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中国・チベット旅行記 ヒマラヤを越えネパール国境へ

チベットのラサからネパールに向かう3泊4日のヒマラヤ越えツアーの4日目、最終日。
エベレストベースキャンプにて、チョモランマ(エベレスト)の朝焼けを見ることから始まりました。

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素晴らしい光景を見た後、ランドクルーザーに乗り込みました。
そしてユーラシア大陸横断2ヶ国目の中国から3か国目ネパールに入るため、国境に向かいました。

ヒマラヤの風景

チョモランマ(エベレスト)を離れてもヒマラヤの素晴らしい風景が広がっていました。

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エベレストベースキャンプの標高5200mから徐々に標高が下がり、植物も目に入るようになってきました。

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石積みの枠の中に羊?がいました。
なんとも心穏やかになる光景でした。

川で渋滞

その後、雪解け水で増水したためなのか、川の途中で車がはまってしまっていました。

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はまった車はなかなか抜け出せず、車が詰まりました。
その車を救出しようとした車もはまってしまったりと、渋滞が起こってしまいました。

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なかなか抜け出せなくてたいへんそうでしたが、時間はかかったものの無事にすべての車が川を抜けました。

我々のランドクルーザーの運転手は、冷静にその様子を見て安全なルートを確認し無事に川を抜けました。
ただ、この時のタイムロスが後々響きました。

ネパール国境への道中

川を無事に抜けた後は順調に進みました。
それからの風景もとても美しかったです。

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青い空と白いヒマラヤ、そしてオボと呼ばれる石塚の組み合わせがいい感じでした。
なお、オボは神を祀るための石塚でチベットではあちこちで見かけます。

その後も順調にランドクルーザーは進んでいきました。

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その後も素晴らしい風景が広がっていました。
そして、徐々に標高は下がっていきます。

標高が下がり緑が

国境に近づいてきて、標高が一気に下がります。
標高2350mまで下りていきます。

すると一気に緑が生い茂っている風景が見えました。
「日本みたい」とみんなで盛り上がりました。

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そして、空気が濃い!!空気が重い!!

なにしろ前日は標高5200mのエベレストベースキャンプ、その前の1か月間はずっと標高3600m以上のところにいたのです。
標高2350mの空気の濃さにはびっくりしました。

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緑が見えた記念に二人で連れションしました。

国境の町ダムに一泊

そして国境の町ダムについたのですが、残念ながら国境が開いている時間に間に合いませんでした。
さきほどの川での渋滞によるタイムロスが響きました。

この日が中国最終日のはずだったのですが、国境を超えることはできませんでした。
しかたなく、国境の町ダムに一泊しました。

ちなみに宿の部屋は4階だったのですが、階段を駆け上がってもまったく息が切れませんでした。
標高3600m以上に1ヶ月いたからですね。
高地トレーニングってすごいなー、と実感しました。

緑があって空気がうまかったです。
とはいえ、観光スポットがあるわけでもないので、その日は食事と中国最後のビールを楽しみ、飲み眠りにつきました。

翌日、今度こそ本当に2ヶ国目の中国最終日、3か国目ネパールに入ります。

 

中国・チベット旅行記 チョモランマ エベレストベースキャンプ

チベットのラサからネパールに向かうヒマラヤ越えツアー3日目。
2泊目の宿泊地ラツェを離れ、いよいよ世界高峰のエベレスト(チベット名:チョモランマ)のベースキャンプに向かいました。
このヒマラヤ越えツアーのメインイベント、最高の観光スポットともいえる場所です。

1年半のユーラシア大陸横断旅行でいろいろな観光地を見てきましたが、ベスト3に入る思い出の地です。
2001年のことなので、だいぶ時間は経っていますが、それでも心に残っています。

チョモランマ(エベレスト)への道中の空

我々5人の日本人と、チベット人のドライバー、ガイドの7名を乗せたランドクルーザーは、標高4000m以上をひたすら走ります。

途中、空を見てあまりの青さにびっくり。

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青いというより紺色というか藍色というか、とにかく色が濃かったです。

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この空の色はまるで作り物みたい。
「大道具さん、空の色濃く作りすぎ!!」と言いたくなるほど、見たこともない空の色でした。

チョモランマ(エベレスト)が近づく

その後もランドクルーザーは走り続け、ついにチョモランマ(エベレスト)が見えてきました。

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見えた瞬間グループメンバー全員が大絶叫!!
雪をかぶったヒマラヤ山脈の中で、ひときわ高い山がチョモランマ(エベレスト)です。

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少しずつ近づき、みんなのテンションが上がります。

ベースキャンプに行くには、許可証が必要なので途中で許可証を取得し、チョモランマ(エベレスト)に向かいます。

チョモランマ(エベレスト)ベースキャンプ到着

ついに、世界最高峰8,848mのチョモランマ(エベレスト)のふもとにあるエベレストベースキャンプに到着!!
エベレストベースキャンプは標高5200mくらいのところにあります。

そして目の前にチョモランマ(エベレスト)が我々を迎えてくれました。

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さすが世界最高峰!!
間近で見るとすごいです。
なんとも威厳があり、かっこよかったです。

チョモランマ(エベレスト)に乾杯

この日のためにラサで仕入れておいた拉薩ビールを片手に小高い丘の上に登りました。

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エベレストベースキャンプは標高5200mなので、ちょっとした丘ですが息が切れます。

そして、丘の上に着き、みんなでビールで乾杯しました。

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雲がかかってしまい後ろのチョモランマ(エベレスト)は隠れ気味になってしまいましたが、最高の瞬間でした。

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仲間と腕を交差させてビールを飲みました。
なんとも達成感のある乾杯でした。

エベレストベースキャンプでの飲みすぎには注意

標高5200mで、気圧も低く、空気も薄く酔いやすいので注意しましょう。
私は調子に乗って、大瓶一本飲み切り、2本目の半分くらいまで飲んだ段階でフラフラになりました。

標高3600m以上のところに3週間で大丈夫だったからと言って油断はいけません。
高山病になり、倒れたりすると救助もすぐにしてもらえない可能性もありますので、乾杯は口をつけるくらいにしましょう。
なお、いざというときのため海外旅行保険には絶対入りましょう。

宿で横になり何とか回復しましたが、顔がありえないくらい真っ赤になってました。
生きててよかった。

エベレストベースキャンプの宿

エベレストベースキャンプには宿があります。
しかし、暖房器具がなくてかなり寒かったです。

宿は宿泊費や食費が高いのに設備が整っていなく、宿の従業員たちも高圧的でちょっとイラッとしました。
まあ、ここまで食材や器材を運ぶのがたいへんだからしょうがないのですが。

布団をかぶってもかなり寒いので、服を着込んで寝ました。
本当に寒かったので寝袋とか用意してくればよかったと思います。

チョモランマ(エベレスト)の朝焼け

ヒマラヤ越えツアー4日目の朝。

チョモランマ(エベレスト)の朝焼けを見るため、早起きしました。
夜明け前はさらに冷え込みました。
布団も引っ張り出して体を覆い、震えながら外に出ました。

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すごい、の一言です。
この光景を見られるだけで、寒いのも我慢できました。

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世界一の光景を拝んだ後、いよいよ3か国目ネパールの国境に向かいました。

ネパール国境へ向かう様子はこちら

中国・チベット旅行記 シガツェのタシルンポ寺を観光してからラツェへ

チベットのラサからネパールに向かう3泊4日のヒマラヤ越えツアーの2日目。
1日目の宿泊地ギャンツェから、シガツェへ向かいます。

シガツェはラサに次ぐチベット第2の町です。
ゲルク派六大寺院の一つタシルンポ寺が見所です。

ギャンツェからシガツェへ

ギャンツェからシガツェは、距離にして100kmくらいです。

3時間程度で着く予定だったのですが、途中、道が工事中だったため大幅に時間がかかってしまいました。
するとランドクルーザーのドライバーが「シガツェでタシルンポ寺を見ている時間はない、宿泊地のラツェまで行く」と言い出しました。

ヒマラヤ越えツアーでシガツェのタシルンポ寺を見ないのはあり得ない、と我々5人はガイドに対して猛抗議。
みんなバックパッカーなので、交渉ごとには慣れています。
ガイドが困った顔でドライバーを説得して、シガツェに寄ることができました。

シガツェのタシルンポ寺 観光

タシルンポ寺は、ゲルク派六大寺院の一つでもある観光スポットです。

ダライ・ラマ法王に次ぐ、チベット第二の法王・パンチェンラマのお寺として有名です。
タシルンポとは、チベット語で「吉祥の須弥山」を意味するそうです。

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さすがに六大寺院の一つだけあって大きいです。

寺の中には、犬がいっぱいいました。
噛まれると狂犬病が怖いので気を付けました。

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上の写真はタシルンポ寺の大弥勒殿です。
中には強大な弥勒菩薩の坐像があります。
高さ26.2メートルもあるので、奈良の大仏よりの倍近くあります。

確かに大きかったです。
残念ながら写真は取れませんでした。

シガツェからラツェへ

本当はもっとゆっくりと回りたかったのですが、宿泊地であるラツェへ移動しなければならないためシガツェ観光は早めに切り上げました。
ラツェに宿泊する目的は、ラツェの町自体ではなく翌日チョモランマ(エベレスト)に向かうためです。

ラツェはシガツェから西に150kmほどのところにあります。

移動中の景色もきれいでした。
途中できれいな景色のところがあったので、ちょっとだけ車を止めてもらいました。

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ヒマラヤ山脈がきれいです。

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小川が凍ってたので、ちょっと遊びました。
ちなみに写真の一番前に写っているのは、チベット人のガイドさんです。

遊んでいると、外国人が珍しいのかチベット人の子供たちが寄ってきました。

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なんとも素朴でかわいい子供たちでした。

ラツェ到着

道中での出会いもありながら、2日目の宿泊地ラツェへ到着しました。

翌日の3日目には、いよいよヒマラヤ越えツアーのメインイベント、チョモランマ(エベレスト)が待っています。
みんな楽しみにしながら翌日の備えて眠りにつきました。

チョモランマ(エベレスト)の様子はこちら

中国・チベット旅行記 ギャンツェ パンコル・チョーデとギャンツェ・ゾン

チベットのラサからネパールに向かう3泊4日のヒマラヤ越えツアー。
このヒマラヤ越えツアーは1年半のユーラシア大陸横断の中でも、特に印象的な旅でした。
今でも心に残っています。

さて、ツアー初日はラサを離れてヤムドク湖などの美しい風景を見た後、チベット第3の町ギャンツェにやってきました。

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2001年10月のことです。

ギャンツェはラサシガツェに続くチベット第3の町です。
標高は3800mを越えており、富士山の頂上より高い位置にある町です。

チベット第3の町とはいうものの、町自体はのんびりした田舎町です。

パンコル・チョーデ (白居寺) 観光

ギャンツェの見所、観光スポットがパンコル・チョーデです。

パンコル・チョーデはチベット語で「吉祥大楽寺」という意味があるそうです。
創建当時はサキャ派の寺だったそうですが、ゲルク派やシャル派も入り、各宗派が共存の寺として発展しました。
独自の趣がある寺院です。

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パンコル・チョーデの中には8階建ての大きなストゥーパ(仏塔)が建っています。
このストゥーパ(仏塔)はパンコル・チョルテンと呼ばれます。
チベット最大のもので、とても美しい形状をしています。

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仏塔の下からも眺めてみました。
大きさがよく分かります。

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目の絵が描かれています。
仏陀の知恵の目といわれています。
ネパールのスワナンプヤート寺院などでも同じように目が描かれています。

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内部に入ると多くの仏像や壁画が見られます。

チベット仏教、チベット文化を感じられる寺院でした。

ギャンツェ・ゾン

ギャンツェの岩山の上にはギャンツェ・ゾンという古城があります。

もともとは9世紀に原型ができ、14世紀に本格的な城塞となったそうです。
1904年、チベットの開国を求めて進行してきたイギリス軍との戦闘の激戦地ともなったそうです。

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上の写真はパンコル・チョーデ (白居寺)の仏塔の上からとったものです。
ギャンツェ・ゾンとギャンツェの町が一望できます。

写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、山の上に聳え立つ古城はかっこよかったです。
グループメンバーともこの光景を見てすごく盛り上がりました。

パンコル・チョーデ(白居寺)とともに、ギャンツェの見どころの一つです。

初日終了

ラサを出発してヤムドク湖、そしてギャンツェとチベットの自然や文化の素晴らしさに触れられる1日でした。
3泊4日のツアーの1日目だけでも、とても充実した内容でした。

ギャンツェの町自体は、観光客も少なくのんびりしていて素朴な感じの町でした。
ヒマラヤの風景やチベット文化に大興奮だったツアー初日を終え、翌日に備えて眠りました。

2日目はシガツェへ向かいます。

シガツェの様子はこちら

中国・チベット旅行記 ヒマラヤ越え ラサ~ヤムドク湖~ギャンツェ

2001年10月、ユーラシア大陸横断を始めて約2ヶ月。

いよいよ2か国目の中国はチベットのラサを離れ、ヒマラヤを越えてネパールへ向かうことになりました。
食料や酒などを充分買い込み、準備は万端です。
準備の様子はこちら

ランドクルーザーをチャーターし、私を含めた日本人5名での3泊4日のツアーがスタートです。

夜明け前、ランドクルーザーに乗り込みました。
3週間にわたって過ごした、チベットのラサとお別れし、3か国目ネパールを目指しました。

この3泊4日のヒマラヤ越えは、1年半のユーラシア大陸横断旅行の中でも最も楽しく、印象に残るものでした。
今回は珍しく写真もいっぱいあります。
とても美しい風景の連続で、ユーラシア大陸横断の中でも一番写真を多くとりました。

ヤムドク湖 観光

ラサを離れまずは南西にあるヤムドク湖を目指します。

途中の風景もとてもきれいです。
森林限界を越えているため、緑はありません。

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そしてヤムドク湖が見えてきました。

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その光景があまりにも美しくて、グループメンバーはみんな絶叫しました。

ヤムドク湖はラサの南西にあり、チベット三大聖湖の一つと言われています。
最近は観光客も増えているそうです。
ちなみに標高は4700mを越えています。

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ヤムドク湖は、本当にとても美しい湖です。
近づいてみると、水の透明度がよくわかりました。

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ギャンツェへの道のり

美しいヤムドク湖を後にし、ランドクルーザーはギャンツェへ向かいます。
途中の風景もとても美しいです。

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途中、美しいヒマラヤ山脈の山々が見えます。

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その美しい光景にメンバーも感動しっぱなしです。
今思い返しても、このヒマラヤ越えツアーははすばらしい旅でした。

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雪解けの川と雪山の光景がとても美しく見えました。

ギャンツェのダム湖 観光

そしてギャンツェに近づき、標高5000mの峠からの光景がこちらです。

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ダムによって人工的に湖となったところですが、エメラルドグリーンでとても美しい湖になっています。
ちょっとわかりにくいですが、真ん中の岩は古城だそうです。

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ちょっとカッコつけて写真を撮ってもらいました。
本当に美しい風景で、今でも記憶に残っています。

このような美しい風景を見てみんなテンションが上がったため、缶ビールで乾杯しました。

標高4000mを越えている場所での乾杯しました。
空の青さが違います。
こんなに濃い青の空は見たことがありませんでした。

この後、一人高山病なのか、ちょっと具合が悪くなってしまいました。
標高の高い場所での飲酒は気を付けましょう。

そして、ギャンツェの町へ到着しました。

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ギャンツェについては次回お伝えします。

ギャンツェの様子はこちら

中国・チベット旅行記 ヒマラヤを越えてネパールへ向かう準備

ユーラシア大陸横断2か国目の中国には2ヶ月ほど滞在しました。
そして、いよいよチベットのラサから3か国目のネパールに行く準備を始めました。

ラサからネパールに行くためにはヒマラヤ山脈を越えていく必要があります。
2001年当時は公共のバスなどはなかったため、多くのバックパッカーはグループを組み旅行会社でランドクルーザーをチャーターする観光ツアーを組んでいました。
※一部の人はヒッチハイクや自転車で越えたりもします。

私もゴルムドからラサまでは闇トラック出来ましたが、今回は旅行に頼んでランドクルーザーをチャーターするツアーを組みました。

メンバーは私を含めて5人。
男性3、女性2のグループです。

メンバーのうち3人とは北京で知り合い、ラサで再会した人達です。
ただ、北京で知り合った段階で約束していたわけではありませんが、同じ方向に旅しているとこのようなことはよくあります。
9.11同時多発テロの影響で中国とパキスタンの国境がふさがったために、やむなくチベットからネパールに入るルートに変更した人もいました。

縁あって集まった5人でヒマラヤを越えネパールに行く準備を開始しました。

ネパールビザを取る

ネパールに入るのにはビザが必要です。
基本的には国境でとれるのですが、たまに取れない可能性もあるとも言われていました。
ヒマラヤ越えてビザが取れないなんて悲惨です。

特に9.11直後で国境あたりが不安定な可能性があったので、ラサにあるネパール領事館であらかじめ取得しておくことにしました。
特の問題もなく取れるので、あらかじめネパールビザは取得しておいた方がよいと思います。

ツアー(ランドクルーザー)を手配

標高5000m以上で道の悪いヒマラヤを越えられる車種として絶対の信頼があるのがランドクルーザーです。
というわけで、旅行会社でランドクルーザーを手配しました。
単なる車の手配だけではだめで、同時にガイドも手配しツアー形式にする必要がありました。

ガイドと話をしてみたところ、いい人そうだったのですんなりと決めました。
ルートはラサ→ヤムドク湖ギャンツェシガツェ→ラツェ→エベレストベースキャンプ国境の3泊4日で手配しました。
※エベレストベースキャンプはあくまでもエベレストのふもとで、宿があります。

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正式なツアーの証にランドクルーザーのフロントに正式なツアーの許可証が掲げられます。
このランドクルーザーと3泊4日、標高5000m以上を越えていきます。

買い出し

ヒマラヤ越えのためにいろいろなものを買っておきました。

3泊4日の日程ですので、ある程度の食料を買いました。
途中の町で食料は調達できるとはいえ、ラサのほうが物資は豊富で買えるものは買っときました。

あと、酒も買っておきました。
ビールを1ケース買いました。
エベレストベースキャンプでみんなで乾杯することを決めました。
※これがちょっとやりすぎたのですが、それは別途書きます。

標高5200mのエベレストベースキャンプに泊まるので寒いに決まっているので防寒着を買いました。
※エベレストベースキャンプの宿は寒いので防寒具を用意しておきましょう。

あと、高山病を考え、いざというときのために酸素も買っておきました。

いよいよ準備が整いました。
3週間以上、滞在したチベットのラサを離れ、いよいよ3か国目ネパールに向けてヒマラヤ越えが始まります。

ラサ~ヤムドク湖~ギャンツェの様子はこちら

中国・チベット旅行記 ヒマワリの種早食い大会

ラサには3週間ほど滞在しました。
(途中で1泊2日の曼陀羅の村サムイエ旅行はありましたが)

長期滞在したのは、ポタラ宮をはじめとした見所が多かったこと、ラサの町が気に入ったことともに、ホテルで一緒になったバックパッカーたちが楽しかったからというのも理由の一つです。
日本人のバックパッカーがとても多くいました。

バックパッカー仲間との日々

さすがにチベットのラサに来るだけあって個性的な人が多かったです。
私のようにユーラシア大陸陸路横断途中の人、世界一周の途中の人、自転車で旅行している人、かと思えば普通の学生さんなど、いろいろな人がいました。

現地の人との触れ合いも楽しいのですが、バックパッカー仲間同士での話すのもとても楽しいです。
今まで言った国のこと、これから行く予定の国のことなど、話題は尽きません。
そして、大事な情報収集の場でもあります。

当時まだWifiやスマホなどなく、インターネットカフェはあってもメールをするくらいで、他国の情報を入手する主な手段は口コミでした。
チベットで知り合った仲間から、私の次の目的地であるネパールやインドの情報を仕入れることができました。

ヒマワリの種早食い大会

そんなバックパッカー仲間で、ヒマワリの種早食い大会を行うことになりました。

ヒマワリの種は中国語で「瓜子(グアズ)」といい、中国ではおやつ、おつまみとして一般的です。
ヒマワリの種は殻に包まれているのですが、その殻を割り種の中身を食べます。
この殻を割って、食べるというのはけっこう技術がいるのです。

その早食い大会ということで、11人が集まりました。

使うヒマワリの種は「香瓜子」という中国で一般的なブランドのものにしました。

ちなみに、この「香瓜子」は日本でAmazonで買えるみたいです。
高めですが。

早食い大会開始

ヤクホテルの屋上に11人が集まり、いよいよ開始です。
スタートの合図とともに、みんな黙々と食べ続けます。

私は種をつまみ縦にして、前歯で割って指で押しつぶして中身を食べる、という中国人の技をしってたので結構早く食べすすめました。

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その時の私の写真がこちらです。
ちなみにチベットにいるときはスキンヘッドにしてました。

さて、早く食べられる技を持っているとはいえ、一袋に入っているヒマワリの種はけっこうな量です。
ポリッ、ポリッ、と延々と11人が食べ続けます。
異様な光景だったと思いますが、一番になるため集中して食べ続けました。

そしてスタートから26分後、私より先に「終わった」との声が聞こえました。
一人が食べ終わり、一位を取ることはできませんでした。
私の袋にはまだそれなりの量が残っていたため、実力不足と言わざるを得ませんでした。

しかし、その6分後、スタート32分で私は食べ終わり、2位の座を確保しました。
それなりの達成感はありましたね。
ほかのみんなはけっこう苦労していて、まだけっこうな量が残っている人たちも多かったです。

で、2位になったので、商品をもらいました。
もちろんヒマワリの種でした。

とても楽しかったイベントですが、胃がもたれる勝負でした。

こんなアホなことをやって楽しめるのも旅の醍醐味の一つですね。

チベットラサの町の様子はこちら

ポタラ宮についてはこちら

曼陀羅の村サムイエについてはこちら

中国・チベット旅行記 セラ寺の問答

チベットのラサの観光スポットとしては、ポタラ宮ジョカンが有名です。
チベット仏教、チベット文化を目の当たりにできます。

でも、それ以外にもチベット仏教、文化を感じられる見所、観光地があります。
その一つがセラ寺です。

セラ寺 観光

セラ寺は1419年に創建されたゲルク派六大寺院の一つ、ラサ三大寺院の一つとも言われるお寺です。
とても大きな寺院で、最盛期には数千人の僧が修行していたそうです。
今でも多くの僧が修行しています。

セラ寺はラサの町の中心部から北へ約7kmのところにあります。


中心部からはバス一本で簡単に訪れることができます。

なお、このセラ寺は、今から100年ほど前、明治から大正時代にかけて日本人の河口慧海や多田等観がチベット仏教を学んだお寺でもあります。
そういう意味では日本とのかかわりの深いお寺です。

セラ寺の問答

セラ寺での見もの(そういうと失礼かもしれませんが)は、問答です。
日本でいう禅問答のようなもので、質問を出し、答え合い仏教の知識と理解を深める修行の一種です。
ただ、日本の禅問答とは違い動きがあります。
私は同じ宿(ヤクホテル)に泊まっていた日本人バックパッカーから、セラ寺の問答は動きがあって見ていておもしろいと聞いてやってきました。

午後の決まった時間(おそらく15時ごろ)から始まります。
観光客も地涌に見学することができます。
ですので、この時間帯に訪れる観光客が多いです。

問答では質問する側が立ち、答える側が座っています。
質問する側が手を振りかぶった後、パンッと両手を鳴らした後に手を相手に伸ばし、質問を出します。
その質問に座っている僧が答えます。
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連続して、次から次へと問答をします。
もちろん、その度にパンッと大きな音が鳴ります。

問答は修行ではありますが、僧たちもけっこう楽しそうにやっています。
楽しそうですが、きっと難しい問答をやっているのだと思います。

この問答を見るために、多くの観光客が訪れています。
観光客の目を引くためにオーバーな動きをしている層もいるのでは、と邪推もしてしまいます。

何を言っているかわからないですが、多くの修行僧が大きな動きで問答をしている姿は、見ていてとても楽しいです。
ラサに訪れたらぜひ行ってほしいところですね。

チベットのラサには、本当にいろいろと見所があって楽しめる町でした。

ラサの中心部についてはこちら

ポタラ宮についてはこちら

曼陀羅の村サムイエについてはこちら

中国・チベット旅行記 鳥葬を見る

当たり前ですが、チベットには日本とは違った風習、文化があります。
チベットの風習の中でも特に衝撃的なのが、鳥葬でした。

ちょっとグロテスクとも言える表現があるため、苦手な人は読まないでください。
ただし、写真は載せていませんので視覚的には大丈夫です。

バックパッカーとして50ヶ国以上を旅行し、いろいろなものを見てきましたが衝撃度はNo.1と言ってよいです。

鳥葬とは

鳥葬は葬儀の一種です。天葬とも言われます。

日本では火葬が一般的ですが、チベット仏教ではチベット仏教の葬儀は塔葬、火葬、鳥葬、水葬、土葬の5種類があるそうです。
その中でもチベットの高地では鳥葬が一般的です。

鳥葬はその名の通り、鳥(ハゲワシ等)に死体を食べさせるものです。

残酷なように聞こえるかもしれませんが、魂が抜き取られた後の肉体は抜け殻に過ぎずそれを天へと送り返す方法だそうです。
そして、魂の抜けた肉体を他の生命に恵みとして与えるという考えがあるそうです。

鳥葬場へ

2006年に中国政府が鳥葬の撮影や見物を禁止したため、現在では見ることができません。
しかし、私が訪れた2001年当時は限られた場所で鳥葬を見ることができました。

鳥葬が行われる場所はラサから車で数時間かかる場所でした。
バスなどの交通機関はないため、車をチャーターすることになります。

一人で車をチャーターすると高いので、ラサのヤクホテルに泊まっていた日本人バックパッカーで行きたい人を募りました。
すると驚くことに13人も参加することになりました。
1台では乗り切れないため、2台チャーターしました。

鳥葬は朝に行われるため、ラサの町を真夜中に出発しました。
決して車は広くなく道もよくはないですが、さすがにみんなバックパッカー。
そんな状態でも寝ながら移動です。

車に数時間揺られて鳥葬場に到着しました。
しかし、すでに鳥葬が始まる時刻になってしまっていたので、車を降りて焦って鳥葬台まで移動しました。
標高が高いので、けっこうたいへんで息が上がりました。

衝撃の鳥葬見学

鳥葬台についてみると、すでに1体目の鳥葬が終わっているようでした。
しかし、その日は全部で3体だったので、2体目からは見ることができました。

鳥葬というと死体を置いて勝手に鳥が食べるだけど思うかもしれませんが、実は鳥が食べやすいように死体を切り刻みます。
その光景は衝撃的です。

まず、死体が鳥葬台に乗せられます。
死後時間が経過しているからか色が黒っぽくなっていました。
台の周りを鉈のような刃物を持った数人のチベット人が囲みます。
そしてその周りにハゲワシが数十羽が集まってきます。
しかし、ハゲワシもよく知っており、死体にとびかかることはなく、死体が切り刻まれるまで待っています。

そして、いよいよ始まります。

一人が鉈を振り上げ、死体の腹を一気に裂きました。
死体とはいえ、人の体を刃物で切り裂く姿は、目をそむけたくなるほどの衝撃を受けました。
しかし、チベットの死に関する考え方、文化、風習を見るために来たわけですから、目をそらすのは失礼な気もして最初から最後まで見続けました。

一刀目の後も、どんどん解体は続きます。
内臓が露わになった時にすごい臭気がし、みんな少し離れました。
そして、頭の皮をはぎ、足の裏の肉を削ぎ、ほぼ骨の状態になります。
指をたたき切り、骨は叩き割ります。

その様子を見ている大きなハゲワシが今か今かと待ち構えています。
それを周りの人が止めています。

解体が進み、肉も骨も鳥が食べやすいように細かく潰されます。
するとハゲワシを抑えていた人の手が離れた瞬間、ハゲワシが一気に台に躍りかかり食い始めました。
わずかな時間で余すところなく食べつくされました。

そして、3体目。
ハゲワシはまた離れていき、また解体が始まります。
3体目は子供の死体でした。
子供でも同じような解体が行われます。

それも最初から最後まで見ました。

鳥葬からの帰り

行きは夜だったのでわからなかったのですが、とても景色のいいところがありました。
車を止めてもらって、みんなでその景色を楽しみました。

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山々ときれいな川が流れています。

みんな先ほどまで鳥葬を見たショックなどなかったかのように、その美しい景色を楽しみました。

鳥葬を見て感じたこと

文章を読むだけでも衝撃的な内容かもしれませんが、実際に鳥葬を目にし匂いを嗅いだときの衝撃ははかりしれません。
しかし、死んだあと、自分の肉体を他の生物に与える、その考え方はある意味で素晴らしいことではないかと思います。

人それぞれ感じ方はあると思いますが、私は他の文化を尊重し、考えを理解できないまでも受け入れることが重要だと思います。
そのような様々な文化や人に出会うことがバックパッカーになった目的なのですから。
チベットで鳥葬を見たことも私にとっては良い経験でした。

ラサの町の様子はこちら

ポタラ宮についてはこちら

中国・チベット旅行記 曼陀羅の村サムイエ

中国はチベット、その中心的な街ラサ。
チベット仏教の中心地であるラサにはポタラ宮ジョカンなど、チベット仏教、文化を感じられる見所、観光地がたくさんあります。

しかし、そのラサの中心地をから少し離れると、さらにチベット文化を感じられるところがあります。
その一つがサムイエです。

曼陀羅のサムイエ村

サムイエはラサの南東にある村です。
バックパッカーの仲間の日本人と二人で訪れることにしました。

サムイエの村はサムイエ寺と中心として形成された村で、村全体が立体の曼陀羅となっています。
チベット仏教の宇宙観を表しています。

ちなみに2001年当時、サムイエに入るためには中国政府の許可証が必要とされていました。
有料の許可証を取らずに入った場合でも、見つかったら罰金さえ払えばよいだけで、見つかる割合も低いとのことで許可証を取らずに行きました。

ツアーであれば効率的に旅行できる場所だと思いますが、バックパッカーだった私はバスで移動した後、ボートで川を渡り、その後トラックの荷台に乗って移動しました。

そして川を渡ったに待っているのがトラックです。

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トラックの荷台とは、こんな感じです。

そのルートでは日帰り観光で行くのは難しいので、1泊2日で行きました。

サムイエ村に到着

サムイエに到着後、宿にチェックインしました。
上述のように外国人は許可証が必要なので、宿の人にも聞かれましたがとりあえず中国人だと言い張りました。

我々は二人ともバックパッカーなのでツインとかではなく、ドミトリーに泊まることにしました。
※ドミトリーとは部屋ではなく、相部屋でベッドを借りる形の宿泊形式です。

部屋に入ってみると、4人部屋だったのですが私たち2人だけで他に人はいませんでした。
ラッキーかなと思いました。

サムイエ観光

サムイエ自体はこの村自体が観光スポットです。
チェックイン後、バックパッカー仲間とビールを買って(そんな田舎村にもビールが売っているんです)サムイエ全体、曼陀羅の村を見られる丘に登りました。
その丘の上からの景色は、圧巻でした。

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円形の全体が曼陀羅を表しているということがよくわかりました。
神秘的な光景を見ることができました。
そんな立体曼陀羅を見ながら、バックパッカー仲間とビールを飲みながら周りの景色を眺めながらのんびりとすごしました。

美しく、文化を感じさせる村を一望した後、宿に戻るとやはり外国人であることがバレてしまいました。
宿の食堂で夕食をとっているときに警察が来て、結局罰金を払う羽目になりました。
とはいえ、たいした額ではなかったので問題はなかったです。

そして夕食を終えて部屋に戻ると、チベット人のおばさん2人が入ってきました。
4人部屋に2人でラッキーと思っていたのですが、結局満室になって残念でした。
そのおばさんたちは英語はもちろん、中国語もそんなに話せないかったようであまり会話はできませんでした。

サムイエからラサへの道中

サムイエからラサへ戻る道は、ラサからサムイエへの道と同じだったわけですが、なんとなく違って見えました。
それはラサだけではわからないチベット文化に触れたからなのかもしれません。

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帰り道の風景ははとても広く、とても素敵に感じました。

チベット文化の奥深さを感じられるので、ラサだけではなく少し足を延ばしてみることをおすすめします。

ポタラ宮についてはこちら

ラサの町についてはこちら

セラ寺についてはこちら

中国・チベット旅行記 ラサの世界遺産ポタラ宮

チベットのラサについて数日間は、ラサの町をブラブラ観光したりして過ごしました。

ラサの中心部の見所にはジョカンと呼ばれるトゥルナン寺があり、敬虔な人たちが五体投地で祈りをささげている姿を見ることができます。
また寺院の周りだけでなく普通の町中でも、マニ車という仏具を回していたり、数珠を繰っているチベット人たちを見かけ、チベットに来たなと実感できます。
中心地だけあり観光客も多くいます。

そんなラサの町の中で、ひときわ存在感があるのがポタラ宮です。

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この写真は泊まっていたヤクホテルの屋上からとったものです。
小高い丘の上に巨大な建物が建っています。

ポタラ宮とは?

「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」として世界遺産にも登録されています。

ポタラ宮は、17世紀にダライ・ラマ5世がマルポリの丘の上に建てた13階建ての巨大な宮殿です。
※もともと7世紀にチベットを統一した吐蕃が建てた宮殿跡をダライ・ラマ5世が増改築したそうです。
標高3700mのところにこれだけの巨大な建築物があることは驚きです。
ポタラ宮はチベット仏教、ダライ・ラマ政権の中心的な役割を果たしてました。

ラサの象徴ともいえる宮殿です。

しかし、現在のポタラ宮はダライ・ラマ14世が亡命した後、中国政府が接収して博物館化しています。

いざポタラ宮観光へ

いよいよポタラ宮観光です。

ポタラ宮はラサの町中にありますので、ホテルからも簡単にアクセスできます。
間近で見るとその大きさに圧倒されます。

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※ポタラ宮近くで撮った写真がなかったのでWikipediaよりお借りしました。

ポタラ宮は白と赤の部分に分かれています。
白い部分を白宮(はくきゅう)、赤い部分を紅宮(こうきゅう)と言います。
白宮はダライ・ラマの生活と政治の場、紅宮は宗教儀式を行う場となっているそうです。

ポタラ宮はラサのメイン観光スポットともいえる場所ですので、多くの観光客が来ていました。
とはいえ、私が訪れた2001年当時はまだ青蔵鉄道がなく、中国人観光客も少なく、現在と比べればましだったようです。
現在では鉄道もでき観光客も増えていて、一日の人数制限があり特に夏場はとても混むそうです。

ポタラ宮の中へ

さて、いよいよポタラ宮の中へ入ります。
しかし、入る前に階段を上っていかなければなりません。
標高3600m以上のところで、300段くらいある階段を上るのはけっこうたいへんです。
私は高山病とは無縁だったので大丈夫でしたが、体が慣れていない人は気を付けたほうがよいでしょう。

階段を登り終えていよいよ内部です。
内部では写真撮影禁止で写真を撮れなかったのですが、数多くの仏像やストゥーパ、壁画や装飾品がありました。
さすがチベット仏教の中心地という感じでした。

ポタラ宮の屋上に上ることもでき、ラサの町が一望できました。
ポタラ宮は本当にデカかったです。

夕暮れのポタラ宮

ラサにいる間、暇なときにホテルの屋上からポタラ宮やラサの街並みをよく眺めていました。
夕暮れ時のポタラ宮もいいかんじでした。

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ラサ最大の観光スポットともいえるポタラ宮。
その存在感はやはりすごかったです。
でも、ラサ、チベットの良さはポタラ宮だけではありません。

その他の場所もまたご紹介します。

ラサの町の様子についてはこちら

曼陀羅の村サムイエの様子はこちら

中国・チベット旅行記 ラサの町

ゴルムドからバックパッカー相手の闇トラックで標高5200mを越え、チベットのラサにやってきました。
ラサへの道中はこちら

チベットには独特の仏教文化がありますが、ラサはチベットの古都、チベット仏教の中枢ともいえる場所です。
「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」として世界遺産にも登録されています。
多くの観光客が訪れるチベット最大の町です。

私が訪れた2001年は鉄道が通っていませんでしたが、現在では鉄道でも行けるようになりました。
アクセスがよくなり観光客が増えているようです。

ラサの場所

現在は中国の西蔵自治区の中心的な都市です。
ブータンやネパールの国境にも近いです。

標高3600m以上のところにあります。
ほぼ富士山の頂上と同じです。

ラサは7世紀に吐蕃時代の首都です。
その後、ダライ・ラマ政権時代も首都でした。

ダライ・ラマはチベット仏教において観音菩薩の化身とされ、転生制度がありました。
2014年、ダライ・ラマ14世が転生制度廃止する意向をだしました。

このあたりについては、旅行記の趣旨とは違いますのであえて書きませんが、興味ある方は調べてみてください。

ラサの町

ラサの町についた初日。
一緒にゴルムドから来たバックパッカー仲間とともに、ラサの安宿の一つであるバナクショーホテルのドミトリー(25元:約300円)に泊まりました。

バナクショーホテルには、チベット僧もたくさんいました。
チベットに来たんだなー、と実感できました。
ちなみに独特のにおいもあり、チベット感があふれていました。

宿を確保した後は食堂い行き、チベット入りを祝してラサビールで乾杯しました。
ちなみに中国では各地に地ビールがあります。
標高3600mのラサにもラサビール(拉薩啤酒)があるんです。

標高が高く高山病の危険性もあり、アルコールは危険なのですが、標高2800mのゴルムドでしばらく過ごし陸路で上がってきたため全然平気でした。

ちなみに食堂も一般的な中華料理を出す店が多くありました。
さらに欧米人向けなのかパンや洋食を出す店もあります。

ヤクホテルへ移動

ラサに着いた段階では疲れ果てていたので、バナクショーホテル(25元)に泊まりましたが、せこいバックパッカーだったため一番安いヤクホテル(20元)にいどうしました。
※5元といえば当時で80円くらいの差なのですが、バックパッカーは安い方に行きたくなるものなのです。

ヤクホテルは大きなホテルで、敷地の真ん中には広い中庭もあります。
行ってみると日本人がとても多かったです。
外国に来て日本人と過ごすことを嫌がる人もいますが、異国の地でである日本人には親近感を覚えるので仲良くなる人も多いです。
チベットのラサまで来る日本人ですから、やはり個性的で面白いが多いですね。
欧米人はあまりいませんでした。

ラサでのんびり生活

一緒にラサに来たバックパッカー仲間は、さらに厳しいチベット仏教の聖地カイラス山をめざし旅立っていきましたが、私はこれ以上ストイックな旅行をする気はなかったのでラサにとどまりました。

標高5200mを闇トラックで越えてきたことで疲れたこともあり、2,3日はダラダラ生活をしました。
昼頃起き、ヤクホテルの近くの食堂で中華料理とビールを楽しみ、ビールを買って帰ってヤクホテルの中にはで飲んで、みんなとしゃべってとダラダラ生活を過ごしました。
バックパッカーというと活動出来と思う人もいるかも知れませんが、怠惰な生活が好きなバックパッカーも多いものなんです。

ジョカンとバルコル観光

ダラダラ過ごすとはいえ、もちろん観光もしています。

ラサで最大の寺院がトゥルナン、中国名で大昭寺です。
一般的には本堂を意味するジョカンと呼ばれて言います。

ジョカンでは多くのチベット人が五体投地をしています。

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五体投地とは両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することです。

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宗教、宗派がどうということではなく、その真摯な姿には尊敬の念を覚えます。

ジョカンの周囲にはバルコル(八角街)という商店街がぐるっと一周取り囲んでいます。
いろいろな日用雑貨やお土産品などが売られています。
2001年当時でもお土産物屋さんが多かったです。

このバルコルでけっこう買い物しました。

ラサでの凧揚げ

そんな中、知り合った日本人バックパッカーに誘われ凧揚げに行きました。
川原で凧揚げをしていると、地本のチベット人の子供たちも混ざってきて、みんなで楽しい時を過ごしました。

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子供たちの素朴な笑顔はかわいいですね。

ラサのメインの観光スポットであるポタラ宮など、様々な観光スポットをお伝えしてきます。

ポタラ宮についてはこちら

セラ寺についてはこちら

曼荼羅の村サムイエについてはこちら

中国旅行記 ゴルムドからチベット ラサへ

2001年当時、まだチベットラサまでいける鉄道である青蔵鉄路が通っておらず、陸路で行く場合ゴルムドからバスで行くのが一般的でした。
しかし、外国人観光客がチベットに入るための正規ツアー料金はとても高いため、バックパッカー向けに闇バス、闇トラックというものがありました。
ブローカーや運転手と交渉しかくまってもらうことで、検問所を抜け、チベット入りをするものです。

私ともう一人のバックパッカー仲間は、ゴルムドで運よく破格の金額で行ってくれる闇トラックのチベット人の運ちゃんと交渉が成立しました。
そのときのゴルムドの様子はこちら

そして、ユーラシア大陸横断の中でもメインイベントの一つともいえるチベットに向かいました。

ゴルムドからラサへの道のり

ところで、ゴルムドからラサへの距離をGoogleマップで調べてみると1161km、車で26時間と出ました。

距離と時間の数字だけ見るとそれほどたいしたことがないように見えるかもしれません。
しかし、我々が向っているのはチベットです。

出発点のゴルムドが標高2800m、目的地のラサの標高が3600mです。
その間にはタンラ山脈が待っています。
そしてタングラ峠は標高5231mです。

富士山よりもはるか高いところを通るわけです。
そのため高山病の危険性もけっこうあります。

私は標高2800mのゴルムドで数日過ごして体をなれさせました。
それ以外の方法としては、水を多く飲むことと、高山病予防の漢方薬「紅景天」を飲みました。
そのお蔭か、高山病にはならなかったです。

チベットへ向け出発

トラックは運転席と助手席のほかに、後ろにも座席があり運ちゃん二人と我々二人の合計四人でもそれほど窮屈ではなかったです。
もちろんリクライニングとかはついていませんが。。。

二つある検問所を抜けられればチベットに入れるわけですが、実際にどうなるか不安もありました。
検問所で見つかりゴルムドに戻され、罰金を払っている欧米人を数日前に見たからです。
とはいえ、乗ってしまったのですから今更引き返せません。
そしてトラックは順調に進み、夜になったところで第一の検問所に近づきました。

第一の検問所

すると運ちゃんは検問所の少し手前で止まりました。そして我々に対し
「車から降りて、歩いて検問所を迂回しろ」
と言ってきました。
バックパッカー仲間は中国語をまったくしゃべれなかったので、その内容を通訳して伝えました。

トラックの荷台なども調べられるので、その方法が一番見つかりにくいようです。
見つかりにくくするために、夜に検問所を抜けるようにしていたわけです。

降ろされたままそのトラックが行ってしまう危険性も考えられましたが、後払いということでまだお金を払っていません。
なので、大丈夫だろうということで仲間と一緒にいったんトラックを居りました。

運ちゃんは、「検問所を過ぎたところで待っている」と言って、車を発進させました。
標高3000mを超えるところ、夜中、検問所をかいくぐるために忍び足で歩いていきます。
検問所の様子を伺うとあまり警戒している様子はなく、裏側をそっと歩き、無事に検問所を抜けました。

そしてトラックが待っててくれるかの一抹の不安を抱きながら、検問所を超えてしばらく歩くとトラックが止まっていました。

再びトラックに乗り込み、無事第一の検問所を切り抜けました。
第一の検問所を通過した際、バックパッカー仲間と高山病予防効果があるといわれる漢方薬「紅景天」のドリンクで乾杯をしました。

余談ですが紅景天が日本でも売ってるのか調べてみましたが、粉末状のものは売ってるみたいですね。
いろいろ体に良いそうです。

トラブル発生

さて、夜中もずっとトラックは走り続けたのですが、途中で故障してしまうというトラブルが発生しました。
まったく動かないというわけではなかったのですが、スピードがほとんど出ませんでした。
このまま低速で走っても仕方がないため、朝まで待つことにしました。

日が昇ると、運ちゃんは修理を始めました。
中国に限らず、発展途上国では運転手が修理もできる人が多いです。
車の状態が悪く、途中で故障することも多いので、そうしないと商売になりませんので、みんな修理技術を持っています。

我々は手伝うこともできないので、祈るしかなかったです。
しばらくして直ったとのことで、ホッとしてトラックに乗り込みました。
そして発進。

しかし、少しするとまたスピードが落ちてきました。
再度修理。
本当にラサに着けるのか不安になりました。

が、今度こそちゃんと直ったようで再発進すると、そこからは順調に進みました。

標高5231mタングラ峠通過

そしてゴルムドを出発して2日目の夜。
標高5231mのタングラ峠につきました。

夜中だったので写真を撮ったりはできませんでしたが、記念に二人で立ちションをしました。
まあ、いい思い出です。

標高5000mを越えても、特に高山病もなく体調を崩すこともありませんでした。

第二の検問所

その後、トラックは故障することもなく順調に走り続けます。
そして昼食のために止まった休憩所で運ちゃんから、「この先に検問所があるから夜になるまで待つ」と言われました。
バックパッカー仲間にそのことを通訳すると、納得してました。

まだ昼前なので時間はかかりますが、検問所を抜けることを第一に考えてくれているという安心感がありました。
この運ちゃんはあまり口数が多くなかったのですが、仕事はちゃんとやる職人堅気の人という感じでした。

のんびり時間をつぶそうとしていたのですが、しばらくすると突然、運ちゃんが「行くぞ」と言ってきました。
さっき言ったことと違うので、大丈夫なのか?と疑問に思っていると、どうやら事故があったらしくその対応のため検問所が機能していなかったようです。
そのためノーチェックで第二の検問所を通過。

事故を起こした人には申し訳ないですが、こちらとしてはある意味ラッキーでした。

ラサに到着

そしてついにラサに到着しました。

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トラックの故障などもあるため、大幅に遅れて40時間くらいかかってしまいましたが、検問所を抜け、格安ではいれたのですから文句は言えません。
運ちゃんには二人分の400元を渡しました。
運ちゃんは金を受け取るとあっさりと去っていきました。

降ろされた場所がよくわからなかったので、タクシーを捕まえラサの安宿の一つ、バナクショーホテル(八郎学旅館)に向かいました。
無事ドミトリー(25元)にチェックインできました。

その夜、二人でチベットに入れたことを喜びビールで乾杯しました。

ラサの町の様子はこちら

中国旅行記 蘭州からゴルムド、そしてチベットへ

北京を離れ次なる町、蘭州へと向かいました。

蘭州は観光目的というよりはチベットを目指すための通過地点という位置づけでした。
蘭州からゴルムドへ移動し、そこからバスでチベットのラサに入るルートです。
2001年当時は、まだチベットラサまでの鉄道、青蔵鉄路が通っておらず、ゴルムドからバスで行くのが一般的でした。

ユーラシア大陸横断を初めて1か月。ようやくバックパッカーらしい感じになってきました。

蘭州の場所

蘭州は北京から東に約1500km、標高1600mの高原にあります。

列車の移動時間は、確か28時間くらいでした。
28時間と聞くと長く感じるかもしれませんが、バックパッカーだった私にとってはそれほど長時間の移動とは感じませんでした。

とはいえできれば、硬臥(二等寝台)で行きたかったのですがチケットが取れなかったため、しょうがなく硬座(二等座席)で行くことにしました。

2001年当時の中国の鉄道事情では、硬座は足の踏み場もないぎゅうぎゅう詰めの状態であることが多かったです。
なので覚悟していたのですが、意外とすいていて普通に座っていくことができました。

蘭州への列車の中で

28時間の列車の中。
基本的には寝てるか外を見てるか、ぼーっとしているかです。

暇だったのですが、たまたま向かいに座った中国人がいい人でビールや干し肉をくれました。
片言の中国語で何とか会話しました。
酔って騒ぐというほどではありませんが、長距離の鉄道の旅を楽しみました。
寝台だとなかなかこういうコミュニケーションはとれなかったかもしれないので、座席でよかったのかもしれませんね。

そしていつの間にやら、若干酔った状態で蘭州に到着。
28時間、座りっぱなしの列車の旅でしたが、当時の私にとっては楽なものでした。

ビールをくれた中国人に別れを告げ、蘭州の駅を出ました。

蘭州の町

まずは宿探し。
駅前にいた客引きについていったところ、招待所に泊まることができました。
招待所とは外国人向けホテルではなく、現地の人が寝泊まりする安宿です。

到着は午後だったので、その日はゆっくりして翌日蘭州の町を観光しました。

とはいえ、蘭州自体にはあまりよい観光スポットはありませんでした。
町中を流れる黄河を眺めるくらいでした。

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雨が降ってきてたため写真が暗くてわかりにくいですが、黄河はやはり黄色かったです。
蘭州は標高1600mの場所にあるので、雨が降ると9月でもけっこう寒かったです。

観光を終えた後、次の町ゴルムドを目指しました。

ゴルムドの町

ゴルムドは蘭州からさらに西へ約1000km。
青海省の町です。
標高はさらに上がり、2800mにもなります。

チベットのラサは標高3600mと富士山の頂上くらいのところにありますし、ゴルムドからラサに抜ける際には、標高5200mを越えていく必要あります。
高山病にならないように順応するため、標高2800mのゴルムドには数日泊まりました。

ゴルムドの町では市政府招待所という公共の宿に泊まりました。
たいそうな名前ですが、シャワーがありませんでした。
したがってチベットのラサに着くまで数日間はシャワーを浴びれませんでした。

中国の西部に位置していることもあり、モンゴル族、チベット族、回族(ムスリム)などの少数民族が住んでいました。
町中ではイスラム料理なんかも食べられました。
屋台がたくさん出ていて、羊肉串や砂鍋などいろいろ楽しめます。
砂鍋は一人前の土鍋に野菜や肉など具だくさんにしてスープで煮込んだ鍋はとても美味しかったです。

そして、ゴルムドでのミッションの一つであったビザの延長も行いました。
特に何の問題もなく手続きが終わりました。
1ヶ月ビザをさらに1ヶ月延長できこれでチベットもゆっくり滞在できます。

ネットカフェでメールをチェックしていると北京で出会ったバックパッカーからメールが入り、ゴルムドに翌日来るとのことでした。
※2001年当時はスマホやWifiなどはないため、時々ネットカフェに行く必要がありました。
で、翌日無事に合流できました。

チベットへの闇バス

ゴルムドからチベットのラサへのバスは、正規料金だと2300元(当時のレートで3万円くらい)しました。
当時、チベットに入るためには高額なツアー形式で入る必要があったのです。

そこでそれをかいくぐるための闇バスというものがありました。
ブローカーが斡旋しており、バスの運転手が検問所で見つからないようにかくまってくれるものです。
料金は700元、正規料金の3分の1くらいでした。
ただし、途中で見つかるとゴルムドの町に戻され、罰金を払わされたりというリスクもありました。

私は最初、リスクもあるし、面倒なので正規料金で行こうかなと考えていたのですが、やはり2300元は高いですし、合流したバックパッカーも闇で行きたいとのことだったのでとりあえず探すことにしました。
と、探している、欧米人5人が闇バスで見つかり500元の罰金を払わされている姿を目撃しました。
ちょっと不吉な感じだでした。

そんな中、闇バスを見つけたので交渉したところ、金額が折り合わず決裂。
もう一台見つけて金額交渉も終わったのですが、すでにそのバスに乗り込んでいた数人の欧米人がリスクが高くなると拒否されてしまいました。

その後、なかなかバスは見つからなかったので、トラックの運ちゃんに声をかけました。
何台か声をかけると、なんと200元で行ってくれるとのこと。
正規料金の10分の1以下、闇バスの3分の1以下です。

しかも料金は後払いでOKとのこと。
破格の条件です。

我々は二つ返事でOKしました。
そのトラックに乗り込み、チベットラサへと向かいました。

ラサへの道中の様子はこちら

中国旅行記 北京で京劇を観劇

ユーラシア大陸横断の2か国目、中国。
いったん北京を離れて大同で世界遺産の雲崗石窟を観光した後、再び北京に戻りました。

ちなみに雲崗石窟の観光を終えたあと、そのまま駅に向かい北京行の列車に乗りました。
大同に来たとき同様に硬座(2等座席)です。
バックパッカーだったので7時間ほどの移動であれば、座っていても平気でした。

再び京華飯店へ

早朝に北京に到着すると、私にとっての常宿(いつもと待っていた宿)である京華飯店に直行しました。
到着時点では20人ドミがあいていないということで、誰かがチェックアウトするまで待ってました。

1時間ほどロビーで待っていると、チェックアウトする人がいたため無事に20人ドミに入れました。

京華飯店では、またまたいろいろな人に会えました。
この時仲良くなった人が2人と、誕生日が1日違いずつというビックリするような偶然もありました。
やはりドミトリーは人との出会いがあって楽しいです。

京劇

ドミトリーで出会った仲間たちと京劇を見に行くことになりました。

京劇とは、中国の伝統的な古典演劇、歌劇です。
北京を中心に発展した劇なので、京の文字が付きます。
派手な衣装、メイクや歌とともにアクロバティックな動きもあって楽しめます。
日本の歌舞伎に近いといえるかもしれません。

昔は歌舞伎同様に男だけが演じていましたが、現在では女性が女性役を演じています。

なお、文化大革命のときに排斥されたのですが、その後文化的な価値が見直されました。

京劇を観劇

北京の前門飯店に梨園劇場という、京劇の劇場がありそこに観に行きました。
私は以前に行ったことがあるので、
観客は外国人ばかりで観光客向けとなのですが、わかりやすい演目が多いです。

この時は覇王別妃(項羽と虞美人の話)と孫悟空でした。
二つとも定番と言える、わかりやすい演目ですね。

銅鑼が鳴ったりと中国らしい音楽が流れ、女性役は高音の声で歌います。

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なお、英語字幕が出ます。
また、同時通訳のイヤホンを借りることもできます。
歌や踊りは優雅で惹きこまれます。

そして、京劇のアクロバティックな動きも楽しめます。

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これは孫悟空の演目です。
壇上左で人が回転してます。

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こちらは複数の人が入り乱れて回転してます。

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黄色い旗の上を孫悟空が舞ってますね。
サーカスを見ているような気分にもなります。

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色んな悪役がそろったところです。
ちょっと暗くてわかりにくくてすいません。

ただ、以前見たときよりもちょっと外国人向けにしすぎるかなとも思いました。
観客が外国人観光客ばかりなので、それはしょうがないのですがね。
あとちょっとアクロバットでのミスが多かったと感じました。
レベルが下がったのかなとも思いましたが、たまたまだったのかもしれません。

とはいえ、京劇は意匠も派手で、歌あり、踊りあり、アクロバットありでとても楽しめます。
いつか違う劇場にも行ってみたいと思います。

京劇からの帰りに

ちょっと余談になりますが、京劇楽しんだ帰り道、みんなで北京の夜の道を歩いていました。
北京は治安がよいので、夜間でもそれほど心配することはなかったです。

で、帰り道を歩いていると突然公衆電話が鳴りました。
みんなびっくりしましたが
「誰が出るねん!」
と突っ込みを入れていたところ、さっそうと自転車に乗って走ってきた兄ちゃんが受話器を取り「ウェイ?(もしもし)」といったので、みんなで爆笑しました。

おそらく自宅に電話がない人が、何時にここの公衆電話にかけてと言っていたのでしょうね。
当時中国では携帯電話も普及してなかったから見られた光景であって、現在では見られないかもしれませんね。

と、京劇からは脱線しましたが、各国の伝統芸能を見ることはとても楽しいです。
ぜひ観光に訪れるなら、そのような場にも行ってみてください。

さて、ユーラシア大陸横断に向け、この後チベットを目指します。

蘭州からゴルムド、そしてチベットへの様子はこちら

中国旅行記 大同 世界遺産雲崗石窟と懸空寺

ユーラシア大陸横断の2ヶ国目中国。
北京で数日過ごした後、大同に行くことにしました。

大同世界遺産にも登録されている中国三大石窟の一つ、雲崗石窟があります。
※三大石窟の残り二つは洛陽の龍門石窟と敦煌の莫高窟です。

そして断崖絶壁に建てられた懸空寺もあり、実は有名な観光スポットが複数ある町です。

大同の場所

大同は北京の西300kmくらいのところにある山西省の町です。

北京からは列車で7時間くらいでした。

列車の席には、硬座(座席)、硬臥(2等寝台)、軟臥(1等寝台)という種類があります。
私は最も安い硬座でいきました。
それも宿代を浮かせる狙いもあり、夜行列車での移動でした。

中国はとても広いので、10時間や20時間の移動などは普通です。
10時間だと近いな、と感じるくらいだったので7時間程度の移動は硬座で何の問題もありませんでした。

大同に到着

大同には早朝に到着しました。
7時間程度の移動なので、あまり眠れませんでした。

新しい宿に着いたらまずは宿確保です。
日本を出発するときから、大同にはいくつもりだったのであらかじめ安宿である北岳賓館に向かいました。
もともとの情報ではドミトリーがあると聞いていたのですが、いってみるとドミはないといわれてしまいました。
疲れていたこともあり、また安いこともあったのでツインに1人で泊まることにしました。
この北岳賓館の従業員の女の子たちは、とても愛想がよくていい感じの子が多かったです。

その日は疲れていたこともあり、いったん寝ました。

その後、町中をぶらぶらとしました。
大同は内蒙古自治区などの少数民族の地域に近いので、モンゴル人やウイグル人などもいてけっこういい感じでした。

そして、夜ツインの部屋で1人眠りについた翌朝。
突然、部屋の電話が鳴りました。
戸惑いながら、受話器を取り、片言の中国語で聞いてみると日本人の友達が来てるとのこと。

何のことかと思い、フロントに降りてみると北京の宿で一緒だった日本人2人がいました。
北京を出発する際に、その2人は「もしかしたら大同に行くかも」と言っていたのですが、まさか翌日に来るとは思っていなかったのでびっくりしました。

しかし、おかげで4人部屋を3人でシェアすることができました。
ツインに1人で泊まるより安くついたのでよかったです。

さらにその後、日本人2人と出会うことになりました。

世界遺産雲崗石窟と懸空寺 観光

私も含めた日本人5人で大同のメイン観光スポットである世界遺産雲崗石窟と懸空寺に行くことにしました。

懸空寺

ますは懸空寺に行くことになりました。
懸空寺は大同しないから南東に60kmくらいのところにある寺院です。
5人いるので車をチャーターしてみようということになりました。
みんなバックパッカーなので、運転手と交渉し、かなり値切り安くいけました。

懸空寺は仏教、道教と儒教の三つを一体化した独特の宗教の寺院です。
断崖絶壁に建てられた文字通り空に懸かる寺です。

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写真ではちょっと遠いのでわかりにくいかもしれませんが、断崖絶壁に建っています。
懸空寺は地上60メートルにあり、最も高いところは地上90メートルにもなるそうです。
どうやって建てたのか不思議です。

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みんなテンションが上がり、楽しめました。

世界遺産雲崗石窟

懸空寺を楽しんだ後は世界遺産の雲崗石窟に行きました。
雲崗石窟は大同の町から西へ20kmほどです。
車は1日チャーターだったので、そのまま移動しました。

雲崗石窟は5世紀に作られたものだそうです。
洞窟は53窟があり、石像は5万1000体もあるそうです。

その中で最大の石仏がこちらです。

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大きいだけでなく、やさしい表情が印象的です。
昔のテレビドラマ「西遊記」のエンディングテーマ「ガンダーラ」が流れてきました。
世界遺産に登録されているだけあり、行ってよかったと思いました。
大同は日本からは行きにくいかもしれませんが、仏教遺跡好きなら行ってみたらよいと思います。

このとき雲崗石窟を訪れたことで、三大石窟すべてを制覇することができました。(洛陽の龍門石窟の様子はこちら

大同観光を終え、この後北京に戻りました。

北京で京劇を見た時の様子はこちら

ユーラシア大陸横断 北京での2001年9月11日

ユーラシア大陸横断の旅を始めて約1か月。
韓国から中国へ移動。

私は北京にいました。
その時に、思いがけないことがおこりました。

2001年9月11日 9.11

そう。それはアメリカでの同時多発テロ。
いわゆる9.11です。

その日も20人ドミでのんびりしていると、日本人学生バックパッカーが叫びながら新聞を持って部屋に戻ってきました。

「ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ!」

そう叫んでいましたが、こちらは何のことかわかりません。
そして、手にしている新聞の号外を見せてくれました。

20人ドミではテレビもなく、新聞も届くわけでもないので我々は何も知りませんでした。
外では号外が配られていたのですが、ドミの中は何も知らない人ばっかりでした。

新聞を見た後でも、みんな実感がわきません。
日本にいたのであれば、おそらくテレビの映像でたいへんなことが起こったことがわかったでしょう。
しかし、新聞で見てもピンと来なかったというのが正直なところでした。

実際に私がワールドトレードセンターに突っ込む飛行機の映像を見るのは、約1年半後、日本に帰ってからでした。
その映像と見たとき、あのときこんなことが起こっていたんだ、と衝撃的でした。

国境封鎖

9.11が起こったその日、自体の深刻さを感じた人は少なかったかもしれません。
徐々にイスラム過激派アルカイダが行ったテロだということがわかってきました。

そして中国の隣国であるパキスタンにその拠点があるということで、中国とパキスタンの国境が閉じられたということがわかりました。

ユーラシア大陸横断をする人は、中国からパキスタンに抜ける人も多くいます。
実際にそのドミにいた数人はそのルートを考えていたので、かなり困っていました。
私自身は直接中国からパキスタンに抜けるのではなく、中国のチベットからネパール、インドに抜けるつもりだったのでそこまで気にしなかったのが正直なところでした。
ですが、その後影響を受けることとなります。

今回はちょっと旅行記とは別の内容となりました。
次からはまた旅に戻ります。

大同の雲崗石窟の様子はこちら

ユーラシア大陸横断旅行記 4度目の北京へ

ユーラシア大陸横断の2ヶ国目である中国の入国地、天津を1泊で離れ北京に移動することにしました。
韓国の仁川(インチョン)から天津行の船で知り合った韓国人たちと一緒にバスで移動しました。

天津から北京へはバスで2時間ほどで着きます。
広大な中国大陸の中でいうと、ほんのわずかな距離ですね。
そして北京に到着しました。

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何度も来ているので懐かしい感じでした。

4度目の北京

私の最初のバックパッカー人生は1995年中国、北京から始まりました。
その初めてのバックパッカー旅行が楽しすぎたため、ユーラシア大陸横断の旅に出るほどになったわけです。

やはりバックパッカーになって初めての国、町ということもあり、北京は好きな町の1つです。
そのため、その後も度々訪れ、このユーラシア大陸横断の時に訪問したのが、4回目となりました。

勝手知ったる町ともいえ、いつも泊まっている安宿があったのですが、1泊目は韓国人たちと同じ宿に泊まりました。
翌日、韓国人たちは別の町へと旅立ったため、私は宿を移すことにしました。

京華飯店の20人ドミ

2001年当時、北京を訪れるバックパッカーにとって有名な安宿が京華飯店(ジンホァファンディエン)でした。
当時この京華飯店には20人ドミというのがありました。
とても広い部屋の中の両側の壁に10個ずつ、合計20個のベッドが並べられたドミトリーです。

ドミトリーとは部屋を借りるのではなく、部屋の中にあるベッドを借りる相部屋スタイルです。
日本ではユースホステルなどでしか見かけないですが、バックパッカーにとっては宿代を安くあげられ旅仲間に出会える貴重な存在です。当時の20人ドミは20元(当時のレートで300円ちょっと)で、北京の中では安かったです。

8月に訪れたわけですが20人ドミは安くて人気が高かったので、夏休み期間はいっぱいの時があります。
私は運よくベッドが空いたので、すんなりと入ることができました。
欧米の方などいろいろな国の人がいましたが、日本人の割合が高かったです。

安いだけでなく、バックパッカー仲間に出会えるのがこの20人ドミのいいところ。
何しろ自分以外に19人のバックパッカーがいるわけですから、その中で気が合いそうな人たちと自然と輪ができます。
やはり日本人同士が自然と集まりますね。
これからの旅の予定やこれまでの旅の話などで盛り上がりますし、食事も一緒にします。

また、京華飯店はバックパッカーの中では有名だったので、韓国のソウル出会った日本人数人と再会する場所にもなりました。
同じ方向に進むバックパッカー同士だとけっこうあることですが、複数の町で会うとやはりより仲良くなれますね。
ちなみに今でもこの時に出会った仲間とは、たまに連絡を取ったりします。

女性バックパッカーも意外と多い

バックパッカーの経験がない人には意外かもしれませんが、意外と女性バックパッカーもいます。
当時の20人ドミの中で6,7人は女の子でした。
海外で日本人の女の子と出会うと、自然と仲良くなれるのでけっこう楽しいものですよ。
彼女が欲しい人は、海外で日本人の女の子に声をかけてみるのもいいかもです。
海外で出会った女の子に一緒に食事行きませんか?と聞いても、日本人同士というだけで親近感があるのであまり嫌がられません。

と、ちょっと脱線しましたが、中華料理は人数が多い方が楽しめますので、ドミトリーで知り合った仲間がいるといろいろな料理が食べられて楽しいです。

中国のおすすめ料理はこちら

天安門広場で凧揚げ

北京では万里の長城や、故宮(紫禁城)、頤和園などいろいろな観光地があります。
私は観光地も過去に訪れてたので、この時はあまり観光はしませんでした。

しかし、4度目の北京訪問にもかかわらず、私がまだ成し遂げられなかったことがありました。
それが天安門広場での凧揚げです。

天安門広場は世界最大の広場です。
そんな世界最大の広場で現地の人たちは凧揚げにいそしんでいる姿をよく見かけました。
一回はやりたいなー、と思っていたのでドミトリーの仲間を誘ってみたところぜひやろうということになりました。
というわけで6年越しの夢がかないました。

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凧を揚げるために頑張って走りました。
が、風がないせいか、技術がないせいか、うまくは上がりませんでした。
とはいえ、6年越しの夢がかないとても満足でした。

やっぱり北京は好きな町ですね。
ですが、2001年北京に滞在中に思いがけないことがおこりました。

9.11について

中国のおすすめ料理 各地の名物料理編

私はバックパッカーとして中国には6回訪れ、合計で6か月くらい滞在しました。
北京や上海はもちろん、四川、新疆ウイグル自治区などいろいろいきました。

中国はとても広いので、各地にいろいろな名物料理があります。

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私が食べた中でのおすすめの名物料理をお伝えします。

北京:北京烤鴨(ベイジンカオヤー)

北京ダックです。
パリパリに焼いた鴨の皮を削ぎ切りにして、餅(ピン:日本の餅ではなく薄い小麦粉の皮)の上にネギと甜麺醤を一緒に乗せて丸めて食べます。
北京ではファーストフード的な感じで出す安い店なんかもありますが、やっぱりここは全聚徳など、それなりのところで食べたいですね。
中国では日本より格安で食べれますので、バックパッカーだった私も食べました。

成都:麻婆豆腐(マーボードウフー)

四川料理の本場成都にある麻婆豆腐発祥の店、陳麻婆豆腐店で食べましょう。
麻婆豆腐は唐辛子の辛さもあるのですが、花椒(山椒の仲間)がきいていて舌がビリビリと痺れます。
この痺れる感じを中国では麻(マー)といいます。
甘い、辛いという感じと同様に、痺れるというのも味覚の一つです。

最近は日本でもだいぶメジャーになってきたかなと思いますが、苦手な人は苦手かも。
でも、私はこの本場のビリビリする麻婆豆腐のほうが好きです。

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※こちらは日本の陳麻婆豆腐店の写真です。
花椒をさらに追加しました。

日本でよく食べられる麻婆豆腐は陳建民がアレンジしたものですね。
ちなみに坦々面も、日本で食べられているスープ入りのものは陳建民がアレンジしたものです。
料理はその地域や風土、味覚に合わせて変遷していくもので、なにが正当っていうものではない気もします。

成都:担々麺(タンタンミェン)

本場成都の坦々面は汁無し。
小さいお椀で軽く食べるおやつみたいな感じです。
成都に行ったらせっかくなので、坦々面も食べて見ましょう。

杭州:東坡肉(トンポーロウ)

豚の角煮の起源といわれる料理です。
杭州は上海から2時間くらいで着く町です。
煮込んだ後、蒸すようです。(食べたのですが蒸したかどうか破棄にしてなかった)
うまいです。

新疆ウイグル自治区:羊肉串(ヤンロウチュェン)

シシケバブですね。
羊肉を鉄串にぶっ刺し、香辛料をまぶして焼くものです。
もともとはイスラム圏(中国の中で言うと新疆ウイグル自治区)の料理ですが、中国全土に広がっています。
羊肉は臭いがありますが、香辛料でカバーしてます。
安い、早い、うまいです。
においが苦手な人も多いですがが、試す価値はあると思います。

新疆ウイグル自治区:ラグマン・拌麺(バンミェン)

ウイグル語ではラグマン、中国語では拌麺です。
聞いたことない人も多いと思いますが、中央アジアでよく食べられる麺です。
意外ですがトマトベースのソースです。
イスラム圏の料理のため、羊肉を使用します。
そのためちょっと臭いがきつい場合もあるので、苦手な人もいるかもしれません。
でも、トマトソースのうどんみたいでけっこうはまります。

残念ながら上海で上海蟹は食べておらず、広東行ってないので、広東料理も食べてません。
上手いと聞くので、いずれ食べてみたいですね。
ここまで読まれてがっかりした人は、ぜひ現地で上海蟹とかフカひれとか食べてみてください。

でも、実はその辺の食堂で食べられるものにもおいしいものは多いです。

中国のおすすめ料理 食堂編

中国のおすすめ料理 食堂編

私はバックパッカーとして中国には6回訪れ、合計で6か月くらい滞在しました。
もちろん滞在中はほとんど中華料理です。
でも中華料理が大好きなのでなんの苦痛もありません。

中華料理はおいしいですね。

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たくさん食べた中で、私のおすすめメニューをお伝えします。
今回はバックパッカーの懐にやさしい一般的な食堂の料理をお伝えします。

中国語の読み方についても記載しましたのでご参考にしてみてください。

一品料理

西紅柿炒鶏蛋(シーホンシーチャオジータン)

トマトと卵の炒め物です。
初めて食べたときはビックリしました。
イタリアンでもないのにトマトを料理に使い、しかもめちゃくちゃうまい。
家常菜(ジアチャンツァイ)と呼ばれる家庭料理です。
その辺の食堂で食べれます。
たいがいどこで食べてもうまいです。
ちなみに「西紅柿」がトマト、「炒」はそのまま炒める、「鶏蛋」は卵です。
中華料理のメニューは日本人には分かりやすいと思います。

魚香茄子(ユーシアンチエズ)

日本でいうところの麻婆茄子に近いです。
※麻婆茄子という料理名は中国では存在しません。
魚香といっても魚の料理ではなく、泡辣椒(パオラージャオ)という唐辛子の塩漬けした調味料を使います。
茄子は油との相性がよいので、中華料理の茄子はとてもおいしいです。
もともと茄子が苦手だったのですが、中国で初めて魚香茄子を食べた後、大好きになりました。

紅焼茄子(ホンシャオチエズ)

同じ茄子料理ですが、こちらは醤油煮込みになります。
とはいえ、唐辛子も使うのでちょっとピリ辛です。
いずれにしろ、中華の茄子はうまいです。

鍋巴(グオパー)

おこげの餡かけです。
多くのお店ではご飯のおこげを皿に盛った後、テーブル上で餡をかけます。
ジュワー、パキパキパキ、という音がして、視覚的にも聴覚的にも刺激されます。
グループで行って頼むと盛り上がること間違いなしです。

糖醋里脊(タンスーリージー)

日本でいうところの酢豚です。
ただ、野菜などは入っていなくて、揚げた豚肉に甘酢を絡ませたものが多いです。
うまいですよね。

宮保鶏丁(ゴンパオジーティン)

鶏肉のピーナツ炒め(鶏肉のカシュ―ナッツ炒め)
基本的にははピーナッツです。
四川料理なのでピリ辛でおいしいです。

青椒肉絲(チンジャオロースー)

日本でも有名ですね。
でも、日本では牛肉を使うことも多いですが、中国では豚肉です。
青椒がピーマン、肉絲は肉の細切りという意味です。
無難にうまいです。

主食系

一品料理だけでなく、一人でランチを食べるときなどの強い見方が炒飯や麺ですね。
おすすめの主食系料理をお伝えします。

蛋炒飯(タンチャオファン)

そのまま、卵チャーハンです。
シンプルですがうまいです。
そして安い。

揚州炒飯(ヤンジョウチャオファン)

五目チャーハンです。
卵だけじゃちょっと寂しい人はこちらをどうぞ。

水餃(シュイジャオ)

水餃子です。
皮が厚く、プルプルしててうまいです。
中国では餃子と言えば水餃子です。

焼き餃子は鍋貼(グオティエ)と言います。
某餃子の○○で、「イーガーコーテー」っていうときのコーテー部分ですかね。

ちなみに中国では餃子は主食です。
餃子をおかずにご飯は食べません。
日本人がよくやる、餃子にラーメンに炒飯のセットなどは、中国人が見るとビックリします。
日本人は炭水化物が好きですね。

余談ですが、私は大阪出身ですが、お好み焼きとご飯は一緒に食べません。

刀削麺(タオシャオミエン)

日本でもメジャーになってきました刀削麺です。
小麦粉の塊を湾曲した包丁で削る麺です。
プニプニにした触感が好きです。
スープはいろいろあるのでお好みで。
麺類には香菜(シャンツァイ)いわゆるパクチーが入ることが多いので、苦手な人は「不要香菜(プーヤオシャンツァイ)」と言いましょう。

いわゆるラーメン的なものでは牛肉麺がありますが、ラーメンは日本のほうがうまいと思うので私は好んでは食べません。
どうでもいい話ですが、中国では「麺」は「面」と書くので、牛肉面の文字を見て「牛肉づらって何?」と言ってる人がいました。

包子(パオズ)

肉まんですね。
手軽に食べれますし、安いです。
朝飯に軽く、なんて食べ方もよいですね。
その辺の屋台で売ってます。

素菜包子(スーツァイパオズ)という「野菜まん」もあります。
包子の具がないものを饅頭(マントウ)といいます。
日本のまんじゅうとは違いますのでご注意を。

また余談になりますが、饅頭の起源は、私も好きな三国志の諸葛亮が南征時に作ったっていわれてますね。

米飯(ミーファン)

最後になりますが、白米、ご飯のことは米飯(ミーファン)と言います。
が、やっぱり日本の米がうまいですね。

お米にこだわりがある人には、中国で食べる中華料理と一緒に味わうのはビールのほうがよいかもしれませんね。
私はお米にそこまでこだわりはなかったですが、ビールばかり飲んでましたが。。。