レバノン

レバノン旅行記 世界遺産ティルス(スール)とシドン(サイダ)

バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年、レバノンにある5つの世界遺産のうち3つを訪れました。

バールベックとビブロスについては書きましたので、残りの1つ世界遺産ティルス遺跡(現在の町の名前はスール)について書いていきます。
また、世界遺産にはなってないのですが、ティルスに行く途中に訪れた素敵な遺跡があるシドン(現在の町の名前はサイダ)についても書きたいと思います。

※名称がややこしいので、町の名前は現在のスールとサイダとします。

なお、スールとサイダは、首都ベイルートから南の地中海沿いに位置しています。
1日で2つの遺跡・町を回ることができます。

港湾都市サイダを観光

まずはベイルートに近い方のサイダの町に行きました。
ベイルートがから南に約40km、バスで1時間弱で着きます。
サイダはベイルート、トリポリに続くレバノン第3の都市です。

サイダの場所はこちら

サイダはかつて古代フェニキアの主要都市シドンとして栄えていたそうです。
港湾都市なので、昔から交易の拠点だったわけです。

そして、十字軍の時代に要塞が作られました。
その要塞がこちらです。
sidon1

地中海に突き出た十字軍時代の海の要塞はかっこいいです。
橋を渡って要塞の中にも入れます。

世界遺産ティルスを観光

続いて、スールの町に移動しました。
スールはサイダからさらに南に50km、セルビスとよばれる乗り合いタクシーで1時間くらいです。
ベイルートからは南に90kmくらいです。

スールの場所はこちら

現在のスールは小さな村なのですが、かつてのティルスは交易都市として栄えていたそうです。
ティルスもレバノンの他の都市と同様に、もともとはフェニキア人が建てた都市です。
その後、アレクサンドロス大王の侵攻、ローマ帝国の支配下、十字軍の支配下、イスラム化という歴史を歩んだそうです。
その後、衰退して現在は小さな村となっています。

ティルス遺跡

現在のスールには、ローマ時代の遺跡が残っており、世界遺産に登録されています。
そのティルスの遺跡の中でも、私が好きな光景は地中海に向かっていく列柱道路です。
tyre3
青い地中海へと続いていく列柱道路はとても美しいです。
ローマ遺跡の柱は、見ごたえがあります。
tyre1

私は2002年4月に訪れたのですが、春だったので季節がとてもよくて、黄色い花が美しく咲いていました。
tyre2
空の青、地中海の青、鼻の黄色がとてもきれいでした。
このような光景が見れてとてもよかったです。

他の世界遺産バールベックやビブロスもよかったですが、ティルスの遺跡もとてもよかったです。
レバノンには、本当に見ごたえのある遺跡があります。

戦争の傷跡

ベイルートの記事でも書きましたが、レバノンは内戦、イスラエルとの戦争など、長年戦争状態にありました。
スールはイスラエルからの国境近くの為、内戦時にイスラエルの侵攻を受けました。

私が訪れた2002年にも、戦争の傷跡が残っていました。
tyre5
写真の奥に移ってい建物は、遺跡ではなく破壊された建物です。

また、2006年には、武装組織ヒズボラがイスラエルに戦闘を仕掛けたことをきっかけに、スール、サイダはイスラエルから空爆され、戦闘地域となったそうです。
現在もヒズボラとイスラエルの戦闘は起こっています。

レバノンは私が訪れた国の中でも、好きな国です。
美しい遺跡や自然があり、優しい人たちが住むレバノンに、再び安全に観光できる日が来てほしいと願います。

首都ベイルートの様子はこちら

レバノン旅行記 世界遺産バールベックとビブロス

レバノンには世界遺産が5つあります。

  • バールベック(ローマ帝国の遺跡)
  • ビブロス(ローマ帝国の遺跡)
  • ティルス(ローマ帝国の遺跡)
  • アンジャル(ウマイヤ朝の城塞都市遺跡)
  • カディーシャ渓谷と神の杉の森

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行をしていた2002年に、「バールベック」「ビブロス」「ティルス」のローマ遺跡の3つを観光しました。
今回は、そのうちのバールベックとビブロスについて書きます。

世界遺産バールベック

バールベックは首都ベイルートの東85km、ベカー高原にあります。
バスで2時間ちょっとです。
レバノンは岐阜県程度の小さな国なので、ベイルートからだいたいどこでも日帰り観光できます。
バックパッカーだったので、移動手段はタクシーはあまり使わず、バスかセルビスと呼ばれる乗り合いタクシーが中心でした。

バールベックの場所はこちら

バールベックはヨルダンのペトラシリアのパルミラと並び、中東三大遺跡の一つと言われています。
レバノンの観光地の中でも、人気が高いポイントです。

バールベックは紀元1世紀に最初の神殿が作られたそうです。
その後、2世紀ごろから今も残るジュピター神殿やバッカス神殿が建てらたそうです。
ビーナス神殿もあるのですが、発掘が進んでいないそうです。

ジュピター神殿

バールベックの象徴ともいえるのが、このジュピター神殿の6本の大列柱です。
baalbek6

高さ22mもある大列柱です。

baalbek1
下から見上げると、さらにその大きさに圧倒されます。
パルミラの列柱も見事ですが、大きさではバールベックのほうが大きいです。
見ごたえがあります。
デカい物好きの私は、パルミラの列柱よりもバールベックの列柱のほうが好きです。

そして、こちらはジュピター神殿の雨といのライオンです。
baalbek3
精巧な彫刻です。
もともとは屋根に取り付けられていたそうです。
ライオンの口から水が出てたんでしょうね。

バッカス神殿

バールベックの遺跡の中で、一番保存状態のよい神殿がバッカス神殿です。

baalbek4
こちらがバッカス神殿です。
柱や祭壇なども残っていて、内部にも入れます。
baalbek7 baalbek2

高さ28m、幅34m、奥行き69mもあります。
大きさに圧倒されます。
ここまでよい保存状態で残っているのはすごいです。

バールベックは中東三大遺跡とも呼ばれるだけあり、さすがに見ごたえがあります。
遺跡好きならぜひ行ってほしいところです。

 

世界遺産ビブロス

続いてビブロス観光です。
ビブロスは首都ベイルートから北に30kmの地中海沿い位置しています。
ベイルートからはバスで1時間くらいで着きます。

ビブロスの場所はこちら

「ビブロス」の名前は「バイブル(聖書)」の語源となったとも言われています。

もともと「ビブロス」はギリシャ語で「パピルス(書物)」を意味する言葉だったそうです。
そして「ビブロス」から「ビブリオン(本)」という言葉になり、最終的に「バイブル(聖書)」の語源になったと言われています。

ビブロスの歴史

ビブロスはフェニキア人の発祥の地であるそうです。
その後、ローマ帝国、そしてイスラムの支配下となりました。
十字軍の時代には要塞化されたそうです。
しかしその後衰退してしまったそうです。

要塞遺跡

一番目につくのは十字軍時代の要塞の遺跡でしょう。

lebanon3
いかにも要塞という、武骨な感じの遺跡です。
要塞だけではなく、地中海に面した居住地の跡もあります。
フェニキア時代、ペルシャ時代、ローマ時代、十字軍時代の遺跡が混在しています。
lebanon2

この写真では分かりにくいですが、青い地中海に遺跡が映えます。
レバノンでは、このように地中海と遺跡が溶け込んだ光景が見所です。

今はまだ政情不安がありますが、平和になってみんなが楽しく旅行ができるレバノンになってほしいです。

世界遺産ティルスの様子はこちら

レバノン旅行記 首都ベイルート

レバノンはシリアとイスラエル、そして地中海に囲まれた国です。

私はバックパッカーとして、ユーラシア大陸横断旅行中に訪れました。
シリアも好きな国ですが、同じくらいレバノンも好きな国です。
イスラム教のイメージが強いかもしれませんが、人口の30%以上はキリスト教徒です。

見どころとしては、世界遺産バールベックやビブロスティルスなどのローマ遺跡などの観光地があります。

lebanon

国旗の真ん中にはレバノン杉が描かれています。
レバノンのシンボルで、神殿や船舶の建材とされたことから、不滅と寛容を表しているそうです。

レバノンの場所はこちら

面積は10,452km²で、岐阜県と同じくらいの小さな国です。
シリアのホムスから陸路で入りました。
ちなみにビザは国境で取れました。

レバノンの歴史

レバノン周辺はフェニキア人の古代文明の拠点となっていたそうです。
その後、アレクサンドロス大王のマケドニア王国、古代ローマ帝国の支配下となっていきます。
そのため、古代ローマ遺跡が多く残っています。

7世紀ごろにイスラム圏となり、ウマイヤ朝、アッバース朝、マルムーク朝等の支配を受けた後、オスマントルコ帝国の支配下となりました。

第一次世界大戦後、フランスの統治を受けることとなりました。
そして、1943年に独立しました。
独立後は金融、観光分野で経済発展し、中東のパリと呼ばれるほどのリゾート地だったそうです。

中東戦争により、レバノンにパレスチナ難民が流入、PLO(パレスチナ解放機構)がレバノン南部を拠点とするなど、宗教間の微妙なバランスが崩れ、1975年に内戦が勃発しました。
その後、イスラエルがレバノン南部に侵攻するなど、他国の干渉もあり内戦が続きます。
ようやく内戦が終わったのが1990年。
15年間にわたる内戦の跡が町中に残っています。

現在のレバノンは、過激派のヒズボラや、隣国シリアでのISIL(イスラム国)の影響により不安定な状態です。
外務省 海外安全ホームページによると国境近くの一部地域では「退避勧告」が出ており、その他の地域も「渡航延期」、「当行の是非の検討」がすすめられています。

私が訪れた2002年は、イスラエルとの国境付近などではやや緊張がありましたが、そこまで危険ではありませんでした。
地中海沿いだからか、明るく楽しい人たちが多かったことが心に残っています。

首都ベイルート観光

ベイルートは、商業、金融の中心地で、約180万人が住んでいる地中海に面した町です。

地中海の風景

私が訪れた4月は花が咲いててきれいでした。
地中海の青と花の黄色がとても映えます。
beirut8

そして地中海の浜辺を散歩するのもいい感じです。
レバノンのイメージも変わるのではないでしょうか?
beirut3

海沿いに鳩の岩と呼ばれる2つの奇岩があります。
大きな岩は高さ22m、幅15mあり、下のほうに穴が開いていてアーチ形をしてます。
beirut2

地中海に映えて、けっこうきれいです。
鳩の岩の名前の由来は、伝書鳩のレースが行われていたからという説、渡り鳩の中継地だからという説、岩の形が鳩に似ているからという説など、さまざまな説が存在するそうです。
ベイルートの中では人気の観光スポットです。
スキューバダイビングのポイントにもなっているそうです。
私はダイビングインストラクターだったりもしましたが、レバノンを訪れた当時はまったくダイビングをしたことがなく、興味もなかったのでここでは潜っていません。

ローマ遺跡

ベイルートの町中には、ローマ遺跡も多数あります。
遺跡があるのが、日常の風景の一部になっています。
beirut7

歴史と現代が融合している姿があります。
ただ、町を開発しようとすると、ゴロゴロ遺跡が出てくるので、保存すべきか開発すべきかはけっこう議論を呼ぶそうです。

内戦の傷跡

レバノンの歴史で触れましたが、レバノンは15年に及ぶ内戦がありました。
内戦の傷跡は町中で見ることができます。
beirut6
この建物にも銃弾の跡が無数にあります。
このようにレバノンの建築物には、銃痕が刻まれているものが多くあります。

町並み

とはいえ、すべての建物に内戦の傷跡があるわけではありません。
当たり前ですが、新しい建物もあります。
beirut5 beirut4
中東のパリと呼ばれるのもわかる気がします。

このようにベイルートは、地中海の美しさ、歴史を感じるローマ遺跡、悲しい内戦の記憶、現代の人が作る新しい町並みが融合した町です。
現在、政情が不安定なため、気軽に旅行に行けるわけではありません。
早く平和が戻り、この美しい町に気軽に行ける日が来てほしいと願います。

世界遺産バールベックの様子はこちら