ゴルムドからバックパッカー相手の闇トラックで標高5200mを越え、チベットのラサにやってきました。
⇒ラサへの道中はこちら
チベットには独特の仏教文化がありますが、ラサはチベットの古都、チベット仏教の中枢ともいえる場所です。
「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」として世界遺産にも登録されています。
多くの観光客が訪れるチベット最大の町です。
私が訪れた2001年は鉄道が通っていませんでしたが、現在では鉄道でも行けるようになりました。
アクセスがよくなり観光客が増えているようです。
ラサの場所
現在は中国の西蔵自治区の中心的な都市です。
ブータンやネパールの国境にも近いです。
標高3600m以上のところにあります。
ほぼ富士山の頂上と同じです。
ラサは7世紀に吐蕃時代の首都です。
その後、ダライ・ラマ政権時代も首都でした。
ダライ・ラマはチベット仏教において観音菩薩の化身とされ、転生制度がありました。
2014年、ダライ・ラマ14世が転生制度廃止する意向をだしました。
このあたりについては、旅行記の趣旨とは違いますのであえて書きませんが、興味ある方は調べてみてください。
ラサの町
ラサの町についた初日。
一緒にゴルムドから来たバックパッカー仲間とともに、ラサの安宿の一つであるバナクショーホテルのドミトリー(25元:約300円)に泊まりました。
バナクショーホテルには、チベット僧もたくさんいました。
チベットに来たんだなー、と実感できました。
ちなみに独特のにおいもあり、チベット感があふれていました。
宿を確保した後は食堂い行き、チベット入りを祝してラサビールで乾杯しました。
ちなみに中国では各地に地ビールがあります。
標高3600mのラサにもラサビール(拉薩啤酒)があるんです。
標高が高く高山病の危険性もあり、アルコールは危険なのですが、標高2800mのゴルムドでしばらく過ごし陸路で上がってきたため全然平気でした。
ちなみに食堂も一般的な中華料理を出す店が多くありました。
さらに欧米人向けなのかパンや洋食を出す店もあります。
ヤクホテルへ移動
ラサに着いた段階では疲れ果てていたので、バナクショーホテル(25元)に泊まりましたが、せこいバックパッカーだったため一番安いヤクホテル(20元)にいどうしました。
※5元といえば当時で80円くらいの差なのですが、バックパッカーは安い方に行きたくなるものなのです。
ヤクホテルは大きなホテルで、敷地の真ん中には広い中庭もあります。
行ってみると日本人がとても多かったです。
外国に来て日本人と過ごすことを嫌がる人もいますが、異国の地でである日本人には親近感を覚えるので仲良くなる人も多いです。
チベットのラサまで来る日本人ですから、やはり個性的で面白いが多いですね。
欧米人はあまりいませんでした。
ラサでのんびり生活
一緒にラサに来たバックパッカー仲間は、さらに厳しいチベット仏教の聖地カイラス山をめざし旅立っていきましたが、私はこれ以上ストイックな旅行をする気はなかったのでラサにとどまりました。
標高5200mを闇トラックで越えてきたことで疲れたこともあり、2,3日はダラダラ生活をしました。
昼頃起き、ヤクホテルの近くの食堂で中華料理とビールを楽しみ、ビールを買って帰ってヤクホテルの中にはで飲んで、みんなとしゃべってとダラダラ生活を過ごしました。
バックパッカーというと活動出来と思う人もいるかも知れませんが、怠惰な生活が好きなバックパッカーも多いものなんです。
ジョカンとバルコル観光
ダラダラ過ごすとはいえ、もちろん観光もしています。
ラサで最大の寺院がトゥルナン、中国名で大昭寺です。
一般的には本堂を意味するジョカンと呼ばれて言います。
ジョカンでは多くのチベット人が五体投地をしています。
五体投地とは両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することです。
宗教、宗派がどうということではなく、その真摯な姿には尊敬の念を覚えます。
ジョカンの周囲にはバルコル(八角街)という商店街がぐるっと一周取り囲んでいます。
いろいろな日用雑貨やお土産品などが売られています。
2001年当時でもお土産物屋さんが多かったです。
このバルコルでけっこう買い物しました。
ラサでの凧揚げ
そんな中、知り合った日本人バックパッカーに誘われ凧揚げに行きました。
川原で凧揚げをしていると、地本のチベット人の子供たちも混ざってきて、みんなで楽しい時を過ごしました。
子供たちの素朴な笑顔はかわいいですね。
ラサのメインの観光スポットであるポタラ宮など、様々な観光スポットをお伝えしてきます。