ミャンマーは近年民主化されてから、経済発展が著しい国です。
そんなミャンマーを旅行したのは、1998年のこと。
当時は軍事政権下であり、アウンサン・スーチー女史も軟禁されていた時代です。
そう聞くと怖そうな国に思えるかもしれませんが、当時ミャンマーはバックパッカーの間では「とても人がいい国」と言われていました。
バックパッカーにはとても人気があった国です。
私もその話を聞きタイのバンコクから、当時のミャンマーの首都ヤンゴンに飛行機で降り立ちました。
ミャンマー旅行がスタートです。
ミャンマー最大の都市ヤンゴン
ヤンゴンは当時のミャンマーの首都(現在の首都はネピドー)であり、現在でも最大の都市です。
イギリス統治時代から1989年まではラングーンと呼ばれていました。
ヤンゴンの空港から町中まではタクシーで移動しました。
タクシー運転手と交渉すると2ドルまで下がりました。
現在ではもう少し高くなっているようです。
当時でも中心部は車が多く、渋滞していました。
そのため40分ほどタクシーに乗ることになりました。
ちなみにミャンマーの車道は日本とは逆で右側通行です。
でも、日本の中古車が多く、右側ハンドルのままで運転されています。
日本語がそのまま書かれている中古車や旧コバスがあり、「三ノ宮行き」と書かれたバスなんかも走っていました。
ミャンマーでは日本車ファンが多いようです。
ヤンゴンの安宿 ホワイトハウスゲストハウス
中心部に到着し、まずは宿を確保です。
当時からミャンマーを訪れるバックパッカーに人気だったゲストハウスがホワイトハウスゲストハウスに泊まることにしました。
当時は7ドルで泊まれました。
なお、経済発展し物価が上がっている現在でも、シングル10ドルくらいで泊まれるそうです。
⇒トリップアドバイザーのホワイトハウスゲストハウスの情報
現在ではホワイトハウスゲストハウス以外にも、ユースホステルやゲストハウスが増えているようです。
ホテル予約サイトでも、安宿は探せるので見てみてください。
⇒ヤンゴンのホテル情報
シュエダゴン・パゴダ
宿を確保した後はヤンゴン観光です。
ミャンマーは仏教国であり、観光のメインは仏教寺院などになります。
その中で最大の見どころと言えるのが、シュエダゴン・パゴダです。
パゴダとは英語で「仏塔(ストゥーパ)」を意味している言葉です。
寺院に入るところで、まずはサンダル(靴)を脱ぎます。
そして基本的にタンクトップなどの肌の露出の多い服は禁止です。
中に入るとまず土産物屋が並んでいました。
階段を上ると窓口があり、外国人旅行者は入場料を払う必要があります。
※地元の人は無料です。
料金を払ってさらに階段を昇っていきます。
すると巨大な黄金の塔が見えてきました。
最も高い真ん中の仏塔は、高さ約100mもあります。
そして、仏塔にはダイヤやルビーなど、約6,000個の宝石が埋め込まれているそうです。
シュエダゴン・パゴダは地元の人にとっては身近な存在でもあり、多くの人がいました。
熱心にお祈りをしている人もいれば、おしゃべりをしている人、昼寝をしている人などいろいろな人がいました。
なお、寺院の中は靴やサンダルを脱いで裸足で歩く必要があるのですが、ミャンマーは南国なので床がけっこう熱いです。
シュエダゴン・パゴダを訪れた時は、まだ午前中だったのですがそれでもけっこう熱かったです。
ミャンマーの寺院を訪れるときは、その辺をちょっと気を付けたほうがよいですね。
ヤンゴンのその他の寺院
シュエダゴン・パゴダ以外にもヤンゴンにはいくつかの寺院があります。
- ヤンゴンの町の中心にあるスーレー・パゴダ
- 70mもある根釈迦物があるチャウダッジー・パゴダ
- 歴史あるボウタタウン・パゴダ
など、ヤンゴンの町は観光スポットが多くあります。
ヤンゴンの食事
ミャンマーは、中国、タイ、インドなどと国境を接しています。
そのため、ミャンマー料理はそれらが融合した料理だったりします。
カレーや中華っぽいのモノ、東南アジアらしいものなどがあります。
ただ、ミャンマー料理はやや油が多いという特徴があります。
ミャンマーは中国と国境を接していることもあり、中華料理店もけっこうあります。
ミャンマー料理が苦手な人は、中華料理に逃げるという手もあります。
また、私が当時訪れた時でもハンバーガー屋や日本食屋もありました。
ちなみにハンバーガ屋といっても、当時はアメリカと国交断絶していたのでアメリカ資本のハンバーガ―屋はありませんでした。
でも、アメリカ文化にあこがれているのか、「マックバーガー」「東京フライドチキン」などパクリっぽい店が多くて面白かったです。
今でもあるのかはわかりませんが。。。
現在では、状況も違っているのでもっといろいろと食事の幅も広がっているようです。
当時のミャンマー、ヤンゴンもかなり楽しかったのですが、民主化された後のミャンマーにもまた行ってみたいと思います。
さて、ヤンゴンのあとはマンダレーに向かいました。