アジア

バングラデシュ旅行記 首都ダッカ

バックパッカー仲間と一緒にインドからバングラデシュに入り、国境近くのジョソールという町で1泊しました。

バングラデシュ旅行初日に感じたことは、インドとは全然違う、ということでした。

ジョソールの町は特に何もありませんでしたが、バングラデシュ人は外国人旅行者が珍しいこともありよく声をかけてきます。
それもインドのように騙そうというのではなく、純粋に人懐っこいという感じで、親切な人も多いです。

あと、バングラデシュの食事はインドと同じようないわゆるカレーです。
ですが、インドはベジタリアンが多く基本は野菜のみのカレーなのですが、バングラデシュはイスラム教なので羊や鶏などの肉が入ったカレーが食べられます。
ダシが出てる分、バングラデシュのカレーの方がおいしかったです。
食事は旅行の楽しみの一つですから、おいしいカレーが食べられてよかったです。

そして、バングラデシュでの2日目、首都ダッカへ向かいました。

バングラデシュの首都ダッカへ

ダッカはバングラデシュの真ん中くらいに位置しています。
国境近くのジョソールからは北東に230kmくらいのところです。

ジョソールから首都ダッカまではバスで移動しました。
バングラデシュのバスは、インドのバスと比べるとはるかにいいです。
古い日本製やドイツ製のバスで、意外と快適に過ごせました。

ダッカに到着

朝、ダッカに到着しました。

まずはリクシャー(自転車タクシー)で中心部まで移動しました。
ダッカは近郊も含む都市圏の人口が1464万人もいる大都市です。

町中には、車とリクシャーと人であふれています。

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まずは宿を確保しようと、歩いて探しました。
バングラデシュには安宿はなく、基本的にはビジネスホテルになります。

なかなかいい宿が見つからず歩いていると英語が話せるバングラデシュ人がホテルを教えてくれ、連れて行ってくれました。
残念ながらその宿はいっぱいと言われてしまいました。
連れて行ってくれたバングラデシュ人には感謝し、別の宿を探しに出ました。

ひたすら歩きまくったのですがなかなか見つからず、ダメもとで教えてもらったホテルに戻ってみるとちょうどチェックアウトがあったとのことでようやく宿を確保できました。

2002年はまだインターネット事情も今ほどではなく、ダッカの旅行情報が不足していたので苦労しました。
今では、インターネットで情報が入手できるので、この時ほど苦労はしないと思います。
安宿でもAgodaExpediaなどで、ホテル予約なんかもできるようになっているので、旅行がしやすくなっていますね。

ダッカの町中

ダッカはとにかく人が多いです。

そして、リクシャーと車も多いです。
そのため空気が悪いです。
ゴミも多くて、お世辞にもいい町とは言えません。

ですが、人はいいです。

宿の近くに、手作りハンバーガー屋さんがあったのですが、そこのオヤジは英語を話せてけっこう長話をしました。
その後、前を通るたびに声をかけてくれ、とてもいい人でした。

と、このようにバングラデシュは観光というよりも人との出会いが旅行の中心です。
そのような現地の方との交流を楽しむには、とてもいい国です。
人との交流が人はぜひバングラデシュを旅行してみてください。

ダッカには2泊し、次はチッタゴンを目指しました。

チッタゴン旅行の様子はこちら

インド・バングラデシュ旅行記 コルカタからバングラデシュへ

インドのプリーで年を越した後、いったんコルカタ(カルカッタ)に戻りました。
それは、ユーラシア大陸横断5か国目のバングラデシュに向かうためでした。

バングラデシュは有名な観光地もあまりなく、観光客はあまり訪れません。
日本人で行ったことがある人も少数だと思います。

ただ、観光地化されていない分、人がすれていなくて、のんびり純朴な人が多いです。
インドとは全然違ってギャップがある、とバックパッカーたちから聞いていたので行くことにしました。

北京、チベット、ネパール、インドのプリーで一緒だったバックパッカー仲間と二人旅です。

バングラデシュとは

バングラデシュといっても、あまりイメージできない方が多いと思いますので少しバングラデシュについて解説します。

場所

バングラデシュはインド東にある国です。

インド、そしてミャンマーと国境を接しており、ベンガル湾に面しています。

国旗

バングラデシュの国旗が日本の日の丸に似ているので、国旗は見たことある人も多いと思います。

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赤い円は昇りゆく太陽と独立戦争で流された血を表し、地の緑色は豊かな大地を表しているそうです。

宗教

イスラム教徒89.7%、ヒンズー教徒9.2%、仏教徒0.7%、キリスト教徒0.3%(2001年国勢調査)となっています。

イスラム教徒が大部分を占める国です。

歴史(独立の経緯)

1947年にインドがイギリスから独立した際、宗教上の問題からヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はパキスタンとして分離独立することになりました。
その結果、現在のバングラデシュは東パキスタンとなりました。
インドを挟んで分離している西パキスタンと東パキスタンで、一つのパキスタンという国ができたわけです。

しかし、言語の問題や政治の中心になっていた西パキスタンに偏った政策などにより、東パキスタン(バングラデシュ)で独立運動が始まりました。

そして、1971年独立戦争が始まりました。
西パキスタンと対立していたインドが独立を支持、また第三次印パ戦争がインドの勝利で終わった結果、バングラデシュは独立を手にしました。

現在の状況

人口は約1億5800万人と、世界で8番目です。
経済的には厳しく、最貧国の一つとなっています。

と、経済的には貧しい国ではありますが、優しく明るい人たちが暮らしている国でもあります。

バングラデシュのビザ取得

さて、プリーから鉄道で移動し、コルカタ(カルカッタ)に到着しました。
到着後、すぐにバングラデシュ領事館へ向かいました。

バングラデシュ入国にはビザが必要なため、領事館でビザを取得するためです。
朝申請を終え、当日の夕方に無事ビザを取得しました。
※ビザ取得は状況によりかわります。

バングラデシュに向かう前の夕食

バングラデシュに向かう前日に、インドでは特別なものを一緒にバングラデシュに向かうバックパッカー仲間と食べに行きました。

それは、ビーフステーキです。

インドはヒンドゥー教の国です。
ヒンドゥー教では、牛は神聖な生き物のため、基本的に食べません。
デリーにはマクドナルドもありますが、ビーフ、ポークはないため、野菜コロッケとかチキンのハンバーガーです。

しかし、コルカタ(カルカッタ)には、インドでは珍しくビーフステーキを食べられる店があります。
※牛と言っても、実は水牛ですが。
食べた感想としては、まあ水牛なのでそれほどおいしい物ではありませんでした。
でも、インドでビーフステーキを食べた。という事実が大切というか、ネタの一つという感じです。

いざ国境へ

朝早めに起きて、バングラデシュを目指しました。

コルカタ(カルカッタ)のシアルダー駅まで行き、列車でバンガオンまで向かいました。
この列車はインドの通勤列車という感じでした。

そして3時間ほどでバンガオンに到着。
バンガオンの駅では、両替屋がたくさんいました。
インドのルピーとバングラデシュのタカを両替してくれます。

ちょっと怪しいので不安もあったのですが、紙幣のすかしを見たりして確認し、ある程度両替しました。
※結果的にはこのバンガオンでの両替が一番レートが良かったです。

そして、バンガオンからはリクシャーで移動しました。

国境越え

国境につき、インド側のイミグレーションで出国手続きをしました。

その際、私がネパールからインドに入国した国境の町バンバサのことを、係員が知らなくてやや手間取りました。
かなりマイナーな国境だったとはいえ、イミグレーションなんだから知っとけよとは思いました。

とはいえ、無事出国し、次はバングラデシュのイミグレーションへ。

日本人が珍しいからか色々と質問されましたが、無事に5か国目バングラデシュに入国しました。

リクシャでバス停まで移動した後、バスに乗りジョソールという町に移動し、バングラデシュ初日を終えました。

首都ダッカの様子はこちら

インド旅行記 プリーで年越し

コルカタ(カルカッタ)を離れ、次の町プリーを目指しました。

チベットからネパールまでヒマラヤ越えのメンバーが再度集まって、年越しすることになったからです。
ちなみにプリーに向かったのは2001年12月22日のことです。

コルカタ(カルカッタ)からは夜行列車で移動します。
なお、プリーはコルカタ(カルカッタ)の南西500kmほどのところ、ベンガル湾を臨む町です。

プリーに到着して、すぐにあらかじめ決めておいた宿へ。
そこで、無事チベット越えメンバーと再会しました。

沈没地プリー

プリーは一般の方はあまり知らないかもしれませんが、インドを旅行する日本人バックパッカーには人気がある町です。

物価が安く、ベンガル湾を臨み、日本人宿もあって、のんびりと過ごせる町です。
そのため長期滞在(沈没)する日本人バックパッカーも多くいます。

観光スポットとしては、ジャガンナート寺院というヒンドゥー教寺院が有名です。
なお、プリーの観光には自転車をレンタルするとよいです。

また、ビーチもあってのんびり過ごせます。

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私たちもプリーで集まって年越しをするのは、その評判を聞いていたためです。
そして、10日間ほど過ごしました。

最終的にチベットで出会ったメンバー6人が集まることになりました。
予想以上に集まってびっくりしました。
メンバーの一人が、ソバとか餅とか、日本酒とか年越しのための日本食材を持ってきてくれました。

プリーでのクリスマスイブ

プリーで12月24日を迎えました。
せっかくのクリスマスイブということで、プリーの町に売っている怪しげなケーキを買いました。

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いかにもバタークリームでおいしくなさそうな見た目だったのですが、久々のケーキだったためか意外とおいしくいただきました。
そのほか、タンドリーチキンを買ってきて、インドでクリスマス気分を味わいました。

年越し準備

クリスマスイブを終え、数日間はのんびりと過ごしました。
して、年越しに向けた準備に入りました。

まずは市場に行って食材探し。

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新鮮な野菜がたくさんありました。
野菜以外にもきな粉もうっていたので、餅にちょうどいいだろうと買うことにしました。

プリーで大晦日

そのほか着々と必要なものを買い揃え、大晦日を迎えました。

メンバーの一人がソバを持ってきてくれましたが、6人分はなさそうということで、年越しうどんも合わせて作ることにしました。
小麦粉を買ってきて、うどんを打ちました。
ビニール袋に入れた、足で踏んだりしてコシが出るように頑張ってみましたが、ちょっと難しかったです。

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そのほか、きんとんとか煮物など日本食っぽいものをみんなで作りました。

各国時間での新年

インド時間の年越し以外に、まず日本時間の年越し、そしてみんなが出会った中国時間での年越しも祝おうということになってました。
(時差は3時間半)

ですが、日本時間の年越しには年越しそば&うどんは間に合わず、とりあえずみんなで日本時間の新年を祝いました。
そして一時間後の中国時間の前には、年越しそば&うどんができあがり、食べました。
インドのプリーで食べる、年越しそば&うどんは感慨深いものがありました。

そして、インド時間の年越しは、みんなで浜辺に向かって祝いました。
2001年が終了し、2002年が始まりました。

その後、いったん宿に戻り少し眠りました。

プリーでの初日の出

そして、夜明け前にみんなで初日の出を見に浜辺まで行きました。
ただ、ちょっと曇っていて、きれいな初日の出は見れませんでした。

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そして、お屠蘇を飲み、像にや赤飯、おせちっぽく作った日本食をみんなで食べました。

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ちなみに1月2日にはぜんざいも食べました。

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バックパッカー仲間と国をまたいで集合して過ごした正月はとてもいい思い出です。

そして、1月3日みんな次の目的地へと向かっていきました。
私ともう1人は一緒にバングラデシュに行くことになり、まずはコルカタ(カルカッタ)に戻ることとなりました。

 

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インド旅行記 コルカタ(カルカッタ)

仏教聖地のブッダガヤを後にし、コルカタに向かいました。
コルカタはかつてはカルカッタと呼ばれたところです。

ちょうど私が訪れた2001年にカルカッタからコルカタへ変更されました。
名称が変更されたとはいえ、当時のバックパッカーはみんなカルカッタと呼んでました。

コルカタ(カルカッタ)は、西ベンガル州の州都です。

インドの東の端の方にあり、バングラデシュの国境も近いです。
後日、私もコルカタ(カルカッタ)からバングラデシュに向かっています。

サダルストリート

コルカタ(カルカッタ)には、バックパッカーには有名な安宿街「サダルストリート」という通りがあります。
安宿だけでなく、食堂やネットカフェ、両替所、土産物屋、旅行代理店などが並んでいます。

ですので、私もガヤから鉄道でコルカタ(カルカッタ)のハウラー駅に到着した後、すぐにサダルストリートをに向かいました。

タクシーなどでも行けますが、私はフェリーで川を渡り、そのまま歩いてサダルストリートに行きました。
ちょっと歩くのですが、安くいけます。

サダルストリートで宿を探そうと歩いていると、後ろから女性の声で
「宿をお探しですか?」
と、日本語で質問されました。

驚いて振り返ってみると、一緒にチベットからネパールまでのヒマラヤ越えをしたメンバーの一人が立っていました。
本当にびっくりしました。
ネパールで別れて以来1か月ぶりくらいの再会です。
バックパッカーで同じ方向を目指していると、けっこうあることですがやはり予期せぬ再会はうれしいものです。

久々の再会を喜んでいたのですが、彼女はその日に次の町プリーに向かうとのこと。
私もコルカタ(カルカッタ)の後は、プリーで年を越す予定だったのでプリーで年越ししようということになり、見送りました。
※その日は12月20日でした。

その後、他のヒマラヤ越えメンバーもみんなインドに来ているので、メールで連絡してみることにしました。
結果、数人が集まることになります。
プリーでの年越しの様子はまた別途書きます。

コルカタ(カルカッタ)の町

コルカタ(カルカッタ)はインド3番目の町であり、大都会です。
人もたくさんいますし、車、リクシャーもたくさん走っています。

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※写真はWikipediaからお借りしてます

なぜかコルカタ(カルカッタ)の写真が残っておらず、実際の写真で紹介できないのが残念です。

カーリー寺院

コルカタ(カルカッタ)にはカーリー寺院があります。
女神カーリーは血と殺戮を好む戦いの女神です。
そのためヤギを生贄として捧げます。

ネパールのカトマンドゥにあるダクシンカリ(カーリー寺院)と同様です。

それなりに衝撃的かもしれませんので、苦手な人は見ない方がよいかもしれません。

コルカタの動物園

コルカタの動物園ではホワイトタイガーが見れます。
それほど、動物好きというわけでもなかったのですが、せっかくなので見に行きました。

のんびりと動物を見てるとけっこう楽しかったです。

更なる再会

コルカタ(カルカッタ)にきて、2日目。
サダルストリートを歩いていると、これまた偶然でヒマラヤ越えメンバーのと会いました。
聞くとバングラデシュから帰ってきたところとのこと。

私は翌日コルカタ(カルカッタ)を離れてプリーに行く予定だったので誘ってみました。
すでにメンバーの一人は向っていることを説明し、せっかくなのでみんなで年越ししようということで一緒に移動することになりました。

というわけで、翌日プリーに向かいます。

プリーでの年越しの様子はこちら

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インド旅行記 仏教聖地ブッダガヤとスジャータ村

ヒンドゥー教の聖地バラナシから日帰りで仏教聖地サルナートを訪れた後、もう一つの仏教聖地ブッダガヤを目指しました。

ブッダガヤは釈迦が悟りを開いた地として、仏教四大聖地の一つされています。
なお、四大聖地とは以下の4つです。

私にとっては、ルンビニ、サルナートに続く3つ目の仏教聖地です。
ブッダガヤの大菩提寺として世界遺産にも登録されています。

バラナシからガヤへの列車が遅延

ブッダガヤはバラナシから東に250kmほどのところにあります。
バラナシのムガルサライ駅からガヤまで鉄道で移動し、その後ブッダガヤまで移動します。

私は夕方にムガルサライを出て夜にガヤに着く列車に乗る予定でした。
そして、バラナシの町中からムガルサライ駅についたのですが、列車が遅れているとの連絡がありました。

インドは広大な領土であり、鉄道の遅延も日常茶飯事です。
場合によっては24時間以上の遅れが出ることもあります。
しかもアナウンスも不親切だったりするので、いつくるか分からないこともあります。

日本の感覚で行くと大変なことになりますので、気長に待ちましょう。

なお、私の乗るはずの列車は4時間遅れで到着しました。
その4時間何をしてたかというと、特に何もせずベンチに座っていました。
バックパッカーにとっては、よくあることなのであわてず騒がず、いつ列車が来てもいいように気長に待ちました。

ガヤに到着して夜明けを待つ

そして4時間遅れの列車に乗って、なんとかガヤにつきました。
しかし、ガヤに着いたのは午前2時。
まっくらです。
この時間に動いても宿の確保は難しいため、夜明けまで待つことにしました。

しかし、12月の北インドはけっこう寒かったりします。
ネパールのカトマンズで購入した寝袋にくるまりながら、夜明けを待ちました。

仏教聖地ブッダガヤ

夜が明けバスに乗って聖地ブッダガヤに向かい、まず宿を確保しました。
そして、ブッダガヤ観光に出かけました。

世界遺産ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺院

観光のメインが世界遺産にも登録されている大菩提寺です。
多くの環境客が訪れていました。
もちろん仏教聖地ですので、多くの仏教徒も訪れていました。

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中央の本堂は高さ52mもあります。

そして、釈迦が悟りを開いた場所と呼ばれる菩提樹もあります。

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多くの僧が読経してたりしました。

仏教の聖地だけあり、とても落ち着いた雰囲気の場所でした。
悟りは開けませんでしたが、のんびりした気分となれました。

地元の人とスジャータ村へ

ブッダガヤも観光地なのでダマそうとするインド人もいるのかもしれませんが、たまたま知り合った人たちはとてもいい人でラッキーでした。

中でもたまたま入ったブッダガヤにある食堂の人たちととても仲良くなりました。
ブッダガヤには3日ほどいましたが、全ての食事をそこで食べました。
なぜかお店の手伝いなどもしましたが、このような地元の人たちとの出会いもバックパッカー旅行の醍醐味です。

そして2日目、その人たちとスジャータ村に行くことになりました。
スジャータといえば、コーヒーに入れるものを思い浮かべるかもしれませんね。

スジャータとは、釈迦が悟りを開く直前に乳粥を供養し命を救ったという女性の名前です。
それに由来しスジャータ村と呼ばれています。

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のどかな風景が広がっていました。

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遠足気分でのんびりと会話を楽しみながら歩きました。
食堂の人たちと会話を楽しみながらのスジャータ村観光はとても楽しかったです。

ブッダガヤは仏教の生死であり、のんびりできる町であり、地元の人たちと交流できた思い出深い町です。
ぜひ訪れてみてください。

ブッダガヤの次は、のんびりとは正反対の町カルカッタ(コルカタ)へ向かいました。

コルカタ(カルカッタ)についてはこちら

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インド旅行記 仏教聖地サルナート

ヒンドゥー教の聖地バラナシから、日帰りで行けるもう一つの聖地があります。

それが、仏教の聖地サルナートです。
サルナートはブッダが悟りを開いた後、初めて説法を説いた地で仏教四大聖地の一つとされています。

なお、四大聖地とは以下の4つです。

  • ルンビニ:ブッダ生誕の地
  • ブッダガヤ:ブッダが悟りを開いた地
  • サールナート:ブッダが最初に説法した地
  • クシナガル:ブッダ入滅の地

私自身としては、インドの前に訪れたネパールにあるブッダ生誕の地ルンビニに続いて二つ目の仏教聖地でした。

バラナシからサルナート

バラナシから、北東10kmくらいのところに仏教の聖地サルナートはあります。
バックパッカーだった私は、タクシーではなくバスで向かいました。

バラナシからサルナートまではバスで40分くらいで着きます。
ですので、余裕で日帰りで行けます。

ですので、同じ日にヒンドゥー教と仏教の聖地を両方を見ることができるわけです。

サルナートの地に着くともちろん観光客はいましたが、そこまで観光地という雰囲気ではありませんでした。
バラナシに比べれば人も格段に少なく、とてものんびりした雰囲気の場所でした。

仏教聖地サルナート

サルナートはブッダが悟りを開いた後、初めて説法をした(初転法輪)所として仏教四大聖地の一つとされています。
鹿が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも言われます。
※悟りを開いた地ブッダガヤは、この後に訪れているので別途書きます。

釈迦が最初の説法をした地には ダメーク・ストゥーバという巨大な仏塔が建てられています。

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私が訪れた2001年12月の段階では、修理されてました。

このストゥーパ周りは整備された公園になっています。
さすが仏教の聖地というべきか、落ち着いた感じの場所でした。
喧騒溢れるバラナシからわずか10kmで、このようなのんびりと落ち着いた場所があるわけです。

このサルナートの地で、日本人のお坊さんと出会いました。
何を話したか細かいことは覚えていませんが、敬虔で、真面目な方でした。

そのほかにも各国の仏教徒が訪れている場所です。

久々に落ち着ける場所に来たという感じで、私自身はサルナートは気に入りました。
もし、バラナシに行くのであれば、少し足を延ばしてサルナートに訪れてみてはいかがでしょうか?

そしてサルナートを観光した後、仏教四大聖地の一つ、ブッダが悟りを開いた場所であるブッダガヤを目指しました。

ブッダガヤの様子はこちら

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インド旅行記 ガンジス川が流れる聖地バラナシ

バラナシは、ヒンドゥー教の一大聖地です。
そのため、インド各地から巡礼者が集まるとともに、外国人旅行者も多く訪れます。

町中にはガンジス川が流れ、ガートという沐浴場があり、死体が焼かれてたりします。
ガンジス川はガンガーと呼ばれます。
「ガンガー」はガンジス川を神格化した女神で、現地の人はガンジス川自体もそう呼びます。

バラナシは日本人がイメージするインドらしいインドの町かもしれません。
バックパッカーの中には長期滞在(沈没)する人もけっこういます。

なお、観光客が多く集まるだけに、客引きやダマそうとする人も多いので注意も必要です。

バラナシに到着して

鉄道でバラナシに到着しました。

駅からはサイクルリクシャー(自転車タクシー)で移動します。
なお、ちゃんと交渉しないと、ボられたりするので気を付けましょう。

バラナシには安宿がたくさんあります。
日本人バックパッカーが集う、日本人宿もあったりします。

私は日本人宿ではないゲストハウスに泊まりました。

町中は細い道が多く、雑然とした感じでインドらしいです。

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もちろん牛もいっぱい歩いています。
ですので、牛のフンもいっぱいあるので注意して歩きましょう。

ガンジス川(ガンガー)

バラナシの見どころといえば、ガンジス川(ガンガー)でしょう。

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そして、ガートとよばれる木浴場がいくつもあります。
多くの人が沐浴をしているのですが、その隣では洗濯してたりします。

生活排水、ゴミも流れているので、聖なる川はかなり汚い川でもあります。
(それ以外も流れているものがあります。後述します)

火葬場

さらにはマニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートという二つのガートは火葬場でもあります。
荼毘に付された後の遺灰はガンジス川(ガンガー)へ流されます。

写真禁止なので、写真は残っていませんが、私も火葬の現場を見ました。

このような様子を見て、生と死について考えたり、人生観が変わったという人もいるようです。
私は、各地で様々な生死について考える場面があったので、そこまでの衝撃はありませんでした。
チベットの鳥葬が一番衝撃的でした。)

なお、貧しくてで薪代が払えない人や子供、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人などは火葬されずにそのままガンジス川(ガンガー)流されます。
そのため、たまに遺体が浮いてたりします。

そのような横で、沐浴してたり、洗濯してたりするわけですから、たくましいですね。

日本人旅行者も、ガンジス川(ガンガー)で沐浴する人もいます。
ただ、沐浴後に口や粘膜から病原菌が入り、病気になる人もいるので注意してください。

ちなみに私はヒンドゥー教徒でもなく、沐浴にはまったく興味がなかったのでやりませんでした。

ガンジス川(ガンガー)の対岸

ガンジス川(ガンガー)の対岸は、死の世界、不浄の地とされています。
人が住めないため、建物はなく砂浜が広がっています。

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対岸にはボートで渡ることができますが、私は渡りませんでした。
今になってみると、渡っておいてもよかったかなと、ちょっと思いました。

バラナシは日本人がイメージするインドらしいインドともいえる町ですね。

ところで、「インドに行くと好きになるか嫌いになるかどっちか」とよく言われたりします。
確かにインドをすごく好きになる人と、すごく嫌いになる人の両極端があります。
が、私は別に特別好きでもなければ嫌いでもありません。

人生観がかわる人もいたりするわけですが、実はインド以外のいろんな国でもいろんなことが体験できます。
なので、変に先入観を持たずに、自然体でインドに訪れてもよいのでは、と思ったりもします。
これはインドを否定しているわけではなく、各国各地のその良さがあるということを伝えたいだけですので、誤解しないでくださいね。

とはいえ、バラナシは世界の都市の中でもユニークな存在ではあります。
日本ではできない体験ができますので、一度訪れてみるのもよいと思いますよ。

さて、次はバラナシから日帰り旅行できる仏教聖地サルナートの様子をお伝えします。

サルナートについてはこちら

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インド旅行記 世界遺産カジュラホの寺院群

タージマハルのあるアーグラーを離れ、次の町を目指しました。

向かったのは、ヒンズー教とジャイナ教の寺院遺跡が残される町カジュラホです。
カジュラホの寺院群は世界遺産にも登録されています。
特に寺院の外壁をうめるエロティックな彫刻が有名です。

インドの中でも人気の観光地となっています。

アーグラーからジャンシー経由でカジュラホへ

アーグラーからはジャンシーという町まで鉄道で行き、そこからバスでカジュラホに向かうルートです。

まず、アーグラーから列車でジャンシーまで向かったのですが、その列車が遅れてしましました。
ジャンシーの駅に着いてすぐに、オートリクシャー(三輪タクシー)に乗り、カジュラホ行のバス停に向かいました。

急いでいるというと、そのオートリクシャーはかなり飛ばしてバス停に向かってくれました。

しかし、結局間に合わず、しかたなくジャンシーに一泊することとなりました。
そのオートリクシャーの運転手が、宿まで送ってくれました。(もちろん有料ですが)

ジャンシーの町は特に何もなかったのですが、ターリー(インドの定食)がおいしかったです。

カジュラホへ

さて、予想外にジャンシーで一泊でした後、カジュラホへバスに向かいました。

そのバスの中で、「カジュラホのホテルの従業員だ」という人と隣になりました。
インドでは向こうから声をかけてくる人は怪しいです。
特にカジュラホは、観光客目当ての客引きの評判が悪い町なので警戒しました。

「ちょっと疲れてるから、静かにしといて」
というと、意外にも勧誘することもなく、静かにしてくれました。

その従業員はしつこくなくていい人っぽかったので、カジュラホ到着後、そのホテルまで連れて行ってもらいました。
ホテル レイクサイドという宿でした。

カジュラホの中心部には大きな湖があるのですが、その名の通り湖の目前に建っているのがホテルでした

ここのオーナーは日本語も話せるのですが、とてもいい人でした。
(日本語が話せるインド人は大体怪しいのですが)

ホテル自体もけっこうきれいでしたし、寺院群からも近く、人の感じもよかったのでホテル レイクサイドに泊まることにしました。

カジュラホの遺跡群

カジュラホの遺跡は、ジャイナ教寺院の東群とヒンズー教寺院の西群に分かれています。

とりあえず、初日は東群を観光することにしました。

東群の寺院遺跡

東群のジャイナ教寺院のうち有名なのがパールシュバナータ寺院です。

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10世紀に建てられた寺院だそうです。
いい感じの遺跡でした。

初日は東群だけみて、宿に戻りました。
カジュラホは田舎の村という感じで、のんびりしたいいところでした。

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ただ、中には観光客目当てのうるさい人たちも多いので気を付けてください。

西群の寺院遺跡

翌日、西群の寺院遺跡を観光に行きました。

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ヒンズー教寺院が中心です。
そして、古代インドの性愛論書(カーマスートラ)の教えを描いたエロティックな彫刻が刻まれています。

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ミトゥナ像(男女交合の彫刻)など、官能的なレリーフ群が広がっています。

なかなか激しい彫刻もあるわけですが、淫靡というのではなく、あからさまな明るい感じのものでした。
精緻なレリーフは見ごたえがありました。

カジュラホはのんびりした村で、泊まった宿も居心地が良かったので数泊しました。
そして、次に聖地バラナシを目指しました。

 

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インド旅行記 世界遺産 白亜の霊廟タージマハル

インドのアーグラー。
そこには世界遺産にも登録されている白亜の霊廟タージマハルがあります。
タージマハルは、私がこれまで50ヶ国以上を訪れた中で、最も美しい建築物と思っています。

そのタージマハルがあるアーグラーはインドの首都デリーの南200kmくらいのところにあります。

デリージャイプル、そしてこのアーグラーの3都市はゴールデントライアングルとも呼ばれ、インド北部の人気の観光地です。

白亜の霊廟タージマハル

世界遺産にも登録されているタージマハル。
タージマハルは17世紀ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった王妃のための霊廟として22年の歳月をかけて作ったものです。

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なお、皇帝シャー・ジャハーンは晩年タージマハールの向かいに黒大理石の宮殿を建てようとしていたそうです。
しかし、タージマハル建設のための莫大な浪費を理由とし、息子によって幽閉されてしまいました。

もし、白亜のタージマハルの向かいに、黒の宮殿があったとしたらそれはとても美しい光景だったと思います。

タージマハルを間近に見て

さて、門を抜け、実際にタージマハルの目にするとその美しさに目を奪われました。
私は「世界一美しい建築物だ」と今でも思っています。

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正確無比なシンメトリー(左右対称)で、真っ白なその美しさは言葉で表現できません。
思わず見とれてしまいました。
水面に映る逆さタージマハルも美しいです。

TajMahal2

もちろんタージマハルは人気の観光スポットですので、多くの観光客が訪れています。
世界各国の人たちが訪れていました。
この美しい建物はやはり見る価値がにあります。

近づくとその大きさにも驚かされます。

TajMahal4

この丸屋根の上部までは58mもあるそうです。

今思い返してみても、このような美しい建物を間近で見られたことは、私の人生の宝ともいえます。
バックパッカーになってよかったと思います。
まさに旅の醍醐味の一つですね。

タージマハルは本当に美しい建物なので、ぜひ訪れてみてください。

タージマハルの川沿い

このタージマハルは川沿いに立っているので、川の光景も眺められます。

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私は川の眺めが好きなので、落ち着きます。

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この辺りは人が多くなく、のんびりとした気分になれました。

このようにタージマハルは本当に美しい建物です。
タージマハルのあるアーグラーはデリーからのアクセスもよいので、ぜひ訪れてみてください。
本当に一生に一回は見る価値がありますよ。

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インド旅行記 ジャイプル(ピンクシティ)とアンベール城

ヒンズー教の聖地プシュカルを後にし、次の町を目指しました。
インド北西部、ラジャスタン州の州都ジャイプルです。

ジャイプルの旧市街地の建物は赤砂岩で造られているので、別名ピンクシティとも呼ばれています。
また、郊外には世界遺産にも登録されているアンベール城があります。

そんなジャイプルは、旅行者に人気の観光地です。

ジャイプルはデリーの南西270kmほどのところにあります。
首都デリー、タージマハルのあるアーグラ、そしてジャイプルはゴールデントライアングルとも呼ばれています。
3つの町がちょうど三角形の位置にあり、観光客に人気の旅行地となっています。

ピンクシティと呼ばれるジャイプル

私はプシュカルからバスで移動し、ジャイプルに到着しました。
さっそく宿を確保しました。

私は当時(2001年12月)ユーラシア大陸横断中のバックパッカーだったので、宿泊金額をケチりインド人向けの安宿のドミトリーに泊まりました。
当たり前ですが、周りはインド人ばかりでした。
設備は悪いですが、当時の私は、どうせ寝るだけだからと安いということを優先してました。
今だともうちょっとましなところに泊まるでしょうね。

さて、宿を確保しすぐにジャイプル観光を開始しました。

jaipur2

確かに町の壁は薄いいピンク色をしてました。

なお、ジャイプルはラジャスタン州の州都だけあって、人口300万人以上が住む大都市です。
そのため人がごった返してます。

風の宮殿(ハワー・マハル)

ジャイプルの町のシンボルともいえるのが、風の宮殿(ハワー・マハル)です。

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人気の観光スポットとなっています。
薄ピンクの壁に多数の小窓が付いています。
宮廷の女性たちが街の様子を見たりしてたそうです。

ピンク色が、細かい装飾が美しいです。

ただ、実は横から見るとびっくりするくらい薄っぺらいです。
観光に訪れたら正面だけではなく、横からも見てみてください。

世界遺産アンベール城

ジャイプルを訪れた観光客にとって、風の宮殿とともに並ぶ見どころといえば、世界遺産にも登録されているアンベール城です。
アンベール城は、ジャイプルの町中から北東10kmほどのところにあります。

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アンベール城は丘の上に聳え立つ城です。
16世紀に築かれたそうです。

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丘の上のお城までは、象に乗って登ることもできます。
もちろん有料です。
ですので、バックパッカーの私は像には乗りませんでした。

でも、荘厳なお城は見ごたえがありました。
ジャイプルを訪れるのであれば、ぜひアンベール城にも訪れてみてください。

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ジャイプルは1泊だけで、次はタージマハルのある町アーグラーに向かいました。

インド旅行記 聖地プシュカル

ブルーシティと呼ばれるジョードプルは青い街並みがとても印象的でした。
観光客もそこまで多くなく、落ち着いていて、美しい街並みが広がるいい町でした。

そのジョードプルを後にし、次の町を目指しました。

次に向かったのは、ラジャスタン州のプシュカルです。

プシュカルはジョードプルから東に200kmくらいのところにあります。

聖地プシュカル

プシュカルはヒンズー教の聖地の一つです。
ヒンズー教の創造の神、ブラフマーを祀った寺院がある町です。
その聖地プシュカルはとても小さな町でした。

小さな町とはいえ、さすがに聖地なだけあり多くの観光客が訪れていました。
特に欧米人バックパッカーの旅行者が多くいました。

そのためかヒンズー教の聖地とはいうものの、けっこうツーリスティックな感じがしたのも事実です。
また、プシュカルの町中では、そのような観光客目当ての商売をしている人も多くいました。
なめた口をきいてくる奴もいて、けっこうむかつくこともありました。

プシュカルの町の真ん中には、湖があります。
そして、沐浴場(ガート)が広がっています。
私もガートに行ってみたのですが、変なおっさんがやってきて何かと金を要求してきました。
もちろん、そんなのは無視して、払いませんでした。

そういう意味ではちょっとがっかりな感じがしました。

プシュカルの夕日

プシュカルの町中は、むかつく奴らも多くいました。
そのため、プシュカルの町自体に対する、私の評価は低いです。
正直、あまりおすすめはしません。

ただ、プシュカルの丘の上からの眺めは良かったです。

 

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丘の上から見ると、小さなプシュカルの町全体が見渡せました。
逆方向を見ると、平原が広がっていました。

pushkar2

そして、この丘の上から見る夕日はとてもきれいでした。
残念ながら写真にはおさめていませんが、本当にとてもきれいな夕日でした。

プシュカルには2泊しましたが、2日とも丘に登り夕日を眺めました。

プシュカルの町自体は、個人的にはおすすめの町ではありません。
でも、この夕日を見ることができたのは、とてもいい経験だったと思っています。

プシュカルには2泊し、次はジャイプルを目指しました。

インド旅行記 ジョードプル(ブルーシティ)

ゴールデンシティとも呼ばれるジャイサルメールはとても美しい町でした。
そして、キャメルサファリも堪能した後、次の町に移動することにしました。

ジャイサルメールと同じラジャスタン州にある町ジョードプルを目指しました。

ジャイサルメールから東へ300kmほどのところにあります。
鉄道もあるのですが、バスの方が便利なのでバスで移動しました。

ブルーシティと呼ばれるジョードプル

ジョードプルは別名ブルーシティとも呼ばれています。
その名の通り青い町なのです。
というのも、ジョードプルの家の壁は青く塗られているのです。

実際にジョードプルに到着してみると、確かに青い壁の建物ばかりでした。
その青い建物の中に、安宿もあります。
観光客がそこまで多くないからか、あっさりと安宿を確保できました。
安いけどきれいでとても居心地がいい宿でした。

そして、ジョードプルの町中を散策しました。
ただ、青い町の中を歩いているだけだと、町の全体像がわかりません。

そこで、その青い街並み全体を見るために小高い丘に建てられた城塞、メヘラーンガル城に向かいました。
ジョードプルの観光スポットです。
メヘラーンガル城は15世紀に当時マールワール王国が建てた城塞です。

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メヘラーンガル城自体は青くはありあせんが、とてもかっこいい城塞でした。
まさに荘厳な城塞でした。
この城塞だけでもとても見ごたえがあります。

そして、その城塞に上ると、ジョードプルの町を見下ろすことができました。
それは、まさにブルーシティという名前がピッタリの感じでした。

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町の家々が青いことが分かるでしょうか?
写真ではわかりにくいかもしれませんが、本当に青い建物が広がっています。

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その光景は圧巻でした。
青い家々が広がる光景はやはり美しかったです。

町の美しさの要素の一つは、統一感なのだと思います。
ジョードプルの町は青く塗られた家々が広がていて、その統一感が美しいのだと思います。

ジョードプルの前に訪れた、ジャイサルメールの町もとても美しかったです。
それは、そこに統一感があったからだと感じました。
ヨーロッパの街並みもやはり統一感を大切にしていると思います。
だからこそ、チェコのプラハのような美しい街並みが広がっているのかなと思います。

さて、ジョードプルの町ですが、とても美しく、宿もキレイで、ご飯もおいしかったです。
しつこく言い寄ってくる人もいなくて、のんびり過ごせました。
ですので、私としては好きな町でした。

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ジョードプルには2泊し、次はプシュカルに向かいました。

インド旅行記 ジャイサルメールのキャメルサファリ

インド北西部ラジャスタン州にあるジャイサルメール。
黄色い砂岩で作られたその美しい町並みから、ゴールデンシティとも呼ばれる町です。
ジャイサルメールの街並みについてはこちら

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このジャイサルメールは、その美しい街並みとともにラクダに乗ってタール砂漠をめぐる「キャメルサファリ」ができることでも有名です。
多くの観光客が、キャメルサファリを楽しみます。

バックパッカーだった私も、泊まった宿でキャメルサファリに申し込みました。

砂漠を巡るキャメルサファリ

朝起きて、キャメルサファリに向かいました。
そのキャメルサファリは、イスラエル人の女性2人と一緒でした。

キャメルドライバー(ラクダ使い)のガイド2人に連れられ、キャメルサファリスタートです。

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我々を乗せてくれるラクダが待ってました。

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ちなみに砂漠は暑いですが、日差しを避けるため通気性のいい長袖を着ます。
キャメルドライバーがきていた民族衣装は風通しがよさそうで、着心地がよさそうでした。

一頭のラクダに一人ずつのって、砂漠に向かいます。

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ラクダの乗り心地はあまりいいとは言えません。
ですが、砂漠をラクダに乗って進むのは気持ちいいものです。

砂漠でランチ

ラクダはゆっくりと砂漠を進みます。
砂漠とはいうものの、日本人がイメージするような砂丘がいきなり現れるわけではありません。

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砂丘への道中、しばらくは平地を進みます。
ちょっと退屈になってきたころ、ランチタイムとなりました。

ランチはキャメルドライバーが、作ってくれます。

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木陰で、調理器具を取り出し料理を始めます。
メニューはベジタブルカレーです。
そして、小麦粉をクレープのように焼いたチャパティとよばれる薄いパンも作ってくれます。

※ちなみに日本のインドカレー屋さんでよく出てくるナンは、タンドールと呼ばれる窯で屋かえるものでインドでは高級品です。私はバックパッカー旅行中はチャパティだけで、インドでナンは食べませんでした。

素朴なベジタブルカレーとチャパティのランチでしたが、砂漠で食べるからかとても美味しく感じました。

砂丘に到着

ランチを楽しんだ後も、暑い中ひたすらラクダは進みます。
そして、いよいよ砂丘へ到着しました。

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砂丘はきれいです。

これまで敦煌でタクラマカン砂漠を見たことがありましたが、砂漠の砂丘は好きです。
ちなみに、個人的には鳥取砂丘もけっこうきれいな砂丘だと思っています。

ジャイサルメールの砂丘は、敦煌の砂丘に比べるとちょっと物足りなさはありました。
でも、この砂丘で夕日を眺めながら夕食のカレーを食べました。
その美しい光景を見ながら食べたカレーはとても美味しかったです。

砂漠の満月

砂漠に夕日が沈み、月が出てきました。
その月は見事な満月でした。
残念ながら、写真はないのですが、月明かりがこんなに明るいものなのだと初めて知りました。

かつて砂漠を旅したキャラバンの人たちにとって、この月明かりは自分たちの進む道を照らすものだったのだろうなと、感慨深かったです。
このような満月の日にキャメルサファリに参加できたのはラッキーでした。

砂漠の夜は冷え込みます。
キャメルドライバーが用意した、寝袋にくるまりました。
寝袋は暖かく、すぐに眠りに落ちました。

キャメルサファリを終えて

砂漠の夜が明け、朝が来ました。
キャメルドライバーが用意した朝食を食べた後、砂漠に乗りジャイサルメールの町に向かいました。

ひたすらラクダに乗ってのんびり進みました。
そしてジャイサルメールの町に到着しました。

正直なところ、このキャメルサファリはそこまでおすすめ、というほどではありませんでした。
しかし、砂漠で満月を見る貴重な経験ができたので、私としては満足でした。
また、キャメルドライバーの2人とも、とてもいい人だったので楽しかったです。

ジャイサルメールの宿には気を付けよう

キャメルサファリ自体は楽しかったのですが、ジャイサルメールに戻った後は最悪でした。

元の宿に戻ってみると、「部屋はない」と言われました。
キャメルサファリに参加し、金を払った客はもう用済みなのでしょう。
ジャイサルメールの宿はホスピタリティとか、顧客満足度などとは、まったく関係ない宿が多いので気を付けてください。
(高級なホテルは違うと思いますが)

正直むかつきましたが、言い争っても無駄なので別の宿を探しました。
その宿は、キャメルサファリの勧誘もなく、泊めてくれる宿でした。
最初からこの宿にしとけばよかったなとも思いました。

ジャイサルメールの街並みや、キャメルサファリ自体は体験する価値があります。
ただ、その貴重な経験を悪い思い出で染めないように、宿選びも慎重にした方がよいと思います。

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ジャイサルメールの町自体はとても魅力的です
いい宿を探してジャイサルメールを満喫してください。

インド旅行記 ジャイサルメール(ゴールデンシティ)

インド北部ラジャスタン州にある湖の町ウダイプルで観光した後、ジャイサルメールに移動しました。
ジャイサルメールは、タール砂漠の中央に位置するオアシス都市です。
かつてはインドと中央アジアを結ぶ交易路として栄えたと都市です。

現在のジャイサルメールは、当時の貴族の豪華な邸宅「ハヴェーリー」が数多く残っており観光地となっています。
黄色い砂岩で作られた、その町並みはゴールデンシティとも呼ばれています。
そして、ラクダに乗っての砂漠を訪れるキャメルサファリの拠点でもあります。

また、2013年「ラジャスタンの丘陵城砦群」の一部として、ジャイサルメールのランドマークでもあるジャイサルメール城砦も世界遺産に登録されました。
私が訪れたのは2001年だったので世界遺産に登録される前でしたが、多くの観光客が訪れていました。

ジャイサルメールの町

ジャイサルメールはインドの北西部ラジャスタン州、パキスタンとの国境近くにある町です。

ウダイプルから夜行バスに乗り、翌朝ジャイサルメールにつきました。
そして、まずは宿探しをしました。

ジャイサルメールの宿は、キャメルサファリの勧誘をメインとしている宿が多くあります。
キャメルサファリはそれなりの金額がするので、宿は宿泊費よりもキャメルサファリの勧誘による収入を期待しているわけです。
そのため、ジャイサルメールの宿はあまりいい感じではないことが多いです。

私が泊まった宿も、宿代時代は安かったのですが、キャメルサファリが前提でした。
どうせキャメルサファリに行くつもりだったので泊まりましたが、キャメルサファリの勧誘がしつこく、なれなれしく、感じがいい宿ではなかったです。

美しいジャイサルメールの町

宿が決まり、すぐに観光に出ました。
宿はいまいちでしたが、ジャイサルメールの町自体はとてもよかったです。

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城塞の上から眺めると美しい街並みが広がっていました。

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ゴールデンシティという名にふさわしい、美しい光景でした。

ハーヴェリ

かつて貴族や富豪商人たちがこぞって建てた「ハヴェーリー」と呼ばれる豪華な邸宅がいくつも残っています。
一つ一つがとても美しく、繊細な造形がなされた建物です。

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これらは12世紀から15世紀に建てられたそうです。

そして、現在でもこれらのハーヴェリ―(邸宅)には、人が住んでたりします。
たまたま、通りすがったハーヴェリ―に住んでるおじさんが、見て行けということでハーヴェリ―の中に入れてくれました。
宿の従業員など、観光客相手の人はかなりたちが悪いといえますが、町中で出会う人々はとてもいい人たちでした。

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ハーヴェリ―の中から見ると、その柱など細かなところに施された精緻な造形の美しさがよくわかりました。

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当たり前ですが、日本では見ることができない光景です。
インドの、しかもジャイサルメールだからこその美しい街並みを見ることができました。

ジャイサルメールの宿はキャメルサファリへの勧誘が激しく、外国人を金づると思っている人が多いので、この街を嫌いな旅行者も多いです。
しかし、町中の人たちはやさしく、親切な人たちが多かったで私としては言ってよかった町です。
とはいえ、宿の人たちは感じ悪いので注意が必要ですが。。。

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そして、感じ悪い宿で手配したキャメルサファリへと向かいます。

キャメルサファリの様子はこちら

インド旅行記 湖の町ウダイプル

チベット亡命政府の拠点ダラムサラを後にし、夜行バスでいったんデリーに戻りました。
しかし、デリーは一泊もせず、インド西部ラジャスタン州にあるウダイプルという町を目指すことにしました。

ウダイプルは湖の町、またホワイトシティとも呼ばれるオアシス都市です。
湖や庭園、王宮など美しい観光スポットがある町です。

ウダイプルへの列車へ

ダラムサラからデリーのバスが午前中に着くと、すぐにウダイプル行の切符を買うため鉄道ニューデリー駅へ向かいました。
夜行に連続ですが、バックパッカーにとっては、それほど珍しいことでもありません。
このユーラシア大陸横断旅行中の2001年当時は、全然平気でした。

ニューデリー駅では、外国人旅行者相手の怪しい人たちも多くいます。
「外国人用の符売り場はどこ?」と聞くと、親切そうに見えて怪しい旅行会社に連れていかれたします。
そういう怪しい旅行会社では、通常の数倍、へたすると数十倍の金額をぼったくられる可能性があるので気を付けましょう。

ニューデリー駅には、ちゃんとした外国人窓口があり既定の金額で帰るので、ニューデリー駅で騙されないように気を付けてください。

私はデリーからウダイプルまでなるべく安い列車で行くことにしました。

その結果、サライヒロ駅という、デリーの中でもかなりマイナーな駅から列車に乗ることになりました。
ラジャスタン州行きの列車が出る駅なのですが、かなりこじんまりした駅でした。

サライヒロ駅まで移動し、寝台列車に乗り込みました。
ウダイプルまで22時間の旅でした。

湖の町ウダイプル(ホワイトシティ)

ウダイプルは湖の町と言われる通り、ピチョラー湖を中心に広がるオアシス都市です 。
別名ホワイトシティとも言われています。

このウダイプルの観光スポットをいくつかご紹介します。

シティパレス

町のランドマークは、シティパレスです。
かつての王宮です。

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この写真を見ても、湖の町ということがわかりと思います。

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タージ レイクパレス ホテル

また、この湖の真ん中にはタージ レイクパレス ホテルがあります。
もともとは湖の中の小島に建てられた宮殿です。

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このホテルは世界トップクラスの人気ホテルです。
バックパッカーの私はもちろん泊まることはできませんでした。

タージ レイクパレスホテルの予約はこちらから

ジャグディーシュ寺院

ウダイプル最大のヒンドゥー寺院です。

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壁面には神々の彫刻が施されています。

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ちょっと写真ではわかりにくいですが、精緻なレリーフが美しいです。

サヘリヨン・キ・バリ(侍女達の庭園)

咲き乱れる色とりどりのブーゲンビリアの花がとても美しい庭園です。

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赤い花と緑と白い壁のコントラストがとても美しかったです。

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写真には残っていないのですが、噴水もあります。
個人的にはウダイプルの中では、このサヘリヨン・キ・バリ(侍女たちの庭園)が一番好きでした

 

そのほかウダイプルでは、楽しそうにしている女の子たちにも会いました。

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とっても楽しそうな笑顔でした。
外国人の私にも、素敵な笑顔を見せてくれました。

ウダイプルは観光スポットも多く、美しい光景も見れたので満足できる町でした。
メジャーな街ではないかもしれませんが、興味があれば訪れてみてはいかがでしょうか?

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湖の町ウダイプルには2泊しました。
そして、次はバスでジャイサルメールへ向かいました。

ジャイサルメールの様子はこちら

インド旅行記 ダラムサラとチベット亡命政府

ネパールからインドに入った後、まずは首都デリーに行きました。

デリーに来るのは二回目。
大学時代にも来たことがありました。

個人的に首都デリーはデリーはあまり好きな街ではなかったのですぐに次の町ダラムサラを目指すことにしました。

ダラムサラには、中国政府に追われ亡命したチベットの亡命政府があります。
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの拠点もダラムサラです。

チベットを越えてきた身としては行ってみたい場所でした。

チベット亡命政府の拠点ダラムサラ

ダラムサラはデリーからは北に500kmほどのところにあります。

私はデリーから夜行バスに乗って、ダラムサラを目指しました。
夜行バスは、あまり乗客が乗っていませんでした。

眠りたいと思った私は、バスの最後部の席で横になることにしました。
座って眠るより、横になったほうが楽ですからね。

そして、快適に寝ていたところ、急に道が悪くなってきました。
バンバン跳ねるようになり、特に最後尾は跳ね方が激しいです。

突然、バンッ!っと激しく跳ね上げられました。
そして、最後部で寝ている私の体は宙に浮かびました。

次の瞬間、最後部の椅子とその前の椅子のわずかな隙間に、ビタン!とはまりました。

まさに奇跡と言えるような嵌りっぷりです。
ちょっとズレてたりすると、椅子の角に顔をうつなど、ケガする可能性もありました。
そういう意味では、とてもラッキーだったと思います。

そして、それに懲りてもともとの自分の席に戻り、素直に座って眠ることにしました。

ダラムサラに到着

朝早くに、ダラムサラに到着しました。
ダラムサラは山の町です。とても景色がよかったです。

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首都デリーの喧騒から考えると、ほっとする雰囲気です。

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ダラムサラはさすがにチベット亡命政府の拠点だけあって、町中にはチベット人が多くいました。
ただ、チベット亡命政府の指導者ダライ・ラマは、そのときはダラムサラを離れており会うことはできませんでした。

ダラムサラの町を観光

残念ながら、ダライ・ラマには会えませんでしたが、ダラムサラの町を観光しました。

ダラムサラはチベット仏教文化の拠点となっていて「リトル・ラサ」とも呼ばれています。
中国領となっているチベット本土では失われつつある伝統的な文化や宗教を守り、後世に残していくための様々な努力がなされています。

ダラムサラの町は、チベット文化を感じられて、チベットを越えてきた身としては親しみを感じられる町でした。

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チベット仏教の寺院もありました。
寺院の中にも入らせていただきました。

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ネパールにいるチベット人たちはよく声をかけてきてましたが、ダラムサラのチベット人たちはあまり声をかけてきませんでした。
ある程度、落ち着いた生活をしているのかな、と思いました。

ちなみに山には猿もいたりします。

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ダラムサラは、インドっぽくなく、落ち着いた雰囲気でいい感じの町でした。
特にチベットを越えてきた身としては、なんとも感慨深い町でした。

インド旅行記 首都デリーの喧騒の中へ

ネパールの最西端の国境マヘンドラナガルからインドへ入国しました。

そして、インド側の国境の町バンバサからボロい夜行バスに乗ってデリーを目指しました。
バンバサからデリーまでは、300km超。

バスはボロいだけにかなりノロノロ進みます。
とはいえ、バックパッカーからするとこんなもの、のんびりとデリーに向かいます。

けっこう時間がかかりました。

途中、食堂でターリーという、インドの定食を食べました。
チャパティ(小麦粉を練って薄く焼いたパンの一種)とカレーが食べ放題です。
とても安く15ルピー(30円)程度で、しかも食べ放題なのでバックパッカーにとってはありがたいです。

安いので肉は入っていない野菜カレーですが、ネパールのものよりも私はインドのカレーの方が好きです。

首都デリー到着

さて、バンバサからのボロいバスも長い時間をかけて、首都デリーに到着しました。
が、到着したのが早朝3時。
まだまだ暗い状態です。

2001年11月末頃の話です。

インドと聞くと温かいイメージがあるかもしれませんが、北インドは冬はけっこう冷え込んだりします。
早朝3時だったので、予想以上に冷え込みました。
夜が明けるまでバスターミナルで過ごしました。
待っていられる場所が外のベンチしかなかったので、寝袋にくるまりながら夜明けを待ちました。

デリーでの移動

夜が明けたので、安宿街のメインバザールを目指すことにしました。

デリーは嘘つき、ぼったくりが多い町としてバックパッカーの間では有名です。
特にタクシー、オートリクシャー(三輪タクシー)などは、外国人とみると高額をふっかけてきます。
タクシーだけでなく、時にはバスなんかもふっかけてくるので注意が必要です。

メインバザールを目指して乗ったバスも最初150ルピー(300円)と相場の10倍以上をふっかけてきました。
「ありえない、10ルピーしか払わない」、と言って乗りました。
デリーでは遠慮してはダメです。
おかしいものはおかしいと、ちゃんと交渉しましょう。

メインバザールへ

そしてメインバザールの近くに到着しました。
メインバザールはパハールガンジとよばれ、ニューデリー駅の周辺です。

デリーの中心部はそれはもう、人があふれかえっています。

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メインバザールは安宿が並ぶので、各国からバックパッカーが集まります。
バンコクのカオサンロードと同じような感じといえます。
カオサンほど、洗練されてはいませんし、客引きがしつこく言い寄ってきますが。

とはいえ、メインバザールの人たちがみんなしつこいというのではありません。
安宿を何件か見て、従業員の感じがよくて安い宿を確保できました。

また、メインバザールは世界各国のバックパッカーが集まるので、古本屋があったりします。
そこには日本語の本もあります。
そこで、地球の歩き方インド編(ガイドブック)を入手するとともに、小説などもいくつか買いました。
インドは広いので長時間の異動もありますし、暇つぶしをするにはやはり本はあったほうがいいですね。

というわけで、インド旅行の準備は万端です。
デリーは以前訪れたこともあり、好きな街ではないので、一泊だけして次の町に行くことにしました。
目指すはダライラマのチベット亡命政府があるダラムサラです。

 

ネパール旅行記 最西端の国境マヘンドラナガルからインドへ

チベットからネパールに入った後、首都カトマンズ ⇒ ヒマラヤを望む町ポカラ ⇒ ブッダ生誕の地ルンビニと旅行しました。

ネパールには合計1ヶ月くらいいました。
ヒンズー教文化に触れたり、ヒマラヤが見れたり、日本食が食べられたりとネパールを堪能できました。

そしていよいよ、ユーラシア大陸横断旅行4か国目インドへと向かうことになりました。

実はブッダ生誕の地ルンビニはインドとの国境が近いので、ルンビニからスノウリという国境に向かうのが一般的です。
ですが、何となくマイナーな国境からインドに入りたくなり、ネパールの西の端にある国境マヘンドラナガルという町へ向かいました。

マヘンドラナガルへの道

ルンビニからは500kmほどあり、1日で行くことは困難です。
そのため、途中ネパールガンジという町で一泊し、その後マヘンドラナガルに向かうルートを通りました。

ネパールガンジは、観光地というものは一切ない地味な町でした。
正直あまり覚えていません。
写真の一枚でもとっておけばよかったです。

国境の町マヘンドラナガル

ネパールガンジでは一泊し、その後またバスに乗りマヘンドラナガルへ向かいました。
マヘンドラナガルへの道中は、ひたすら森の中という感じでした。

マヘンドラナガルに到着したのは夕方でした。
宿を確保して、部屋の窓から見るとたまたま夕日が見えました。

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ネパールで見た最後の夕日ですね。

マヘンドラナガルは国境の町ですが、特に観光地や見所もありませんでした。
ネパール最後の夜を迎え、翌日インド国境に向かいました。

国境を越えてインドのバンバサへ

マヘンドラナガルの国境は、小ぢんまりしてました。

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ネパール側の出国手続きを終え、インド側の国境へ。
こうしてユーラシア大陸横断3ヶ国目ネパールを後にしました。

ルンビニから2日もかけて、マヘンドラナガルから国境を越えたわけですが、途中観光地があるわけでもなく、ハプニングがあるでもなく、実に平穏な国境越えの道でした。

とはいえ別に無駄な時間を過ごしたとは思いません。
バックパッカーは時間だけはたくさんあります。
何気ない日々や素朴な街を通ることも、醍醐味の一つなのです。

4か国目インドへ

さて、日本を離れて3か月、ようやく4か国目インドに入国です。
インドには学生時代にも来たことがあるので、2回目です

インド側の国境の町はバンバサというところです。
国境から町までは距離が離れているので、サイクルリクシャという自転車タクシーを使いました。

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バンバサも緑がいっぱいという感じでした。

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素朴な田舎町でした。

バンバサには宿泊せず、そのままインドの首都デリーに向かう夜行バスに乗ることにしました。
夜行バスの時間まで食堂で時間をつぶしたりしてましたが、周りの人が話しかけてきたりしました。
でも、インドの観光地でよく見かけるダマして金を取ろうとする人たちではなく、いい人たちが多かったです。

やはりインドでも田舎の人はいい人が多いものだなと感じました。

そして、デリーに向かうボロボロのバスがきました。
ずっとのんびりした田舎の町にいたので、デリーのような癖のある街は久しぶりです。

ちょっと気持ちを引き締めてデリー行のバスに乗り込みました。

デリーについてはこちら

ネパール旅行記 ブッダ生誕の地ルンビニ

ヒマラヤを望む町ポカラで数日過ごした後、ルンビニに移動しました。

ルンビニはブッダ(釈迦)の生誕地であり、仏教の四大聖地の一つです。
また、世界遺産にも登録されています。

なお、四大聖地とは以下の4つです。

  • ルンビニ:ブッダ生誕の地
  • ブッダガヤ:ブッダが悟りを開いた地
  • サールナート:ブッダが最初に説法した地
  • クシナガル:ブッダ入滅の地

このうちルンビニだけがネパールにあり、その他の3つはインドにあります。

聖地ルンビニ

ルンビニはインド国境近くに位置しています。

ルンビニは世界遺産になっていますが、観光地という感じではなく、まさに仏教の聖地という感じの町です。

平和の灯があります。
24時間その日を絶やさないそうです。

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この平和の灯から真っすぐ運河が伸びています。

ルンビニは仏教の聖地、それも生誕の地であるので、この運河沿いに各国のお寺があります。
タイ寺、韓国寺、中国寺、ミャンマー寺、タイ寺、ベトナム寺、ドイツ寺などなど。

もちろん、その中には日本のお寺もあります。
日本山妙法寺です。

lunbini2

 

真っ白なストゥーパが立っていて、目立ってました。

ルンビニの各国のお寺は広大な範囲にわたっているので、いろいろ見るのはけっこうたいへんです。
ですが、各国のお寺は特徴があるので見てみるのもよいと思います。

なお、各お寺に泊めてもらうことができます。
基本的には無料ですがいくばくかの寄付を行います。

私の場合はネパール寺の巡礼宿に泊まりました。
バックパッカーにとってはおなじみのドミトリーでした。

ルンビニの町自体は何もないといえば何もありません。
でも、いろいろな国のお寺を一度に見れたり、お寺に泊まったりと他の血ではできない経験もできます。

正直、すごく楽しかったという場所ではないのですが、一生のうちに一回入っておいてよかったなと思いました。
このルンビニの後、西の端にある国境マヘンドラナガルへ向かいます。

マヘンドラナガルからインド入国についてはこちら

ネパール旅行記 ヒマラヤを望むポカラの町

首都カトマンズでは、10日ほど過ごしました。
インドビザ取得に時間がかかったためです。

そして、ようやくインドビザを取得できたので、次の町ポカラへ移動することにしました。

ポカラはヒマラヤ山脈の美しい風景を望むことができる人気の観光地です。

pokhara1

また、ヒマラヤのアンナプルナへのトレッキングが比較的手軽にできることでも有名です。
私のバックパッカー仲間の多くもトレッキングに出ましたが、私は山登りが好きでないので遠慮しましたが。

ポカラの町

ポカラはカトマンズから北西へ約200kmのところにあります。
バスで移動すると、6~7時間くらいだったと思います。

山道を抜けていきます。

2001年当時は舗装されていない区間が多かったですね。
木を組んだだけのお店など、とても素朴な風景が広がっていました。

ネパールは後発開発途上国(いわゆる最貧国)の一つであり、経済的には貧しい国です。
そのため、インフラ整備も厳しい状況です。

ちょっと話はそれますが、バックパッカーたちが海外で土産物屋などから売り込みをされた際に「お金がない(No money)」と言って断るのはどうかなと思っています。
お金がなければ海外旅行なんてできないわけですからね。
ネパールの大半の人は海外に行くなんて夢のようなことだったりするわけです。
ですので、私は「そんなものはいらない」「それに払う金はない」というようにしています。

という、余談でした。

ポカラに到着 レイクサイドかダムサイドか

そしていよいよポカラに到着しました。

ポカラの語源は、ネパール語で湖を表す「ポカリ」だそうです。
その名の通りポカラにはペワ湖という大きな湖があります。

ポカラを訪れる観光客が宿泊するエリアは大きく分けて2つあります。
レイクサイドとダムサイドです。

レイクサイドはその名の通り、ペワ湖のほとりのエリアです。
観光客に人気があり、きれいなホテルやレストラン、カフェなども多くあります。
ただ、外国人観光客向けになりすぎているともいえます。

ダムサイドは、ペワ湖の南側のダム近くのエリアです。
こちらはレイクサイドよりも安宿が多いためバックパッカーには人気のエリアです。
また、レイクサイドほど観光地化されていないので、ネパールさが感じられます。

で、私自身はどちらを選んだかというと、もちろんダムサイドです。
当時はバックパッカー丸出しだったので、やはり宿は安くしないとという考え方があったわけです。
ポカラの4人部屋のドミトリー(ユースホステルのような相部屋)は、60ルピー(当時の日本円で80円)と格安でした。
私のユーラシア大陸横断旅行の中でも最安値でした。

地元っぽい素朴な感じが残っているのもダムサイドのよいところです。
ちょっとおしゃれなところに行きたいと思えば、レイクサイドまで歩けばよいだけなので、ダムサイドにしてよかったなと思いました。

ポカラからのヒマラヤの景色

安宿の屋上からもヒマラヤ山脈を見ることができます。
ただ、私がポカラに訪れた時(2001年11月)は曇りがちで、なかなかヒマラヤが顔を出してくれませんでした。
でも、せっかくポカラに来たのだからと気長に待ちました。
その辺りの時間感覚が長期旅行をしているバックパッカーの特権ですね。

そして、ようやく晴れた日に宿の屋上から、ヒマラヤ山脈を拝むことができました。

pokhara2

やはりヒマラヤは美しかったです。

ただ、チベットからヒマラヤを越え、しかもエベレストベースキャンプも経験してからネパールに入ったため、ちょっとヒマラヤに対する新鮮さが薄れていたかもしれません。
チベットからネパールに入るより、ネパールからチベットに行った方がよいかもしれませんね。

とはいえ、ポカラは美しい風景が広がり、のんびりしていて、物価も安く、日本食もあったり、ヒマラヤトレッキングできたりと、旅行するにはおすすめの場所です。
よければ、訪れてみてください。

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ルンビニを後にし、次はブッダ生誕の地ルンビニに向かいます。

ブッダの生誕の地ルンビニについてはこちら