ユーラシア大陸横断旅行記 4度目の北京へ

ユーラシア大陸横断の2ヶ国目である中国の入国地、天津を1泊で離れ北京に移動することにしました。
韓国の仁川(インチョン)から天津行の船で知り合った韓国人たちと一緒にバスで移動しました。

天津から北京へはバスで2時間ほどで着きます。
広大な中国大陸の中でいうと、ほんのわずかな距離ですね。
そして北京に到着しました。

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何度も来ているので懐かしい感じでした。

4度目の北京

私の最初のバックパッカー人生は1995年中国、北京から始まりました。
その初めてのバックパッカー旅行が楽しすぎたため、ユーラシア大陸横断の旅に出るほどになったわけです。

やはりバックパッカーになって初めての国、町ということもあり、北京は好きな町の1つです。
そのため、その後も度々訪れ、このユーラシア大陸横断の時に訪問したのが、4回目となりました。

勝手知ったる町ともいえ、いつも泊まっている安宿があったのですが、1泊目は韓国人たちと同じ宿に泊まりました。
翌日、韓国人たちは別の町へと旅立ったため、私は宿を移すことにしました。

京華飯店の20人ドミ

2001年当時、北京を訪れるバックパッカーにとって有名な安宿が京華飯店(ジンホァファンディエン)でした。
当時この京華飯店には20人ドミというのがありました。
とても広い部屋の中の両側の壁に10個ずつ、合計20個のベッドが並べられたドミトリーです。

ドミトリーとは部屋を借りるのではなく、部屋の中にあるベッドを借りる相部屋スタイルです。
日本ではユースホステルなどでしか見かけないですが、バックパッカーにとっては宿代を安くあげられ旅仲間に出会える貴重な存在です。当時の20人ドミは20元(当時のレートで300円ちょっと)で、北京の中では安かったです。

8月に訪れたわけですが20人ドミは安くて人気が高かったので、夏休み期間はいっぱいの時があります。
私は運よくベッドが空いたので、すんなりと入ることができました。
欧米の方などいろいろな国の人がいましたが、日本人の割合が高かったです。

安いだけでなく、バックパッカー仲間に出会えるのがこの20人ドミのいいところ。
何しろ自分以外に19人のバックパッカーがいるわけですから、その中で気が合いそうな人たちと自然と輪ができます。
やはり日本人同士が自然と集まりますね。
これからの旅の予定やこれまでの旅の話などで盛り上がりますし、食事も一緒にします。

また、京華飯店はバックパッカーの中では有名だったので、韓国のソウル出会った日本人数人と再会する場所にもなりました。
同じ方向に進むバックパッカー同士だとけっこうあることですが、複数の町で会うとやはりより仲良くなれますね。
ちなみに今でもこの時に出会った仲間とは、たまに連絡を取ったりします。

女性バックパッカーも意外と多い

バックパッカーの経験がない人には意外かもしれませんが、意外と女性バックパッカーもいます。
当時の20人ドミの中で6,7人は女の子でした。
海外で日本人の女の子と出会うと、自然と仲良くなれるのでけっこう楽しいものですよ。
彼女が欲しい人は、海外で日本人の女の子に声をかけてみるのもいいかもです。
海外で出会った女の子に一緒に食事行きませんか?と聞いても、日本人同士というだけで親近感があるのであまり嫌がられません。

と、ちょっと脱線しましたが、中華料理は人数が多い方が楽しめますので、ドミトリーで知り合った仲間がいるといろいろな料理が食べられて楽しいです。

中国のおすすめ料理はこちら

天安門広場で凧揚げ

北京では万里の長城や、故宮(紫禁城)、頤和園などいろいろな観光地があります。
私は観光地も過去に訪れてたので、この時はあまり観光はしませんでした。

しかし、4度目の北京訪問にもかかわらず、私がまだ成し遂げられなかったことがありました。
それが天安門広場での凧揚げです。

天安門広場は世界最大の広場です。
そんな世界最大の広場で現地の人たちは凧揚げにいそしんでいる姿をよく見かけました。
一回はやりたいなー、と思っていたのでドミトリーの仲間を誘ってみたところぜひやろうということになりました。
というわけで6年越しの夢がかないました。

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凧を揚げるために頑張って走りました。
が、風がないせいか、技術がないせいか、うまくは上がりませんでした。
とはいえ、6年越しの夢がかないとても満足でした。

やっぱり北京は好きな町ですね。
ですが、2001年北京に滞在中に思いがけないことがおこりました。

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