中国

中国のおすすめ料理 各地の名物料理編

私はバックパッカーとして中国には6回訪れ、合計で6か月くらい滞在しました。
北京や上海はもちろん、四川、新疆ウイグル自治区などいろいろいきました。

中国はとても広いので、各地にいろいろな名物料理があります。

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私が食べた中でのおすすめの名物料理をお伝えします。

北京:北京烤鴨(ベイジンカオヤー)

北京ダックです。
パリパリに焼いた鴨の皮を削ぎ切りにして、餅(ピン:日本の餅ではなく薄い小麦粉の皮)の上にネギと甜麺醤を一緒に乗せて丸めて食べます。
北京ではファーストフード的な感じで出す安い店なんかもありますが、やっぱりここは全聚徳など、それなりのところで食べたいですね。
中国では日本より格安で食べれますので、バックパッカーだった私も食べました。

成都:麻婆豆腐(マーボードウフー)

四川料理の本場成都にある麻婆豆腐発祥の店、陳麻婆豆腐店で食べましょう。
麻婆豆腐は唐辛子の辛さもあるのですが、花椒(山椒の仲間)がきいていて舌がビリビリと痺れます。
この痺れる感じを中国では麻(マー)といいます。
甘い、辛いという感じと同様に、痺れるというのも味覚の一つです。

最近は日本でもだいぶメジャーになってきたかなと思いますが、苦手な人は苦手かも。
でも、私はこの本場のビリビリする麻婆豆腐のほうが好きです。

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※こちらは日本の陳麻婆豆腐店の写真です。
花椒をさらに追加しました。

日本でよく食べられる麻婆豆腐は陳建民がアレンジしたものですね。
ちなみに坦々面も、日本で食べられているスープ入りのものは陳建民がアレンジしたものです。
料理はその地域や風土、味覚に合わせて変遷していくもので、なにが正当っていうものではない気もします。

成都:担々麺(タンタンミェン)

本場成都の坦々面は汁無し。
小さいお椀で軽く食べるおやつみたいな感じです。
成都に行ったらせっかくなので、坦々面も食べて見ましょう。

杭州:東坡肉(トンポーロウ)

豚の角煮の起源といわれる料理です。
杭州は上海から2時間くらいで着く町です。
煮込んだ後、蒸すようです。(食べたのですが蒸したかどうか破棄にしてなかった)
うまいです。

新疆ウイグル自治区:羊肉串(ヤンロウチュェン)

シシケバブですね。
羊肉を鉄串にぶっ刺し、香辛料をまぶして焼くものです。
もともとはイスラム圏(中国の中で言うと新疆ウイグル自治区)の料理ですが、中国全土に広がっています。
羊肉は臭いがありますが、香辛料でカバーしてます。
安い、早い、うまいです。
においが苦手な人も多いですがが、試す価値はあると思います。

新疆ウイグル自治区:ラグマン・拌麺(バンミェン)

ウイグル語ではラグマン、中国語では拌麺です。
聞いたことない人も多いと思いますが、中央アジアでよく食べられる麺です。
意外ですがトマトベースのソースです。
イスラム圏の料理のため、羊肉を使用します。
そのためちょっと臭いがきつい場合もあるので、苦手な人もいるかもしれません。
でも、トマトソースのうどんみたいでけっこうはまります。

残念ながら上海で上海蟹は食べておらず、広東行ってないので、広東料理も食べてません。
上手いと聞くので、いずれ食べてみたいですね。
ここまで読まれてがっかりした人は、ぜひ現地で上海蟹とかフカひれとか食べてみてください。

でも、実はその辺の食堂で食べられるものにもおいしいものは多いです。

中国のおすすめ料理 食堂編

中国のおすすめ料理 食堂編

私はバックパッカーとして中国には6回訪れ、合計で6か月くらい滞在しました。
もちろん滞在中はほとんど中華料理です。
でも中華料理が大好きなのでなんの苦痛もありません。

中華料理はおいしいですね。

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たくさん食べた中で、私のおすすめメニューをお伝えします。
今回はバックパッカーの懐にやさしい一般的な食堂の料理をお伝えします。

中国語の読み方についても記載しましたのでご参考にしてみてください。

一品料理

西紅柿炒鶏蛋(シーホンシーチャオジータン)

トマトと卵の炒め物です。
初めて食べたときはビックリしました。
イタリアンでもないのにトマトを料理に使い、しかもめちゃくちゃうまい。
家常菜(ジアチャンツァイ)と呼ばれる家庭料理です。
その辺の食堂で食べれます。
たいがいどこで食べてもうまいです。
ちなみに「西紅柿」がトマト、「炒」はそのまま炒める、「鶏蛋」は卵です。
中華料理のメニューは日本人には分かりやすいと思います。

魚香茄子(ユーシアンチエズ)

日本でいうところの麻婆茄子に近いです。
※麻婆茄子という料理名は中国では存在しません。
魚香といっても魚の料理ではなく、泡辣椒(パオラージャオ)という唐辛子の塩漬けした調味料を使います。
茄子は油との相性がよいので、中華料理の茄子はとてもおいしいです。
もともと茄子が苦手だったのですが、中国で初めて魚香茄子を食べた後、大好きになりました。

紅焼茄子(ホンシャオチエズ)

同じ茄子料理ですが、こちらは醤油煮込みになります。
とはいえ、唐辛子も使うのでちょっとピリ辛です。
いずれにしろ、中華の茄子はうまいです。

鍋巴(グオパー)

おこげの餡かけです。
多くのお店ではご飯のおこげを皿に盛った後、テーブル上で餡をかけます。
ジュワー、パキパキパキ、という音がして、視覚的にも聴覚的にも刺激されます。
グループで行って頼むと盛り上がること間違いなしです。

糖醋里脊(タンスーリージー)

日本でいうところの酢豚です。
ただ、野菜などは入っていなくて、揚げた豚肉に甘酢を絡ませたものが多いです。
うまいですよね。

宮保鶏丁(ゴンパオジーティン)

鶏肉のピーナツ炒め(鶏肉のカシュ―ナッツ炒め)
基本的にははピーナッツです。
四川料理なのでピリ辛でおいしいです。

青椒肉絲(チンジャオロースー)

日本でも有名ですね。
でも、日本では牛肉を使うことも多いですが、中国では豚肉です。
青椒がピーマン、肉絲は肉の細切りという意味です。
無難にうまいです。

主食系

一品料理だけでなく、一人でランチを食べるときなどの強い見方が炒飯や麺ですね。
おすすめの主食系料理をお伝えします。

蛋炒飯(タンチャオファン)

そのまま、卵チャーハンです。
シンプルですがうまいです。
そして安い。

揚州炒飯(ヤンジョウチャオファン)

五目チャーハンです。
卵だけじゃちょっと寂しい人はこちらをどうぞ。

水餃(シュイジャオ)

水餃子です。
皮が厚く、プルプルしててうまいです。
中国では餃子と言えば水餃子です。

焼き餃子は鍋貼(グオティエ)と言います。
某餃子の○○で、「イーガーコーテー」っていうときのコーテー部分ですかね。

ちなみに中国では餃子は主食です。
餃子をおかずにご飯は食べません。
日本人がよくやる、餃子にラーメンに炒飯のセットなどは、中国人が見るとビックリします。
日本人は炭水化物が好きですね。

余談ですが、私は大阪出身ですが、お好み焼きとご飯は一緒に食べません。

刀削麺(タオシャオミエン)

日本でもメジャーになってきました刀削麺です。
小麦粉の塊を湾曲した包丁で削る麺です。
プニプニにした触感が好きです。
スープはいろいろあるのでお好みで。
麺類には香菜(シャンツァイ)いわゆるパクチーが入ることが多いので、苦手な人は「不要香菜(プーヤオシャンツァイ)」と言いましょう。

いわゆるラーメン的なものでは牛肉麺がありますが、ラーメンは日本のほうがうまいと思うので私は好んでは食べません。
どうでもいい話ですが、中国では「麺」は「面」と書くので、牛肉面の文字を見て「牛肉づらって何?」と言ってる人がいました。

包子(パオズ)

肉まんですね。
手軽に食べれますし、安いです。
朝飯に軽く、なんて食べ方もよいですね。
その辺の屋台で売ってます。

素菜包子(スーツァイパオズ)という「野菜まん」もあります。
包子の具がないものを饅頭(マントウ)といいます。
日本のまんじゅうとは違いますのでご注意を。

また余談になりますが、饅頭の起源は、私も好きな三国志の諸葛亮が南征時に作ったっていわれてますね。

米飯(ミーファン)

最後になりますが、白米、ご飯のことは米飯(ミーファン)と言います。
が、やっぱり日本の米がうまいですね。

お米にこだわりがある人には、中国で食べる中華料理と一緒に味わうのはビールのほうがよいかもしれませんね。
私はお米にそこまでこだわりはなかったですが、ビールばかり飲んでましたが。。。

中国 北京のおすすめ観光地 見所ベスト5

バックパッカーとして初めて訪れた町が北京で、その旅行の印象が強くてバックパッカーになりました。
私の人生を変えた町、私のバックパッカーの原点と言えます。

様々な魅力的な観光地、見所があります。
これまでに50か国以上行きましたが、北京は好きな町です。
好きな町なので、これまでに何度も訪問しました。

今までに何度も北京を訪れた私のおすすめの観光地ベスト5をお伝えします。

1位:景山公園

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景山公園は故宮(紫禁城)の北に位置する公園です。
写真のように小高い丘の上から故宮(紫禁城)の全体を眺めることができます。
その光景は圧巻です。
また、北京市民の憩いの場となっており、朝は太極拳をしている人達なんかが多くいます。

私は一番好きな場所ですね。

景山公園の詳細はこちら

2位:頤和園

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頤和園は、世界遺産にも登録されてる庭園です。
頤和園には外周6kmもある人工の湖、昆明湖があるとてもきれいな庭園です。
冬は湖が凍って上を歩くことも可能です。

のんびりと歩きながら、美しい庭園を眺めるのが好きです。

頤和園の詳細はこちら

3位:万里の長城

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言わずと知れた世界遺産。
世界で一番長い建築物です。
北京から日帰りで行くことができます。
観光地だけあって人は多いですが北京に行ったら、見ないわけにはいかないですね。

万里の長城の詳細はこちら

4位:故宮(紫禁城)

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故宮(紫禁城)は清の時代、皇帝が住んでたところです。
ここも世界遺産です。
個人的には景山公園からの眺めが好きですが、一度は中に入ったほうがよいと思います。
映画ラストエンペラーに出て来た光景なども見ることができます。
中国皇帝の権力のすごさを実感できます。

故宮(紫禁城)の詳細はこちら

5位:天安門 天安門広場

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故宮(紫禁城)の入り口である門が天安門です。
赤い壁に巨大な毛沢東の肖像画が見れます。
天安門の南に位置する天安門広場は世界一広い広場とも言われています。
日の出と日の入り時にある国旗掲揚式と国旗降納式は見物です。

天安門の詳細はこちら

というわけで、北京のおすすめ観光スポットを5つ選んでみました。
私の個人的な順位ですが、ご参考にしてみてください。

観光地としては上記の5つですが、ご飯がおいしく、ビールも安いなどその他にも魅力的なものがいろいろありますよ。

中国バックパッカー旅行記 洛陽 嵩山少林寺

少林寺は日本人にとっても、馴染みのある名前ですよね。
ジャッキー・チェンの「少林寺木人拳」やジェット・リーの「少林寺」といった映画にもなっていて、嵩山少林寺は武術の中心地として有名だと思います。

もうちょっと最近だと、少林サッカーなんて映画もありましたね。

ただ、日本で知られている「少林寺拳法」は、実は20世紀初頭に日本で創始されたものです。
ですので、嵩山少林寺の武術とは別のものだそうです。

そんな嵩山少林寺を観光したのは、1995年のことです。

嵩山少林寺の概要

冒頭にも書きましたが、少林寺と言えば武術で有名ですが、少林寺拳法とは別物です。

禅宗の開祖達摩大師が修行したお寺と言われています。
達磨太師が壁に向かって9年間座禅し、二祖慧可が訪ねて達磨の教えを求めたといわれる場所です。

また、嵩山自体が道教の聖地ともいわれる五岳の一つとされています。
(他の4津は、泰山、衡山、華山、恒山)

嵩山少林寺への道

嵩山少林寺は古都洛陽から東に55kmのところに位置しています。
古都洛陽からは日帰り観光で行けます。

私と一緒に言った学生バックパッカーは、中国人観光客向けの現地ツアーで行きました。
外国人は我々だけでしたので、物珍しそうに周りの中国人から見られました。
喋りかけてくるのですが、当時の私はほとんど中国語が喋れなかったのであまりコミュニケーションはとれませんでした。
ですが、みんな我々気遣ってくれていい人たちでした。
中国人といえば、我が強く、マナーが悪いイメージですが(実際そうなのですが)、一般の方はやさしい方も多いです。

洛陽から嵩山少林寺までは、2時間くらいです。
中国製のオンボロマイクロバスで移動です。
1995年当時観光地の入場料には中国人料金と外国人料金がありました。
1995年当時の中国の様子はこちら

ですが、周りの中国人が優しくて中国人料金で入れてやるから絶対喋るな、と言ってくれました。(ほぼゼスチャーでのコミュニケーションです)
そして無事中国人料金で入場できました。
感謝です。

で、少林寺の入り口です。

少林寺観光

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少林寺内に入ると、広場で本当に修行僧たちが武術の修行をしてました。
映画で見たような光景で、けっこう感動しました。
小学生くらいの少年僧もいました。

※残念ながら、少林寺の中に入った後の写真は残っていませんでした。

また武術ショーなどもやっていましたが、それほど大がかりなものではありませんでした。
今では外国人観光客がたくさん訪れているようですが、1995年当時は外国人観光客はあまりいませんでした。

嵩山少林寺の建物は赤い壁の中国寺院です。
達摩大師が修業したというだけに歴史を感じられる作りです。
武術だけでなく、建築物や仏像なども見る価値がありますね。

今ではかなり観光地化されており、商売色が強くなっているそうですが、当時はそこまでの商売っ気はなかったです。
そう言う時期に行けたのはよかったなと思います。

洛陽の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 古都洛陽の龍門石窟と関林堂

もともとの中国滞在期間を一週間延長し、北京から鉄道で12時間。
その時の様子はこちら

中国の古都、洛陽に到着しました。
「洛陽」という言葉は、中国歴史好きにはたまらない響きです。

私は三国志が好きだったことが中国に来る動機となったくらいの三国志好きでした。
三国志などの中国の歴史好きにはたまらない?洛陽の観光についてお伝えします。

洛陽の場所と歴史

洛陽は首都北京から南に800Kmくらいにある内陸にある町です。

洛陽は古代から、しばしば中国王都の首都となりました。

古くは東周(紀元前1046年頃 – 紀元前256年)の時代に、洛邑と呼ばれる首都でした。
その後も、後漢や西晋、北魏、隋、後唐の首都となっています。
歴代の中国王朝の首都としては、長安(今の西安)と並ぶ存在です。

そんな洛陽に三国志好きだった私は、1995年初めてのバックパッカー旅行中に訪れました。

洛陽を訪れてみると、北京に比べるとだいぶのんびりした町でした。
宿は新市街だったのですが、旧市街にいくと古風な町並みがみれました。
1995年当時、人民服の人も北京より多かったかなと思います。

龍門石窟 観光

洛陽の最大の見所、観光地は世界遺産にもなっている龍門石窟です。
中国三大石窟のひとつであり、世界遺産にも登録されています。

ちなみにもう二つは、敦煌の莫高窟と大同の雲崗石窟です。
このときの旅行ではありませんが、私は三つとも訪れました。
三大○○といわれるとなんか気になってしまいますよね。

龍門石窟は北魏の時代から唐の時代まで約400年にわたって作られた仏教遺跡です。
伊河という川の岸にある壁に蜂の巣のような穴がに彫られ、その中に無数の仏像が彫られています。

仏像を近くから見るのもよいのですが、対岸からの眺めもすばらしいです。
蜂の巣のような無数の穴が開いた壁が一望できます。

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この穴の一つひとつには仏像が彫られているんです。
その数は全部で10万体とも言われています。

小さな仏像が多いのですが、17mもある大仏もあります。

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この大仏はとても大きくて迫力があるのですが、優しい顔をしており、親しみやすい感じでもあります。
龍門石窟には大小さまざまな仏像がありますが、非常に美しいものが多いです。

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ここまでの穴を掘って仏像を彫るのにはどれだけの人がかかわったのでしょう。
昔の人のすごさと、中国の歴史を感じられます。

滞在を延ばしてまで行ってよかったと思います。

関林堂(関帝廟)観光

洛陽は古都だけあって、そのほかにもいろいろと見所、観光スポットがあります。

その中でも三国志好きにとって、関心が高いのがのが関林堂(関帝廟)
三国志の武将、関羽の首塚として、関羽を祀る関帝廟です。

関羽といえば、三国志演義では青龍偃月刀を振りかざす豪傑というわけで、この関林堂にもあったりします。
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いちおう触ってみましたが、めちゃくちゃ重くて持ち上げることはできませんでした。
もちろん実際の関羽が使ったものではありませんよ。

三国志が好きな人にはたまらない観光スポットではないでしょうか。
私は関羽が嫌いなのですが三国志は好きなので、三国志ゆかりの地に足を踏み入れるのは感慨深いものがありました。

ぜひ、歴史ある洛陽も訪れてみてください。

嵩山少林寺についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 帰国を延期し北京から洛陽へ

私にとっての初めてのバックパッカー旅行で予定していた1週間北京旅行はあっという間に過ぎてしまいました。
故宮(紫禁城)万里の長城など見所も多いし、街中も楽しいしであっという間に過ぎました。

そのときに一緒に旅行していた先輩の都合で現地滞在1週間だったのですが、私はもう少し中国に滞在したくてしょうがなくなりました。

中国からの帰りも行きと同じ燕京号での船旅です。
既に日本で往復でチケットを買っていました。

中国滞在を延期

が、どうしても中国にいたかった私は、帰国便を1週間ずらせないか運行会社に聞いてみました。
すると追加料金500円で、便を変更できるとのこと。
「では、1週間伸ばしてくださいと」二つ返事でも1週間中国滞在が伸びました。

ちなみに私が本来乗るべき船便に乗っていないことを旅行会社が失踪と間違え、家族が心配したということを帰国後知ることになりました。
先に帰国する先輩に日本についたら言っておいてといってたのですが、先輩が日本につく前に旅行会社から連絡がいくとは想定外でした。

当時はメールもなかったですからね。
皆さん家族を心配させないようにちゃんと連絡しましょう。
今ならメールなんかで簡単にやり取りできるんですがね。

北京からの行き先

さて、1週間延期することとなり、北京だけではもったいないのでどこか別の町に行くことにしました。

どこに行くかはいろいろと悩みました。
あまり遠いところは移動時間がかかりすぎ、無理だなと思いました。
なにしろ中国は広いですからね。
ちなみに1995年当時、北京から雲南省の昆明までの列車は72時間でした。

そこまでの時間はかけられないので、移動時間は12時間以内くらいにしようと思いました。
そんな中で選んだのが、洛陽です。
12時間でも十分遠いかもしれませんが、その当時は近いなーと思ってました。

洛陽を選んだ理由ですが、洛陽は中国の古都、歴史にも出てきますね。
私が好きな三国志にも出てくる後漢時代の首都ですし、列車は12時間程度で近い?し、龍門石窟少林寺黄河などの見所も多いです。
ちょうど船で知り合った学生バックパッカーさんの一人も行きたいということだったので、洛陽一緒に行くことにしました。

北京から洛陽への切符購入

移動手段は鉄道です。

1995年当時の中国のはオンライン化などはまったくできておらず、席の予約は駅ごとの割り当てが決まっている状態でした。

東京から新大阪への新幹線の指定席について例えてみると、
「東京から名古屋までは空席ありますが、東京から新大阪までの分は満席です。なので、東京から新大阪までは満席です」
というようなことが言われた状態でした。
実は名古屋でたくさん降りるので、じつは名古屋から新大阪までにも空席はできるはずなのですが、その実態を東京が把握できていない、そんな感じでした。
※説明がわかりにくい?

何にしろ、1995年当時の中国では、途中下車する人などの情報はリアルタイムでわからないので、あらかじめ割り当てられた席で販売するしかなかったのです。

中国の長距離列車は前、日本では考えられないような長時間の移動が普通です。
72時間の列車などもあるわけです。
駅もたくさんある中で非効率な割り当てが行われてたわけです。

そんな状況なので、中国で長距離鉄道の切符を買うのはとても大変だという話を聞いてました。
覚悟を決めて切符を買いに向かいました。

現在の長距離鉄道は北京西站(駅)からが多いのですが、当時は北京西站がなく全部北京站からでした。

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北京站はとても巨大な駅です。

その北京站の長距離の切符を買う売り場は長蛇の列です。
特に寝台を買おうとすると1週間以上空きがなかったりというのが当たり前でした。

寝台は「硬臥」(インウオといいます)取れれば相当ラッキーです。
そして、「硬座」(インズオ)というのが新幹線の指定席です。

そしてそれも取れないと「無座」となります。
文字通り、座席がないため自由席的な感じになるわけなのです。

ちなみに当時の硬座の乗車率は、日本の年末年始の新幹線の乗車率を越えます。
つまり基本的に座席は埋まっているため、無座はそれ以外の空間はなわけです。
しかも、年末年始の新幹線以上の込み具合なわけです。
そして、12時間以上の移動になるわけです。。。おそろしいですよね。。。

要は「硬臥」(寝台)はもとより、硬座指定席ですら、席が確保できているということ自体がたいへんだったのです。

外国人窓口

しかしながら、外貨獲得のために観光収入は重要なわけで、外国人専用窓口というのがありました。
そこは中国人の枠とは別に外国人用の席枠が確保されているんです。
なので、私と一緒に行く学生バックパッカーはそこに並びました。
鉄道の窓口は国営なので、サービス精神ゼロの偉そうなおばさんでした。

でも、無事に硬臥(寝台)のチケットを得られました。
偉そうなおばさんであったとしても、感謝したくなりました。

いざ洛陽へ

そして、当日。
北京から洛陽まで12時間の寝台列車の旅です。
上下二段の寝台列車です。
横幅1mはない幅ですが、寝るには十分な感じでした。
バックパッカーなので感覚がおかしかったかもしれませんが、12時間程度はなんてことはありませんでした。

ちなみに、その後のバックパッカー旅行ですと10時間程度の移動だと、「近いんですね」と、普通に言ってしまうようになっていました。
「え?近いの?」といわれて、(普通に考えると、10時間の移動は近くないわなー)と、われに戻ってました。

そんな感じでラッキーにも洛陽までは、寝台列車で楽に行きました。
次回は洛陽の観光についてお伝えします。

洛陽についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 1995年当時の北京の買い物、トイレ事情等

北京には万里の長城や、故宮(紫禁城)頤和園などの観光地がたくさんあります。

ですが、旅の醍醐味は観光地だけではありません。
街中にもいろいろおもしろいことが転がっているものです。
1995年の北京で経験した、ちょっとしたことを書いていきます。

露店街

天安門広場の南に前門という門があります。

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1995年当時、前門近くには多くの露店が並んでいました。
(北京オリンピックで再開発されました)
露店街では実に雑多なものが売っていました。
以下のような観光客向けのお土産なども多く売っていました。

・毛沢東ライター
→ふたを開けると音楽が流れます。「東方紅」という曲だそうです。
ネタとして買いましたが、日本に着いたときは電池が切れてました。

・白檀っぽい扇子(もちろん人工香料のもの)
→安くて中国っぽいので何個か買いました。

・中国っぽい耳かき
→中国っぽい柄の金属でできた耳かき。けっこう耳垢がとれます。

・Tシャツ
→すぐによれよれになりますが安かった。

・健身球
→二つの球を掌でコロコロ回す健康グッズ。音が鳴るやつもあります。

外国人観光客向け百貨店

今ではそんなことはなくなりましたが、当時の北京では無気力な国営店がたくさんありました。
当時の国営店の従業員はまったくやる気がなかったです。

外国人向けの百貨店に、友諠商店がありました。
入ってみてビックリ。店員の半分くらいは寝てました。
そして、ところどころ電灯もついてませんでした。

そんなやる気ない国営百貨店もある意味、おもしろい見ものでした。
(今ではちゃんとしてます)

繁華街王府井

今でも北京の繁華街です。

1995年当時の王府井の入り口には、世界最大規模のマクドナルドがありました。
今では中国の各地にマクドナルドはありますが、当時は主要都市にしかありませんでした。

なお、マクドナルドは中国語で「麦当労」と書きます。
読み方はマイタンラオなので、ちょっと違いますね。
※なお、日本語の発音での「マクドナルド」も外国では通じません。

北京のマクドナルドにはベンチの上に座っている等身大のドナルドがいたので、一緒に写真を取ってみました。
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ちなみにその辺の屋台で麺料理が2元程度で食べれましたが、マクドのセットは20元くらいしました。
ある意味高級レストランでした。

王府井には、もちろんちゃんとしたレストランもあります。
北京ダックで有名な全聚徳もありました。
バックパッカーでしたが、みんなで食べに行きました。
胡弓などの生演奏がありました。
意外に安かったです

高級ホテル 北京飯店

東京でいう帝国ホテルです。5つ星の一流ホテルです。
1995年当時は、一般の中国人は入れず、外国人もしくは金持ち中国人しか入れませんでした。
小汚いバックパッカーだった私ですが、外国人なのでこの一流ホテルに入ることができました。
入る時は外国人だぞアピールのために旅仲間と日本語を話しながら入ったのでした。
きらびやかできれいで、私が止まっていたシャワーのお湯が泊まるかもしれないドミトリーとは違いました。
客室には当然入れませんが、北京飯店には行くべき理由がありました。
トイレです。
とてもきれいなトイレを遣えるのです。
そのために行く価値があったのです。

95年当時のトイレ事情

当時の北京、中国のトイレ事情は想像を絶するものがありました。
ここから先は、不快な表現が含まれている可能性がありますので、好まない人は読まないでください。






心の準備はいいですか?






当時の中国の公衆トイレは有料でした。(1円、2円くらいですが)
金を払うんだから、どんなトイレかと言うと。。。
まあ、ここではしたくないなと思うでしょう。

小便器は大きなツボでした。
そこに何十人分もの尿をずっと貯めてたわけです。
匂いはすさまじいですし、床にあふれてたりもしました。
でも、有料なんですよね。

大のほうですが、基本的に扉はありませんでした。
北京駅で行った時のことです。
便器の向きは後ろ向きではなく前向きでした。
つまり、待っている人と目が合う方向です。
次の奴にはメンチ切りました。
根性つきますね。
場所によってはあふれているところもあるので、注意が必要です。

この形式はまだいい方です。
長い溝が掘っているだけのトイレが多いです。
連なるんですよね。
前の人がしているところが丸見えなわけですよ。
自分も丸見えになってるんですよね。
溝の下は汚物まみれです。
根性つきますね。
これ以上の表現は慎みます。

なので北京飯店のトイレは天国ですね。
どこの町でもなるべく、外国人向けホテルでいたすようにしていました。
※今の北京はかなりきれいなので、あくまでも1995年当時のものと理解してください。

こんな経験も旅の醍醐味なのです。
なお、苦情は受け付けません。

北京の観光地についてはこちらからどうぞ

故宮(紫禁城)

万里の長城

頤和園

中国バックパッカー旅行記 北京の世界遺産「頤和園」

北京はさすがに中国の首都だけあって、市内だけで6つの世界遺産があります。
故宮(紫禁城)万里の長城が有名で、観光スポットとしても人気がありますね。

それに比べると知名度は落ちるかもしれませんが、北京にある庭園「頤和園」(いわえん)も世界遺産に登録されています。
個人的には頤和園はとても好きな観光ポイントです。
何度か北京を訪れていますが、だいたい頤和園を訪れています。

頤和園の場所

頤和園は市街地から北西に10Kmくらい離れた場所にある、庭園です。

今は地下鉄で簡単に行けます。

しかし、私が訪れた1995年当時は北京に地下鉄はありませんでした。
バックパッカーとしてのこだわりもあったのでタクシーに乗るという選択肢はなく、バスを乗り継いで移動しました。

当時の北京のバスは排気ガスまきちらしながら走ってました。
当時の北京の様子はこちら

バスの中にいても排気ガスの煤が入ってきます。
しかも、頤和園に行く際、2両連結バスの連結部近くに座ってしまったため煤だらけになってしまいました。

ただ、その小汚さが功を奏したのか、頤和園でも外国人料金を払うことなく、中国人料金で入場できました。
外国人料金の詳細についてはこちら

頤和園の概要

頤和園は、かなり広大な庭園です。3㎢くらいあります。

その3/4の広さを占めるのが人工の湖「昆明湖」です。
外周6kmもあります。

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※1995年夏に訪れたときの写真です。

昆明湖は清朝の乾隆帝が母親のために、杭州の西湖を模して創られました。
そして、湖を掘ったときの土で昆明湖の北側に万寿山(高さ60m)を作り、その上には仏香閣があります。

外周6kmもある湖を作って、山まで作ってしまうのですから、中国皇帝の権力のすごさを感じます。

ちなみに後の時代、西太后が改修を命じ莫大な費用が掛かってしまったために海軍費が削られて、日清戦争に負けたとも言われています。
実際にいってこの広大な庭園の規模を見ると、それくらいの費用は掛かるかも、と感じます。

なお、頤和園は避暑地として使われました。
そのため、英語名では「Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing」です。

冬の頤和園を観光

頤和園はとても美しい庭園です。
私が初めて訪れた2月は靄が立ち込め、とても幻想的に見えました。
夏の緑が美しい季節もよいですが、冬の幻想的な風景もとても好きです。
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頤和園の大きさ、幻想的な雰囲気を楽しみながら昆明湖を一周しました。
外周6kmもあるので、ちょこちょこと建物などを見ながらだと2時間はかかります。

昆明湖には南湖島というちょっとした島があり、そこには白く美しい橋が架かっています。
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橋の上からの光景も幻想的でした

なお2月の北京はかなり寒かったので、湖の多くの部分が凍ってました。
恐る恐る乗ってみたのですが、氷がかなり厚かったので全然平気でした。
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これも夏では経験できないですね。
※自己責任でお願いします。

あと、夏だと昆明湖には観光用のボートがいくつも浮かんでいますが、凍っているのでボートは全然いません。
そのままの昆明湖を見られるのも冬の頤和園のいいところです。
夏に来た時は水澄ましのようなボートがたくさん出ていて、ちょっと景観を損ねた感じに思えましたので、個人的には冬がおススメです。

グルっと昆明湖を一周した後、昆明湖の北側に位置する長廊という、728mもある屋根付き通路を見学します。
色鮮やかな絵が描かれています。
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三国志の絵もあり、三国志好きで中国に来た私にはたまりませんでした。

その後、万寿山にある仏香閣に登りました。
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上から見る頤和園もとても幻想的で美しかったです。
頤和園と昆明湖の広さを改めて感じられます。

頤和園は北京に行くたびに行くお気に入りポイントです。
北京に行くのであれば、ぜひ行ってみてください。

北京動物園観光

なお、頤和園に行く途中に北京動物園があります。
北京動物園のメインの見どころといえば、もちろんパンダです。

1995年当時、中心地から頤和園に行くバスは北京動物園近くで、乗り換えが必要でした。
それほどパンダ好きではなかったのですが、せっかくなので頤和園の帰りに動物園にもよってみました。

なお、北京動物園のパンダは薄ら汚れていて、白い部分が黄色くなっていて、小汚かったですね。
とはいえ、せっかくですので寄ってみてはいかがでしょうか。

万里の長城についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 万里の長城-八達嶺-

北京中心地の最大の観光地・みどころといえば故宮(紫禁城)でしょう。
そして、北京近郊の最大の観光地・みどころといったら世界遺産の万里の長城ではないでしょうか。

当然とも言えますが、万里の長城は世界遺産に登録されています。

外敵から守るため秦の始皇帝が作ったと言われており、始皇帝が作ったイメージが強いと思います。
しかし、現在の万里の長城の大部分は明代にできたそうです。
(始皇帝の時代は、粘土質の土を固めた簡素なものです。)

なお、万里の長城は山海関から嘉峪関まで3000kmにわたる城壁です。
考えられないような長さですね。

八達嶺

その万里の長城の中でも観光しやすく有名なのが、北京から行ける八達嶺です。
1995年当時も地元民向けの、北京市内からの明の十三陵と組み合わせたバスツアーも多かったです。

私の場合は、船で知り合った旅人たちと一緒に鉄道で行ってみることにしました。
1995年当時は観光用の鉄道などなく、普通のローカル線で八達嶺近く青竜橋までいけました。

ただ、夜明け前に起きて、駅に行くひつようがありました。
当時のメインの駅である北京站ではなく、今はもうなくなった別の小さな駅からでした。

その駅に行ってみると、メインの路線ではないためチケットも比較的すんなり買えました。
※当時の中国の鉄道は、チケットを買うのがとても困難としてバックパッカーには有名でした。

ローカル路線だったため、そこまで混むこともなく余裕を持った鉄道旅行でした。
そして2時間ほどで青竜橋に到着。
そこから30分くらい歩いて、八達嶺の万里の長城に到着です。

万里の長城を観光

峻険な山々が連なっており、そこに万里の長城が延々と続いています。
さすがに観光地だけあって、土産物屋がたくさんあり呼び込みを受けるけど無視して進みました。

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とはいえ、当時はそこまで観光客は多くなかったです。
呼び込みといってもかわいいもんでしたが、今はもっとすごくなっているかもしれませんね。
そして当時はロープウェイはなかったので、すべて歩きでした。

万里の長城を歩いて上る

そして、長城の上に上り、その上を歩いていきます。
1995年当時はロープウェイもなく、すべて歩いて登りました。
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けっこうな急勾配のポイントもあり、体力がいります。
2月で寒かったですが、体はあったまります。

疲れはしますが、やはりこの歴史的建造物の上を歩いていることと、上の上ることでさらなる光景を見られるので、足を進めてしまいます。
長城を登っていくと、山脈が拡がり、長城が連なる姿がよく見えます。
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今ではロープウェイがあるので、体力に自信がない人はロープウェイを使うのもよいでしょう。

私が行ったときは2月ということもあり、全体的に曇っていたので、色鮮やかではなかったですが、逆に荘厳な感じがよかったです。

この長城が数千キロ離れたところまで続きていると思うと、中国の大きさを改めて感じました。

中国の山々は、日本の山々とはやはり違う感じです。
広大な大陸を感じさせてくれました。
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そしてこの山々を延々と万里の長城が紡いでいっているのがすごいです。
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中国の山と日本の山のどちらがいいと競ううものではありません。
違うものなのだと感じることこそが、海外旅行の醍醐味です。

やはり世界最大の建築物である万里の長城は見ごたえがあるものです。
ぜひ一度、万里の長城を見てそのスケールの大きさを感じてみてください。

北京に行くなら、万里の長城、故宮(紫禁城)、頤和園には訪れてほしいですね。

頤和園についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 故宮(紫禁城)と景山公園

北京観光地の一番の見所ともいえるのが故宮(紫禁城)です。

「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとして世界遺産にも登録されています

約100年前の清の時代、皇帝が住んでたところです。
映画などでも有名なラストエンペラー 愛新覚羅 溥儀も住んでたところですね。

一緒に行った旅仲間たちは「ラストエンペラーで見た光景だ!」と喜んでました。
実は私は映画を見てなかったのですが、そうでなくても十分見応えがあります。

故宮(紫禁城)の場所

故宮(紫禁城)は首都北京のまさに中心にあります。
天安門広場の北に位置しています。
というか、天安門が故宮(紫禁城)の南門になります。

故宮(紫禁城)は南北の長さ961m、東西の幅753mもありとても広いです。
一通り見るのに数時間かかります。

1995年当時の外国人料金

1995年当時の中国では外国人料金というものがありました。

外国人が観光地に入るときは、中国人の数倍の入場料が必要だったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中から先輩バックパッカーさんたちのお話を聞きしており、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。
外国人料金の詳細はこちら

故宮(紫禁城)の入場料も、外国人は中国人の数倍しました。
しかし、故宮は北京のメイン観光地ともいえることなので、チケット売り場でのチェックも厳しいと有名でした。
実際に私が行く前日に行った日本人バックパッカーたちは、日本人と見破られてしょうがなく外国人料金を払ったそうでした。
が、やはりそこは挑戦です。

中国人用の売り場の列に並んでいる時から、無愛想な表情にして一言もしゃべりませんでした。
そして自分の番が近づいてくるのですが、周りの中国人は横から、後ろから手を出してきて、我先に買おうとしてきます。
そんなのに負けないように、お札を窓口に押し込んで、指を一本立てながら「イーガ!」(1個)と言いました。
窓口の人は外国人かもと思ったのか、何か聞いてきましたが「あーん!?」とすっとぼけているとチケットを渡されました。

というわけで、無事中国人料金で入場することができました。
一緒に行った旅仲間でも見破られた人も多く、ラッキーでした。

ただ、チケットを購入しても油断できません。
入場の際に咎められるかもしれないので、そこでも言葉を発さずに通ることにしました。

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そして、無事入場の際も特に咎められることもなく入れました。

故宮(紫禁城)を観光

大きな赤い門を抜けていくと、大和殿が見えてきます。

大和殿

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皇帝の即位式なども行われた正殿です。
目の前は大きな広場となっており、真の時代は官吏たちがずらっと並んでいたところです。
いかにも中国って感じです。
大きいだけでなく、彫刻や文様などは細かく美しいです。

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昔のテレビ番組「西遊記」で、エンディングでガンダーラが流れているときにこのような映像があったような気がしたので、初めて訪れた場所なのになんか懐かしい感じでもありました。

太和殿以外にもたくさんの建物があります。
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故宮(紫禁城)は本当に広大で、中国だなー、としみじみ感じました。

西一長街

また、建物だけでなく、赤い壁の長い通路も見応えがあります。

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映画ラストエンペラーでもでてきたそうです。

御花園

故宮(紫禁城)の中にある庭園です。

堆秀山というちょっとした山の上に御景亭というのがあります。

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これも「西遊記」のエンディングで見た気がします。

故宮(紫禁城)は皇帝の力の大きさを感じますし、歴史を感じます。
やはり北京に行ったら、一度は行くべき場所ですね。

景山公園を観光

ただ、個人的には、故宮(紫禁城)を中から見るより景山公園から見るほうが好きです。

景山公園は故宮のすぐ北に位置しています。
人口の丘がある公園です。

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丘の上にある建物からは、故宮(紫禁城)を一望できます。
私はその光景が好きですね。

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絶対に訪れてほしいところです。

ちなみに景山公園では地元民の憩いの場になってます。
朝は太極拳とかダンスとかしている人たちが大勢います。

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日本では見られない光景ですね。

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そんな中国人の日常を見るのもちょっと楽しいです。
朝、天安門広場の国旗掲揚を見た後、景山公園に行ってみてはいかがでしょうか。

天安門広場の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 天安門

バックパッカーとして初めて訪れた国中国、その中で初めて訪れた町が北京です。

北京はとても広いです。
そして、その中心に天安門があります。

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中国のニュースや映像なんかで見たこともある人も多いと思います。
赤い巨大な門であり、その真ん中には毛沢東の肖像が掲げられ
まじででかいです。
ニュースなんかでもよく見る光景だと思います。
見た時、あー、まさに中国だなーと思いました。

天安門広場の北には故宮(紫禁城)が、南に天安門広場があります。
天安門周辺は北京市内観光の中心ともいえます。

天安門広場観光

天安門広場は世界一広い広場で、東西500m、南北800mもあります。
実際に見ると、さすがに広いです。
広場の中には毛主席記念堂があり、毛沢東の遺体を見ることができます。

天安門広場の周りには人民公会堂などもあり、政治の中心でもあります。
また、中国国家博物館には中国政府にとっての大イベントがあるたびにカウントダウン用の大きな時計が掲げられます。

ちなみに私が訪れた1995年当時の一大イベントとしては、香港返還前だったので、1997年の香港返還がありました。

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写真では分かりにくいと思いますが、白い看板には香港返還まであと「何日」、あと「何秒」というのが掲げられていました。
秒単位でやるのがすごいなー、と当時思ったものです。

国旗掲揚

天安門広場には中国の国旗が掲揚されています。
この国旗は毎日人民解放軍の軍人が、日の出とともに掲揚し、日の入りとともに降ろします。
この掲揚式と降納式での軍人たちの一糸乱れぬ動きは見ものです。

私が訪問した2月はまだ日の出が遅かったので、ちょっと早起きして日の出の掲揚式も見ました。
ただし、とても寒かったですが。。。

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写真がくらくてわかりにくいと思いますが、天安門から軍人たちが歩いて向かってきます。
なお、その間道路は通行止めとなります。

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目の前を軍人が歩いて行きます。

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そして、国旗が掲揚されました。
朝早くにもかかわらず、多くの観光客が訪れていました。

夏だと日の出が早いのでちょっとたいへんかもしれないです。
日の入りのときの降納式は、見やすいと思うのでうまくタイミングを計って見てください。

天安門広場はやはり観光地だけあって多くの人が来ています。
1995年当時は、広場で太極拳や凧揚げしてた人もけっこういましたね。
地元の人にとっては憩いの場なのかもしれません。

なお、この天安門は入場料を払えば上に登ることもできます。
観光客はけっこう登りますね。
私はこの時の旅行では登りませんでしたが、2回目行った時に登りました。

そして天安門を抜けた先に故宮(紫禁城)があります。

故宮(紫禁城)の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 1995年の北京の様子

北京は現在の中国の首都ですが、明、清の時代の都でもあります。
歴史もあり、首都でもあるため非常に多くの観光スポット、見どころがあります。

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故宮(紫禁城)
景山公園
天安門
天安門広場
頤和園
・天壇
・北海公園
万里の長城
・明の十三陵
・北京動物園(というかパンダ)

などなど、ほんとに見どころ満載です。
それ以外でも、1995年当時は古い町並みなどもたくさん残っていました。
前門の南西の地域などがそうでしたね。
残念ながら再開発でなくなってしまった地域です。

当然これだけあると一日では見切れません。
なので、1週間かけて色々と見て回りました。
実際の観光地の情報の前に、当時の北京の観光状況を。

昔あった外国人料金

当時の中国では観光地の入場料に外国人料金というものがありました。
外国人は中国人の数倍の入場料が必要とだったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中からバックパッカーさんたちのお話を聞き、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。

まず、入場券を買う際は、
・小汚い格好をする
・堂々とする(不安な様子はばれやすい)
・あまり喋らない(「イーガ(一個)」くらいしか言わない。)
・聞き返されると「アーン!?」と偉そうに聞き返す
ということをすれば、だいたい大丈夫でした。

あと、横入りとかは普通なので、そういう人たちに負けないようにすることも重要でした。
当時の中国はマナー、という言葉がないような状態でしたので。(今はまだましになったかなと思います)
ちなみに入場券を売っている売り場の人間もサービス精神などというものはありません。
当時は一応、経済の開放政策が始まってはいたので、個人商店も増えてきていた状態ですが、観光地の従業員や、バスとか鉄道、国営の店などは、いわゆる共産国の公務員です。
無愛想、面倒くさそう、中国語がわからないと追い払われる、寝てる。
というような状態でした。
まあ、どんだけ頑張っても給料が変わらないのであれば、頑張らないですよね。

民営の食堂とかは元気があって呼び込みしていました。
そっちに入るようにしてました。
やっぱりそっちのほうがうまかったですね。

もしかすると北京で最初に食べた食堂は国営の食堂だったのかもしれません。
その後は行った食堂は、だいたいうまかったです。
100円くらいでこんなうまい物が食えるのか!と感動したものです。
中華料理についてはまた別途書こうと思います。

北京の環境問題

あと、現在の北京で大気汚染のことがよく言われていますね。
実際、北京の空気は汚いです。
ただ、私が初めて北京に行った1995年当時もけっこうなものでした。

特にバス。
当時のバスは基本ディーゼルだったのですが、まあ、規制とかもないので煤を出しまくりながら走ってました。
多くのバスは、2両を連結したものでした。
電車の連結部は見たことあると思いますが、連結部は下に空間があいています。
そこから煤が入り放題でした。
連結部近くにいると、一回バスに乗るだけで体が煤だらけ。
体を払うと、黒い煤が舞ったほどです。
その時にくらべると、ましなんじゃないかとも思いますが、実際のところはどうかはわかりません。

バスは激混みで、車掌とかは無愛想でしたが、なんか普通では体験できないことを体験できているような気がして、楽しかったですね。
そんな観光地以外のところでも、日本の常識とは全く違う世界だったことが、とても印象に残っています。
そして、別の国、別の文化に触れることが楽しい、と思ったことから、私のバックパッカー人生は始まったのです。
そんな経験を与えてくれた北京は今でも好きです。

北京のおすすめ観光地についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京到着 1995

50時間の船旅を終え、いよいよ天津新港に着岸、上陸です。
タラップを降り、ついに大陸の土を踏んだ!と高揚感があります。

その後入国審査。
1995年当時。中国の入国審査官は無愛想でしたが、今思うと、今でもどこの国でも一緒かもしれませんね。

ビザのページを見てハンコを押してくれました。
そして、税関は素通りでした。
X線の検査機もあったのですが、動いてませんでした。
完全ノーチェックでした。

なお、港には両替所がなかったので5000円だけ船内で両替しておきました。
レートはちょっと悪い程度でした。
1995年当時はUSドルへの固定レートで、1万円で800元くらいでした。
1元=12円くらいでした。
なお、現在の紙幣は全部毛沢東ですが、当時は少数民族とかの絵でした
日本円の紙幣と違い、ボロボロのお札もけっこう混じっています。

さて、ターミナルを出ると、小汚い格好の中国人がたくさんいます。
当時はまだ人民服を着ている人もいました。
当然ながら中国語があふれています。

いざ北京へ

我々はその日のうちに北京まで移動することにしました。
北京3回目のベテランバックパッカーさんのお話を聞くと、港で北京行のマイクロバスが待っているのでそれに乗るのがよいとのこと。
なので、同室の10人くらいの旅行者みんなでバスで移動することにしました。

2時間ほどかけ、いよいよ北京へ向かいました。

10人ほどの日本人旅行者が一緒です。
50時間の移動をした後では、2時間くらい誤差みたいなものです。

北京到着と中国初の食事

そして2時間後、北京の中心地である、前門付近に行きました。

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1995年の北京の町は、今とは全然違いもっと汚く雑然とした感じでした。
宿はまだ決まっていなかったのですが、すでに19時くらい。
まずは食事をしようということで、食堂に入りました。
その辺の地元の食堂です。

北京3回目のバックパッカーさんは、多少中国語が喋れるので料理の注文などもお願いしました。
普通の炒め物とか麺とかスープとかを適当に頼みました。
正直言って、初めての北京の料理はあまりおいしくはありませんでした。
でも、値段は安かったですね。
1人15元(当時だと180円)程度で十分おなか一杯になりました。
ビールは大瓶1本2元(24円)と格安です。
物価の安さにびっくりしました。

さすがそのときは宿を探す前だったし、寒かったので1本だけにしておきました。
ただ、その後、中国にいる間は事あるごとにビールを飲みました。

中国初の宿探し

食事を終えた後、宿探しです。
当時の中国は、外国人が泊まれる宿と中国人専用宿が分かれていました。
我々は当然外国人用の宿を探すのですが、みんなバックパッカーなのでなるべく安い宿を探すことにしました。
とはいえ、すでに日は落ちている状態なので、なるべく早く探す必要があります。
基本的にはドミトリーで探しました。

ドミトリーとは、部屋を借りるのではなくベッドを借りる形式です。
一部屋に知らない人が数人一緒に泊まる形です。
ユースホステルみたいな感じです。

ここでも北京3回目のバックパッカーさんにご活躍いただきました。
以前泊まった宿を紹介してもらい、金額なども聞いてもらいました。
天壇公園という世界遺産にも登録されている史跡公園の近くにある宿にドミトリーがありました。
料金は20元くらいでした。
ドミトリーはシングルの部屋にくらべるとかなり安いです。
シングルだと3倍くらいはしたはずです。
ただ、ドミトリーとはいえ、もともと10人くらいで来てたのでみんな部屋は一緒でした。

なお、中国の宿ではデポジットの制度がありました。
鍵を借りるときに「保証金」を渡すことです。
実際の中国のドミトリーの場合は鍵ではなく、カードをもらって各階の係員に見せると開けてくれる形でした。

ドミではトイレ、シャワーも共同です。
シャワーを浴びようとシャワー室に行きました。
お湯が出るとのことだったのですが、勢いは弱くてちょろちょろという感じです。
私の後に入った人の中には、お湯がなくなって水になってしまった人もいました。
2月の北京で水シャワーとは過酷です。
シャワーを浴びるタイミングも重要ですね。
まあ、安いのでしょうがないです。

バックパッカーにとっては宿の設備にはどうでもよくて、安いことが重要と考えるものです。
当時の私はひたすら安く上げることを考えていましたね。
1日の予算は1000円以内と考えていました。
今思うと金を出すことによって得られることも多かったかなとも思いますが、若い頃にそういう経験をしておくことも悪くないと思います。

当時の北京の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 天津へ船旅 1995

私が初めてバックパッカーとして旅行に行ったの1995年の2月。
行き先は中国の北京でした。
そのときの強烈な印象が私の人生を大きく変えました。

あれからもう20年・・・。
バックパッカーデビュー20周年を記念して(誰も興味ないかもしれませんが)、最初の中国旅行のことを書いてみます。

中国旅行のきっかけ

それは1994年の12月でした。
当時私は関西大学の1回生でした。
バイト先に同じ大学の4回生の先輩がいました。
「卒業旅行に行こうと思うけど、一緒に行く?」
そんな誘いを受け、
「いいですね。行きましょう」
といったのがきっかけでした。

まずは行き先を相談しました。
私は三国志などの中国の歴史物が好きだったので中国に行きたいと思いました。
その先輩も今後中国は発展するだろうから興味があるということで中国行きが決定しました。
場所は北京にしました。
首都ですし、故宮(紫禁城)万里の長城など見所も多いからです。

中国行きが決まりましたが二人とも個人旅行の経験がありません。
とりあえず旅行会社などで中国旅行について聞いてみました。
ですが、当時はまだ航空券が高く、ツアー料金も結構なお値段でした。

安くいける方法はないか調べることにしました。
当時はまだWindows95すら出ておらず、インターネットで調べるという世の中ではありません。
本屋で個人旅行の本を購入して調べることにしました。

すると神戸から天津までの燕京号というフェリーがあることがわかりました。
※残念ながらい2012年に廃止になってしまいました。

フェリーは飛行機に比べて安い。
ただし、50時間かかります。
2泊3日です。往復だと4泊です。
旅行の期間は全部で12日間です。
1/3が移動時間って・・・。

という考えもありましたが、船旅も楽しそうということで燕京号にしました。。
結果として船旅にしてよかったのですが、それ次回で。

交通手段が決まり、残りの準備としてはビザ取得です。
現在では15日以内の観光旅行はビザ不要ですが、当時は全員ビザが必要でした。
それも個人で申請するのは難しく、旅行会社に頼まなくてはいけませんでした。

というわけで、燕京号のチケットとビザを旅行会社で手配しました。
ちなみにホテルの予約はしませんでした。
ガイドブックに乗っている宿に行けばなんとかなるだろうと考えていました。

準備が整い、旅行を楽しみにしていたところで予期せぬ出来事が発生しました。

阪神大震災

1995年1月17日午前5時46分

寝ているところ体を揺さぶられ、こんな早い時間になんだよ!
と目を開けると部屋が大きく揺れています。
「地震だ!」と気付き布団にもぐりこみました。

今までに経験したことのない揺れでした。
本当に誰かが体を揺すっているのだと思ったほどです。
しかし、私の家は幸いにも大きな被害はなく、家族も無事でした。
「でかい地震やったなー」と家族と話した後、また寝ました。

そしてもう一度起きて、テレビを見ると大変な事態であることがわかりました。
この後いろいろなことがありました。
3.11のときもそうでしたが、このような状況でも暴動も起こらず、助け合う日本は本当にいい国だと思います。

中国へ向け出港

さて、旅行の話に戻します。

ひとまず日常生活が落ち着きを取り戻したところで、こんな状況で旅行に行っていいのか
という話も出ましたが、先輩の卒業旅行でもあるので決行することにしました。
燕京号が出るはずの神戸港が利用できないのでどうなるかと思ったのですが、大阪南港に変更して運行されることになりました。

2月の北京は寒いので、ダウンやタイツなどの防寒着を整え、いよいよ出発です。

1995年の2月。
大阪南港で中国の天津へいくフェリー燕京号に乗り込みました。
2泊3日、50時間の船旅です。

2等B席です。
和室で一部屋に20人くらいが雑魚寝する感じです。
一緒に行ったバイトの先輩と二人で部屋に入りました。
満席というわけではありませんでしたが、それなりに混んでました。
学生バックパッカーが多かったですね。
当時は一番安くいける方法だったので、学生の休みの期間などは利用客が多かったです。
欧米人のバックパッカーも2人いました。

荷物を降ろすと、自然と周りの人と会話が始まりました。
北京にいくのも3回目という、その当時の自分から見るとベテランバックパッカーさんがいました。
その人から、天津から北京への移動はこうしたらいいとか、宿はこの辺がいいとか、こんな見所があるとか、いろいろな情報を聞くことができました。

私たち以外にも旅行初心者がいて、みんな熱心にその話を聞ききました。
ガイドブックだけでは得られない情報を得ることができ、その後の旅行する上で、とても参考になりました。

同じ目的地へ向かう多くの人と仲良くなって、情報も集められ、楽しい時間をすごせます。
移動時間も旅の時間の一部と考えれば、船旅もよいものです。

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船旅は飛行機と違い、時間も長いですし、自由に行き来できる空間も広いです。
甲板に出て夜空を見ながらビールを飲んだりとけっこう楽しめます。

どこまでも続く水平線なんかを見れるのもいいですね。
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残念ながら天津行きの燕京号は廃止になってしまいましたが、上海行きの新鑑真号はあるので興味ある方は乗ってみてください。

瀬戸内海からの忘れられない光景

出航は夕方だったのですが、冬だったのですぐに暗くなってきました。
船からは大阪の町の明かりが見えました。
しかし、しばらくすると、まったく光のない空間がありました。
神戸の町です。

阪神大震災からまだ1ヶ月もたっていないころです。
震災の被害を大きく受けた地域は真っ暗でした。
あらためて、あの震災の被害の大きさを感じました。
乗客のみんなで亡くなった方の冥福をお祈りしました。

中国への船旅

大阪南港から天津までは50時間かかるので、2日目は丸々船の上です。
当然ながら食事もします。
船に食堂があり、朝食はついてました。
万頭(具なしの中華まん)や中華粥などの中華の朝食が出ました。
味はイマイチですが、料金に含まれてるので食べました。

昼食や夕食は有料になります。
中国人などはカップラーメンを買って持ち込んで食べていました。
私はそのような準備をしていなかったので、食堂で食べました。
中華料理が1品300円程度、ご飯やスープが50円くらいでした。
味は、まあまあというところでしたね。
なお、次に乗る時からはカップ麺とかパンとかをある程度用意するようにしました。

同部屋のバックパッカーさんたちと情報交換したり、外にでて海を眺めたり、ガイドブック見たり、寝たり。。。
やっぱり50時間は長いので、けっこう暇です。
暇つぶし用の本とかを用意したほうがよいですね。

いよいよ大陸が

さて、そんな感じで3日目を迎え、いよいよ中国に近づいてきました。
そして外に出てみて海の色を見てびっくり。
黄色いんです。
黄河の水が流れ込んでおり、黄色いんですね。
海の名前が黄海なのも納得です。

その海の色の変化を受け、いよいよ近づいてきたなと実感します。
そして、いよいよ天津進行に着岸、上陸です。

北京へ向かう様子はこちら