中国バックパッカー旅行記 1995年の北京の様子

北京は現在の中国の首都ですが、明、清の時代の都でもあります。
歴史もあり、首都でもあるため非常に多くの観光スポット、見どころがあります。

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故宮(紫禁城)
景山公園
天安門
天安門広場
頤和園
・天壇
・北海公園
万里の長城
・明の十三陵
・北京動物園(というかパンダ)

などなど、ほんとに見どころ満載です。
それ以外でも、1995年当時は古い町並みなどもたくさん残っていました。
前門の南西の地域などがそうでしたね。
残念ながら再開発でなくなってしまった地域です。

当然これだけあると一日では見切れません。
なので、1週間かけて色々と見て回りました。
実際の観光地の情報の前に、当時の北京の観光状況を。

昔あった外国人料金

当時の中国では観光地の入場料に外国人料金というものがありました。
外国人は中国人の数倍の入場料が必要とだったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中からバックパッカーさんたちのお話を聞き、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。

まず、入場券を買う際は、
・小汚い格好をする
・堂々とする(不安な様子はばれやすい)
・あまり喋らない(「イーガ(一個)」くらいしか言わない。)
・聞き返されると「アーン!?」と偉そうに聞き返す
ということをすれば、だいたい大丈夫でした。

あと、横入りとかは普通なので、そういう人たちに負けないようにすることも重要でした。
当時の中国はマナー、という言葉がないような状態でしたので。(今はまだましになったかなと思います)
ちなみに入場券を売っている売り場の人間もサービス精神などというものはありません。
当時は一応、経済の開放政策が始まってはいたので、個人商店も増えてきていた状態ですが、観光地の従業員や、バスとか鉄道、国営の店などは、いわゆる共産国の公務員です。
無愛想、面倒くさそう、中国語がわからないと追い払われる、寝てる。
というような状態でした。
まあ、どんだけ頑張っても給料が変わらないのであれば、頑張らないですよね。

民営の食堂とかは元気があって呼び込みしていました。
そっちに入るようにしてました。
やっぱりそっちのほうがうまかったですね。

もしかすると北京で最初に食べた食堂は国営の食堂だったのかもしれません。
その後は行った食堂は、だいたいうまかったです。
100円くらいでこんなうまい物が食えるのか!と感動したものです。
中華料理についてはまた別途書こうと思います。

北京の環境問題

あと、現在の北京で大気汚染のことがよく言われていますね。
実際、北京の空気は汚いです。
ただ、私が初めて北京に行った1995年当時もけっこうなものでした。

特にバス。
当時のバスは基本ディーゼルだったのですが、まあ、規制とかもないので煤を出しまくりながら走ってました。
多くのバスは、2両を連結したものでした。
電車の連結部は見たことあると思いますが、連結部は下に空間があいています。
そこから煤が入り放題でした。
連結部近くにいると、一回バスに乗るだけで体が煤だらけ。
体を払うと、黒い煤が舞ったほどです。
その時にくらべると、ましなんじゃないかとも思いますが、実際のところはどうかはわかりません。

バスは激混みで、車掌とかは無愛想でしたが、なんか普通では体験できないことを体験できているような気がして、楽しかったですね。
そんな観光地以外のところでも、日本の常識とは全く違う世界だったことが、とても印象に残っています。
そして、別の国、別の文化に触れることが楽しい、と思ったことから、私のバックパッカー人生は始まったのです。
そんな経験を与えてくれた北京は今でも好きです。

北京のおすすめ観光地についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京到着 1995

50時間の船旅を終え、いよいよ天津新港に着岸、上陸です。
タラップを降り、ついに大陸の土を踏んだ!と高揚感があります。

その後入国審査。
1995年当時。中国の入国審査官は無愛想でしたが、今思うと、今でもどこの国でも一緒かもしれませんね。

ビザのページを見てハンコを押してくれました。
そして、税関は素通りでした。
X線の検査機もあったのですが、動いてませんでした。
完全ノーチェックでした。

なお、港には両替所がなかったので5000円だけ船内で両替しておきました。
レートはちょっと悪い程度でした。
1995年当時はUSドルへの固定レートで、1万円で800元くらいでした。
1元=12円くらいでした。
なお、現在の紙幣は全部毛沢東ですが、当時は少数民族とかの絵でした
日本円の紙幣と違い、ボロボロのお札もけっこう混じっています。

さて、ターミナルを出ると、小汚い格好の中国人がたくさんいます。
当時はまだ人民服を着ている人もいました。
当然ながら中国語があふれています。

いざ北京へ

我々はその日のうちに北京まで移動することにしました。
北京3回目のベテランバックパッカーさんのお話を聞くと、港で北京行のマイクロバスが待っているのでそれに乗るのがよいとのこと。
なので、同室の10人くらいの旅行者みんなでバスで移動することにしました。

2時間ほどかけ、いよいよ北京へ向かいました。

10人ほどの日本人旅行者が一緒です。
50時間の移動をした後では、2時間くらい誤差みたいなものです。

北京到着と中国初の食事

そして2時間後、北京の中心地である、前門付近に行きました。

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1995年の北京の町は、今とは全然違いもっと汚く雑然とした感じでした。
宿はまだ決まっていなかったのですが、すでに19時くらい。
まずは食事をしようということで、食堂に入りました。
その辺の地元の食堂です。

北京3回目のバックパッカーさんは、多少中国語が喋れるので料理の注文などもお願いしました。
普通の炒め物とか麺とかスープとかを適当に頼みました。
正直言って、初めての北京の料理はあまりおいしくはありませんでした。
でも、値段は安かったですね。
1人15元(当時だと180円)程度で十分おなか一杯になりました。
ビールは大瓶1本2元(24円)と格安です。
物価の安さにびっくりしました。

さすがそのときは宿を探す前だったし、寒かったので1本だけにしておきました。
ただ、その後、中国にいる間は事あるごとにビールを飲みました。

中国初の宿探し

食事を終えた後、宿探しです。
当時の中国は、外国人が泊まれる宿と中国人専用宿が分かれていました。
我々は当然外国人用の宿を探すのですが、みんなバックパッカーなのでなるべく安い宿を探すことにしました。
とはいえ、すでに日は落ちている状態なので、なるべく早く探す必要があります。
基本的にはドミトリーで探しました。

ドミトリーとは、部屋を借りるのではなくベッドを借りる形式です。
一部屋に知らない人が数人一緒に泊まる形です。
ユースホステルみたいな感じです。

ここでも北京3回目のバックパッカーさんにご活躍いただきました。
以前泊まった宿を紹介してもらい、金額なども聞いてもらいました。
天壇公園という世界遺産にも登録されている史跡公園の近くにある宿にドミトリーがありました。
料金は20元くらいでした。
ドミトリーはシングルの部屋にくらべるとかなり安いです。
シングルだと3倍くらいはしたはずです。
ただ、ドミトリーとはいえ、もともと10人くらいで来てたのでみんな部屋は一緒でした。

なお、中国の宿ではデポジットの制度がありました。
鍵を借りるときに「保証金」を渡すことです。
実際の中国のドミトリーの場合は鍵ではなく、カードをもらって各階の係員に見せると開けてくれる形でした。

ドミではトイレ、シャワーも共同です。
シャワーを浴びようとシャワー室に行きました。
お湯が出るとのことだったのですが、勢いは弱くてちょろちょろという感じです。
私の後に入った人の中には、お湯がなくなって水になってしまった人もいました。
2月の北京で水シャワーとは過酷です。
シャワーを浴びるタイミングも重要ですね。
まあ、安いのでしょうがないです。

バックパッカーにとっては宿の設備にはどうでもよくて、安いことが重要と考えるものです。
当時の私はひたすら安く上げることを考えていましたね。
1日の予算は1000円以内と考えていました。
今思うと金を出すことによって得られることも多かったかなとも思いますが、若い頃にそういう経験をしておくことも悪くないと思います。

当時の北京の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 天津へ船旅 1995

私が初めてバックパッカーとして旅行に行ったの1995年の2月。
行き先は中国の北京でした。
そのときの強烈な印象が私の人生を大きく変えました。

あれからもう20年・・・。
バックパッカーデビュー20周年を記念して(誰も興味ないかもしれませんが)、最初の中国旅行のことを書いてみます。

中国旅行のきっかけ

それは1994年の12月でした。
当時私は関西大学の1回生でした。
バイト先に同じ大学の4回生の先輩がいました。
「卒業旅行に行こうと思うけど、一緒に行く?」
そんな誘いを受け、
「いいですね。行きましょう」
といったのがきっかけでした。

まずは行き先を相談しました。
私は三国志などの中国の歴史物が好きだったので中国に行きたいと思いました。
その先輩も今後中国は発展するだろうから興味があるということで中国行きが決定しました。
場所は北京にしました。
首都ですし、故宮(紫禁城)万里の長城など見所も多いからです。

中国行きが決まりましたが二人とも個人旅行の経験がありません。
とりあえず旅行会社などで中国旅行について聞いてみました。
ですが、当時はまだ航空券が高く、ツアー料金も結構なお値段でした。

安くいける方法はないか調べることにしました。
当時はまだWindows95すら出ておらず、インターネットで調べるという世の中ではありません。
本屋で個人旅行の本を購入して調べることにしました。

すると神戸から天津までの燕京号というフェリーがあることがわかりました。
※残念ながらい2012年に廃止になってしまいました。

フェリーは飛行機に比べて安い。
ただし、50時間かかります。
2泊3日です。往復だと4泊です。
旅行の期間は全部で12日間です。
1/3が移動時間って・・・。

という考えもありましたが、船旅も楽しそうということで燕京号にしました。。
結果として船旅にしてよかったのですが、それ次回で。

交通手段が決まり、残りの準備としてはビザ取得です。
現在では15日以内の観光旅行はビザ不要ですが、当時は全員ビザが必要でした。
それも個人で申請するのは難しく、旅行会社に頼まなくてはいけませんでした。

というわけで、燕京号のチケットとビザを旅行会社で手配しました。
ちなみにホテルの予約はしませんでした。
ガイドブックに乗っている宿に行けばなんとかなるだろうと考えていました。

準備が整い、旅行を楽しみにしていたところで予期せぬ出来事が発生しました。

阪神大震災

1995年1月17日午前5時46分

寝ているところ体を揺さぶられ、こんな早い時間になんだよ!
と目を開けると部屋が大きく揺れています。
「地震だ!」と気付き布団にもぐりこみました。

今までに経験したことのない揺れでした。
本当に誰かが体を揺すっているのだと思ったほどです。
しかし、私の家は幸いにも大きな被害はなく、家族も無事でした。
「でかい地震やったなー」と家族と話した後、また寝ました。

そしてもう一度起きて、テレビを見ると大変な事態であることがわかりました。
この後いろいろなことがありました。
3.11のときもそうでしたが、このような状況でも暴動も起こらず、助け合う日本は本当にいい国だと思います。

中国へ向け出港

さて、旅行の話に戻します。

ひとまず日常生活が落ち着きを取り戻したところで、こんな状況で旅行に行っていいのか
という話も出ましたが、先輩の卒業旅行でもあるので決行することにしました。
燕京号が出るはずの神戸港が利用できないのでどうなるかと思ったのですが、大阪南港に変更して運行されることになりました。

2月の北京は寒いので、ダウンやタイツなどの防寒着を整え、いよいよ出発です。

1995年の2月。
大阪南港で中国の天津へいくフェリー燕京号に乗り込みました。
2泊3日、50時間の船旅です。

2等B席です。
和室で一部屋に20人くらいが雑魚寝する感じです。
一緒に行ったバイトの先輩と二人で部屋に入りました。
満席というわけではありませんでしたが、それなりに混んでました。
学生バックパッカーが多かったですね。
当時は一番安くいける方法だったので、学生の休みの期間などは利用客が多かったです。
欧米人のバックパッカーも2人いました。

荷物を降ろすと、自然と周りの人と会話が始まりました。
北京にいくのも3回目という、その当時の自分から見るとベテランバックパッカーさんがいました。
その人から、天津から北京への移動はこうしたらいいとか、宿はこの辺がいいとか、こんな見所があるとか、いろいろな情報を聞くことができました。

私たち以外にも旅行初心者がいて、みんな熱心にその話を聞ききました。
ガイドブックだけでは得られない情報を得ることができ、その後の旅行する上で、とても参考になりました。

同じ目的地へ向かう多くの人と仲良くなって、情報も集められ、楽しい時間をすごせます。
移動時間も旅の時間の一部と考えれば、船旅もよいものです。

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船旅は飛行機と違い、時間も長いですし、自由に行き来できる空間も広いです。
甲板に出て夜空を見ながらビールを飲んだりとけっこう楽しめます。

どこまでも続く水平線なんかを見れるのもいいですね。
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残念ながら天津行きの燕京号は廃止になってしまいましたが、上海行きの新鑑真号はあるので興味ある方は乗ってみてください。

瀬戸内海からの忘れられない光景

出航は夕方だったのですが、冬だったのですぐに暗くなってきました。
船からは大阪の町の明かりが見えました。
しかし、しばらくすると、まったく光のない空間がありました。
神戸の町です。

阪神大震災からまだ1ヶ月もたっていないころです。
震災の被害を大きく受けた地域は真っ暗でした。
あらためて、あの震災の被害の大きさを感じました。
乗客のみんなで亡くなった方の冥福をお祈りしました。

中国への船旅

大阪南港から天津までは50時間かかるので、2日目は丸々船の上です。
当然ながら食事もします。
船に食堂があり、朝食はついてました。
万頭(具なしの中華まん)や中華粥などの中華の朝食が出ました。
味はイマイチですが、料金に含まれてるので食べました。

昼食や夕食は有料になります。
中国人などはカップラーメンを買って持ち込んで食べていました。
私はそのような準備をしていなかったので、食堂で食べました。
中華料理が1品300円程度、ご飯やスープが50円くらいでした。
味は、まあまあというところでしたね。
なお、次に乗る時からはカップ麺とかパンとかをある程度用意するようにしました。

同部屋のバックパッカーさんたちと情報交換したり、外にでて海を眺めたり、ガイドブック見たり、寝たり。。。
やっぱり50時間は長いので、けっこう暇です。
暇つぶし用の本とかを用意したほうがよいですね。

いよいよ大陸が

さて、そんな感じで3日目を迎え、いよいよ中国に近づいてきました。
そして外に出てみて海の色を見てびっくり。
黄色いんです。
黄河の水が流れ込んでおり、黄色いんですね。
海の名前が黄海なのも納得です。

その海の色の変化を受け、いよいよ近づいてきたなと実感します。
そして、いよいよ天津進行に着岸、上陸です。

北京へ向かう様子はこちら

スロバキア旅行記 首都ブラチスラバ

中欧の国、スロバキア
以前はチェコ共和国とスロバキア共和国の連邦国家でチェコスロバキアと呼ばれた国でした。

チェコは「世界で最も美しい町」とも言われる「首都プラハ」や「チェスキー・クルムロフ」があり、旅行者に人気の観光地となっているので知っている人も多いと思います。

ですが、一方のスロバキアといえば?
なかなかも思いつかない人も多いのではないでしょうか。
実際に観光客も少ないです。

でも、スロバキアも面白いものがある国なんです。

私はユーラシア大陸横断旅行中に訪れました。

スロバキアの場所

スロバキアは中欧に位置し北はポーランド、チェコ、東はウクライナ、南はハンガリー、西はオーストリアと国境を接しています。

内陸国で海がない国です。

スロバキアの歴史

スロバキアはスラブ人が支配していた地域です。
国名のスロバキアもスラブが語源となっています。

9世紀には大モラヴィア王国という王国ができたそうです。
しかし、10世紀には大モラヴィア王国は滅亡し、ハンガリー王国の支配下となりました。
その後、ハンガリー王国がハプスブルク家の支配下となったので、スロバキアもハプスブルク家の支配下となりました。

19世紀にはオーストリア=ハンガリー帝国へ組み込まれ、第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、チェコスロバキア共和国が建国されました。

第二次世界大戦後は共産主義国となりました。
その後、1968年にプラハの春と呼ばれる民主化運動があり、1989年にビロード革命があり、共産党政権が解体されました。

そして、1993年チェコと平和裡に連邦を解消して独立し、現在はNATO、EUに加盟しています。

首都ブラチスラバ

スロバキアの首都はブラチスラバです。
日本人では聞き馴れない人も多いのではないかと思いかもしれませんね。

ブラチスラバはスロバキアの西部に位置しオーストリアとの国境に位置しています。

ちょっと端っこ過ぎない?と思ってしまうくらいのところにありますね。

ブラチスラバ観光

そんなスロバキアの首都、ブラチスラバの街並です。

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いかにもヨーロッパという感じです。
整った美しい街並みが広がっています。

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この写真では分かりにくいかも知れませんが、奥に見えるのがブラチスラバ城です。

ブラチスラバ城は「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれています。
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四角くて四つの塔があるので、「ひっくり返したテーブル」なんですね。
お城というにはちょっと地味ですが、高台にあるのでブラチスラバ城からは町が一望できます。

ブラチスラバの変な像

ブラチスラバにはなぜか変な像があります。

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こちらはマンホールから出てきた男です。
観光スポットになっています。
ブラチスラバ城が地味だから、観光名所にするために作ったのですかね。

このマンホール男以外にも変な像がいくつかあります。
写真に収めなかったのが残念です。
次に旅行に行くことがあればもっと写真を撮りたいと思います。

スロバキアのビール

チェコのビールがおいしい、というのはビール好きの中では有名な話ですが、実はスロバキアのビールも美味しいんです。

ランチを食べようとたまたま入ったレストランで、優雅に生ビールを頼んだのですがこれが絶品!
しっかりとしたボディに、スッキリとした後味。
バックパッカー中に訪問した50ヶ国の中で一番うまかったです。

まあ、その時の喉の渇き具合だったり、店で出している銘柄だったりと要因はいろいろありますが、スロバキアのビールが美味いのは間違いありません。

ビール好きはドイツ、チェコだけでなく、ぜひスロバキアも旅行してみてください。
もちろん、変な像も見てみてくださいね。

ポーランド旅行記 アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所

第二次世界大戦中にナチス政権下のドイツが人類史上最大級の虐殺をおこした場所です。
誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。

私はバックパッカー時代から、戦争の惨劇や人間の愚かさ恐ろしさを感じるために、このような場所(広島の平和祈念資料館、カンボジアのキリングフィールド、ベトナムの戦争証跡博物館等)はなるべく訪れるようにしています。

アウシュビッツを訪れたのはユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年のことです。

アウシュビッツの場所

アウシュビッツはドイツにあると思っている人もいるかもしれませんが、ポーランドの南部にあるオシフィエンチウム市にあります。

現在残っている施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」として無料で公開されています。
アウシュビッツを訪れる場合は、クラクフの町から日帰りで訪れることが多いです。
バスで2時間ほどです。

アウシュビッツの概要

ナチス政権下で組織的に行われたユダヤ人迫害(ホロコースト)の象徴的な存在です。
ユダヤ人だけではなく、政治犯や捕虜、同性愛者など他の民族も収容されてました。

ここでは人体実験や、大量殺害が実行されたといわれています。
アウシュビッツでの死亡者数には諸説ありますが、150万人とも言われています。

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ – ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所」として世界遺産に登録されています。

アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツの正門がこちらです。

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写真では見にくいですが「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と書かれています。
実際にはほとんど出られなかったそうです。

アウシュビッツの居住区

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こちらは寝床です。
狭い範囲に敷き詰められています。

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こちらは再現された三段ベッドです。
床に寝ていては場所が足りなくなって三段ベッドにしたそうです。
一段に数人が寝ていたそうです。

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こちらも三段ベッドです。
余裕がありそうに見えますが、二人以上で寝ていたそうです。

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こちらはトイレです。
ただ、中国のトイレよりはいいかなと思ってしまいました。

監視塔

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こちらは監視塔です。
逃亡を防ぐため鉄条網が敷かれ、監視塔が配置されました。

死の壁

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奥に見える壁が死の壁と呼ばれるものです。
多くの人が銃殺された場所です。
花が供えられていました。

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学生の集団も訪れていました。

残念ながら写真が残っていないのですが、このほかにはガス室や焼却炉なども見られます。
また、当時の写真も見ることができます。

人類の過去の行為を見ることで、いろいろと考えます。(あえて考えたことは書きません)
このようなものは見たくないという人も多いと思いますが、個人的には見て考えることも大切だと思っています。
一度は訪れてみてほしいと思います。

クラクフについてはこちら

ハンガリー旅行記 トカイワインがうまい 王のワイン・ワインの王

ハンガリーには有名な高級貴腐ワインであるトカイワインがあります。
ブダペストではスーパーで買うことも可能です。

バックパッカーにとってはちょっと高めではありますが、手の届かない値段ではありません。
せっかくハンガリーに行くなら飲むことをオススメします。

トカイワインとは

ハンガリーのトカイ村で作られる貴腐ワインです。

貴腐ワインは、普通のぶどうではなく、ある種のカビを繁殖させたブドウを使います。
カビによって水分が飛び、糖度が非常に高くなったブドウで作られるデザートワインです。
金色に輝くトカイワインのその甘さはまさに蜂蜜のようです。

そのおいしさにフランスのルイ14世が「王のワイン、ワインの王」と呼んだそうです。
また、世界三大貴腐ワインの一つと数えられます。

そう呼ばれるにふさわしいワインです。

バックパッカー トカイワインを飲む

私はバックパッカーでしたが、そんな高級品トカイワインをブダペストのスーパーで買って初めて飲みました。
基本的にワインは辛口が好きなのですが、トカイワインを一口飲んだ時の衝撃を今でも覚えています。

最初は「ハンガリーの名産なので」、と軽く試しに飲んだだけでしたがすっかり虜になってしまいました。

トカイワインはその糖度によって、3~6プットニョシュのランクに分かれます。
数字が大きい方が糖度が高く、高級です。

最初に飲んだのは、トカイアスー 3プットニョシュというそれほどランクの高いものではなかったのです。
値段は500mlで1000円以下でしたが、それでもすごくおいしかったです。
バックパッカーにとってはちょっと高いかもしれませんが、日本では数倍するので飲まないと損です。

その後、もっといいものを飲みたくなり高級な6プットニョシュを飲みました。
3000円くらいだったかなと思います。

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ハンガリーでは自炊だったのでちょっと机の上にある他の食事は貧相ですが、トカイワインはとてもおいしかったです。
せっかくなら、ハンガリー名物のフォアグラと一緒に飲めばよかったかなと、ちょっと後悔です。

お土産にも良いと思いますので、ぜひハンガリーを訪れたら買ってみてください。

特別な日の特別なワイン

日本に帰った後の話になりますが、当時付き合ってた彼女(現在の妻)の誕生日に、誕生日プレゼントとの一つとしてこのトカイワインを送ろうと通販で買ってみました。

「すごくおいしい」と、とても喜んでくれました。
その後、結婚したわけですが、結婚記念日に毎年トカイワインを飲んでいます。

特別な日なので、特別なワインを飲んでいます。

先ほども書きましたが、トカイワインはその糖度によって、3~6プットニョシュのランクに分かれます。
数字が大きい方が糖度が高く、高級です。
そして、6プットニョシュを超えるもの、トカイ・アスー・エッセンシアです。
昨年の結婚記念日にはこのトカイ・アスー・エッセンシアを飲みました。
値段は高いですが、折角の記念日なのでたまには贅沢もいいかなと思います。

エッセンシアでなくても、5プットニョシュ、6プットニョシュでも十分美味しいので、結婚記念日や誕生日などのイベント時に試してみてはいかがでしょうか。

トカイワインの入手法

トカイワインはハンガリーであれば簡単に変えますが、残念ながら、日本ではどこの酒屋でも売っているわけではありません。
ですので、私は通販で買っています。

こちらのワインショップWineShopSommelierでは、最高級のトカイ・アスー・エッセンシアも含めて購入できます。

大切な記念日に「王様のワイン、ワインの王様」と呼ばれるトカイワインを飲んで、特別な日にしてみてはいかがでしょうか。

ハンガリーのブダペストについてはこちら

ハンガリー旅行記 世界遺産 ホッローケーの村

ハンガリーには世界遺産がいくつかあります。

今回ご紹介するのは「ハンガリーで最も美しい村」とも言われ、伝統的な古民家が残る村ホッローケーです。
日本人にはちょっと発音しにくいですね。

1987年に「ホッローケーの古い集落とその周辺 」として世界遺産に登録されています。
村落としては初めて世界遺産に登録された村となります。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

ホッローケーの場所

ホッローケーは首都ブダペストから北東に100km弱のところ、スロバキアとの国境近くに位置しています。

ブダペストからはバスで2時間くらいですので、日帰り観光できます。
ただ、土日は直行のバスがあるのですが、平日は乗り継がないといけないので注意が必要です。

世界遺産ホッローケーの村観光

ホッローケーは独特の建築様式の古い民家が残されている村です。
泥とわらを使った壁に石灰で白く塗るパローツ様式と呼ばれる建物が建ち並んでいます。

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なんとものんびりした田舎町という感じです。
世界遺産なのですが観光客はあまり多くなく、観光地っぽくないです。

村民全体で古き良き伝統、雰囲気を守っているそうです。

日本の世界遺産白川郷にも通じるものがあるのかなと思います。

名前の由来

ちなみにホッローケーとは「カラスの石」という意味だそうです。

丘の上に城があるのですが、この城はカラスが石を運んできて築いたという伝説があり、そこから「カラスの石」という意味のホッローケーと呼ばれるようになったそうです。
村の紋章にもカラスが使われています。

木造教会

ホッローケーの村の中央には小さな木造教会が建っています。

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白と黒の教会の周りに赤い花が咲いていて、とてもかわいらしい教会でした。

この教会はもともとは14世紀に建てられたのですが、20世紀初頭の火災で焼失してしまい、その後忠実に再建されたものだそうです。

ホッローケーは世界遺産としてはこじんまりしてますが、古き良き伝統が残る美しい町です。
ブダペストからも日帰りできる距離なので、時間があれば訪れてみてはいかがでしょうか。

ホッローケーへの移動中のオマケ

ブダペストからホッローケーへ移動中こんな光景を見かけました。

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道路を横切っている白い物体があります。
これは何でしょうか?

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実はガチョウの群れです。
みんなきちんと整列して、順序正しく歩いて道路を横断する姿はかわいかったです。

なぜガチョウの群れが飼われているかというと、フォアグラのためなのです。
フォアグラといえばフランス料理のイメージですが、実はハンガリーはフォアグラの一大生産地です。
ですので、ガチョウの飼育が盛んです。

このかわいいガチョウたちも、フォアグラになってしまうわけですね。

ちなみにハンガリーはフォアグラが安いので、バックパッカーでも手が届く値段で食べられます。
私も首都ブダペストのレストランで食べました。
ハンガリーに行ったら一度はフォアグラを食べてみてはいかがでしょうか。

首都ブダペストについてはこちら

 

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ハンガリー旅行記 ドナウの真珠 首都ブダペスト

ハンガリーといえば?と聞かれてもパッと思い浮かばない人も多いかもしれません。
歴史を勉強した人は、オーストリア=ハンガリー帝国やハプスブルク家いう名は聞いたことあるかもしれませんが、日本人にはあまり馴染みがない国なのではないかと思います。

そんなハンガリーに、私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

ハンガリーの場所

ハンガリーはヨーロッパの中でも中央と言われる地域に位置しています。
オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、と多数の国と国境を接しています。

海がない国です。
広大な平原が広がっており、国の真ん中をドナウ川が流れています。

ハンガリーの歴史

ハンガリーは、1世紀ごろはローマ帝国の支配下となり、その後5世紀ごろにアジア系騎馬民族フン族が、そして9世紀に現在のハンガリー人の起源とも言われる、ウラル山脈系の遊牧民マジャール人が侵入してきたそうです。

そして、西暦1000年イシュトヴァーン1世がキリスト教に改宗し、ハンガリーが建国されました。

15世紀後半からは中央部がオスマン帝国、北西部がハプスブルク家の支配下となったそうです。
17世紀後半にオスマン帝国は衰退したため、ハンガリー全土はハプスブルク家の支配下となりました。

19世紀になり、オーストリア=ハンガリー帝国が発足。
1914年帝国の皇太子がサラエボで暗殺されたため、第一次世界大戦勃発。
同盟国側として参戦するも敗戦国となり帝国は解体。

第二次世界大戦で枢軸国側で戦うも敗退。
その後、ソ連に占領、1949年、共産主義国家ハンガリー人民共和国ができ、ソ連の衛星国となりました。

そして、1989年ハンガリーは平和裏に体制を転換、憲法を改正してハンガリー共和国になり、現在はEUに加盟しています。

と、激しい歴史の流れにあっている国なわけですが、歴史もあり、とても魅力的な国なのです。

ドナウの真珠 首都ブダペストを観光

ハンガリーの首都ブダペスト。
日本人的には響きが美しくない感じもしますが、実はとても美しい町なのです。
その美しさから、「ドナウの真珠」とも称えられる町です。

「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として世界遺産にも登録されています。

ブダペストはもともと、ドナウ川「ブダ」と「ペスト」という別々の町が合併されて「ブダペスト」となった町です。

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上の写真はドナウ川をペスト側から見た光景です。
ちょっと写真では分かりにくいですが、左奥にあるのがブダペストの観光名所である王宮です。

そして王宮付近はとても美しい光景が待っています。

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緑と王宮と川がいい感じなのが、さすがドナウの真珠です。

セーチェニー鎖橋

そして、ドナウ川に架けられ「ブダ」と「ペスト」をつなぐのが、有名な「鎖橋」です。
その鎖橋からの光景がこちらです。

Budapest4

鎖橋は19世紀半ばに完成した橋です。
実際に訪れてみても、趣があるとてもよい風景です。

長さは380mで歩いて渡れますので、一度は歩いて渡ってみてはいかがでしょうか。

美しい国会議事堂

王宮のあるブダ側だけでなく、ペスト側もとても美しい町並みが広がっています。
その中でもひときわ美しい建物があります。

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この建物はハンガリーの国会議事堂です。
ここも人気の観光スポットです。

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19世紀末から20世紀にかけて作られたバロックとネオゴシック様式のとても美しい建物です。
間近で見ることができるので、とても見ごたえがあります。

夜はライトアップされてますので、また違った良さがあります。

ブダペストの町中

下の写真はペスト側の町中です。

Budapest1

普通の町並なのですが、なんともヨーロッパを感じさせてくれます。

そして、オペラ座では本格的なオペラやバレエなども格安で見ることもできます。
立見席だと数百円で見れるんです。

ブダペストを訪れたときは、バックパッカーでしたがそれでも数回見ました。
こういった文化的なものに安く触れられるのもいいところですね。
日本の歌舞伎なども、もうちょっと安くなればいいのになと思います。

ブダペストは美しい街並みと文化が感じられる素敵な街です。
ぜひ訪れてみてください。

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また、ハンガリーにはブダペスト以外にも魅力的な町がありますので、せっかくならブダペストだけでなく少し足を延ばすことをおすすめします。
世界遺産になっている、ホッローケもおすすめです。

ハンガリーの世界遺産ホッローケーの様子はこちら

ルーマニア旅行記 マラムレシュ地方

ルーマニアの北部に位置するマラムレシュ地方は、伝統的な文化・生活習慣が残っている地域です。
言ってみればルーマニアにある古き良き田舎町です。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

マラムレシュの場所

マラムレシュはルーマニアの北部、ウクライナとの国境に位置しています。

標高の高い山脈の中にある盆地です。

マラムレシュの風景

山々に囲まれているため周りは緑にあふれています。

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派手な観光地ではありませんが、本当にのんびりできる田舎です。
落ち着いた気分になれます。

Maramure3

このような緑の中に家がぽつぽつとあります。
ブラショフのような中世の街並みもよいですが、このような田園風景もよいものです。

マラムレシュの伝統文化

マラムレシュ地方のよいところはのんびりとした田園風景だけではありません。
古き良き伝統文化が残っており、人々も優しいのです。

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伝統的な衣装を着ています。
女性はヘッドスカーフとプリーツのスカートを身につけています。

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おばあちゃん達もみんな伝統衣装を着ており、とてもかわいらしいです。
家々も素朴なつくりでのんびりした気分になれます。

そして、家の前で機織りをしてたりします。

Maramures5

なんとも心和む光景です。
マラムレシュ地方はこのような伝統がいまだに残っている地方です。

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おばあちゃんだけでなく、子どもたちも伝統的な衣装を身につけています。
そして、外国人観光客が珍しいのか、とても人懐っこい笑顔で迎えてくれます。

マラムレシュのお家訪問

人懐っこい笑顔で家にまで招いていただきました。
食事も出していただきました。

Maramure8

可愛い笑顔ですね。
この子たちも今は立派な大人になっているんでしょうね。

マラムレシュの世界遺産と観光地

「マラムレシュ地方の木造教会群」は世界遺産にも登録されています。
独特の木造建築文化が残り、教会が特徴をよく伝えています。
なぜか写真に残っていないのが残念です。。。

それ以外にもサプンツァ村の陽気なお墓も有名です。
こちらも写真が残ってないです。。。
お墓の写真を撮るのは悪いかなと思っちゃったのです。。。

また、庭の木に鍋が逆さにかけられているの光景なども見られます。
「年頃の嫁入り前の娘がいるのでどなたかもらってください」という意味だそうです。
なぜ、写真に撮らなかったのだろう。。。

と、このようにマラムレシュ地方はこのように伝統が残っており、人々は素朴でいい人たちです。
もしルーマニアに行くのであれば、ぜひ訪れてほしい地域です。

ルーマニアは全体的にのんびり過ごせて楽しかったです。
日本人にはなじみがない国かもしれませんが、ブラショフのような中世の街並みやマラムレシュのような田舎町など魅力的な町がある国ですので、多くの人に訪れてほしいと思います。

古都ブラショフの様子はこちら

ルーマニア旅行記 世界遺産シギショアラ

ルーマニアは日本人にはあまり馴染みがない国かもしれませんが、中世の町や城など、歴史を感じられる観光地も多くあります。
その中に世界遺産に登録されているシギショアラの町があります。
おそらく多くの方は聞いたこともない町だと思いますが、私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

シギショアラの場所

シギショアラはルーマニアの中部、トランシルヴァニア地方に位置してます。
ルーマニア観光の拠点ともなるブラショフの北西に位置し、鉄道で2時間ほどです。

シギショアラ歴史地区を観光

「シギショアラ歴史地区」は世界遺産に登録されています。
中世の街並みが残る歴史を感じられる町です。

12世紀、当時この地はハンガリー領だったのが、ハンガリーが南方の防衛としてドイツ人の職人や商人が入植させてできた町だそうです。

時計塔

シギショアラの街を代表する観光スポットが「時計塔」です。
時計塔に行くまで街並みもいい感じです。

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ちなみに時計塔の手前、右奥に見える黄色い建物はドラキュラのモデルとなったワラキア公ヴラド3世の生家です。
こちらも観光スポットとして人気です。
なお、ドラキュラやヴラド3世については、ブラン城(ドラキュラ城)とペレシュ城のページをご覧ください。

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時計塔はシギショアラがギルドによる自治都市となった14世紀に建てられたものです。
ちょっと小高い丘の上に位置し、シギショアラのシンボルとも言える建物です。
写真では分かりませんが、時計盤の横からは時間になるとからくり人形が出てきます。

時計塔自体は武骨な感じですが、からくり人形はかわいらしいです。
シギショアラに行ったら、ぜひ見てみてください。

統計塔から見る街並み

時計塔には登ることができます。
そして、時計塔の上からはシギショアラの美しい街並みを見ることができます。

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赤い屋根の街並みが中世のヨーロッパを感じさせてくれます。

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シギショアラは大きな町ではなく田舎町なので、周りには緑も多く、緑と赤のコントラストがとてもいい感じです。
上は写真はアナログで撮ったものをスキャンしたので、色彩がイマイチ実際にはとてもきれいです。

時計塔以外にも、「仕立屋の塔」、「皮革加工職人の塔」、「靴職人の塔」、「肉屋の塔」、「鍛冶屋の塔」等、ギルド(職人の組合)の名前が付いた塔があります。
そのようなネーミングからも歴史を感じられます。

世界遺産としてはこじんまりとした町ではありますが、中世の街並みが残った美しい町です。
ブラショフからもアクセスがよいので、観光に訪れてみてはいかがでしょうか。

ルーマニアにはこのように古い街並みや落ち着いた田舎町などのんびりできる町が多いです。
あくせくと観光するのではなく、のんびりと過ごすにはいい国です。

シギショアラの後、さらにのんびりできるルーマニアの田舎町マラムレシュに向かいました。

ヨーロッパの田舎マラムレシュの様子はこちら

 

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ルーマニア旅行記 ブラン城(ドラキュラ城)とペレシュ城

ルーマニアには魅力的な城があります。
その中でも観光地として人気の高い、ドラキュラ城のモデルとも言われるブラン城と、別荘地シナイアにあるメルヘンチックなペレシュ城についてお伝えします。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年の夏に訪れました。

ブラン城(ドラキュラ城)

ブラン城は有名な小説「吸血鬼ドラキュラ」に出てくるドラキュラ城のモデルとも言われています。

ドラキュラのモデル ヴラド3世

ドラキュラ伯爵のモデルとされるのがワラキア公ヴラド3世です。
ヴラド3世は串刺し公とも言われてます。

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※画像はWikipediaからお借りしました

ヴラド3世は15世紀にワラキア公ヴラド2世の息子として生まれます。
父・ヴラド2世は神聖ローマ皇帝から竜騎士団騎士に任命されており、竜公を意味する「ドラクル」と呼ばれたそうです。
そして、ヴラド3世はルーマニア語で「ドラクルの息子」と言う意味である「ドラクレア」(英語ではドラキュラ)と名乗っていたそうです。

では、なぜヴラド3世(ドラキュラ公)が吸血鬼ドラキュラのモデルになったかというと、15世紀に東ローマ帝国を征服したオスマン帝国と敵対し、オスマン帝国兵を大量に串刺しにしたことに由来すると言われています。

そんな冷徹、残忍な人物像が吸血鬼ドラキュラのモデルとなったと言われています。

ブラン城がドラキュラ城のモデルとされていますが、実はヴラド3世の居城ではなかったそうです。
でも、ヴラド3世の祖父にあたるミルチャ老公が居城としていたそうです。

ブラン城の場所

ドラキュラ城として人気の観光スポットであるブラン城はブラショフから南西に30kmにあります。

バスで1時間くらいですので、アクセスしやすいです。

ブラン城観光

ドラキュラ城というと恐ろしいイメージを持ちますが、実際には趣のある中世のお城です。

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ブラン城の中にも入れて、様々な調度品などを見ることができます。
ドラキュラのイメージとはだいぶ違いますが、城自体がかっこいいですし、ブラン城から見る風景もよかったです。
また、ネタとしても訪れてよかった城かなと思っています。

余談ですが、ルーマニアは物価が安く、そしてビールが安かったです。
私が訪れた2002年当時は、生ビール一杯が30円くらいでした。
で、ブラン城の最寄りのバス停近くで生ビールが飲める場所があり、帰りのバスの待ち時間にけっこうビールを飲んで気持ちよかったです。

いずれにしろルーマニアの中でも人気の観光地なので、訪れてみてはいかがでしょうか。

別荘地シナイア

ブラン城とは全く違う種類の城で、とてもメルヘンチックなドイツ様式の城、ペレシュ城があります。
ペレシュ城はブラショフの南約50km、シナイアにあります。

ブラショフから鉄道で1時間半程度で着きます。
なお、首都ブカレストからも鉄道で2時間程度です。

ブカレストからブラショフに行く途中に寄るのもよいと思います。

シナイアは標高800mくらい、針葉樹森に囲まれた別荘地です

ペレシュ城観光

ペレシュ城ルーマニア王室の夏の離宮として1875年に建てられた宮殿です。
140年ほど前に建てられた比較的新しいお城です。

ドイツ・ルネッサンス様式の美しい城で、人気の観光地となっています。

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なんともメルヘンチックなお城です。
ルーマニアの中で最も壮麗な城と称されることもあるそうです。

実際に訪れてみると、緑の中にとても映える美しい城でした。
内部の装飾や調度品も豪華でした。

日本人はルーマニアにあまりなじみがないかもしれませんが、このような城もある素敵な国です。
特にブラショフは観光拠点になりますので、ぜひ訪れてみてください。

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さて、私はブラショフを離れ、次はシギショアラの町に向かいました。

世界遺産シギショアラの様子はこちら

ルーマニア旅行記 古都ブラショフ

ブラショフはルーマニアのトランシルヴァニア地方にある都市です。
中世の美しい街並みが残っており、ルーマニアの中で人気の観光地です。

また、周囲の観光地の拠点にもなる街ですので、旅行者にとっては首都ブカレストよりブラショフの方が長く滞在するのではないかと思います。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年に訪れました。

ブラショフの場所

ブラショフは首都ブカレストから北に170kmにあります。
鉄道で3時間ほどです。

トランシヴァニア地方の町であり、ルーマニアの真ん中くらいです。

ブラショフ観光

ブラショフは中世、ドイツ、ルーマニア、ハンガリーと複数の民族が住んでいたそうです。
そのため、中世ドイツ風の赤い屋根の街並みが残っています。
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そして、街中は石畳で、オープンカフェなどもあり、とてもおしゃれな感じです。

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バックパッカーではありましたが、物価が安いのでオープンカフェでちょっと優雅な一時を過ごしたりしました。

非常に楽しい時間を過ごしたのですが残念なこともありました。
というのは、ベンチに座って知り合ったバックパッカーと話に夢中になっているときに、カバンに入れていたコンパクトCDプレイヤーを盗まれてしまっていたのです。
カバンのヒモに手をかけてはいたのでカバン自体は盗まれなかったのですが、気付いたときにはカバンの中に入れていたCDプレイヤーがなくなっていました。

バックパッカーとして50ヶ国回った中で、唯一盗まれた経験でした。
ちょっと気が緩んでいました。油断大敵ですね。

悔しかったですが、スリ、置き引きは注意していれば防げるものです。
そして、危害が及ぶわけではないので、ブラショフの治安が悪いというよりも自己管理ができていなかっただけと自己責任的に思いました。
海外に出た場合、自分の身や財産は自分で守るという考え方でいることが重要だと思います。

とはいえ、そういう嫌こともあったのですが、それ以上の良さがあったのでブラショフはオススメの町です。

黒の教会

ブラショフの街中での一番の見どころ、観光スポットと言えるのが、黒の教会です。

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上の写真の奥にある黒い建物が黒の教会です。
この教会は1385年に建設が始まり、1477年に完成ました。
トランシルヴァニア地方最大のゴシック教会です。

とても大きく存在感があります。
内部には4000本のパイプと鍵盤があるパイプオルガンも見ごたえがあります。

黒の教会という名前の由来は、ハプスブルク家の軍が1689年にブラショフを攻撃したとき、この教会が焼けてしまって外壁が黒くなったからだそうです。

トゥンパ山

ブラショフの街の中に標高865mの山があります。
徒歩でも登れますし、ケーブルカーもあります。

疲れるのが嫌いな軟弱バックパッカーで、往復100円ちょっとくらいだったのでバックパッカーながらケーブルカーで登りました。
(実は2回訪れたので2回目は歩いて上がりました)

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山の上からは美しいブラショフの町が一望できます。
ブラショフに行ったら、登ってみてください。

聖ニコラエ教会

その他の観光スポットとしては聖ニコラエ教会があります。
黒の教会から15分くらい歩いたところにあるルーマニア正教の教会です。

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14世紀にたてられたそうですが当時ブラショフはドイツ系の支配下にあり、ルーマニア人は真当な市民権がなかったのですが町外れに自分たちの教会を建てたそうです。
当初ゴシック建築様式で建立されたのですが,その後バロック建築様式で建て替えられたそうです。

このようにブラショフには中世の美しい町並みが広がっています。
ルーマニアの中でもオススメの観光スポットですのでぜひ訪れてみてください。

また、ドラキュラ城とも言われるブラン城など、ブラショフの街から日帰りで行ける観光地もたあります。
それらもご紹介していきます。

ブラン城(ドラキュラ城)の様子はこちら

 

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ルーマニア旅行記 首都ブカレスト

ルーマニアといえば?・・・と言ってもあまりイメージがわかない人が多いのではないかと思います。
では、ルーマニアの首都はどこかというと「ブカレスト」です。

ブカレストはかつて優雅で洗練された建築物により「小パリ」とも言われる町でした。
残念ながらチャウシェスクの独裁政権時代に歴史的な建築物を破壊されてしまい観光地としての魅力は下がってしまいましたが、それでも魅力的な建物が残っています。

私はバックパッカー旅行中に訪問しました。

ルーマニアってどんな国?

ルーマニアのイメージとしては、「旧共産圏」「チャウシェスク」「コマネチ」「ドラキュラ」等が出てくる人もいるかもしれませんが、日本人にはあまりなじみがない国かもしれません。

しかし、中世の美しい街並みや世界遺産ともなっているマレムレシュ地方の独特の木造建築文化など、のんびりできる見どころが多く、物価も安い国です。
私はユーラシア大陸横断中のバックパッカーだった2002年に訪れました。

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のんびりできて自然と調和するルーマニアの魅力をお伝えします。
ちなみに「ルーマニア」という国名は、英語表記ではRomaniaであり、ローマ人の国を意味します。

ルーマニアの地理

ルーマニアは東ヨーロッパにあり、ブルガリア、ハンガリー、セルビア、ウクライナ、モルドバと国境を接し、東は黒海に面しています。
私はブルガリアの首都ソフィアから、ルーマニアの首都ブカレストに列車で入りました。
6時間くらいです。

ルーマニアの首都ブカレストの場所はこちら

私は行かなかったのですが、黒海はリゾート地でもあるそうです。

首都ブカレスト

さて、ルーマニアの首都は「ブカレスト」です。
なお、ブダペストではありません。(ブダペストはハンガリーの首都です)
現地の発音としては「ブクレシュティ」が近いです。

ブカレストはかつては「小パリ」「東欧のパリ」と呼ばれていたそうです。
しかし、チャウシェスクの独裁政権時代に歴史的な建築物を破壊たらしく、現在多くは残っていません。
そのため、あまり面白い街並みとは言えなかったのも事実ですが、見どころもありますのでお伝えします。
(ルーマニアの地方都市には見どころ、観光スポットが満載です)

国民の館

国民の館は、1980年代当時大統領(独裁者)だったチャウシェスクが宮殿として建築したものです。
アメリカのペンタゴンに次いで、世界2番目の大きさの建築物だそうです。

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独裁者チャウシェスクの権力誇示のためだけに作られた感じで、何とも無機質な感じでした。
とはいえ、世界2番目の大きさなので、ブカレストの中の観光スポットです。

ブカレストの街並み

とはいえ、ブカレストの町中にも日本人からするとヨーロッパを感じる光景もあります。

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旧市街地を散策してみると素敵な光景も見えてきます。

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ルーマニアの首都ブカレストは個人的におススメの町というわけではありません。

ですが、ルーマニアにはとても素敵な中世の街並みを残す町屋、のんびりできて異国情緒がある田舎町もあるのです。
今後、物価も安くて、素敵な風景が広がるルーマニアについてもお伝えしたいと思います。

古都ブラショフの様子はこちら

 

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ブルガリア旅行記 世界遺産リラ修道院(リラの僧院)

東欧の国ブルガリアは日本人にはあまりなじみがない国かも知れません。
私もブルガリアに行こうと決めた隣国のトルコで情報を集めるまではヨーグルトくらいしか知りませんでした。
ブルガリアで人気の観光地といえば、世界遺産にも登録されているリラ修道院(リラの僧院とも言われます)です。
ブルガリア正教の総本山です。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカーだった2002年に訪れました。

リラ修道院(リラの僧院)の場所

リラ修道院(リラの僧院)はブルガリアの首都ソフィアから南に約120kmにあります。

バスで行くと2時間ちょっとくらいです。
リラ修道院(リサの僧院)は標高1147m、山の上にあります。

山の中にあり、近くに川が流れており、とても落ち着ける風景が広がっています。

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余談ですがリラに行く途中、ブルガリアだけにヨーグルトを食べました。
ブルガリアのヨーグルトはおいしくないとも聞いてましたが、普通においしかったです。

リラ修道院(リラの僧院)観光

リラ修道院は10世紀の前半にイヴァン・リルスキーにより設立されたといわれています。
イヴァン・リルスキはブルガリア正教会によって聖人として崇拝されています。
世の中から隠遁し修道生活をしたそうです。
創設以来、リラ修道院(リラの僧院)はブルガリアの統治者から尊重されてきました
ブルガリア正教の総本山といえる存在です。

観光地としても人気で、観光客も多く訪れています。

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ストライプの壁が特徴的です。

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屋根が丸みを帯びているのも特徴的です。

修道院ですので、僧侶が生活を送るための僧坊(居住区)があります。

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4階建てで300部屋くらいあるそうです。

フレスコ画

リラ修道院(リラの僧院)の見どころといえばフレスコ画です。
フレスコ画とは、漆喰を壁に塗り乾かないうちに水性の絵の具で直に絵を描く技法です。

リラ修道院(リラの僧院)には、鮮やかに描かれたフレスコ画がとても良い状態で残っています。

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教会内にはこのように色鮮やかなままのフレスコ画が残されています。
このフレスコ画は、
1846年に完成されたものだそうですが、170年も前のものとは思えない鮮やかさです。

天国だけでなく、地獄に落ちた人々と悪魔についても描かれています。

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このように、ストライプの建築や色鮮やかなフレスコ画は一見の価値があります。
ブルガリアに行くのであれば、ぜひリラ修道院(リラの僧院)を訪れてみてください。

ブルガリア観光を終え、ルーマニアに向かいます。

ルーマニアの首都ブカレストの様子はこちら

 

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ブルガリア旅行記 首都ソフィア

ブルガリアはバルカン半島に位置する東ヨーロッパの国です。
日本人のイメージとしては、ヨーグルトか琴欧州くらいかもしれませんね。

bulgaria

ブルガリアの首都はソフィアです。
きれいな名前ですね。

私はバックパッカーでユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。
トルコのイスタンブールから国際列車で移動し、初めて足を踏み入れたヨーロッパの町となりました。
観光地としてはあまり有名ではありませんが、初めてのヨーロッパだったので思い出に残っています。

ソフィアの位置

ブルガリアはバルカン半島にあり、ルーマニア、セルビア、マケドニア、ギリシャ、トルコと接しています。
首都ソフィアはブルガリア西部にあります。

ソフィアの位置はこちら

イスタンブールからは夜行列車で12時間くらいです。
バスの方が一般的なのですが、オリエンタル急行の終着駅イスタンブールのシルケジ駅からヨーロッパに向かうのは感慨深いものがあります。
ですので、夜行列車にしました。
夜行列車で国境越えというのは、島国の日本では味わえない経験です。

キリル文字が新鮮

ソフィアに到着し、まず目に飛び込んでくるのはキリル文字です。
キリル文字はロシア語などスラブ語派で使われる文字ですね。

キリル文字が目に入ると、「違う文化圏に来たなー」と新鮮な印象を受けます。

ほぼ初めて見る文字なので最初は読めませんが、基本的にはアルファベット(表音文字)なので慣れれば読めるようになります。(意味は分からないですが)

例えばソフィア(Sofia)は「София」を記述します。
S=C O=О F=Ф I=И YA=Я にそれぞれ対応します。

意味が分からなくても、読めるだけでもちょっとは役に立ちます。

首都ソフィアの街並み観光

イスタンブールからソフィアに入ると、ヨーロッパだなーと感じます。

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おしゃれなオープンテラスのカフェがあったり、教会があったりと、町並みがイスタンブールまでの中東圏とは違います。
初めてのヨーロッパ圏だったので、けっこうインパクトがありました。

ソフィアは首都とはいえ大都市という感じではありません。
高層ビルはなく歴史を感じるような街並みで、のんびりした感じです。

市場もいい感じでした。
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物価はヨーロッパの中では、けっこう安かったです。
ビールが100円しないくらいです。

ソフィアの中華料理

なぜかバックパッカーの中では、ソフィアは中華料理がおいしく安い町として有名です。

イスタンブールで泊まった日本人宿でもさんざん言われていたので食べに行きました。
うまかったです。
中華はやっぱり偉大でした。

特に中東を越えてブルガリアに入ると、イスラム圏でなくなるため豚肉が食べられるようになるからかもしれないですね。

首都ソフィアにはこれという観光スポットはなかったのですが、アジア側から来たバックパッカーにとっては、ヨーロッパを感じられて新鮮でした。
物価も安く、過ごしやすい町でした。

そして、ブルガリア観光のメインでもあるリラ修道院に向かいました。

世界遺産リラ修道院の様子はこちら

 

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トルコ旅行記 イスタンブール アジアとヨーロッパにまたがる都市

イスタンブールは、アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市であり、人気の観光地でもあります。
アジアから来たバックパッカーはヨーロッパを感じ、逆にヨーロッパから来たバックパッカーはアジアを感じる。
そんなエキゾチックな街です。

私はユーラシア大陸横断中のバックパッカーだった2002年の4月にシリアのアレッポからイスタンブールに入りました。
その後、ヨーロッパを回った後、夏にもイスタンブールを訪れましたが、居心地のいい町でした。

イスタンブールの場所

イスタンブールはアジアとヨーロッパをつなぐ国です。

イスタンブールの真ん中にはボスポラス海峡があり、東がアジア、西がヨーロッパです。
ボスポラス海峡は一番狭い地点では、わずか800m程度ととても狭いです。
ですので、橋が架かっており、簡単に行き来できます。

私が行った2002年はまだなかったのですが、現在では鉄道用の海底トンネルも通っています。

世界遺産イスタンブール歴史地区を観光

イスタンブールはかつてのローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国の首都でした。
そのため歴史的な建造物も多く世界遺産に登録されています。

特にスルタンアフメット地区は、見どころ満載です。

トプカプ宮殿

トプカプ宮殿はオスマントルコ帝国の君主たちの居城だったところです。
さすが宮殿だけあってとても広大な敷地です。
特に見どころなのは宝物館、中には金銀財宝がザックザクです。
人気の観光地なので混んでますが、イスタンブールの見どころですので行ってみてください。

アヤソフィア

アヤソフィア「ビザンチン建築の最高傑作」とも言われています。

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巨大で美しい建造物です。

アヤソフィアは西暦350年頃、東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として作られました。
何度か火災などで焼失しましたが、再建され、現在のアヤソフィアは 537年に作られたものです。
その後、15世紀にオスマン帝国に支配下となり、モスクに改装されました。

現在は博物館となっており、内部に入れます。
ビザンチン美術とイスラム美術が混在しており、見ごたえがあります。

スルタンアフメットモスク(ブルーモスク)

ブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメットモスクは、アヤソフィアの向かいに立っており、世界一美しいモスクとも言われています。

bluemosque

オスマン帝国のアフメット一世が建設を命じ、1616年に完成したものです。
スルタンアフメットモスクは、今でもモスクとして利用されていますが、観光客も中に入ることができます。
宗教施設ですので、敬意をもって入りましょう。
厳かな雰囲気です。

イスタンブールの歴史地区は見どころ満載ですね。
普通に街を歩くだけでも楽しいところです。
また、スーク(市場)なんかを除くのも楽しいですね。

ガラタ橋とサバサンド

ガラタ橋は金角湾河口近くに架かる橋です。
多くの人が釣りをしています。
そして、露店も多く、イスタンブール名物サバサンド屋がたくさんあります。

サバサンドはその名の通りサバのサンドイッチです。
釣ったばかりのサバの塩焼きとタマネギ、レタスをパンにはさみ、塩とレモンのシンプル料理ですが、ごれがうまい。

ぜひ食べてみてください。

世界三大料理 トルコ料理

おいしいものはサバサンドだけではありません。

トルコ料理は中華料理、フランス料理とならび、世界三大料理の一つと言われています。
トルコ料理はトマトソースがよく使われていて、トマトソースの煮込み料理が好きでした。

また、イスタンブールはパンがおいしかったです。
フランスパンみたいな形のパンですが、毎日食べてました。

イスタンブールの食堂ではパンが食べ放題だったのが、バックパッカーには嬉しかったです。
食堂にいくときはトルコ料理とともにパンをたくさん食べて経済的でおいしい食事ができました。

アジアとヨーロッパがまじりあい、歴史があり、見どころも多く、料理もおいしいイスタンブールはオススメの観光地です。
一度は行ってみてはいかがでしょうか。

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イスタンブールでアジア圏は終了です。
ユーラシア大陸横断の旅はいよいよヨーロッパに入ります。
まずはブルガリアを目指しました。

初めてのヨーロッパ ブルガリアの様子はこちら

バックパッカーの持ち物・荷物

私はバックパッカーとして50か国くらい訪問しました。
それなりに旅行の経験がある中で、旅行するときの持ち物・荷物について考えてみました。

バックパッカーは文字通りバックパック(リュックサック)で旅行するケースが多いです。
backpack
持ち物・荷物が多すぎると重くてたいへんなので、なるべく少なくしたいところ。

私の経験上、持って行くと便利な荷物を重要度別に書いていきます。
バックパッカーになろうかと考えている人や、バックパッカー初心者の方は参考にしてみてください。

必需品

旅行に行きたいという気持ち
行きたいという気持ちがなければ行かなくてよいので、必須でしょう。

パスポート
これがないと出国も出来ないので必須です。

ビザ
これがないと入れない国もあるので、必要なところではビザを取りましょう。

この3つの必需品があれば、とりあえずは行けます。

重要な物

お金・クレジットカード
行った先で稼ぐのであれば要りませんが、旅行の場合は必要になるでしょう。
持って行き方としては、「円キャッシュ」「ドルキャッシュ」「ユーロキャッシュ」「トラベラーズチェック(円/ドル)」「クレジットカード」「キャッシング」等があります。
日本では外貨へのキャッシュの両替レートが悪いので、レートがよければ現地で両替、もしくはクレジットカード利用、キャッシングがよいと思います。
最近では、どこの国でもだいたいキャッシングができるので、それが一番かなと思っています。
年会費永久無料エポスカード

海外旅行保険
病気になったり事故にあったときに備えて入っておくべきです。
海外では医療費が高額になるケースもあります。
自分は大丈夫と思っても、いつ何があるかわかりません。
家族に迷惑をかけないためにも入るべきです。
わたしは1年半にわたるユーラシア大陸横断旅行でも、AIUの保険に入りました。
海外旅行保険のAIU

バックパッカーはお金をけちることを考えがちですが、絶対に入るべきです。
都度お金を払うことが嫌なのであれば、海外旅行保険つきのクレジットカードを使うのでもよいですので入ってください。
おすすめはエポスカードです。
年会費無料で旅行保険の補償が従事付いているからです。
エポスカードをおすすめする理由はコチラ

いつも飲んでいる薬
もし、常に飲んでいる薬があれば持って行きましょう。
海外では思った薬が手に入らない可能性もあります。

カバン(バックパック)
カバンはあったほうがよいです。
なぜならいろいろ荷物を入れることができるからです!
荷物を入れられるのであれば必ずしもバックパックでもなくてよいですが、バックパックは両手が自由になり、両肩への負担が分散できます。
個人的には45ℓくらいのバックパックがおススメです。
荷物が多めの人は60ℓくらいでもよいと思います。

日本から持って行ったほうがよい物


服はある程度持っていったほうがよいでしょう。
ただ、たくさん持って行くと荷物になります。
ずっと同じ服を着続けても別によいですし、現地で買ってもよいのですが、一般的にバックパッカーの旅行では、洗濯しながら行きます。
特に下着は日本製がよいと思います。品質がいいですからね。
1年くらい旅行していると下着がボロボロになったり、Tシャツが破けたり、冬物が必要になったりするので現地購入もしますが、最初からある程度は用意していてもよいと思います。

マネーベルトなど貴重品袋
マネーベルトは腹に巻く貴重品袋です。
海外では、スリ、置き引きなどは日常茶飯事なので、ある程度の自己防衛が必要です。
財布にチェーンや首から下げるタイプでもよいのですが、外から見えるとその先にお金があるということを示しているとも言えます。
マネーベルトはズボンの中に入れたりするので、あまりばれません。
しかし、最近の海外のその筋の人たちは、そのようなことも分かっている人がいます。
マネーベルトも100%安全ではありませんので、自覚しておきましょう。
また、洗濯しないと非常に臭いがきつくなるので注意しましょう。

ビニール袋
日本製のビニール袋はとても丈夫で、役に立ちます。
洗濯もの入れや、シャワー室に入る時の貴重品入れなど、かさばらなくて荷物にならないのでたくさん持って行きましょう。
色んなものを小分けにするのに役立ちます。

トイレットペーパー・ティッシュペーパー
日本では当たり前のように使ってるトイレットペーパー・ティッシュペーパーですが、日本製は持って行ったほうがよいです。
海外のものは固いです。
鼻をかんだり、拭いたりすると痛かったりします。
日本では、その辺でタダで配っているティッシュペーパーですが、海外ではそのありがた味がわかるでしょう。

コンセント変換プラグ・変圧器
海外では電圧やコンセントの形状がが違うので、あると便利でしょう。
日本は100Vですが、海外は220Vなどもあります。
PCなどですと100~240Vと、だいたいどこでも使えるようになってたりもしますが、そうでないものもあるのでよく確認しましょう。

ガイドブック
あると便利です。
私は「地球の歩き方」をよく持ち歩いていました。
ただ、1年以上の旅行の際は現地の情報ノートをよく使っていました。
今ではインターネットが発達しているので、Webで見ることもできますが、万が一インターネットができない状況の場合は、紙のガイドブックが役にたつかもしれません。


移動時間が24時間を超えることもありますので、暇つぶしのために本は持っていたほうがよいでしょう。
日本人バックパッカーが多い場所(バンコク、デリーなど)では、古本屋に売ってたりもしますし、日本人宿にあったり、知り合ったバックパッカーと交換したりもできます。

スマホ
インターネットで調べられたり、音楽も聞けたりとあったほうがよいでしょう。
今どき、宿や商業施設で無料Wifiもありますからね。
ただし、盗まれるというリスクも考えながら動きましょう。

寝袋
行く場所によりますがあると便利です。
野宿をするといわけではなくても、ベッドが汚いところなどでも使えます。

どこでも買えるけどあるほうがいい物

帽子
日差しが強いところを行くのにいいだけでなく、頭を守れますし、移動中目隠しして寝ることもできるのであったほうがよいでしょう。

洗剤
バックパッカーは選択をよくするのであったほうがよいです。
でも、どこでも洗濯洗剤はかえるので、大丈夫です。

スピーカー
音楽をイヤホンじゃなく、聞きたいこともあるのであるとよいです。
どこでも安く売っているので、音にこだわらないのであれば、現地で買ってもよいでしょう。

醤油とか調味料
長くバックパッカーをやるのであれば、日本食が食べたくなるときもあるので、しょうゆなどを持っているとそれはそれで便利です。
とはいえ、現在はそれなりの大きな都市であれば醤油は手に入ったりもしますので、わざわざ日本から持って行かなくてもよいとは思います。

と、色々と書きましたが、基本的には必要なものは現地で買えます。
現地の人も生活しているわけですからね。

なので、必需品としては気持ち、パスポート、ビザ、あとはお金を用意すればいつでもバックパッカーになれます。
行くかどうしようか悩んでるのであれば、時間がもったいないので、それだけ持って行ってみましょう。

エジプト旅行記 世界遺産アブシンベル神殿とイシス神殿

エジプトの観光地といえば、まずピラミッド、そして王家の谷などがあるルクソールを思い浮かべるの人が多いと思います。
ですが、個人的には南部アスワンからいくアブシンベル神殿が一番好きでした。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として世界遺産に登録されています。

アブシンベル神殿の場所

アブシンベル神殿を観光するための拠点となるのは、首都カイロから南へ約900Kmにあるエジプト南部の町アスワンです。
カイロからアスワンへ鉄道で行くのが一般的です。

そして、アブシンベル神殿はアスワンからさらに南へ約280Kmのところにあります。
スーダンとの国境付近です。

アブシンベル神殿へはアスワンから日帰りツアーで行くのが一般的です。
片道3時間くらいかかるのですが、午前3時ごろに出発します。
私はエジプト人のグループに混じってのツアーでした。
アブシンベル神殿は砂漠にあるので、日差しが強くは6月~8月の夏は40度を超すこともあります。
暑さ対策、日よけ対策をしておきましょう。

アブシンベル神殿を観光

アブシンベル神殿は紀元前1250年ごろにラムセス2世が建てた神殿です。
長い年月の内に砂に埋もれていたのですが、1800年代に発見されました。
その後、1960年代にアスワンハイダム建設の際に水没の危機が訪れたのですが、ユネスコにより4年をかけて60m上へ移設されました。

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何と言っても、見どころはこの巨大なラムセス2世の4体の像です。

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この巨大な像はまさに圧巻です。
高さ20mにもなります。

エジプトには他にも巨大な像がありますが、個人的にはこのラムセス2世の像は保存状態もよく、一番すごかったです。
ツアーは朝が早く、時間もかかりますが、見る価値は十分あります。

イシス神殿(フィラエ神殿)観光

ツアーでは、アブシンベル神殿だけでなく、アスワンのイシス神殿にもよりました。
アスワンの南20kmくらいのところに位置するフィラエ島にある女神イシスの神殿です。
なお、アブ・シンベル神殿と同様にアスワンハイダム建設による水没の機器があったのですが、ユネスコに隣の島に丸ごと移転されたそうです。
神殿丸ごと移設するのですから、すごいですね。

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イシス神殿はとても保存状態がよく美しい神殿です。
列柱やレリーフもきれいに残っています。

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アスワンはカイロからちょっと遠いですが、アブシンベル神殿やイシス神殿など保存状態がよく美しい遺跡を見ることができます。
せっかくエジプトに行くのなら、ぜひ行ってみてほしいところです。
個人的にはルクソールよりも、好きな遺跡でした。

ルクソールの様子はこちら

 

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エジプト旅行記 ルクソールの世界遺産

エジプトの有名な観光スポットにルクソールがあります。
ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所で、王家の谷やルクソール神殿など数多くの遺跡が残っています。
「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産になっています。

ルクソールの場所

ルクソールは首都カイロの南約670kmに位置しています。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪れました。

ルクソールの場所はこちら

カイロからルクソールは鉄道で行けます。所要時間は約10時間です。
夜行バスもありだいたい同じくらいの時間です。
バックパッカーにとっては近い物でした。

町の中をナイル川が流れており、太陽が昇る東側にルクソール神殿やカルナック神殿など「生の都」、太陽が沈む西側に王家の谷など「死者の都」があります。

カルナック神殿 観光

紀元前3000年頃はギザのピラミッドがあるあたりが中心地でした。
その後、紀元前2000年ごろからテーベ(今のルクソール)が首都になったそうです。
カルナック神殿は紀元前1500年ごろに作られたそうです。

カルナック神殿は単体の神殿ではなく、複数の神殿の複合体です。
1平方キロ以上に広がる広大な神殿です。

スフィンクス参道や巨大なオベリスクがありますが、一番見ごたえがあったのが大列柱室です。
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大列柱室は102メートル×53メートルもあり、134本の大列柱が立っています。
中央部の12本の柱は特に大きく、高さ21m、直径3m以上もあるそうです。
その大きさは圧巻です。

他にもいろいろあるのですが、個人的には第8塔門の崩れた像が好きでした。
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遺跡っていう感じが好きです。
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王家の谷 観光

ナイル川の東側が生の都ですが、西の死者の都に有名な王家の谷があります。
私は東側の宿に泊まっていたので、ナイル川を渡って王家の谷に行きました。

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王家の谷は岩山を掘って作られたたくさんの王の墓があるところです。
現在まで64の墓が見つけられているそうです。

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いくつかの墓には入れますが、内部は写真撮影は禁止ですので外からの写真しかありません。

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有名なツタンカーメンの墓も王家の谷にあります。
ツタンカーメンの墓だけは盗掘をされていなかったので、黄金のマスクが残っていました。
他の墓は盗掘されてしまい、宝物は盗まれてしまっています。

 王妃の谷

王家の谷とは別に、王妃の谷もあります。
王妃の谷にはネフェルタリの墓があります。

私が訪れた2002年当時、ネフェルタリの墓は入場制限があり、別料金でした。
バックパッカー仲間から、ネフェルタリの墓は見たほうがいいとすすめてもらっていたので、無理してチケット確保しました。

このネフェルタリの墓の内部にある壁画ですが、実際に見ると他の壁画とまったく違い、本当に色鮮やかなまま残っています。
数千年の時を経たとは思えない色彩でした。

現在、ネフェルタリの墓は非公開のようですが、特別なツアーだけ入れるようです。

ハトシェプスト女王葬祭殿 観光

ナイル川西側には王家の谷以外にも見どころがあります。
ハトシェプスト女王葬祭殿は、古代エジプト唯一の女性ファラオであるハトシェプストが作った葬祭殿です。

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紀元前15世紀の建造物ですが、とても保存状態がよいです。
レリーフ、壁画の保存状態もよいので、見る価値があります。

なお、1997年11月17日にイスラム原理主義の過激派によるテロにより、観光客が亡くなった場所でもあります。

メムノンの巨像

西岸に2体の巨像があります。
私が訪れた2002年は左側は修復中でした。

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アメンホテプ3世の像だそうです。
高さ13mあります。
デカいですね。

ナイルの夕陽

ルクソールの東岸からはナイルに沈む夕陽を見ることができます。

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悠久の時を超えて流れるナイルに沈む夕陽はなんとも感慨深いものです。

このようにルクソール周辺には多くの遺跡、見どころが満載です。
エジプトに行くのなら、ピラミッドだけではなく、ぜひルクソールにも訪れてみてください。
そして余裕があるならアスワンまで南下してアブシンベル神殿もオススメです。

アブシンベル神殿の様子はこちら

 

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エジプト旅行記 世界遺産ギザのピラミッド

エジプト観光の最大の見どころといえば、やはりギザのピラミッドでしょう。
知らない人はいないですよね。
私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年に訪問しました。

ピラミッドは世界遺産にも登録されています。
正確な世界遺産の登録名は「メンフィスとその墓地遺跡 – ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」だそうです。

ギザのピラミッドの場所

ギザのピラミッドは首都カイロから南西にわずか20km、ローカルバスでも1時間もかかりません。
タクシーだと30分くらいで着くでしょう。(ぼられるので注意しましょう)
カイロ市内からは非常にアクセスが良い観光スポットです。

ギザのピラミッドの場所はこちら

ピラミッドといえば、砂漠の真ん中にどーんと立っているイメージがあるかもしれませんが、実際はギザの町中にいきなり現れます。

ギザの三大ピラミッド観光

ギザの三大ピラミッドとよばれるクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドが一度に見れます。

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上の写真はクフ王のピラミッドとスフィンクスです。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッドは三大ピラミッドの中でも最大で、高さ138.8m(元の高さは146.6m)もあります。
ピラミッドと言ってイメージが浮かぶのが、このクフ王のピラミッドです。
建築時期は紀元前2540年頃と言われており、そんな古代にこれだけのものを作るのですから、エジプト人はすごいです。

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下から見上げるとその大きさに圧倒されます。
デカい物好きの私は大興奮でした。

なお、別料金でピラミッドの中に入ることもできます。

また、昔はこのピラミッドに上ることができたのですが、今では禁止されています。
2002年当時も登頂は禁止されていましたが、夜間警察の目をかいくぐって登り、日の出を見る人はちょこちょこいました。
降りた後は警察に捕まるのですが、そこまでの罰はなかったそうです。

私は疲れることが嫌いだし、スリルを味わいたいわけでもないし、捕まるのも嫌だったので登りませんでした。

スフィンクス

ピラミッドと共に有名なものといえば、スフィンクスですね。

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スフィンクスは、ライオンの身体と人間の顔を持った神獣です。
ギザのスフィンクス像は、全長73.5mもあります。
損傷が激しく鼻がなくなってたりします。

スフィンクスの写真の後ろに移っているのはカフラー王のピラミッドです。

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッドは三大ピラミッドの真ん中に位置します。
カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドよりちょっとだけ小さいですが、それでも136m(元の大きさは143.87m)もあります。

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やはり、カフラー王のピラミッドもデカいです。
先端部分に化粧石が残っているのが特徴的です。

もう一つのメンカウラー王のピラミッドは他の二つにくらべると小さめで、高さ65.5m(現在の高さ62m)です。
まあ、それでも十分デカいのですが、やはりちょっと地味に見えてしまいます。

ギザのピラミッドはやはり見ごたえがあります。
歴史を感じ、人間のすごさを感じられるので、一度は行ってみてはいかがでしょうか。

ちなみにピラミッドといえば、メキシコのピラミッドもよいです。
テオティワカンウシュマルチチェンイッツァなどのピラミッドが多数ありますので、メキシコにも行ってみてはいかがでしょうか。

 

さて、カイロでピラミッドを満喫した後、次の町に移動しました。
王家の谷などで有名なルクソールに向かいました。

ルクソールについてはこちら

 

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