アジア

ミャンマー旅行記 チャイティーヨー・パゴダ (ゴールデンロック)

ミャンマーにはとても不思議な岩があります。
落ちそうで落ちない黄金の岩で、ゴールデンロックと呼ばれています。

本当に落ちそうなんですが、落ちない岩なんです。
このゴールデンロック、正式にはチャイティーヨー・パゴダ という仏塔(パゴダ)であり、仏教の聖地とされています。

その不思議な光景を見るために多くの観光客も訪れます。
ミャンマーに行くならぜひ訪れてほしいスポットです。

チャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)へのアクセス

チャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)ヤンゴンの東200kmくらいのところにあります。

ヤンゴンからは4時間半ほどの場所にあり、ちょっと頑張れば日帰り旅行で行くことも可能です。

移動方法としては、まずチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)のふもとの町キンプンまでバスかタクシーで行きます。
ミャンマーはタクシーが安いので、複数人で割り勘にすれば1日チャーターしてもそんなに高くないです。

キンプンからチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)へは、ピックアップバスと呼ばれるトラックの荷台に乗って1時間ほどです。

落ちそうで落ちないゴールデンロック

そんなこんなでチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)に到着。

遠目から見ても、明らかに不思議な岩が見えてきます。

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ちょっと写真が古いのと、ゴールデンロックが小さく映っているためわかりにくいかもしれませんが、この写真の真ん中くらいに位置している金色の者がゴールデンロックです。

ここから見ると落ちるはずなのになんで?と思います。

近づいた写真がこちらです。

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本当に不思議ですね。
ちょっと押しただけで落ちそうな感じです。
でも、このゴールデンロックは落ちないんですね。

ちなみに岩が金色なのは、金箔が張られているからなんです。
巡礼者の寄付によって貼り付けられた金箔に覆われた花崗岩なんですね。

そして、この金箔で覆われたゴールデンロックの上に高さ7.3mの小さなパゴダが乗っているのです。
どうやって金箔をはったり、パゴダを乗せたりできたのだろう、と不思議になりますね。

インドのマハーバリプラムにあるバターボールも不思議な光景ですが、同じくらいかそれ以上に不思議な光景です。

だからこそ、多くの仏教徒や観光客が訪れるわけですね。

実際にチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)を目の当たりにすると、本当に不思議な光景です。
ミャンマーを旅行するのであれば、ぜひ訪れてほしいポイントです。

 

ミャンマー旅行記 インレー湖

インレー湖はミャンマーの観光地の一つです。

海抜1300mのシャン高原にある長さ22km、直径10kmの湖です。
標高が高いので、南国ミャンマーでも比較的涼しい場所です。

湖と緑が美しい町です。
インレー湖には水草を集めて作られた沢山の浮島や水上マーケットがあり人気の観光地です。

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インレー湖の場所

インレー湖はミャンマーの中央部のやや東に位置しています。

ミャンマー最大の都市ヤンゴンからは約600km。
バスで9時間くらい。

三大仏教遺跡の一つバガンから約350km。
バスで7時間くらい。

古都マンダレーからは約250Km。
バスでは5時間くらい。

という位置です。

インレー湖観光 インダー族

インレー湖周辺で生活をしている民族がインダー族です。
水上での生活を送っています。

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水草で作った浮島の上で野菜を栽培したりもしているそうです。

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カヌー型の舟を片足を使って漕ぎます。
とても器用に舟を操るんです。

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水上生活という日本ではありえない生活を目の当たりにすると、世界にはいろいろな文化があるのだなー、と感じられます。
このような文化に接することができるのが、旅の醍醐味ですね。

ジャンピングキャット

どうでもいい感じではあるのですが、なぜかインレー湖の名物となっているのがジャンピングキャットです。

ジャンピングキャットとは、その名の通りジャンプする猫です。
輪っかを差し出すとその輪を飛び跳ねて通る猫です。

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こんな感じです。
まあ、だからどうなの?という感じではありますが、しょうもない感じが面白いです。

ちなみにこのジャンピングキャットがいるのは寺院です。

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お坊さんもジャンピングキャットの芸を見せてくれました。

 

インレー湖は水上で生活している人々という日本二はない文化を見ることができるとともに、美しい風景も見ることができます。
個人的にはバガンの次に好きな場所でした。

ミャンマーに行くのであれば、ぜひ訪れてみてください。

ミャンマー旅行記 三大仏教遺跡の一つ バガン

ミャンマーのバガンは、私が旅行してきた中で大好きな町の一つです。
バガンは三大仏教遺跡の一つと言われています。

残り二つはカンボジアのアンコールワットと、インドネシアのボロブドゥールです。

アンコールワット、ボロブドゥールに比べるとマイナーかもしれませんね。
でも、私はバガンが大好きです。

ミャンマーを旅行するならぜひ訪れて欲しい、おすすめの観光スポットです。

バガンの場所

バガンはミャンマーのほぼ中央部に位置しています。

ミャンマーの古都マンダレーからバガンは、バスで6時間くらいです。
でも、バス以外の移動法として、船でエーヤワディー川(イラワジ川)を下る方法もあります。
10時間くらいかかるので、時間はかかりますがのんびり船だ下るのもよいものです。

私は船で移動しました。

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船の上からパゴダ(仏塔)を眺めることもできます。

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時間がある人であれば船での異動もおすすめです。

バガン遺跡観光

バガンの見どころといえば、三大仏教遺跡の一つであるバガン寺院遺跡です。
アンコールワットやボロブドゥールと違い、バガンの遺跡は一つ大きな寺院があるわけではありません。

広い範囲に大小さまざまな寺院遺跡が立ち並んでいます。
自転車を借りて回ることができます。
ツアーに比べると自由がききますので、個人的には自転車がおすすめです。

パゴダ、寺院の数は3000を超えるといわれています。
その光景は圧巻です。

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これらのパゴダ、寺院は11世紀から13世紀にわたり建てられたものです。

アーナンダ寺院

そんなバガンの寺院の中でも最もバランスが美しい建築と言われているのが「アーナンダ寺院」です。

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バガンの寺院の多くが赤茶色なのに対して、アーナンダ寺院は白亜の建物に上に金の仏塔があってとても映えます。

寺院の中には大きな仏像があります。

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ダマヤンジ―寺院

バガンの寺院の中でも、特に私が好きなのがダマヤンジ―寺院です。

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バガンの中でも、とても大きな寺院です。
荘厳、重厚な感じがして、一番好きな寺院でした。

バガンには5日間いましたが、何度か訪れました。

シュエサンドーパゴダ

シュエサンド―パゴダは大きな寺院です。

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そして、その上に登れるのでバガンの遺跡群を見渡すことができます。

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上から見るとバガンの遺跡群のすごさが分かります。

 

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緑の中に無数のパゴダ、寺院が望めるのは圧巻ですね。

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なお、シュエサンド―パゴダは、夕日や朝日を見るスポットにもなっています。
幻想的で素敵な光景を目にすることができます。

 

バガンは本当に素敵な場所でした。
ミャンマーに旅行に行くのであれば、絶対に訪れてほしい場所です。

ミャンマー旅行記 古都マンダレー

マンダレーヤンゴンに次ぐ、ミャンマー第2の都市です。

イギリスに統治される前のビルマで、独立を保った最後の王朝であるコンバウン王朝の首都だった都市です。

ヤンゴンからは600km以上北、ミャンマーのちょうど真ん中くらいのところに位置しています。


現在は飛行機だと1時間くらいですが、バスだ11時間くらいです。

ただ、私がミャンマーを訪れたのは1997年のこと。
バックパッカーだったので、バスで移動したわけですが道路は舗装されていませんでした。
当時は、ヤンゴンからマンダレーまでのバスは17時間かかりました。

マンダレー観光

マンダレーは第2の都市とはいえ、ヤンゴンに比べると落ち着いた田舎町でした。
また、ヤンゴンよりも湿度は低く、10月のマンダレーはとても過ごしやすい町でした。

当時は民主化前であり、経済的には今よりかなり貧しかったと思います。

しかし、人は優しく、人懐っこくてけっこう楽しかったです。

Pann Cherry Restaurant(櫻花レストラン)

マンダレーを訪れるバックパッカーにとって、有名おだった食堂が櫻花レストランでした。

中国系のオーナーの店で、働いているミャンマー人の女の子の一人は少し中国語がしゃべれました。
当時の私は英語よりも中国語の方が得意(といっても多少しゃべれる程度ですが)だったので、けっこううれしかったのを覚えています。

お互いに片言の中国語を介しながら、ビルマ語と日本語を教えあったりしてました。
そうするとほかの人たちも会話(と言えるかどうかは微妙ですが)に入ってきて、楽しかったですね。

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マンダレーには1週間くらいいたのですが、ほとんどの食事はこの食堂で食べました。
さすがにそれだけ行くと店の子たちとは結構仲良くなりました。

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写真はカレーっぽいミャンマー料理カレーです。
これ以外にも麺類とかあるのですが、けっこう味は良かったです。

今でもバックパッカーには人気の食堂のようです。
さすがに当時の女の子たちはいないと思いますが、とても感じのいい食堂でした。

コオン屋の仲間たちと

ミャンマーはコオンという噛みタバコがあります。
コオンはキンマの葉に溶いた石灰やビンロウ、肉桂などを乗せて巻いたものです。
ミャンマー人はよくそれを噛んでおり、その辺の屋台でよく売られています。

マンダレーの町を歩いていると、そのコオンを売っている屋台にたむろしている人たちと仲良くなりました。

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コオンをタダでもらって噛んでみたのですが、口の中がスーッとするのとともに痺れるような刺激が広がり奇妙な味がしました。
コオンを噛むと血のような赤い唾液が出ます。
そんな赤い唾液を吐いているのを初めてみると、血を吐いていると思ってびっくりするかもしれませんね。

この人たちとはマンダレーにいる1週間のうち、半分くらいはあって遊んだり、飲んだりしてました。

ほとんど言葉は通じなかったのですが、なんか楽しかったです。

ちなみに写真を見ると、みんなスカートをはいているのが分かると思います。
これはロンジーといって、伝統的な衣装です。
布を筒状にしただけのものなのですが、それを腰のあたりで縛るだけです。
風通しがいいので暑いミャンマーにはよいです。
私もミャンマーにいるときはけっこう履いてました。

エーヤワディー川(イラワジ川)

エーヤワディー川はミャンマーの中央を流れる大きな川です。
かつては、イラワジ川と呼ばれてた川です。

マンダレーの中心地から歩いていくことができます。

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本当に大きな川です。
川沿いを歩いていると、水を運んでいる人や川で泳いでいる人、セパタクローをしている人、ぼーっとしている人などいろんな人がいました。

エーヤワディー川はマンダレーの西側に位置しているので、夕方に行くと夕日がきれいに見えます。

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夕日の光が川面に映ります。

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美しい光景なので、マンダレーに行くならぜひ訪れてほしいです。

ザガインヒル

ザガインヒルはマンダレーの南西15kmほどのところにある14世紀にシャン族が王朝(ザガイン朝)を築いた町です。

ザガインヒルはザガインの象徴であり、150以上の仏塔と僧院があります。
また、第2次大戦の際の日本軍の戦没者を祀るパゴダや墓石もあります。

上るのはけっこうたいへんで、階段をひたすら上ります。
何度か休みながら頂上に向かいました。

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丘の上からは緑豊かな風景が見られました。
エーヤワディー川(イラワジ川)と平野が広がっていました。

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緑が濃くてのんびりできました。

マンダレーは第2の町ですが、ヤンゴンに比べるとのんびりできる町でした。
いい人たちにも出会えたので、結局1週間くらいのんびりしました。

マンダレーの後は、三大仏教遺跡の一つバガンに向かいました。
バガンの旅行記はコチラ
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ミャンマー旅行記 最大の都市ヤンゴン

ミャンマーは近年民主化されてから、経済発展が著しい国です。

そんなミャンマーを旅行したのは、1998年のこと。
当時は軍事政権下であり、アウンサン・スーチー女史も軟禁されていた時代です。

そう聞くと怖そうな国に思えるかもしれませんが、当時ミャンマーはバックパッカーの間では「とても人がいい国」と言われていました。
バックパッカーにはとても人気があった国です。

私もその話を聞きタイのバンコクから、当時のミャンマーの首都ヤンゴンに飛行機で降り立ちました。
ミャンマー旅行がスタートです。

ミャンマー最大の都市ヤンゴン

ヤンゴンは当時のミャンマーの首都(現在の首都はネピドー)であり、現在でも最大の都市です。
イギリス統治時代から1989年まではラングーンと呼ばれていました。

ヤンゴンの空港から町中まではタクシーで移動しました。
タクシー運転手と交渉すると2ドルまで下がりました。
現在ではもう少し高くなっているようです。

当時でも中心部は車が多く、渋滞していました。
そのため40分ほどタクシーに乗ることになりました。

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ちなみにミャンマーの車道は日本とは逆で右側通行です。
でも、日本の中古車が多く、右側ハンドルのままで運転されています。
日本語がそのまま書かれている中古車や旧コバスがあり、「三ノ宮行き」と書かれたバスなんかも走っていました。
ミャンマーでは日本車ファンが多いようです。

ヤンゴンの安宿 ホワイトハウスゲストハウス

中心部に到着し、まずは宿を確保です。

当時からミャンマーを訪れるバックパッカーに人気だったゲストハウスがホワイトハウスゲストハウスに泊まることにしました。
当時は7ドルで泊まれました。
なお、経済発展し物価が上がっている現在でも、シングル10ドルくらいで泊まれるそうです。
トリップアドバイザーのホワイトハウスゲストハウスの情報

現在ではホワイトハウスゲストハウス以外にも、ユースホステルやゲストハウスが増えているようです。
ホテル予約サイトでも、安宿は探せるので見てみてください。
ヤンゴンのホテル情報

シュエダゴン・パゴダ

宿を確保した後はヤンゴン観光です。

ミャンマーは仏教国であり、観光のメインは仏教寺院などになります。

その中で最大の見どころと言えるのが、シュエダゴン・パゴダです。
パゴダとは英語で「仏塔(ストゥーパ)」を意味している言葉です。

寺院に入るところで、まずはサンダル(靴)を脱ぎます。
そして基本的にタンクトップなどの肌の露出の多い服は禁止です。

中に入るとまず土産物屋が並んでいました。
階段を上ると窓口があり、外国人旅行者は入場料を払う必要があります。
※地元の人は無料です。

料金を払ってさらに階段を昇っていきます。
すると巨大な黄金の塔が見えてきました。

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最も高い真ん中の仏塔は、高さ約100mもあります。
そして、仏塔にはダイヤやルビーなど、約6,000個の宝石が埋め込まれているそうです。

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シュエダゴン・パゴダは地元の人にとっては身近な存在でもあり、多くの人がいました。
熱心にお祈りをしている人もいれば、おしゃべりをしている人、昼寝をしている人などいろいろな人がいました。

なお、寺院の中は靴やサンダルを脱いで裸足で歩く必要があるのですが、ミャンマーは南国なので床がけっこう熱いです。
シュエダゴン・パゴダを訪れた時は、まだ午前中だったのですがそれでもけっこう熱かったです。
ミャンマーの寺院を訪れるときは、その辺をちょっと気を付けたほうがよいですね。

ヤンゴンのその他の寺院

シュエダゴン・パゴダ以外にもヤンゴンにはいくつかの寺院があります。

  • ヤンゴンの町の中心にあるスーレー・パゴダ
  • 70mもある根釈迦物があるチャウダッジー・パゴダ
  • 歴史あるボウタタウン・パゴダ

など、ヤンゴンの町は観光スポットが多くあります。

ヤンゴンの食事

ミャンマーは、中国、タイ、インドなどと国境を接しています。
そのため、ミャンマー料理はそれらが融合した料理だったりします。

カレーや中華っぽいのモノ、東南アジアらしいものなどがあります。
ただ、ミャンマー料理はやや油が多いという特徴があります。

ミャンマーは中国と国境を接していることもあり、中華料理店もけっこうあります。
ミャンマー料理が苦手な人は、中華料理に逃げるという手もあります。

また、私が当時訪れた時でもハンバーガー屋や日本食屋もありました。

ちなみにハンバーガ屋といっても、当時はアメリカと国交断絶していたのでアメリカ資本のハンバーガ―屋はありませんでした。
でも、アメリカ文化にあこがれているのか、「マックバーガー」「東京フライドチキン」などパクリっぽい店が多くて面白かったです。
今でもあるのかはわかりませんが。。。

現在では、状況も違っているのでもっといろいろと食事の幅も広がっているようです。

 

当時のミャンマー、ヤンゴンもかなり楽しかったのですが、民主化された後のミャンマーにもまた行ってみたいと思います。

さて、ヤンゴンのあとはマンダレーに向かいました。

マンダレー旅行記はこちら

ミャンマー旅行記 民主化前のミャンマー旅行事情

ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた国です。

最近民主化され、今後は経済的な成長も見込めると注目されている国です。

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ですが、私がミャンマーにバックパッカー旅行したのは1998年のこと。
現在とは全いました。

ミャンマーは長期にわたり軍事政権が国を治めており、反対派を抑圧していました。
私が旅行した当時は、アウンサン・スーチー女史は自宅軟禁されていました。
また、アメリカは経済制裁を行っていました。

そう聞くと「何でそんな国に旅行したの?」と思われるかもしれませんが、実は当時のミャンマーは旅行者にとってはとても魅力的な国でした。
そんな当時のミャンマーについて書いていきたいと思います。

ミャンマーの場所

ミャンマーは東南アジアの一国です。
インド、バングラデシュ、タイ、ラオス、中国と国境を接しています。

なお、当時ミャンマーとタイの国境は封鎖されていました。
旅行者はタイから陸路でミャンマーに入ることはできなかったのです。

余談ですが、猿岩石がテレビ番組の企画でユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅行を下のは社会現象となりました。しかし、ミャンマーに陸路で入れるわけないというのは、当時のバックパッカーの中では常識だったので、あれは「やらせ」だとよく言ってたものです。

現在はタイから陸路でミャンマーに入ることも可能になったようです。

私が旅行した当時は陸路ではいれなかったので、タイのバンコクからミャンマーの当時の首都ヤンゴンに飛行機で入りました。
※現在はネピドーが首都となっています。

バンコクからヤンゴンまでは飛行機で、わずか1時間ほどです。

ミャンマー入国 ヤンゴンに到着

ヤンゴンはミャンマー第1の都市です。
そのヤンゴンの空港もとても小さい空港でした。

飛行機を降りるとターミナルまではバスで移動するのですが、そのバスは日本のバスの中古車でした。
自動扉、入口、出口など日本語が書かれているバスに乗るのはけっこう驚きでした。

当時の強制両替

当時、入国審査を終えた後に、待ち受ける関門がありました。
それは強制両替です。

強制両替とは、当時のミャンマー政府がが外貨を稼ぐ手段として設けた制度です。
外国人旅行者に300ドルを強制的にミャンマーの兌換紙幣に変えさせるのです。
そしてその兌換紙幣は再両替禁止。
つまり、入国した以上300ドルは絶対使えという制度だったわけです。
※いちおう闇両替でレートは悪いなりにも再両替はできましたが。

一般的な日本人からすると、海外旅行するのであれば300ドル=3万円程度は使うのは当たり前と感じるかもしれません。

しかし、バックパッカーにとってはとても高い金額だったのです。

当時のミャンマーの物価

当時のミャンマーの宿は1泊3ドルで、シャワー朝食付きに泊まることもできました。
食事も1食1ドルもかからなかったのです。

バックパッカーにとっては、1日数ドルで生活できる環境であり、旅行のため観光料金や移動費用を考えても1ヶ月で300ドルは高すぎるだろうという感覚でした。

そんな中、私はミャンマーで3週間滞在して300ドル使うという、豪遊?旅行にしてやるという意気込みで300ドルを両替しました。
まあ、今思うとどうでもいいような感じですが、当時のバックパッカーの中ではけっこう思い切ったほうだったと思います。その思い切った兌換紙幣の使い方は別途お伝えします。

微妙なファーストフード店やお店たち

当時のミャンマーはアメリカとは断絶していました。
そのためアメリカ資本の企業は入っていませんでした。

ですので、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンなどのアメリカ資本のふぁーすフード店などはなかったのです。

ですが、ミャンマー人にとってもハンバーガーなどのファーストフードは魅力的だったのです。なので、パッチモンのファーストフード店が多くありました。
「マックバーガー」「トーキョーフライドチキン」など、なかなか笑えるようなファーストフード店がおもしろかったです。

民主化前だからこそ体験できたこと

このように書いてきました、民主化前、軍事政権下のミャンマーは非常に魅力的だったのも事実です。

おそらく現在よりもミャンマーの人々は素朴だったのだろうと思います。当時、「ミャンマーは人がいい」「人が優しい」ということでバックパッカーに人気だったのです。
民主化され、資本主義が入ったことにより、人の心も多少は「豊かさ」というか「金」にシフトして行くのだと思います。

とはいえ、私は資本主義、民主主義が悪いというわけではありません。
話部外者である外国人旅行者の勝手な目で判断するものではありません。

ミャンマーの人々にとっては統制されている社会よりも、自由が手に入ることの方が大切ですし、経済的な発展も重要です。

現在、民主化が進んでいることはとてもいいことだと思います。
とはいえ、私自身としては民主化前の軍事政権下のミャンマーを経験できたことは、自分にとっては貴重な体験だったと感じています。

インド旅行記 パキスタンビザが取れずやむなく飛んだ日

世界遺産であるエローラ・アジャンタの観光を終えた後、再び首都デリーへと向かいました。

3か月半のインド旅行を(途中でバングラデシュにも行きましたが)を終え、次の国にいくことにしたのでした。
次の国として考えていたのは、パキスタンです。

インド⇒パキスタン⇒イラン⇒トルコと移動するつもりでした。
しかし、私がインドにいたのは2002年です。

2002年のインド・パキスタン国境状況

その前年には9.11同時多発テロがありました。
首謀者のウサマ・ビン・ラディンがタリバンに匿われていて、アメリカへの引き渡しを拒否したとして、タリバンとの銭湯が起こりました。
そして、タリバンの支配下に合ったアフガニスタンとパキスタンの一部での戦闘が開始されたため、2001年パキスタンとの国境はあちこちで封鎖されました。

その後、戦闘はいったん終息し、パキスタンとインドの国境も再び開きました。
しかしながら、その後、パキスタンとインドの関係が悪化しました。
どちらも核保有国なので緊迫感がありました。

私がインドからパキスタンに行こうとしていた時期は、特に関係が悪化していました。

パキスタンビザが取れない

パキスタンに入るためにはビザが必要です。
そのビザを取ろうと、デリーに戻ってきたわけです。

まず、当時のインドでパキスタンビザを取るためには、日本大使館からのレター(許可証みたいなもの)が必要でした。
そのため、まずは日本大使館を訪れました。

しかし、危険がある国に日本国民を行かせたくない日本大使館はレターをくれませんでした。
それは仕方がないことだと思います。

陸路横断をいったん諦める

その後いろいろとパキスタンに行くための情報を集めたのですが、バングラデシュのパキスタン大使館では取れるという噂を聞きました。
しかしながら、バングラデシュまでの道のりはけっこう遠いです。
もし、まだバングラデシュに行っていなければ、新しい国を見たいと思って訪れたと思うのですが、私はすでにバングラデシュを訪れた後です。
しかも、バングラデシュに戻ったからと言って、100%パキスタンビザを取れる保証もありません。

いろいろと悩みました。

もともとユーラシア大陸陸路横断の旅が私の目的でした。
そのためにはパキスタンに入る必要があります。

しかしパキスタンビザを確実に取るためには何日かかるかが不透明でした。
結果として、私はインド文化圏に飽きていたこともあり、パキスタン入りを諦めました。

そして、エジプトのカイロに飛ぶことを決意しました。
ユーラシア大陸陸路横断を諦めたわけではなく、ヨーロッパからの帰りに実現することを決めたのです。

パキスタンはずっと行きたい国だったので、とても残念ではあったのですが戻るときには入れるだろうと心を決めました。

インドのデリーから、ガルフエアーでクウェート経由でエジプトのカイロに入る航空券を購入しました。
3か月半のインド旅行を終え、次の国エジプトを目指しました。

エジプトのカイロについてはこちら

インド旅行記 世界遺産エローラ・アジャンタ

インド経済の中心的な都市ムンバイを後にし、アウランガバードに向かいました。
アウランガバードは、世界遺産のエローラ、アジャンタという二大石窟寺院の観光の拠点です。

ムンバイからアウランガバードまでは、鉄道で移動しました。
ただ、指定席が取れず二等自由席だったのですが、軟弱バックパッカーの私はインド人に負け席を確保できませんでした。

しょうがなく、入り口付近に陣取ったのですが、駅に着くたびに人が乗り降りするので大変でした。
ゆっくりと座ることはできませんでしたが、8時間程度なので当時の私、にとってはそこまでたいへんというわけではありませんでした。

エローラ・アジャンタ

エローラ、アジャンタの観光拠点のアウランガバードに到着しました。

まずは、宿を探しです。
アウランガバードの宿は24時間制のところが多いです。
チェックイン時間が決まってるわけではなく、チェックインした時から24時間で1泊という考え方です。
ある意味公平な制度ですね。

そして安宿を確保した後、さっそくアジャンタ石窟群の観光に出かけました。

アジャンタ石窟群

アジャンタの石窟群は世界遺産に登録されている仏教寺院です。
アジャンタはアウランガバードから北東へ約100kmのところにあります。

バスを乗り継いでいくのはたいへんなので、アウランガバードの宿で現地ツアーを頼みました。
ローカルツアーなので、周りはインド人ばかりでした。

ガイドはつくのですが、言葉はわからないので勝手に石窟を楽しみました。

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アジャンタは仏教寺院なので、チベット人の熱心な仏教徒が五体投地という礼拝をしていました。
その光景を見て、チベットを旅行していたころを思い出しました。

エローラ石窟群

アジャンタを観光した翌日に、エローラ石窟群の観光に出かけました。
このときも現地ツアーを利用しました。

エローラ石窟群は、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院で構成されています。

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さすがに世界遺産になっている遺跡だけあって、とても見ごたえがありました。

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規模が大きく本当に見ごたえがありました。

アウランガバード

エローラ・アジャンタを観光した後、観光拠点の町アウランガバードも観光しました。

実はアウランガバードにも観光スポットがあります。
ビービー・カ・マクバラーというタージマハルをまねて作られた霊廟です。

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見た感じはタージマハルにとても似ていました。
ただ、タージマハルほどの完成度はありません。
そのためか「貧乏人のタージ」という微妙な相性があったりします。

私は、タージマハルは世界一美しい建築物と思っているので、このビービー・カ・マクバラーは微妙だなとは感じました。
でも、これはこれでストいものだと思います。

石窟や霊廟などアウランガバード周辺で、観光を楽しみました。

そして、アウランガバードに来たことによりインドをほぼ一周しました。
3ヶ月くらいなので、けっこう早足でした。(バックパッカーの中でははやいほうといわれています)

そして、再びインドの首都デリーに向かいました。

 

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インド旅行記 ムンバイ(ボンベイ)

ゴアを離れ、ムンバイを目指しました。

ムンバイは、かつてボンベイと呼ばれた町です。
インド最大の金融センターとも言われ、インド経済の中心的な都市です。

そのため物価も高く、インドの中では宿代が高いです。
バックパッカーでせこかった私はそんなムンバイで一泊するのが嫌でした。
ですので、ゴアから夜行バスでムンバイ到着し観光した後、すぐに駅に行って夜行列車のチケットを買いその日の夜に次の町に行くことにしました。

ムンバイ観光

駅でチケットを購入した後、ムンバイでの時間が短いのですぐに観光に出かけました。

インド門

まずはインド門に向かいました。
インド門は海に面して建つ巨大な門です。

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インド門は1911年に当時の当時の英国王ジョージ5世とその王妃のインド訪問を記念して造られました。
植民地の象徴ともいえる建物ですが、現在ではムンバイの観光地となっています。

私が行った時も多くの観光客がいました。

タージマハルホテル

インド門を観光した後は隣にあるタージマハルホテルに行きました。
タージマハルホテルはインドを代表する高級ホテルです。

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格式が高いホテルで、バックパッカーが入るのはちょっとためらわれますが、いちおう中には入りました。
外国人は多少汚い格好でも入れてくれます。

場違いな感じはしましたが、ちょっとしたぜいたくを味わいました。

マクドナルド

大都会ムンバイにはマクドナルドがあります。

ずっとインド料理(いわゆるカレー)が続いていたので、久々の味を楽しむためにマクドナルドに行きました。
ただし、インドでは牛は神聖な動物なので、普通のハンバーガーはありません。

コロッケのようなベジタブルバーガーか、チキン、フィッシュバーガーだったりします。
マハラジャバーガーというご当地バーガーはチキンです。

普段食べるのとはちょっと違う各国のご当地バーガーを食べるのもよいものです。

あと、ソフトクリームがおいしかったですね。

そんな感じでゴア観光を終えました。
あまりたいした観光はできませんでしたが、時間がなかったのでしょうがないです。

ムンバイからアウランガバードへ

そして夜になり、駅に向かい次の町に向かってアウランガバード行の列車に乗り込むことになりました。
アウランガバードは、世界遺産のエローラ、アジャンタという二大石窟寺院の観光の拠点です。

指定席が取れず二等自由席だったのですが、自由席は戦場です。
列車が到着して扉が開いた瞬間、人が流れ込みます。
人をかき分け席を確保しようとしましたが、多くのインド人に阻まれ、結局席は取れませんでした。

しょうがなく、入り口付近に陣取ったのですが、駅に着くたびに人が乗り降りするので大変でした。
でも、前に座っているおじいさんがブドウをくれたりもしました。

ゆっくりと座ることはできませんでしたが、8時間程度なので当時の私にとってはそこまでたいへんというわけではありませんでした。

そして、アウランガバードに到着しました。

 

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インド旅行記 ゴア

南インドの世界遺産の町ハンピを後にし、ゴアに向かいました。

ゴアといえば、かつてはヒッピーの聖地とも言われたところです。
昔は世界中のヒッピーが集まっていたそうです。
ゴアトランスとか、パーティーとかが有名だったりします。

その後、法的な規制などもありそこまで激しい場所ではなくなりました。
とはいえ、現在でも海外からの旅行者やバックパッカーが多く集まります。

ゴア

ゴアは実は町の名前ではなく、ゴア州という小さな州の名前です。
もともとはポルトガル領だった場所で、州都はパナジです。

ハンピからホスペットという町まで移動し、その後寝台バスでゴアに向かいました。
寝台バスはなかなか快適でした。

パロレムビーチ

私たちはゴア南部のパロレムという場所に着きました。
パロレムビーチは、そこまで派手な印象はなくのんびりしたビーチでした。

palolem-beach

宿も掘立小屋みたいところでしたが、安かったので満足できました。

ゴアは、なかなかお酒を大っぴらに飲めないところの多いインドの中で、安心して飲める場所です。
さっそく昼間っからビールを飲みました。
ビーチを眺めながらビールを飲むのは最高でした。

あとは海に入って泳いだり、浜辺をジョギングしたりと意外と健康的な日々を過ごしました。
アラビア海に落ちる夕日などを眺めました。

goa

料理もおいしかったです。
シズラーと呼ばれるアツアツの鉄板で出される料理が気に入りました。

アンジュナビーチ

パロレムビーチでのんびり過ごした後、ゴアの中でもメジャーなビーチであるアンジュナビーチに移動してみました。
パロレムからは、マルガオ⇒マプサ⇒アンジュナと乗り継いで移動しました。

アンジュナビーチはメジャーなビートだったので、日本人にも会うと思っていたのですが意外に日本人とは出会いませんでした。

ちなみにアンジュナビーチは岩だらけで、ビーチとしてはパロレムの方がよかったです。
夜も意外と静かでした。

ただ、少し離れた場所ではパーティーが行われていたようです。
どうやらパーティーを楽しむ人たちは、バイクで移動していたようです。

ちょっと移動が面倒だったので、結局パーティーには参加しませんでした。
一回くらいは参加しておけばよかったかな、と今になると思ったりもします。

ゴアの一般的な楽しみ方はしませんでしたが、ビーチでのんびり過ごせたので悪くはなかったです。

ゴアを離れムンバイへと向かいました。

 

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インド旅行記 世界遺産ハンピの建造物群

インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールを後にし、ハンピに向かいました。

ハンピには都市遺跡があり、ハンピの建造物群として世界遺産にも登録されています。
ハンピは、14~17世紀頃に栄えたヴィジャヤナガル王国の都だったところです。

巨大な都市遺跡が広がっています。
日本での知名度はそれほどありませんが、インドの中では人気・満足度の高い観光地となっています。

ハンピへのアクセス

ハンピは南インドの内陸部に位置しています。
アクセスは、正直言ってちょっと不便です。

私は、バンガロールからホスペットというところまで鉄道で移動しました。
ちなみにバスもあります。
ホスペットまでくれば、ハンピはすぐそこです。

ハンピの建造物群

ハンピに到着するとすぐに観光に出かけました。

遺跡もいいですし、景色も素晴らしかったです。

hampi1※残念ながら写真が残っておらずWikipediaからお借りしました。

ハンピのシンボルともいえるのがヴィルパークシャ寺院です。
ひときわ大きいゴープラム(寺院の門)が立っています。

hampi※Wikipediaからお借りしました。

この寺院以外にも多くの遺跡が広がっています。

hampi3

 

ハンピの遺跡は広大な地域に広がっています。
数日かけて

丘の上からの眺め

特に丘の上からの眺めは絶景でした。
なぜ写真が残っていないのか残念でなりません。
ハンピには4日ほどいたのですが、毎日丘を上りハンピの風景を楽しんでいました。

遺跡の岩の色と緑のコントラストがとても美しかったです。

ハンピでは遺跡観光や美しい風景を眺めるなど、のんびりと過ごせました。
夜は大体、アラクという地酒を飲んで現地の人たちとかと遊んでました。

意外な再会

実はこのハンピで意外な再会がありました。
このときは2002年の2月だったのですが、その1年半ほど前の2000年7月にモンゴルで出会ったバックパッカーと再会したのでした。

お互いにどこかで会ったことあるなー、という感じで見ていたら向こうが思い出してくれました。
まったく連絡も取っておらず、全然別の行動をとっていた人との再会はびっくりしました。

でも、バックパッカーをやっているとこのようなびっくりする出会いがけっこうあります。
こういうのも旅の醍醐味ですね。

そして、ハンピを離れ次はゴアへと向かいました。

ゴアについてはこちら

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インド旅行記 バンガロール

南インドの最大の見どころともいえるバックウォーターツアー、港町コーチンを後にして次の町を目指しました。
次の町は、バンガロールです。

バンガロールは、現在ではインドのシリコンバレーとも呼ばれるほどIT企業が集積している町です。
インドの中でも発展が著しく、南インドの中心的な町となっています。

私が訪れた2002年当時でも成長している町でした。
現在はさらに発展してるようです。

Bangalore※写真はWikipediaからお借りしました

インド経済の中心的な都市となってきています。

バンガロール到着

コーチンの駅で夕方に列車に乗り込んで12時間くらい、鉄道に揺られ早朝にバンガロールへ到着しました。
バックパッカーにとっては、12時間くらいの移動は普通なのでそれほどたいへんではありませんでした。

実は、バンガロールの町自体を見たいというよりは、その次の町ハンピに行くための経由地として寄っただけでした。
ハンピは世界さんにも登録されている遺跡のある町です。
しかし、インドは広いのでコーチンからいきなり行くことはできないため、バンガロールを経由しました。

そのため、バンガロールでは一泊もせず、早朝について夕方にハンピを目指すことにしていました。
バンガロール到着後は、正直ハンピへの異動のための時間つぶしくらいに考えてました。

バンガロールの町

バンガロール到着後、重いバックパックをもって、町を観光したり時間をつぶしたりするのはたいへんです。
ですので、すぐに駅の荷物預かり所にバックパックを預けました。
身軽になって、バンガロールの町観光に出かけました。

駅からはバスに乗って町中に出ました。

バンガロールには、ケンタッキーフライドチキンなんかもあります。
インドではファーストフード店もそうはありません。
楽しみにしていたので、久々にアメリカンな、ジャンクフード食べ物を食べました。
久々に食べると、それはそれでおいしいものですね。

その後、バンガロールの町中にある公園で過ごしました。
その公園には竹林があって、のんびりできました。

バンガロールでの再会

早朝について夕方にはなれる予定だった、バンガロールで思いもかけない再会がありました。

公園でのんびり過ごし後、インターネットカフェでメールを確認しました。
そして、町中をぶらっと歩いていると、チベット、そしてネパールで会った日本人の女の子のバックパッカーと出会いました。

話を聞いてみると、彼女はインド旅行中のバスで交通事故に合ってしまったそうです。
バスが対向車と正面衝突し、彼女自身も3週間入院してしまったそうです。
確かに顔に傷跡が残っていました。
注射や点滴などを受けていたそうで元気になったものの、インドの医療施設に対する懸念で、HIVや肝炎の感染を懸念してました。
結果としては日本に帰ってから、会ったときにそういってくれて安心しました。

そんな、久々の再会も旅行の醍醐味の一つだと思いますが、やはり事故や病気など、思いがけないトラブルはありますんで、海外旅行にいくのであれば絶対に海外旅行保険には入っておくべきです。
もし、海外旅行に行くのであれば保険には入りましょう。⇒海外旅行保険のAIU

バックパッカーだったとしても、もしものときのことを考えると海外旅行保険には入っておくべきです。

さて、そんなバンガロールを後にし、次は世界遺産のハンピを目指しました。

世界遺産ハンピについてはこちら

インド旅行記 バックウォータークルーズとコーチン

インドで一番きれいなビーチと言われるバルカラで1週間ほどのんびりしましたが、いよいよ移動です。
南インドのケララ州で、人気のある観光ツアーであるバックウォーター(水郷地帯)のクルーズに参加することにしました。
バルカラで知り合った日本人バックパッカー2人と一緒に行きました。

このバックウォーターツアーは、クイロンからアレッピーまで8時間ほどかけて川をクルーズするツアーです。

美しい水郷地帯の風景が見られます。

バックウォーターのクルーズ

バルカラからオートリクシャーで駅まで行き、鉄道でバックウォーターの出発点クイロンに行きました。

駅について、乗船場までオートリクシャーで移動しました。
人気のクルーズという割には、けっこう辺鄙なところにありました。

水と食料を買い、あとケララ州名物の赤バナナを買いました。
赤バナナは文字通り赤いバナナです。
写真がないのが残念ですが、気になる人は赤バナナで検索してみてください。
赤バナナはねっとりと濃厚な甘みでとても美味しかったです。

さて、ボートに乗り込み8時間のバックウォーターツアー開始です。
我々3人以外はは欧米の方々でした。

人気のクルーズだけあって、バックウォーター(水郷地帯)の景色は良かったです。
なぜか自分の写真が残っていないため、Wikipediaから写真をお借りしました。

Backwaters1

このような美しい風景を見ながら、ボートはゆっくり進んでいきます。
のんびりと風景を楽しみます

backwater2※写真はWikipediaからお借りしました。

美しい風景が続くのですが、同じような感じが続くので8時間あるとさすがに飽きてきます。

途中、川沿いに子供たちが集まっている地帯がありました。
その場に来ると、欧米人観光客はボールペンを大量に取り出しました。
何をするのかと思っていたら、子供たちに向けて大量のペンを投げまくってました。
それを子どもたちは我先にと拾っていました。

おそらく、ガイドブックかなんかで、その地域でボールペンを投げると喜ばれるということが紹介されているのだと思います。
しかし、岸まで届かなかったボールペンはゴミになりますし、微妙だなと思いました。

8時間もあるので、結局後半は半分眠ったような状態でアレッピーに到着しました。
のんびりとしたバックウォーターツアーが終わりました。

港町コーチン

アレッピーからすぐにコーチンへと向かいました。
コーチンは南インドの重要な貿易港がある町です。
※今は、コーチというそうですが、当時はコーチンと呼んでました。

着いたのは日が暮れてからだった、とりあえず宿を確保し夕食に出かけました。
町中の屋台で40ルピー(約80円)のフィッシュカレーを食べました。
これがとても美味しかったです。

インドで食べる安いカレー定食(北部はターリー、南部はミールスと呼ばれる)は動物性たんぱく質がない、野菜カレーが主流です。
やはり魚のダシとかが出る分おいしかったですね。

コーチン観光

翌日、コーチン観光をしました。

コーチンはポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマが来航した後、1503年にポルトガルによってインドで初めて植民地となった町です。
その後、オランダ、イギリスなどの植民地となりました。

そのため、ヨーロッパ風の街並みが広がっています。

Kochi1

こちらはインド最古の教会といわれている聖フランシスコ教会です。
1503年にポルトガルのフランシスコ会の修道士たちによって建造された教会です。

チャイニーズフィッシングネット

コーチンの見どころに一つが、チャイニーズフィッシングネットと呼ばれる、独特の漁法です。

Kochi_chinese_fishing-net※写真はWikipediaからお借りしました。

この網を海中に沈めた後引き上げる巨大な仕掛けです。
海岸に沿いに並んでいます。
けっこう頻繁に網を上げ下げしていて、見ていて面白かったです。
ただ、そのときはあまり魚はとれてませんでした。

この近くでは獲れたての魚をその場で調理してくれる店があります。
ただ、高かったのでバックパッカーの我々は頼みませんでした。
今思うと、少しくらい頼んでみてもよかったかなと思いました。

この日もフィッシュカレーを食べて、港町であるコーチンを満喫できました。
もし、コーチンにいくなら、ぜひフィッシュカレー食べてみてください。

コーチンの後はバンガロールに向かいました。

バンガロールについてはこちら

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インド旅行記 バルカラのビーチ

インド最南端のカニャクマリを後にし、次の町バルカラを目指しました。
インドで一番いいビーチがあると言われる町です。

何人かのバックパッカーからおすすめされたので行くことにしました。

バルカラビーチは、カニャクマリ北西140kmのアラビア海に面した町です。

カニャクマリから直数バスはないので、トリバンドラムで乗り継ぎをしてバルカラにむかいました。

バルカラ到着

バルカラに到着して、バックパックを背負いながらすぐにビーチを目指しました。
きっとビーチ沿いに宿があるだろうと思ったからです。

さすがにおすすめされるだけあって、バルカラのビーチはよかったです。

Varkala1※当時の写真が残っておらずWikipediaよりお借りしました。

さて、ビーチ自体はよかったのですが、困ったことが起こりました。
というのも、バルカラのビーチは海と崖に囲まれており、宿は崖の上にあったからです。

重いバックパックを背負いながら、崖に備えられた道を登ります。
砂浜の後の崖というなかなか過酷なルートをなんとな登り切りました。
皆さんは同じ過ちをしないように、ビーチの降りず宿を探してください。

Varkala2

疲れてたので、1日目は適当に宿を選んで寝ました。
翌日、ちゃんと安い宿を探して移りました。

バルカラビーチ

初日は疲れててほとんど寝るだけとなりましたが、2日目は崖の上の町をぶらぶらしました。

すると、チャイ屋(インドのミルクティー屋)で、日本人がいました。
チェンナイ(マドラス)以降、南インドでは日本人と出会わなかったので、ちょっと嬉しくなって声をかけました。
そして、一緒にチャイを飲んでいると、数人日本人が集まってきました。
そのうちの一人は60歳を超えた元気なおじさんでした。

バルカラは私が訪れた2002年当時は、日本のガイドブックには載っておらず、一般的な日本人は来なかったのですがバックパッカーにはそれなり有名だったので、けっこう日本人がいました。ちなみに女性の方が多かったです。
沈没地(バックパッカーの長期滞在地)にもなっていたようです。

久し振りに会った日本人と仲良くなり、ヤシ酒を飲んだりして盛り上がりました。

夜はその人たち行けつけの食堂に行くと、バルカラは海沿いなので新鮮な魚が手に入りました。
すると、「刺身を食おう!」ということになり、適当にさばきました。

そして、みんな久々の刺身に舌鼓をうちました。
外国で、しかもインドでバックパッカーが刺身を食べると言うのはなかなかできないと思いますよ。
ちなみに、魚は新鮮でも包丁は問題があったかもしれませんが、とりあえずみんな大丈夫でした。

そうやって日本人で刺身を満喫していると、西洋人も食べたいと私たちにお願いしてきました。
刺身は西洋人にとっても身近になってるんだなと思いました。
で、頼まれたからには嫌とは言わず、彼女たちの分も魚をさばいてあげました。
とても喜んでくれ、美味しいそうに食べてもらえたので、日本人として嬉しかったです。

バルカラでダラダラ生活

バルカラはビーチはきれいで、現地の人々も明るく人懐っこく、日本人も多くて居心地がよかったので、結局1週間くらいいました。

朝、チャイ屋でみんなと話をし、昼食を食べてヤシ酒を飲む、そして町屋ビーチをぶらぶらしたりとのんびりした日々を過ごせました。
現地の人たちとも仲良くなれ、日本人バックパッカー仲間もでき、とても楽しい日々を送れました。

バルカラはのんびりするにはとてもよい町だと思います。
南インドを訪れるのであれば、ぜひ寄ってみてもらいたい町でした。

 

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インド旅行記 最南端カニャクマリ

南インドのポンディシェリを後にし、カニャクマリに向かいました。

カニャクマリはインド最南端の町で、アラビア海・インド洋・ベンガル湾の3つの海が交わる場所です。
カニャクマリにあるコモリン岬は聖地として有名で、多くの巡礼者も訪れます。

カニャクマリは、インド亜大陸の最南端です。

大陸の先端というのはなんか気になるので行くことにしました。
ちなみに私のユーラシア大陸横断旅行で目指した地は、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬でした。

インド最南端カニャクマリ

ポンディシェリから、カニャクマリまでは600km近くあります。
バスで半日くらいかかりましたが、バックパッカーの移動としては普通です。
途中、ナガルコイルという町で乗り換えてカニャクマリに到着しました。

カニャクマリは聖地であり、インド最南端ということもあって多くのインド人観光客が訪れていました。

コモリン岬

宿を確保すると、すぐに最南端の岬コモリン岬に行きました。

Kanyakumari※写真はWikipediaからお借りしました。

アラビア海・インド洋・ベンガル湾の3つの海が交わる場所です。
270度は海です。
最南端に立つと感慨深いものがありました。

コモリン岬周辺ではインド人観光客は海で沐浴、というか水遊びをして楽しそうでした。
周りにはインド人観光客向けのお土産物屋さんなんかも多かったです。
日本の100円ショップのような10ルピーショップがありました。
インドの人たちはとても楽しそうでした。

日本人にも合うかなと思っていたのですが、結果的にカニャクマリでは日本人には合いませんでした。

コモリン岬の夕日と朝日は見られず

アラビア海に沈む夕日とベンガル湾から昇る朝日がカニャクマリの見どころです。

インド人も夕日と朝日を拝みに来ているので、そのタイミングでは多くの人が集まります。
ただ、残念なのですが、私が訪れた日は夕方も翌朝も曇ってて、夕日も朝日も拝むことができませんでした。

本当に残念です。
次回、カニャクマリを訪れることがあれば、朝日と夕日を眺めたいものです。

特に急いでいたわけでもないのですが、翌日が晴れるという保証もないので夕日と朝日を拝むのはあきらめ、次の町に向かうことにしました。

次はバックパッカーの中でいいビーチだと評判の良いバルカラへと向かいました。

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インド旅行記 ポンディシェリ

マハーバリプラムで寺院遺跡を観光した後、次の町ポンディシェリに向かいました。

ポンディシェリはかつてフランス領だった町です。
インドのほとんどはイギリス領でしたが、ごく一部フランス領があったのです。

そのため独特な町の雰囲気が残っています。

ポンディシェリ

ポンディシェリはチェンナイ(マドラス)の南へ150kmほどのところにあります。

チェンナイ(マドラス)、カーンチプラムマハーバリプラムと急ぎ足で回ってきたので、ここでは2泊して少しのんびりすることにしました。

ポンディシェリは元フランス領ということで、他のインドの町とは違いヨーロッパ風の街並みが広がっています。

Pondicherry

こちらはザ・リッチモンドというホテルで、フランスの街並みが残る旧市街の中心部にあります。
評判の良いホテルですが、残念ながら当時私はバックパッカーだったのでもっと安いところに泊まりました。

ポンディシェリでは、お酒が安く手に入ります。
インドでは、お酒はおおっぴらには飲めません。
州によっては禁酒のところもあったりします。

ですので、昼間からレストランでお酒が飲めるポンディシェリは私としてはありがたい場所でした。
昼間っからの久々のビールはとても美味しかったです。

また、ビーフステーキも食べられるので、ちょっと高かったのですが食べました。
ヒンドゥー教で神聖な生き物とされている牛を食べられる場所は少ないです。
コルカタ(カルカッタ)で食べて以来のビーフステーキを食べました。

また、ポンディシェリはベンガル湾沿いの町なので、ビーチもあります。
ビールを飲んで、ビーチを眺めてのんびりと過ごしました。

ポンディシェリでは2泊して、インド最南端のカニャクマリへと向かいました。

 

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インド旅行記 世界遺産 マハーバリプラムの建造物群

寺院が多くある町カーンチプラムを後にし、次はマハーバリプラムを目指しました。

マハーバリプラムには海岸寺院をはじめとした数多くの遺跡があります。
「マハーバリプラムの建造物群」として世界遺産にも登録されています。

マハーバリプラムは、チェンナイ(マドラス)から南へ約60kmに位置しています。

ベンガル湾に面した小さな町ですが、見所が満載です。

マハーバリプラムの建造物群

宿を確保した後、すぐに観光に出かけました。
※なぜか写真が残っていないため、写真はWikipedeaからお借りします。

海岸寺院

まずはビーチに向かい、海岸寺院を観光しました。
その名の通り、海岸沿いに立っている寺院です。

Mahabalipuram1<Wikipediaより>

7世紀末から8世紀にかけて作られたそうです。
マハーバリプラムの遺跡の中でも、中心的な存在です。

岩壁彫刻

個人的に好きだったのが、岸壁彫刻です。

Mahabalipuram2<Wikipediaより>

岩壁にレリーフが刻まれています。
石を掘ったレリーフとしては世界最大規模のものです。

間近で巨大なレリーフを見られるので、見ごたえがありました。

クリシュナのバターボール

建造物ではありませんが、マハーバリプラムの見所の一つに「クリシュナのバターボール」と呼ばれる岩があります。

Mahabalipuram3l<Wikipediaより>

この「クリシュナのバターボール」は、一枚の大きな岩の上にある今にも転がり落ちそうな大きな岩です。
絶妙なバランスを保っています。

なぜ、「クリシュナのバターボール」と呼ばれるかというと、岩の裏側をみるとちょっとわかります。

Mahabalipuram4<Wikipediaより>

岩の後ろ側がバターボールをナイフで切ったようになっていて、ヒンドゥー教の神クリシュナの好物がバターボールだったのでこう呼ばれているそうです。

ミャンマーのゴールデンロックに比べるとちょっと見劣りしますが、不思議な岩でした。

他にも寺院はいろいろとあって一日中歩き回って、マハーバリプラムの観光をしました。
本当ににマハーバリプラムは見どころ満載です。
自分で撮った写真が残っていないが悔やまれます。

マハーバリプラムはチェンナイ(マドラス)から日帰り旅行でもいけますので、もし南インドに行くのであれば寄ってみてください。

マハーバリプラムの次はポンディシェリを目指しました。

ポンディシェリの様子はこちら

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インド旅行記 チェンナイ(マドラス)とカーンチプラム

バングラデシュで2週間ほど過ごした後、再びインドに戻りました。

本当はバングラデシュの北部のチハラティの国境から、インドのダージリンに向かいたかったのですが、できませんでした。
旅行していた当時(2002年)、チハラティに行くのに許可証が必要だったのですが許可をもらえなかったからです。

しかたなく、コルカタ(カルカッタ)に戻ることにしました。

チェンナイ(マドラス)へ

コルカタ(カルカッタ)に戻った後、一緒にバングラデシュを旅行していたバックパッカー仲間とは別れました。
彼はダージリンに向かい、私は南インドに向かいました。
まずはチェンナイを目指しました。

チェンナイはかつてマドラスと呼ばれた町で、インド第4の町です。
南インドの玄関口ともいえる町です。
とはいえ、それほど観光スポットがあるわけではないので、観光地という感じではありません。

コルカタ(カルカッタ)からチェンナイ(マドラス)までは、鉄道で28時間です。
1日ちょっとかかりますが、バックパッカーにとっては特別長いという移動ではありません。

寝台列車が取れたので、コルカタの古本屋で購入した日本語の本を読んだり、音楽を聴いたりとのんびり過ごせました。

チェンナイ(マドラス)観光

チェンナイには朝の5時に到着しました。
チェンナイには、それほど観光スポットがあるわけでもないので、さっさと観光してその日のうちに次の町を目指すことにしてました。

駅にある荷物預かり所にバックパックを預け、夜明けを待ってチェンナイの観光に出かけました。

カーパレーシュワラ寺院のゴープラム

チェンナイの観光地といえばカーパレーシュワラ寺院です。
ここはシバ神を祀るチェンナイ最大のヒンドゥー教の寺院です。

そして、その見所は高さ40mにもなるゴープラムと呼ばれる塔門です。

chennai※写真はWikipediaからお借りしました

写真が残っていないのですが、間近で見ると細かい彫刻が色鮮やかに装飾されています。
かなり派手です。

カーンチプラムへ

あわただしく半日でチェンナイ観光を終え、到着したその日の午後に次の町カーンチプラムに向かいました。
数多くの寺院がある街です。

カーンチプラムはチェンナイから西へ75kmのところにあります。

チェンナイからはバスで移動しました。

カーンチプラムに到着し、すぐに宿を確保した後、さっそく観光に出かけました。
チェンナイ観光の後、移動してのカーンチプラム観光なのでけっこう足が疲れました。

エーカンバレシュワル寺院

カーンチプラムはとても寺院が多いです。
その中でも町のシンボルとなっているのがエーカンバレシュワル寺院です。

ここも、チェンナイのカーパレーシュワラ寺院同様に巨大なゴープラムがあります。

Kanchipuram1

チェンナイのものとは違い、色はついていませんでした。

このほかにも、数多くのヒンドゥー教寺院があって楽しかったです。
ただ、一日でチェンナイ、カーンチプラムとに都市の観光をするのはとても疲れました。

翌日、次の町マハーバリプラムへと向かいました。

マハーバリプラムの様子はこちら

バングラデシュ旅行記 バングラデシュでのあれこれ

港町チッタゴンと世界一長いビーチのあるコックスバザールを後にし、再び首都ダッカに戻りました。

バングラデシュは観光客がほとんどいないので、外国人というだけで人気者になれます。
コックスバザールからの帰り道のとある田舎町では、私たちがいるだけで現地のバングラデシュ人が50人以上集まりました。
本当にスターにでもなった気分です。

でも、そんな純粋で素朴なバングラデシュ人がとても好きです。

ダッカに戻って

バングラデシュの地方都市、田舎町を離れてダッカに戻りました。
やはりダッカは都会です。

dhaka

でも、ダッカの人々はとても暖かち人たちだと思いました。
というのも、最初にダッカに来た時に言ったハンバーガ屋のオヤジが、我々のことを覚えていてくれてとても歓迎してくれました。

そのバーガー屋でジュースを飲んでいると、突然バチッという音とともに電気が消えました。
何事かと思ってびっくりして外に出ました。
すると地面にカラス死骸ありました。
どうやら、電線にぶつかったかなんかで感電したようです。

日本では見ない光景ですね。
でも、そんなのもバックパッカー旅行をしているから出会える光景です。

バングラデシュ北部を目指して

ダッカに戻ってパスポートオフィスに向かいました。
バングラデシュビザは入国場所と出国場所が決められていました。(2002年のことです。ビザ要件は変わるのでご確認ください)

私は出国場所を北部のチラハティに変更したいと考えていました。
チラハティからだとインドのダージリン地方に行きやすいからです。

そして、パスポートオフィスにいって出国地変更の申請をしたのですが不可でした。
たまたま、その時に他の日本人が同じようにチハラティ出国の許可を得ようときていました。
協力してくいさがりましたが、ダメなものはダメ、と変更することはできませんでした。

しかたなく、コルカタ(カルカッタ)に戻ることにしました。

バングラデシュの人々

どうもバングラデシュ事態の観光ではうまくいかないことが多かったですが、バングラデシュの人々との交流はとても楽しかったです。
観光客が少ないからか、純粋に外国人をめずらしいと思い、好奇心で私たちと接する人が多かったような気がします。
それをうっとうしいと思ってしまうかもしれませんが、騙そうとする人が多いインドからすると本当に純粋な人が多くてほっとする国でした。
(インドにも純粋な人はいるのですが、騙そうとする人も多いので気を付けてください)

そんな人々がいるバングラデシュは好きな国です。
そのバングラデシュを離れ、再びインドに戻ることにしました。

バングラデシュ旅行記 チッタゴン&コックスバザール

バングラデシュの首都ダッカで2泊し次の町チッタゴンを目指しました。

チッタゴンはダッカに次ぐ、バングラデシュ第二の都市です。
また、海に面しておりバングラデシュ最大の港町でもあります。

ダッカから南東に300kmほどのところにあります。
バスで移動しました。

第二の都市チッタゴン

チッタゴンに到着したのですが、ここでも宿探しには苦労しました。
2002年当時、観光客があまり訪れないバングラデシュでは宿確保が大変でした。

今でも観光客は少ないと思いますが、インターネットで情報を入手でき、ホテル予約なんかもできるのでおそらくましになっていると思います。

町に観光地というのは特にありませんでした。
ただ、市場が賑わっていて楽しかったです。
野菜やフルーツ、魚などが並んでいて、とても活気がありました。

人もやさしくて楽しかったです。

あと何気に入った食堂のカレーもおいしかったです。

世界一長いビーチ コックスバザール

チッタゴンから南に130kmほどのところに、コックスバザールという町があります。

このコックスバザールには世界一長い天然の砂浜があります。
その長さはなんと125kmにも渡っています。

バングラデシュの中では、人気の観光地となっています。
とはいえ、外国人旅行者はそれほどいません。

チッタゴンからコックスバザールに到着し、案の定、ここでも宿探しに苦労しました。
とはいえ、のどかな町なので、周りの景色を見ながらゆっくりと宿を探し、確保しました。

そして、世界一長いビーチを見に行きました。

CoxsBazar

まさにどこまでも続くビーチという感じでした。

そして、夕方までビーチで過ごし、ベンガル湾に沈む夕日を眺めました。

コックスバザールはとてものんびりしていて、ビーチがあって、人々も素朴で楽しめました。

バングラデシュの首都ダッカの旅行についてはこちら