世界遺産

ハンガリー旅行記 世界遺産 ホッローケーの村

ハンガリーには世界遺産がいくつかあります。

今回ご紹介するのは「ハンガリーで最も美しい村」とも言われ、伝統的な古民家が残る村ホッローケーです。
日本人にはちょっと発音しにくいですね。

1987年に「ホッローケーの古い集落とその周辺 」として世界遺産に登録されています。
村落としては初めて世界遺産に登録された村となります。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

ホッローケーの場所

ホッローケーは首都ブダペストから北東に100km弱のところ、スロバキアとの国境近くに位置しています。

ブダペストからはバスで2時間くらいですので、日帰り観光できます。
ただ、土日は直行のバスがあるのですが、平日は乗り継がないといけないので注意が必要です。

世界遺産ホッローケーの村観光

ホッローケーは独特の建築様式の古い民家が残されている村です。
泥とわらを使った壁に石灰で白く塗るパローツ様式と呼ばれる建物が建ち並んでいます。

holloko1

 

なんとものんびりした田舎町という感じです。
世界遺産なのですが観光客はあまり多くなく、観光地っぽくないです。

村民全体で古き良き伝統、雰囲気を守っているそうです。

日本の世界遺産白川郷にも通じるものがあるのかなと思います。

名前の由来

ちなみにホッローケーとは「カラスの石」という意味だそうです。

丘の上に城があるのですが、この城はカラスが石を運んできて築いたという伝説があり、そこから「カラスの石」という意味のホッローケーと呼ばれるようになったそうです。
村の紋章にもカラスが使われています。

木造教会

ホッローケーの村の中央には小さな木造教会が建っています。

holloko2

白と黒の教会の周りに赤い花が咲いていて、とてもかわいらしい教会でした。

この教会はもともとは14世紀に建てられたのですが、20世紀初頭の火災で焼失してしまい、その後忠実に再建されたものだそうです。

ホッローケーは世界遺産としてはこじんまりしてますが、古き良き伝統が残る美しい町です。
ブダペストからも日帰りできる距離なので、時間があれば訪れてみてはいかがでしょうか。

ホッローケーへの移動中のオマケ

ブダペストからホッローケーへ移動中こんな光景を見かけました。

duck2

道路を横切っている白い物体があります。
これは何でしょうか?

duck1

実はガチョウの群れです。
みんなきちんと整列して、順序正しく歩いて道路を横断する姿はかわいかったです。

なぜガチョウの群れが飼われているかというと、フォアグラのためなのです。
フォアグラといえばフランス料理のイメージですが、実はハンガリーはフォアグラの一大生産地です。
ですので、ガチョウの飼育が盛んです。

このかわいいガチョウたちも、フォアグラになってしまうわけですね。

ちなみにハンガリーはフォアグラが安いので、バックパッカーでも手が届く値段で食べられます。
私も首都ブダペストのレストランで食べました。
ハンガリーに行ったら一度はフォアグラを食べてみてはいかがでしょうか。

首都ブダペストについてはこちら

 

ブダペストのホテルを探すならこちらから
↓↓
agodaで検索

ハンガリー旅行記 ドナウの真珠 首都ブダペスト

ハンガリーといえば?と聞かれてもパッと思い浮かばない人も多いかもしれません。
歴史を勉強した人は、オーストリア=ハンガリー帝国やハプスブルク家いう名は聞いたことあるかもしれませんが、日本人にはあまり馴染みがない国なのではないかと思います。

そんなハンガリーに、私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

ハンガリーの場所

ハンガリーはヨーロッパの中でも中央と言われる地域に位置しています。
オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、と多数の国と国境を接しています。

海がない国です。
広大な平原が広がっており、国の真ん中をドナウ川が流れています。

ハンガリーの歴史

ハンガリーは、1世紀ごろはローマ帝国の支配下となり、その後5世紀ごろにアジア系騎馬民族フン族が、そして9世紀に現在のハンガリー人の起源とも言われる、ウラル山脈系の遊牧民マジャール人が侵入してきたそうです。

そして、西暦1000年イシュトヴァーン1世がキリスト教に改宗し、ハンガリーが建国されました。

15世紀後半からは中央部がオスマン帝国、北西部がハプスブルク家の支配下となったそうです。
17世紀後半にオスマン帝国は衰退したため、ハンガリー全土はハプスブルク家の支配下となりました。

19世紀になり、オーストリア=ハンガリー帝国が発足。
1914年帝国の皇太子がサラエボで暗殺されたため、第一次世界大戦勃発。
同盟国側として参戦するも敗戦国となり帝国は解体。

第二次世界大戦で枢軸国側で戦うも敗退。
その後、ソ連に占領、1949年、共産主義国家ハンガリー人民共和国ができ、ソ連の衛星国となりました。

そして、1989年ハンガリーは平和裏に体制を転換、憲法を改正してハンガリー共和国になり、現在はEUに加盟しています。

と、激しい歴史の流れにあっている国なわけですが、歴史もあり、とても魅力的な国なのです。

ドナウの真珠 首都ブダペストを観光

ハンガリーの首都ブダペスト。
日本人的には響きが美しくない感じもしますが、実はとても美しい町なのです。
その美しさから、「ドナウの真珠」とも称えられる町です。

「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として世界遺産にも登録されています。

ブダペストはもともと、ドナウ川「ブダ」と「ペスト」という別々の町が合併されて「ブダペスト」となった町です。

Budapest6

上の写真はドナウ川をペスト側から見た光景です。
ちょっと写真では分かりにくいですが、左奥にあるのがブダペストの観光名所である王宮です。

そして王宮付近はとても美しい光景が待っています。

Budapest7

緑と王宮と川がいい感じなのが、さすがドナウの真珠です。

セーチェニー鎖橋

そして、ドナウ川に架けられ「ブダ」と「ペスト」をつなぐのが、有名な「鎖橋」です。
その鎖橋からの光景がこちらです。

Budapest4

鎖橋は19世紀半ばに完成した橋です。
実際に訪れてみても、趣があるとてもよい風景です。

長さは380mで歩いて渡れますので、一度は歩いて渡ってみてはいかがでしょうか。

美しい国会議事堂

王宮のあるブダ側だけでなく、ペスト側もとても美しい町並みが広がっています。
その中でもひときわ美しい建物があります。

Budapest2

この建物はハンガリーの国会議事堂です。
ここも人気の観光スポットです。

Budapest3

19世紀末から20世紀にかけて作られたバロックとネオゴシック様式のとても美しい建物です。
間近で見ることができるので、とても見ごたえがあります。

夜はライトアップされてますので、また違った良さがあります。

ブダペストの町中

下の写真はペスト側の町中です。

Budapest1

普通の町並なのですが、なんともヨーロッパを感じさせてくれます。

そして、オペラ座では本格的なオペラやバレエなども格安で見ることもできます。
立見席だと数百円で見れるんです。

ブダペストを訪れたときは、バックパッカーでしたがそれでも数回見ました。
こういった文化的なものに安く触れられるのもいいところですね。
日本の歌舞伎なども、もうちょっと安くなればいいのになと思います。

ブダペストは美しい街並みと文化が感じられる素敵な街です。
ぜひ訪れてみてください。

ブダペストのホテルを探すならこちらから
↓↓
agodaで検索

また、ハンガリーにはブダペスト以外にも魅力的な町がありますので、せっかくならブダペストだけでなく少し足を延ばすことをおすすめします。
世界遺産になっている、ホッローケもおすすめです。

ハンガリーの世界遺産ホッローケーの様子はこちら

ルーマニア旅行記 世界遺産シギショアラ

ルーマニアは日本人にはあまり馴染みがない国かもしれませんが、中世の町や城など、歴史を感じられる観光地も多くあります。
その中に世界遺産に登録されているシギショアラの町があります。
おそらく多くの方は聞いたこともない町だと思いますが、私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

シギショアラの場所

シギショアラはルーマニアの中部、トランシルヴァニア地方に位置してます。
ルーマニア観光の拠点ともなるブラショフの北西に位置し、鉄道で2時間ほどです。

シギショアラ歴史地区を観光

「シギショアラ歴史地区」は世界遺産に登録されています。
中世の街並みが残る歴史を感じられる町です。

12世紀、当時この地はハンガリー領だったのが、ハンガリーが南方の防衛としてドイツ人の職人や商人が入植させてできた町だそうです。

時計塔

シギショアラの街を代表する観光スポットが「時計塔」です。
時計塔に行くまで街並みもいい感じです。

sighisoara2

ちなみに時計塔の手前、右奥に見える黄色い建物はドラキュラのモデルとなったワラキア公ヴラド3世の生家です。
こちらも観光スポットとして人気です。
なお、ドラキュラやヴラド3世については、ブラン城(ドラキュラ城)とペレシュ城のページをご覧ください。

sighisoara1

時計塔はシギショアラがギルドによる自治都市となった14世紀に建てられたものです。
ちょっと小高い丘の上に位置し、シギショアラのシンボルとも言える建物です。
写真では分かりませんが、時計盤の横からは時間になるとからくり人形が出てきます。

時計塔自体は武骨な感じですが、からくり人形はかわいらしいです。
シギショアラに行ったら、ぜひ見てみてください。

統計塔から見る街並み

時計塔には登ることができます。
そして、時計塔の上からはシギショアラの美しい街並みを見ることができます。

sighisoara4

赤い屋根の街並みが中世のヨーロッパを感じさせてくれます。

sighisoara3

シギショアラは大きな町ではなく田舎町なので、周りには緑も多く、緑と赤のコントラストがとてもいい感じです。
上は写真はアナログで撮ったものをスキャンしたので、色彩がイマイチ実際にはとてもきれいです。

時計塔以外にも、「仕立屋の塔」、「皮革加工職人の塔」、「靴職人の塔」、「肉屋の塔」、「鍛冶屋の塔」等、ギルド(職人の組合)の名前が付いた塔があります。
そのようなネーミングからも歴史を感じられます。

世界遺産としてはこじんまりとした町ではありますが、中世の街並みが残った美しい町です。
ブラショフからもアクセスがよいので、観光に訪れてみてはいかがでしょうか。

ルーマニアにはこのように古い街並みや落ち着いた田舎町などのんびりできる町が多いです。
あくせくと観光するのではなく、のんびりと過ごすにはいい国です。

シギショアラの後、さらにのんびりできるルーマニアの田舎町マラムレシュに向かいました。

ヨーロッパの田舎マラムレシュの様子はこちら

 

シギショアラのホテルを探すならこちらから
↓↓
agodaで検索

ブルガリア旅行記 世界遺産リラ修道院(リラの僧院)

東欧の国ブルガリアは日本人にはあまりなじみがない国かも知れません。
私もブルガリアに行こうと決めた隣国のトルコで情報を集めるまではヨーグルトくらいしか知りませんでした。
ブルガリアで人気の観光地といえば、世界遺産にも登録されているリラ修道院(リラの僧院とも言われます)です。
ブルガリア正教の総本山です。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカーだった2002年に訪れました。

リラ修道院(リラの僧院)の場所

リラ修道院(リラの僧院)はブルガリアの首都ソフィアから南に約120kmにあります。

バスで行くと2時間ちょっとくらいです。
リラ修道院(リサの僧院)は標高1147m、山の上にあります。

山の中にあり、近くに川が流れており、とても落ち着ける風景が広がっています。

rila4

余談ですがリラに行く途中、ブルガリアだけにヨーグルトを食べました。
ブルガリアのヨーグルトはおいしくないとも聞いてましたが、普通においしかったです。

リラ修道院(リラの僧院)観光

リラ修道院は10世紀の前半にイヴァン・リルスキーにより設立されたといわれています。
イヴァン・リルスキはブルガリア正教会によって聖人として崇拝されています。
世の中から隠遁し修道生活をしたそうです。
創設以来、リラ修道院(リラの僧院)はブルガリアの統治者から尊重されてきました
ブルガリア正教の総本山といえる存在です。

観光地としても人気で、観光客も多く訪れています。

rila2

ストライプの壁が特徴的です。

rila3

屋根が丸みを帯びているのも特徴的です。

修道院ですので、僧侶が生活を送るための僧坊(居住区)があります。

rila7

4階建てで300部屋くらいあるそうです。

フレスコ画

リラ修道院(リラの僧院)の見どころといえばフレスコ画です。
フレスコ画とは、漆喰を壁に塗り乾かないうちに水性の絵の具で直に絵を描く技法です。

リラ修道院(リラの僧院)には、鮮やかに描かれたフレスコ画がとても良い状態で残っています。

rila5

教会内にはこのように色鮮やかなままのフレスコ画が残されています。
このフレスコ画は、
1846年に完成されたものだそうですが、170年も前のものとは思えない鮮やかさです。

天国だけでなく、地獄に落ちた人々と悪魔についても描かれています。

rila6

このように、ストライプの建築や色鮮やかなフレスコ画は一見の価値があります。
ブルガリアに行くのであれば、ぜひリラ修道院(リラの僧院)を訪れてみてください。

ブルガリア観光を終え、ルーマニアに向かいます。

ルーマニアの首都ブカレストの様子はこちら

 

ブルガリア ソフィアのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

トルコ旅行記 イスタンブール アジアとヨーロッパにまたがる都市

イスタンブールは、アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市であり、人気の観光地でもあります。
アジアから来たバックパッカーはヨーロッパを感じ、逆にヨーロッパから来たバックパッカーはアジアを感じる。
そんなエキゾチックな街です。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカーだった2002年の4月にシリアのアレッポからイスタンブールに入りました。
その後、ヨーロッパを回った後、夏にもイスタンブールを訪れましたが、居心地のいい町でした。

イスタンブールの場所

イスタンブールはアジアとヨーロッパをつなぐ国です。

イスタンブールの真ん中にはボスポラス海峡があり、東がアジア、西がヨーロッパです。
ボスポラス海峡は一番狭い地点では、わずか800m程度ととても狭いです。
ですので、橋が架かっており、簡単に行き来できます。

私が行った2002年はまだなかったのですが、現在では鉄道用の海底トンネルも通っています。

世界遺産イスタンブール歴史地区を観光

イスタンブールはかつてのローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国の首都でした。
そのため歴史的な建造物も多く世界遺産に登録されています。

特にスルタンアフメット地区は、見どころ満載です。

トプカプ宮殿

トプカプ宮殿はオスマントルコ帝国の君主たちの居城だったところです。
さすが宮殿だけあってとても広大な敷地です。
特に見どころなのは宝物館、中には金銀財宝がザックザクです。
人気の観光地なので混んでますが、イスタンブールの見どころですので行ってみてください。

アヤソフィア

アヤソフィア「ビザンチン建築の最高傑作」とも言われています。

Ayasofya

巨大で美しい建造物です。

アヤソフィアは西暦350年頃、東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として作られました。
何度か火災などで焼失しましたが、再建され、現在のアヤソフィアは 537年に作られたものです。
その後、15世紀にオスマン帝国に支配下となり、モスクに改装されました。

現在は博物館となっており、内部に入れます。
ビザンチン美術とイスラム美術が混在しており、見ごたえがあります。

スルタンアフメットモスク(ブルーモスク)

ブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメットモスクは、アヤソフィアの向かいに立っており、世界一美しいモスクとも言われています。

bluemosque

オスマン帝国のアフメット一世が建設を命じ、1616年に完成したものです。
スルタンアフメットモスクは、今でもモスクとして利用されていますが、観光客も中に入ることができます。
宗教施設ですので、敬意をもって入りましょう。
厳かな雰囲気です。

イスタンブールの歴史地区は見どころ満載ですね。
普通に街を歩くだけでも楽しいところです。
また、スーク(市場)なんかを除くのも楽しいですね。

ガラタ橋とサバサンド

ガラタ橋は金角湾河口近くに架かる橋です。
多くの人が釣りをしています。
そして、露店も多く、イスタンブール名物サバサンド屋がたくさんあります。

サバサンドはその名の通りサバのサンドイッチです。
釣ったばかりのサバの塩焼きとタマネギ、レタスをパンにはさみ、塩とレモンのシンプル料理ですが、ごれがうまい。

ぜひ食べてみてください。

世界三大料理 トルコ料理

おいしいものはサバサンドだけではありません。

トルコ料理は中華料理、フランス料理とならび、世界三大料理の一つと言われています。
トルコ料理はトマトソースがよく使われていて、トマトソースの煮込み料理が好きでした。

また、イスタンブールはパンがおいしかったです。
フランスパンみたいな形のパンですが、毎日食べてました。

イスタンブールの食堂ではパンが食べ放題だったのが、バックパッカーには嬉しかったです。
食堂にいくときはトルコ料理とともにパンをたくさん食べて経済的でおいしい食事ができました。

アジアとヨーロッパがまじりあい、歴史があり、見どころも多く、料理もおいしいイスタンブールはオススメの観光地です。
一度は行ってみてはいかがでしょうか。

イスタンブールのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

イスタンブールでアジア圏は終了です。
ユーラシア大陸横断の旅はいよいよヨーロッパに入ります。
まずはブルガリアを目指しました。

初めてのヨーロッパ ブルガリアの様子はこちら

エジプト旅行記 世界遺産アブシンベル神殿とイシス神殿

エジプトの観光地といえば、まずピラミッド、そして王家の谷などがあるルクソールを思い浮かべるの人が多いと思います。
ですが、個人的には南部アスワンからいくアブシンベル神殿が一番好きでした。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産に登録されています。

アブシンベル神殿の場所

アブシンベル神殿を観光するための拠点となるのは、首都カイロから南へ約900Kmにあるエジプト南部の町アスワンです。
カイロからアスワンへ鉄道で行くのが一般的です。

そして、アブシンベル神殿はアスワンからさらに南へ約280Kmのところにあります。
スーダンとの国境付近です。

アブシンベル神殿へはアスワンから日帰りツアーで行くのが一般的です。
片道3時間くらいかかるのですが、午前3時ごろに出発します。
私はエジプト人のグループに混じってのツアーでした。
アブシンベル神殿は砂漠にあるので、日差しが強くは6月~8月の夏は40度を超すこともあります。
暑さ対策、日よけ対策をしておきましょう。

アブシンベル神殿を観光

アブシンベル神殿は紀元前1250年ごろにラムセス2世が建てた神殿です。
長い年月の内に砂に埋もれていたのですが、1800年代に発見されました。
その後、1960年代にアスワンハイダム建設の際に水没の危機が訪れたのですが、ユネスコにより4年をかけて60m上へ移設されました。

AbuSimbel1

何と言っても、見どころはこの巨大なラムセス2世の4体の像です。

AbuSimbel2
この巨大な像はまさに圧巻です。
高さ20mにもなります。

エジプトには他にも巨大な像がありますが、個人的にはこのラムセス2世の像は保存状態もよく、一番すごかったです。
ツアーは朝が早く、時間もかかりますが、見る価値は十分あります。

イシス神殿(フィラエ神殿)観光

ツアーでは、アブシンベル神殿だけでなく、アスワンのイシス神殿にもよりました。
アスワンの南20kmくらいのところに位置するフィラエ島にある女神イシスの神殿です。
なお、アブ・シンベル神殿と同様にアスワンハイダム建設による水没の機器があったのですが、ユネスコに隣の島に丸ごと移転されたそうです。
神殿丸ごと移設するのですから、すごいですね。

AbuSimbel3

イシス神殿はとても保存状態がよく美しい神殿です。
列柱やレリーフもきれいに残っています。

AbuSimbe4

アスワンはカイロからちょっと遠いですが、アブシンベル神殿やイシス神殿など保存状態がよく美しい遺跡を見ることができます。
せっかくエジプトに行くのなら、ぜひ行ってみてほしいところです。
個人的にはルクソールよりも、好きな遺跡でした。

ルクソールの様子はこちら

 

アスワンのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

エジプト旅行記 ルクソールの世界遺産

エジプトの有名な観光スポットにルクソールがあります。
ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、王家の谷やルクソール神殿など数多くの遺跡が残っています。
「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産になっています。

ルクソールの場所

ルクソールは首都カイロの南約670kmに位置しています。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

ルクソールの場所はこちら

カイロからルクソールは鉄道で行けます。所要時間は約10時間です。
夜行バスもありだいたい同じくらいの時間です。
バックパッカーにとっては近い物でした。

町の中をナイル川が流れており、太陽が昇る東側にルクソール神殿やカルナック神殿など「生の都」、太陽が沈む西側に王家の谷など「死者の都」があります。

カルナック神殿 観光

紀元前3000年頃はギザのピラミッドがあるあたりが中心地でした。
その後、紀元前2000年ごろからテーベ(今のルクソール)が首都になったそうです。
カルナック神殿は紀元前1500年ごろに作られたそうです。

カルナック神殿は単体の神殿ではなく、複数の神殿の複合体です。
1平方キロ以上に広がる広大な神殿です。

スフィンクス参道や巨大なオベリスクがありますが、一番見ごたえがあったのが大列柱室です。
ouke1

大列柱室は102メートル×53メートルもあり、134本の大列柱が立っています。
中央部の12本の柱は特に大きく、高さ21m、直径3m以上もあるそうです。
その大きさは圧巻です。

他にもいろいろあるのですが、個人的には第8塔門の崩れた像が好きでした。
ouke3

遺跡っていう感じが好きです。
ouke2

王家の谷 観光

ナイル川の東側が生の都ですが、西の死者の都に有名な王家の谷があります。
私は東側の宿に泊まっていたので、ナイル川を渡って王家の谷に行きました。

luxor1

王家の谷は岩山を掘って作られたたくさんの王の墓があるところです。
現在まで64の墓が見つけられているそうです。

ouke5

いくつかの墓には入れますが、内部は写真撮影は禁止ですので外からの写真しかありません。

ouke4

有名なツタンカーメンの墓も王家の谷にあります。
ツタンカーメンの墓だけは盗掘をされていなかったので、黄金のマスクが残っていました。
他の墓は盗掘されてしまい、宝物は盗まれてしまっています。

 王妃の谷

王家の谷とは別に、王妃の谷もあります。
王妃の谷にはネフェルタリの墓があります。

私が訪れた2002年当時、ネフェルタリの墓は入場制限があり、別料金でした。
バックパッカー仲間から、ネフェルタリの墓は見たほうがいいとすすめてもらっていたので、無理してチケット確保しました。

このネフェルタリの墓の内部にある壁画ですが、実際に見ると他の壁画とまったく違い、本当に色鮮やかなまま残っています。
数千年の時を経たとは思えない色彩でした。

現在、ネフェルタリの墓は非公開のようですが、特別なツアーだけ入れるようです。

ハトシェプスト女王葬祭殿 観光

ナイル川西側には王家の谷以外にも見どころがあります。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、古代エジプト唯一の女性ファラオであるハトシェプストが作った葬祭殿です。

Hatshepsut1

紀元前15世紀の建造物ですが、とても保存状態がよいです。
レリーフ、壁画の保存状態もよいので、見る価値があります。

なお、1997年11月17日にイスラム原理主義の過激派によるテロにより、観光客が亡くなった場所でもあります。

メムノンの巨像

西岸に2体の巨像があります。
私が訪れた2002年は左側は修復中でした。

ouke6

アメンホテプ3世の像だそうです。
高さ13mあります。
デカいですね。

ナイルの夕陽

ルクソールの東岸からはナイルに沈む夕陽を見ることができます。

luxor2

luxor3

悠久の時を超えて流れるナイルに沈む夕陽はなんとも感慨深いものです。

このようにルクソール周辺には多くの遺跡、見どころが満載です。
エジプトに行くのなら、ピラミッドだけではなく、ぜひルクソールにも訪れてみてください。
そして余裕があるならアスワンまで南下してアブシンベル神殿もオススメです。

アブシンベル神殿の様子はこちら

 

ルクソールのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

エジプト旅行記 世界遺産ギザのピラミッド

エジプト観光の最大の見どころといえば、やはりギザのピラミッドでしょう。
知らない人はいないですよね。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪問しました。

ピラミッドは世界遺産にも登録されています。
正確な世界遺産の登録名は「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」だそうです。

ギザのピラミッドの場所

ギザのピラミッドは首都カイロから南西にわずか20km、ローカルバスでも1時間もかかりません。
タクシーだと30分くらいで着くでしょう。(ぼられるので注意しましょう)
カイロ市内からは非常にアクセスが良い観光スポットです。

ギザのピラミッドの場所はこちら

ピラミッドといえば、砂漠の真ん中にどーんと立っているイメージがあるかもしれませんが、実際はギザの町中にいきなり現れます。

ギザの三大ピラミッド観光

ギザの三大ピラミッドとよばれるクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドが一度に見れます。

pyramid4
上の写真はクフ王のピラミッドとスフィンクスです。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッドは三大ピラミッドの中でも最大で、高さ138.8m(元の高さは146.6m)もあります。
ピラミッドと言ってイメージが浮かぶのが、このクフ王のピラミッドです。
建築時期は紀元前2540年頃と言われており、そんな古代にこれだけのものを作るのですから、エジプト人はすごいです。

pyramid2
下から見上げるとその大きさに圧倒されます。
デカい物好きの私は大興奮でした。

なお、別料金でピラミッドの中に入ることもできます。

また、昔はこのピラミッドに上ることができたのですが、今では禁止されています。
2002年当時も登頂は禁止されていましたが、夜間警察の目をかいくぐって登り、日の出を見る人はちょこちょこいました。
降りた後は警察に捕まるのですが、そこまでの罰はなかったそうです。

私は疲れることが嫌いだし、スリルを味わいたいわけでもないし、捕まるのも嫌だったので登りませんでした。

スフィンクス

ピラミッドと共に有名なものといえば、スフィンクスですね。

pyramid3

スフィンクスは、ライオンの身体と人間の顔を持った神獣です。
ギザのスフィンクス像は、全長73.5mもあります。
損傷が激しく鼻がなくなってたりします。

スフィンクスの写真の後ろに移っているのはカフラー王のピラミッドです。

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッドは三大ピラミッドの真ん中に位置します。
カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドよりちょっとだけ小さいですが、それでも136m(元の大きさは143.87m)もあります。

pyramid1

やはり、カフラー王のピラミッドもデカいです。
先端部分に化粧石が残っているのが特徴的です。

もう一つのメンカウラー王のピラミッドは他の二つにくらべると小さめで、高さ65.5m(現在の高さ62m)です。
まあ、それでも十分デカいのですが、やはりちょっと地味に見えてしまいます。

ギザのピラミッドはやはり見ごたえがあります。
歴史を感じ、人間のすごさを感じられるので、一度は行ってみてはいかがでしょうか。

ちなみにピラミッドといえば、メキシコのピラミッドもよいです。
テオティワカンウシュマルチチェンイッツァなどのピラミッドが多数ありますので、メキシコにも行ってみてはいかがでしょうか。

 

さて、カイロでピラミッドを満喫した後、次の町に移動しました。
王家の谷などで有名なルクソールに向かいました。

ルクソールについてはこちら

 

カイロのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

エジプト旅行記 首都カイロ

中東の国の中で一番の観光地といえばエジプトではないでしょうか。
古代エジプト文明のピラミッド王家の谷など、知らない人はいないくらい有名ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の、2002年に訪れました。

予定外のエジプト入り

2001年、私はユーラシア大陸を陸路横断するために旅に出ました。
中国チベット経由でネパール、インドに入り、そこからパキスタン、イラン、トルコと入って中東に行く予定でした。
しかし、インドにいた2002年の始め、インドとパキスタンの関係がかなり悪化したためインドでパキスタンのビザを取ることができず、国境も閉まっていました。

ちょうどインドからパキスタンに入ろうとしていた私は身動きが取れませんでした。
当時の噂によると、バングラデシュに行けば、パキスタンビザがとれるという話もあったのですが、すでにバングラデシュは訪れており、デリーにいた私は泣く泣く陸路を諦め、エジプトのカイロに飛ぶこととしました。
※その後、シベリア鉄道で帰ってきたのでいちおうユーラシア大陸陸路横断は成し遂げました。

エジプト

エジプトを知らない人はいないかと思いますが、いちおう説明しておきます。

egypt

エジプトの場所

エジプトはアフリカ大陸の北東に位置しており、西はリビア、南はスーダン、北東はイスラエルと接しています。
なお、北は地中海、東は紅海に面していますので、リゾート地もあったりします。
紅海はダイビングの名所でもあります。

エジプトの場所はこちら

世界一長い川ナイル川があります。
また地中海と紅海を結ぶスエズ運河もあります。

エジプトの歴史

世界史でも習いましたがエジプトは、古代より文明が栄えていました。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉「エジプトはナイルの賜物」というように、エジプトは豊かなナイル川によって古代エジプト文明を発展させたわけです。
紀元前3000年頃には中央集権国家ができ、ピラミッドや王家の谷など、世界的にも有名な遺跡が建てられています。
王様はファラオと呼ばれ、アメンホテプ四世やツタンカーメンなど有名ですね。

その後、アケメネス朝ペルシャ、アレクサンドロス大王に征服されプトレマイオス朝の支配下になります。
なお、有名なクレオパトラはプトレマイオス朝の最後の女王です。

ローマ帝国に征服され、ローマ帝国が分裂すると東ローマ帝国に属し、その後、イスラム圏となりオスマントルコ帝国の支配下となりました。

そして、イギリスの支配下となったのですが、1922年に独立しました。
その後、中東戦争やアラブの春などを経て現在に至っています。

首都カイロ

カイロはエジプトの北部、古代エジプト文明を育んだナイル川沿いにあります。
ちなみに「カイロ歴史地区」として世界遺産にも登録されています。

カイロの場所はこちら

カイロの町並

カイロはアフリカ、アラブ世界で最も人口が多い都市だそうです。
町中もにぎわっています。
cairo2
写真は旧市街地の写真です。
写真はないのですが、新市街地は近代的なビルが立ち並ぶ都会です。
ちなみにカジノもあります。

カイロを訪れるときの注意事項ですが、私が訪れた50か国の中でも車の運転が荒く、歩行者が道路を横断する時は気をつけたほうがよいです。
信号や横断歩道以外のところを渡る場合は、エジプト人について渡るようにしましょう。

沈没地カイロ

バックパッカーの中では、ついつい長期滞在してしまう場所を沈没地と呼びます。
安宿の日本人宿があり、マンガなんかも置かれており、日本人のたまり場となるわけです。

「なんで海外に行ってまで、日本人宿に泊まるの?」と不思議に思う方もいると思いますが、長期にわたってバックパッカー旅行をしていると、英語で喋り続けることや外国人との相手に疲れて、しばらく日本人宿でダラダラしたくなるのも仕方がないところもあるわけです。
また、日本人宿には情報ノートと呼ばれる、バックパッカーたちが書き残した各地の生の情報があったりするので役に立ちます。
今のようにインターネットが発達していない2002年は重宝したものです。

エジプトは物価が安いこともあり、カイロも沈没地の一つです。
有名な日本人宿には「サファリホテル」があります。(私は別の宿にしました)
私が訪れた2002年当時、カイロに1年以上の滞在している人が複数人いたそうです。
※居住ではなくあくまでもバックパッカーです。世の中にはいろんな人がいますね。

1泊300円くらいで泊まれますし、食事もコシャリというエジプト料理だと50円くらいで食べれます。
あと、自炊なんかも出来ますので安上がりではありますね。

ちなみにエジプト料理のコシャリとは、米とパスタと豆をミックスしてソースをかけたものです。
そばめしみたいに、炭水化物を合わせまくってます。
エジプトのソウルフード的な位置づけ、日本人の牛丼みたいなものですかね。
エジプトに行くなら、一度は食べてみてもいいのではないでしょうか。

ギザのピラミッドの様子はこちら

 

カイロのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

レバノン旅行記 世界遺産ティルス(スール)とシドン(サイダ)

バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年、レバノンにある5つの世界遺産のうち3つを訪れました。

バールベックとビブロスについては書きましたので、残りの1つ世界遺産ティルス遺跡(現在の町の名前はスール)について書いていきます。
また、世界遺産にはなってないのですが、ティルスに行く途中に訪れた素敵な遺跡があるシドン(現在の町の名前はサイダ)についても書きたいと思います。

※名称がややこしいので、町の名前は現在のスールとサイダとします。

なお、スールとサイダは、首都ベイルートから南の地中海沿いに位置しています。
1日で2つの遺跡・町を回ることができます。

港湾都市サイダを観光

まずはベイルートに近い方のサイダの町に行きました。
ベイルートがから南に約40km、バスで1時間弱で着きます。
サイダはベイルート、トリポリに続くレバノン第3の都市です。

サイダの場所はこちら

サイダはかつて古代フェニキアの主要都市シドンとして栄えていたそうです。
港湾都市なので、昔から交易の拠点だったわけです。

そして、十字軍の時代に要塞が作られました。
その要塞がこちらです。
sidon1

地中海に突き出た十字軍時代の海の要塞はかっこいいです。
橋を渡って要塞の中にも入れます。

世界遺産ティルスを観光

続いて、スールの町に移動しました。
スールはサイダからさらに南に50km、セルビスとよばれる乗り合いタクシーで1時間くらいです。
ベイルートからは南に90kmくらいです。

スールの場所はこちら

現在のスールは小さな村なのですが、かつてのティルスは交易都市として栄えていたそうです。
ティルスもレバノンの他の都市と同様に、もともとはフェニキア人が建てた都市です。
その後、アレクサンドロス大王の侵攻、ローマ帝国の支配下、十字軍の支配下、イスラム化という歴史を歩んだそうです。
その後、衰退して現在は小さな村となっています。

ティルス遺跡

現在のスールには、ローマ時代の遺跡が残っており、世界遺産に登録されています。
そのティルスの遺跡の中でも、私が好きな光景は地中海に向かっていく列柱道路です。
tyre3
青い地中海へと続いていく列柱道路はとても美しいです。
ローマ遺跡の柱は、見ごたえがあります。
tyre1

私は2002年4月に訪れたのですが、春だったので季節がとてもよくて、黄色い花が美しく咲いていました。
tyre2
空の青、地中海の青、鼻の黄色がとてもきれいでした。
このような光景が見れてとてもよかったです。

他の世界遺産バールベックやビブロスもよかったですが、ティルスの遺跡もとてもよかったです。
レバノンには、本当に見ごたえのある遺跡があります。

戦争の傷跡

ベイルートの記事でも書きましたが、レバノンは内戦、イスラエルとの戦争など、長年戦争状態にありました。
スールはイスラエルからの国境近くの為、内戦時にイスラエルの侵攻を受けました。

私が訪れた2002年にも、戦争の傷跡が残っていました。
tyre5
写真の奥に移ってい建物は、遺跡ではなく破壊された建物です。

また、2006年には、武装組織ヒズボラがイスラエルに戦闘を仕掛けたことをきっかけに、スール、サイダはイスラエルから空爆され、戦闘地域となったそうです。
現在もヒズボラとイスラエルの戦闘は起こっています。

レバノンは私が訪れた国の中でも、好きな国です。
美しい遺跡や自然があり、優しい人たちが住むレバノンに、再び安全に観光できる日が来てほしいと願います。

首都ベイルートの様子はこちら

レバノン旅行記 世界遺産バールベックとビブロス

レバノンには世界遺産が5つあります。

  • バールベック(ローマ帝国の遺跡)
  • ビブロス(ローマ帝国の遺跡)
  • ティルス(ローマ帝国の遺跡)
  • アンジャル(ウマイヤ朝の城塞都市遺跡)
  • カディーシャ渓谷と神の杉の森

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行をしていた2002年に、「バールベック」「ビブロス」「ティルス」のローマ遺跡の3つを観光しました。
今回は、そのうちのバールベックとビブロスについて書きます。

世界遺産バールベック

バールベックは首都ベイルートの東85km、ベカー高原にあります。
バスで2時間ちょっとです。
レバノンは岐阜県程度の小さな国なので、ベイルートからだいたいどこでも日帰り観光できます。
バックパッカーだったので、移動手段はタクシーはあまり使わず、バスかセルビスと呼ばれる乗り合いタクシーが中心でした。

バールベックの場所はこちら

バールベックはヨルダンのペトラシリアのパルミラと並び、中東三大遺跡の一つと言われています。
レバノンの観光地の中でも、人気が高いポイントです。

バールベックは紀元1世紀に最初の神殿が作られたそうです。
その後、2世紀ごろから今も残るジュピター神殿やバッカス神殿が建てらたそうです。
ビーナス神殿もあるのですが、発掘が進んでいないそうです。

ジュピター神殿

バールベックの象徴ともいえるのが、このジュピター神殿の6本の大列柱です。
baalbek6

高さ22mもある大列柱です。

baalbek1
下から見上げると、さらにその大きさに圧倒されます。
パルミラの列柱も見事ですが、大きさではバールベックのほうが大きいです。
見ごたえがあります。
デカい物好きの私は、パルミラの列柱よりもバールベックの列柱のほうが好きです。

そして、こちらはジュピター神殿の雨といのライオンです。
baalbek3
精巧な彫刻です。
もともとは屋根に取り付けられていたそうです。
ライオンの口から水が出てたんでしょうね。

バッカス神殿

バールベックの遺跡の中で、一番保存状態のよい神殿がバッカス神殿です。

baalbek4
こちらがバッカス神殿です。
柱や祭壇なども残っていて、内部にも入れます。
baalbek7 baalbek2

高さ28m、幅34m、奥行き69mもあります。
大きさに圧倒されます。
ここまでよい保存状態で残っているのはすごいです。

バールベックは中東三大遺跡とも呼ばれるだけあり、さすがに見ごたえがあります。
遺跡好きならぜひ行ってほしいところです。

 

世界遺産ビブロス

続いてビブロス観光です。
ビブロスは首都ベイルートから北に30kmの地中海沿い位置しています。
ベイルートからはバスで1時間くらいで着きます。

ビブロスの場所はこちら

「ビブロス」の名前は「バイブル(聖書)」の語源となったとも言われています。

もともと「ビブロス」はギリシャ語で「パピルス(書物)」を意味する言葉だったそうです。
そして「ビブロス」から「ビブリオン(本)」という言葉になり、最終的に「バイブル(聖書)」の語源になったと言われています。

ビブロスの歴史

ビブロスはフェニキア人の発祥の地であるそうです。
その後、ローマ帝国、そしてイスラムの支配下となりました。
十字軍の時代には要塞化されたそうです。
しかしその後衰退してしまったそうです。

要塞遺跡

一番目につくのは十字軍時代の要塞の遺跡でしょう。

lebanon3
いかにも要塞という、武骨な感じの遺跡です。
要塞だけではなく、地中海に面した居住地の跡もあります。
フェニキア時代、ペルシャ時代、ローマ時代、十字軍時代の遺跡が混在しています。
lebanon2

この写真では分かりにくいですが、青い地中海に遺跡が映えます。
レバノンでは、このように地中海と遺跡が溶け込んだ光景が見所です。

今はまだ政情不安がありますが、平和になってみんなが楽しく旅行ができるレバノンになってほしいです。

世界遺産ティルスの様子はこちら

ヨルダン旅行記 世界遺産ペトラ遺跡

中東の国ヨルダン
最近は、ISIL(イスラム国)との戦闘がニュースになっています。
シリアやヨルダンなど、中東の国にたいして、怖い国という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
※外務省の渡航情報では注意喚起レベルなので、そこまで逼迫はしていないようです。

私がユーラシア大陸横断旅行中に訪れた2002年当時は、とても安全な国でした。
また、ヨルダンにはペトラ遺跡死海など見どころも多い国です。

jordan

エジプトからアカバ湾をフェリーで渡りヨルダンに入った後、まず最初に目指したのがペトラ遺跡でした。

世界遺産ペトラ遺跡

ペトラ遺跡はヨルダンの観光地でも一番有名なところではないでしょうか。
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のロケ地になったことで有名です。
(英語ではIndiana Jonesなので、インディアナ・ジョーンズと読みます)

また、新・世界七不思議にも選ばれています。

ペトラは自然の要害であるとともに、交易の要衝として遊牧民のナバタイ人の都として栄えていたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下となりましたが、あまり歴史の舞台には出てこなかったようです。
19世紀になって、スイス人の探検家により世界に紹介されたそうです。

ペトラ遺跡の場所はこちら

国境の町アカバからはクルマで2時間ほどです。

ペトラ遺跡観光

ペトラ遺跡観光の拠点ワディ・ムーサに到着し、バックパッカー向けの安宿に泊まりました。
宿で「インディアナ・ジョーンズの映画を観るか?」と宿の人にすすめられました。
特に観たくはなかったので、観ませんでしたが、見ておいてもよかったかなとも思います。

そして翌日いよいよペトラ遺跡観光です。

宝物殿エルハズネ

ペトラ遺跡最大の見どころがいきなりやってきます。
シークと呼ばれる両側を壁に囲まれた峡谷の道を歩いていくと、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のクライマックスで使われたエルハズネが見えてきます。

petra1

この時点でけっこうテンションが上がります。
徐々に全体像があらわになってきます。

そして、エルハズネの全体が見えました。

petra2

インディ・ジョーンズの世界です。

圧倒されます。
赤い砂岩の壁を削ってこれだけのものを作るのですからすごいです。

写真の左下に人がいるので、その大きさがわかるのではないでしょうか。
ちなみに幅 30 m、高さ 43 mにもなるそうです。
この光景を見られるだけで、ペトラ、ヨルダンに来てよかったと思えました。

数多くの遺跡

しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではありません。
エルハズネ同様岩を削って造られた、ローマ時代などの数多くの遺跡があります。

petra3

petra6

ペトラ遺跡はかなり広大な範囲にわたっています。
エルハズネと並ぶ見どころであるエド・デイルはかなり奥、山の上にあります。
1時間半くらいかかったと思います。

こちらがエド・デイルです。
petra4

美しい遺跡なので、長時間歩いた価値があったと思いました。

せっかく長い時間かけて山を登ったので、ちょっと山の上からたそがれてみました。

petra7

私は世界50か国以上を旅行し、色々な遺跡を見てきましたが、ペトラ遺跡は間違いなく上位にランクインされます。

ヨルダンは、現時点の外務省渡航情報では注意喚起までで、シリアのように退避勧告が出ているわけではないです。
とはいえ、現状行きにくい国になってしまっていると思います。
みんながそんなことを気にせずペトラ遺跡を観光できる日が来てほしいなと思います。

首都アンマンと死海の様子はこちら

 

ペトラのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

シリア旅行記 世界遺産アレッポ 石鹸が有名でした

アレッポはシリア北西部、トルコとの国境近くにある町です。
5000年の歴史を持つ町といわれており、アレッポ市街は1986年に世界遺産に登録されました。

アレッポの場所↓↓

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れてました。
シリアのアレッポを観光したときのことを書きたいと思います。

世界遺産アレッポ

その中にあるアレッポ城は、紀元前10世紀に当地に築造された神殿を原型とする古城だそうです。

Aleppo_citadel001

異国情緒を醸し出すいい感じのお城ですよね。
(写真が手元になくWikipediaの写真をお借りしています)

トルコの国境近くにあるアレッポは歴史もあり、とても魅力的な町です。
しかし、シリアの内戦、そして現在はISIL(イスラム国)のために荒れ果てしまっているようです。
そして、シリアの他の世界遺産と同様に危機遺産となってしまっています。

今、アレッポと聞くと、「テロ」とか「危ない」というイメージがもたれているのではないかと思います。
それは、本当に残念でなりません。
以前を知る人は、みんな同じような思いを持っているのではないかと思います。

アレッポは私が観光した2002年はとても活気があって、楽しい町でした。
当時のシリアでは、首都ダマスカスに次いで第2位の町でした。

アレッポの石鹸

お肌のお手入れに敏感な女性はよく知っているかもしれませんが、アレッポと言えばアレッポの石鹸が有名でした。
アレッポに行く前は知らなかったのですが、アレッポの石鹸はオリーブオイルとローレルオイルで出来ていてお肌にとても良い石鹸です。
シリアに行く前に知り合った女子バックパッカー達からは「アレッポ行くなら石鹸買って送ってね」と言われるくらい人気の品でした。

なんか粘土みたいで、本当にこれがその石鹸?という感じです。
が、切ってみると


美しいエメラルドグリーンです。
石鹸はけっこう重いので、頼まれた人には送りましたが、いくつかは自分で使ってみました。
確かにすべすべになりました。

アトピーの人にもあげましたがすごく喜んでくれました。
実際に使った感想を聞くと、肌に潤いができて痒みが少なくなったと言ってました。

天然の成分で出来た、最高級の石鹸はとてもよい物なのだな、と実感しました。

そんなアレッポの石鹸も、内戦やISILにより供給が不足するようになってしまっています。
でも、そんな状況の中、頑張っているアレッポの方々がいるのです。

歴史もあり、建築物もあり、お土産もある、そんなアレッポは当時のシリアではダマスカスに次いで第2位の町でした。
アレッポにあるスーク(市場)は当時、世界最大規模とも言われていました。
しかし、内戦により半分が消失してしまったそうです。
本当に残念でありません。

「みんなが笑顔になれるアレッポ」に戻り、再び観光できる日を待ち望んでいます。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

シリアには、天空の城と呼ばれるクラック・デ・シュバリエがあります。
世界遺産の「クラック・デ・シュバリエとカラット・サラーフ・アッディーン」の一部です。
バックパッカー旅行で50か国訪れ色々な城を見てきましたが、その中でもとても美しいお城でした。
私はシリアの観光地の中で、ここが一番好きでした。

クラック・デ・シュバリエ場所はこちら

世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

拠点となるのはホムスという町で、そこから日帰り観光ができました。
この小高い丘の上にある美しい城が、クラック・デ・シュバリエです。

Krak

しかし、空爆によりこの美しい城クラック・デ・シュバリエの一部が破壊されたようです。
とても残念です。
内戦やISILによって、荒れてしまうことが本当に残念でありません。

写真にはあえて載せませんが、クラック・デ・シュバリエに行く途中に出会ったシリアの人々は本当に笑顔がよく、素敵な人々でした。
イスラム教というと怖いイメージを持つかもしれませんが、シリアの人たちはいい人が多かったです。

天空の城?

ちなみにクラック・デ・シュバリエは、ジブリ好きな日本人で、天空の城ラピュタのモデルとも言ってる人もいますが多分違うでしょう。
※以前書いたカンボジアのベンメリアもラピュタのモデルと言われますが、それに比べればまだ現実的かも。いずれにしろジブリの公式見解にはありません。

写真では分かりにくいですが、緑と美しい城のコントラストがとても美しかったです。

Krak0

ラピュタのモデルかどうかは別として、なんとも幻想的で素敵なお城です。
観光に来て良かったなー、と心底思いました。

当時のシリアの余談

ちなみに当時クラック・デ・シュバリエを始めとした観光地は通常の入場料と学生料金でだいぶ金額が違っていました。
通常ですと入場料300シリアポンド(US$6くらい)のところが、学生だとなんと15シリアポンド(US$0.3くらい)と1/20の料金でした。
バックパッカーの中ではシリアの学割の話は有名だったので、私はエジプトのカイロで偽学生証を作って使ったのもです。。。深くは突っ込まないでください。。。

美しい風景

シリアは中東なので砂漠のイメージがあるかもしれませんが、実は美しい緑もある国です。
私はちょうど4月といういい季節に行けたので、美しい花も見ることができました。

syria3

緑、黄色、赤の草花の色と空の青がとてもきれいです。

広い大地を車に乗りながら、美しい風景を見るのはとても気持ちがよかったです。
こんな素敵な風景に出会えたシリアは本当に好きな国です。
また旅行できる日が来てほしい、と切実に願っています。

シリアの世界遺産パルミラの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産パルミラ

シリアにある世界遺産の一つがパルミラです。
ヨルダンのペトラレバノンのバールベックとあわせ中東三大遺跡ともいわれている観光スポットです。

ペトラの様子はこちら
バールベックの様子はこちら

メソポタミアやペルシャと地中海の都市を結ぶ、砂漠の中のオアシス都市として栄えていたそうです。
そのため、パルミラにはローマ時代の遺跡が残っています。
※現在は危機遺産となっています。

パルミラ(ホムス県タドムル)の場所はこちら

首都ダマスカスの北東250kmくらいのところ、シリアの真ん中くらいにあります。

パルミラ遺跡

2001年~2002年のユーラシア大陸横断バックパッカー旅行の中で訪れた遺跡の中でも見ごたえがある遺跡でした。

パルミラには美しい柱などが残っています。
これらはの遺跡は紀元前から紀元3世紀ごろまでに建てられたものだそうです。
2000年前の建築物が目の前にあるわけですから、すごいですね。
Palmyra2

広い範囲に神殿やローマ劇場などがあります。
柱が並んでいる列柱道路などは、見ごたえがあります。
当時のアナログ写真をスキャンしたため薄暗い感じの写真しか残っていないのが残念ですが、実物を見ると色鮮やかです。

そして少し離れた岩山の上にはアラブ城と呼ばれる城があります。
Palmyra1
中東の城って感じでですね。
この城の上からはパルミラ遺跡の全体を眺めることができるので、ここからの眺めもとてもよいです。

Palmyra3

砂漠の中に緑があり、オアシス都市ということがわかります。
古い写真で薄暗いのでわかりにくいとは思いますが。。。

パルミラはシリアの中でも、特に有名な遺跡ですので、平和だった2002年当時は観光客がたくさんいました。
有名な観光地のため、観光客向けのラクダ屋が日本語で声をかけてきたものです。
「ラクダは楽だ~」
と、誰が教えたのか、日本語で話しかけてきます。

※パルミラに限らずしょうもない日本語を現地の人に教える人がけっこういます。当時の流行りのギャグとかを教えて、古っ!と思うこともしばしばあります。

このラクダ屋けっこうしつ濃かったです。
バックパッカーの中でもパルミラのラクダやは評判が悪く、私自身も若干切れたのを思い出します。

当時はうざかったのですが、今思うと平和だったからこその光景だったといえます。
楽だ~という人に会いたいわけではないですが、再びシリアに行ってパルミラ遺跡を旅行できる日が来ることを待ち望みます。

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ダマスカス

2002年当時、世界遺産ボスラのローマ劇場内の宿泊施設に泊まれました。
バックパッカーとして50か国以上を旅行してきましたが、世界遺産で一夜を明かすという貴重な経験でした。
そしてその後、首都ダマスカスを目指しました。
シリアの移動は、基本的にバスです。

世界遺産 古代都市ダマスカス

ボスラから2時間程度で首都ダマスカスに到着しました。
ダマスカスは最古の都市とも言われる古代都市で、町自体が世界遺産になっています。
※現在は危機遺産になってしまっています。

その歴史は紀元前4000年からとも言われています。※諸説あります。
いずれにしろ、古代より交易の中心となるオアシス都市でした。

交通の要衝であっただけに、アレクサンダー大王の支配下や、ローマ帝国の支配下になったりしています。
※シリアはイスラム教の国であり、そのイメージが強いでしょうが、ローマ時代の遺跡がたくさんあります。

その後、7世紀にイスラムの国であるウマイヤ朝の首都となりました。
そして、現在までシリアの主要都市として続いています。

ウマイヤド・モスク

ウマイヤ朝の首都となったダマスカスに作られたのが世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクです。
ダマスカスでだれもが訪れる観光スポットです。

ウマイヤド・モスクを訪れると、なぜか「俺を写真に撮ってくれ」と言ってきたシリア人がいたので、一緒に写真に撮ってあげました。

Umayyad1

その後、この人は片言の英語で案内してくれました。
バックパッカー旅行をしている中で、向こうから声をかけてくる人間はだいたい怪しい人が多いのですが、この人は問題ありませんでした。

※油断してはいけませんが、避けすぎると旅の醍醐味もなくなってしまいます。コミュニケーションをとりながら、その人を判断する目が重要です。ちょっとでも危険を感じたら逃げましょう。

ウマイヤドモスクについてですが、自分自身の知識がないため以下、Wikipediaからの引用です


ウマイヤド・モスク(Umayyad Mosque, Arabic: جامع بني أمية الكبير)とは、ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年(ヒジュラ暦86年)にダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクであり、世界最大級のモスクのひとつでもある。世界遺産「古代都市ダマスカス」の一部である。

もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会であったが、7世紀になってダマスカスがムスリムの支配下に入り、10年の歳月を費やして敷地全体がモスクへと改装された。このため、通常のモスクとは違いローマ建築・ビザンティン建築の様式が色濃く出ている。

カアバ、預言者のモスク、岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として、現在も巡礼者が絶えない場所である。また、内部には当初から洗礼者ヨハネの墓があり、キリスト教徒にとっても重要な巡礼地のひとつである。2001年にはヨハネ・パウロ2世が訪れている。


出典:Wikipedia

というように歴史のあるモスクなわけです。
正直、訪れた当時はここまでの情報は知らなかったのですが、こういう歴史的な事実を知っていたほうが旅先での感動があると思います。
事前に知識を入れることも重要ですね。

モスク以外でのダマスカスの観光スポットとしては、スーク(市場)も大きくて楽しいです。
食べ物、服、アクセサリーなどいろいろあり、活気があって楽しかったです。

どんな国でも市場は楽しいもんです。
早く平和になって、楽しいダマスカスに戻り、また旅行できる状況になってほしいです。

ダマスカス以外のパルミラやクラック・デ・シュバリエなどの遺跡も観光できる日が来てほしいです。

世界遺産パルミラ遺跡の様子はこちら

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ボスラ

現在のシリアは危険な国になってしまいましたが、もともとは本当にいい国でした。
バックパッカーとして50か国以上旅行しましたが、確実に行って良かった国の上位に来ます。

私は2001年から2002年にかけてユーラシア大陸横断旅行に出ました。
その中でシリアに行ったのは2002年の4月でした。

本当にいい国で、見ごたえのある観光スポットが多く、いい思い出がたくさんあります。
もともとのシリアのよさをお伝えしたいと思っています。

世界遺産古代都市ボスラ

エジプトからヨルダンを経て、シリアに入ったのですが、最初の町がボスラでした。
ボスラってちょっと怪獣的な名前ですね。

ボスラの場所はこちら

ヨルダンの国境からすぐそこです。
車で1時間くらいで、ボスラに着きます。

日本ではあまり知られていないと思いますが、古代都市ボスラは世界遺産になっています。
その歴史は紀元前までさかのぼるそうです。

ボスラ観光

ボスラについて早々町を観光しました。
2002年当時のボスラの遺跡の写真です。

bosra3

※あくまでも遺跡の写真ですので、破壊されたわけではありません。誤解のないように。

bosra4

ボスラのよかったところは、このような遺跡が町の人にとっては当たり前の光景で、生活に溶け込んでいたことです。

世界遺産の遺跡で、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
外国人観光客に会えるのがうれしいのか、私に寄って来て写真をせびってきたりしました。
※十年以上前とはいえ顔写真を載せるのは控えます。

人懐っこくて、純粋でかわいい笑顔でした。
このような笑顔が、現在のシリアではどうなっているのかが本当に気になります。

ボスラのローマ劇場

ボスラは遺跡とともにある町なわけですが、一番の観光スポット・見どころと言えるのがローマ劇場です。
シリアでローマ遺跡というと意外に思う人もいると思いますが、シリアは古代ローマ帝国の勢力圏内に位置しているのでローマの遺跡がたくさんあります。

そのボスラのローマ劇場がこちらです。
bosra

当時のアナログ写真をスキャンしているので、ちょっと暗いですが、見ごたえがあります。
bosra2

半円形で階段状の劇場で、客席は急階段かなりの人数が座れるようになっています。
ローマ時代にここで演劇などがなされていたかと思うと、歴史を感じます。

しかも、現在では到底無理ですが、2002年当時はこの建物の中に宿泊施設があって泊まれました。
世界遺産の中に泊まれるっていう経験ができたのは本当に貴重です。
一泊$10くらいだったと思います。
部屋は簡素でベッドがあるくらいでしたが、世界遺産の中で眠れるだけで価値があります。

泊まれるので、夜中に劇場の舞台に立って、歌いました。
とても気持ちよかったです。

美しい星空を見ながら、世界遺産の遺跡の劇場の舞台で歌を歌うなんて、今では絶対にできない経験です。

本当に、いい思い出です。
初めての町からシリアが好きになりました。

早く平和な状況になって、再びシリアを旅行できる日が来てほしいです。

首都ダマスカスの様子はこちら

カンボジア旅行記 ベンメリア アンコール遺跡

バンテアイスレイの翌日に観光したのがベンメリアです。
もちろんアンコール遺跡群の一つです。

天空の城ラピュタっぽいと言われているところで、近年日本人観光客に人気があるそうです。

ベンメリアの情報

シェムリアップから北東に40km、車で1時間ちょっとのところです。

ベンメリアとは蓮池という意味です。

アンコール・ワットよりも前、11世紀末-12世紀初頭に作られたといわれているそうです。
その規模はアンコール・ワットをしのぐ規模かもしれないそうです。

バックパッカーだった2003年にカンボジアに旅行に来たときには行かなかったので、初めての場所です。
その当時はそこまで有名ではなかったと思います。
当時は道も整備されていなくて、地雷がまだ埋まっており、観光に行く人は少なかったのだと思います。

ベンメリア一日旅行

さて、このような田園風景を眺めながら移動します。

s_IMG_0278 (1)

我々はクルマで移動していたのですが、途中で自転車で移動する欧米人と出くわしました。
地雷がなくなったからこそできるわけです。
平和は大切だな、と思いました。

そして、ベンメリアに到着するとまず蛇神ナーガがお出迎えをしてくれます。

s_IMG_0279 (1)

その後、崩壊した門が待っています。

s_IMG_0282 s_IMG_0284 (1)

なお、これは自然の崩壊ではありません。

ベンメリアはポル・ポト派が逃げ込み拠点としました。
そして、ポル・ポト派を掃討するためにベトナム軍が砲撃した跡です。

遺跡というと自然の崩壊をイメージしますが、ここは人間が崩壊に手を貸してます。
埋まっていた数多くの地雷が撤去され、一般公開された後、この崩壊具合がラピュタっぽいと言われ、人気の観光地となったというのはなんとも皮肉な感じです。

なお、ポル・ポト派は大量虐殺をしたため、カンボジアは年老いた人が少ないです。
ベンメリアに行ける平和な時代になってよかったと思います。

ベンメリア観光

門を迂回して、中に入ります。

s_IMG_0287

砲撃により崩壊した遺跡に木が絡みついています。

s_IMG_0295 (1)

幻想的な雰囲気が漂っています。
素直にすごいなー、と思える光景が見られる場所です。

s_IMG_0285 s_IMG_0299

ラピュタっぽいと言う気持ちも分からなくはないです。

s_IMG_0312 s_IMG_0316

このような光景を見てラピュタのモデルだと言い始めた日本人がいたのでしょう。
しかし、ベンメリアが一般に公開されたのは2000年ごろです。

ラピュタの公開は1986年です。
それまでは地雷が埋まっており、一般人は近づくことができませんでした。
ですので、ラピュタのモデルとなったは明らかに嘘だとわかります。

ベンメリア以外にも、「ペルーのマチュピチュ」「シリアのクラックデシュバリエ」なんかもラピュタのモデルと言われているようです。

ラピュタ以外でいうと風の谷のモデルは「パキスタンのフンザ」「トルコのカッパドキア」なんて話もあったり、「魔女の宅急便の町は「クロアチアのドブロブニク」なんて言われてたりしてます。

今の時代、情報があふれており玉石混交の状態ですが、どれを取捨選択するかは自分自身で判断する必要があるでしょう。
下記公式サイト以外の話は、信用しないほうがよいのでは、と個人的には思います。

スタジオジブリ – STUDIO GHIBLI – 作品の舞台はどこですか?

とはいえ、私はジブリ自体に興味がないのでどうでもよいのですが、楽しみ方は人それぞれ。
日本人はジブリネタが好きなので、このような噂でベンメリアに行く観光客が増え、カンボジアの経済に多少なりとも貢献するなら、それはそれでいいかとも思います。

 

どうでもいいことを書いてしまいましたが、ベンメリアは遺跡と、戦争の傷跡と、自然の力と、今を生きる人の夢が融合した素敵な場所です。
間違いなく観光する価値はあります。

このような幻想的な光景を、それぞれの想いで楽しんでみてください。

アンコール遺跡群は本当に見どころが多いので、ぜひ訪れてみてください。

アンコール・ワットについてはこちら

 

シェムリアップのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

カンボジア旅行記 バンテアイ・スレイ

アンコール・ワットを見た翌日、今度は少し離れた見所のバンテアイ・スレイを観光しました。
ここもバックパッカーだったころの2003年にも旅行で来ており2回目です。

赤い砂で作られた寺院で、レリーフがとても美しいです。
東洋のモナリザとも呼ばれるデヴァター像(女神像)があり十分に見る価値があります。

バンテアイ・スレイ観光

バンテアイ・スレイシェムリアップから北に40キロほど、車で1時間くらいのところにあります。

967年に建てられたヒンズー寺院で、赤い砂岩でできており、レリーフがとてもきれいな寺院です。
バンテアイは砦、スレイは女という意味で、あわせて「女の砦」という意味だそうです。

s_IMG_0253 (2)

緑の中に赤い遺跡が映えます。
とても美しい遺跡で観光客からも人気があります。
シェムリアップからは少し離れていますが、多くの観光客が来ています。

10年前、2002年はここまで観光客はいなかったと思います。
アンコール・ワットに来る観光客自体が少なかったのと、当時はまだシェムリアップ周辺の地雷の撤去が不充分だったからかもしれません。
今ではすっかり旅行がしやすくなりました。

東洋のモナリザ

バンテアイ・スレイの象徴ともいえるのが、東洋のモナリザとも言われるデヴァター像です。

フランスの作家アンドレ・マルローがこのバンテアイ・スレイの壁面に彫られたデヴァター像に魅せられて、盗んで国外に持ち出した事件がおこったそうです。
その事件により、有名になったため観光地となりました。

Devata1 Devata2

現在はデヴァター像の周りにはロープが張られ近づくことができないため、写真では小さくしか映ってないです。
ちゃんとしたカメラもってなくてスマホで撮ったものなのでご了承ください。

盗みたくなる気持ちも分からなくもない、とてもきれいな像です。

10年前はもう少し近づくことができました。
遺跡の保護のためには仕方ないですね。

レリーフ

バンテアイ・スレイは決して大きい遺跡ではありませんが、その精巧なレリーフは見る価値があります。

入り口の門から見事なレリーフがあります。
門に彫られているのは象に乗るシバ神です。

Banteay3 Banteay2

ヒンドゥー教の寺院なので、ヒンドゥー教に関するレリーフが色々とあります。
全体的に凹凸や曲線が美しい、精巧な彫りのレリーフです。

Banteay6 Banteay5

バンテアイ・スレイはシェムリアップの町から少し離れており、オプションツアーになるケースが多いと思いますがm一見の価値はあります。
せっかくシェムリアップアンコール・ワットに旅行に来るのであれば、バンテアイ・スレイまで足を運んでみるとよいと思います。

アンコール・ワットの様子はこちら

 

シェムリアップのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

カンボジア旅行記 アンコール・ワット

いよいよ今回の旅行のカンボジアメインの観光、世界遺産アンコール遺跡群です。

アンコール遺跡群は、有名なアンコール・ワットだけでなく、アンコール・トム、バンテアイ・スレイ等広い範囲に数多くの遺跡がありますその総称となっています。

入場券の料金は1日券US$20、3日券US$40、7日券US$60です。

とても広く1日ではとても回り切れないので、我々は3日券を購入し3日間観光しました。
顔写真を撮られて、入場券に印刷されるので、複数人での不正利用はできません。

バックパッカーの頃も3日券を買いました。
せこいバックパッカーにとってもUS$40払うだけの価値がある世界遺産です。

アンコール・ワット観光

初日はアンコール・ワットアンコール・トムを中心とする地域を回りました。

アンコール・ワットは世界三大仏教遺跡と呼ばれています。
残り二つはインドネシアのボロブドゥールミャンマーのバガンです。
私は三大仏教遺跡の全てを観光したことがあるので、残り二つについてもそのうち書きます。

アンコール・ワットは12世紀前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、もともとヒンドゥー教の寺院として建てられました。
そしてその後、仏教寺院となっているためヒンドゥー教の色が強いです。

メインであるアンコール・ワットはシェムリアップの町から車で10分程度です。
遠くから、アンコール・ワットの堂々とした姿が見えてきます。

Angkorwat1

とても美しいです。
10年ぶり、2回目の観光ですがやはり感動します。

Angkorwat3

もう少し近づいた写真です。水面に逆さアンコール・ワットが見えます。

ただ、残念ながら当時一部修復中だったため、緑の建物がありました。
ちょっと違和感がありますね。
でも、10年ぶりに見るアンコール・ワットは素敵でした。

アンコールワット内部とレリーフ

アンコール・ワットの内部に入ると遺跡を間近で見ることができます。

Angkorwat4

アンコール・ワットの壁には一面にレリーフが掘られています。

Angkorwatwall

先ほど書いたように、アンコール・ワットはもともとヒンドゥー教寺院のだったので、レリーフも「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の物語となっています。

中央祠堂

アンコール・ワットの中央に位置する中央祠堂は登れます。

10年前は本当の遺跡の階段を登れました。かなり急で怖かったです。
が、遺跡を守るためだと思いますが、木の階段が作られていました。
それでもけっこう急です。相方は怖いからと登りませんでした。

上からの風景もいい感じなので、高所恐怖症でなければ登ってみて下さい。
Ankorwat5

アンコール・トム観光

アンコール・ワットからアンコール・トムへ移動しました。
アンコール・トムはアンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡です。
大きな町という意味だそうです。

南大門

アンコール・トムの入り口が南大門です。

s_IMG_0214

多くの観光客が訪れています。
左右には蛇神ナーガの胴体を引っ張る神々と阿修羅の像があります。

s_IMG_0216 (1)

南大門には巨大な顔が掘られています。
顔が3mもあるそうです。
Angkorthom1 Angkorthom2

バイヨン

アンコール・トムの中心に位置する巨大な寺院がバイヨンです。

byon

中央祠堂をはじめ、塔の4面に顔が彫られています。
観音菩薩であろうと言われています。
巨大な遺跡に圧倒されます。

50か国以上を旅行した経験がありますが、やはりアンコール遺跡は見ごたえがあります。

東洋のモナリザと呼ばれるレリーフがあるバンテアイ・スレイやガジュマルの木が遺跡に絡みついているタ・プロームなど見どころが満載です。
1日だけでもかなり充実した観光ができますが、やはり他の地域も含め3日は欲しいところです。

バンテアイ・スレイの様子はこちら

 

シェムリアップのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索