中東

エジプト旅行記 アカバ湾のリゾート地ダハブ

ユーラシア大陸横断中のときのことです。

エジプトに入った後、激しい体調不良に襲われ、回復後にピラミッドを観光し、ルクソールに移動して王家の谷、そしてアスワンに移動してアブシンベル神殿とエジプト文明の遺跡、観光地を堪能しました。

そして、アスワンからカイロにいったん戻りました。

その理由はエジプトからはヨルダン、そしてシリアに移動する予定だったからです。

シリアビザ取得

ヨルダンは国境で無料ビザを取得できるのですが、シリアはビザが必要でした。(2002年のことです。2015年現在はシリア入国は困難です)

ヨルダンの後はシリアに入るので、エジプトのカイロでシリアビザを取得しました。
海外旅行をしたことがない人、あるいは海外旅行をしていても国から国に移動したことがない人は知らないかもしれませんが、その国のビザは基本的にその国の大使館で取得ができます。
つまり、エジプトにあるシリア大使館で、日本人の私もシリアビザが取れるのです。

バックパッカーはこのように、次の国のビザを取りながら旅を続けるものなのです。
とはいえ、日本のパスポートを持ってると、ノービザの国も多いので取る必要もなかったりしますけど。

アカバ湾のダハブへ

さて、シリアビザを取得し次の国ヨルダンを目指しました。
とはいえ、一気にヨルダンに入るのではなく、まずはエジプト内のダハブという町へ向かいました。

ダハブはシナイ半島の南端にあり、アカバ湾沿いのリゾート地です。
紅海の一部です。

紅海はとても透明度が高い美しい海です。

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本当にきれいな海でした。

スキューバダイビングのスポット

このように美しい海なのでスキューバダイビングをする人にとっては、人気のスポットにもなっています。

私はダハブを訪れた当時の2002年は、まったくダイビングに興味がありませんでした。
日本人インストラクターに誘われたのですが、バックパッカーでせこかった私はお金もかかるので断りました。

しかし、その2年後には私はダイビングインストラクターになったのであり、あの時やっておけばよかったなー、と思っています。
お金をケチるのも悪いことではないのですが、その時の体験できる価値というのも大切だなと、今では思います。

とはいえ、さすがにこれだけ美しい海です。
シュノーケリングはしました。
水面から見る海の中もとてもきれいで楽しめました。

でも、ダイビングを知った今となっては、ダイビングをしにもう一度行きたいなと思います。
ダハブに行って、ダイビングにちょっとでも興味があるのであれば一度やってみることをおすすめします。
リゾート地も楽しいものですよ。

そして、ダハブを後にし次の国ヨルダンを目指しました。

ヨルダンのペトラ遺跡についてはこちら

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トルコ旅行記 イスタンブール アジアとヨーロッパにまたがる都市

イスタンブールは、アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市であり、人気の観光地でもあります。
アジアから来たバックパッカーはヨーロッパを感じ、逆にヨーロッパから来たバックパッカーはアジアを感じる。
そんなエキゾチックな街です。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカーだった2002年の4月にシリアのアレッポからイスタンブールに入りました。
その後、ヨーロッパを回った後、夏にもイスタンブールを訪れましたが、居心地のいい町でした。

イスタンブールの場所

イスタンブールはアジアとヨーロッパをつなぐ国です。

イスタンブールの真ん中にはボスポラス海峡があり、東がアジア、西がヨーロッパです。
ボスポラス海峡は一番狭い地点では、わずか800m程度ととても狭いです。
ですので、橋が架かっており、簡単に行き来できます。

私が行った2002年はまだなかったのですが、現在では鉄道用の海底トンネルも通っています。

世界遺産イスタンブール歴史地区を観光

イスタンブールはかつてのローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国の首都でした。
そのため歴史的な建造物も多く世界遺産に登録されています。

特にスルタンアフメット地区は、見どころ満載です。

トプカプ宮殿

トプカプ宮殿はオスマントルコ帝国の君主たちの居城だったところです。
さすが宮殿だけあってとても広大な敷地です。
特に見どころなのは宝物館、中には金銀財宝がザックザクです。
人気の観光地なので混んでますが、イスタンブールの見どころですので行ってみてください。

アヤソフィア

アヤソフィア「ビザンチン建築の最高傑作」とも言われています。

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巨大で美しい建造物です。

アヤソフィアは西暦350年頃、東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として作られました。
何度か火災などで焼失しましたが、再建され、現在のアヤソフィアは 537年に作られたものです。
その後、15世紀にオスマン帝国に支配下となり、モスクに改装されました。

現在は博物館となっており、内部に入れます。
ビザンチン美術とイスラム美術が混在しており、見ごたえがあります。

スルタンアフメットモスク(ブルーモスク)

ブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメットモスクは、アヤソフィアの向かいに立っており、世界一美しいモスクとも言われています。

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オスマン帝国のアフメット一世が建設を命じ、1616年に完成したものです。
スルタンアフメットモスクは、今でもモスクとして利用されていますが、観光客も中に入ることができます。
宗教施設ですので、敬意をもって入りましょう。
厳かな雰囲気です。

イスタンブールの歴史地区は見どころ満載ですね。
普通に街を歩くだけでも楽しいところです。
また、スーク(市場)なんかを除くのも楽しいですね。

ガラタ橋とサバサンド

ガラタ橋は金角湾河口近くに架かる橋です。
多くの人が釣りをしています。
そして、露店も多く、イスタンブール名物サバサンド屋がたくさんあります。

サバサンドはその名の通りサバのサンドイッチです。
釣ったばかりのサバの塩焼きとタマネギ、レタスをパンにはさみ、塩とレモンのシンプル料理ですが、ごれがうまい。

ぜひ食べてみてください。

世界三大料理 トルコ料理

おいしいものはサバサンドだけではありません。

トルコ料理は中華料理、フランス料理とならび、世界三大料理の一つと言われています。
トルコ料理はトマトソースがよく使われていて、トマトソースの煮込み料理が好きでした。

また、イスタンブールはパンがおいしかったです。
フランスパンみたいな形のパンですが、毎日食べてました。

イスタンブールの食堂ではパンが食べ放題だったのが、バックパッカーには嬉しかったです。
食堂にいくときはトルコ料理とともにパンをたくさん食べて経済的でおいしい食事ができました。

アジアとヨーロッパがまじりあい、歴史があり、見どころも多く、料理もおいしいイスタンブールはオススメの観光地です。
一度は行ってみてはいかがでしょうか。

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イスタンブールでアジア圏は終了です。
ユーラシア大陸横断の旅はいよいよヨーロッパに入ります。
まずはブルガリアを目指しました。

初めてのヨーロッパ ブルガリアの様子はこちら

エジプト旅行記 世界遺産アブシンベル神殿とイシス神殿

エジプトの観光地といえば、まずピラミッド、そして王家の谷などがあるルクソールを思い浮かべるの人が多いと思います。
ですが、個人的には南部アスワンからいくアブシンベル神殿が一番好きでした。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産に登録されています。

アブシンベル神殿の場所

アブシンベル神殿を観光するための拠点となるのは、首都カイロから南へ約900Kmにあるエジプト南部の町アスワンです。
カイロからアスワンへ鉄道で行くのが一般的です。

そして、アブシンベル神殿はアスワンからさらに南へ約280Kmのところにあります。
スーダンとの国境付近です。

アブシンベル神殿へはアスワンから日帰りツアーで行くのが一般的です。
片道3時間くらいかかるのですが、午前3時ごろに出発します。
私はエジプト人のグループに混じってのツアーでした。
アブシンベル神殿は砂漠にあるので、日差しが強くは6月~8月の夏は40度を超すこともあります。
暑さ対策、日よけ対策をしておきましょう。

アブシンベル神殿を観光

アブシンベル神殿は紀元前1250年ごろにラムセス2世が建てた神殿です。
長い年月の内に砂に埋もれていたのですが、1800年代に発見されました。
その後、1960年代にアスワンハイダム建設の際に水没の危機が訪れたのですが、ユネスコにより4年をかけて60m上へ移設されました。

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何と言っても、見どころはこの巨大なラムセス2世の4体の像です。

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この巨大な像はまさに圧巻です。
高さ20mにもなります。

エジプトには他にも巨大な像がありますが、個人的にはこのラムセス2世の像は保存状態もよく、一番すごかったです。
ツアーは朝が早く、時間もかかりますが、見る価値は十分あります。

イシス神殿(フィラエ神殿)観光

ツアーでは、アブシンベル神殿だけでなく、アスワンのイシス神殿にもよりました。
アスワンの南20kmくらいのところに位置するフィラエ島にある女神イシスの神殿です。
なお、アブ・シンベル神殿と同様にアスワンハイダム建設による水没の機器があったのですが、ユネスコに隣の島に丸ごと移転されたそうです。
神殿丸ごと移設するのですから、すごいですね。

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イシス神殿はとても保存状態がよく美しい神殿です。
列柱やレリーフもきれいに残っています。

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アスワンはカイロからちょっと遠いですが、アブシンベル神殿やイシス神殿など保存状態がよく美しい遺跡を見ることができます。
せっかくエジプトに行くのなら、ぜひ行ってみてほしいところです。
個人的にはルクソールよりも、好きな遺跡でした。

ルクソールの様子はこちら

 

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エジプト旅行記 ルクソールの世界遺産

エジプトの有名な観光スポットにルクソールがあります。
ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、王家の谷やルクソール神殿など数多くの遺跡が残っています。
「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産になっています。

ルクソールの場所

ルクソールは首都カイロの南約670kmに位置しています。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

ルクソールの場所はこちら

カイロからルクソールは鉄道で行けます。所要時間は約10時間です。
夜行バスもありだいたい同じくらいの時間です。
バックパッカーにとっては近い物でした。

町の中をナイル川が流れており、太陽が昇る東側にルクソール神殿やカルナック神殿など「生の都」、太陽が沈む西側に王家の谷など「死者の都」があります。

カルナック神殿 観光

紀元前3000年頃はギザのピラミッドがあるあたりが中心地でした。
その後、紀元前2000年ごろからテーベ(今のルクソール)が首都になったそうです。
カルナック神殿は紀元前1500年ごろに作られたそうです。

カルナック神殿は単体の神殿ではなく、複数の神殿の複合体です。
1平方キロ以上に広がる広大な神殿です。

スフィンクス参道や巨大なオベリスクがありますが、一番見ごたえがあったのが大列柱室です。
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大列柱室は102メートル×53メートルもあり、134本の大列柱が立っています。
中央部の12本の柱は特に大きく、高さ21m、直径3m以上もあるそうです。
その大きさは圧巻です。

他にもいろいろあるのですが、個人的には第8塔門の崩れた像が好きでした。
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遺跡っていう感じが好きです。
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王家の谷 観光

ナイル川の東側が生の都ですが、西の死者の都に有名な王家の谷があります。
私は東側の宿に泊まっていたので、ナイル川を渡って王家の谷に行きました。

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王家の谷は岩山を掘って作られたたくさんの王の墓があるところです。
現在まで64の墓が見つけられているそうです。

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いくつかの墓には入れますが、内部は写真撮影は禁止ですので外からの写真しかありません。

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有名なツタンカーメンの墓も王家の谷にあります。
ツタンカーメンの墓だけは盗掘をされていなかったので、黄金のマスクが残っていました。
他の墓は盗掘されてしまい、宝物は盗まれてしまっています。

 王妃の谷

王家の谷とは別に、王妃の谷もあります。
王妃の谷にはネフェルタリの墓があります。

私が訪れた2002年当時、ネフェルタリの墓は入場制限があり、別料金でした。
バックパッカー仲間から、ネフェルタリの墓は見たほうがいいとすすめてもらっていたので、無理してチケット確保しました。

このネフェルタリの墓の内部にある壁画ですが、実際に見ると他の壁画とまったく違い、本当に色鮮やかなまま残っています。
数千年の時を経たとは思えない色彩でした。

現在、ネフェルタリの墓は非公開のようですが、特別なツアーだけ入れるようです。

ハトシェプスト女王葬祭殿 観光

ナイル川西側には王家の谷以外にも見どころがあります。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、古代エジプト唯一の女性ファラオであるハトシェプストが作った葬祭殿です。

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紀元前15世紀の建造物ですが、とても保存状態がよいです。
レリーフ、壁画の保存状態もよいので、見る価値があります。

なお、1997年11月17日にイスラム原理主義の過激派によるテロにより、観光客が亡くなった場所でもあります。

メムノンの巨像

西岸に2体の巨像があります。
私が訪れた2002年は左側は修復中でした。

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アメンホテプ3世の像だそうです。
高さ13mあります。
デカいですね。

ナイルの夕陽

ルクソールの東岸からはナイルに沈む夕陽を見ることができます。

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悠久の時を超えて流れるナイルに沈む夕陽はなんとも感慨深いものです。

このようにルクソール周辺には多くの遺跡、見どころが満載です。
エジプトに行くのなら、ピラミッドだけではなく、ぜひルクソールにも訪れてみてください。
そして余裕があるならアスワンまで南下してアブシンベル神殿もオススメです。

アブシンベル神殿の様子はこちら

 

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エジプト旅行記 世界遺産ギザのピラミッド

エジプト観光の最大の見どころといえば、やはりギザのピラミッドでしょう。
知らない人はいないですよね。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪問しました。

ピラミッドは世界遺産にも登録されています。
正確な世界遺産の登録名は「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」だそうです。

ギザのピラミッドの場所

ギザのピラミッドは首都カイロから南西にわずか20km、ローカルバスでも1時間もかかりません。
タクシーだと30分くらいで着くでしょう。(ぼられるので注意しましょう)
カイロ市内からは非常にアクセスが良い観光スポットです。

ギザのピラミッドの場所はこちら

ピラミッドといえば、砂漠の真ん中にどーんと立っているイメージがあるかもしれませんが、実際はギザの町中にいきなり現れます。

ギザの三大ピラミッド観光

ギザの三大ピラミッドとよばれるクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドが一度に見れます。

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上の写真はクフ王のピラミッドとスフィンクスです。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッドは三大ピラミッドの中でも最大で、高さ138.8m(元の高さは146.6m)もあります。
ピラミッドと言ってイメージが浮かぶのが、このクフ王のピラミッドです。
建築時期は紀元前2540年頃と言われており、そんな古代にこれだけのものを作るのですから、エジプト人はすごいです。

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下から見上げるとその大きさに圧倒されます。
デカい物好きの私は大興奮でした。

なお、別料金でピラミッドの中に入ることもできます。

また、昔はこのピラミッドに上ることができたのですが、今では禁止されています。
2002年当時も登頂は禁止されていましたが、夜間警察の目をかいくぐって登り、日の出を見る人はちょこちょこいました。
降りた後は警察に捕まるのですが、そこまでの罰はなかったそうです。

私は疲れることが嫌いだし、スリルを味わいたいわけでもないし、捕まるのも嫌だったので登りませんでした。

スフィンクス

ピラミッドと共に有名なものといえば、スフィンクスですね。

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スフィンクスは、ライオンの身体と人間の顔を持った神獣です。
ギザのスフィンクス像は、全長73.5mもあります。
損傷が激しく鼻がなくなってたりします。

スフィンクスの写真の後ろに移っているのはカフラー王のピラミッドです。

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッドは三大ピラミッドの真ん中に位置します。
カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドよりちょっとだけ小さいですが、それでも136m(元の大きさは143.87m)もあります。

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やはり、カフラー王のピラミッドもデカいです。
先端部分に化粧石が残っているのが特徴的です。

もう一つのメンカウラー王のピラミッドは他の二つにくらべると小さめで、高さ65.5m(現在の高さ62m)です。
まあ、それでも十分デカいのですが、やはりちょっと地味に見えてしまいます。

ギザのピラミッドはやはり見ごたえがあります。
歴史を感じ、人間のすごさを感じられるので、一度は行ってみてはいかがでしょうか。

ちなみにピラミッドといえば、メキシコのピラミッドもよいです。
テオティワカンウシュマルチチェンイッツァなどのピラミッドが多数ありますので、メキシコにも行ってみてはいかがでしょうか。

 

さて、カイロでピラミッドを満喫した後、次の町に移動しました。
王家の谷などで有名なルクソールに向かいました。

ルクソールについてはこちら

 

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エジプト旅行記 首都カイロ

中東の国の中で一番の観光地といえばエジプトではないでしょうか。
古代エジプト文明のピラミッド王家の谷など、知らない人はいないくらい有名ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の、2002年に訪れました。

予定外のエジプト入り

2001年、私はユーラシア大陸を陸路横断するために旅に出ました。
中国チベット経由でネパール、インドに入り、そこからパキスタン、イラン、トルコと入って中東に行く予定でした。
しかし、インドにいた2002年の始め、インドとパキスタンの関係がかなり悪化したためインドでパキスタンのビザを取ることができず、国境も閉まっていました。

ちょうどインドからパキスタンに入ろうとしていた私は身動きが取れませんでした。
当時の噂によると、バングラデシュに行けば、パキスタンビザがとれるという話もあったのですが、すでにバングラデシュは訪れており、デリーにいた私は泣く泣く陸路を諦め、エジプトのカイロに飛ぶこととしました。
※その後、シベリア鉄道で帰ってきたのでいちおうユーラシア大陸陸路横断は成し遂げました。

エジプト

エジプトを知らない人はいないかと思いますが、いちおう説明しておきます。

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エジプトの場所

エジプトはアフリカ大陸の北東に位置しており、西はリビア、南はスーダン、北東はイスラエルと接しています。
なお、北は地中海、東は紅海に面していますので、リゾート地もあったりします。
紅海はダイビングの名所でもあります。

エジプトの場所はこちら

世界一長い川ナイル川があります。
また地中海と紅海を結ぶスエズ運河もあります。

エジプトの歴史

世界史でも習いましたがエジプトは、古代より文明が栄えていました。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉「エジプトはナイルの賜物」というように、エジプトは豊かなナイル川によって古代エジプト文明を発展させたわけです。
紀元前3000年頃には中央集権国家ができ、ピラミッドや王家の谷など、世界的にも有名な遺跡が建てられています。
王様はファラオと呼ばれ、アメンホテプ四世やツタンカーメンなど有名ですね。

その後、アケメネス朝ペルシャ、アレクサンドロス大王に征服されプトレマイオス朝の支配下になります。
なお、有名なクレオパトラはプトレマイオス朝の最後の女王です。

ローマ帝国に征服され、ローマ帝国が分裂すると東ローマ帝国に属し、その後、イスラム圏となりオスマントルコ帝国の支配下となりました。

そして、イギリスの支配下となったのですが、1922年に独立しました。
その後、中東戦争やアラブの春などを経て現在に至っています。

首都カイロ

カイロはエジプトの北部、古代エジプト文明を育んだナイル川沿いにあります。
ちなみに「カイロ歴史地区」として世界遺産にも登録されています。

カイロの場所はこちら

カイロの町並

カイロはアフリカ、アラブ世界で最も人口が多い都市だそうです。
町中もにぎわっています。
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写真は旧市街地の写真です。
写真はないのですが、新市街地は近代的なビルが立ち並ぶ都会です。
ちなみにカジノもあります。

カイロを訪れるときの注意事項ですが、私が訪れた50か国の中でも車の運転が荒く、歩行者が道路を横断する時は気をつけたほうがよいです。
信号や横断歩道以外のところを渡る場合は、エジプト人について渡るようにしましょう。

沈没地カイロ

バックパッカーの中では、ついつい長期滞在してしまう場所を沈没地と呼びます。
安宿の日本人宿があり、マンガなんかも置かれており、日本人のたまり場となるわけです。

「なんで海外に行ってまで、日本人宿に泊まるの?」と不思議に思う方もいると思いますが、長期にわたってバックパッカー旅行をしていると、英語で喋り続けることや外国人との相手に疲れて、しばらく日本人宿でダラダラしたくなるのも仕方がないところもあるわけです。
また、日本人宿には情報ノートと呼ばれる、バックパッカーたちが書き残した各地の生の情報があったりするので役に立ちます。
今のようにインターネットが発達していない2002年は重宝したものです。

エジプトは物価が安いこともあり、カイロも沈没地の一つです。
有名な日本人宿には「サファリホテル」があります。(私は別の宿にしました)
私が訪れた2002年当時、カイロに1年以上の滞在している人が複数人いたそうです。
※居住ではなくあくまでもバックパッカーです。世の中にはいろんな人がいますね。

1泊300円くらいで泊まれますし、食事もコシャリというエジプト料理だと50円くらいで食べれます。
あと、自炊なんかも出来ますので安上がりではありますね。

ちなみにエジプト料理のコシャリとは、米とパスタと豆をミックスしてソースをかけたものです。
そばめしみたいに、炭水化物を合わせまくってます。
エジプトのソウルフード的な位置づけ、日本人の牛丼みたいなものですかね。
エジプトに行くなら、一度は食べてみてもいいのではないでしょうか。

ギザのピラミッドの様子はこちら

 

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レバノン旅行記 世界遺産ティルス(スール)とシドン(サイダ)

バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年、レバノンにある5つの世界遺産のうち3つを訪れました。

バールベックとビブロスについては書きましたので、残りの1つ世界遺産ティルス遺跡(現在の町の名前はスール)について書いていきます。
また、世界遺産にはなってないのですが、ティルスに行く途中に訪れた素敵な遺跡があるシドン(現在の町の名前はサイダ)についても書きたいと思います。

※名称がややこしいので、町の名前は現在のスールとサイダとします。

なお、スールとサイダは、首都ベイルートから南の地中海沿いに位置しています。
1日で2つの遺跡・町を回ることができます。

港湾都市サイダを観光

まずはベイルートに近い方のサイダの町に行きました。
ベイルートがから南に約40km、バスで1時間弱で着きます。
サイダはベイルート、トリポリに続くレバノン第3の都市です。

サイダの場所はこちら

サイダはかつて古代フェニキアの主要都市シドンとして栄えていたそうです。
港湾都市なので、昔から交易の拠点だったわけです。

そして、十字軍の時代に要塞が作られました。
その要塞がこちらです。
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地中海に突き出た十字軍時代の海の要塞はかっこいいです。
橋を渡って要塞の中にも入れます。

世界遺産ティルスを観光

続いて、スールの町に移動しました。
スールはサイダからさらに南に50km、セルビスとよばれる乗り合いタクシーで1時間くらいです。
ベイルートからは南に90kmくらいです。

スールの場所はこちら

現在のスールは小さな村なのですが、かつてのティルスは交易都市として栄えていたそうです。
ティルスもレバノンの他の都市と同様に、もともとはフェニキア人が建てた都市です。
その後、アレクサンドロス大王の侵攻、ローマ帝国の支配下、十字軍の支配下、イスラム化という歴史を歩んだそうです。
その後、衰退して現在は小さな村となっています。

ティルス遺跡

現在のスールには、ローマ時代の遺跡が残っており、世界遺産に登録されています。
そのティルスの遺跡の中でも、私が好きな光景は地中海に向かっていく列柱道路です。
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青い地中海へと続いていく列柱道路はとても美しいです。
ローマ遺跡の柱は、見ごたえがあります。
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私は2002年4月に訪れたのですが、春だったので季節がとてもよくて、黄色い花が美しく咲いていました。
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空の青、地中海の青、鼻の黄色がとてもきれいでした。
このような光景が見れてとてもよかったです。

他の世界遺産バールベックやビブロスもよかったですが、ティルスの遺跡もとてもよかったです。
レバノンには、本当に見ごたえのある遺跡があります。

戦争の傷跡

ベイルートの記事でも書きましたが、レバノンは内戦、イスラエルとの戦争など、長年戦争状態にありました。
スールはイスラエルからの国境近くの為、内戦時にイスラエルの侵攻を受けました。

私が訪れた2002年にも、戦争の傷跡が残っていました。
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写真の奥に移ってい建物は、遺跡ではなく破壊された建物です。

また、2006年には、武装組織ヒズボラがイスラエルに戦闘を仕掛けたことをきっかけに、スール、サイダはイスラエルから空爆され、戦闘地域となったそうです。
現在もヒズボラとイスラエルの戦闘は起こっています。

レバノンは私が訪れた国の中でも、好きな国です。
美しい遺跡や自然があり、優しい人たちが住むレバノンに、再び安全に観光できる日が来てほしいと願います。

首都ベイルートの様子はこちら

レバノン旅行記 世界遺産バールベックとビブロス

レバノンには世界遺産が5つあります。

  • バールベック(ローマ帝国の遺跡)
  • ビブロス(ローマ帝国の遺跡)
  • ティルス(ローマ帝国の遺跡)
  • アンジャル(ウマイヤ朝の城塞都市遺跡)
  • カディーシャ渓谷と神の杉の森

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行をしていた2002年に、「バールベック」「ビブロス」「ティルス」のローマ遺跡の3つを観光しました。
今回は、そのうちのバールベックとビブロスについて書きます。

世界遺産バールベック

バールベックは首都ベイルートの東85km、ベカー高原にあります。
バスで2時間ちょっとです。
レバノンは岐阜県程度の小さな国なので、ベイルートからだいたいどこでも日帰り観光できます。
バックパッカーだったので、移動手段はタクシーはあまり使わず、バスかセルビスと呼ばれる乗り合いタクシーが中心でした。

バールベックの場所はこちら

バールベックはヨルダンのペトラシリアのパルミラと並び、中東三大遺跡の一つと言われています。
レバノンの観光地の中でも、人気が高いポイントです。

バールベックは紀元1世紀に最初の神殿が作られたそうです。
その後、2世紀ごろから今も残るジュピター神殿やバッカス神殿が建てらたそうです。
ビーナス神殿もあるのですが、発掘が進んでいないそうです。

ジュピター神殿

バールベックの象徴ともいえるのが、このジュピター神殿の6本の大列柱です。
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高さ22mもある大列柱です。

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下から見上げると、さらにその大きさに圧倒されます。
パルミラの列柱も見事ですが、大きさではバールベックのほうが大きいです。
見ごたえがあります。
デカい物好きの私は、パルミラの列柱よりもバールベックの列柱のほうが好きです。

そして、こちらはジュピター神殿の雨といのライオンです。
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精巧な彫刻です。
もともとは屋根に取り付けられていたそうです。
ライオンの口から水が出てたんでしょうね。

バッカス神殿

バールベックの遺跡の中で、一番保存状態のよい神殿がバッカス神殿です。

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こちらがバッカス神殿です。
柱や祭壇なども残っていて、内部にも入れます。
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高さ28m、幅34m、奥行き69mもあります。
大きさに圧倒されます。
ここまでよい保存状態で残っているのはすごいです。

バールベックは中東三大遺跡とも呼ばれるだけあり、さすがに見ごたえがあります。
遺跡好きならぜひ行ってほしいところです。

 

世界遺産ビブロス

続いてビブロス観光です。
ビブロスは首都ベイルートから北に30kmの地中海沿い位置しています。
ベイルートからはバスで1時間くらいで着きます。

ビブロスの場所はこちら

「ビブロス」の名前は「バイブル(聖書)」の語源となったとも言われています。

もともと「ビブロス」はギリシャ語で「パピルス(書物)」を意味する言葉だったそうです。
そして「ビブロス」から「ビブリオン(本)」という言葉になり、最終的に「バイブル(聖書)」の語源になったと言われています。

ビブロスの歴史

ビブロスはフェニキア人の発祥の地であるそうです。
その後、ローマ帝国、そしてイスラムの支配下となりました。
十字軍の時代には要塞化されたそうです。
しかしその後衰退してしまったそうです。

要塞遺跡

一番目につくのは十字軍時代の要塞の遺跡でしょう。

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いかにも要塞という、武骨な感じの遺跡です。
要塞だけではなく、地中海に面した居住地の跡もあります。
フェニキア時代、ペルシャ時代、ローマ時代、十字軍時代の遺跡が混在しています。
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この写真では分かりにくいですが、青い地中海に遺跡が映えます。
レバノンでは、このように地中海と遺跡が溶け込んだ光景が見所です。

今はまだ政情不安がありますが、平和になってみんなが楽しく旅行ができるレバノンになってほしいです。

世界遺産ティルスの様子はこちら

レバノン旅行記 首都ベイルート

レバノンはシリアとイスラエル、そして地中海に囲まれた国です。

私はバックパッカーとして、ユーラシア大陸横断旅行中に訪れました。
シリアも好きな国ですが、同じくらいレバノンも好きな国です。
イスラム教のイメージが強いかもしれませんが、人口の30%以上はキリスト教徒です。

見どころとしては、世界遺産バールベックやビブロスティルスなどのローマ遺跡などの観光地があります。

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国旗の真ん中にはレバノン杉が描かれています。
レバノンのシンボルで、神殿や船舶の建材とされたことから、不滅と寛容を表しているそうです。

レバノンの場所はこちら

面積は10,452km²で、岐阜県と同じくらいの小さな国です。
シリアのホムスから陸路で入りました。
ちなみにビザは国境で取れました。

レバノンの歴史

レバノン周辺はフェニキア人の古代文明の拠点となっていたそうです。
その後、アレクサンドロス大王のマケドニア王国、古代ローマ帝国の支配下となっていきます。
そのため、古代ローマ遺跡が多く残っています。

7世紀ごろにイスラム圏となり、ウマイヤ朝、アッバース朝、マルムーク朝等の支配を受けた後、オスマントルコ帝国の支配下となりました。

第一次世界大戦後、フランスの統治を受けることとなりました。
そして、1943年に独立しました。
独立後は金融、観光分野で経済発展し、中東のパリと呼ばれるほどのリゾート地だったそうです。

中東戦争により、レバノンにパレスチナ難民が流入、PLO(パレスチナ解放機構)がレバノン南部を拠点とするなど、宗教間の微妙なバランスが崩れ、1975年に内戦が勃発しました。
その後、イスラエルがレバノン南部に侵攻するなど、他国の干渉もあり内戦が続きます。
ようやく内戦が終わったのが1990年。
15年間にわたる内戦の跡が町中に残っています。

現在のレバノンは、過激派のヒズボラや、隣国シリアでのISIL(イスラム国)の影響により不安定な状態です。
外務省 海外安全ホームページによると国境近くの一部地域では「退避勧告」が出ており、その他の地域も「渡航延期」、「当行の是非の検討」がすすめられています。

私が訪れた2002年は、イスラエルとの国境付近などではやや緊張がありましたが、そこまで危険ではありませんでした。
地中海沿いだからか、明るく楽しい人たちが多かったことが心に残っています。

首都ベイルート観光

ベイルートは、商業、金融の中心地で、約180万人が住んでいる地中海に面した町です。

地中海の風景

私が訪れた4月は花が咲いててきれいでした。
地中海の青と花の黄色がとても映えます。
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そして地中海の浜辺を散歩するのもいい感じです。
レバノンのイメージも変わるのではないでしょうか?
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海沿いに鳩の岩と呼ばれる2つの奇岩があります。
大きな岩は高さ22m、幅15mあり、下のほうに穴が開いていてアーチ形をしてます。
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地中海に映えて、けっこうきれいです。
鳩の岩の名前の由来は、伝書鳩のレースが行われていたからという説、渡り鳩の中継地だからという説、岩の形が鳩に似ているからという説など、さまざまな説が存在するそうです。
ベイルートの中では人気の観光スポットです。
スキューバダイビングのポイントにもなっているそうです。
私はダイビングインストラクターだったりもしましたが、レバノンを訪れた当時はまったくダイビングをしたことがなく、興味もなかったのでここでは潜っていません。

ローマ遺跡

ベイルートの町中には、ローマ遺跡も多数あります。
遺跡があるのが、日常の風景の一部になっています。
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歴史と現代が融合している姿があります。
ただ、町を開発しようとすると、ゴロゴロ遺跡が出てくるので、保存すべきか開発すべきかはけっこう議論を呼ぶそうです。

内戦の傷跡

レバノンの歴史で触れましたが、レバノンは15年に及ぶ内戦がありました。
内戦の傷跡は町中で見ることができます。
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この建物にも銃弾の跡が無数にあります。
このようにレバノンの建築物には、銃痕が刻まれているものが多くあります。

町並み

とはいえ、すべての建物に内戦の傷跡があるわけではありません。
当たり前ですが、新しい建物もあります。
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中東のパリと呼ばれるのもわかる気がします。

このようにベイルートは、地中海の美しさ、歴史を感じるローマ遺跡、悲しい内戦の記憶、現代の人が作る新しい町並みが融合した町です。
現在、政情が不安定なため、気軽に旅行に行けるわけではありません。
早く平和が戻り、この美しい町に気軽に行ける日が来てほしいと願います。

世界遺産バールベックの様子はこちら

ヨルダン旅行記 アンマン&死海

アンマンはヨルダンの首都です。
外国の首都の中でも「アンマン」は、子どもでもすぐに覚える町の名前ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れました。

世界遺産ぺトラを観光した後、アンマンを訪れました。
ちなみにアンマンから日帰りで、有名な死海にもいけます。

アンマンの場所はこちら

ヨルダンの北部に位置しています。

アンマンの歴史

アンマンの歴史は9000年前に遡るともいわれるそうです。
アッシリア、ペルシア、マケドニアなどの支配を受け、古代エジプトのプトレマイオス朝の支配下となったときフィラデルフィアと呼ばれたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下になり繁栄したそうで、その際の遺跡も残っています。

また、イスラムの支配下となっても繁栄していたそうですが、度重なる地震や戦乱で衰退してしまったそうです。

第二次世界大戦後の1946年にヨルダンがイギリスから独立する際に、アンマンは首都となりました。
独立当時は2万人しかいなかったそうですが、現在では120万人が住んでいます。

首都アンマン観光

アンマンは多数の丘があります。
その丘の一つにアンマン城跡があります。

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ほぼ廃墟となっているため、あまり建物の跡は見えません。
その中で残っているのが、ヘラクレス神殿跡にそびえる石柱です。

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これは紀元2世紀に建てられたものだそうです。
上に載っている石が落ちそうに見えますが、1800年以上もちこたえてるわけですから、大丈夫なんでしょうね。

そして、この丘の上から町を見下ろすと、ローマ劇場の遺跡が見えます。

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町と遺跡が一体化しています。
アンマンは派手さはないですが、このような光景は一見の価値があります。

死海を観光

死海と言えばイスラエルのイメージ強いかもしれませんが、実はアンマンから日帰り旅行で死海に行くことができます。

死海は湖水の蒸発により塩分濃度が約30%にもなります。
水面浮かんで新聞を読んでいる人の写真など見たことあるのではないでしょうか?

アンマンからはバスで行けますが、複数人いるならタクシーで行ってもいいと思います。
片道1時間程度です。

死海にはリゾートホテルなんかもありますが、バックパッカーなので無料で入れる場所にいきました。

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写真で見ると普通の湖ですね。
ちなみに奥に見えるのはイスラエル側です。

で、とりあえず浮いてみました。

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さすが死海
ちゃんと浮きますね。
新聞は持っていなかったので、普通に浮いている写真のみとなりました。
ちなみに直立しても肩から上が出ます。

本当に塩分濃度が濃いですね。
なめると苦いです。
肌がピリピリしてきます。
長時間入ると、体の水分が抜けて危険なので、さっと入るだけにしましょう。

なお、死海の泥はぬるっとしているのですが、美肌効果があります。
死海の泥パックなんかも売られていたり、エステなんかでも使われているそうです。


ミネラルが豊富に含まれているのが、お肌に効くそうです。
実際、自分自身も死海の泥に浸かっていたお肌がツルツルになりました。
男なので、お肌ケアに興味があったわけではなく、「本当にそんな効果あるの?」と半信半疑でやってみただけなのですが、けっこうビックリするくらいの効果がありました。

女性の方はヨルダンに行ったら、ぜひ死海に行って美肌になってください。
もちろんヨルダン側ではなく、イスラエル側でもOKですよ。

ヨルダンの観光スポットはペトラ遺跡だけでないので、ヨルダンを楽しんでみてください。

世界遺産ペトラ遺跡の様子はこちら

ヨルダン旅行記 世界遺産ペトラ遺跡

中東の国ヨルダン
最近は、ISIL(イスラム国)との戦闘がニュースになっています。
シリアやヨルダンなど、中東の国にたいして、怖い国という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
※外務省の渡航情報では注意喚起レベルなので、そこまで逼迫はしていないようです。

私がユーラシア大陸横断旅行中に訪れた2002年当時は、とても安全な国でした。
また、ヨルダンにはペトラ遺跡死海など見どころも多い国です。

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エジプトからアカバ湾をフェリーで渡りヨルダンに入った後、まず最初に目指したのがペトラ遺跡でした。

世界遺産ペトラ遺跡

ペトラ遺跡はヨルダンの観光地でも一番有名なところではないでしょうか。
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のロケ地になったことで有名です。
(英語ではIndiana Jonesなので、インディアナ・ジョーンズと読みます)

また、新・世界七不思議にも選ばれています。

ペトラは自然の要害であるとともに、交易の要衝として遊牧民のナバタイ人の都として栄えていたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下となりましたが、あまり歴史の舞台には出てこなかったようです。
19世紀になって、スイス人の探検家により世界に紹介されたそうです。

ペトラ遺跡の場所はこちら

国境の町アカバからはクルマで2時間ほどです。

ペトラ遺跡観光

ペトラ遺跡観光の拠点ワディ・ムーサに到着し、バックパッカー向けの安宿に泊まりました。
宿で「インディアナ・ジョーンズの映画を観るか?」と宿の人にすすめられました。
特に観たくはなかったので、観ませんでしたが、見ておいてもよかったかなとも思います。

そして翌日いよいよペトラ遺跡観光です。

宝物殿エルハズネ

ペトラ遺跡最大の見どころがいきなりやってきます。
シークと呼ばれる両側を壁に囲まれた峡谷の道を歩いていくと、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のクライマックスで使われたエルハズネが見えてきます。

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この時点でけっこうテンションが上がります。
徐々に全体像があらわになってきます。

そして、エルハズネの全体が見えました。

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インディ・ジョーンズの世界です。

圧倒されます。
赤い砂岩の壁を削ってこれだけのものを作るのですからすごいです。

写真の左下に人がいるので、その大きさがわかるのではないでしょうか。
ちなみに幅 30 m、高さ 43 mにもなるそうです。
この光景を見られるだけで、ペトラ、ヨルダンに来てよかったと思えました。

数多くの遺跡

しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではありません。
エルハズネ同様岩を削って造られた、ローマ時代などの数多くの遺跡があります。

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ペトラ遺跡はかなり広大な範囲にわたっています。
エルハズネと並ぶ見どころであるエド・デイルはかなり奥、山の上にあります。
1時間半くらいかかったと思います。

こちらがエド・デイルです。
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美しい遺跡なので、長時間歩いた価値があったと思いました。

せっかく長い時間かけて山を登ったので、ちょっと山の上からたそがれてみました。

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私は世界50か国以上を旅行し、色々な遺跡を見てきましたが、ペトラ遺跡は間違いなく上位にランクインされます。

ヨルダンは、現時点の外務省渡航情報では注意喚起までで、シリアのように退避勧告が出ているわけではないです。
とはいえ、現状行きにくい国になってしまっていると思います。
みんながそんなことを気にせずペトラ遺跡を観光できる日が来てほしいなと思います。

首都アンマンと死海の様子はこちら

 

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シリア旅行記 世界遺産アレッポ 石鹸が有名でした

アレッポはシリア北西部、トルコとの国境近くにある町です。
5000年の歴史を持つ町といわれており、アレッポ市街は1986年に世界遺産に登録されました。

アレッポの場所↓↓

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れてました。
シリアのアレッポを観光したときのことを書きたいと思います。

世界遺産アレッポ

その中にあるアレッポ城は、紀元前10世紀に当地に築造された神殿を原型とする古城だそうです。

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異国情緒を醸し出すいい感じのお城ですよね。
(写真が手元になくWikipediaの写真をお借りしています)

トルコの国境近くにあるアレッポは歴史もあり、とても魅力的な町です。
しかし、シリアの内戦、そして現在はISIL(イスラム国)のために荒れ果てしまっているようです。
そして、シリアの他の世界遺産と同様に危機遺産となってしまっています。

今、アレッポと聞くと、「テロ」とか「危ない」というイメージがもたれているのではないかと思います。
それは、本当に残念でなりません。
以前を知る人は、みんな同じような思いを持っているのではないかと思います。

アレッポは私が観光した2002年はとても活気があって、楽しい町でした。
当時のシリアでは、首都ダマスカスに次いで第2位の町でした。

アレッポの石鹸

お肌のお手入れに敏感な女性はよく知っているかもしれませんが、アレッポと言えばアレッポの石鹸が有名でした。
アレッポに行く前は知らなかったのですが、アレッポの石鹸はオリーブオイルとローレルオイルで出来ていてお肌にとても良い石鹸です。
シリアに行く前に知り合った女子バックパッカー達からは「アレッポ行くなら石鹸買って送ってね」と言われるくらい人気の品でした。

なんか粘土みたいで、本当にこれがその石鹸?という感じです。
が、切ってみると


美しいエメラルドグリーンです。
石鹸はけっこう重いので、頼まれた人には送りましたが、いくつかは自分で使ってみました。
確かにすべすべになりました。

アトピーの人にもあげましたがすごく喜んでくれました。
実際に使った感想を聞くと、肌に潤いができて痒みが少なくなったと言ってました。

天然の成分で出来た、最高級の石鹸はとてもよい物なのだな、と実感しました。

そんなアレッポの石鹸も、内戦やISILにより供給が不足するようになってしまっています。
でも、そんな状況の中、頑張っているアレッポの方々がいるのです。

歴史もあり、建築物もあり、お土産もある、そんなアレッポは当時のシリアではダマスカスに次いで第2位の町でした。
アレッポにあるスーク(市場)は当時、世界最大規模とも言われていました。
しかし、内戦により半分が消失してしまったそうです。
本当に残念でありません。

「みんなが笑顔になれるアレッポ」に戻り、再び観光できる日を待ち望んでいます。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

シリアには、天空の城と呼ばれるクラック・デ・シュバリエがあります。
世界遺産の「クラック・デ・シュバリエとカラット・サラーフ・アッディーン」の一部です。
バックパッカー旅行で50か国訪れ色々な城を見てきましたが、その中でもとても美しいお城でした。
私はシリアの観光地の中で、ここが一番好きでした。

クラック・デ・シュバリエ場所はこちら

世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

拠点となるのはホムスという町で、そこから日帰り観光ができました。
この小高い丘の上にある美しい城が、クラック・デ・シュバリエです。

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しかし、空爆によりこの美しい城クラック・デ・シュバリエの一部が破壊されたようです。
とても残念です。
内戦やISILによって、荒れてしまうことが本当に残念でありません。

写真にはあえて載せませんが、クラック・デ・シュバリエに行く途中に出会ったシリアの人々は本当に笑顔がよく、素敵な人々でした。
イスラム教というと怖いイメージを持つかもしれませんが、シリアの人たちはいい人が多かったです。

天空の城?

ちなみにクラック・デ・シュバリエは、ジブリ好きな日本人で、天空の城ラピュタのモデルとも言ってる人もいますが多分違うでしょう。
※以前書いたカンボジアのベンメリアもラピュタのモデルと言われますが、それに比べればまだ現実的かも。いずれにしろジブリの公式見解にはありません。

写真では分かりにくいですが、緑と美しい城のコントラストがとても美しかったです。

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ラピュタのモデルかどうかは別として、なんとも幻想的で素敵なお城です。
観光に来て良かったなー、と心底思いました。

当時のシリアの余談

ちなみに当時クラック・デ・シュバリエを始めとした観光地は通常の入場料と学生料金でだいぶ金額が違っていました。
通常ですと入場料300シリアポンド(US$6くらい)のところが、学生だとなんと15シリアポンド(US$0.3くらい)と1/20の料金でした。
バックパッカーの中ではシリアの学割の話は有名だったので、私はエジプトのカイロで偽学生証を作って使ったのもです。。。深くは突っ込まないでください。。。

美しい風景

シリアは中東なので砂漠のイメージがあるかもしれませんが、実は美しい緑もある国です。
私はちょうど4月といういい季節に行けたので、美しい花も見ることができました。

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緑、黄色、赤の草花の色と空の青がとてもきれいです。

広い大地を車に乗りながら、美しい風景を見るのはとても気持ちがよかったです。
こんな素敵な風景に出会えたシリアは本当に好きな国です。
また旅行できる日が来てほしい、と切実に願っています。

シリアの世界遺産パルミラの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産パルミラ

シリアにある世界遺産の一つがパルミラです。
ヨルダンのペトラレバノンのバールベックとあわせ中東三大遺跡ともいわれている観光スポットです。

ペトラの様子はこちら
バールベックの様子はこちら

メソポタミアやペルシャと地中海の都市を結ぶ、砂漠の中のオアシス都市として栄えていたそうです。
そのため、パルミラにはローマ時代の遺跡が残っています。
※現在は危機遺産となっています。

パルミラ(ホムス県タドムル)の場所はこちら

首都ダマスカスの北東250kmくらいのところ、シリアの真ん中くらいにあります。

パルミラ遺跡

2001年~2002年のユーラシア大陸横断バックパッカー旅行の中で訪れた遺跡の中でも見ごたえがある遺跡でした。

パルミラには美しい柱などが残っています。
これらはの遺跡は紀元前から紀元3世紀ごろまでに建てられたものだそうです。
2000年前の建築物が目の前にあるわけですから、すごいですね。
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広い範囲に神殿やローマ劇場などがあります。
柱が並んでいる列柱道路などは、見ごたえがあります。
当時のアナログ写真をスキャンしたため薄暗い感じの写真しか残っていないのが残念ですが、実物を見ると色鮮やかです。

そして少し離れた岩山の上にはアラブ城と呼ばれる城があります。
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中東の城って感じでですね。
この城の上からはパルミラ遺跡の全体を眺めることができるので、ここからの眺めもとてもよいです。

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砂漠の中に緑があり、オアシス都市ということがわかります。
古い写真で薄暗いのでわかりにくいとは思いますが。。。

パルミラはシリアの中でも、特に有名な遺跡ですので、平和だった2002年当時は観光客がたくさんいました。
有名な観光地のため、観光客向けのラクダ屋が日本語で声をかけてきたものです。
「ラクダは楽だ~」
と、誰が教えたのか、日本語で話しかけてきます。

※パルミラに限らずしょうもない日本語を現地の人に教える人がけっこういます。当時の流行りのギャグとかを教えて、古っ!と思うこともしばしばあります。

このラクダ屋けっこうしつ濃かったです。
バックパッカーの中でもパルミラのラクダやは評判が悪く、私自身も若干切れたのを思い出します。

当時はうざかったのですが、今思うと平和だったからこその光景だったといえます。
楽だ~という人に会いたいわけではないですが、再びシリアに行ってパルミラ遺跡を旅行できる日が来ることを待ち望みます。

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ダマスカス

2002年当時、世界遺産ボスラのローマ劇場内の宿泊施設に泊まれました。
バックパッカーとして50か国以上を旅行してきましたが、世界遺産で一夜を明かすという貴重な経験でした。
そしてその後、首都ダマスカスを目指しました。
シリアの移動は、基本的にバスです。

世界遺産 古代都市ダマスカス

ボスラから2時間程度で首都ダマスカスに到着しました。
ダマスカスは最古の都市とも言われる古代都市で、町自体が世界遺産になっています。
※現在は危機遺産になってしまっています。

その歴史は紀元前4000年からとも言われています。※諸説あります。
いずれにしろ、古代より交易の中心となるオアシス都市でした。

交通の要衝であっただけに、アレクサンダー大王の支配下や、ローマ帝国の支配下になったりしています。
※シリアはイスラム教の国であり、そのイメージが強いでしょうが、ローマ時代の遺跡がたくさんあります。

その後、7世紀にイスラムの国であるウマイヤ朝の首都となりました。
そして、現在までシリアの主要都市として続いています。

ウマイヤド・モスク

ウマイヤ朝の首都となったダマスカスに作られたのが世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクです。
ダマスカスでだれもが訪れる観光スポットです。

ウマイヤド・モスクを訪れると、なぜか「俺を写真に撮ってくれ」と言ってきたシリア人がいたので、一緒に写真に撮ってあげました。

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その後、この人は片言の英語で案内してくれました。
バックパッカー旅行をしている中で、向こうから声をかけてくる人間はだいたい怪しい人が多いのですが、この人は問題ありませんでした。

※油断してはいけませんが、避けすぎると旅の醍醐味もなくなってしまいます。コミュニケーションをとりながら、その人を判断する目が重要です。ちょっとでも危険を感じたら逃げましょう。

ウマイヤドモスクについてですが、自分自身の知識がないため以下、Wikipediaからの引用です


ウマイヤド・モスク(Umayyad Mosque, Arabic: جامع بني أمية الكبير)とは、ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年(ヒジュラ暦86年)にダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクであり、世界最大級のモスクのひとつでもある。世界遺産「古代都市ダマスカス」の一部である。

もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会であったが、7世紀になってダマスカスがムスリムの支配下に入り、10年の歳月を費やして敷地全体がモスクへと改装された。このため、通常のモスクとは違いローマ建築・ビザンティン建築の様式が色濃く出ている。

カアバ、預言者のモスク、岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として、現在も巡礼者が絶えない場所である。また、内部には当初から洗礼者ヨハネの墓があり、キリスト教徒にとっても重要な巡礼地のひとつである。2001年にはヨハネ・パウロ2世が訪れている。


出典:Wikipedia

というように歴史のあるモスクなわけです。
正直、訪れた当時はここまでの情報は知らなかったのですが、こういう歴史的な事実を知っていたほうが旅先での感動があると思います。
事前に知識を入れることも重要ですね。

モスク以外でのダマスカスの観光スポットとしては、スーク(市場)も大きくて楽しいです。
食べ物、服、アクセサリーなどいろいろあり、活気があって楽しかったです。

どんな国でも市場は楽しいもんです。
早く平和になって、楽しいダマスカスに戻り、また旅行できる状況になってほしいです。

ダマスカス以外のパルミラやクラック・デ・シュバリエなどの遺跡も観光できる日が来てほしいです。

世界遺産パルミラ遺跡の様子はこちら

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ボスラ

現在のシリアは危険な国になってしまいましたが、もともとは本当にいい国でした。
バックパッカーとして50か国以上旅行しましたが、確実に行って良かった国の上位に来ます。

私は2001年から2002年にかけてユーラシア大陸横断旅行に出ました。
その中でシリアに行ったのは2002年の4月でした。

本当にいい国で、見ごたえのある観光スポットが多く、いい思い出がたくさんあります。
もともとのシリアのよさをお伝えしたいと思っています。

世界遺産古代都市ボスラ

エジプトからヨルダンを経て、シリアに入ったのですが、最初の町がボスラでした。
ボスラってちょっと怪獣的な名前ですね。

ボスラの場所はこちら

ヨルダンの国境からすぐそこです。
車で1時間くらいで、ボスラに着きます。

日本ではあまり知られていないと思いますが、古代都市ボスラは世界遺産になっています。
その歴史は紀元前までさかのぼるそうです。

ボスラ観光

ボスラについて早々町を観光しました。
2002年当時のボスラの遺跡の写真です。

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※あくまでも遺跡の写真ですので、破壊されたわけではありません。誤解のないように。

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ボスラのよかったところは、このような遺跡が町の人にとっては当たり前の光景で、生活に溶け込んでいたことです。

世界遺産の遺跡で、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
外国人観光客に会えるのがうれしいのか、私に寄って来て写真をせびってきたりしました。
※十年以上前とはいえ顔写真を載せるのは控えます。

人懐っこくて、純粋でかわいい笑顔でした。
このような笑顔が、現在のシリアではどうなっているのかが本当に気になります。

ボスラのローマ劇場

ボスラは遺跡とともにある町なわけですが、一番の観光スポット・見どころと言えるのがローマ劇場です。
シリアでローマ遺跡というと意外に思う人もいると思いますが、シリアは古代ローマ帝国の勢力圏内に位置しているのでローマの遺跡がたくさんあります。

そのボスラのローマ劇場がこちらです。
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当時のアナログ写真をスキャンしているので、ちょっと暗いですが、見ごたえがあります。
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半円形で階段状の劇場で、客席は急階段かなりの人数が座れるようになっています。
ローマ時代にここで演劇などがなされていたかと思うと、歴史を感じます。

しかも、現在では到底無理ですが、2002年当時はこの建物の中に宿泊施設があって泊まれました。
世界遺産の中に泊まれるっていう経験ができたのは本当に貴重です。
一泊$10くらいだったと思います。
部屋は簡素でベッドがあるくらいでしたが、世界遺産の中で眠れるだけで価値があります。

泊まれるので、夜中に劇場の舞台に立って、歌いました。
とても気持ちよかったです。

美しい星空を見ながら、世界遺産の遺跡の劇場の舞台で歌を歌うなんて、今では絶対にできない経験です。

本当に、いい思い出です。
初めての町からシリアが好きになりました。

早く平和な状況になって、再びシリアを旅行できる日が来てほしいです。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 シリアの思い出 2002

2015年現在のシリアは、内戦やISIL(イスラム国)などにより恐ろしい地域であると感じると思いますし、事実、危険な地域です。
残酷なニュースが流れていましたし、、シリア全体が退避勧告地域となっています。

しかし、私が2001年~2002年にかけユーラシア大陸横断のバックパッカー旅行をしている中で、訪れたシリアは本当に素晴らしい国でした。
素晴らしい観光スポットも多く、人も優しく、行ってよかった国のかなり上位に入ります。

シリアの情報と歴史

ニュースなどで見る機会も増えて、初めて「シリア」という国の名前を知った人も多くいると思います。
でも、なんとなく遠い国、と思っている人が多いのではないでしょうか?

シリアの国旗です。
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シリアの場所

シリアはいわゆる中東に位置する国です。

シリアの場所はこちら

北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西部は地中海に面しています。

この場所は世界で最も古い歴史を持つ土地と言われています。
紀元前2千年には町ができ、ギリシア・ヘリニズム時代、ローマ時代を超え、現代にいたっているわけです。
キリスト教ができる前、当然ながらイスラム教ができる前の時代から、その土地に人がいき文化が栄えていたわけです。

シリアの世界遺産

そのような古くからの歴史があるため、シリアには世界遺産が多くあります。

など、世界遺産も多くありますし、世界遺産になっていない素晴らしい観光スポットがあります。

下は世界遺産の一つ、クラック・デ・シュヴァリエの写真です。

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この美しい城も空爆により一部損壊したそうです。
シリアの世界遺産は危機遺産となってしまっています。

シリアの人たち

日本人はイスラムの人たちとの交流が少ないので、どうしてもイメージで「イスラム教は怖い」と思ってしまう人も多いのではないかと思います。
しかし、実際にはやさしく、いい人が多かったです。

  • 町中で知り合い、なぜかダマスカスの町を案内してくれた人
  • 遺跡の町で、とてもかわいい笑顔であいさつしてくれた子どもたち
  • 町中で声をかけられ、片言の英語で話し合った人たち

美しい遺跡や風景だけでなく、人々も本当に優しい人たちでした。
子どもたちの笑顔が輝いていました。

そのような人々が苦しんでいることを思うと、心が痛みます。

簡単なことではないでしょうが、シリアが早くもとの美しく優しい国に戻り、再び旅行できる日が来ることを望みます。
本当にもう一度訪れたい国だと思っています。

多くの日本人にとっては遠いところにある、あまり知らない遠い国でしょうがしょうが、少しでも以前のシリアの良さを伝えたいと思うので、2002年当時のことを書いていきたいと思います。

シリア入国の様子はこちら