世界遺産

オーストリア旅行記 音楽の都ウィーン

ハンガリーのブダペストを離れオーストリアに向かうことにしました。

目指したのは、音楽の都とも呼ばれる首都ウィーンです。
ハンガリーまでは旧東ヨーロッパだったので、いよいよ西ヨーロッパ旅行の開始でした。

私が旅行したのは2002年5月で、この年の1月から通貨がユーロになったばかりです。
当時は1ユーロ=100円くらいでした。

今に比べると為替レートは良いのですが、バックパッカーにとって西ヨーロッパは物価が高いので、なるべく効率的に観光することとしていました。

音楽の都ウィーン観光

ウィーンはかつてハプスブルク帝国の都だった場所です。
18世紀末からは音楽の都とも呼ばれる町です。

ウィーン歴史地区は世界遺産にも登録されています。

なるべく早く観光を終えるつもりだった私は着いたらすぐに観光に出かけました。

シュテファン大聖堂

ウィーンにあるゴシック様式の大聖堂がシュテファン大聖堂です。
ウィーン歴史地区のシンボル的な存在で、観光の際に起点にもなる場所です。

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とても重厚な建物です。

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多くの観光客が訪れています。

ホテル・ザッハ―でザッハトルテ

ホテル・ザッハ―はウィーンの中心部にある5つ星ホテルです。
ウィーン国立歌劇場の隣にあります。

個々の名物はなんといってもザッハトルテです。
ザッハトルテとは、世界的にも有名なチョコレートケーキです。
漫画の「美味しんぼ」でも取り上げられたことがあります。

バックパッカーには似合わないのですが、せっかくなので5つ星ホテルであるホテルザッハ―に入り、ザッハトルテとウィンナーコーヒーを頼みました。

ちなみにウィンナーコーヒーは、ウィーン風コーヒーという意味であって、ウィンナーソーセージは入っていません。
コーヒーにクリームを浮かべたものです。
ただ、ウィーンではウィンナーコーヒーとは呼ばれていませんが。

Sacher1

 

ちょっと写真の写し方が悪いのですが、左にクリームの浮いたウィンナーコーヒー、右側にこちらも皿の上にクリームがたっぷりと乗せられたザッハトルテです。

さっそくザッハトルテを食べてみました。

うーん、甘い。いや、甘すぎる。。。
けっこうくどい甘さで、私としては美味しい、とは思いませんでした。

甘すぎるザッハトルテの後に、ウィンナーコーヒーを飲みます。
こっちはまあまあという感じでした。

それなりの金額を払った割には、味自体にはそれほど満足感はありませんでした。
もしかしたらバックパッカーで味覚が鈍っていたのかもしれませんが。

とはいえ、このような歴史あるホテルで、歴史あるものを食べられたのは良かったです。

ベルヴェデーレ宮殿

ウィーンの観光スポットとして人気が高いのが、ベルヴェデーレ宮殿です。
ベルヴェデーレとは「美しい眺め」という意味で、庭園から見る宮殿は美しいです。

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昔の写真をスキャンしてるので、暗い感じになってますが実際にはもっと明るく美しい宮殿でした。

音楽の都で音楽を楽しむ

音楽の都ウィーンに来たらやはり音楽を楽しむことをおすすめします。

有名なウィーン国立歌劇場(オペラ座)では最高峰のオペラを見られます。
安い席もあったりしますので、もしウィーンに行くなら1度は訪れてみてよいと思います。

また、フォルクスオーパーという歌劇場もあります。
フォルクスは大衆のという意味なので、大衆オペラ座という意味です。

私はこのフォルクスオーパーでオペレッタを見ました。

オペレッタとは、セリフと踊りのある歌劇で主に喜劇が中心となったものです。
一般的なオペラに比べるとだいぶ大衆的です。
2回見たのですが、1回目はあまり面白くなかったのですが、2回目はけっこうおもしろかったです。

ウィーンの公園

ウィーンは2泊し、夜行バスでベルリンに向かうことにしました。
昼に宿をチェックアウトし、夜行バスの出発まで時間があったので公園で昼寝したりしました。

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ウィーンにはそこら中にいい公園があったので、のんびりと過ごせました。

そして夕方にバスターミナルへ行き、次の国ドイツの首都ベルリンへと向かいました。

ドイツの首都ベルリンについてはこちら


インド旅行記 世界遺産エローラ・アジャンタ

インド経済の中心的な都市ムンバイを後にし、アウランガバードに向かいました。
アウランガバードは、世界遺産のエローラ、アジャンタという二大石窟寺院の観光の拠点です。

ムンバイからアウランガバードまでは、鉄道で移動しました。
ただ、指定席が取れず二等自由席だったのですが、軟弱バックパッカーの私はインド人に負け席を確保できませんでした。

しょうがなく、入り口付近に陣取ったのですが、駅に着くたびに人が乗り降りするので大変でした。
ゆっくりと座ることはできませんでしたが、8時間程度なので当時の私、にとってはそこまでたいへんというわけではありませんでした。

エローラ・アジャンタ

エローラ、アジャンタの観光拠点のアウランガバードに到着しました。

まずは、宿を探しです。
アウランガバードの宿は24時間制のところが多いです。
チェックイン時間が決まってるわけではなく、チェックインした時から24時間で1泊という考え方です。
ある意味公平な制度ですね。

そして安宿を確保した後、さっそくアジャンタ石窟群の観光に出かけました。

アジャンタ石窟群

アジャンタの石窟群は世界遺産に登録されている仏教寺院です。
アジャンタはアウランガバードから北東へ約100kmのところにあります。

バスを乗り継いでいくのはたいへんなので、アウランガバードの宿で現地ツアーを頼みました。
ローカルツアーなので、周りはインド人ばかりでした。

ガイドはつくのですが、言葉はわからないので勝手に石窟を楽しみました。

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アジャンタは仏教寺院なので、チベット人の熱心な仏教徒が五体投地という礼拝をしていました。
その光景を見て、チベットを旅行していたころを思い出しました。

エローラ石窟群

アジャンタを観光した翌日に、エローラ石窟群の観光に出かけました。
このときも現地ツアーを利用しました。

エローラ石窟群は、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院で構成されています。

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さすがに世界遺産になっている遺跡だけあって、とても見ごたえがありました。

Ellora2

規模が大きく本当に見ごたえがありました。

アウランガバード

エローラ・アジャンタを観光した後、観光拠点の町アウランガバードも観光しました。

実はアウランガバードにも観光スポットがあります。
ビービー・カ・マクバラーというタージマハルをまねて作られた霊廟です。

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見た感じはタージマハルにとても似ていました。
ただ、タージマハルほどの完成度はありません。
そのためか「貧乏人のタージ」という微妙な相性があったりします。

私は、タージマハルは世界一美しい建築物と思っているので、このビービー・カ・マクバラーは微妙だなとは感じました。
でも、これはこれでストいものだと思います。

石窟や霊廟などアウランガバード周辺で、観光を楽しみました。

そして、アウランガバードに来たことによりインドをほぼ一周しました。
3ヶ月くらいなので、けっこう早足でした。(バックパッカーの中でははやいほうといわれています)

そして、再びインドの首都デリーに向かいました。

 

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インド旅行記 世界遺産ハンピの建造物群

インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールを後にし、ハンピに向かいました。

ハンピには都市遺跡があり、ハンピの建造物群として世界遺産にも登録されています。
ハンピは、14~17世紀頃に栄えたヴィジャヤナガル王国の都だったところです。

巨大な都市遺跡が広がっています。
日本での知名度はそれほどありませんが、インドの中では人気・満足度の高い観光地となっています。

ハンピへのアクセス

ハンピは南インドの内陸部に位置しています。
アクセスは、正直言ってちょっと不便です。

私は、バンガロールからホスペットというところまで鉄道で移動しました。
ちなみにバスもあります。
ホスペットまでくれば、ハンピはすぐそこです。

ハンピの建造物群

ハンピに到着するとすぐに観光に出かけました。

遺跡もいいですし、景色も素晴らしかったです。

hampi1※残念ながら写真が残っておらずWikipediaからお借りしました。

ハンピのシンボルともいえるのがヴィルパークシャ寺院です。
ひときわ大きいゴープラム(寺院の門)が立っています。

hampi※Wikipediaからお借りしました。

この寺院以外にも多くの遺跡が広がっています。

hampi3

 

ハンピの遺跡は広大な地域に広がっています。
数日かけて

丘の上からの眺め

特に丘の上からの眺めは絶景でした。
なぜ写真が残っていないのか残念でなりません。
ハンピには4日ほどいたのですが、毎日丘を上りハンピの風景を楽しんでいました。

遺跡の岩の色と緑のコントラストがとても美しかったです。

ハンピでは遺跡観光や美しい風景を眺めるなど、のんびりと過ごせました。
夜は大体、アラクという地酒を飲んで現地の人たちとかと遊んでました。

意外な再会

実はこのハンピで意外な再会がありました。
このときは2002年の2月だったのですが、その1年半ほど前の2000年7月にモンゴルで出会ったバックパッカーと再会したのでした。

お互いにどこかで会ったことあるなー、という感じで見ていたら向こうが思い出してくれました。
まったく連絡も取っておらず、全然別の行動をとっていた人との再会はびっくりしました。

でも、バックパッカーをやっているとこのようなびっくりする出会いがけっこうあります。
こういうのも旅の醍醐味ですね。

そして、ハンピを離れ次はゴアへと向かいました。

ゴアについてはこちら

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インド旅行記 世界遺産 マハーバリプラムの建造物群

寺院が多くある町カーンチプラムを後にし、次はマハーバリプラムを目指しました。

マハーバリプラムには海岸寺院をはじめとした数多くの遺跡があります。
「マハーバリプラムの建造物群」として世界遺産にも登録されています。

マハーバリプラムは、チェンナイ(マドラス)から南へ約60kmに位置しています。

ベンガル湾に面した小さな町ですが、見所が満載です。

マハーバリプラムの建造物群

宿を確保した後、すぐに観光に出かけました。
※なぜか写真が残っていないため、写真はWikipedeaからお借りします。

海岸寺院

まずはビーチに向かい、海岸寺院を観光しました。
その名の通り、海岸沿いに立っている寺院です。

Mahabalipuram1<Wikipediaより>

7世紀末から8世紀にかけて作られたそうです。
マハーバリプラムの遺跡の中でも、中心的な存在です。

岩壁彫刻

個人的に好きだったのが、岸壁彫刻です。

Mahabalipuram2<Wikipediaより>

岩壁にレリーフが刻まれています。
石を掘ったレリーフとしては世界最大規模のものです。

間近で巨大なレリーフを見られるので、見ごたえがありました。

クリシュナのバターボール

建造物ではありませんが、マハーバリプラムの見所の一つに「クリシュナのバターボール」と呼ばれる岩があります。

Mahabalipuram3l<Wikipediaより>

この「クリシュナのバターボール」は、一枚の大きな岩の上にある今にも転がり落ちそうな大きな岩です。
絶妙なバランスを保っています。

なぜ、「クリシュナのバターボール」と呼ばれるかというと、岩の裏側をみるとちょっとわかります。

Mahabalipuram4<Wikipediaより>

岩の後ろ側がバターボールをナイフで切ったようになっていて、ヒンドゥー教の神クリシュナの好物がバターボールだったのでこう呼ばれているそうです。

ミャンマーのゴールデンロックに比べるとちょっと見劣りしますが、不思議な岩でした。

他にも寺院はいろいろとあって一日中歩き回って、マハーバリプラムの観光をしました。
本当ににマハーバリプラムは見どころ満載です。
自分で撮った写真が残っていないが悔やまれます。

マハーバリプラムはチェンナイ(マドラス)から日帰り旅行でもいけますので、もし南インドに行くのであれば寄ってみてください。

マハーバリプラムの次はポンディシェリを目指しました。

ポンディシェリの様子はこちら

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インド旅行記 仏教聖地ブッダガヤとスジャータ村

ヒンドゥー教の聖地バラナシから日帰りで仏教聖地サルナートを訪れた後、もう一つの仏教聖地ブッダガヤを目指しました。

ブッダガヤは釈迦が悟りを開いた地として、仏教四大聖地の一つされています。
なお、四大聖地とは以下の4つです。

私にとっては、ルンビニ、サルナートに続く3つ目の仏教聖地です。
ブッダガヤの大菩提寺として世界遺産にも登録されています。

バラナシからガヤへの列車が遅延

ブッダガヤはバラナシから東に250kmほどのところにあります。
バラナシのムガルサライ駅からガヤまで鉄道で移動し、その後ブッダガヤまで移動します。

私は夕方にムガルサライを出て夜にガヤに着く列車に乗る予定でした。
そして、バラナシの町中からムガルサライ駅についたのですが、列車が遅れているとの連絡がありました。

インドは広大な領土であり、鉄道の遅延も日常茶飯事です。
場合によっては24時間以上の遅れが出ることもあります。
しかもアナウンスも不親切だったりするので、いつくるか分からないこともあります。

日本の感覚で行くと大変なことになりますので、気長に待ちましょう。

なお、私の乗るはずの列車は4時間遅れで到着しました。
その4時間何をしてたかというと、特に何もせずベンチに座っていました。
バックパッカーにとっては、よくあることなのであわてず騒がず、いつ列車が来てもいいように気長に待ちました。

ガヤに到着して夜明けを待つ

そして4時間遅れの列車に乗って、なんとかガヤにつきました。
しかし、ガヤに着いたのは午前2時。
まっくらです。
この時間に動いても宿の確保は難しいため、夜明けまで待つことにしました。

しかし、12月の北インドはけっこう寒かったりします。
ネパールのカトマンズで購入した寝袋にくるまりながら、夜明けを待ちました。

仏教聖地ブッダガヤ

夜が明けバスに乗って聖地ブッダガヤに向かい、まず宿を確保しました。
そして、ブッダガヤ観光に出かけました。

世界遺産ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺院

観光のメインが世界遺産にも登録されている大菩提寺です。
多くの環境客が訪れていました。
もちろん仏教聖地ですので、多くの仏教徒も訪れていました。

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中央の本堂は高さ52mもあります。

そして、釈迦が悟りを開いた場所と呼ばれる菩提樹もあります。

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多くの僧が読経してたりしました。

仏教の聖地だけあり、とても落ち着いた雰囲気の場所でした。
悟りは開けませんでしたが、のんびりした気分となれました。

地元の人とスジャータ村へ

ブッダガヤも観光地なのでダマそうとするインド人もいるのかもしれませんが、たまたま知り合った人たちはとてもいい人でラッキーでした。

中でもたまたま入ったブッダガヤにある食堂の人たちととても仲良くなりました。
ブッダガヤには3日ほどいましたが、全ての食事をそこで食べました。
なぜかお店の手伝いなどもしましたが、このような地元の人たちとの出会いもバックパッカー旅行の醍醐味です。

そして2日目、その人たちとスジャータ村に行くことになりました。
スジャータといえば、コーヒーに入れるものを思い浮かべるかもしれませんね。

スジャータとは、釈迦が悟りを開く直前に乳粥を供養し命を救ったという女性の名前です。
それに由来しスジャータ村と呼ばれています。

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のどかな風景が広がっていました。

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遠足気分でのんびりと会話を楽しみながら歩きました。
食堂の人たちと会話を楽しみながらのスジャータ村観光はとても楽しかったです。

ブッダガヤは仏教の生死であり、のんびりできる町であり、地元の人たちと交流できた思い出深い町です。
ぜひ訪れてみてください。

ブッダガヤの次は、のんびりとは正反対の町カルカッタ(コルカタ)へ向かいました。

コルカタ(カルカッタ)についてはこちら

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インド旅行記 世界遺産 白亜の霊廟タージマハル

インドのアーグラー。
そこには世界遺産にも登録されている白亜の霊廟タージマハルがあります。
タージマハルは、私がこれまで50ヶ国以上を訪れた中で、最も美しい建築物と思っています。

そのタージマハルがあるアーグラーはインドの首都デリーの南200kmくらいのところにあります。

デリージャイプル、そしてこのアーグラーの3都市はゴールデントライアングルとも呼ばれ、インド北部の人気の観光地です。

白亜の霊廟タージマハル

世界遺産にも登録されているタージマハル。
タージマハルは17世紀ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった王妃のための霊廟として22年の歳月をかけて作ったものです。

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なお、皇帝シャー・ジャハーンは晩年タージマハールの向かいに黒大理石の宮殿を建てようとしていたそうです。
しかし、タージマハル建設のための莫大な浪費を理由とし、息子によって幽閉されてしまいました。

もし、白亜のタージマハルの向かいに、黒の宮殿があったとしたらそれはとても美しい光景だったと思います。

タージマハルを間近に見て

さて、門を抜け、実際にタージマハルの目にするとその美しさに目を奪われました。
私は「世界一美しい建築物だ」と今でも思っています。

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正確無比なシンメトリー(左右対称)で、真っ白なその美しさは言葉で表現できません。
思わず見とれてしまいました。
水面に映る逆さタージマハルも美しいです。

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もちろんタージマハルは人気の観光スポットですので、多くの観光客が訪れています。
世界各国の人たちが訪れていました。
この美しい建物はやはり見る価値がにあります。

近づくとその大きさにも驚かされます。

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この丸屋根の上部までは58mもあるそうです。

今思い返してみても、このような美しい建物を間近で見られたことは、私の人生の宝ともいえます。
バックパッカーになってよかったと思います。
まさに旅の醍醐味の一つですね。

タージマハルは本当に美しい建物なので、ぜひ訪れてみてください。

タージマハルの川沿い

このタージマハルは川沿いに立っているので、川の光景も眺められます。

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私は川の眺めが好きなので、落ち着きます。

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この辺りは人が多くなく、のんびりとした気分になれました。

このようにタージマハルは本当に美しい建物です。
タージマハルのあるアーグラーはデリーからのアクセスもよいので、ぜひ訪れてみてください。
本当に一生に一回は見る価値がありますよ。

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インド旅行記 ジャイサルメール(ゴールデンシティ)

インド北部ラジャスタン州にある湖の町ウダイプルで観光した後、ジャイサルメールに移動しました。
ジャイサルメールは、タール砂漠の中央に位置するオアシス都市です。
かつてはインドと中央アジアを結ぶ交易路として栄えたと都市です。

現在のジャイサルメールは、当時の貴族の豪華な邸宅「ハヴェーリー」が数多く残っており観光地となっています。
黄色い砂岩で作られた、その町並みはゴールデンシティとも呼ばれています。
そして、ラクダに乗っての砂漠を訪れるキャメルサファリの拠点でもあります。

また、2013年「ラジャスタンの丘陵城砦群」の一部として、ジャイサルメールのランドマークでもあるジャイサルメール城砦も世界遺産に登録されました。
私が訪れたのは2001年だったので世界遺産に登録される前でしたが、多くの観光客が訪れていました。

ジャイサルメールの町

ジャイサルメールはインドの北西部ラジャスタン州、パキスタンとの国境近くにある町です。

ウダイプルから夜行バスに乗り、翌朝ジャイサルメールにつきました。
そして、まずは宿探しをしました。

ジャイサルメールの宿は、キャメルサファリの勧誘をメインとしている宿が多くあります。
キャメルサファリはそれなりの金額がするので、宿は宿泊費よりもキャメルサファリの勧誘による収入を期待しているわけです。
そのため、ジャイサルメールの宿はあまりいい感じではないことが多いです。

私が泊まった宿も、宿代時代は安かったのですが、キャメルサファリが前提でした。
どうせキャメルサファリに行くつもりだったので泊まりましたが、キャメルサファリの勧誘がしつこく、なれなれしく、感じがいい宿ではなかったです。

美しいジャイサルメールの町

宿が決まり、すぐに観光に出ました。
宿はいまいちでしたが、ジャイサルメールの町自体はとてもよかったです。

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城塞の上から眺めると美しい街並みが広がっていました。

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ゴールデンシティという名にふさわしい、美しい光景でした。

ハーヴェリ

かつて貴族や富豪商人たちがこぞって建てた「ハヴェーリー」と呼ばれる豪華な邸宅がいくつも残っています。
一つ一つがとても美しく、繊細な造形がなされた建物です。

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これらは12世紀から15世紀に建てられたそうです。

そして、現在でもこれらのハーヴェリ―(邸宅)には、人が住んでたりします。
たまたま、通りすがったハーヴェリ―に住んでるおじさんが、見て行けということでハーヴェリ―の中に入れてくれました。
宿の従業員など、観光客相手の人はかなりたちが悪いといえますが、町中で出会う人々はとてもいい人たちでした。

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ハーヴェリ―の中から見ると、その柱など細かなところに施された精緻な造形の美しさがよくわかりました。

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当たり前ですが、日本では見ることができない光景です。
インドの、しかもジャイサルメールだからこその美しい街並みを見ることができました。

ジャイサルメールの宿はキャメルサファリへの勧誘が激しく、外国人を金づると思っている人が多いので、この街を嫌いな旅行者も多いです。
しかし、町中の人たちはやさしく、親切な人たちが多かったで私としては言ってよかった町です。
とはいえ、宿の人たちは感じ悪いので注意が必要ですが。。。

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そして、感じ悪い宿で手配したキャメルサファリへと向かいます。

キャメルサファリの様子はこちら

ネパール旅行記 ブッダ生誕の地ルンビニ

ヒマラヤを望む町ポカラで数日過ごした後、ルンビニに移動しました。

ルンビニはブッダ(釈迦)の生誕地であり、仏教の四大聖地の一つです。
また、世界遺産にも登録されています。

なお、四大聖地とは以下の4つです。

  • ルンビニ:ブッダ生誕の地
  • ブッダガヤ:ブッダが悟りを開いた地
  • サールナート:ブッダが最初に説法した地
  • クシナガル:ブッダ入滅の地

このうちルンビニだけがネパールにあり、その他の3つはインドにあります。

聖地ルンビニ

ルンビニはインド国境近くに位置しています。

ルンビニは世界遺産になっていますが、観光地という感じではなく、まさに仏教の聖地という感じの町です。

平和の灯があります。
24時間その日を絶やさないそうです。

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この平和の灯から真っすぐ運河が伸びています。

ルンビニは仏教の聖地、それも生誕の地であるので、この運河沿いに各国のお寺があります。
タイ寺、韓国寺、中国寺、ミャンマー寺、タイ寺、ベトナム寺、ドイツ寺などなど。

もちろん、その中には日本のお寺もあります。
日本山妙法寺です。

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真っ白なストゥーパが立っていて、目立ってました。

ルンビニの各国のお寺は広大な範囲にわたっているので、いろいろ見るのはけっこうたいへんです。
ですが、各国のお寺は特徴があるので見てみるのもよいと思います。

なお、各お寺に泊めてもらうことができます。
基本的には無料ですがいくばくかの寄付を行います。

私の場合はネパール寺の巡礼宿に泊まりました。
バックパッカーにとってはおなじみのドミトリーでした。

ルンビニの町自体は何もないといえば何もありません。
でも、いろいろな国のお寺を一度に見れたり、お寺に泊まったりと他の血ではできない経験もできます。

正直、すごく楽しかったという場所ではないのですが、一生のうちに一回入っておいてよかったなと思いました。
このルンビニの後、西の端にある国境マヘンドラナガルへ向かいます。

マヘンドラナガルからインド入国についてはこちら

ネパール旅行記 カトマンズのスワヤンブナート

ネパールの首都カトマンズ。
カトマンズの中で人気の観光スポットがスワヤンブナートです。
別名モンキーテンプルとも言われています。

カトマンズは2015年4月に大地震があり、多くの犠牲者と被害が発生しました。復興を願います。
※このブログは2001年当時の様子を記載してものです。

スワヤンブナートとは?

スワヤンブナートは、カトマンズの中心地から3kmくらいの小高い丘の上にある仏教寺院です。
ネパール最古の仏教寺院です。

世界遺産「カトマンズ渓谷」の一部となっています。

丘の400段弱という石段を上ると登ると大きな仏塔が待っています。

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高さ15mほどの仏塔には大きな目、仏陀の知恵の目が描かれています。
ネパール最大の仏塔があるボダナートと同様です。

その仏塔の先端からは、四方八方へ伸びる紐に5色の鮮やかな旗がはためいています。
タルチョと呼ばれ、チベット仏教でよくみられるものです。
経文が書かれていたりします。

多くのチベット系仏教徒が訪れています。
その敬虔な姿には、敬意を覚えました

モンキーテンプル

スワヤンブナート寺院は別名モンキーテンプルと呼ばれています。
その名の通りサルが多く住みついています。

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ちょっと分かりにくかもしれませんが、上の写真では猿が歩いています。
寺院では猿も信仰の対象となっています。
そのためスワヤンブナートには猿が多く住みついており、モンキーテンプルとも呼ばれるわけです。

けっこうな数の猿がうじゃうじゃいます。
猿は信仰の対象ともなっているのです。

猿には気をつけましょう

ですが、この猿たちはけっこうたちが悪いです。
食べ物とかを盗られたりするので気をつけましょう。

実はチベットのラサからヒマラヤを越えてネパールに入った仲間が、この寺院に住みついている猿に噛まれました。

猿にかまれても狂犬病の可能性があるため、その仲間は病院に行ってワクチンを打ってもらいました。
4週間に5回接種する必要があるそうで、旅行の日程を大幅に変更せざるを得なくなってしまいました。
動物にかまれるとけっこうたいへんなので、海外では動物に注意しましょう。

「狂犬病」は実は犬だけではないので注意してください。

とはいえ、発症前に期間があります。
そして、狂犬病ウイルスは石鹸で手を洗えば死滅するし、空気中でもすぐに死滅するほど弱いウイルスだそうです。

書いていて誤解されるのではないかと心配になりましたが、ネパールが特別に狂犬病の危ない国と言うわけではありません。
どの国でも危険性はあるという話なので、先進国も含めて動物にかまれるということには気をつけたほうがよいというだけです。
ただ、あまり警戒しすぎて、せっかくの体験を見逃すことのほうがもったいないので、変に気にしすぎないでください。

カトマンズは新しい文化圏であり、楽しかったです。
次はヒンズー教の文化について書きたいと思います。

ダクシンカリ(カーリー寺院)についてはこちら

ネパール旅行記 首都カトマンズとボダナート

チベットからヒマラヤを越えて、ユーラシア大陸横断横断旅行3ヶ国目のネパールにやってきました。

ヒマラヤ越えの様子はこちら

初日は国境近くのタトパニ(温泉)に泊まり、ヒマラヤ越え4泊5日の疲れをいやしました。
そして翌日はに首都カトマンズを目指しました。

カトマンズは2015年4月に大地震があり、多くの犠牲者と被害が発生しました。復興を願います。
※このブログは2001年当時の様子を記載してものです。

タメル地区

カトマンズについて、まずはタメル地区に来ました。

タメル地区は、カトマンズでバックパッカー、旅行客が集まる場所です。
バンコクのカオサンロードと同じように、安宿やバックパッカーや観光客向けの店が集まっています。
ネパールは物価が安いので数百円(の前半)で宿が探せます。

ヒマラヤ越えのメンバー5人で宿を探し、安宿を確保しました。
そこにはチベットのラサで同じヤクホテルに泊まり、ヒマワリの種早食い大会を行ったバックパッカー仲間で先にネパールに向かった人が数人泊まっていました。
久々の再開を喜びました。
このような出会いと別れと再会を繰り返すのが、バックパッカー旅行の醍醐味ともいえます。

カトマンズの日本食

カトマンズには、実は日本食レストランがいくつかあります。
その日本食のレベルが高いのです。
バックパッカーの中ではカトマンズで日本食を食べる、というのはメジャーな話です。

しかも、日本食が手軽な料金で食べられます。(ネパールの地元料理に比べると割高ですが)
そのため、日本食に飢えているバックパッカーの中には、長期滞在する人も多いです。

2001年当時、有名だったのは「味のシルクロード」(味シル)という店でした。(今ではなくなったそうです)
カトマンズ初日、ヒマラヤ越えメンバーでメジャーどころに行こうということで味シルに行きました。

味シルでは、NHKも放送していましたし、日本語の新聞までありました。
それだけでも感動ものでした。
そして、私は大好きなカツ丼を食べたのですが、そのクオリティの高さにびっくりしました。
他のみんなも思い思いの料理を頼み食べてました。
みんな感激してました。
やはり数か月日本食から離れていると、日本食の美味しさが身にしみますね。

味シル以外にもいろいろと日本食屋があり、カツ丼の食べ比べをしました。
当時は、下町食堂というところのカツ丼が個人的には一押しでした。

ボダナートのストゥーパ(仏塔)

2日目にカトマンズ観光をしました。
まずはネパール最大のチベット仏教のストゥーパ(仏塔)がある、ボダナートに行きました。
「カトマンズの渓谷」の一部として世界遺産にも登録されています。

観光客も多く訪れますが、ネパールに住むチベット人の参拝者も多くいました。

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仏塔には目が描かれています。
この目は仏陀知恵の目です。
チベットのギャンツエで見たパンコル・チョーデと同じ様式です。

同じ様式とはいえ、やはり雰囲気はチベットとは違っていました。
ネパールという違う文化圏に来たなーという感じでした。

カトマンズには10日ほどいたので、その他の観光スポットについても次回書いていきます。

スワヤンブナート(モンキーテンプル)についてはこちら

ダクシンカリ(カーリー寺院)の生贄についてはこちら

中国・チベット旅行記 ラサの世界遺産ポタラ宮

チベットのラサについて数日間は、ラサの町をブラブラ観光したりして過ごしました。

ラサの中心部の見所にはジョカンと呼ばれるトゥルナン寺があり、敬虔な人たちが五体投地で祈りをささげている姿を見ることができます。
また寺院の周りだけでなく普通の町中でも、マニ車という仏具を回していたり、数珠を繰っているチベット人たちを見かけ、チベットに来たなと実感できます。
中心地だけあり観光客も多くいます。

そんなラサの町の中で、ひときわ存在感があるのがポタラ宮です。

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この写真は泊まっていたヤクホテルの屋上からとったものです。
小高い丘の上に巨大な建物が建っています。

ポタラ宮とは?

「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」として世界遺産にも登録されています。

ポタラ宮は、17世紀にダライ・ラマ5世がマルポリの丘の上に建てた13階建ての巨大な宮殿です。
※もともと7世紀にチベットを統一した吐蕃が建てた宮殿跡をダライ・ラマ5世が増改築したそうです。
標高3700mのところにこれだけの巨大な建築物があることは驚きです。
ポタラ宮はチベット仏教、ダライ・ラマ政権の中心的な役割を果たしてました。

ラサの象徴ともいえる宮殿です。

しかし、現在のポタラ宮はダライ・ラマ14世が亡命した後、中国政府が接収して博物館化しています。

いざポタラ宮観光へ

いよいよポタラ宮観光です。

ポタラ宮はラサの町中にありますので、ホテルからも簡単にアクセスできます。
間近で見るとその大きさに圧倒されます。

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※ポタラ宮近くで撮った写真がなかったのでWikipediaよりお借りしました。

ポタラ宮は白と赤の部分に分かれています。
白い部分を白宮(はくきゅう)、赤い部分を紅宮(こうきゅう)と言います。
白宮はダライ・ラマの生活と政治の場、紅宮は宗教儀式を行う場となっているそうです。

ポタラ宮はラサのメイン観光スポットともいえる場所ですので、多くの観光客が来ていました。
とはいえ、私が訪れた2001年当時はまだ青蔵鉄道がなく、中国人観光客も少なく、現在と比べればましだったようです。
現在では鉄道もでき観光客も増えていて、一日の人数制限があり特に夏場はとても混むそうです。

ポタラ宮の中へ

さて、いよいよポタラ宮の中へ入ります。
しかし、入る前に階段を上っていかなければなりません。
標高3600m以上のところで、300段くらいある階段を上るのはけっこうたいへんです。
私は高山病とは無縁だったので大丈夫でしたが、体が慣れていない人は気を付けたほうがよいでしょう。

階段を登り終えていよいよ内部です。
内部では写真撮影禁止で写真を撮れなかったのですが、数多くの仏像やストゥーパ、壁画や装飾品がありました。
さすがチベット仏教の中心地という感じでした。

ポタラ宮の屋上に上ることもでき、ラサの町が一望できました。
ポタラ宮は本当にデカかったです。

夕暮れのポタラ宮

ラサにいる間、暇なときにホテルの屋上からポタラ宮やラサの街並みをよく眺めていました。
夕暮れ時のポタラ宮もいいかんじでした。

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ラサ最大の観光スポットともいえるポタラ宮。
その存在感はやはりすごかったです。
でも、ラサ、チベットの良さはポタラ宮だけではありません。

その他の場所もまたご紹介します。

ラサの町の様子についてはこちら

曼陀羅の村サムイエの様子はこちら

中国旅行記 大同 世界遺産雲崗石窟と懸空寺

ユーラシア大陸横断の2ヶ国目中国。
北京で数日過ごした後、大同に行くことにしました。

大同世界遺産にも登録されている中国三大石窟の一つ、雲崗石窟があります。
※三大石窟の残り二つは洛陽の龍門石窟と敦煌の莫高窟です。

そして断崖絶壁に建てられた懸空寺もあり、実は有名な観光スポットが複数ある町です。

大同の場所

大同は北京の西300kmくらいのところにある山西省の町です。

北京からは列車で7時間くらいでした。

列車の席には、硬座(座席)、硬臥(2等寝台)、軟臥(1等寝台)という種類があります。
私は最も安い硬座でいきました。
それも宿代を浮かせる狙いもあり、夜行列車での移動でした。

中国はとても広いので、10時間や20時間の移動などは普通です。
10時間だと近いな、と感じるくらいだったので7時間程度の移動は硬座で何の問題もありませんでした。

大同に到着

大同には早朝に到着しました。
7時間程度の移動なので、あまり眠れませんでした。

新しい宿に着いたらまずは宿確保です。
日本を出発するときから、大同にはいくつもりだったのであらかじめ安宿である北岳賓館に向かいました。
もともとの情報ではドミトリーがあると聞いていたのですが、いってみるとドミはないといわれてしまいました。
疲れていたこともあり、また安いこともあったのでツインに1人で泊まることにしました。
この北岳賓館の従業員の女の子たちは、とても愛想がよくていい感じの子が多かったです。

その日は疲れていたこともあり、いったん寝ました。

その後、町中をぶらぶらとしました。
大同は内蒙古自治区などの少数民族の地域に近いので、モンゴル人やウイグル人などもいてけっこういい感じでした。

そして、夜ツインの部屋で1人眠りについた翌朝。
突然、部屋の電話が鳴りました。
戸惑いながら、受話器を取り、片言の中国語で聞いてみると日本人の友達が来てるとのこと。

何のことかと思い、フロントに降りてみると北京の宿で一緒だった日本人2人がいました。
北京を出発する際に、その2人は「もしかしたら大同に行くかも」と言っていたのですが、まさか翌日に来るとは思っていなかったのでびっくりしました。

しかし、おかげで4人部屋を3人でシェアすることができました。
ツインに1人で泊まるより安くついたのでよかったです。

さらにその後、日本人2人と出会うことになりました。

世界遺産雲崗石窟と懸空寺 観光

私も含めた日本人5人で大同のメイン観光スポットである世界遺産雲崗石窟と懸空寺に行くことにしました。

懸空寺

ますは懸空寺に行くことになりました。
懸空寺は大同しないから南東に60kmくらいのところにある寺院です。
5人いるので車をチャーターしてみようということになりました。
みんなバックパッカーなので、運転手と交渉し、かなり値切り安くいけました。

懸空寺は仏教、道教と儒教の三つを一体化した独特の宗教の寺院です。
断崖絶壁に建てられた文字通り空に懸かる寺です。

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写真ではちょっと遠いのでわかりにくいかもしれませんが、断崖絶壁に建っています。
懸空寺は地上60メートルにあり、最も高いところは地上90メートルにもなるそうです。
どうやって建てたのか不思議です。

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みんなテンションが上がり、楽しめました。

世界遺産雲崗石窟

懸空寺を楽しんだ後は世界遺産の雲崗石窟に行きました。
雲崗石窟は大同の町から西へ20kmほどです。
車は1日チャーターだったので、そのまま移動しました。

雲崗石窟は5世紀に作られたものだそうです。
洞窟は53窟があり、石像は5万1000体もあるそうです。

その中で最大の石仏がこちらです。

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大きいだけでなく、やさしい表情が印象的です。
昔のテレビドラマ「西遊記」のエンディングテーマ「ガンダーラ」が流れてきました。
世界遺産に登録されているだけあり、行ってよかったと思いました。
大同は日本からは行きにくいかもしれませんが、仏教遺跡好きなら行ってみたらよいと思います。

このとき雲崗石窟を訪れたことで、三大石窟すべてを制覇することができました。(洛陽の龍門石窟の様子はこちら

大同観光を終え、この後北京に戻りました。

北京で京劇を見た時の様子はこちら

韓国旅行記 首都ソウルと水原(スウォン)

2001年に出発したユーラシア大陸横断の1ヶ国目韓国。

まず下関から船で釜山に入り、その後、古都慶州(キョンジュ)を観光し、最後に首都ソウルにやってきました。

慶州(キョンジュ)からはバスで4時間ほどでした。
※時間をかけたくない人は高速鉄道だと2時間ほどです。

首都ソウルの場所

韓国の首都といえば、誰でも知っていると思いますがソウルですね。
ソウルは韓国のほぼ最北端に位置しています。

北朝鮮がすぐそこですね。

ソウルの日本人宿

実は2001年にユーラシア大陸横断を始める前年にもソウルに訪れたことがありました。
その時に訪れた有名な日本人宿であるゲストハウス、大元旅館(テウォン旅館)に再度泊まることにしました。

大元旅館(テウォン旅館)にはドミトリーがあります。
ドミトリーとは、言わば相部屋のことです。
一つの部屋に複数のベッドがあって、そのベッドを借りる形です。
ですので、シングルの部屋を撮るよりも格段に安い価格で止まることができます。

当然、全然知らない人と同じ部屋で寝るわけです。
でも、安いということとともに、知らない人と知り合えるというメリットがあるわけです。
バックパッカーは安さと出会いを求めていることが多いので、ドミトリーが好きな人も多いです。

私もドミトリーが好きでした。
いろんな人と出会え、友達になり、場合によっては一緒に旅する仲間と出会える場所でもあるからです。
ユーラシア大陸横断していた1年半の間、基本的にはドミトリーに泊まっていました。

大元旅館(テウォン旅館)

慶州(キョンジュ)からバスで4時間当直後にすぐに大元旅館(テウォン旅館)に移動しました。
そして、部屋が空いてるかと聞いたところ、なんと満室!
夏休みだから仕方ないとはいえ、ちょっとなめてました。

どうしようかと困っていると、宿の経営者であるおじさんとおばさんが「私たちの部屋でよければ泊まれるよ」とまさかの申し出。
経営者夫婦の部屋で、添い寝する形で泊めてもらうことができました。
ありがたいものです。

とはいえ、翌朝にはドミトリーのベッドが空いたので、2日目からは添い寝は回避できました。

大元旅館(テウォン旅館)は日本人が多い宿で、私が泊まったときにも学生、社会人旅行者、バックパッカーと10人くらいの日本人が止まっていました。
外国に来てまで、なんで日本人のいるところに行くのか?と疑問に思うかもしれませんが、海外を旅しているとたまに日本人と一緒にいたくなるものです。
言葉も通じて楽ですし、リラックスした気分にもなれるんです。
とはいえ、韓国に入って数日でいきなり日本人宿に行くのもどうかと思いますが、日本人バックパッカーとの出会いもけっこう楽しいものなのです。

この時の滞在でも、学生バックパッカーや、元自衛隊の人、塾の経営者、普通のOLさんなどいろいろな人に会うことができました。

また、日本人だけではなく外国人バックパッカーも少数ですが泊まっていました。
イスラエル人やカナダ人と酒を飲んだり、話をしたりして楽しかったですね。

今でも楽しい思い出です。

韓国料理

韓国といえば、韓国料理。
私にとっては、食事の美味しさでは日本以外では、3本の指に入る国です。
(残り2つは中国とスペインです)

私が一番好きなのは、牛の骨付きカルビを煮込んだスープ、カルビタンです。
それ以外にも、いわゆる焼肉、サムギョプサル、ダッカルビなど、おいしいものがたくさんあります。

そんな韓国で食事するときも、宿の人たちと行けば、いろいろとシェアできるので良いです。
やはり食事を大勢でするのは楽しいですね。

おすすめの韓国料理については別で書いてみたいと思います。

水原(スウォン)への日帰り観光

ソウルには、景福宮(キョンボックン)やソウルタワー、あるいは南大門や東大門などの観光スポットがありますが、以前来た時にすでに訪れていました。

ですので、改めての観光としてソウルの少し南に位置する水原(スウォン)にいきました。
ソウルからは1時間ほどの距離なので、日帰り旅行ができます。

水原(スウォン)には、世界遺産に登録されている「華城」があります。

水原華城 観光

李氏朝鮮王朝末期、18世紀末に建てられた城郭です。

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周りには緑があってきれいな景色が広がっています。

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城壁の長さは5km以上あります。

城郭と、その要所要所に門、砲台、やぐら、兵士の休憩所、軍事指揮所、訓練所などが東西南北に整然と建てられています。

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建物の細部も精細なものです。

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水原(スウォン)はこのような歴史的建造物があり、ソウルからも近いのでぜひ行ってみてください。

あまりソウルのことを書けませんでしたが、ソウルにも観光地はたくさんありますし、料理もおいしいのですきですね。
カジノもあるので、カジノ好きにもよいのではないでしょうか。

そんな韓国を離れ、次に中国を目指します。

仁川から天津行の船の様子はこちら

韓国旅行記 古都慶州(キョンジュ)観光

ユーラシア大陸横断の旅の出発地点である釜山を早々に離れて、慶州(キョンジュ)に移動することにしました。

慶州は古代には新羅王朝の首都だった古都です。
文化遺産も多く、世界遺産に登録されている観光スポットもいくつかあります。

慶州(キョンジュ)の場所

慶州(キョンジュ)は釜山の北に位置しています。

釜山からは、バスでわずか2時間ほどです。
なので、釜山から日帰り旅行も可能です。

ソウルからだとバスで4時間ほどですが、高速鉄道だとわずか2時間ほどです。

私は釜山→慶州→ソウルと移動する予定だったので、慶州(キョンジュ)に泊まって観光することにしました。

慶州(キョンジュ)の町

先ほども書きましたが慶州(キョンジュ)は、紀元前1世紀から10世紀に栄えた新羅王朝の首都として栄えていた町です。
新羅王朝時代の古墳や仏教関連の遺跡などが多数あります。
「屋根のない博物館」とも呼ばれているそうです。

また、「慶州歴史地域」は世界遺産にも登録されています。

けっこう広い範囲に点在しているのですが、がんばって歩いて観光しました。
こんもりとした小さな丘のような古墳がたくさんあって、けっこうおもしろかったです。

なぜか写真を撮っていなかったらしく、写真を掲載できないのが残念です。

世界遺産 石窟庵と仏国寺を観光

「石窟庵と仏国寺」は、韓国で最初に登録された世界遺産です。
どちらも8世紀ごろに建てられたそうです。

私ももちろん観光に行きました。

仏国寺

私は先に仏国寺を訪れました。
仏国寺は慶州の町からバスで1時間程度、吐含山にあります。

仏国寺は仏の世界を現世に再現することを目的として建設されたと言われています。
新羅全盛時代の最高傑作とも言われているそうです。

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こちらの写真は仏国寺三重石塔(釈迦塔)です。
観光客も大勢訪れていました。

仏国寺はかなり広い範囲に、様々な建物や仏像があります。

石窟庵

仏国寺を観光し終わった後、石窟庵に移動することにしました。

石窟庵は仏国寺からさらに山の上にあります。
登山路もあるため歩いていくこともできるのですが、けっこうたいへんそうなのでバスにしました。

石窟庵のバス停に到着しましたが、そこから石窟庵までは1kmくらい歩きます。

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夏だったので、緑が濃かったです。

石窟庵は仏国寺と同じ時期に建てられたそうです。
吐含山の中腹に人工の石窟を作り、高さ3.4mの本尊、釈迦如来座像が安置されてます。

なお、石窟庵は東向きに建てられているので、日の出の名所でもあるそうです。
私は日の出は見ませんでしたが。。。

帰りに関しては石窟庵から仏国寺まで歩いておりました。
下りは比較的楽でした。

そして、仏国寺から慶州の町へとバスで帰ったのでした。

慶州はのんびりした町で、遺跡や文化遺産も多いので観光もできる落ち着ける町でした。
結局私は2泊しました。

次は首都ソウルを目指します。

ソウルの様子はこちら

 

中国バックパッカー旅行記 古都洛陽の龍門石窟と関林堂

もともとの中国滞在期間を一週間延長し、北京から鉄道で12時間。
その時の様子はこちら

中国の古都、洛陽に到着しました。
「洛陽」という言葉は、中国歴史好きにはたまらない響きです。

私は三国志が好きだったことが中国に来る動機となったくらいの三国志好きでした。
三国志などの中国の歴史好きにはたまらない?洛陽の観光についてお伝えします。

洛陽の場所と歴史

洛陽は首都北京から南に800Kmくらいにある内陸にある町です。

洛陽は古代から、しばしば中国王都の首都となりました。

古くは東周(紀元前1046年頃 – 紀元前256年)の時代に、洛邑と呼ばれる首都でした。
その後も、後漢や西晋、北魏、隋、後唐の首都となっています。
歴代の中国王朝の首都としては、長安(今の西安)と並ぶ存在です。

そんな洛陽に三国志好きだった私は、1995年初めてのバックパッカー旅行中に訪れました。

洛陽を訪れてみると、北京に比べるとだいぶのんびりした町でした。
宿は新市街だったのですが、旧市街にいくと古風な町並みがみれました。
1995年当時、人民服の人も北京より多かったかなと思います。

龍門石窟 観光

洛陽の最大の見所、観光地は世界遺産にもなっている龍門石窟です。
中国三大石窟のひとつであり、世界遺産にも登録されています。

ちなみにもう二つは、敦煌の莫高窟と大同の雲崗石窟です。
このときの旅行ではありませんが、私は三つとも訪れました。
三大○○といわれるとなんか気になってしまいますよね。

龍門石窟は北魏の時代から唐の時代まで約400年にわたって作られた仏教遺跡です。
伊河という川の岸にある壁に蜂の巣のような穴がに彫られ、その中に無数の仏像が彫られています。

仏像を近くから見るのもよいのですが、対岸からの眺めもすばらしいです。
蜂の巣のような無数の穴が開いた壁が一望できます。

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この穴の一つひとつには仏像が彫られているんです。
その数は全部で10万体とも言われています。

小さな仏像が多いのですが、17mもある大仏もあります。

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この大仏はとても大きくて迫力があるのですが、優しい顔をしており、親しみやすい感じでもあります。
龍門石窟には大小さまざまな仏像がありますが、非常に美しいものが多いです。

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ここまでの穴を掘って仏像を彫るのにはどれだけの人がかかわったのでしょう。
昔の人のすごさと、中国の歴史を感じられます。

滞在を延ばしてまで行ってよかったと思います。

関林堂(関帝廟)観光

洛陽は古都だけあって、そのほかにもいろいろと見所、観光スポットがあります。

その中でも三国志好きにとって、関心が高いのがのが関林堂(関帝廟)
三国志の武将、関羽の首塚として、関羽を祀る関帝廟です。

関羽といえば、三国志演義では青龍偃月刀を振りかざす豪傑というわけで、この関林堂にもあったりします。
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いちおう触ってみましたが、めちゃくちゃ重くて持ち上げることはできませんでした。
もちろん実際の関羽が使ったものではありませんよ。

三国志が好きな人にはたまらない観光スポットではないでしょうか。
私は関羽が嫌いなのですが三国志は好きなので、三国志ゆかりの地に足を踏み入れるのは感慨深いものがありました。

ぜひ、歴史ある洛陽も訪れてみてください。

嵩山少林寺についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京の世界遺産「頤和園」

北京はさすがに中国の首都だけあって、市内だけで6つの世界遺産があります。
故宮(紫禁城)万里の長城が有名で、観光スポットとしても人気がありますね。

それに比べると知名度は落ちるかもしれませんが、北京にある庭園「頤和園」(いわえん)も世界遺産に登録されています。
個人的には頤和園はとても好きな観光ポイントです。
何度か北京を訪れていますが、だいたい頤和園を訪れています。

頤和園の場所

頤和園は市街地から北西に10Kmくらい離れた場所にある、庭園です。

今は地下鉄で簡単に行けます。

しかし、私が訪れた1995年当時は北京に地下鉄はありませんでした。
バックパッカーとしてのこだわりもあったのでタクシーに乗るという選択肢はなく、バスを乗り継いで移動しました。

当時の北京のバスは排気ガスまきちらしながら走ってました。
当時の北京の様子はこちら

バスの中にいても排気ガスの煤が入ってきます。
しかも、頤和園に行く際、2両連結バスの連結部近くに座ってしまったため煤だらけになってしまいました。

ただ、その小汚さが功を奏したのか、頤和園でも外国人料金を払うことなく、中国人料金で入場できました。
外国人料金の詳細についてはこちら

頤和園の概要

頤和園は、かなり広大な庭園です。3㎢くらいあります。

その3/4の広さを占めるのが人工の湖「昆明湖」です。
外周6kmもあります。

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※1995年夏に訪れたときの写真です。

昆明湖は清朝の乾隆帝が母親のために、杭州の西湖を模して創られました。
そして、湖を掘ったときの土で昆明湖の北側に万寿山(高さ60m)を作り、その上には仏香閣があります。

外周6kmもある湖を作って、山まで作ってしまうのですから、中国皇帝の権力のすごさを感じます。

ちなみに後の時代、西太后が改修を命じ莫大な費用が掛かってしまったために海軍費が削られて、日清戦争に負けたとも言われています。
実際にいってこの広大な庭園の規模を見ると、それくらいの費用は掛かるかも、と感じます。

なお、頤和園は避暑地として使われました。
そのため、英語名では「Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing」です。

冬の頤和園を観光

頤和園はとても美しい庭園です。
私が初めて訪れた2月は靄が立ち込め、とても幻想的に見えました。
夏の緑が美しい季節もよいですが、冬の幻想的な風景もとても好きです。
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頤和園の大きさ、幻想的な雰囲気を楽しみながら昆明湖を一周しました。
外周6kmもあるので、ちょこちょこと建物などを見ながらだと2時間はかかります。

昆明湖には南湖島というちょっとした島があり、そこには白く美しい橋が架かっています。
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橋の上からの光景も幻想的でした

なお2月の北京はかなり寒かったので、湖の多くの部分が凍ってました。
恐る恐る乗ってみたのですが、氷がかなり厚かったので全然平気でした。
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これも夏では経験できないですね。
※自己責任でお願いします。

あと、夏だと昆明湖には観光用のボートがいくつも浮かんでいますが、凍っているのでボートは全然いません。
そのままの昆明湖を見られるのも冬の頤和園のいいところです。
夏に来た時は水澄ましのようなボートがたくさん出ていて、ちょっと景観を損ねた感じに思えましたので、個人的には冬がおススメです。

グルっと昆明湖を一周した後、昆明湖の北側に位置する長廊という、728mもある屋根付き通路を見学します。
色鮮やかな絵が描かれています。
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三国志の絵もあり、三国志好きで中国に来た私にはたまりませんでした。

その後、万寿山にある仏香閣に登りました。
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上から見る頤和園もとても幻想的で美しかったです。
頤和園と昆明湖の広さを改めて感じられます。

頤和園は北京に行くたびに行くお気に入りポイントです。
北京に行くのであれば、ぜひ行ってみてください。

北京動物園観光

なお、頤和園に行く途中に北京動物園があります。
北京動物園のメインの見どころといえば、もちろんパンダです。

1995年当時、中心地から頤和園に行くバスは北京動物園近くで、乗り換えが必要でした。
それほどパンダ好きではなかったのですが、せっかくなので頤和園の帰りに動物園にもよってみました。

なお、北京動物園のパンダは薄ら汚れていて、白い部分が黄色くなっていて、小汚かったですね。
とはいえ、せっかくですので寄ってみてはいかがでしょうか。

万里の長城についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 万里の長城-八達嶺-

北京中心地の最大の観光地・みどころといえば故宮(紫禁城)でしょう。
そして、北京近郊の最大の観光地・みどころといったら世界遺産の万里の長城ではないでしょうか。

当然とも言えますが、万里の長城は世界遺産に登録されています。

外敵から守るため秦の始皇帝が作ったと言われており、始皇帝が作ったイメージが強いと思います。
しかし、現在の万里の長城の大部分は明代にできたそうです。
(始皇帝の時代は、粘土質の土を固めた簡素なものです。)

なお、万里の長城は山海関から嘉峪関まで3000kmにわたる城壁です。
考えられないような長さですね。

八達嶺

その万里の長城の中でも観光しやすく有名なのが、北京から行ける八達嶺です。
1995年当時も地元民向けの、北京市内からの明の十三陵と組み合わせたバスツアーも多かったです。

私の場合は、船で知り合った旅人たちと一緒に鉄道で行ってみることにしました。
1995年当時は観光用の鉄道などなく、普通のローカル線で八達嶺近く青竜橋までいけました。

ただ、夜明け前に起きて、駅に行くひつようがありました。
当時のメインの駅である北京站ではなく、今はもうなくなった別の小さな駅からでした。

その駅に行ってみると、メインの路線ではないためチケットも比較的すんなり買えました。
※当時の中国の鉄道は、チケットを買うのがとても困難としてバックパッカーには有名でした。

ローカル路線だったため、そこまで混むこともなく余裕を持った鉄道旅行でした。
そして2時間ほどで青竜橋に到着。
そこから30分くらい歩いて、八達嶺の万里の長城に到着です。

万里の長城を観光

峻険な山々が連なっており、そこに万里の長城が延々と続いています。
さすがに観光地だけあって、土産物屋がたくさんあり呼び込みを受けるけど無視して進みました。

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とはいえ、当時はそこまで観光客は多くなかったです。
呼び込みといってもかわいいもんでしたが、今はもっとすごくなっているかもしれませんね。
そして当時はロープウェイはなかったので、すべて歩きでした。

万里の長城を歩いて上る

そして、長城の上に上り、その上を歩いていきます。
1995年当時はロープウェイもなく、すべて歩いて登りました。
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けっこうな急勾配のポイントもあり、体力がいります。
2月で寒かったですが、体はあったまります。

疲れはしますが、やはりこの歴史的建造物の上を歩いていることと、上の上ることでさらなる光景を見られるので、足を進めてしまいます。
長城を登っていくと、山脈が拡がり、長城が連なる姿がよく見えます。
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今ではロープウェイがあるので、体力に自信がない人はロープウェイを使うのもよいでしょう。

私が行ったときは2月ということもあり、全体的に曇っていたので、色鮮やかではなかったですが、逆に荘厳な感じがよかったです。

この長城が数千キロ離れたところまで続きていると思うと、中国の大きさを改めて感じました。

中国の山々は、日本の山々とはやはり違う感じです。
広大な大陸を感じさせてくれました。
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そしてこの山々を延々と万里の長城が紡いでいっているのがすごいです。
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中国の山と日本の山のどちらがいいと競ううものではありません。
違うものなのだと感じることこそが、海外旅行の醍醐味です。

やはり世界最大の建築物である万里の長城は見ごたえがあるものです。
ぜひ一度、万里の長城を見てそのスケールの大きさを感じてみてください。

北京に行くなら、万里の長城、故宮(紫禁城)、頤和園には訪れてほしいですね。

頤和園についてはこちら

故宮(紫禁城)についてはこちら

中国バックパッカー旅行記 北京 故宮(紫禁城)と景山公園

北京観光地の一番の見所ともいえるのが故宮(紫禁城)です。

「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとして世界遺産にも登録されています

約100年前の清の時代、皇帝が住んでたところです。
映画などでも有名なラストエンペラー 愛新覚羅 溥儀も住んでたところですね。

一緒に行った旅仲間たちは「ラストエンペラーで見た光景だ!」と喜んでました。
実は私は映画を見てなかったのですが、そうでなくても十分見応えがあります。

故宮(紫禁城)の場所

故宮(紫禁城)は首都北京のまさに中心にあります。
天安門広場の北に位置しています。
というか、天安門が故宮(紫禁城)の南門になります。

故宮(紫禁城)は南北の長さ961m、東西の幅753mもありとても広いです。
一通り見るのに数時間かかります。

1995年当時の外国人料金

1995年当時の中国では外国人料金というものがありました。

外国人が観光地に入るときは、中国人の数倍の入場料が必要だったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中から先輩バックパッカーさんたちのお話を聞きしており、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。
外国人料金の詳細はこちら

故宮(紫禁城)の入場料も、外国人は中国人の数倍しました。
しかし、故宮は北京のメイン観光地ともいえることなので、チケット売り場でのチェックも厳しいと有名でした。
実際に私が行く前日に行った日本人バックパッカーたちは、日本人と見破られてしょうがなく外国人料金を払ったそうでした。
が、やはりそこは挑戦です。

中国人用の売り場の列に並んでいる時から、無愛想な表情にして一言もしゃべりませんでした。
そして自分の番が近づいてくるのですが、周りの中国人は横から、後ろから手を出してきて、我先に買おうとしてきます。
そんなのに負けないように、お札を窓口に押し込んで、指を一本立てながら「イーガ!」(1個)と言いました。
窓口の人は外国人かもと思ったのか、何か聞いてきましたが「あーん!?」とすっとぼけているとチケットを渡されました。

というわけで、無事中国人料金で入場することができました。
一緒に行った旅仲間でも見破られた人も多く、ラッキーでした。

ただ、チケットを購入しても油断できません。
入場の際に咎められるかもしれないので、そこでも言葉を発さずに通ることにしました。

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そして、無事入場の際も特に咎められることもなく入れました。

故宮(紫禁城)を観光

大きな赤い門を抜けていくと、大和殿が見えてきます。

大和殿

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皇帝の即位式なども行われた正殿です。
目の前は大きな広場となっており、真の時代は官吏たちがずらっと並んでいたところです。
いかにも中国って感じです。
大きいだけでなく、彫刻や文様などは細かく美しいです。

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昔のテレビ番組「西遊記」で、エンディングでガンダーラが流れているときにこのような映像があったような気がしたので、初めて訪れた場所なのになんか懐かしい感じでもありました。

太和殿以外にもたくさんの建物があります。
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故宮(紫禁城)は本当に広大で、中国だなー、としみじみ感じました。

西一長街

また、建物だけでなく、赤い壁の長い通路も見応えがあります。

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映画ラストエンペラーでもでてきたそうです。

御花園

故宮(紫禁城)の中にある庭園です。

堆秀山というちょっとした山の上に御景亭というのがあります。

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これも「西遊記」のエンディングで見た気がします。

故宮(紫禁城)は皇帝の力の大きさを感じますし、歴史を感じます。
やはり北京に行ったら、一度は行くべき場所ですね。

景山公園を観光

ただ、個人的には、故宮(紫禁城)を中から見るより景山公園から見るほうが好きです。

景山公園は故宮のすぐ北に位置しています。
人口の丘がある公園です。

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丘の上にある建物からは、故宮(紫禁城)を一望できます。
私はその光景が好きですね。

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絶対に訪れてほしいところです。

ちなみに景山公園では地元民の憩いの場になってます。
朝は太極拳とかダンスとかしている人たちが大勢います。

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日本では見られない光景ですね。

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そんな中国人の日常を見るのもちょっと楽しいです。
朝、天安門広場の国旗掲揚を見た後、景山公園に行ってみてはいかがでしょうか。

天安門広場の様子はこちら

中国バックパッカー旅行記 1995年の北京の様子

北京は現在の中国の首都ですが、明、清の時代の都でもあります。
歴史もあり、首都でもあるため非常に多くの観光スポット、見どころがあります。

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故宮(紫禁城)
景山公園
天安門
天安門広場
頤和園
・天壇
・北海公園
万里の長城
・明の十三陵
・北京動物園(というかパンダ)

などなど、ほんとに見どころ満載です。
それ以外でも、1995年当時は古い町並みなどもたくさん残っていました。
前門の南西の地域などがそうでしたね。
残念ながら再開発でなくなってしまった地域です。

当然これだけあると一日では見切れません。
なので、1週間かけて色々と見て回りました。
実際の観光地の情報の前に、当時の北京の観光状況を。

昔あった外国人料金

当時の中国では観光地の入場料に外国人料金というものがありました。
外国人は中国人の数倍の入場料が必要とだったのです。
重要な外貨獲得手段だったんでしょうね。

ただ、日本人は顔立ちが中国人と近いため、うまいことすれば中国人と間違えられ中国人料金で入れました。
船の中からバックパッカーさんたちのお話を聞き、バックパッカー魂?みたいなものが目覚めていて、なんとか中国人料金で入れるようにがんばりました。

まず、入場券を買う際は、
・小汚い格好をする
・堂々とする(不安な様子はばれやすい)
・あまり喋らない(「イーガ(一個)」くらいしか言わない。)
・聞き返されると「アーン!?」と偉そうに聞き返す
ということをすれば、だいたい大丈夫でした。

あと、横入りとかは普通なので、そういう人たちに負けないようにすることも重要でした。
当時の中国はマナー、という言葉がないような状態でしたので。(今はまだましになったかなと思います)
ちなみに入場券を売っている売り場の人間もサービス精神などというものはありません。
当時は一応、経済の開放政策が始まってはいたので、個人商店も増えてきていた状態ですが、観光地の従業員や、バスとか鉄道、国営の店などは、いわゆる共産国の公務員です。
無愛想、面倒くさそう、中国語がわからないと追い払われる、寝てる。
というような状態でした。
まあ、どんだけ頑張っても給料が変わらないのであれば、頑張らないですよね。

民営の食堂とかは元気があって呼び込みしていました。
そっちに入るようにしてました。
やっぱりそっちのほうがうまかったですね。

もしかすると北京で最初に食べた食堂は国営の食堂だったのかもしれません。
その後は行った食堂は、だいたいうまかったです。
100円くらいでこんなうまい物が食えるのか!と感動したものです。
中華料理についてはまた別途書こうと思います。

北京の環境問題

あと、現在の北京で大気汚染のことがよく言われていますね。
実際、北京の空気は汚いです。
ただ、私が初めて北京に行った1995年当時もけっこうなものでした。

特にバス。
当時のバスは基本ディーゼルだったのですが、まあ、規制とかもないので煤を出しまくりながら走ってました。
多くのバスは、2両を連結したものでした。
電車の連結部は見たことあると思いますが、連結部は下に空間があいています。
そこから煤が入り放題でした。
連結部近くにいると、一回バスに乗るだけで体が煤だらけ。
体を払うと、黒い煤が舞ったほどです。
その時にくらべると、ましなんじゃないかとも思いますが、実際のところはどうかはわかりません。

バスは激混みで、車掌とかは無愛想でしたが、なんか普通では体験できないことを体験できているような気がして、楽しかったですね。
そんな観光地以外のところでも、日本の常識とは全く違う世界だったことが、とても印象に残っています。
そして、別の国、別の文化に触れることが楽しい、と思ったことから、私のバックパッカー人生は始まったのです。
そんな経験を与えてくれた北京は今でも好きです。

北京のおすすめ観光地についてはこちら

ポーランド旅行記 アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所

第二次世界大戦中にナチス政権下のドイツが人類史上最大級の虐殺をおこした場所です。
誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。

私はバックパッカー時代から、戦争の惨劇や人間の愚かさ恐ろしさを感じるために、このような場所(広島の平和祈念資料館、カンボジアのキリングフィールド、ベトナムの戦争証跡博物館等)はなるべく訪れるようにしています。

アウシュビッツを訪れたのはユーラシア大陸横断中のバックパッカー時代、2002年のことです。

アウシュビッツの場所

アウシュビッツはドイツにあると思っている人もいるかもしれませんが、ポーランドの南部にあるオシフィエンチウム市にあります。

現在残っている施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」として無料で公開されています。
アウシュビッツを訪れる場合は、クラクフの町から日帰りで訪れることが多いです。
バスで2時間ほどです。

アウシュビッツの概要

ナチス政権下で組織的に行われたユダヤ人迫害(ホロコースト)の象徴的な存在です。
ユダヤ人だけではなく、政治犯や捕虜、同性愛者など他の民族も収容されてました。

ここでは人体実験や、大量殺害が実行されたといわれています。
アウシュビッツでの死亡者数には諸説ありますが、150万人とも言われています。

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ – ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所」として世界遺産に登録されています。

アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツの正門がこちらです。

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写真では見にくいですが「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と書かれています。
実際にはほとんど出られなかったそうです。

アウシュビッツの居住区

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こちらは寝床です。
狭い範囲に敷き詰められています。

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こちらは再現された三段ベッドです。
床に寝ていては場所が足りなくなって三段ベッドにしたそうです。
一段に数人が寝ていたそうです。

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こちらも三段ベッドです。
余裕がありそうに見えますが、二人以上で寝ていたそうです。

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こちらはトイレです。
ただ、中国のトイレよりはいいかなと思ってしまいました。

監視塔

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こちらは監視塔です。
逃亡を防ぐため鉄条網が敷かれ、監視塔が配置されました。

死の壁

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奥に見える壁が死の壁と呼ばれるものです。
多くの人が銃殺された場所です。
花が供えられていました。

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学生の集団も訪れていました。

残念ながら写真が残っていないのですが、このほかにはガス室や焼却炉なども見られます。
また、当時の写真も見ることができます。

人類の過去の行為を見ることで、いろいろと考えます。(あえて考えたことは書きません)
このようなものは見たくないという人も多いと思いますが、個人的には見て考えることも大切だと思っています。
一度は訪れてみてほしいと思います。

クラクフについてはこちら