、平和だった2002年当時は観光客がたくさんいました。
有名な観光地のため、観光客向けのラクダ屋が日本語で声をかけてきたものです。
「ラクダは楽だ~」
と、誰が教えたのか、日本語で話しかけてきます。

※パルミラに限らずしょうもない日本語を現地の人に教える人がけっこういます。当時の流行りのギャグとかを教えて、古っ!と思うこともしばしばあります。

このラクダ屋けっこうしつ濃かったです。
バックパッカーの中でもパルミラのラクダやは評判が悪く、私自身も若干切れたのを思い出します。

当時はうざかったのですが、今思うと平和だったからこその光景だったといえます。
楽だ~という人に会いたいわけではないですが、再びシリアに行ってパルミラ遺跡を旅行できる日が来ることを待ち望みます。

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ダマスカス

2002年当時、世界遺産ボスラのローマ劇場内の宿泊施設に泊まれました。
バックパッカーとして50か国以上を旅行してきましたが、世界遺産で一夜を明かすという貴重な経験でした。
そしてその後、首都ダマスカスを目指しました。
シリアの移動は、基本的にバスです。

世界遺産 古代都市ダマスカス

ボスラから2時間程度で首都ダマスカスに到着しました。
ダマスカスは最古の都市とも言われる古代都市で、町自体が世界遺産になっています。
※現在は危機遺産になってしまっています。

その歴史は紀元前4000年からとも言われています。※諸説あります。
いずれにしろ、古代より交易の中心となるオアシス都市でした。

交通の要衝であっただけに、アレクサンダー大王の支配下や、ローマ帝国の支配下になったりしています。
※シリアはイスラム教の国であり、そのイメージが強いでしょうが、ローマ時代の遺跡がたくさんあります。

その後、7世紀にイスラムの国であるウマイヤ朝の首都となりました。
そして、現在までシリアの主要都市として続いています。

ウマイヤド・モスク

ウマイヤ朝の首都となったダマスカスに作られたのが世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクです。
ダマスカスでだれもが訪れる観光スポットです。

ウマイヤド・モスクを訪れると、なぜか「俺を写真に撮ってくれ」と言ってきたシリア人がいたので、一緒に写真に撮ってあげました。

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その後、この人は片言の英語で案内してくれました。
バックパッカー旅行をしている中で、向こうから声をかけてくる人間はだいたい怪しい人が多いのですが、この人は問題ありませんでした。

※油断してはいけませんが、避けすぎると旅の醍醐味もなくなってしまいます。コミュニケーションをとりながら、その人を判断する目が重要です。ちょっとでも危険を感じたら逃げましょう。

ウマイヤドモスクについてですが、自分自身の知識がないため以下、Wikipediaからの引用です


ウマイヤド・モスク(Umayyad Mosque, Arabic: جامع بني أمية الكبير)とは、ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年(ヒジュラ暦86年)にダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクであり、世界最大級のモスクのひとつでもある。世界遺産「古代都市ダマスカス」の一部である。

もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会であったが、7世紀になってダマスカスがムスリムの支配下に入り、10年の歳月を費やして敷地全体がモスクへと改装された。このため、通常のモスクとは違いローマ建築・ビザンティン建築の様式が色濃く出ている。

カアバ、預言者のモスク、岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として、現在も巡礼者が絶えない場所である。また、内部には当初から洗礼者ヨハネの墓があり、キリスト教徒にとっても重要な巡礼地のひとつである。2001年にはヨハネ・パウロ2世が訪れている。


出典:Wikipedia

というように歴史のあるモスクなわけです。
正直、訪れた当時はここまでの情報は知らなかったのですが、こういう歴史的な事実を知っていたほうが旅先での感動があると思います。
事前に知識を入れることも重要ですね。

モスク以外でのダマスカスの観光スポットとしては、スーク(市場)も大きくて楽しいです。
食べ物、服、アクセサリーなどいろいろあり、活気があって楽しかったです。

どんな国でも市場は楽しいもんです。
早く平和になって、楽しいダマスカスに戻り、また旅行できる状況になってほしいです。

ダマスカス以外のパルミラやクラック・デ・シュバリエなどの遺跡も観光できる日が来てほしいです。

世界遺産パルミラ遺跡の様子はこちら

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ボスラ

現在のシリアは危険な国になってしまいましたが、もともとは本当にいい国でした。
バックパッカーとして50か国以上旅行しましたが、確実に行って良かった国の上位に来ます。

私は2001年から2002年にかけてユーラシア大陸横断旅行に出ました。
その中でシリアに行ったのは2002年の4月でした。

本当にいい国で、見ごたえのある観光スポットが多く、いい思い出がたくさんあります。
もともとのシリアのよさをお伝えしたいと思っています。

世界遺産古代都市ボスラ

エジプトからヨルダンを経て、シリアに入ったのですが、最初の町がボスラでした。
ボスラってちょっと怪獣的な名前ですね。

ボスラの場所はこちら

ヨルダンの国境からすぐそこです。
車で1時間くらいで、ボスラに着きます。

日本ではあまり知られていないと思いますが、古代都市ボスラは世界遺産になっています。
その歴史は紀元前までさかのぼるそうです。

ボスラ観光

ボスラについて早々町を観光しました。
2002年当時のボスラの遺跡の写真です。

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※あくまでも遺跡の写真ですので、破壊されたわけではありません。誤解のないように。

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ボスラのよかったところは、このような遺跡が町の人にとっては当たり前の光景で、生活に溶け込んでいたことです。

世界遺産の遺跡で、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
外国人観光客に会えるのがうれしいのか、私に寄って来て写真をせびってきたりしました。
※十年以上前とはいえ顔写真を載せるのは控えます。

人懐っこくて、純粋でかわいい笑顔でした。
このような笑顔が、現在のシリアではどうなっているのかが本当に気になります。

ボスラのローマ劇場

ボスラは遺跡とともにある町なわけですが、一番の観光スポット・見どころと言えるのがローマ劇場です。
シリアでローマ遺跡というと意外に思う人もいると思いますが、シリアは古代ローマ帝国の勢力圏内に位置しているのでローマの遺跡がたくさんあります。

そのボスラのローマ劇場がこちらです。
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当時のアナログ写真をスキャンしているので、ちょっと暗いですが、見ごたえがあります。
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半円形で階段状の劇場で、客席は急階段かなりの人数が座れるようになっています。
ローマ時代にここで演劇などがなされていたかと思うと、歴史を感じます。

しかも、現在では到底無理ですが、2002年当時はこの建物の中に宿泊施設があって泊まれました。
世界遺産の中に泊まれるっていう経験ができたのは本当に貴重です。
一泊$10くらいだったと思います。
部屋は簡素でベッドがあるくらいでしたが、世界遺産の中で眠れるだけで価値があります。

泊まれるので、夜中に劇場の舞台に立って、歌いました。
とても気持ちよかったです。

美しい星空を見ながら、世界遺産の遺跡の劇場の舞台で歌を歌うなんて、今では絶対にできない経験です。

本当に、いい思い出です。
初めての町からシリアが好きになりました。

早く平和な状況になって、再びシリアを旅行できる日が来てほしいです。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 シリアの思い出 2002

2015年現在のシリアは、内戦やISIL(イスラム国)などにより恐ろしい地域であると感じると思いますし、事実、危険な地域です。
残酷なニュースが流れていましたし、、シリア全体が退避勧告地域となっています。

しかし、私が2001年~2002年にかけユーラシア大陸横断のバックパッカー旅行をしている中で、訪れたシリアは本当に素晴らしい国でした。
素晴らしい観光スポットも多く、人も優しく、行ってよかった国のかなり上位に入ります。

シリアの情報と歴史

ニュースなどで見る機会も増えて、初めて「シリア」という国の名前を知った人も多くいると思います。
でも、なんとなく遠い国、と思っている人が多いのではないでしょうか?

シリアの国旗です。
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シリアの場所

シリアはいわゆる中東に位置する国です。

シリアの場所はこちら

北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西部は地中海に面しています。

この場所は世界で最も古い歴史を持つ土地と言われています。
紀元前2千年には町ができ、ギリシア・ヘリニズム時代、ローマ時代を超え、現代にいたっているわけです。
キリスト教ができる前、当然ながらイスラム教ができる前の時代から、その土地に人がいき文化が栄えていたわけです。

シリアの世界遺産

そのような古くからの歴史があるため、シリアには世界遺産が多くあります。

など、世界遺産も多くありますし、世界遺産になっていない素晴らしい観光スポットがあります。

下は世界遺産の一つ、クラック・デ・シュヴァリエの写真です。

Krak

この美しい城も空爆により一部損壊したそうです。
シリアの世界遺産は危機遺産となってしまっています。

シリアの人たち

日本人はイスラムの人たちとの交流が少ないので、どうしてもイメージで「イスラム教は怖い」と思ってしまう人も多いのではないかと思います。
しかし、実際にはやさしく、いい人が多かったです。

  • 町中で知り合い、なぜかダマスカスの町を案内してくれた人
  • 遺跡の町で、とてもかわいい笑顔であいさつしてくれた子どもたち
  • 町中で声をかけられ、片言の英語で話し合った人たち

美しい遺跡や風景だけでなく、人々も本当に優しい人たちでした。
子どもたちの笑顔が輝いていました。

そのような人々が苦しんでいることを思うと、心が痛みます。

簡単なことではないでしょうが、シリアが早くもとの美しく優しい国に戻り、再び旅行できる日が来ることを望みます。
本当にもう一度訪れたい国だと思っています。

多くの日本人にとっては遠いところにある、あまり知らない遠い国でしょうがしょうが、少しでも以前のシリアの良さを伝えたいと思うので、2002年当時のことを書いていきたいと思います。

シリア入国の様子はこちら