マンダレーはヤンゴンに次ぐ、ミャンマー第2の都市です。
イギリスに統治される前のビルマで、独立を保った最後の王朝であるコンバウン王朝の首都だった都市です。
ヤンゴンからは600km以上北、ミャンマーのちょうど真ん中くらいのところに位置しています。
現在は飛行機だと1時間くらいですが、バスだ11時間くらいです。
ただ、私がミャンマーを訪れたのは1997年のこと。
バックパッカーだったので、バスで移動したわけですが道路は舗装されていませんでした。
当時は、ヤンゴンからマンダレーまでのバスは17時間かかりました。
マンダレー観光
マンダレーは第2の都市とはいえ、ヤンゴンに比べると落ち着いた田舎町でした。
また、ヤンゴンよりも湿度は低く、10月のマンダレーはとても過ごしやすい町でした。
当時は民主化前であり、経済的には今よりかなり貧しかったと思います。
しかし、人は優しく、人懐っこくてけっこう楽しかったです。
Pann Cherry Restaurant(櫻花レストラン)
マンダレーを訪れるバックパッカーにとって、有名おだった食堂が櫻花レストランでした。
中国系のオーナーの店で、働いているミャンマー人の女の子の一人は少し中国語がしゃべれました。
当時の私は英語よりも中国語の方が得意(といっても多少しゃべれる程度ですが)だったので、けっこううれしかったのを覚えています。
お互いに片言の中国語を介しながら、ビルマ語と日本語を教えあったりしてました。
そうするとほかの人たちも会話(と言えるかどうかは微妙ですが)に入ってきて、楽しかったですね。
マンダレーには1週間くらいいたのですが、ほとんどの食事はこの食堂で食べました。
さすがにそれだけ行くと店の子たちとは結構仲良くなりました。
写真はカレーっぽいミャンマー料理カレーです。
これ以外にも麺類とかあるのですが、けっこう味は良かったです。
今でもバックパッカーには人気の食堂のようです。
さすがに当時の女の子たちはいないと思いますが、とても感じのいい食堂でした。
コオン屋の仲間たちと
ミャンマーはコオンという噛みタバコがあります。
コオンはキンマの葉に溶いた石灰やビンロウ、肉桂などを乗せて巻いたものです。
ミャンマー人はよくそれを噛んでおり、その辺の屋台でよく売られています。
マンダレーの町を歩いていると、そのコオンを売っている屋台にたむろしている人たちと仲良くなりました。
コオンをタダでもらって噛んでみたのですが、口の中がスーッとするのとともに痺れるような刺激が広がり奇妙な味がしました。
コオンを噛むと血のような赤い唾液が出ます。
そんな赤い唾液を吐いているのを初めてみると、血を吐いていると思ってびっくりするかもしれませんね。
この人たちとはマンダレーにいる1週間のうち、半分くらいはあって遊んだり、飲んだりしてました。
ほとんど言葉は通じなかったのですが、なんか楽しかったです。
ちなみに写真を見ると、みんなスカートをはいているのが分かると思います。
これはロンジーといって、伝統的な衣装です。
布を筒状にしただけのものなのですが、それを腰のあたりで縛るだけです。
風通しがいいので暑いミャンマーにはよいです。
私もミャンマーにいるときはけっこう履いてました。
エーヤワディー川(イラワジ川)
エーヤワディー川はミャンマーの中央を流れる大きな川です。
かつては、イラワジ川と呼ばれてた川です。
マンダレーの中心地から歩いていくことができます。
本当に大きな川です。
川沿いを歩いていると、水を運んでいる人や川で泳いでいる人、セパタクローをしている人、ぼーっとしている人などいろんな人がいました。
エーヤワディー川はマンダレーの西側に位置しているので、夕方に行くと夕日がきれいに見えます。
夕日の光が川面に映ります。
美しい光景なので、マンダレーに行くならぜひ訪れてほしいです。
ザガインヒル
ザガインヒルはマンダレーの南西15kmほどのところにある14世紀にシャン族が王朝(ザガイン朝)を築いた町です。
ザガインヒルはザガインの象徴であり、150以上の仏塔と僧院があります。
また、第2次大戦の際の日本軍の戦没者を祀るパゴダや墓石もあります。
上るのはけっこうたいへんで、階段をひたすら上ります。
何度か休みながら頂上に向かいました。
丘の上からは緑豊かな風景が見られました。
エーヤワディー川(イラワジ川)と平野が広がっていました。
緑が濃くてのんびりできました。
マンダレーは第2の町ですが、ヤンゴンに比べるとのんびりできる町でした。
いい人たちにも出会えたので、結局1週間くらいのんびりしました。
マンダレーの後は、三大仏教遺跡の一つバガンに向かいました。
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