2001年当時、まだチベットラサまでいける鉄道である青蔵鉄路が通っておらず、陸路で行く場合ゴルムドからバスで行くのが一般的でした。
しかし、外国人観光客がチベットに入るための正規ツアー料金はとても高いため、バックパッカー向けに闇バス、闇トラックというものがありました。
ブローカーや運転手と交渉しかくまってもらうことで、検問所を抜け、チベット入りをするものです。
私ともう一人のバックパッカー仲間は、ゴルムドで運よく破格の金額で行ってくれる闇トラックのチベット人の運ちゃんと交渉が成立しました。
⇒そのときのゴルムドの様子はこちら
そして、ユーラシア大陸横断の中でもメインイベントの一つともいえるチベットに向かいました。
ゴルムドからラサへの道のり
ところで、ゴルムドからラサへの距離をGoogleマップで調べてみると1161km、車で26時間と出ました。
距離と時間の数字だけ見るとそれほどたいしたことがないように見えるかもしれません。
しかし、我々が向っているのはチベットです。
出発点のゴルムドが標高2800m、目的地のラサの標高が3600mです。
その間にはタンラ山脈が待っています。
そしてタングラ峠は標高5231mです。
富士山よりもはるか高いところを通るわけです。
そのため高山病の危険性もけっこうあります。
私は標高2800mのゴルムドで数日過ごして体をなれさせました。
それ以外の方法としては、水を多く飲むことと、高山病予防の漢方薬「紅景天」を飲みました。
そのお蔭か、高山病にはならなかったです。
チベットへ向け出発
トラックは運転席と助手席のほかに、後ろにも座席があり運ちゃん二人と我々二人の合計四人でもそれほど窮屈ではなかったです。
もちろんリクライニングとかはついていませんが。。。
二つある検問所を抜けられればチベットに入れるわけですが、実際にどうなるか不安もありました。
検問所で見つかりゴルムドに戻され、罰金を払っている欧米人を数日前に見たからです。
とはいえ、乗ってしまったのですから今更引き返せません。
そしてトラックは順調に進み、夜になったところで第一の検問所に近づきました。
第一の検問所
すると運ちゃんは検問所の少し手前で止まりました。そして我々に対し
「車から降りて、歩いて検問所を迂回しろ」
と言ってきました。
バックパッカー仲間は中国語をまったくしゃべれなかったので、その内容を通訳して伝えました。
トラックの荷台なども調べられるので、その方法が一番見つかりにくいようです。
見つかりにくくするために、夜に検問所を抜けるようにしていたわけです。
降ろされたままそのトラックが行ってしまう危険性も考えられましたが、後払いということでまだお金を払っていません。
なので、大丈夫だろうということで仲間と一緒にいったんトラックを居りました。
運ちゃんは、「検問所を過ぎたところで待っている」と言って、車を発進させました。
標高3000mを超えるところ、夜中、検問所をかいくぐるために忍び足で歩いていきます。
検問所の様子を伺うとあまり警戒している様子はなく、裏側をそっと歩き、無事に検問所を抜けました。
そしてトラックが待っててくれるかの一抹の不安を抱きながら、検問所を超えてしばらく歩くとトラックが止まっていました。
再びトラックに乗り込み、無事第一の検問所を切り抜けました。
第一の検問所を通過した際、バックパッカー仲間と高山病予防効果があるといわれる漢方薬「紅景天」のドリンクで乾杯をしました。
余談ですが紅景天が日本でも売ってるのか調べてみましたが、粉末状のものは売ってるみたいですね。
いろいろ体に良いそうです。
トラブル発生
さて、夜中もずっとトラックは走り続けたのですが、途中で故障してしまうというトラブルが発生しました。
まったく動かないというわけではなかったのですが、スピードがほとんど出ませんでした。
このまま低速で走っても仕方がないため、朝まで待つことにしました。
日が昇ると、運ちゃんは修理を始めました。
中国に限らず、発展途上国では運転手が修理もできる人が多いです。
車の状態が悪く、途中で故障することも多いので、そうしないと商売になりませんので、みんな修理技術を持っています。
我々は手伝うこともできないので、祈るしかなかったです。
しばらくして直ったとのことで、ホッとしてトラックに乗り込みました。
そして発進。
しかし、少しするとまたスピードが落ちてきました。
再度修理。
本当にラサに着けるのか不安になりました。
が、今度こそちゃんと直ったようで再発進すると、そこからは順調に進みました。
標高5231mタングラ峠通過
そしてゴルムドを出発して2日目の夜。
標高5231mのタングラ峠につきました。
夜中だったので写真を撮ったりはできませんでしたが、記念に二人で立ちションをしました。
まあ、いい思い出です。
標高5000mを越えても、特に高山病もなく体調を崩すこともありませんでした。
第二の検問所
その後、トラックは故障することもなく順調に走り続けます。
そして昼食のために止まった休憩所で運ちゃんから、「この先に検問所があるから夜になるまで待つ」と言われました。
バックパッカー仲間にそのことを通訳すると、納得してました。
まだ昼前なので時間はかかりますが、検問所を抜けることを第一に考えてくれているという安心感がありました。
この運ちゃんはあまり口数が多くなかったのですが、仕事はちゃんとやる職人堅気の人という感じでした。
のんびり時間をつぶそうとしていたのですが、しばらくすると突然、運ちゃんが「行くぞ」と言ってきました。
さっき言ったことと違うので、大丈夫なのか?と疑問に思っていると、どうやら事故があったらしくその対応のため検問所が機能していなかったようです。
そのためノーチェックで第二の検問所を通過。
事故を起こした人には申し訳ないですが、こちらとしてはある意味ラッキーでした。
ラサに到着
そしてついにラサに到着しました。
トラックの故障などもあるため、大幅に遅れて40時間くらいかかってしまいましたが、検問所を抜け、格安ではいれたのですから文句は言えません。
運ちゃんには二人分の400元を渡しました。
運ちゃんは金を受け取るとあっさりと去っていきました。
降ろされた場所がよくわからなかったので、タクシーを捕まえラサの安宿の一つ、バナクショーホテル(八郎学旅館)に向かいました。
無事ドミトリー(25元)にチェックインできました。
その夜、二人でチベットに入れたことを喜びビールで乾杯しました。
⇒ラサの町の様子はこちら