エジプト旅行記 首都カイロ

中東の国の中で一番の観光地といえばエジプトではないでしょうか。
古代エジプト文明のピラミッド王家の谷など、知らない人はいないくらい有名ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の、2002年に訪れました。

予定外のエジプト入り

2001年、私はユーラシア大陸を陸路横断するために旅に出ました。
中国チベット経由でネパール、インドに入り、そこからパキスタン、イラン、トルコと入って中東に行く予定でした。
しかし、インドにいた2002年の始め、インドとパキスタンの関係がかなり悪化したためインドでパキスタンのビザを取ることができず、国境も閉まっていました。

ちょうどインドからパキスタンに入ろうとしていた私は身動きが取れませんでした。
当時の噂によると、バングラデシュに行けば、パキスタンビザがとれるという話もあったのですが、すでにバングラデシュは訪れており、デリーにいた私は泣く泣く陸路を諦め、エジプトのカイロに飛ぶこととしました。
※その後、シベリア鉄道で帰ってきたのでいちおうユーラシア大陸陸路横断は成し遂げました。

エジプト

エジプトを知らない人はいないかと思いますが、いちおう説明しておきます。

egypt

エジプトの場所

エジプトはアフリカ大陸の北東に位置しており、西はリビア、南はスーダン、北東はイスラエルと接しています。
なお、北は地中海、東は紅海に面していますので、リゾート地もあったりします。
紅海はダイビングの名所でもあります。

エジプトの場所はこちら

世界一長い川ナイル川があります。
また地中海と紅海を結ぶスエズ運河もあります。

エジプトの歴史

世界史でも習いましたがエジプトは、古代より文明が栄えていました。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉「エジプトはナイルの賜物」というように、エジプトは豊かなナイル川によって古代エジプト文明を発展させたわけです。
紀元前3000年頃には中央集権国家ができ、ピラミッドや王家の谷など、世界的にも有名な遺跡が建てられています。
王様はファラオと呼ばれ、アメンホテプ四世やツタンカーメンなど有名ですね。

その後、アケメネス朝ペルシャ、アレクサンドロス大王に征服されプトレマイオス朝の支配下になります。
なお、有名なクレオパトラはプトレマイオス朝の最後の女王です。

ローマ帝国に征服され、ローマ帝国が分裂すると東ローマ帝国に属し、その後、イスラム圏となりオスマントルコ帝国の支配下となりました。

そして、イギリスの支配下となったのですが、1922年に独立しました。
その後、中東戦争やアラブの春などを経て現在に至っています。

首都カイロ

カイロはエジプトの北部、古代エジプト文明を育んだナイル川沿いにあります。
ちなみに「カイロ歴史地区」として世界遺産にも登録されています。

カイロの場所はこちら

カイロの町並

カイロはアフリカ、アラブ世界で最も人口が多い都市だそうです。
町中もにぎわっています。
cairo2
写真は旧市街地の写真です。
写真はないのですが、新市街地は近代的なビルが立ち並ぶ都会です。
ちなみにカジノもあります。

カイロを訪れるときの注意事項ですが、私が訪れた50か国の中でも車の運転が荒く、歩行者が道路を横断する時は気をつけたほうがよいです。
信号や横断歩道以外のところを渡る場合は、エジプト人について渡るようにしましょう。

沈没地カイロ

バックパッカーの中では、ついつい長期滞在してしまう場所を沈没地と呼びます。
安宿の日本人宿があり、マンガなんかも置かれており、日本人のたまり場となるわけです。

「なんで海外に行ってまで、日本人宿に泊まるの?」と不思議に思う方もいると思いますが、長期にわたってバックパッカー旅行をしていると、英語で喋り続けることや外国人との相手に疲れて、しばらく日本人宿でダラダラしたくなるのも仕方がないところもあるわけです。
また、日本人宿には情報ノートと呼ばれる、バックパッカーたちが書き残した各地の生の情報があったりするので役に立ちます。
今のようにインターネットが発達していない2002年は重宝したものです。

エジプトは物価が安いこともあり、カイロも沈没地の一つです。
有名な日本人宿には「サファリホテル」があります。(私は別の宿にしました)
私が訪れた2002年当時、カイロに1年以上の滞在している人が複数人いたそうです。
※居住ではなくあくまでもバックパッカーです。世の中にはいろんな人がいますね。

1泊300円くらいで泊まれますし、食事もコシャリというエジプト料理だと50円くらいで食べれます。
あと、自炊なんかも出来ますので安上がりではありますね。

ちなみにエジプト料理のコシャリとは、米とパスタと豆をミックスしてソースをかけたものです。
そばめしみたいに、炭水化物を合わせまくってます。
エジプトのソウルフード的な位置づけ、日本人の牛丼みたいなものですかね。
エジプトに行くなら、一度は食べてみてもいいのではないでしょうか。

ギザのピラミッドの様子はこちら

 

カイロのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

レバノン旅行記 世界遺産ティルス(スール)とシドン(サイダ)

バックパッカーとしてユーラシア大陸横断中の2002年、レバノンにある5つの世界遺産のうち3つを訪れました。

バールベックとビブロスについては書きましたので、残りの1つ世界遺産ティルス遺跡(現在の町の名前はスール)について書いていきます。
また、世界遺産にはなってないのですが、ティルスに行く途中に訪れた素敵な遺跡があるシドン(現在の町の名前はサイダ)についても書きたいと思います。

※名称がややこしいので、町の名前は現在のスールとサイダとします。

なお、スールとサイダは、首都ベイルートから南の地中海沿いに位置しています。
1日で2つの遺跡・町を回ることができます。

港湾都市サイダを観光

まずはベイルートに近い方のサイダの町に行きました。
ベイルートがから南に約40km、バスで1時間弱で着きます。
サイダはベイルート、トリポリに続くレバノン第3の都市です。

サイダの場所はこちら

サイダはかつて古代フェニキアの主要都市シドンとして栄えていたそうです。
港湾都市なので、昔から交易の拠点だったわけです。

そして、十字軍の時代に要塞が作られました。
その要塞がこちらです。
sidon1

地中海に突き出た十字軍時代の海の要塞はかっこいいです。
橋を渡って要塞の中にも入れます。

世界遺産ティルスを観光

続いて、スールの町に移動しました。
スールはサイダからさらに南に50km、セルビスとよばれる乗り合いタクシーで1時間くらいです。
ベイルートからは南に90kmくらいです。

スールの場所はこちら

現在のスールは小さな村なのですが、かつてのティルスは交易都市として栄えていたそうです。
ティルスもレバノンの他の都市と同様に、もともとはフェニキア人が建てた都市です。
その後、アレクサンドロス大王の侵攻、ローマ帝国の支配下、十字軍の支配下、イスラム化という歴史を歩んだそうです。
その後、衰退して現在は小さな村となっています。

ティルス遺跡

現在のスールには、ローマ時代の遺跡が残っており、世界遺産に登録されています。
そのティルスの遺跡の中でも、私が好きな光景は地中海に向かっていく列柱道路です。
tyre3
青い地中海へと続いていく列柱道路はとても美しいです。
ローマ遺跡の柱は、見ごたえがあります。
tyre1

私は2002年4月に訪れたのですが、春だったので季節がとてもよくて、黄色い花が美しく咲いていました。
tyre2
空の青、地中海の青、鼻の黄色がとてもきれいでした。
このような光景が見れてとてもよかったです。

他の世界遺産バールベックやビブロスもよかったですが、ティルスの遺跡もとてもよかったです。
レバノンには、本当に見ごたえのある遺跡があります。

戦争の傷跡

ベイルートの記事でも書きましたが、レバノンは内戦、イスラエルとの戦争など、長年戦争状態にありました。
スールはイスラエルからの国境近くの為、内戦時にイスラエルの侵攻を受けました。

私が訪れた2002年にも、戦争の傷跡が残っていました。
tyre5
写真の奥に移ってい建物は、遺跡ではなく破壊された建物です。

また、2006年には、武装組織ヒズボラがイスラエルに戦闘を仕掛けたことをきっかけに、スール、サイダはイスラエルから空爆され、戦闘地域となったそうです。
現在もヒズボラとイスラエルの戦闘は起こっています。

レバノンは私が訪れた国の中でも、好きな国です。
美しい遺跡や自然があり、優しい人たちが住むレバノンに、再び安全に観光できる日が来てほしいと願います。

首都ベイルートの様子はこちら

レバノン旅行記 世界遺産バールベックとビブロス

レバノンには世界遺産が5つあります。

  • バールベック(ローマ帝国の遺跡)
  • ビブロス(ローマ帝国の遺跡)
  • ティルス(ローマ帝国の遺跡)
  • アンジャル(ウマイヤ朝の城塞都市遺跡)
  • カディーシャ渓谷と神の杉の森

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行をしていた2002年に、「バールベック」「ビブロス」「ティルス」のローマ遺跡の3つを観光しました。
今回は、そのうちのバールベックとビブロスについて書きます。

世界遺産バールベック

バールベックは首都ベイルートの東85km、ベカー高原にあります。
バスで2時間ちょっとです。
レバノンは岐阜県程度の小さな国なので、ベイルートからだいたいどこでも日帰り観光できます。
バックパッカーだったので、移動手段はタクシーはあまり使わず、バスかセルビスと呼ばれる乗り合いタクシーが中心でした。

バールベックの場所はこちら

バールベックはヨルダンのペトラシリアのパルミラと並び、中東三大遺跡の一つと言われています。
レバノンの観光地の中でも、人気が高いポイントです。

バールベックは紀元1世紀に最初の神殿が作られたそうです。
その後、2世紀ごろから今も残るジュピター神殿やバッカス神殿が建てらたそうです。
ビーナス神殿もあるのですが、発掘が進んでいないそうです。

ジュピター神殿

バールベックの象徴ともいえるのが、このジュピター神殿の6本の大列柱です。
baalbek6

高さ22mもある大列柱です。

baalbek1
下から見上げると、さらにその大きさに圧倒されます。
パルミラの列柱も見事ですが、大きさではバールベックのほうが大きいです。
見ごたえがあります。
デカい物好きの私は、パルミラの列柱よりもバールベックの列柱のほうが好きです。

そして、こちらはジュピター神殿の雨といのライオンです。
baalbek3
精巧な彫刻です。
もともとは屋根に取り付けられていたそうです。
ライオンの口から水が出てたんでしょうね。

バッカス神殿

バールベックの遺跡の中で、一番保存状態のよい神殿がバッカス神殿です。

baalbek4
こちらがバッカス神殿です。
柱や祭壇なども残っていて、内部にも入れます。
baalbek7 baalbek2

高さ28m、幅34m、奥行き69mもあります。
大きさに圧倒されます。
ここまでよい保存状態で残っているのはすごいです。

バールベックは中東三大遺跡とも呼ばれるだけあり、さすがに見ごたえがあります。
遺跡好きならぜひ行ってほしいところです。

 

世界遺産ビブロス

続いてビブロス観光です。
ビブロスは首都ベイルートから北に30kmの地中海沿い位置しています。
ベイルートからはバスで1時間くらいで着きます。

ビブロスの場所はこちら

「ビブロス」の名前は「バイブル(聖書)」の語源となったとも言われています。

もともと「ビブロス」はギリシャ語で「パピルス(書物)」を意味する言葉だったそうです。
そして「ビブロス」から「ビブリオン(本)」という言葉になり、最終的に「バイブル(聖書)」の語源になったと言われています。

ビブロスの歴史

ビブロスはフェニキア人の発祥の地であるそうです。
その後、ローマ帝国、そしてイスラムの支配下となりました。
十字軍の時代には要塞化されたそうです。
しかしその後衰退してしまったそうです。

要塞遺跡

一番目につくのは十字軍時代の要塞の遺跡でしょう。

lebanon3
いかにも要塞という、武骨な感じの遺跡です。
要塞だけではなく、地中海に面した居住地の跡もあります。
フェニキア時代、ペルシャ時代、ローマ時代、十字軍時代の遺跡が混在しています。
lebanon2

この写真では分かりにくいですが、青い地中海に遺跡が映えます。
レバノンでは、このように地中海と遺跡が溶け込んだ光景が見所です。

今はまだ政情不安がありますが、平和になってみんなが楽しく旅行ができるレバノンになってほしいです。

世界遺産ティルスの様子はこちら

レバノン旅行記 首都ベイルート

レバノンはシリアとイスラエル、そして地中海に囲まれた国です。

私はバックパッカーとして、ユーラシア大陸横断旅行中に訪れました。
シリアも好きな国ですが、同じくらいレバノンも好きな国です。
イスラム教のイメージが強いかもしれませんが、人口の30%以上はキリスト教徒です。

見どころとしては、世界遺産バールベックやビブロスティルスなどのローマ遺跡などの観光地があります。

lebanon

国旗の真ん中にはレバノン杉が描かれています。
レバノンのシンボルで、神殿や船舶の建材とされたことから、不滅と寛容を表しているそうです。

レバノンの場所はこちら

面積は10,452km²で、岐阜県と同じくらいの小さな国です。
シリアのホムスから陸路で入りました。
ちなみにビザは国境で取れました。

レバノンの歴史

レバノン周辺はフェニキア人の古代文明の拠点となっていたそうです。
その後、アレクサンドロス大王のマケドニア王国、古代ローマ帝国の支配下となっていきます。
そのため、古代ローマ遺跡が多く残っています。

7世紀ごろにイスラム圏となり、ウマイヤ朝、アッバース朝、マルムーク朝等の支配を受けた後、オスマントルコ帝国の支配下となりました。

第一次世界大戦後、フランスの統治を受けることとなりました。
そして、1943年に独立しました。
独立後は金融、観光分野で経済発展し、中東のパリと呼ばれるほどのリゾート地だったそうです。

中東戦争により、レバノンにパレスチナ難民が流入、PLO(パレスチナ解放機構)がレバノン南部を拠点とするなど、宗教間の微妙なバランスが崩れ、1975年に内戦が勃発しました。
その後、イスラエルがレバノン南部に侵攻するなど、他国の干渉もあり内戦が続きます。
ようやく内戦が終わったのが1990年。
15年間にわたる内戦の跡が町中に残っています。

現在のレバノンは、過激派のヒズボラや、隣国シリアでのISIL(イスラム国)の影響により不安定な状態です。
外務省 海外安全ホームページによると国境近くの一部地域では「退避勧告」が出ており、その他の地域も「渡航延期」、「当行の是非の検討」がすすめられています。

私が訪れた2002年は、イスラエルとの国境付近などではやや緊張がありましたが、そこまで危険ではありませんでした。
地中海沿いだからか、明るく楽しい人たちが多かったことが心に残っています。

首都ベイルート観光

ベイルートは、商業、金融の中心地で、約180万人が住んでいる地中海に面した町です。

地中海の風景

私が訪れた4月は花が咲いててきれいでした。
地中海の青と花の黄色がとても映えます。
beirut8

そして地中海の浜辺を散歩するのもいい感じです。
レバノンのイメージも変わるのではないでしょうか?
beirut3

海沿いに鳩の岩と呼ばれる2つの奇岩があります。
大きな岩は高さ22m、幅15mあり、下のほうに穴が開いていてアーチ形をしてます。
beirut2

地中海に映えて、けっこうきれいです。
鳩の岩の名前の由来は、伝書鳩のレースが行われていたからという説、渡り鳩の中継地だからという説、岩の形が鳩に似ているからという説など、さまざまな説が存在するそうです。
ベイルートの中では人気の観光スポットです。
スキューバダイビングのポイントにもなっているそうです。
私はダイビングインストラクターだったりもしましたが、レバノンを訪れた当時はまったくダイビングをしたことがなく、興味もなかったのでここでは潜っていません。

ローマ遺跡

ベイルートの町中には、ローマ遺跡も多数あります。
遺跡があるのが、日常の風景の一部になっています。
beirut7

歴史と現代が融合している姿があります。
ただ、町を開発しようとすると、ゴロゴロ遺跡が出てくるので、保存すべきか開発すべきかはけっこう議論を呼ぶそうです。

内戦の傷跡

レバノンの歴史で触れましたが、レバノンは15年に及ぶ内戦がありました。
内戦の傷跡は町中で見ることができます。
beirut6
この建物にも銃弾の跡が無数にあります。
このようにレバノンの建築物には、銃痕が刻まれているものが多くあります。

町並み

とはいえ、すべての建物に内戦の傷跡があるわけではありません。
当たり前ですが、新しい建物もあります。
beirut5 beirut4
中東のパリと呼ばれるのもわかる気がします。

このようにベイルートは、地中海の美しさ、歴史を感じるローマ遺跡、悲しい内戦の記憶、現代の人が作る新しい町並みが融合した町です。
現在、政情が不安定なため、気軽に旅行に行けるわけではありません。
早く平和が戻り、この美しい町に気軽に行ける日が来てほしいと願います。

世界遺産バールベックの様子はこちら

ヨルダン旅行記 アンマン&死海

アンマンはヨルダンの首都です。
外国の首都の中でも「アンマン」は、子どもでもすぐに覚える町の名前ですね。
バックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れました。

世界遺産ぺトラを観光した後、アンマンを訪れました。
ちなみにアンマンから日帰りで、有名な死海にもいけます。

アンマンの場所はこちら

ヨルダンの北部に位置しています。

アンマンの歴史

アンマンの歴史は9000年前に遡るともいわれるそうです。
アッシリア、ペルシア、マケドニアなどの支配を受け、古代エジプトのプトレマイオス朝の支配下となったときフィラデルフィアと呼ばれたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下になり繁栄したそうで、その際の遺跡も残っています。

また、イスラムの支配下となっても繁栄していたそうですが、度重なる地震や戦乱で衰退してしまったそうです。

第二次世界大戦後の1946年にヨルダンがイギリスから独立する際に、アンマンは首都となりました。
独立当時は2万人しかいなかったそうですが、現在では120万人が住んでいます。

首都アンマン観光

アンマンは多数の丘があります。
その丘の一つにアンマン城跡があります。

amman

ほぼ廃墟となっているため、あまり建物の跡は見えません。
その中で残っているのが、ヘラクレス神殿跡にそびえる石柱です。

amman2

これは紀元2世紀に建てられたものだそうです。
上に載っている石が落ちそうに見えますが、1800年以上もちこたえてるわけですから、大丈夫なんでしょうね。

そして、この丘の上から町を見下ろすと、ローマ劇場の遺跡が見えます。

amman3

町と遺跡が一体化しています。
アンマンは派手さはないですが、このような光景は一見の価値があります。

死海を観光

死海と言えばイスラエルのイメージ強いかもしれませんが、実はアンマンから日帰り旅行で死海に行くことができます。

死海は湖水の蒸発により塩分濃度が約30%にもなります。
水面浮かんで新聞を読んでいる人の写真など見たことあるのではないでしょうか?

アンマンからはバスで行けますが、複数人いるならタクシーで行ってもいいと思います。
片道1時間程度です。

死海にはリゾートホテルなんかもありますが、バックパッカーなので無料で入れる場所にいきました。

deadsea

写真で見ると普通の湖ですね。
ちなみに奥に見えるのはイスラエル側です。

で、とりあえず浮いてみました。

deadsea2

さすが死海
ちゃんと浮きますね。
新聞は持っていなかったので、普通に浮いている写真のみとなりました。
ちなみに直立しても肩から上が出ます。

本当に塩分濃度が濃いですね。
なめると苦いです。
肌がピリピリしてきます。
長時間入ると、体の水分が抜けて危険なので、さっと入るだけにしましょう。

なお、死海の泥はぬるっとしているのですが、美肌効果があります。
死海の泥パックなんかも売られていたり、エステなんかでも使われているそうです。


ミネラルが豊富に含まれているのが、お肌に効くそうです。
実際、自分自身も死海の泥に浸かっていたお肌がツルツルになりました。
男なので、お肌ケアに興味があったわけではなく、「本当にそんな効果あるの?」と半信半疑でやってみただけなのですが、けっこうビックリするくらいの効果がありました。

女性の方はヨルダンに行ったら、ぜひ死海に行って美肌になってください。
もちろんヨルダン側ではなく、イスラエル側でもOKですよ。

ヨルダンの観光スポットはペトラ遺跡だけでないので、ヨルダンを楽しんでみてください。

世界遺産ペトラ遺跡の様子はこちら

ヨルダン旅行記 世界遺産ペトラ遺跡

中東の国ヨルダン
最近は、ISIL(イスラム国)との戦闘がニュースになっています。
シリアやヨルダンなど、中東の国にたいして、怖い国という印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
※外務省の渡航情報では注意喚起レベルなので、そこまで逼迫はしていないようです。

私がユーラシア大陸横断旅行中に訪れた2002年当時は、とても安全な国でした。
また、ヨルダンにはペトラ遺跡死海など見どころも多い国です。

jordan

エジプトからアカバ湾をフェリーで渡りヨルダンに入った後、まず最初に目指したのがペトラ遺跡でした。

世界遺産ペトラ遺跡

ペトラ遺跡はヨルダンの観光地でも一番有名なところではないでしょうか。
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のロケ地になったことで有名です。
(英語ではIndiana Jonesなので、インディアナ・ジョーンズと読みます)

また、新・世界七不思議にも選ばれています。

ペトラは自然の要害であるとともに、交易の要衝として遊牧民のナバタイ人の都として栄えていたそうです。
その後、ローマ帝国の支配下となりましたが、あまり歴史の舞台には出てこなかったようです。
19世紀になって、スイス人の探検家により世界に紹介されたそうです。

ペトラ遺跡の場所はこちら

国境の町アカバからはクルマで2時間ほどです。

ペトラ遺跡観光

ペトラ遺跡観光の拠点ワディ・ムーサに到着し、バックパッカー向けの安宿に泊まりました。
宿で「インディアナ・ジョーンズの映画を観るか?」と宿の人にすすめられました。
特に観たくはなかったので、観ませんでしたが、見ておいてもよかったかなとも思います。

そして翌日いよいよペトラ遺跡観光です。

宝物殿エルハズネ

ペトラ遺跡最大の見どころがいきなりやってきます。
シークと呼ばれる両側を壁に囲まれた峡谷の道を歩いていくと、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のクライマックスで使われたエルハズネが見えてきます。

petra1

この時点でけっこうテンションが上がります。
徐々に全体像があらわになってきます。

そして、エルハズネの全体が見えました。

petra2

インディ・ジョーンズの世界です。

圧倒されます。
赤い砂岩の壁を削ってこれだけのものを作るのですからすごいです。

写真の左下に人がいるので、その大きさがわかるのではないでしょうか。
ちなみに幅 30 m、高さ 43 mにもなるそうです。
この光景を見られるだけで、ペトラ、ヨルダンに来てよかったと思えました。

数多くの遺跡

しかし、ペトラ遺跡はエルハズネだけではありません。
エルハズネ同様岩を削って造られた、ローマ時代などの数多くの遺跡があります。

petra3

petra6

ペトラ遺跡はかなり広大な範囲にわたっています。
エルハズネと並ぶ見どころであるエド・デイルはかなり奥、山の上にあります。
1時間半くらいかかったと思います。

こちらがエド・デイルです。
petra4

美しい遺跡なので、長時間歩いた価値があったと思いました。

せっかく長い時間かけて山を登ったので、ちょっと山の上からたそがれてみました。

petra7

私は世界50か国以上を旅行し、色々な遺跡を見てきましたが、ペトラ遺跡は間違いなく上位にランクインされます。

ヨルダンは、現時点の外務省渡航情報では注意喚起までで、シリアのように退避勧告が出ているわけではないです。
とはいえ、現状行きにくい国になってしまっていると思います。
みんながそんなことを気にせずペトラ遺跡を観光できる日が来てほしいなと思います。

首都アンマンと死海の様子はこちら

 

ペトラのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索

シリア旅行記 世界遺産アレッポ 石鹸が有名でした

アレッポはシリア北西部、トルコとの国境近くにある町です。
5000年の歴史を持つ町といわれており、アレッポ市街は1986年に世界遺産に登録されました。

アレッポの場所↓↓

私はバックパッカーとしてユーラシア大陸横断旅行中の2002年に訪れてました。
シリアのアレッポを観光したときのことを書きたいと思います。

世界遺産アレッポ

その中にあるアレッポ城は、紀元前10世紀に当地に築造された神殿を原型とする古城だそうです。

Aleppo_citadel001

異国情緒を醸し出すいい感じのお城ですよね。
(写真が手元になくWikipediaの写真をお借りしています)

トルコの国境近くにあるアレッポは歴史もあり、とても魅力的な町です。
しかし、シリアの内戦、そして現在はISIL(イスラム国)のために荒れ果てしまっているようです。
そして、シリアの他の世界遺産と同様に危機遺産となってしまっています。

今、アレッポと聞くと、「テロ」とか「危ない」というイメージがもたれているのではないかと思います。
それは、本当に残念でなりません。
以前を知る人は、みんな同じような思いを持っているのではないかと思います。

アレッポは私が観光した2002年はとても活気があって、楽しい町でした。
当時のシリアでは、首都ダマスカスに次いで第2位の町でした。

アレッポの石鹸

お肌のお手入れに敏感な女性はよく知っているかもしれませんが、アレッポと言えばアレッポの石鹸が有名でした。
アレッポに行く前は知らなかったのですが、アレッポの石鹸はオリーブオイルとローレルオイルで出来ていてお肌にとても良い石鹸です。
シリアに行く前に知り合った女子バックパッカー達からは「アレッポ行くなら石鹸買って送ってね」と言われるくらい人気の品でした。

なんか粘土みたいで、本当にこれがその石鹸?という感じです。
が、切ってみると


美しいエメラルドグリーンです。
石鹸はけっこう重いので、頼まれた人には送りましたが、いくつかは自分で使ってみました。
確かにすべすべになりました。

アトピーの人にもあげましたがすごく喜んでくれました。
実際に使った感想を聞くと、肌に潤いができて痒みが少なくなったと言ってました。

天然の成分で出来た、最高級の石鹸はとてもよい物なのだな、と実感しました。

そんなアレッポの石鹸も、内戦やISILにより供給が不足するようになってしまっています。
でも、そんな状況の中、頑張っているアレッポの方々がいるのです。

歴史もあり、建築物もあり、お土産もある、そんなアレッポは当時のシリアではダマスカスに次いで第2位の町でした。
アレッポにあるスーク(市場)は当時、世界最大規模とも言われていました。
しかし、内戦により半分が消失してしまったそうです。
本当に残念でありません。

「みんなが笑顔になれるアレッポ」に戻り、再び観光できる日を待ち望んでいます。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

シリアには、天空の城と呼ばれるクラック・デ・シュバリエがあります。
世界遺産の「クラック・デ・シュバリエとカラット・サラーフ・アッディーン」の一部です。
バックパッカー旅行で50か国訪れ色々な城を見てきましたが、その中でもとても美しいお城でした。
私はシリアの観光地の中で、ここが一番好きでした。

クラック・デ・シュバリエ場所はこちら

世界遺産クラック・デ・シュヴァリエ

拠点となるのはホムスという町で、そこから日帰り観光ができました。
この小高い丘の上にある美しい城が、クラック・デ・シュバリエです。

Krak

しかし、空爆によりこの美しい城クラック・デ・シュバリエの一部が破壊されたようです。
とても残念です。
内戦やISILによって、荒れてしまうことが本当に残念でありません。

写真にはあえて載せませんが、クラック・デ・シュバリエに行く途中に出会ったシリアの人々は本当に笑顔がよく、素敵な人々でした。
イスラム教というと怖いイメージを持つかもしれませんが、シリアの人たちはいい人が多かったです。

天空の城?

ちなみにクラック・デ・シュバリエは、ジブリ好きな日本人で、天空の城ラピュタのモデルとも言ってる人もいますが多分違うでしょう。
※以前書いたカンボジアのベンメリアもラピュタのモデルと言われますが、それに比べればまだ現実的かも。いずれにしろジブリの公式見解にはありません。

写真では分かりにくいですが、緑と美しい城のコントラストがとても美しかったです。

Krak0

ラピュタのモデルかどうかは別として、なんとも幻想的で素敵なお城です。
観光に来て良かったなー、と心底思いました。

当時のシリアの余談

ちなみに当時クラック・デ・シュバリエを始めとした観光地は通常の入場料と学生料金でだいぶ金額が違っていました。
通常ですと入場料300シリアポンド(US$6くらい)のところが、学生だとなんと15シリアポンド(US$0.3くらい)と1/20の料金でした。
バックパッカーの中ではシリアの学割の話は有名だったので、私はエジプトのカイロで偽学生証を作って使ったのもです。。。深くは突っ込まないでください。。。

美しい風景

シリアは中東なので砂漠のイメージがあるかもしれませんが、実は美しい緑もある国です。
私はちょうど4月といういい季節に行けたので、美しい花も見ることができました。

syria3

緑、黄色、赤の草花の色と空の青がとてもきれいです。

広い大地を車に乗りながら、美しい風景を見るのはとても気持ちがよかったです。
こんな素敵な風景に出会えたシリアは本当に好きな国です。
また旅行できる日が来てほしい、と切実に願っています。

シリアの世界遺産パルミラの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産パルミラ

シリアにある世界遺産の一つがパルミラです。
ヨルダンのペトラレバノンのバールベックとあわせ中東三大遺跡ともいわれている観光スポットです。

ペトラの様子はこちら
バールベックの様子はこちら

メソポタミアやペルシャと地中海の都市を結ぶ、砂漠の中のオアシス都市として栄えていたそうです。
そのため、パルミラにはローマ時代の遺跡が残っています。
※現在は危機遺産となっています。

パルミラ(ホムス県タドムル)の場所はこちら

首都ダマスカスの北東250kmくらいのところ、シリアの真ん中くらいにあります。

パルミラ遺跡

2001年~2002年のユーラシア大陸横断バックパッカー旅行の中で訪れた遺跡の中でも見ごたえがある遺跡でした。

パルミラには美しい柱などが残っています。
これらはの遺跡は紀元前から紀元3世紀ごろまでに建てられたものだそうです。
2000年前の建築物が目の前にあるわけですから、すごいですね。
Palmyra2

広い範囲に神殿やローマ劇場などがあります。
柱が並んでいる列柱道路などは、見ごたえがあります。
当時のアナログ写真をスキャンしたため薄暗い感じの写真しか残っていないのが残念ですが、実物を見ると色鮮やかです。

そして少し離れた岩山の上にはアラブ城と呼ばれる城があります。
Palmyra1
中東の城って感じでですね。
この城の上からはパルミラ遺跡の全体を眺めることができるので、ここからの眺めもとてもよいです。

Palmyra3

砂漠の中に緑があり、オアシス都市ということがわかります。
古い写真で薄暗いのでわかりにくいとは思いますが。。。

パルミラはシリアの中でも、特に有名な遺跡ですので、平和だった2002年当時は観光客がたくさんいました。
有名な観光地のため、観光客向けのラクダ屋が日本語で声をかけてきたものです。
「ラクダは楽だ~」
と、誰が教えたのか、日本語で話しかけてきます。

※パルミラに限らずしょうもない日本語を現地の人に教える人がけっこういます。当時の流行りのギャグとかを教えて、古っ!と思うこともしばしばあります。

このラクダ屋けっこうしつ濃かったです。
バックパッカーの中でもパルミラのラクダやは評判が悪く、私自身も若干切れたのを思い出します。

当時はうざかったのですが、今思うと平和だったからこその光景だったといえます。
楽だ~という人に会いたいわけではないですが、再びシリアに行ってパルミラ遺跡を旅行できる日が来ることを待ち望みます。

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ダマスカス

2002年当時、世界遺産ボスラのローマ劇場内の宿泊施設に泊まれました。
バックパッカーとして50か国以上を旅行してきましたが、世界遺産で一夜を明かすという貴重な経験でした。
そしてその後、首都ダマスカスを目指しました。
シリアの移動は、基本的にバスです。

世界遺産 古代都市ダマスカス

ボスラから2時間程度で首都ダマスカスに到着しました。
ダマスカスは最古の都市とも言われる古代都市で、町自体が世界遺産になっています。
※現在は危機遺産になってしまっています。

その歴史は紀元前4000年からとも言われています。※諸説あります。
いずれにしろ、古代より交易の中心となるオアシス都市でした。

交通の要衝であっただけに、アレクサンダー大王の支配下や、ローマ帝国の支配下になったりしています。
※シリアはイスラム教の国であり、そのイメージが強いでしょうが、ローマ時代の遺跡がたくさんあります。

その後、7世紀にイスラムの国であるウマイヤ朝の首都となりました。
そして、現在までシリアの主要都市として続いています。

ウマイヤド・モスク

ウマイヤ朝の首都となったダマスカスに作られたのが世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクです。
ダマスカスでだれもが訪れる観光スポットです。

ウマイヤド・モスクを訪れると、なぜか「俺を写真に撮ってくれ」と言ってきたシリア人がいたので、一緒に写真に撮ってあげました。

Umayyad1

その後、この人は片言の英語で案内してくれました。
バックパッカー旅行をしている中で、向こうから声をかけてくる人間はだいたい怪しい人が多いのですが、この人は問題ありませんでした。

※油断してはいけませんが、避けすぎると旅の醍醐味もなくなってしまいます。コミュニケーションをとりながら、その人を判断する目が重要です。ちょっとでも危険を感じたら逃げましょう。

ウマイヤドモスクについてですが、自分自身の知識がないため以下、Wikipediaからの引用です


ウマイヤド・モスク(Umayyad Mosque, Arabic: جامع بني أمية الكبير)とは、ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年(ヒジュラ暦86年)にダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクであり、世界最大級のモスクのひとつでもある。世界遺産「古代都市ダマスカス」の一部である。

もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会であったが、7世紀になってダマスカスがムスリムの支配下に入り、10年の歳月を費やして敷地全体がモスクへと改装された。このため、通常のモスクとは違いローマ建築・ビザンティン建築の様式が色濃く出ている。

カアバ、預言者のモスク、岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として、現在も巡礼者が絶えない場所である。また、内部には当初から洗礼者ヨハネの墓があり、キリスト教徒にとっても重要な巡礼地のひとつである。2001年にはヨハネ・パウロ2世が訪れている。


出典:Wikipedia

というように歴史のあるモスクなわけです。
正直、訪れた当時はここまでの情報は知らなかったのですが、こういう歴史的な事実を知っていたほうが旅先での感動があると思います。
事前に知識を入れることも重要ですね。

モスク以外でのダマスカスの観光スポットとしては、スーク(市場)も大きくて楽しいです。
食べ物、服、アクセサリーなどいろいろあり、活気があって楽しかったです。

どんな国でも市場は楽しいもんです。
早く平和になって、楽しいダマスカスに戻り、また旅行できる状況になってほしいです。

ダマスカス以外のパルミラやクラック・デ・シュバリエなどの遺跡も観光できる日が来てほしいです。

世界遺産パルミラ遺跡の様子はこちら

世界遺産クラック・デ・シュバリエの様子はこちら

シリア旅行記 世界遺産ボスラ

現在のシリアは危険な国になってしまいましたが、もともとは本当にいい国でした。
バックパッカーとして50か国以上旅行しましたが、確実に行って良かった国の上位に来ます。

私は2001年から2002年にかけてユーラシア大陸横断旅行に出ました。
その中でシリアに行ったのは2002年の4月でした。

本当にいい国で、見ごたえのある観光スポットが多く、いい思い出がたくさんあります。
もともとのシリアのよさをお伝えしたいと思っています。

世界遺産古代都市ボスラ

エジプトからヨルダンを経て、シリアに入ったのですが、最初の町がボスラでした。
ボスラってちょっと怪獣的な名前ですね。

ボスラの場所はこちら

ヨルダンの国境からすぐそこです。
車で1時間くらいで、ボスラに着きます。

日本ではあまり知られていないと思いますが、古代都市ボスラは世界遺産になっています。
その歴史は紀元前までさかのぼるそうです。

ボスラ観光

ボスラについて早々町を観光しました。
2002年当時のボスラの遺跡の写真です。

bosra3

※あくまでも遺跡の写真ですので、破壊されたわけではありません。誤解のないように。

bosra4

ボスラのよかったところは、このような遺跡が町の人にとっては当たり前の光景で、生活に溶け込んでいたことです。

世界遺産の遺跡で、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
外国人観光客に会えるのがうれしいのか、私に寄って来て写真をせびってきたりしました。
※十年以上前とはいえ顔写真を載せるのは控えます。

人懐っこくて、純粋でかわいい笑顔でした。
このような笑顔が、現在のシリアではどうなっているのかが本当に気になります。

ボスラのローマ劇場

ボスラは遺跡とともにある町なわけですが、一番の観光スポット・見どころと言えるのがローマ劇場です。
シリアでローマ遺跡というと意外に思う人もいると思いますが、シリアは古代ローマ帝国の勢力圏内に位置しているのでローマの遺跡がたくさんあります。

そのボスラのローマ劇場がこちらです。
bosra

当時のアナログ写真をスキャンしているので、ちょっと暗いですが、見ごたえがあります。
bosra2

半円形で階段状の劇場で、客席は急階段かなりの人数が座れるようになっています。
ローマ時代にここで演劇などがなされていたかと思うと、歴史を感じます。

しかも、現在では到底無理ですが、2002年当時はこの建物の中に宿泊施設があって泊まれました。
世界遺産の中に泊まれるっていう経験ができたのは本当に貴重です。
一泊$10くらいだったと思います。
部屋は簡素でベッドがあるくらいでしたが、世界遺産の中で眠れるだけで価値があります。

泊まれるので、夜中に劇場の舞台に立って、歌いました。
とても気持ちよかったです。

美しい星空を見ながら、世界遺産の遺跡の劇場の舞台で歌を歌うなんて、今では絶対にできない経験です。

本当に、いい思い出です。
初めての町からシリアが好きになりました。

早く平和な状況になって、再びシリアを旅行できる日が来てほしいです。

首都ダマスカスの様子はこちら

シリア旅行記 シリアの思い出 2002

2015年現在のシリアは、内戦やISIL(イスラム国)などにより恐ろしい地域であると感じると思いますし、事実、危険な地域です。
残酷なニュースが流れていましたし、、シリア全体が退避勧告地域となっています。

しかし、私が2001年~2002年にかけユーラシア大陸横断のバックパッカー旅行をしている中で、訪れたシリアは本当に素晴らしい国でした。
素晴らしい観光スポットも多く、人も優しく、行ってよかった国のかなり上位に入ります。

シリアの情報と歴史

ニュースなどで見る機会も増えて、初めて「シリア」という国の名前を知った人も多くいると思います。
でも、なんとなく遠い国、と思っている人が多いのではないでしょうか?

シリアの国旗です。
syria

シリアの場所

シリアはいわゆる中東に位置する国です。

シリアの場所はこちら

北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西部は地中海に面しています。

この場所は世界で最も古い歴史を持つ土地と言われています。
紀元前2千年には町ができ、ギリシア・ヘリニズム時代、ローマ時代を超え、現代にいたっているわけです。
キリスト教ができる前、当然ながらイスラム教ができる前の時代から、その土地に人がいき文化が栄えていたわけです。

シリアの世界遺産

そのような古くからの歴史があるため、シリアには世界遺産が多くあります。

など、世界遺産も多くありますし、世界遺産になっていない素晴らしい観光スポットがあります。

下は世界遺産の一つ、クラック・デ・シュヴァリエの写真です。

Krak

この美しい城も空爆により一部損壊したそうです。
シリアの世界遺産は危機遺産となってしまっています。

シリアの人たち

日本人はイスラムの人たちとの交流が少ないので、どうしてもイメージで「イスラム教は怖い」と思ってしまう人も多いのではないかと思います。
しかし、実際にはやさしく、いい人が多かったです。

  • 町中で知り合い、なぜかダマスカスの町を案内してくれた人
  • 遺跡の町で、とてもかわいい笑顔であいさつしてくれた子どもたち
  • 町中で声をかけられ、片言の英語で話し合った人たち

美しい遺跡や風景だけでなく、人々も本当に優しい人たちでした。
子どもたちの笑顔が輝いていました。

そのような人々が苦しんでいることを思うと、心が痛みます。

簡単なことではないでしょうが、シリアが早くもとの美しく優しい国に戻り、再び旅行できる日が来ることを望みます。
本当にもう一度訪れたい国だと思っています。

多くの日本人にとっては遠いところにある、あまり知らない遠い国でしょうがしょうが、少しでも以前のシリアの良さを伝えたいと思うので、2002年当時のことを書いていきたいと思います。

シリア入国の様子はこちら

フィリピン セブ島旅行記 モアルボアルでダイビング

セブ島旅行中、マクタン島では6本ダイビングをしました。

でも、フィリピンのセブ島でダイビングができるのは、リゾートエリアのマクタン島だけではありません。
相方が帰国した後、セブ島の西部に位置するモアルボアルというところに移動しました。
バスで4時間ほどのところです。

モアルボアルの場所はこちら

マクタン島とは全く逆側のセブ島の西側にあります。
日本人観光客で訪れる人はそれほど多くなさそうです。

モアルボアルに到着

バスが到着した後、まずは宿探し。
宿の予約はせず、バックパッカー時代を思い出しながらいくつかの宿を見て回りました。
トイレ、シャワー共同の安宿で比較的安い宿があったので、そこにしました。
マクタン島のリゾートエリアにくらべるとだいぶ安いです。

モアルボアルはのんびりした町ですので、ゆっくりするにはいいところです。

その後、ダイビングショップを探しに行きました。
モアルボアルは田舎町ではあるのですが、ダイビングが盛んな町でダイビングショップはたくさんあります。

モアルボアルにある10件以上のダイビングショップを見て回りました。
日本人インストラクターがいるダイビングショップも何件かありました。
でも、複数ダイブでディスカウントがあり一番安かったTHE BLUE ABYSS DIVE SHOPにしました。

THE BLUE ABYSS DIVE SHOPは、ドイツ系の人が経営者で客もドイツ人やスイス人観光客が多かったです。
日本人客は一人もいませんでした。
モアルボアル自体にくる日本人観光客が少ないのだと思います。

モアルボアルのダイビング

セブ島のモアルボアルには3泊し、合計5ダイブしました。
ダイビングはフィリピン人とカナダ人のガイドさんに連れてってもらいました。
全てボートダイブです。
ボートに乗って10分程度ですぐポイントなので楽です。

チョウチョウウオ、クマノミ、ハナミノカサゴ、ハゼなどいかにも熱帯魚な魚たちが待ってます。
あとピグミーシーホースもいましたね。

写真がないので、私が利用したダイビングショップTHE BLUE ABYSS DIVE SHOPの写真をのせておきます。

 

 

出展:THE BLUE ABYSS DIVE SHOP

そのほか、カメにも会えます。
運が良ければジンベエザメに会えることもあるとかないとか。
残念ながら私は会ってません。

欧米人のダイバーたちなので、みんな自由気ままな感じでした。
最後ボートの近くまで来ると、後は勝手にやって勝手に上がってきてって感じでした。
1ダイブ1時間くらい潜ってましたね。

そういえば、足が悪く車いすのダイバーさんもいました。
インストラクターになるための講習ではならっていたのですが、ハンディキャップのダイバーさんとは始めて潜りました。
水中では手にフィンをつけて潜ります。
水中では重量がないから自由に動けますからね。

suzumedai_s

セブ島のモアルボアルのダイビングは楽しかったです。
のんびりダイビングするにはいいところです。

モアルボアルでの出逢い

モアルボアルのTHE BLUE ABYSS DIVE SHOPで一緒にダイビングした中で、ドイツ人カップルとベルギー人の老夫婦、あとフィリピン系カナダ人のインストラクターと仲良くなりました。
こういう人との出会いもバックパッカー旅行の醍醐味です。

ドイツ人カップルやベルギー人老夫婦と、三日ともディナーを一緒に食べました。
ベルギー人老夫婦は英語が得意ではありませんでしたが、ドイツ人カップルは普通に英語が喋れました。
彼らは長期の休みで(3週間くらい)、ほぼモアルボアルでのんびり過ごすしたようです。

ベルギー人老夫婦は700本くらい潜っているらしく、しかもアイスダイビングもやることがあるそうです。
休みの日にふらっと潜りにいくそうです。
気軽にダイビングができる状況がうらやましいなと思います。
日本だとけっこう大変ですからね。

アイスダイビング寒いのによくやるなーと思いますが、楽しいよと言ってました。
でも、自分ではやらないかなー。
寒いの嫌いなので。

モアルボアルで飲む

モアルボアルは田舎町なのですが、ダイビングが盛んで欧米人観光客が多いため、海沿いのおしゃれなレストランやディスコなどもあります。
最終日はカナダ人インストラクターも交えて、ディスコに行きました。

コンクリート打ちっぱなしのところでした。
ドイツ人カップルはさすがによく飲み、よく踊ってました。
体もデカいし、体力あるなーという感じ。

フィリピン系カナダ人のインストラクターは、ディスコの中が暑かったのでちょっと外に出てビールを飲みました。
彼曰く、セブ島のモアルボアルに来る日本人は基本的に日本人のダイビングショップで、日本人としかしゃべらないというイメージがあったそうです。
なので、私のように日本人一人で欧米人に混ざっているのを見て、日本人を見る目が変わったと言ってました。
そう言ってもらえると、ちょっとうれしかったです。
日本の良さも知ってもらいたいですしね。

海外に行って日本人同士でいることは悪いことではありません。
実際私もバックパッカー時代、日本人宿でダメダメ生活を送ってましたし。。。
でも、せっかくの海外だから、普段出逢わない外国人と触れ合うのもいいものだと思います。

英語が喋れないから、というのは本当はあまりに気にしなくてよいのです。
ベルギー人老夫婦のようにあまり喋れない人とでも、仲良くなれるのですから。

セブ島に行ったら、マクタン島のリゾートエリアだけでなく、モアルボアルにも訪れてみてください。

マクタン島でのダイビングの様子はこちら

モアルボアルのホテル予約はこちら↓↓

フィリピン セブ島旅行記 ボホール島1日観光ツアー

セブ島で宿泊していたセブ ホワイト サンズ リゾート アンド スパのスタッフからボホール島旅行をおすすめされました。
そこでセブ島から日帰りで行ける観光地ボホール島に行くことにしました。
その時のことをご紹介します。

ボホール島1日観光ツアー

フィリピン セブ島の隣にボホール島という島があります。
セブ島から日帰り旅行できる観光スポットです。

この島にはチョコレート・ヒルと呼ばれる風景や世界最小のメガネザルのターシャが有名です。

ボホール島の場所はこちら

私たちは正式なオプショナルツアーではなく、個別のアレンジで行きました。

セブ島のリゾートエリアからボホール島へは、船で2時間ほどで着きます。

ボホール島にはロボック川という川が流れており、そこのクルージングもあります。
残念ながら、私たちは正式なツアーではなく現地で個人手配だったのでクルージングはしませんでした。

せっかくなのでクルージングもしておけばよかったかな、と思います。
ですので、もしボホール島へ行くのであればクルージングも含めて楽しんでみて下さい。

チョコレートヒル

さて、港に到着した後は車で移動し、そしてボホール島の最大の観光ポイントともいえるチョコレート・ヒルへ。
チョコレート・ヒルは小さい山がちょこちょこと並んでいる風景です。

Bohol1

山というか丘がたくさん並んでいて、可愛い感じです。

Bohol3

形としてはチョコレートのお菓子のアポロみたいですね。
秋には茶色になってもっとチョコレートっぽいらしいです。

でも私としてはこの緑のポコポコした丘が気に入りました。

メガネザルのターシャ

ボホール島の見どころと言えば、チョコレートヒルともう一つ世界最小のメガネザルのターシャです。
チョコレートヒルを見た後、ターシャを見に行きました。

tarsier1 2arsier2

写真では小ささが分かりにくいと思いますが、めっちゃ小さいです。
10cmくらいですかね。
小さいうえに、夜行性で寝ているためほとんど動かないので、よく見ないと分かりません。

目がとても大きく、ちょっと宇宙人ぽい顔をしています。
でも、実際見ると可愛かったです。

ボホール島はセブのリゾートエリアから日帰りで行けて、まったく違う風景が見られます。
セブ島に旅行で行って、もし時間があるようであればボホール島観光もおすすめです。

セブ島のリゾートエリアについてはこちら

 

セブ島のホテルを今すぐ探すならこちら
↓↓
agodaで検索

フィリピン旅行記 セブ島のおすすめリゾートホテルとレストラン

セブ島旅行の2週間。
ほとんど安宿で過ごしていたのですが、相方が3日間だけ遊びに来るということで、2泊だけバックパッカーらしからぬリゾートホテルに泊まることにしました。とても良かったのでご紹介します。

また、ディナーを食べに行ったレストランもよかったので合わせてご紹介します。

セブ島のおすすめリゾートホテル

セブ島旅行でおすすめのリゾートホテルをご紹介します。

セブ ホワイト サンズ リゾート アンド スパ

私たちが泊まったリゾートホテルがセブ ホワイト サンズ リゾート アンド スパです。

whitesands

ロビーもきれいですし、お姉さんも感じのいい人でした。
チェックインもすませ、部屋に通されましたがさすがに広くてきれいでした。

フィリピンではチップの習慣があるので、ポーターさんにチップを渡しました。
ちなみに安宿ではチップは払う必要がないです。

部屋は白を基調にしていてとても清潔感がありました。
もちろんバスタブもあります。(安宿ではシャワーのみでした)

外にはプールもあり、もちろんプライベートビーチもあります。

まさにリゾートホテルという感じです。
バックパッカーだった自分にとっては、初めてのちゃんとしたリゾートホテルでした。
こういうホテルに泊まるのもよいなと感じました。

 

部屋について荷物を置き、ちょっとゆっくりしてからプールに入りました。
南国でプール付ホテル。リゾート満喫です。

もちろんプライベートビーチにも行きました。
きれいなビーチでのんびりできます。

ホワイト サンズ リゾート アンド スパは値段も安く、きれいで設備も良かったので非常に満足しました。

詳細はこちらからご覧ください
セブ ホワイト サンズ リゾート アンド スパ

セブ島のおすすめレストラン

セブ島旅行でおすすめのレストランをご紹介します。

マリバゴ チキン グリル & レストラン

そして夕食はマリバゴ チキン グリル & レストランに行きました。
セブ島のリゾートエリアではとても有名レストランです。(かなりベタです)

レストランの名前にもなっているマリゴバグリルチキン、そして魚のグリル、ガーリックライス、ビールなどを頼みました。
品数がちょっと多かったですが、せっかくのリゾート地なので、ちょっと贅沢しました。

観光客向けなのでどうかな、と思って入ったのですが料理は全体的に美味しかったです。

値段もそれほど高くはありませんでしたので、セブに行く方にはおすすめのレストランです。
紹介しているページがあったので、リンクを張っておきます。↓↓
http://4travel.jp/overseas/area/asia/philippines/cebu/restaurant/10392083/

私も相方も大満足でした。
海外でおいしい物を食べられるのは楽しいですね。

翌日はボホール島に日帰り旅行に行きました。

セブ島からのボホール島日帰り旅行はこちら

 

セブ島のホテルを今すぐ探すならこちら
↓↓
agodaで検索

フィリピン セブ島旅行記 マクタン島ダイビング

フィリピンのセブ島でいよいよスキューバダイビングです。
セブ島に旅行に来た理由はダイビングをするためでしたので、いよいよメインイベントです。

そしてバックパッカー的には、フリーでやっているフィリピン人ダイビングインストラクターと知り合うことができ、安くできたので非常にラッキーでした。
知り合った経緯はこちら

デンマーク人の家族と一緒のダイビングです。
母親(推定45歳)、姉(推定22歳)、弟(推定20歳)の3人です。
3週間ほど観光旅行で来ているそうです。
デンマークなどヨーロッパ特に北欧の人たちは、日差しが弱い地域の為、太陽を欲しています。
日光浴が大好きで、南の島などが大好きですね。

お母さんとお姉さんは英語は片言でしたが、弟さんは英語が喋れました。
朝レストランで挨拶したのですが、昼食食べたり、翌日以降もけっこう一緒にいました。

セブ島ダイビング開始

で、いよいよセブ島のダイビング開始です。
機材を取りつけて、チェック。
宿の目の前のビーチからエントリーなので、とても楽です。

インストラクターは基本的に初心者であるお母さんとお姉さんを見ることになっています。
弟さんは一年前にも来て、50本くらい潜ってるらしいです。
私はいちおう元インストラクターですが、2年ぶりに潜るのでちょっと緊張しました。
ウェイトもちょっと重めにしました。

ビーチエントリーなので、ゆっくりと入っていきます。
さすがセブ島の海でのダイビング。あったかいです。
ダイビングコンピューター(ダイコン)を持ってなかったですが水温28度はあったと思います。
(SUUNTOのVyperを持ってるのですが電池切れです)
水面でレギュレーターをくわえて、水面に顔をつけて二呼吸。
吸えました。
そして、潜り始めます。

BCDの空気を一気に抜き、息も吐いて潜っていきます。
水中でも息が吸えます。
耳抜きもOKでした。
潜るまではちょっと緊張してましたが、水中に入って5秒後には慣れてました。
私自身はチェックダイブも兼ねて、マスククリアとかレギュレーター外したりと試してみました。
普通にできました。
自転車と一緒で、一度経験出来たら体が覚えているもんですね。

母、娘が初心者なので深度12mくらいの浅いところを45分ほど潜ります。
ビーチ沿いなので、透明度はそれほどよくありませんでしたが、魚はそこそこいました。
水中カメラを持ってないので、写真がないのが残念です。

久々の水中は楽しかったです。
ハゼとかスズメダイとかきれいな熱帯魚たちを見るのももちろんですが、重量を感じず、360度好きな方向に動けるのがダイビングの好きなところです。

浅いところでのんびりダイビングというのもいいものでした。

ボートダイブ

翌日はボートダイブにしました。
それも格安にしてもらいました。
カヌーみたいな感じの小さいボートです。

s_cebu2

バックロールでエントリーです。
後ろ向きで、クルンとまわりながら入る感じです。

ボートダイブだともうちょっと深いところに行けます。
クマノミとかツバメウオとかエイとか見れました。
クマノミはかわいいですね。

スキューバダイビングはやったことがない人には、言葉ではなかなか良さが伝えられません。
実際自分も最初にやってみるまでは、興味がありませんでした。
でも、1回やるとその魅力に惹きこまれて、1年後にはインストラクターになってました。
そこまでやる必要はないのですが、今までとまったく違う経験ができるので、体験ダイビングでもよいのでダイビングをやってみてください。

モアルボアルでのダイビングの様子はこちら

 

セブ島のホテルを今すぐ探すならこちら
↓↓
agodaで検索

フィリピン セブ島旅行記 マクタン島リゾートエリア

セブシティのダウンタウンで過ごした後、一般的に言われるセブ島のリゾートエリアへ。

実際にはセブ島の隣にあるマクタン島というところです。
観光客の多くは飛行機がついたらマクタン島に行きます。

セブ島から橋が2本かかっています。
ちなみに空港もこちらのマクタン島にあるのでこっちのほうがダウンタウンより近いです。

この島の東側がリゾートエリアで、ホテルが立ち並んでいます。

セブ島(マクタン島)のリゾートエリアへ

セブ島リゾートエリアでは宿はHadsan Cove Resortというところ泊まりました。
比較的値段が安かく(US$15くらい)、ダイビングショップがあり、海に面していることが理由です。
リゾートホテルというよりは安宿で、バックパッカー的にはありがたいです。

セブシティからはタクシーで移動。
高級ホテルがいくつもたっていました。
でも、完全なリゾートエリアというよりは、庶民的な店も多くちょっとイメージと違いました。

あと、韓国料理やとか、ハングル文字が書いてある店が多かったです。
実際、韓国人の観光客が多く、圧倒的に日本人より多かったです。
セブ島は韓国に人気の旅行スポットなんですね。

4月初旬という時期だったので、もしかするとゴールデンウィークだったら、日本人旅行者ももうちょっと多かったのかもしれません。

高級ホテルを横目に安宿へ。
木でできたコテージっぽい感じのところでした。
部屋の中にトイレ、シャワー付なので特に不便は感じませんでした。
レストランも併設で、Wifiも公共エリアでは利用できました。

海もすぐそこで、ビーチダイビングは宿の敷地内からエントリーできます。
シュノーケリングなども気軽にできます。

cebu1

セブ島旅行の目的はスキューバダイビングだったので、着いた早々、併設されているダイビングショップのAquaDive Cebuへ行ってみました。
しかし、誰もいない。。。
午前11時くらいだったのですが、みんな海に出かけていたのでしょう。
しかたなく、宿のレストランで食事をすることにしました。

セブ島のダイビングインストラクターのおじさん

食事をとっていると、宿の従業員のおばさんが近づいてきました。
「ダイビングするの?」
と聞かれました。
おそらくダイビングショップをのぞいてた姿のを見ていたのでしょう。
いつ人が帰ってくるか教えてくれるのかなと思い。
「するよ」
と答えました。
「私の知り合いがインストラクターで、個人でやっているから聞いてみる?」
予想外の展開です。
別にダイビングショップじゃないといけない理由もないので聞いてみることにしました。
「今は海に出ていってるので少し待って」
と言われたので、食事をしながらしばらく待つと、海からダイバーたちが上がってきました。

ダイビングを終え機材を洗っているおじさんに、従業員のおばさんが話しかけ、私を紹介してくれました。
背が低くちょっと小太りの50歳くらいのおじさんです。
人懐っこい笑顔で、握手しました。

話を聞くと、フリーでやっているインストラクターとのことでした。
ここ数日間はデンマーク人の家族3人のガイドをやる予定だけど、1人増えても問題ないとのこと。
また、私がインストラクターだと話すと、機材代+αくらいでいいよと言ってくれました。
2ビーチダイブで1600ペソくらいでやってくれるとのこと。
他のところだと4000ペソくらいなので半額以下です。

しかもBCDとレギュレータを借りたのですが、その値段も込です。
(軽機材:フィン、マスク、ウェットスーツはもってました)
かなりお得なダイビングができることになり、とてもラッキーでした。

その日はゆっくりしたかったので、翌日からダイビングをすることにしました。

食事を終えた後は、水着になって宿のビーチからシュノーケリングをしました。
久しぶりに見る熱帯魚。
翌日のダイビングが楽しみになりました。

マクタン島でのダイビングの様子はこちら

 

セブ島のホテルを今すぐ探すならこちら
↓↓
agodaで検索

フィリピン セブ島旅行記 セブシティダウンタウン

フィリピン セブ島へ向け大韓航空で出発しました。
セブ島への直行便もあるのですが、高かったので韓国経由にしたわけです。
バックパッカーのせこさが出ています。

仁川まで約2時間、その後3時間半のトランジットの後、約5時間のフライトです。

セブ島に着いたのは夜中の11時半過ぎでした。

セブ島の情報

セブ島の場所

セブ島はフィリピンの中部のビサヤ諸島にある島です。

セブ島の場所はこちら

セブ島と言えばリゾート地のイメージですよね。
実は一般的に「セブ島のリゾート」としてイメージする場所は、厳密にはセブ島ではなく、セブ島の東にある「マクタン島」というところです。

セブ島本島とは2本の大きな橋で結ばれているので、ある意味セブ島の一部と考えてよいと思います。
ちなみに国際空港もマクタン島側にあります。

気候

セブ島の平均気温は年間通して、27℃くらいで一定です。
1月~5月が乾季、6月~12月が雨季です。

私が訪れたのは4月だったので乾季でした。
実際雨はほとんど降りませんでした。

雨季も基本的にはスコールが降る感じなので、一日中雨が降っている日本の梅雨とはイメージが違います。

両替事情

到着後まず行うのは、現地通貨の入手です。
フィリピンの通貨はペソです。

日本でのフィリピンペソの両替レートはかなり悪いので、基本的には現地で両替かキャッシングするほうがよいです。

あと、クレジットカードのレートもよいので、フィリピンに限らず私はクレジットカードを利用するようにしています。
フィリピンでもホテルやそこそこのレストラン、ショッピングモールでは使えます。

私の場合はとりあえず空港で日本円で1万円ほどを両替しました。

セブシティのダウンタウンへ

到着が真夜中だったので、さすがにタクシーを利用することにしました。
マクタン島リゾートエリアではなく、元バックパッカーとしては1日くらいはダウンタウンも見たいと思い、セブシティのダウンタウンへ向かいました。
タクシー代は安いので、空港からの移動はタクシーがよいと思います。

バックパッカー時代であれば、たぶんケチってバスとか利用していたと思いますが、もう社会人ですから数百円くらいのタクシー代は出せます。

タクシーで20分ほどで、予約しておいたセブ ゲストハウス へ。
予約したといっても安宿の部類です。
安宿ですらWebで調べて、しかも安く予約できるとは便利なの世の中です。

シングルルーム、トイレシャワー共用で1泊US$11。
Webで探した中では安い方だったはずですが、東南アジアの他の地域に比べるとちょっと高いです。

部屋はいまいちきれいではなかったので、おすすめというわけではないです。
Wifiは共有エリアのみですが、無料で使えました。

セブシティ観光

フィリピンと言えば治安が悪いイメージがあると思います。
セブシティも、場所によってはちょっと危なそうな雰囲気の所がありました。
とはいえ、昼間に出かける分には、そこまで危険という感じではありませんでした。

ただ、やはり観光客は少なかったです。
観光客はみんなリゾートエリアに行くのでしょうね。

翌日の昼食はフィリピンの地元ファーストフードのJollibeeで食べました。
ハチの人形が迎えてくれます。

s_jollybee

フィリピンでは有名なチェーン店のようで、何店舗も見かけました。
外見は、いわゆるファーストフード、ファミレスといった感じです。

メニューは、ハンバーガもありますが、米+フライドチキンとか、米+牛肉料理とかでした。
米+フライドチキンが人気っぽかったので頼んでみました。
味は、まあ、想像通りのファーストフードという感じです。

でも、フィリピン人の日常生活を垣間見るにはいい空間です。
フィリピンに旅行に行くなら一度は訪れてみてもいいとは思います。

それほどセブシティ(ダウンタウン)は観光しなかったのですが、普通にデパートやスーパーなどもあり、東南アジアの町だな―、という感じでした。

せっかくセブ島に旅行に行くならリゾートだけではなく、地元の生活を見たい方は1日くらいセブシティのダウンタウンに来てみてもいいのではないでしょうか。

セブ マクタン島リゾートエリアについてはこちら

 

セブ島のホテルを今すぐ探すならこちら
↓↓
agodaで検索

フィリピン セブ島旅行記 準備編

2012年4月にフィリピンのセブ島に2週間ほど行きました。
久々のバックパッカー旅行でした。
(実際にはバックパックではなく、大きめのスポーツバッグでしたが)

ph100

 

セブ島にした理由

当時転職が決まり、有休消化で4月が丸々休みとなったからです。
諸事情があり実際に海外旅行できるのは2週間ほどの期間です。
バックパッカーにとっては短いですが、社会人にとっては十分長いですね。

どこに行くかは、けっこう悩みました。
「今まで行ったことない国に行きたいなー」
「2週間あれば南米もいけるかな―」
「ヨーロッパもいい季節だな―」
「ずっと行こうと思っていけなかったパキスタンもいいかなー」

と、いろいろと考えました。

「南米いくならやっぱり3か月は行きたいなー」(社会人でそんな時間取れるか?)
「ヨーロッパ行くなら相方(今の嫁)も一緒に連れて行きしな―」(相方は休みが取れない)
「ずっと行きたかったパキスタンもいいなー」

と、いうことで最初パキスタンにしようかなと思っていました。

しかし、悩んでいるうちに
「そういえば久しぶりにダイビングもしたいな。」
と思い始めました。(元なんちゃってダイビングインストラクターだったもので)

そう思うとダイビングができるところということで考え出しました。
パラオとか、タヒチとか、サイパンとか、セブとか、そういうリゾート地、観光地が候補となります。

しかしながら、
「リゾート地に男一人も寂しいしな―」(相方は仕事の都合があったので)
「金もかかるしな―」
と、どうするかを色々と考えました。

で、ダイビングインストラクターのトレーニングを一緒に受けた同期が「フィリピンの海もいいよ」と言ってたのを思い出しました。

フィリピンならリゾート地でも、バックパッカー的なのりで行けそうな気がしました。
それに東南アジアの国はだいたい行っていたのですが、フィリピンは入国したことがありませんでした。
(トランジットで微妙に足を踏み入れたことはあったのですが、パスポートにスタンプを押されたことはなかったです)

ということで、セブ島にしようと決めました。

セブ島のリゾートエリア、ダイビングの様子は以下をご覧ください。

旅の準備

さっそくインターネットで航空券購入。
安かったのは大韓航空なので、大韓航空にしました。

せっかくなので、帰りはプサンでストップオーバーをして韓国料理を食う事にしました。
※ストップオーバーとは、経由地で途中下車できるお得な制度です。

フィリピンは21日以内の観光であれば、ビザは不要ですので、ビザは取得しませんでした。

そして、なんと宿も事前予約しました!
バックパッカー時代には宿を予約することなどほぼありませんでした。
実際に部屋を見ないとわからないし、心配だしという感覚があります。

しかし、急速に発展したインターネットにより、いろいろな情報が入るようになり、しかもWebから予約した方が安いので、予約することにしました。
しかも、安宿も予約できる要になっています。

便利なの世の中ですね。
そんな感じで、久々のバックパッカー旅行が始まりました。
セブ島の様子はこちら

カンボジア旅行記 ベンメリア アンコール遺跡

バンテアイスレイの翌日に観光したのがベンメリアです。
もちろんアンコール遺跡群の一つです。

天空の城ラピュタっぽいと言われているところで、近年日本人観光客に人気があるそうです。

ベンメリアの情報

シェムリアップから北東に40km、車で1時間ちょっとのところです。

ベンメリアとは蓮池という意味です。

アンコール・ワットよりも前、11世紀末-12世紀初頭に作られたといわれているそうです。
その規模はアンコール・ワットをしのぐ規模かもしれないそうです。

バックパッカーだった2003年にカンボジアに旅行に来たときには行かなかったので、初めての場所です。
その当時はそこまで有名ではなかったと思います。
当時は道も整備されていなくて、地雷がまだ埋まっており、観光に行く人は少なかったのだと思います。

ベンメリア一日旅行

さて、このような田園風景を眺めながら移動します。

s_IMG_0278 (1)

我々はクルマで移動していたのですが、途中で自転車で移動する欧米人と出くわしました。
地雷がなくなったからこそできるわけです。
平和は大切だな、と思いました。

そして、ベンメリアに到着するとまず蛇神ナーガがお出迎えをしてくれます。

s_IMG_0279 (1)

その後、崩壊した門が待っています。

s_IMG_0282 s_IMG_0284 (1)

なお、これは自然の崩壊ではありません。

ベンメリアはポル・ポト派が逃げ込み拠点としました。
そして、ポル・ポト派を掃討するためにベトナム軍が砲撃した跡です。

遺跡というと自然の崩壊をイメージしますが、ここは人間が崩壊に手を貸してます。
埋まっていた数多くの地雷が撤去され、一般公開された後、この崩壊具合がラピュタっぽいと言われ、人気の観光地となったというのはなんとも皮肉な感じです。

なお、ポル・ポト派は大量虐殺をしたため、カンボジアは年老いた人が少ないです。
ベンメリアに行ける平和な時代になってよかったと思います。

ベンメリア観光

門を迂回して、中に入ります。

s_IMG_0287

砲撃により崩壊した遺跡に木が絡みついています。

s_IMG_0295 (1)

幻想的な雰囲気が漂っています。
素直にすごいなー、と思える光景が見られる場所です。

s_IMG_0285 s_IMG_0299

ラピュタっぽいと言う気持ちも分からなくはないです。

s_IMG_0312 s_IMG_0316

このような光景を見てラピュタのモデルだと言い始めた日本人がいたのでしょう。
しかし、ベンメリアが一般に公開されたのは2000年ごろです。

ラピュタの公開は1986年です。
それまでは地雷が埋まっており、一般人は近づくことができませんでした。
ですので、ラピュタのモデルとなったは明らかに嘘だとわかります。

ベンメリア以外にも、「ペルーのマチュピチュ」「シリアのクラックデシュバリエ」なんかもラピュタのモデルと言われているようです。

ラピュタ以外でいうと風の谷のモデルは「パキスタンのフンザ」「トルコのカッパドキア」なんて話もあったり、「魔女の宅急便の町は「クロアチアのドブロブニク」なんて言われてたりしてます。

今の時代、情報があふれており玉石混交の状態ですが、どれを取捨選択するかは自分自身で判断する必要があるでしょう。
下記公式サイト以外の話は、信用しないほうがよいのでは、と個人的には思います。

スタジオジブリ – STUDIO GHIBLI – 作品の舞台はどこですか?

とはいえ、私はジブリ自体に興味がないのでどうでもよいのですが、楽しみ方は人それぞれ。
日本人はジブリネタが好きなので、このような噂でベンメリアに行く観光客が増え、カンボジアの経済に多少なりとも貢献するなら、それはそれでいいかとも思います。

 

どうでもいいことを書いてしまいましたが、ベンメリアは遺跡と、戦争の傷跡と、自然の力と、今を生きる人の夢が融合した素敵な場所です。
間違いなく観光する価値はあります。

このような幻想的な光景を、それぞれの想いで楽しんでみてください。

アンコール遺跡群は本当に見どころが多いので、ぜひ訪れてみてください。

アンコール・ワットについてはこちら

 

シェムリアップのホテルを探すならこちらからどうぞ
↓↓
agodaで検索