アルバニア旅行記 港町ドゥラス (ドゥレス)

アルバニア共和国の首都ティラナから西へ35kmほど行くと、港町ドゥラス(ドゥレス)があります。
ドゥラスはアドリア海に面するアルバニア屈指の港町です。

イタリアとの定期便もあり、港湾都市としてアルバニアにとって重要な町です。

首都ティラナからはバスで50分ほどです。
ティラナから近くアドリア海を眺められるということで、日帰り旅行に出かけました。

港町ドゥラス (ドゥレス)観光

ドゥラスドゥラスは3000年の歴史がある町であり、見どころの一つはローマ遺跡です。
その中でも一番のみどころは、ローマ時代の円形劇場です。

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※写真がなかったためWikipediaからお借りしました。

町中の観光の後、丘に登りました。

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アドリア海が広がっている風景はとてもきれいでした。

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海を眺めるのが好きなので、丘の上から海を見るのは気持ちいいものでした。

この後、海辺にも行ってみましたが、当時はゴミが多かったのが残念でした。
丘の上から眺めてる方がよいですね。

海辺にバーがあったので、ハンバーガーとビールを頼みゆっくりと過ごしました。
6月末だったのですが、けっこう暑かったのでビールが進みました。

ドゥラスの町は小さいので、半日もあれば十分観光できました。
ティラナからはすぐに行ける場所にあるので、ちょっと足を延ばすにはいい町でした。

首都ティラナについてはこちら

世界遺産ジロカストラの歴史地区についてはこちら

アルバニア旅行記 ヨーロッパ最貧国の首都ティラナ

アルバニア共和国は日本人にはあまりなじみはないと思います。

実際私もヨーロッパに入りバックパッカー仲間に聞くまで、国の存在すら知りませんでした。
でも、バックパッカー仲間から、観光スポットはないけどとても人がいい国とすすめられ訪れました。

結果として、50ヶ国以上訪れた中でも好きな国のうちの一つとなりました。

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ヨーロッパの中では経済的に最も貧しい国です。

かつては社会主義国であり鎖国状態にありました。
1990年から徐々に開放路線を取り、ようやく鎖国状態を解きました。

しかし、市場主義経済や金融の古都を知らない国民の半分がネズミ講にひっかかる、という信じられないことが起こり、アルバニア経済は破綻しました。
そして、暴動がおこりました。

このような経緯でアルバニアはヨーロッパ最貧国になっています。

ただ、わたしがおとずれた2002年当時は治安は安定していました。
また、素朴な人たちが多くて、人は明るくフレンドリーでとても楽しい滞在となりました。

アルバニア共和国の場所

アルバニア共和国は、東ヨーロッパのバルカン半島南西部に位置しアドリア海に面した国です。
北はモンテネグロ、東はマケドニア共和国とコソボ、南はギリシャと国境を接しています。

私は隣国のマケドニアからマケドニア軍の装甲車に乗せてもらいアルバニアとの国境まで行きました。
マケドニア軍装甲車に乗ったいきさつはこちら

アルバニア入国

無事、マケドニアを出国し、アルバニア川までの国境までは1kmほど歩きます。
オフリド湖を右に眺めながら歩いていると、アルバニア国境の看板がありました。

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この看板からアルバニア領となるわけですが、途端に道路の舗装が悪くなりました。

しばらく歩きアルバニア側のチェックポイントの小屋がありました。
小屋に近づくとみんながテレビの前で盛り上がってました。
当時2002年日韓ワールドカップの真っ最中で、ちょうど韓国-スペイン戦をやっていたのです。

役人も含めてみんながテレビを見てました。
そして、PK戦の末、韓国が勝つという番狂わせが起こった瞬間でした。
みんな悔しそうにしてたので、スペインを応援してたのでしょうね。

そんなときに東洋人の私が入国審査に来たものですから、「コリア!!」と声をかけられました。
タイミング悪いなと思いましたが、「日本人だ」と答えると笑顔で入国審査は無事終わりました。

首都ティラナへ

アルバニア共和国の首都はティラナです。
入国後、首都ティラナを目指しました。

ティラナに行くために、まずは国境から10kmほどのところにあるポグラデチという町までタクシーで移動しました。
バックパッカーだった時代はタクシーはあまり乗らなかったのですが、他の移動手段がなさそうだったのでしょうがないと、4ドルでポグラデチまで行きました。

ポグラデチのまちは、マケドニアのオフリドと同様、オフリド湖を臨む小リゾート地という感じでした。

ポグラデチで現地通貨に両替した後、ティラナに向かうバスを探しました。
その辺にいるおじさんに聞くと「ここでまってろ」と言い、椅子まで出してくれました。
感謝して椅子に座っていると、バスがやってきました。

するとおじさんがそのバスを止めて、乗ることができました。
入国後しょっぱなからいい人に会えて、アルバニアの印象はとても良かったです。

ティラナへの道中

バスはひたすら山を越えていきました。

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バスから見る風景は、緑も多くきれいでした。

ただ、未舗装状態のところも多くあり、土砂崩れが起こってもおかしくなさそうな個所もかありました。
また、道端には廃材や段ボールで作られた露店なんかもあり、とてもヨーロッパとは思えないような光景でした。

ちょっとネパールを思い出すような光景でした。

そのようなヨーロッパらしからぬ光景を眺め、3時間ほどで首都ティラナに到着しました。

首都ティラナの町中

ティラナは首都とはいえ、町は発展しているとはいえず田舎町という感じでした。
町中の道路もところどころ未舗装だったりしました。

10ドルほどの安宿を確保し、その後町中をぶらぶらしました。

正直、町中は取り立てて見どころはありません。

そんな街を歩いていると、ところどころで「コリア!!」と声をかけられました。
この日はそう声をかけられるのも仕方ないでしょう。

そして道端で飲んでる酔っ払いのおっさんたちにも声をかけられました。
「コリア!!」
「ノー、ジャパン!!」
と答えると、「一緒に飲め」と誘ってくれました。

英語もほとんどしゃべれない人たちだったのですが、ビールをおごってくれました。

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コミュニケーションがどれほど取れたのかは不明ですが、気のいいおっさんたちでした。
2本ほど飲ませてもらい、いい感じになりました。

アルバニア1日目で、いろいろといい人たちに会うことができました。
バックパッカー仲間から聞いていた、「アルバニアは人がいい」という言葉を実感した1日でした。

見どころ、観光地はないのですが、旅の醍醐味は人との出会いです。
私はアルバニアがとても好きです。

世界遺産ジロカストラの歴史地区についてはこちら

港町ドゥラスについてはこちら

マケドニア軍の装甲車に乗った日 マケドニア-アルバニア国境

マケドニアの聖ナウム修道院(スベティナウム)を後にし、次の国アルバニアに向かいました。

聖ナウム修道院はアルバニアとの国境間近のところにあります。
観光を終え、国境まで向かいました。
なお、アルバニアは観光目的で90日以内の滞在はビザ不要。
とはいえ入国時にビザに準ずる€10を現地で支払う必要はあります。

マケドニア-アルバニアの国境への道

アルバニア国境に向かおうとするとタクシーが声をかけてきました。
金額を聞いてみると5ユーロとのこと。

国境までの距離はわずかに2,3キロです。
日本円で考えると大したことないのですが、マケドニアの物価からすると高いと感じました。
当時バックパッカーだった私は5ユーロをケチり、歩いていくことにしました。

バックパックを背負いテクテクと歩きました。
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6月で天候もよく、美しいオフリド湖をみながら歩きました。
30分くらい歩いていると、後ろから普通の車とは違う大きな音が聞こえてきました。

振り返ってみるとマケドニア軍の装甲車が向ってきていました。
多少緊張するものの国境付近なのでマケドニア軍がいるのも当たり前かと思い、道の端の方によけました。

マケドニア軍装甲車

私の横を装甲車が過ぎ去ったと思ったのも束の間、目の前でその装甲車が泊まりました。
そして、装甲車から軍人が出てきたのです。

私自身は何も悪いことはしていません。
法律違反もしていないはずです。

しかし、軍人が出てきました。
外国ではどのようなことが起こってもおかしくないのです。
そして、軍人がこっちに来いと手招きしました。

心臓が心臓がバクバクいいました。
緊張しながらも、無視はできないで近づきました。
何が起こるかと思っていると。軍人が親指を立て装甲車の方をさしました。

「ん?」

一瞬分からなかったのですが、何と「装甲車に乗っていけ」といっていたのです。

「え?まじ?」

近づいてみると、軍人は笑顔で装甲車の中に招いてくれました。
なんと、マケドニア軍の装甲車をヒッチハイクしたんです。

装甲車に乗るのはもちろん人生初めてです。
装甲車の中はとても狭い空間でした。
冷房などなく、かなり暑かったです。
軍人はこのような環境に身を置いて、国を守っているのだなと実感しました。

アルバニア国境まではわずか5分ほどでした。
軍人の1人はちょっと英語が話せたので、少しだけ会話をしました。

国境まで来て装甲車を居りました。
軍人2人は笑顔で私を送ってくれました。

なかなかできない経験をしました。
おそらくマケドニア軍の装甲車に乗った日本人は私くらいではないでしょうか。

このような経験をできるのも旅の醍醐味ですね。
バックパッカーになってよかったと思う一時でした。

マケドニア旅行記 聖ナウム修道院(スベティナウム)と孔雀

聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)はマケドニア共和国観光の中で見どころの一つとなっています。

この聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)は東方正教会の修道院です。
この地に修道院を開いた聖人ナウムにちなんで名づけられました。

聖ナウムを現地の言葉でスベティナウムと呼びます。
私はバックパッカー時代に訪れ、ガイドブック等の情報はなく現地の人に聞いていたのでスベティナウムという名前で覚えていたので、聖ナウムという名は日本に帰ってから知りました。

この聖ナウム修道院はマケドニアの人たちにもおすすめされ、また次の国アルバニアの国境の町でもあるので向かうことにしました。

聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)の場所

 

マケドニア共和国の世界遺産オフリドの町から、オフリド湖沿いを南に約30km。
隣国アルバニアとの国境にほど近い場所に聖ナウム修道院(スベティナウム)はあります。

オフリドの町でバスに乗り、美しいオフリド湖を横目に見ながらぐるっと回って50分ほどで聖ナウム修道院(スベティナウム)に到着します。

美しいオフリド湖や自然を見ながらのバスの旅もよいものでした。

聖ナウム修道院(スベティナウム)の孔雀たち

聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)はオフリド湖沿いの小高い丘の上に建っています。
バスを降りて丘を登ります。

すると修道院、教会が見えてきました。

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なおこの教会は大きくはないのですが、フレスコ画が見事です。
内部は撮影禁止なので写真は撮りませんでした。

また、この聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)の見どころの一つ、名物ともなっているのが孔雀たちです。

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修道院の敷地に何羽も孔雀がいます。
なかなか羽を開くことはないので、残念ながら孔雀らしい姿は撮れませんでした。
それでも色鮮やかな鳥でキレイでしたね。

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上の写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、白い孔雀もいました。
この孔雀も色鮮やか孔雀と違った美しさがありました。

 

この聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)は丘の上にあるので湖も見渡すことができ、とても景色のいいところです。
孔雀も見られますので、マケドニア共和国に旅行するのであれば観光地としてぜひ押さえていただきたいところです。

この後、アルバニア国境に向かいました。

アルバニア国境途中でマケドニア軍装甲車に乗った話はこちら

マケドニア旅行記 世界遺産オフリド

マケドニア共和国のオフリドは、オフリド湖のほとりにある自然豊かな町です。

オフリド地域の自然・文化遺産」として世界遺産として登録されています。
マケドニア共和国では、唯一の世界遺産です。

オフリドはマケドニア共和国随一の観光地となっています。

オフリドの場所

オフリドはマケドニア共和国の南西部に位置しています。
オフリト湖はマケドニアとアルバニアにまたがっている湖です。

首都スコピエからオフリトへはバスで3時間ほどです。
バスから見る山々の風景もよかったです。

オフリド観光

オフリドに到着後、プライベートルームと呼ばれる民泊に泊まることにしました。
通常のホテルに比べるとだいぶ安く泊まることができます。
そのため、バックパッカーにとってはありがたい存在です。

宿を確保し、すぐに観光に出かけました。

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オフリド湖が広がっています。

オフリド城塞

またオフリドの町の丘の上には城塞があります。
眺めがよいということで、上ってみました。

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城塞から見るオフリドの町は豊かな自然と街並みが融合していて美しかったです。

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美しい風景を見ながら、とても静かでのんびりできる場所でした。

オフリドの教会

オフリドには数多くの教会があります。
かつては市内に365もの教会があり、マケドニアのエルサレムとも呼ばれていました。

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このように正教の寺院です。
ブルガリアのリラの僧院を思い出しました。

このほかにも寺院はたくさんあります。

オフリドの町は美しい光景が広がり、のんびりしていていい町でした。
オフリドの町は小さいので観光も1日で回ることが可能です。

マケドニア旅行にいくならぜひオフリドにも訪れてみてください。
また、オフリドの南には聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)という見所もあります。
この聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)からは美しいオフリド湖を眺められ、また美しい孔雀も見ることができるのでお勧めです。

聖ナウム修道院(スベティナウム修道院)の様子はこちら

マケドニア旅行記 首都スコピエ

マケドニア共和国という国を訪れた日本人は少ないかもしれません。
マケドニアは東ヨーロッパのバルカン半島に位置する国です。
かつては旧ユーゴスラヴィアの構成国でした。

マケドニアといえば、歴史で習ったアレクサンドロス大王を思い出すかもしれませんね。
また、マザーテレサが生まれた国でもあります。

宗教的には正教会とイスラム教が中心となります。

私はそんなマケドニアをバックパッカー時代に旅行しました。

マケドニアの場所

マケドニアはバルカン半島にあります。
北はセルビアとコソボ、東はブルガリア、南はギリシャ、西はアルバニアと国境を接しています。

マケドニア共和国の国土の大部分は山地になっています。

首都スコピエ 観光

そんなマケドニア共和国の首都がスコピエです。
古代ローマ帝国時代に作られた歴史ある都市です。

マケドニア共和国最大の都市で全人口の3分の1がスコピエに居住しているそうです。

文化的には正教会とイスラム教の二つの宗教の影響を受けている都市です。

スコピエ城塞

スコピエ観光のメインともいえるのがスコピエ城塞です。

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写真が暗くてわかりにくいですが、右の奥にモスクが見えます。
ムスタファ・パシャモスクです。

スコピエ城塞は小高い丘にあるので、町を見下ろすことができます。

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マケドニア人は人懐っこい国民性で、とても優しくいい人が多いです。
いろいろと話しかけてきたりと楽しかったです。

なかなかマケドニア、スコピエに訪れる機会はないかもしれませんが、マケドニアはのんびりして物価も安いいい国です。
もし興味があれば訪れてみてください。

マケドニアの世界遺産オフリドについてはこちら

バチカン市国旅行記 世界一小さな国

イタリアのローマの中に、世界一小さなが存在しています。
それがバチカン市国です。

バチカン市国は、ローマ教皇庁によって統治された国です。
ローマ教皇は全世界のカトリック教徒の精神的指導者です。
そんなローマ教皇庁が治めるバチカン市国は、カトリック教会の総本山といえる場所です。

また、バチカン市国は、国全体が世界遺産に指定されています。

バチカン市国の情報

バチカン市国はローマの中にあります。

町の中に国があるというのが不思議な感じがしますね。

バチカン市国の国土面積は、わずか0.44平方キロメートルです。
ちなみにディズニーランドが0.52平方キロメートルなので、ディズニーランドよりも小さいです。

さすが世界最小国ですね。

バチカン市国観光へ

バチカン市国はローマの地下鉄A線のオッタヴィアーノ駅(Ottaviano)から徒歩10分くらいです。
それ以外にもバスやトラムで移動することもできます。

ちなみに入国時に入国審査はありません。

バチカン市国入国に際しては服装に注意しましょう。

バチカン市国の最大の見どころといえるのがサンピエトロ大聖堂です。
このサン・ピエトロ大聖堂は神聖な場所のため、肌の露出度の高い服装はNGです。
キャミソールやミニスカート、ショートパンツなどでは、入れない可能性があります。

神聖な場所であるということに敬意を払った服装にしましょう。

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロとは聖ペテロのことです。
キリスト教の使徒ペテロの墓所を祀る聖堂とされています。

カトリックの総本山とされる場所です。

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曇っていたため写真は暗くなってしまいました。

さすがにカトリックの総本山だけあって、多くの観光客が訪れます。

サン・ピエトロ大聖堂は荘厳な作りです。
中に入ってもすごいです。
建物自体の作りもすごいですし、様々な像や装飾が見られます。

神聖な場所だから駄目だと思って写真を撮らなかったのですが、一部を除いて撮影はOKだそうです。
撮らなかったことが悔やまれます。

クーポラ(ドーム)

サンピエトロ大聖堂のクーポラ(ドーム)に上ることができます。
このクーポラからはバチカン市国を一望できます。

階段で上がることもできますが、実はエレベーターもあります。
料金は途中までエレベーターで上る場合は7ユーロ、全て階段で上る場合は5ユーロの2種類です。
けっこうたいへんなので、体力に自信がない人にはエレベーターをおすすめします。

そして、そのクーポラからの眺めがこちらです。

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ここから見る眺めはとても良かったです。
写真が暗めで分かりにくいと思いますので、ぜひ訪れてみてください。

バチカン美術館

サン・ピエトロ大聖堂とともに見どころとなるのがバチカン美術館です。

歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館です。

システィーナ礼拝堂

そんなバチカン美術館の中でも最大の見どころともいえるのがシスティーナ礼拝堂です。

システィーナ礼拝堂の天井にはミケランジェロの描いた「創世記」や「最後の審判」があります。
とても有名な絵ですね。
教科書で見たことがあると思います。

それ以外にも様々な芸術作品があり必見の場所です。

 

ローマに訪れるならバチカン市国は外せないですね。
一度は訪れてみてほしいと思います。

ミャンマー旅行記 チャイティーヨー・パゴダ (ゴールデンロック)

ミャンマーにはとても不思議な岩があります。
落ちそうで落ちない黄金の岩で、ゴールデンロックと呼ばれています。

本当に落ちそうなんですが、落ちない岩なんです。
このゴールデンロック、正式にはチャイティーヨー・パゴダ という仏塔(パゴダ)であり、仏教の聖地とされています。

その不思議な光景を見るために多くの観光客も訪れます。
ミャンマーに行くならぜひ訪れてほしいスポットです。

チャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)へのアクセス

チャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)ヤンゴンの東200kmくらいのところにあります。

ヤンゴンからは4時間半ほどの場所にあり、ちょっと頑張れば日帰り旅行で行くことも可能です。

移動方法としては、まずチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)のふもとの町キンプンまでバスかタクシーで行きます。
ミャンマーはタクシーが安いので、複数人で割り勘にすれば1日チャーターしてもそんなに高くないです。

キンプンからチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)へは、ピックアップバスと呼ばれるトラックの荷台に乗って1時間ほどです。

落ちそうで落ちないゴールデンロック

そんなこんなでチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)に到着。

遠目から見ても、明らかに不思議な岩が見えてきます。

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ちょっと写真が古いのと、ゴールデンロックが小さく映っているためわかりにくいかもしれませんが、この写真の真ん中くらいに位置している金色の者がゴールデンロックです。

ここから見ると落ちるはずなのになんで?と思います。

近づいた写真がこちらです。

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本当に不思議ですね。
ちょっと押しただけで落ちそうな感じです。
でも、このゴールデンロックは落ちないんですね。

ちなみに岩が金色なのは、金箔が張られているからなんです。
巡礼者の寄付によって貼り付けられた金箔に覆われた花崗岩なんですね。

そして、この金箔で覆われたゴールデンロックの上に高さ7.3mの小さなパゴダが乗っているのです。
どうやって金箔をはったり、パゴダを乗せたりできたのだろう、と不思議になりますね。

インドのマハーバリプラムにあるバターボールも不思議な光景ですが、同じくらいかそれ以上に不思議な光景です。

だからこそ、多くの仏教徒や観光客が訪れるわけですね。

実際にチャイティーヨー・パゴダ(ゴールデンロック)を目の当たりにすると、本当に不思議な光景です。
ミャンマーを旅行するのであれば、ぜひ訪れてほしいポイントです。

 

ミャンマー旅行記 インレー湖

インレー湖はミャンマーの観光地の一つです。

海抜1300mのシャン高原にある長さ22km、直径10kmの湖です。
標高が高いので、南国ミャンマーでも比較的涼しい場所です。

湖と緑が美しい町です。
インレー湖には水草を集めて作られた沢山の浮島や水上マーケットがあり人気の観光地です。

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インレー湖の場所

インレー湖はミャンマーの中央部のやや東に位置しています。

ミャンマー最大の都市ヤンゴンからは約600km。
バスで9時間くらい。

三大仏教遺跡の一つバガンから約350km。
バスで7時間くらい。

古都マンダレーからは約250Km。
バスでは5時間くらい。

という位置です。

インレー湖観光 インダー族

インレー湖周辺で生活をしている民族がインダー族です。
水上での生活を送っています。

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水草で作った浮島の上で野菜を栽培したりもしているそうです。

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カヌー型の舟を片足を使って漕ぎます。
とても器用に舟を操るんです。

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水上生活という日本ではありえない生活を目の当たりにすると、世界にはいろいろな文化があるのだなー、と感じられます。
このような文化に接することができるのが、旅の醍醐味ですね。

ジャンピングキャット

どうでもいい感じではあるのですが、なぜかインレー湖の名物となっているのがジャンピングキャットです。

ジャンピングキャットとは、その名の通りジャンプする猫です。
輪っかを差し出すとその輪を飛び跳ねて通る猫です。

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こんな感じです。
まあ、だからどうなの?という感じではありますが、しょうもない感じが面白いです。

ちなみにこのジャンピングキャットがいるのは寺院です。

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お坊さんもジャンピングキャットの芸を見せてくれました。

 

インレー湖は水上で生活している人々という日本二はない文化を見ることができるとともに、美しい風景も見ることができます。
個人的にはバガンの次に好きな場所でした。

ミャンマーに行くのであれば、ぜひ訪れてみてください。

ミャンマー旅行記 三大仏教遺跡の一つ バガン

ミャンマーのバガンは、私が旅行してきた中で大好きな町の一つです。
バガンは三大仏教遺跡の一つと言われています。

残り二つはカンボジアのアンコールワットと、インドネシアのボロブドゥールです。

アンコールワット、ボロブドゥールに比べるとマイナーかもしれませんね。
でも、私はバガンが大好きです。

ミャンマーを旅行するならぜひ訪れて欲しい、おすすめの観光スポットです。

バガンの場所

バガンはミャンマーのほぼ中央部に位置しています。

ミャンマーの古都マンダレーからバガンは、バスで6時間くらいです。
でも、バス以外の移動法として、船でエーヤワディー川(イラワジ川)を下る方法もあります。
10時間くらいかかるので、時間はかかりますがのんびり船だ下るのもよいものです。

私は船で移動しました。

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船の上からパゴダ(仏塔)を眺めることもできます。

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時間がある人であれば船での異動もおすすめです。

バガン遺跡観光

バガンの見どころといえば、三大仏教遺跡の一つであるバガン寺院遺跡です。
アンコールワットやボロブドゥールと違い、バガンの遺跡は一つ大きな寺院があるわけではありません。

広い範囲に大小さまざまな寺院遺跡が立ち並んでいます。
自転車を借りて回ることができます。
ツアーに比べると自由がききますので、個人的には自転車がおすすめです。

パゴダ、寺院の数は3000を超えるといわれています。
その光景は圧巻です。

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これらのパゴダ、寺院は11世紀から13世紀にわたり建てられたものです。

アーナンダ寺院

そんなバガンの寺院の中でも最もバランスが美しい建築と言われているのが「アーナンダ寺院」です。

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バガンの寺院の多くが赤茶色なのに対して、アーナンダ寺院は白亜の建物に上に金の仏塔があってとても映えます。

寺院の中には大きな仏像があります。

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ダマヤンジ―寺院

バガンの寺院の中でも、特に私が好きなのがダマヤンジ―寺院です。

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バガンの中でも、とても大きな寺院です。
荘厳、重厚な感じがして、一番好きな寺院でした。

バガンには5日間いましたが、何度か訪れました。

シュエサンドーパゴダ

シュエサンド―パゴダは大きな寺院です。

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そして、その上に登れるのでバガンの遺跡群を見渡すことができます。

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上から見るとバガンの遺跡群のすごさが分かります。

 

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緑の中に無数のパゴダ、寺院が望めるのは圧巻ですね。

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なお、シュエサンド―パゴダは、夕日や朝日を見るスポットにもなっています。
幻想的で素敵な光景を目にすることができます。

 

バガンは本当に素敵な場所でした。
ミャンマーに旅行に行くのであれば、絶対に訪れてほしい場所です。

ミャンマー旅行記 古都マンダレー

マンダレーヤンゴンに次ぐ、ミャンマー第2の都市です。

イギリスに統治される前のビルマで、独立を保った最後の王朝であるコンバウン王朝の首都だった都市です。

ヤンゴンからは600km以上北、ミャンマーのちょうど真ん中くらいのところに位置しています。


現在は飛行機だと1時間くらいですが、バスだ11時間くらいです。

ただ、私がミャンマーを訪れたのは1997年のこと。
バックパッカーだったので、バスで移動したわけですが道路は舗装されていませんでした。
当時は、ヤンゴンからマンダレーまでのバスは17時間かかりました。

マンダレー観光

マンダレーは第2の都市とはいえ、ヤンゴンに比べると落ち着いた田舎町でした。
また、ヤンゴンよりも湿度は低く、10月のマンダレーはとても過ごしやすい町でした。

当時は民主化前であり、経済的には今よりかなり貧しかったと思います。

しかし、人は優しく、人懐っこくてけっこう楽しかったです。

Pann Cherry Restaurant(櫻花レストラン)

マンダレーを訪れるバックパッカーにとって、有名おだった食堂が櫻花レストランでした。

中国系のオーナーの店で、働いているミャンマー人の女の子の一人は少し中国語がしゃべれました。
当時の私は英語よりも中国語の方が得意(といっても多少しゃべれる程度ですが)だったので、けっこううれしかったのを覚えています。

お互いに片言の中国語を介しながら、ビルマ語と日本語を教えあったりしてました。
そうするとほかの人たちも会話(と言えるかどうかは微妙ですが)に入ってきて、楽しかったですね。

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マンダレーには1週間くらいいたのですが、ほとんどの食事はこの食堂で食べました。
さすがにそれだけ行くと店の子たちとは結構仲良くなりました。

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写真はカレーっぽいミャンマー料理カレーです。
これ以外にも麺類とかあるのですが、けっこう味は良かったです。

今でもバックパッカーには人気の食堂のようです。
さすがに当時の女の子たちはいないと思いますが、とても感じのいい食堂でした。

コオン屋の仲間たちと

ミャンマーはコオンという噛みタバコがあります。
コオンはキンマの葉に溶いた石灰やビンロウ、肉桂などを乗せて巻いたものです。
ミャンマー人はよくそれを噛んでおり、その辺の屋台でよく売られています。

マンダレーの町を歩いていると、そのコオンを売っている屋台にたむろしている人たちと仲良くなりました。

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コオンをタダでもらって噛んでみたのですが、口の中がスーッとするのとともに痺れるような刺激が広がり奇妙な味がしました。
コオンを噛むと血のような赤い唾液が出ます。
そんな赤い唾液を吐いているのを初めてみると、血を吐いていると思ってびっくりするかもしれませんね。

この人たちとはマンダレーにいる1週間のうち、半分くらいはあって遊んだり、飲んだりしてました。

ほとんど言葉は通じなかったのですが、なんか楽しかったです。

ちなみに写真を見ると、みんなスカートをはいているのが分かると思います。
これはロンジーといって、伝統的な衣装です。
布を筒状にしただけのものなのですが、それを腰のあたりで縛るだけです。
風通しがいいので暑いミャンマーにはよいです。
私もミャンマーにいるときはけっこう履いてました。

エーヤワディー川(イラワジ川)

エーヤワディー川はミャンマーの中央を流れる大きな川です。
かつては、イラワジ川と呼ばれてた川です。

マンダレーの中心地から歩いていくことができます。

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本当に大きな川です。
川沿いを歩いていると、水を運んでいる人や川で泳いでいる人、セパタクローをしている人、ぼーっとしている人などいろんな人がいました。

エーヤワディー川はマンダレーの西側に位置しているので、夕方に行くと夕日がきれいに見えます。

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夕日の光が川面に映ります。

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美しい光景なので、マンダレーに行くならぜひ訪れてほしいです。

ザガインヒル

ザガインヒルはマンダレーの南西15kmほどのところにある14世紀にシャン族が王朝(ザガイン朝)を築いた町です。

ザガインヒルはザガインの象徴であり、150以上の仏塔と僧院があります。
また、第2次大戦の際の日本軍の戦没者を祀るパゴダや墓石もあります。

上るのはけっこうたいへんで、階段をひたすら上ります。
何度か休みながら頂上に向かいました。

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丘の上からは緑豊かな風景が見られました。
エーヤワディー川(イラワジ川)と平野が広がっていました。

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緑が濃くてのんびりできました。

マンダレーは第2の町ですが、ヤンゴンに比べるとのんびりできる町でした。
いい人たちにも出会えたので、結局1週間くらいのんびりしました。

マンダレーの後は、三大仏教遺跡の一つバガンに向かいました。
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ミャンマー旅行記 最大の都市ヤンゴン

ミャンマーは近年民主化されてから、経済発展が著しい国です。

そんなミャンマーを旅行したのは、1998年のこと。
当時は軍事政権下であり、アウンサン・スーチー女史も軟禁されていた時代です。

そう聞くと怖そうな国に思えるかもしれませんが、当時ミャンマーはバックパッカーの間では「とても人がいい国」と言われていました。
バックパッカーにはとても人気があった国です。

私もその話を聞きタイのバンコクから、当時のミャンマーの首都ヤンゴンに飛行機で降り立ちました。
ミャンマー旅行がスタートです。

ミャンマー最大の都市ヤンゴン

ヤンゴンは当時のミャンマーの首都(現在の首都はネピドー)であり、現在でも最大の都市です。
イギリス統治時代から1989年まではラングーンと呼ばれていました。

ヤンゴンの空港から町中まではタクシーで移動しました。
タクシー運転手と交渉すると2ドルまで下がりました。
現在ではもう少し高くなっているようです。

当時でも中心部は車が多く、渋滞していました。
そのため40分ほどタクシーに乗ることになりました。

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ちなみにミャンマーの車道は日本とは逆で右側通行です。
でも、日本の中古車が多く、右側ハンドルのままで運転されています。
日本語がそのまま書かれている中古車や旧コバスがあり、「三ノ宮行き」と書かれたバスなんかも走っていました。
ミャンマーでは日本車ファンが多いようです。

ヤンゴンの安宿 ホワイトハウスゲストハウス

中心部に到着し、まずは宿を確保です。

当時からミャンマーを訪れるバックパッカーに人気だったゲストハウスがホワイトハウスゲストハウスに泊まることにしました。
当時は7ドルで泊まれました。
なお、経済発展し物価が上がっている現在でも、シングル10ドルくらいで泊まれるそうです。
トリップアドバイザーのホワイトハウスゲストハウスの情報

現在ではホワイトハウスゲストハウス以外にも、ユースホステルやゲストハウスが増えているようです。
ホテル予約サイトでも、安宿は探せるので見てみてください。
ヤンゴンのホテル情報

シュエダゴン・パゴダ

宿を確保した後はヤンゴン観光です。

ミャンマーは仏教国であり、観光のメインは仏教寺院などになります。

その中で最大の見どころと言えるのが、シュエダゴン・パゴダです。
パゴダとは英語で「仏塔(ストゥーパ)」を意味している言葉です。

寺院に入るところで、まずはサンダル(靴)を脱ぎます。
そして基本的にタンクトップなどの肌の露出の多い服は禁止です。

中に入るとまず土産物屋が並んでいました。
階段を上ると窓口があり、外国人旅行者は入場料を払う必要があります。
※地元の人は無料です。

料金を払ってさらに階段を昇っていきます。
すると巨大な黄金の塔が見えてきました。

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最も高い真ん中の仏塔は、高さ約100mもあります。
そして、仏塔にはダイヤやルビーなど、約6,000個の宝石が埋め込まれているそうです。

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シュエダゴン・パゴダは地元の人にとっては身近な存在でもあり、多くの人がいました。
熱心にお祈りをしている人もいれば、おしゃべりをしている人、昼寝をしている人などいろいろな人がいました。

なお、寺院の中は靴やサンダルを脱いで裸足で歩く必要があるのですが、ミャンマーは南国なので床がけっこう熱いです。
シュエダゴン・パゴダを訪れた時は、まだ午前中だったのですがそれでもけっこう熱かったです。
ミャンマーの寺院を訪れるときは、その辺をちょっと気を付けたほうがよいですね。

ヤンゴンのその他の寺院

シュエダゴン・パゴダ以外にもヤンゴンにはいくつかの寺院があります。

  • ヤンゴンの町の中心にあるスーレー・パゴダ
  • 70mもある根釈迦物があるチャウダッジー・パゴダ
  • 歴史あるボウタタウン・パゴダ

など、ヤンゴンの町は観光スポットが多くあります。

ヤンゴンの食事

ミャンマーは、中国、タイ、インドなどと国境を接しています。
そのため、ミャンマー料理はそれらが融合した料理だったりします。

カレーや中華っぽいのモノ、東南アジアらしいものなどがあります。
ただ、ミャンマー料理はやや油が多いという特徴があります。

ミャンマーは中国と国境を接していることもあり、中華料理店もけっこうあります。
ミャンマー料理が苦手な人は、中華料理に逃げるという手もあります。

また、私が当時訪れた時でもハンバーガー屋や日本食屋もありました。

ちなみにハンバーガ屋といっても、当時はアメリカと国交断絶していたのでアメリカ資本のハンバーガ―屋はありませんでした。
でも、アメリカ文化にあこがれているのか、「マックバーガー」「東京フライドチキン」などパクリっぽい店が多くて面白かったです。
今でもあるのかはわかりませんが。。。

現在では、状況も違っているのでもっといろいろと食事の幅も広がっているようです。

 

当時のミャンマー、ヤンゴンもかなり楽しかったのですが、民主化された後のミャンマーにもまた行ってみたいと思います。

さて、ヤンゴンのあとはマンダレーに向かいました。

マンダレー旅行記はこちら

ミャンマー旅行記 民主化前のミャンマー旅行事情

ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた国です。

最近民主化され、今後は経済的な成長も見込めると注目されている国です。

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ですが、私がミャンマーにバックパッカー旅行したのは1998年のこと。
現在とは全いました。

ミャンマーは長期にわたり軍事政権が国を治めており、反対派を抑圧していました。
私が旅行した当時は、アウンサン・スーチー女史は自宅軟禁されていました。
また、アメリカは経済制裁を行っていました。

そう聞くと「何でそんな国に旅行したの?」と思われるかもしれませんが、実は当時のミャンマーは旅行者にとってはとても魅力的な国でした。
そんな当時のミャンマーについて書いていきたいと思います。

ミャンマーの場所

ミャンマーは東南アジアの一国です。
インド、バングラデシュ、タイ、ラオス、中国と国境を接しています。

なお、当時ミャンマーとタイの国境は封鎖されていました。
旅行者はタイから陸路でミャンマーに入ることはできなかったのです。

余談ですが、猿岩石がテレビ番組の企画でユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅行を下のは社会現象となりました。しかし、ミャンマーに陸路で入れるわけないというのは、当時のバックパッカーの中では常識だったので、あれは「やらせ」だとよく言ってたものです。

現在はタイから陸路でミャンマーに入ることも可能になったようです。

私が旅行した当時は陸路ではいれなかったので、タイのバンコクからミャンマーの当時の首都ヤンゴンに飛行機で入りました。
※現在はネピドーが首都となっています。

バンコクからヤンゴンまでは飛行機で、わずか1時間ほどです。

ミャンマー入国 ヤンゴンに到着

ヤンゴンはミャンマー第1の都市です。
そのヤンゴンの空港もとても小さい空港でした。

飛行機を降りるとターミナルまではバスで移動するのですが、そのバスは日本のバスの中古車でした。
自動扉、入口、出口など日本語が書かれているバスに乗るのはけっこう驚きでした。

当時の強制両替

当時、入国審査を終えた後に、待ち受ける関門がありました。
それは強制両替です。

強制両替とは、当時のミャンマー政府がが外貨を稼ぐ手段として設けた制度です。
外国人旅行者に300ドルを強制的にミャンマーの兌換紙幣に変えさせるのです。
そしてその兌換紙幣は再両替禁止。
つまり、入国した以上300ドルは絶対使えという制度だったわけです。
※いちおう闇両替でレートは悪いなりにも再両替はできましたが。

一般的な日本人からすると、海外旅行するのであれば300ドル=3万円程度は使うのは当たり前と感じるかもしれません。

しかし、バックパッカーにとってはとても高い金額だったのです。

当時のミャンマーの物価

当時のミャンマーの宿は1泊3ドルで、シャワー朝食付きに泊まることもできました。
食事も1食1ドルもかからなかったのです。

バックパッカーにとっては、1日数ドルで生活できる環境であり、旅行のため観光料金や移動費用を考えても1ヶ月で300ドルは高すぎるだろうという感覚でした。

そんな中、私はミャンマーで3週間滞在して300ドル使うという、豪遊?旅行にしてやるという意気込みで300ドルを両替しました。
まあ、今思うとどうでもいいような感じですが、当時のバックパッカーの中ではけっこう思い切ったほうだったと思います。その思い切った兌換紙幣の使い方は別途お伝えします。

微妙なファーストフード店やお店たち

当時のミャンマーはアメリカとは断絶していました。
そのためアメリカ資本の企業は入っていませんでした。

ですので、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンなどのアメリカ資本のふぁーすフード店などはなかったのです。

ですが、ミャンマー人にとってもハンバーガーなどのファーストフードは魅力的だったのです。なので、パッチモンのファーストフード店が多くありました。
「マックバーガー」「トーキョーフライドチキン」など、なかなか笑えるようなファーストフード店がおもしろかったです。

民主化前だからこそ体験できたこと

このように書いてきました、民主化前、軍事政権下のミャンマーは非常に魅力的だったのも事実です。

おそらく現在よりもミャンマーの人々は素朴だったのだろうと思います。当時、「ミャンマーは人がいい」「人が優しい」ということでバックパッカーに人気だったのです。
民主化され、資本主義が入ったことにより、人の心も多少は「豊かさ」というか「金」にシフトして行くのだと思います。

とはいえ、私は資本主義、民主主義が悪いというわけではありません。
話部外者である外国人旅行者の勝手な目で判断するものではありません。

ミャンマーの人々にとっては統制されている社会よりも、自由が手に入ることの方が大切ですし、経済的な発展も重要です。

現在、民主化が進んでいることはとてもいいことだと思います。
とはいえ、私自身としては民主化前の軍事政権下のミャンマーを経験できたことは、自分にとっては貴重な体験だったと感じています。

イタリア・ローマ旅行記

スペインのバルセロナから、夜行バスでローマに行きました。

ユーロラインズパスという、ヨーロッパの国際線バス乗り放題のパスを利用しています。
バックパッカーだったので、ユーロラインズパスは夜行バスは宿代を浮かせつつ移動できる効率的な手段でした。

バルセロナからローマまでは20時間と比較的時間がかかります。
とはいえ、私は過去中国のタクラマカン砂漠で60時間のバス移動などを経験していたため、20時間はそれほどたいへんとは感じませんでした。
20時間もあるとけっこう長く眠れるので、夜行バスで移動しても逆に楽でした。

ローマ

ローマといえば現在のイタリアの首都というだけではなく、古代ローマ帝国時代からルネッサンスやバロック時代などを経た歴史的な町です。

ローマ市内にはコロッセオやパンテオンをはじめとした、ローマ帝国時代の遺跡があります。

それ以外にも、映画「ローマの休日」で有名なスペイン階段や真実の口(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)、トレヴィの泉などもあり、観光名所が目白押しの場所です。

コロッセオ

ローマ到着後、安宿を確保しすぐに観光に出かけました。

まずは世界遺産にも登録されているコロッセオに行きました。

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コロッセオはローマ帝国時代に作られた円形闘技場です。
当時はフラウィウス円形闘技場といったそうです。
かつて、剣闘士たちの血なまぐさい格闘がおこなわれた場所です。

ですが、現在ではローマを象徴する観光スポットにもなっています。

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コロッセオはデカくて、迫力がありました。
ローマ帝国時代からあるだけあって、歴史を感じさせられる建築物でした。

フォロ・ロマーノ(ローマ遺跡)

コロッセオだけではなく、ローマの町中には遺跡がそこら中にあります。

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ちょっと写真が暗くてわかりにくいのですが、古代ローマ帝国の遺跡です。
正面に見えるのは元老院会議場で、その奥にはカピトリーノの丘があります。

このような遺跡と現代の都市が融合しているところがローマの魅力の一つだと思います。

ただ、個人的にはローマ遺跡というと、シリアのパルミラ遺跡ヨルダンのペトラ遺跡の方が好きでした。

トレヴィの泉

ちょっとミーハーですが、トレヴィの泉にも行きました。

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トレヴィの泉といえば、後ろ向きにコインを投げるところで有名ですね。
投げ入れるコインの枚数によって、かなう願いが違うんです。

コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われています。

私は2枚投げ入れました。

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実際多くの観光客がコインを投げ入れていたので、泉のそこにはコインがたくさん沈んでいました。

ちなみにそのコインは、清掃員によって回収されます。
回収されたものはローマ市のものとなり、その後慈善団体に寄付されているそうです。

 

ローマは、見どころがとても多い町です。
さすがに歴史的な町だな、とあらためて感じました。

小田原のRYOでおいしい魚料理のランチ

星野リゾートの「界 箱根」に宿泊しお昼前にチェックアウトした後、小田原に移動しました。
箱根は前日に観光していたので、せっかくなので帰る途中で小田原によってみたかったからです。

箱根湯本から小田原までは、電車で15分ほど。
すぐに着きました。

小田原は魚がおいしいということを聞いていたので、ランチに魚料理を食べることにしました。

SAKANA CUISINE RYO

町中を歩いている中で見つけたRYOというお店で食べることにしました。
店構えはなかなかこじゃれた感じです。

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立て看板に「生シラス」と書いていて、生シラスが食べたいと思って入りました。
寿司や海鮮丼、焼き魚、煮魚など、魚料理のお店です。

RYOのホームページはコチラ⇒http://www.d-ryo.co.jp/

メニューを見ると、ランチのお得なメニューが色々とありました。

私はちょっと贅沢をして「生シラス」と「本日の焼魚と地魚にぎり」、さらにビールを頼みました。
地魚は名前を聞いたのですが覚えられなかった深海魚でした。
なかなか食べることができないので良かったかなと思います。

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まずは生シラスとビールが出てきました。

さっそくいただいたのですが生シラスは、新鮮でおいしかったですね。
昼間から飲むビールもおいしかったです。
一気に飲みそうになったのですが、昼間から飲みすぎると動けなくなるので控えめにしました。

そして、メインである「本日の焼魚と地魚にぎり」が登場です。

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寿司の一番左が深海魚です。
あとはクロムツともう一つは忘れてしまいました。。。

また、右手奥にあるのが焼き魚ですが。こちらも地魚の名前を覚えられなかった深海魚でした。
深海魚たちは柔らかく淡白な味わいでしたが、とても美味しかったです。

新鮮な魚を食べられてとても満足できる贅沢なランチでした。
RYOは美味しかったのでおすすめですね。

RYOじゃなくても小田原に行ったら、ぜひ魚料理を食べてもらいたいですね。
他にも魚料理のお店はあるので、私も次行ったときは別のお店にも入ってみたいと思います。

星のリゾート 界 箱根に宿泊しました 口コミ情報・評判

箱根にある星野リゾート系列の旅館「界 箱根」に宿泊しました。

星野リゾートといえば顧客満足度の高いサービスを提供する高級ホテルを運営していることで有名ですね。
そんな星野リゾートの宿に泊まってみたかったので、箱根に旅行するのであればと「界 箱根」に泊まることにしました。

界 箱根へのアクセス

界 箱根は箱根湯本駅から少し離れた場所に位置しています。
タクシーで7分の距離にあります。
タクシー代は1100円くらいでした。

箱根湯本駅からちょっと離れているので、周りはとても静かです。
また、山と川が見えるので景観もよいです。

界 箱根に宿泊

夕方5時くらいに到着しました。
まずはチェックインの手続きのためロビーのソファで待つように言われました。

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するとウェルカムドリンクとして、スパークリングワインかオレンジジュースを選べました。
私はスパークリングワインを頼みました。

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しばらくするとチェックインの手続きが終わりました。
食事の時間はこの時間だと、用意できるのが8時ということでした。
3時間も待たなければならないのは、ちょっと嫌でしたがしょうがないので食事は8時からにしました。

界箱根の部屋

部屋まで案内してもらいました。
フロントのある建物とは別の館になります。

部屋の中はこんな感じになってました。
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細い通路を歩いていくと和室につきます。

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部屋はまあまあという感じでした。

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ちなみにもう一つの部屋にはベッドがあります。
寝るのは布団ではなくベッドです。

また部屋には風呂もついています。
この内風呂にも温泉が引きこまれているので、大浴場に行かなくても温泉に入れます。IMG_1360
風呂はヒノキ造りでした。
浴槽の深さがけっこうあるので、肩までつかれます。

洗面台はこんな感じでした。
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まあ、普通ですね。

トイレはこんな感じでした。
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こちらも普通でした。

着いた日は夕方で火が落ちていたので部屋から風景が見えなかったのですが、翌日の朝部屋から外を見てみました。
すぐそばに箱根の山が見られます。
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界箱根の温泉

部屋でも温泉に入れますが、もちろん大浴場に行きました。
大浴場は地下にあってエレベーターでおります。

界箱根の大浴場は半露天風呂です。
天井はあるのですが一面は壁がなく、外の空気が味わえます
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内部の風呂はないので、冬はちょっと寒いので注意が必要です。
部屋の風呂で体を洗って、大浴場でゆっくり入ったりした方がよいと思います。

私が行ったのは秋だったので、まだ大丈夫でした。
1泊2日の間大浴場では3回入浴しました。
平日だったからか、1~2人くらいしかいなくて、ゆっくり入ることができました。
せっかくの温泉ですから、のんびりできたのはよかったです。

界箱根の食事

8時前に食事の準備ができたと部屋に電話がありました。
3時間も待ったので、お腹が空いてました。

食堂はフロントと同じ建物になります。

席に案内されました。
テーブルの上にお盆がありお品書きがありました。
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今回のメインは明治の牛鍋でした。

先付けは、「サーモンと野菜のマリアージュ 三層のムース」です。
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ムースにはウニがのっていて、混ぜて食べるととても美味しかったです。

次は寄木八寸です。
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秋らしい料理でした。

土瓶蒸しもありました。
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ダシが出てうまいですね。

お造りももちろんあります。
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普通の醤油で食べるだけではなく、ソースが乗っているものもありました。

その他いくつかをいただいてから、メインの「明治の牛鍋」がきました。
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普通のすき焼きかなと思っていたら、分厚く切った肉と味噌を使ったすき焼きでした。

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おいしかったです。

料理は創作料理が中心でした。
あっさりした味付けのものが多かったです。

上品な味わいの料理とワインを楽しめました。

朝食

朝食も写真に撮ってみました。

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朝食は普通でした。

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とける豆腐は、本当にとろけてました。

朝食はまあ普通の朝食でしたね。
朝食後、ひと風呂浴びてからチェックアウトをしました。

 

タクシーを呼んでもらって駅に向かったのですが、従業員がこちらの姿が見えなくなるまでお辞儀をしてました。
そういうところはさすがだなと思いました。
タクシーの運転手に聞いたのですが、界箱根は満足度は高く評判も良いそうです。

個人的な感想でいうと料理はおいしく、従業員の対応は良かったです。
部屋や温泉はまあまあという感じでした。
正直、値段が高めの宿で期待値が高かったので、期待以上ということはなかったかなと思いました。
でも、充分楽しめました。

界 箱根の予約はこちら

箱根のポーラ美術館と箱根登山鉄道 国内旅行記

箱根ガラスの森美術館でヴェネチアングラスを見た後、ポーラ美術館に向かいました。

ポーラ美術館はポーラ化粧品のポーラ・オルビスグループのオーナーが数十年にわたって収集した美術品約9500点を展示している美術館です。

西洋絵画や日本画などあるのですが、私のお目当ては印象派の絵画です。
モネやルノワールなど印象派を代表する画家の絵が多く展示されています。
私は印象派の絵が好きなので、ポーラ美術館は楽しみでした。

ポーラ美術館へのアクセス

箱根湯本からポーラ美術館へは直通バスが1日3本あります。(料金は840円)
しかし、3本しかないため、タイミングが合わない時は乗り継いでいくこととなります。

主な乗り換えルートは以下の2つです

  • 箱根登山鉄道で強羅まで行き、バスのS路線に乗り換え
  • 箱根湯本駅からバスのT路線で仙郷楼前でS路線に乗り換え

私はガラスの森美術館から歩いてポーラ美術館まで行きました。
地図上では距離はたいしたことなく見え、徒歩25分くらいなので散歩がてら歩いてみました。
景色は良かったのですが、思った以上に上り坂がきつかったです。
けっこう疲れたのですが、ポーラ美術館の入り口が見えたらほっとしました。

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ポーラ美術館

ポーラ美術館への入り口はこんな感じでした。

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箱根の景観を損なわないように、高さに配慮したそうです。

入場料1800円を支払い美術館鑑賞です。
美術館内では写真撮影ができないので、写真は載せられませんがいい絵がたくさんありました。
どんな絵があるか気になる方は、ポーラ美術館のWebサイトをご確認ください。
ポーラ美術館のコレクション

私はルノワールが好きなので、「レースの帽子の少女」が一番良かったです。
ポーラ美術館ではモネの絵が一番多かったです。
「睡蓮」の絵もいくつかありました。

それ以外にもピカソやゴッホなど一流の画家の作品が多く展示されていました。
絵画が好きな人なら、ぜひ訪れてみてください。

私にとっては箱根観光で一番良かったのがこのポーラ美術館でした。

箱根登山鉄道で箱根湯本へ

ポーラ美術館からはバスで強羅まで行き箱根登山鉄道で箱根湯本に戻ることにしました。
その際、道路で事故があったらしくバスが遅れ、ポーラ美術館前で30分も待たされるという状況になってしまいました。

夕方近くになってけっこう冷え込んでいたので、寒かったです。
30分後なんとかバスに乗り込み強羅駅でいきました。

強羅駅のプラットフォームで待っていると列車が入ってきました。

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車両に乗り込みました。
平日だったので空いていました。

箱根登山鉄道は急な山道を通るので、進行方向をかえながらジグザグに走るスイッチバックをします。
そのため距離の割にはのんびり走ることになります。

のんびりと箱根の景色を楽しみながら、という気持ちで乗ったほうがよいですね。

車掌さんのマイクパフォーマンス

なお、箱根登山鉄道では車掌さんのマイクパフォーマンスが冴えわたっていました。
登山鉄道から見える観光スポットの説明などを、軽妙なトークで伝えてくれます。
お客さんを巻き込むようなトークでけっこう楽しかったです。

観光客に支えられている鉄道なので、そういったエンターテインメント性も持たせているのでしょうね。

箱根に行くなら一度は乗ってみてはいかがでしょうか。

箱根ガラスの森美術館を鑑賞 国内旅行記

箱根でとろろそば発祥の店「はつ花」で昼食を食べてから、箱根観光に出かけました。

まず目指したのはガラスの森美術館です。
もともとはポーラ美術館に行こうと思っていました。
でも箱根湯本からポーラ美術館と同じ方向にガラスの森美術館があるということで、ついでにガラスの森美術館にも行くことにしました。

箱根ガラスの森美術館

ガラスの森美術館は箱根の仙石原にあるヴェネチアングラス専門の美術館です。
箱根湯本からは、箱根登山バスの桃源台線に乗っていくことができます。
箱根登山バスの路線図はこちら

乗車時間は25分程度、料金は750円です。

箱根の景色を見ながらバスが山を登っていきました。
25分くらい乗り「俵石・箱根ガラスの森前」のバス停で下車します。

バス停からすぐのところに箱根ガラスの森美術館があります。
入場料は大人¥1,500 大高生¥1,100 小中生¥600です。
ガラスの森美術館のホームページ

ガラスの森美術館を鑑賞

チケットを買ってガラスの森に入りました。
キレイな庭園がお出迎えです。

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写真だとわかりにくいですが、庭園の真ん中の橋には小さなガラスがたくさん取り付けられています。

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この小さなガラスがキラキラと光ります。
風邪に揺られるので、常に光り方が変化してとてもきれいです。

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橋の上からも写真を撮りました。
実際に見るとかなりキラキラしていて、まぶしいくらいでした。

ちなみに庭園内の池の中には鴨がいました。

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この橋以外にも、木にもガラスが取り付けられていました。

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こちらはクリスマスツリーになるようです。
残念ながらまだ準備中でした。

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ススキとススキに見立てたガラスもありました。

ガラスの森美術館の装飾は、季節によって変わるので季節ごとに楽しむことができそうです。

ミュージアム内

建物の中には美しいヴェネチアングラスの作品が展示されています。
リヴィオ・セグーゾの作品がよかったです。

建物内では写真を撮ってなかったので、どんな作品があるかはガラスの森美術館のホームページをご確認ください。
ガラスの森美術館のホームページ

ガラス楽器のミニコンサート

私が訪れた時は、ミュージアム内でヴェネチアングラスの楽器を使ったミニコンサートがありました。
ヴェネチアで活躍中のガラス楽器の演奏家が演奏してくれました。
グラス・ハープ、ベロフォーン、グラス・パンフルートという珍しい楽器での演奏でした。

ガラス楽器からは、とても透き通った美しい音色が奏でられました。
今までに聞いたことのない、不思議な美しい音色に包まれた時間でした。

演奏中は写真を撮ることができなかったのですが、終わった後の楽器は写真が撮れました。

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写真だとわかりにくいですね。
右側にグラスがいくつも並べられていますが、こちらがグラスハープです。
大きさの異なるグラスのふちを水で濡らした指先で触れることで、共鳴することで音が鳴ります。

左にある大きな試験管みたいなものが、ベロフォーンです。
なんとも表現が難しい音色を奏でてくれました。

ガラスが輝く庭園と美術館、そしてミニコンサートまで見られ、楽しい時間を過ごせました。
もともとは行くつもりではなかったのですが、ガラスの森美術館に行ってよかったと思います。
季節によってイベントも違うようなので、行く前にどんなイベントがあるかをチェックするとよいと思います。

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箱根旅行 はつ花でとろろそば 国内旅行記

海外旅行ではなく箱根に国内旅行に行ってきました。
バックパッカー旅行ではなく、温泉でゆっくりしたり、美術館したり、おいしいものを食べるという目的のちょっと贅沢な国内旅行です。
そんな旅行もするのもいいものですね。

とはいえ、2015年10月現在、箱根は火山活動の警戒のため残念ながら大涌谷など一部には入れませんでした。
ですが、それ以外の部分でも充分楽しめました。

新宿からロマンスカーで箱根へ

新宿から箱根までは小田急線のロマンスカーに乗りました。
初めてのロマンスカーでちょっとテンションが上がりました。

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ロマンスカーの車両に乗り込みました。
まだ午前中だったのですが、さっそくビールとおつまみを展開です。

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こういうのもちょっと贅沢な旅には必要ですよね。
ビールもちょっと贅沢にプレミアムモルツです。
ちなみにおつまみはチーズパンチェッタと崎陽軒の焼売です。

出発直後から飲んでるとすぐに眠くなり、寝てしまいました。
そのおかげですぐに箱根に到着しました。

箱根のはつ花でとろろそば

12時過ぎに箱根に着いたので、まずはランチを食べることにしました。
選んだのは箱根で有名なお蕎麦屋さん「はつ花」でランチです。
はつ花そばの公式サイトはこちら

この「はつ花」は自然薯を使った「とろろそば」発祥の店だそうです。
自然薯、とろろが好きなので行ってみました。

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平日だったので昼時でも、私は運よく並ばずにお店に入ることができました。
普段はけっこう並んでいます。
実際、翌日の土曜日に前を通るとけっこう並んでました。

はつ花のメニュー

カウンターの席について、メニューを見ました。
当然ですが、蕎麦ですね。

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看板メニューでもある山かけそば(温かい蕎麦)を頼みました。

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山かけそばはこんな感じです。
とろろしか見えませんが、その下に蕎麦も隠れています。

卵が落とされていて、それをつぶして混ぜ合わせます。
そして、「ずずずっ」とそばを一気にすすりました。

「うまい!」

自然薯好きなので、うまかったです。
うまいだけでなく、自然薯と蕎麦なので体にいい感じもします。
すぐに食べ終わりました。

ただ、ちょっと残念な点がありました。
個人的な好みにもなるともうのですが、「自然薯」のわりには粘りが弱い感じでした。
ドロッと濃い感じを求めていましたが、意外とサラサラなかんじでした。
自然薯といえば、強い粘りで濃い味を期待していたので、ちょっと物足りない感じはしました。

とはいえ、山かけ蕎麦はおいしかったですよ。
とろろそば発祥の店ですから、ぜひ訪れてみてください。

お昼ご飯を食べてお腹を満たした後は、箱根観光に出ました。
まずはガラスの森美術館に向かいました。
箱根ガラスの森美術館の様子はこちら

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アンドラ公国旅行記 タックスヘイブンの国

アンドラ公国という国をご存じでしょうか。
日本人の中でアンドラ公国を知っている人は、おそらく少数だと思います。

アンドラ公国はピレネー山脈にあり、スペインとフランスに囲まれた小さな国です。

アンドラ公国の面積はわずか468平方キロメートルで、東京23区よりもだいぶ小さいです。
人口はわずか8万人。

フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とする2頭体制の国です。
ちょっと不思議な感じはしますが、国連にも加盟している国家なのです。

アンドラ公国の首都アンドラ・ラ・ベリャはスペインのバルセロナからはバスで3時間程度。
日帰りでも行ける距離です。

アンドラ公国はそんな小さな国ですが、タックスヘイブンといって消費税がない国です。
そのため買い物天国と呼ばれ、買い物客がよく訪れる国です。

アンドラ公国観光

バルセロナのサンツバスターミナルからからバスに乗ってでアンドラ公国へ。
日帰りではなく1泊することにしました。

途中、山々を越えていく景色はとても良かったです。

アンドラは谷間の町という感じで、のんびりしていていいところでした。

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宿を確保し町中をぶらぶらしました。
とりたててすごい観光地があるわけではありません。
しかも、日曜日だったので多くのお店は休みでした。

ですが、落ち着いたした街並みをあるくのは心地よかったです。

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趣のある古い街並みを何も考えずに歩く感じもよかったです。
ビールを買って公園で飲んでぼーっとしたりしました。

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アンドラの山を少し上って町を眺めました。
緑が多くて景色がよかったです。

ヨーロッパの町は物価が高く見どころも多いので、慌てて回ることが多かったのですが、アンドラでは焦る必要がなく久々にのんびりできました。

買い物天国であるはずのアンドラ公国ですが、バックパッカーだった私は買い物する気もなかったので、その恩恵にはあずかれませんでした。

でも、充分堪能できました。
日帰りで買い物に行くだけではなく、のんびりとアンドラの町を満喫するのもいいと思いますよ。
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