中国バックパッカー旅行記 1995年の北京の様子

北京は現在の中国の首都ですが、明、清の時代の都でもあります。
歴史もあり、首都でもあるため非常に多くの観光スポット、見どころがあります。

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故宮(紫禁城)
景山公園
天安門
天安門広場
頤和園
・天壇
・北海公園
万里の長城
・明の十三陵
・北京動物園(というかパンダ)

などなど、ほんとに見どころ満載です。
それ以外でも、1995年当時は古い町並みなどもたくさん残っていました。
前門の南西の地域などがそうでしたね。
残念ながら再開発でなくなってしまった地域です。

当然これだけあると一日では見切れません。
なので、1週間かけて色々と見て回りました。
実際の観光地の情報の前に、当時の北京の観光状況を。

昔あった外国人料金

当時の中国では観光地の入場料に外国人料金というものがありました。
外国人は中国人の数倍の入場料が必要とだったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中からバックパッカーさんたちのお話を聞き、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。

まず、入場券を買う際は、
・小汚い格好をする
・堂々とする(不安な様子はばれやすい)
・あまり喋らない(「イーガ(一個)」くらいしか言わない。)
・聞き返されると「アーン!?」と偉そうに聞き返す
ということをすれば、だいたい大丈夫でした。

あと、横入りとかは普通なので、そういう人たちに負けないようにすることも重要でした。
当時の中国はマナー、という言葉がないような状態でしたので。(今はまだましになったかなと思います)
ちなみに入場券を売っている売り場の人間もサービス精神などというものはありません。
当時は一応、経済の開放政策が始まってはいたので、個人商店も増えてきていた状態ですが、観光地の従業員や、バスとか鉄道、国営の店などは、いわゆる共産国の公務員です。
無愛想、面倒くさそう、中国語がわからないと追い払われる、寝てる。
というような状態でした。
まあ、どんだけ頑張っても給料が変わらないのであれば、頑張らないですよね。

民営の食堂とかは元気があって呼び込みしていました。
そっちに入るようにしてました。
やっぱりそっちのほうがうまかったですね。

もしかすると北京で最初に食べた食堂は国営の食堂だったのかもしれません。
その後は行った食堂は、だいたいうまかったです。
100円くらいでこんなうまい物が食えるのか!と感動したものです。
中華料理についてはまた別途書こうと思います。

北京の環境問題

あと、現在の北京で大気汚染のことがよく言われていますね。
実際、北京の空気は汚いです。
ただ、私が初めて北京に行った1995年当時もけっこうなものでした。

特にバス。
当時のバスは基本ディーゼルだったのですが、まあ、規制とかもないので煤を出しまくりながら走ってました。
多くのバスは、2両を連結したものでした。
電車の連結部は見たことあると思いますが、連結部は下に空間があいています。
そこから煤が入り放題でした。
連結部近くにいると、一回バスに乗るだけで体が煤だらけ。
体を払うと、黒い煤が舞ったほどです。
その時にくらべると、ましなんじゃないかとも思いますが、実際のところはどうかはわかりません。

バスは激混みで、車掌とかは無愛想でしたが、なんか普通では体験できないことを体験できているような気がして、楽しかったですね。
そんな観光地以外のところでも、日本の常識とは全く違う世界だったことが、とても印象に残っています。
そして、別の国、別の文化に触れることが楽しい、と思ったことから、私のバックパッカー人生は始まったのです。
そんな経験を与えてくれた北京は今でも好きです。

北京のおすすめ観光地についてはこちら

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